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2011年12月 8日 (木)

『國歌君が代』について

 『國歌君が代』には日本國民の伝統的天皇信仰が高らかに歌いあげられている。

「君が代は 千代に八千代 に さざれ石の いはほ となりて 苔のむすまで」

 元歌は、平安朝初期から知られていた詠み人知らず(作者不明)の古歌(『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に賀歌として収録)の一首「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」(わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい、というほどの意)である。

石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。魂の籠っている「石」を「岩」と言うといっていい。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

人々は、亡くなった人の遺体を墓石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるという信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考えた。

 

日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているということである。したがって、「君が代(天皇の御代)」が「石」が「岩」になるまで続くということは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるということになる。岩を霊的なものとしてとらえ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういう信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

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