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2011年11月 9日 (水)

近代における『神社神道』の形骸化について

「国家神道は各宗教の上に君臨する国教であった」という説がある。村上重良氏などの説である。この「国家神道」という言葉は、敗戦後占領軍によって作り出された言葉である。

明治維新当初は、祭政一致の古代国家再生が実行されようとしたが、それは「文明開化路線」とは相容れずかつまた仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。神道はむしろ形骸化された。

神社神道には仏教や儒教やキリスト教などのような教典とか教義とか理論がなかった。とりわけ特定の人物が説いた独善的観念体系としての教条は全くなかったので、「神社神道は宗教ではない」とされ、祭政一致の國體は隠蔽された。そして「神社神道」は、ただ国民道徳上の儀礼ということになった。神社に祀られている「神」も遺徳ある先人であり「宗教上の神」ではないとされた。

『古事記』冒頭の「造化三神」への信仰は隠蔽された。そうした「神社神道」が明治期からずっと続く。しかし、宇宙根源神たる天之御中主命、むすびの神たる高皇産霊神・神産霊神という三神への信なくして、神道はあり得ない。これを隠蔽した近代のいわゆる「国家神道」は、形骸化された神道ということになる。

つまり、近代日本の「神道」はその宗教性を剥奪されたのである。したがって、「国家神道」によって仏教などが圧迫され布教の自由・信教の自由を脅かされたなどということはなかった。「神社神道」は「各宗教の上に君臨する国教」とはなり得なかった。戦前戦中の内務省によるいわゆる「宗教弾圧」は全く別の理由即ち『治安維持法違反』で行われたのである。

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