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2011年12月 7日 (水)

天照大御神信仰について

古代日本人の素朴な太陽への信仰・崇拝の心が、次第に純化し太陽の光明温熱によって万物万生が生成化育するといふ、その尊い事実を神格化して太陽を最高尊貴な人格神として天照大御神を拝むようになった。

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。ゆへに、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同体の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。

天照大御神は、日神と穀靈に五穀の豊饒を祈る祭祀主である「おほきみ=天皇(すめらみこと)」の御祖先神としても仰がれるやうになった。天照大御神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、「メ」は女神の意である。

天照大御神は、日の神=自然神と、皇祖神=祖先神との二つの面を持つ女性神であられる。

八咫鏡は、天照大御神が岩戸にお隠れになった時、石凝姥命(いしこりどめのみこと)がお造りした。天照大御神の神霊の依代(よりしろ)として天孫降臨後、宮中に安置され、垂仁天皇の時代に伊勢に移されたと伝へられる。伊勢神宮の御神体である。皇位継承のみしるしとして宮中賢所(かしこどころ)に代りの鏡がまつられてゐる。

『日本書紀』には、天照大御神が天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと・邇邇藝命の父神)に「宝鏡」を授けて

「視此宝鏡、当猶視吾、可与同殿共殿、以為斎鏡」(この鏡を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし。ともに床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし)と命じられたと記されてゐる。

『古事記』には、邇邇藝命が天降られる時、天照大御神が、三種の神器を副へて「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごと、斎(いつ)きまつれ」(この鏡こそはもっぱら私の魂として、私の前を祭るやうにお祭り申し上げよ)との御神勅を下されたと記されてゐる。

「八咫鏡」は、天照大御神の依代(よりしろ・神が顕現する時の媒体となるもの)として拝まれるのである。『日本書紀』には、鏡を作って日の神の御像としたことが記されてゐる。

鏡は三世紀代の古墳から発見されてをり、その頃には太陽神(日の神)祭祀に用いられてゐたと思はれる。太陽に鏡を向けると、その鏡は太陽と同じようにまぶしく光り輝くので、鏡は太陽神を象徴するのに最もふさわしいものであったと考へられる。

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