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2011年11月24日 (木)

立川談志さんを悼む

立川談志さんが亡くなられた。立川談志さんは、千駄木の隣町の根津に住んでおられたので、地下鉄の中、根津の路上、そして谷中の酒場でもよくお目にかかった。故野村秋介氏のパーティーでお目にかかった時は、壇上から別人であるとわかっていて小生に『加瀬先生、加瀬先生でしょ』と呼びかけられたこともある。私が加瀬英明氏に似ていると思われていたのであろう。

小生の叔母が親しかった庭野千草さんという女優さんと談志さんも親しかったようなので、その人のことも共通の話題となった。また、先代の立川談志さんも我が家のすぐ近くに住んでおられた。談志さんは、「未亡人から主人の名前を大きくしてくれて有難う」とお礼を言われたと言っておられた。

そういうことで、私は談志さんのファンであり、親近感を抱いていた。またバイタリティーと芸能史についての博識ぶりに感服していた。談志さんが「管理社会」となりつつある現代日本において、枠にはまらない生き方をしておられることに敬意を表していた。

小生は、下町育なので、笑芸は好きである。隣町の日暮里に住んでいた古今亭志ん生・金原亭馬生・古今亭志ん朝にもよく会った。志ん朝さんは小学校・中学校の先輩である。

学生時代、上野の鈴本や本牧亭にはずいぶん行った。ある日、鈴本に行った時、談志さんが出演すると書かれていたので期待していたら休演で、代演の方が出て「談志は二日酔いで寝てます」と言ったのには笑わされた。その代演の人は、名前は忘れたが軍歌・ナツメロを歌いまくる落語をする人と記憶する。

以前行った山形天童温泉の「鶴亀荘」とかいうホテルに談志さんの色紙や手紙がたくさん展示されていた。その中の色紙に「鶴は千年、亀は万年、立川談志はあと二年」と書かれていた。小生が見たのは平成十五年の秋と記憶するから、その色紙を書いてからきっと十年以上は過ぎたと思う。

死を覚悟しつつ十年以上も生きられ、しかも芸道を歩み続けられたわけである。それにしても、個性のある人が次第に少なくなるのは本当にさみしいことである。談志さんは落語家であると共に独特の文化論を展開する批評家であったと思う。その生き様もまた学ぶところが多かった。

心よりご冥福をお祈りします。

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