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2011年11月30日 (水)

篠田正浩は、天皇国日本を破壊せんとする不逞の輩である

 いささか旧聞に属するが、今年八月二十八日に両国の江戸東京博物館で行われた『東京新聞フォーラム よみがえる古代の大和 卑弥呼の実像』において、篠田正浩(映画監督)は、大要次のように語った。「天皇の『人間宣言』によってそれまでの歴史教育は否定された。天皇は、戦後『人間宣言』をしたのだから、天皇陵を考古学研究のために発掘してもかまわない。そこから考古学が生まれる。総理大臣が四年間任期を全うせず、よく交代するのは、日本に民主主義が正しく根付いていないからだ。その原因は、古代の卑弥呼のような祭祀を行う君主がいるからだ」。

篠田正浩は、昭和天皇が『人間宣言』されたことにより天皇御陵は人間の墓になったのだからどんどん発掘してもかまわない。発掘しない限り日本の考古学は生まれないと言っているのだ。私がここで喋喋喃喃論じるまでもなく、『昭和二十一年元旦の詔書』は決して人間宣言ではない。昭和天皇は、『昭和二十一年元旦の詔書』を発せられた後も、「現御神」の御自覚を正しく継承されておられた。それは、御製を拝すれば明らかである。祭祀主・日本天皇が神聖不可侵の御存在であることは永遠に変わらない。

また、普通一般の人の墓も、その尊厳性は保たれるべきである。考古学のためであろうと何であろうと、他人が自由に発掘して良いということはあり得ない。篠田自身の先祖の墓が他人に発掘されても文句を言わないというのか。馬鹿なことを言うものではない。

まして、歴代天皇の御陵は、神聖なる日本天皇の御神霊が鎮まりましているのである。その尊厳性・不可侵性は厳しく保たれるべきである。それと考古学の発達とは無関係である。  

篠田正浩は、「現御神信仰」を正しく理解していないし、亡くなった方の御霊そして墓所の尊厳性も正しく理解していないからから、このような暴言を吐くのだ。鬼畜の輩とはこういう人物のことを言うのである。

日本の政治が混乱しているのは、最近の政治家が無能だからである。内閣制度発足以来、長期にわたって政権を保った総理は多数いる。総理大臣が四年間任期を全うせずコロコロ変わるのは最近になってからだ。それを、上に天皇がおわしますことが原因などと言うのは全く見当違いの発言だ。

上に、天皇がおわしますからこそ、今日のように、いくら政治が混乱しても、国難に見舞われても、国家の統一と安定が基本的に保たれているのだ。それはわが国の歴史を通観すれば火を見るよりも明らかである。天皇の御存在こそが、日本国永遠の隆昌の基である。

篠田正浩は、かつて、「ゾルゲ事件」を扱った映画を製作したが、その映画では、謀略を用いて日本を戦争に追いこんだ旧ソ連のスパイ・ゾルゲと尾崎秀実を、英雄のように描いていた。今日の暴言・与太話を聞いて、國體観・天皇観においても篠田正浩は実に以て許すべからざる人間であることを認識した。篠田正浩は、天皇国日本を破壊せんとする不逞の輩である。

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千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、原稿執筆・脱稿・送稿。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆・資料の整理。

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2011年11月29日 (火)

神話の精神の復興と祖国日本の再生

『天孫降臨神話』そして『天壤無窮の神勅』『斎庭穂の神勅』に示されている日本民族の理想・日本伝統信仰は、聖書やコーランなどのようなある特定の人物が説いた教義ではない。古代日本人の「くらし」の中から自然に生まれて来た神話であり信仰である。建國以来今日までの日本人の「くらし」を支えてきた古代人の理想の表現である。

日本人は平和なる農耕生活を営む民族である。日本という國は農耕生活を基本とする文化國家であり祭祀國家である。武力・権力を基本として成り立っている権力國家ではない。また多くの人々が契約を結んで成立した契約國家でもない。

 

天皇の國家統治の基本は農耕生活から生まれた平和な信仰精神である。天皇の國家統治は、平和的な農耕生活・稲作文化が基本である。ここで言う平和とは「現行憲法の三原理」の一つである欺瞞的な「平和主義」ではないことは言うまでもない。

 天皇が日本國の統治者であらせられるということは、天皇が政治権力や軍事力によって國民を支配し服従させる方であるということではない。しかし、日本国の政治権力や軍事力の権威の源泉は天皇の神聖性にある。

 今日の日本は、「グローバリゼーションの時代」などといわれ、日本民族の主體性・誇りを喪失しつつある。また、戦後日本は祖國の良き傳統を軽視あるいは否定し来た。これがわが國が今日、精神的思想的頽廃が末期的様相を呈している根本原因である。わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。わが國本来の政治と道義と國の姿を回復することが必要である。

 わが國のすぐれた古典であるところの「記紀・萬葉の精神」への回帰による精神の救済を図ること、即ち「神話の精神・萬葉の精神」の復活によってこそ祖國日本の再生が行はれると確信する。

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千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師の方と相談。

帰宅後は、原稿執筆。

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最近受贈した書籍

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『闘戦経』 家村和幸氏著 並木書房発行 著者より

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『祖国維新と大日本生産党』  大日本生産党本部書記局編 中法情報通信社発行 大日本生産党より

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『維新と興亜に駆けた日本人』 坪内隆彦氏著 展転社発行 著者より

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2011年11月28日 (月)

『見る』という言葉の信仰的意義

感覚器官の中でもっとも発達し精密で大事なのは視覚と言われる。人間は視覚を通して外界をとらえ、環境に適応する。視覚以外のことについても「見る」という言葉が使はれる。「味を見る」「触って見る」「匂いを嗅いで見る」「試して見る」という言葉を使う。

聴覚を表す言葉に視覚を表す言葉が使われる。たとへば「明るい声」「明るい音」「暗い響き」「黄色い声」である。このように、我々の感覚は常に視覚が優越している。それが言語表現にも及び、視覚の上に立った描写の言葉がよく用いられる。事物をありありと描き出すための手法として視覚の言葉が用いられる。

「見える」という言葉を使った歌が『萬葉集』には多い。『萬葉集』における「見る」とは単に視覚的な意味ではない。柿本人麻呂に、「天ざかる夷(ひな)の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」という歌がある。瀬戸内海を西の方から航行し明石海峡に来たら、故郷の山々が見えたという感激を詠んだ歌。これは単に「見えた」というだけでなく「故郷に近づいた」という感慨を歌った。また、柿本人麻呂が、浪速の港から西の方に向かって航行していく時の歌に「ともし火の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」というのがある。明石海峡を越えていくと自分の故郷である葛城山系が見えなくなるといふ歌である。

このように「見る」といふことが非常に大事に歌はれてゐる。

天智天皇が崩御された時に、倭媛大后は、「天の原ふりさけ見れば大君の御命(みいのち)は長く天(あま)足らしたり」「青旗の木幡の上を通ふとは目には見れどもただに逢はぬかも」「人はよし思ひやむとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも」とお詠みになった。三首とも「見」という言葉が用いられている。

天皇が行い給う「国見」とは、単に景色を眺めるということではなく、国土と国民を祝福し、五穀の豊穣と自然の安穏そ

して民の幸福を祈られる祭祀である。「見る」という言葉にはきわめて信仰的な深い意味があるのである。

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千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、今日行う講演の準備。

午後五時半より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡辺昇氏が司会。瀬戸弘幸氏及び小生が講演。活発な質疑応答が行われた。終了後、忘年会を兼ねた懇親会。

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帰宅後は、資料の整理。

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2011年11月27日 (日)

式年遷宮の意義

伊勢の神宮では、二十年に一度、御正殿以下御垣内の諸社殿すべてを新しく造り変へ、御正殿内の御装束神宝の一切を新しく調進して、新しい御正殿の御神座へ大御神にお遷り願ふ「式年遷宮」が行はれる。平成二十五年には、第六十二回神宮式年遷宮が執行されると承る。これは、二十年に一度の「大神嘗祭」で、皇祖天照大御神の神威の新たな甦りを仰ぐ祭事である。それは、新帝の御即位に際して新たなる神霊の天降り・甦りを仰ぐ践祚大嘗祭と相応する。二十年毎の立て替へには、神御自身と国土と国民のよみがへりといふ大きな意義がある。

新生の祈りをこめて元初・天地初発に回帰し、再生し続ける御遷宮こそ、民族の英知が磨きあげた神道精神・日本伝統文化の精粋であり、天地を清浄化する永遠の祈りである。御遷宮は、神・天皇・國民・国土・国家の再生の大祭である。また、式年遷宮は、「今即神代」「天地初発之時」への回帰を実感する祭りである。

式年遷宮は、瑞穂の國日本の穀靈・天皇國日本の皇祖神たる日の神=天照大御神の神威が新生し復活するといふ重大なる意義がある。

松尾芭蕉は、元禄二年(一六八九)九月十三日に外宮遷宮を奉拝した感激を『奥の細道』で、

「尊さに 皆押しあひぬ 御遷宮」

と吟じてゐる。式年遷宮には伊勢を目指して多くの人々が集ひ、神と万物万生の再生・甦り・新生を祝した。

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千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送稿。

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2011年11月26日 (土)

『皇室典範改正問題』について

『皇室典範改正問題』は、天皇國日本というかけがえのない信仰共同體・祭祀國家の存亡に関はる重大問題である。皇位繼承とは、神代以来の道統を繼承する天皇の御位に関することである。他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。

皇位継承など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。神代以来の傳統の継承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。

天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威による。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承など皇室に関することは、國家の権力機関である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の大御心に遵うべきである。

『皇室典範』は、明治天皇の勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関わることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

天皇のご意向を無視して決定することは、政體が國體を規制し、権力が権威を規制し、「俗」が「聖」を規制することになる。これは文字通り國體破壊である。國體に関することは、神の御心のまま・現御神日本の天皇の御心のままであるべきである。それが日本の道統である。

吉田茂氏はかつて日本の国会を「猿山」と言った。「天津日嗣の高御座の繼承」という神聖不可侵の事柄を、上御一人の御意志をうかがうこともせず、政争が繰り返される権力機構たる議會で決めるのは、間違っている。今の政治家が『皇室典範』を改定すること自體、不敬不遜の極みである。

日本國體は、地上における天照大御神のご代理という神聖なるご本質と、邇邇藝命以来の血統を、併せ有される天皇を、信仰共同体の核たる祭祀主として仰いでいる。

わが國の傳統の體現者は天皇であらせられる。ゆえに皇位繼承について臣下國民が真摯に論議し、陛下に対し奉り建言させていただくすることは許されるとしても、最終的に決定されるのは天皇陛下であるべきである。衆参両院で侃侃諤諤の論議をして決定すべきではない。要するに、『皇室典範』改正については、天皇陛下の大御心にまつべきなのである。

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年11月25日 (金)

三島由紀夫氏の自決直前の文章に学ぶ

三島由紀夫氏は自決直前の文章で、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、抜け目がない、或る經濟的大國が極東の一角に殘るのであらう。」(『私の中の二十五年』・昭和四十五年七月七日発表)と述べておられる。

これは日本という國の今日の危機を直感した文章であり、三島氏の自決以来四十一年を経過した今日の日本を預言している文章である。今日の日本は昭和四十五年当時よりもさらにひどい偽善の世となり、ますます欺瞞的な戰後民主主義・平和主義がはびこり、病状は瀕死の状態となっている。

そして、経済大國の地位すら危うくなり、國民は疲弊している。日本は「抜け目なく生きる」ことすらできなくなっている。 つまり、歴史と傳統の國日本だけでなく、経済大國・偽善の國日本すら消えてなくなってしまうかもしれないのだ。偽善の國日本は消えてなくなるのはともかく、「天皇国日本」は絶対に護りぬかねばならない。

私たちは、三島氏が遺された言葉と行動を今一度深く学び、歴史と傳統の國日本の再生のために戰後及び現代の偽善と戰わねばならないと思う。

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千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、ホテルサンルート高田馬場にて、『野分祭』執行。祭文奏上・『英霊の声』拝聴・『檄文』朗読・遺詠奉唱・玉串奉奠などが行われた。この後、東谷暁氏が追悼講演を行った。

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帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2011年11月24日 (木)

立川談志さんを悼む

立川談志さんが亡くなられた。立川談志さんは、千駄木の隣町の根津に住んでおられたので、地下鉄の中、根津の路上、そして谷中の酒場でもよくお目にかかった。故野村秋介氏のパーティーでお目にかかった時は、壇上から別人であるとわかっていて小生に『加瀬先生、加瀬先生でしょ』と呼びかけられたこともある。私が加瀬英明氏に似ていると思われていたのであろう。

小生の叔母が親しかった庭野千草さんという女優さんと談志さんも親しかったようなので、その人のことも共通の話題となった。また、先代の立川談志さんも我が家のすぐ近くに住んでおられた。談志さんは、「未亡人から主人の名前を大きくしてくれて有難う」とお礼を言われたと言っておられた。

そういうことで、私は談志さんのファンであり、親近感を抱いていた。またバイタリティーと芸能史についての博識ぶりに感服していた。談志さんが「管理社会」となりつつある現代日本において、枠にはまらない生き方をしておられることに敬意を表していた。

小生は、下町育なので、笑芸は好きである。隣町の日暮里に住んでいた古今亭志ん生・金原亭馬生・古今亭志ん朝にもよく会った。志ん朝さんは小学校・中学校の先輩である。

学生時代、上野の鈴本や本牧亭にはずいぶん行った。ある日、鈴本に行った時、談志さんが出演すると書かれていたので期待していたら休演で、代演の方が出て「談志は二日酔いで寝てます」と言ったのには笑わされた。その代演の人は、名前は忘れたが軍歌・ナツメロを歌いまくる落語をする人と記憶する。

以前行った山形天童温泉の「鶴亀荘」とかいうホテルに談志さんの色紙や手紙がたくさん展示されていた。その中の色紙に「鶴は千年、亀は万年、立川談志はあと二年」と書かれていた。小生が見たのは平成十五年の秋と記憶するから、その色紙を書いてからきっと十年以上は過ぎたと思う。

死を覚悟しつつ十年以上も生きられ、しかも芸道を歩み続けられたわけである。それにしても、個性のある人が次第に少なくなるのは本当にさみしいことである。談志さんは落語家であると共に独特の文化論を展開する批評家であったと思う。その生き様もまた学ぶところが多かった。

心よりご冥福をお祈りします。

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千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、根津にて知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年11月23日 (水)

日本精神と日本主義

「日本精神」とは、実際生活の中で、天皇仰慕・天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・父母兄弟を尊ぶ心である。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心などの倫理精神が生まれる。それは弥生時代の稲作生活から生まれた。

日本精神を常に実践されているお方が祭祀主・日本天皇であらせられる。日本の伝統精神・生活・文化の基本・核は「天皇の祭祀」である。

日本精神・民族精神とは、天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた国民精神ということが出来る。そういう精神を根幹として日本国をそして世界を変革しようとする行動的な主義が「日本主義」と言うことが出来る。それは自然に祖先から継承され生活の中に息づいている国を愛する心・郷土を思う心とは少し違って行動的である。

日本精神を実践し行動し実現する「主義」を日本主義という。一貫不変不動の日本精神を覚醒し、日本精神をその時代において実現せんとする主張であり政策であり「主義」が「日本主義」である。日本主義とは、日本精神から噴出してきたところの現代日本を政治・経済・社会的に変革しようとする一つの行動原理と言い得る。

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千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、西日暮里にて、満員のもつ焼き屋さんにて知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

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2011年11月22日 (火)

皇室の尊厳性について

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

 天皇を中心とした日本國の國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の篤い尊崇の心を破壊するために、皇室の尊厳性・神聖性を失わしめるために巧妙にして陰湿な画策を続けている。否、続けているどころか益々活発化している。その先頭に立っているのが朝日新聞である。

 メディアの営利至上主義に基づく皇室批判、というよりも皇室への罵詈讒謗・悪口雑言の根絶に最大の努力をしなければならないのは政府そして宮内庁である。

 政府及び宮内庁の行政努力だけで天皇・皇室の尊厳性・神聖性を冒涜する言動を抑止し得ない場合は、「皇室の尊厳保持法」の制定が必要である。

 日本國建國以来の、天皇及び皇室への國民の仰慕は、法律や權力によって強制されたものでない。しかし、最近のメディアなどによる「皇室の尊厳性破壊」策謀が愈々益々活発になり、それが國家の現在及び将来に重大な影響を及ぼす時代になっている今日、政府及び宮内庁は、皇室の尊厳性をお護りする具體的処置をとるべきである。

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千駄木庵日乗十一月二十一日

午前は、母のお世話。

この後、原稿執筆。

午後四時より、西荻窪のたちばな出版にて、『伝統と革新』第七号の編集会議。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送稿。

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2011年11月21日 (月)

三島由紀夫氏の「辞世」について

三島由紀夫氏は次の「辞世」を遺された。

「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」

 

直訳させていただくと、「日本男児が腰に差している太刀の刀が鞘に合はないために持ち歩くと音がすることに幾年も耐へてきたが今日初霜が降りた」といふ意。

しかし、「鞘鳴り」は、単に音がするといふ物理的な意味ではない。日本には古代から刀には魂(多くの場合蛇・雷の靈、須佐之男命の八岐大蛇退治の神話がある)が宿ってゐるといふ信仰があった。鞘が鳴るといふのはその刀剣に宿っている靈が発動するといふ意味である。

太刀のみならず、日本における矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

「太刀」は、「断つ」「立つ」と動詞の名詞形が語源である。「太刀」の神霊が発動して、一切の罪穢れ・邪悪を絶つのである。それが「太刀」の本質である。

三島由紀夫氏は、太刀の靈力が発動するのを何年間も耐へたといふことを歌はれたのである。『檄文』にあるところの「我々は四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ」といふ叫びに呼応する歌なのである。

「今日の初霜」といふ季節感のある言葉を用いて志を述べるのは、まさに日本文藝・敷島の道の道統を正しく継承してゐる。

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千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には明日か明後日にはお届けできると思います。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆・資料の整理。

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2011年11月20日 (日)

『第四十回日本の司法正す會』における登壇者の発言

『第四十回日本の司法正す會』における登壇者の発言。

丸山和也氏「九月二十四日釈放が決定し二十五日にそのニュースが流れた。管首相は法に従って粛々と処理すると言っていた。明白な公務執行妨害行為であり、起訴し判決を下して強制送還すれば良かった。しかるに急転直下釈放した。その日の午後、私は仙谷氏に電話した。仙谷氏が私の抗議に対して『どうしたら良いか』と言うから『起訴し判決を下し強制送還すれば良い』と言った。すると仙谷氏は『そんなことをしたらエイペックが吹っ飛んでしまう』と言った。私は『エイペックが吹っ飛んでもいいではないか。中国の属国になってしまう』と言った。すると仙谷氏は『もう既に日本は中国の属国だよ』と言った。十月十八日、そのことを参院決算委員会で追及した。仙谷は『健忘症に罹って憶えていない』と答弁し逃げ切った。翌日の官房長官定例記者会見で仙谷は私に対する人格攻撃に出て『いい加減な人のいい加減発言に一切関与しない』と言った。素人に分かりやすく茶の間に染み込みやすい手法で私を抹殺しようとした。中国人船長の釈放は、管と仙谷の二人で決めたのか。誰が地検に命令したのか。この時、菅はニューヨークにいた。政治介入であり闇の指揮権発動だ。造船疑獄の時も法的手続きを踏んだ指揮権発動が行われた。今回は法的手続きを踏んでいない。これは二重の意味でおかしい。裏指揮権発動を隠蔽するために私を抹殺しようとした。私は提訴した。検察が政治に屈している。国家の中枢でこのようなことが行われている。裁判で勝てると思う。勝たなければいけない事件。手続きの問題。国論が沸騰している中で那覇地検の判断で出来るはずがない。堂々と指揮権発動すればいい。仙谷は『自民党の時は逮捕も出来なかった』と言った。司法が踏み躙られた。仙谷と私の関係は、私は仙谷とは一回しか会っていない。抗議の電話を三回したのみ。裁判官が役人のようになっている。」

村上正邦氏「憲法違反の恐れがある『暴力団排除条例』は議会を無視している。立法府はなめられている。国会で取り上げなければおかしい。以前は無能の人を法務大臣にしたら法務省が喜んだ。」

宮崎学氏「金正男の偽パスポート入国事件は、中国人船長と同じ違法行為。政治判断の時期は逮捕する前しかなかった。稚拙な政権運営を補うために暗黙のルールがグジャグジャにされる。」

山口敏夫氏「私が新自由クラブから自民党に復党し、総裁派閥の事務総長になったのは村上さんの尽力による。二人とも今は使用済み核燃料。しかし村上氏はリサイクルエネルギーを目指している。村上氏は政治が好き。永田町から離れたくない。これが生きるエネルギー。私は落とし前をつける。私は日本を法治国家とは思っていない。私を告発した検事は、四人が辞めて一人が死んだ。次期検事総長候補だった検事も辞めた。やられたらやり返さなくては司法を相手に何をやっても無理。法務省・検察庁は一番プライドの高い連中が集まっている。凄まじいエリート意識。旧大蔵省以上。判検交流を改革すべし。判決する人と告発する人が仲良く交流している。判検交流は法務委員会の理事が『止めましょう』と言えば一日で止めさせることが出来る。福島原発の処理を今のままにしておくと、間違いなく日本もイタリアやギリシアのようになる。使える国会議員と口だけの国会議員とを仕分けすべし。OBが動いて現役に対して働き掛けるべし。丸山先生は仙谷と刺し違えてでもとどめを刺すべし。判検交流は止めさせるべし。これくらいのことが出来なければ『司法を正す会』は止めたほうがいい。」

早川忠孝氏「検察の捜査に外交的配慮はあり得る。定着すると危険。世論も斟酌する。間違った方向に左右されるかどうかは厳しい判断が迫られる。裁判官は人材不足。純粋培養では困る。法務事務次官の上に検事総長がいる。公務員試験の上に司法試験がある。」

              ○

申すまでもありませんが、私のメモによる報告ですので、文責は私にあります。

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千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送作業。

同時に、技術者が来宅してパソコンのメンテナンス。

夕刻、友人の家の新築祝い。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2011年11月19日 (土)

坪内隆彦氏著『維新と興亜に駆けた日本人』について

最近、『月刊日本』編集長の坪内隆彦氏、『維新と興亜に駆けた日本人』上梓された。まだ全編を読んでいないが、少しく感想を書いてみたい。

「歴史は人が作る」という言葉がある。また、イギリスの歴史学者カーライルは「歴史とは偉人たちの伝記である」と言ったという。私はこの書を読んでまさにその通りと思った。明治維新から大正期までの日本歴史を作ってきた人々・偉人たちのことが綴られている。

この書は近代日本の人物を語る根底に、「神武肇国の精神」を置いている。これは実に画期的なことであり、この書が正統なる人物思想史であることを証ししている。

坪内氏は、「わが国が西欧列強に対峙した時代に肇国の理想を現代において実現しようとした先駆者」を取り上げたと書いてゐる。即ち、この書に取り上げられている人々は単に「歴史を作った人たち」でもないし、一般的意味の「偉人」でもない。肇国以来の維新の道統を継承し実践してきた人々が取り上げられているのである。明治大正期における維新の戦いの先達の人物と思想を紹介している。

維新の道統を論じている。特に「序論」は、明治維新を実現した思想的基盤、徳川期の尊皇愛国思想の歴史が多くの思想家たちの原典を渉猟しつつ葦津珍彦・影山正治・中村武彦・三上卓・里見岸雄・山本七平・佐藤優の各氏などの論を引用し的確に記されている。三上卓氏が、高山彦九郎の精神を継承し、それが五・一五事件の思想的原動力になったということはこの書によってはじめと知った。

坪内氏は、「昭和維新とは、大化の改新の完遂であると同時に、建武の中興の完遂でもあった。そして、昭和維新とは、未完の明治維新の完遂でもあった」と論じている。全く同感である。日本的変革=維新は永遠に継承され、繰り返されるのである。まさに「永遠の維新」「復古即革新」である。

この書は、単なる人物論ではなく画期的な維新思想史である。

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千駄木庵日乗十一月十八日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

昼は、知人と懇談。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、発送準備。

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2011年11月18日 (金)

和歌の道統と『禁中並びに公家諸法度』

徳川幕府が皇室に対する圧迫策として制定した『禁中並びに公家諸法度』には「天子諸藝能の事。第一御學問なり。…和歌は、光孝天皇より未だ絶えず、綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄て置くべからず」などとあるが、全く出鱈目である。

和歌は文字通り神代の昔からの日本の傳統文學であり、「綺語」(仏教で十悪の一つとする、真實にそむいて、巧みに飾った言語)などではなく、明治天皇御製に示されてゐる如く「まごころを歌ひあげたる言の葉」であり、人の魂の底からの訴へである。また、和歌は単なる「習俗」などではなく、天皇の國家統治の基本である。この『法度』なるものの起草者とされる「黒衣の宰相」といはれた金地院崇傳がいかにやまとうたの傳統を知らなかったかを証明してゐる。

金地院崇傳は、建長寺・南禅寺の住職を歴任。徳川家康の下で幕政に関与するやうになる。「伴天連追放令・寺院制度・武家諸法度・禁中並公家諸法度」を起草。幕府の體制固めに尽力。大坂の陣の発端となる方広寺鐘銘事件も本多正純らとともに画策し、「國家安康」「君臣豊楽」の難癖は崇傳らが考へだしたといはれる。

徳富蘇峰氏は、「(『禁中並びに公家衆諸法度』は・註)皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において、確定したものだ。」「天皇を、もっぱら和歌、および綺語の方面における學問にのみ、誘導することにつとめたのは、幕政の始終を一貫した政策であった。…天皇は治國平天下の學問を為さず、ただ花鳥風月の學問を為し給うべしとの、意味において受け取るのを、正しき解釈とせねばならぬ。」(『近世日本國民史・徳川家康』)と論じてゐる。

天皇の國家統治の基本に和歌がある。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

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千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、母のお世話。

午後二時より、永田町の村上正邦事務所にて、『第四十回日本の司法を正す会』開催。青木理氏が司会。山口敏夫元衆院議員、丸山和也参院議員、早川忠孝前衆院議員、宮崎学氏、村上正邦元参院議員などがスピーチ。質疑応答。興味深い内容であった。後日報告します。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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左から早川忠孝・山口敏夫・丸山和也の各氏

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左から丸山和也氏一人おいて宮崎学氏

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2011年11月17日 (木)

新嘗祭について

新嘗祭とは、新穀をまず神前に捧げてお祭りし感謝の報告をした上で、これを神よりの賜りものとして食する祭儀である。単なる収穫感謝ではなく、神のみたま・生命力を身に體して生命を養い強化する祭儀である。

宮中においては、毎年陰暦十一月中の卯の日に行はれると承る。その年の新穀を諸神に供へ、天皇ご自身も食されると承る。

「天孫降臨の神話」を拝して明らかなように、日本の神の最高のご命令は「稲穂を實らせよ」といふことである。天つ神は皇孫・邇邇藝命に稲穂をお持たせになって天降らしめられた。しかもその稲穂は、天照大神が御自ら高天原で収穫された「斎庭の稲穂」である。だから、祭祀には稲穂を實らせたことをご報告する意味で、必ず「稲穂」を神に献上するのである。

高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり日本民族の使命であるといふことである。

これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示している。神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習ふといふ信仰である。神々の理想を地上において實現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる天皇なのである。

つまり、天皇は神意現成の中心者である。「高天原を地上に」「今を神代に」というのがわが國の國家理想である。こんなすばらしい國は世界に日本しかない。日本国は言葉の真の意味において「平和国家」である。これを萬邦無比の國體という。

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千駄木庵日乗十一月十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備。

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2011年11月16日 (水)

この頃詠みし歌

秋の雲 真青き空に美しく白き色彩で描かれてをり

形変へ流れゆく雲を眺めつつ老いたる母は喜びてゐる

天津風吹きわたりゐて秋の日の白雲は動く空の果てへと

久しぶりにカツカレーを食し喜べり學生街の小さき洋食店

老コックが作りくれたるカツカレー美しき乙女が我に差し出す

満月がただよふ雲を照らしゐる姿を見れば心やすらふ

政党も政府も頼りなけれども國難乗り越え民は生きゆく

荷風散人歩みし道は今もなほ静かなりけり藪下通り

健やかに日々を過ごすを感謝して如意輪観世音に経誦するるかな

我の後を付き来る女性の鋭き眼 皇居東御苑を散歩する時()

苑を出ればその女性の姿なし公務員なりしかと思ひ微笑す()

友どちと萬葉の歌を學びゐる秋の夕べは楽しかりけり

秋雨は冷たかりけりバスを待つ我を濡らして降り止まぬなり

等伯の描きし虎は愛らしき猫のごとくに見ゆるおかしさ

老いませしすめらみことのみ姿をテレビにて仰ぎ涙さしぐむ

兎の肉食して心しをれたりその愛らしき姿浮かびて

馬も豚も牛も食すに兎食し心しをれることの不思議さ

憎々しげな家康の役を演じゐる北大路欣也をテレビにて見る

友が開きし小さき酒場で友どちと語り合ひたり二の酉の日に

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千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の発送準備。

午後五時半より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年11月15日 (火)

谷口雅宣と徳川家光

NHKの大河ドラマで、徳川が豊臣を滅ぼす状況が描かれていた。家康の狡さ・残酷さ・非情さが強調されていた。史実はどうだったのかは色々な説がある。しかし、家康が色々な言いがかりをつけて淀君と秀頼を追い詰めていったことは確かである。

ところが、徳川内部もこの後色々なことが起こる。三代将軍になる徳川家光と弟の徳川忠長の確執である。忠長は家光によって切腹に追い込まれた。悲惨な話である。家光は「生まれながらの将軍」とされ、臣下にも恵まれ、徳川幕藩体制を盤石の体制にしたと評価されている。しかし自分の地位を脅かすものに対しては、たとえ自分の弟でも、無慈悲に粛清した。

色々な組織において三代目というのは、実に大切である。

「売家と唐様で書く三代目」という川柳がある。創業者が苦労して築き上げた家業を二代目が引継ぎ,苦労を知らぬ三代目が 本業を放ったらかしにして習い事にうつつを抜かし,とうとう家が傾いて売りに出す羽目になったという意味だという。「唐様」とは字体の意味で そのような字がかけるぐらい教養がある、即ち親のお蔭で教育が充分受けられたということを皮肉っているという。逆に言うと、三代目がしっかりしていればその組織はより一層発展するということである。

徳川幕府は、三代目がしっかりしていたので、その後も長く続いたということであろうか。そう言えば、創価学会も三代目の池田大作の時代に大発展を遂げた。他にも三代目がその組織を発展させた組織がある。

何故こんなことを書くかというと、生長の家という宗教団体は、三代目の谷口雅宣によって累卵の危機を迎えているからである。雅宣は、創始者の説いた國體論・大東亜戦争論を隠蔽し、教団そのものを変質させてしまった。創始者の時代からの多くの幹部や信徒が離反している。そして雅宣氏による教義の隠ぺいや教団運営の在り方を批判している。その結果、根本教典たる谷口雅春氏著『生命の實相』『甘露の法雨』も教団直属の出版社から出すことが出来なくなるという危機を迎えている。そればかりではなく、谷口雅宣は徳川家光の悪いところだけはよく似ていて、自分の姉や弟たちを教団から事実上追放した。

生長の家という愛国教団が三代目の不行跡によって衰退していくのは誠に残念である。しかし、谷口雅春氏の遺志を継承する人々によって新たなる動きが起こってきつつある。

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千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き父に付き添う。医師の方と相談。

午後五時半より、浅草雷門にて長年の友人のお店の開店祝い。同志友人と歓談。浅草は本当に久しぶり。今日は二の酉なので何時もより人出が多いとのこと。

帰宅後は、書状執筆・『政治文化情報』発送準備。

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2011年11月14日 (月)

「戦後」という言葉は何時まで続くのだろうか

「戦後」という言葉は何時まで続くのだろうか。日本が米英支蘇四国に対しその『共同宣言』を受け入れてからすでに六十六年も経過している。戦後とは敗戦後ということであり、屈辱的な時代という事だ。しかも、日本は侵略戦争を行なったという歴史観が『憲法』の『前文』にも記され、且つ、閣議決定の『戦後五十周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話』にも記されている。即ち、「日本は侵略戦争を行なった悪い国だった」というのが『国是』になっているのである。

「戦後」という言葉はそういう意味で何となく陰鬱な響きを持っている。戦争のことを忘却しろとか反省するなと言っているのではない。しかし、大東亜戦争は決して日本の一方的な侵略ではなかったこと、アメリカによって追い込まれ、挑発されて開始せざるを得なかった戦いであったことを正しく認識すべきである。

また、昭和十六年十二月八日に渙発された『開戦の大詔』に示された「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然(けつぜん)起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ」との戦争目的を正しく認識すべきである。

大東亜戦争は、自存自衛の戦いであったのであり、且つ、結果としてアジア解放の戦いだったのである。

私たち日本人は、「終戦以来何年たった」という事を意識することはもう止めにして、「開戦以来何年たったか」を意識すべきではなかろうか。今年は、開戦以来七十年である。その事に思いを致し、民族の誇りを取り戻すべきだと考える。侵略者そしてその手先は日本ではなく、米英支蘇だったのである。

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千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや意識がはっきりしている。熱もない。看護師の方と相談。

帰途、千駄木にて地元の友人と懇談。ウサギの肉を食べさせられた。私に黙ってその友人が注文したのだが、愛らしいウサギの姿と赤い目を思い出してあまり食べることができなかった。またも少し匂いがあり、美味しいと思えなかった。

帰宅後も、原稿執筆及び資料の整理。

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2011年11月13日 (日)

今こそナショナリズムが勃興すべき時である

今日わが國は、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識を回復する以外に無い。今こそナショナリズムが勃興すべき時である。日本民族の歴史意識・傳統精神を我々一人一人の精神の中で甦らせ國民一人一人の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。

ナショナリズムとは、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって決して回顧的なものではない。また、決して不潔なものでも、手垢にまみれたものでも、危険なものでもない。これからの日本のために欠くべからざるものである。

明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの傳統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す維新運動を繰り広げねばならない。    

わが國の歴史を回顧すると、國家的危機の時こそ、尊皇精神・愛國心が勃興し、その危機を乗り切ってきた。白村江の戦いに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞われた時には、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。壬申の乱の後には、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』及び『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。元寇の時には、それこそ全國民的に神國思想が勃興し國難を乗り切った。幕末の外患の危機に際しては、尊皇攘夷をスローガンとする明治維新が断行され、日本の独立を維持し近代國家として出発した。

今日の日本の危機的状況も、ナショナリズムの興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。そのためにも近代における最大の危機であった大東亜戦争が何故敗北したのか、その原因を正しく究明することが大切である。

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『長谷川等伯と狩野派』展参観記

今日参観した『長谷川等伯と狩野派』展は、「能登国七尾(現石川県七尾市)の地方絵師から、京の中央画壇の中心的な存在にのぼりつめた長谷川等伯(15391610)。没後400年を迎えた昨年、等伯の芸術の魅力がより広く紹介され、現在でも多くの人びとの関心を集め続けています。…今回の展覧会では、等伯が強大なライバルとして意識する存在であった“狩野派”との関係を視野に入れ、また新しい角度から等伯の芸術をご紹介します。…完成度の高い華麗な様式美をそなえる狩野派の絵画と、幅広い古典学習から自由で独創的な表現を試みた等伯とその一門の絵画を出光コレクションから厳選し、一堂に展示します。両画派の絵画様式の特徴や差異、また意外な親近性などにも目を向けていただき、狩野派全盛の時代、わずか一代で桃山画壇に確かな足跡を遺し、後世へ余波を与え続けた等伯芸術の魅力を、主に狩野派との関係からじっくりとご鑑賞いただきます。」(案内書)との趣旨で開催された。

「花鳥図屏風 伝狩野松栄 桃山時代」「竹虎図屏風(右隻) 長谷川等伯」「松に鴉・柳に白鷺図屏風 長谷川等伯」「波濤図屏風 長谷川派」などを見る。

竹虎図屏風」という虎を描いた絵は、実際に虎を写生したわけではないので、何となく猫のように見えた。「波濤図屏風」は、緻密に描かれた美しい絵であるが、これも実際に海を写生した絵ではないようである。従って、リアリティはない。現実感には欠けるが迫真性はある。絵画は写実が良いというわけではないことが分かった。また、花や鳥など生き物を愛する心が伝わってくる作品が多かった。

桃山時代の作品なのて、色彩が薄くなってるようなのが残念だった。

長谷川等伯の足跡は、今『日本経済新聞』に連載されている小説に描かれている。故郷の七尾から上洛する途次、信長の比叡山焼打ちに遭遇している。また、日蓮宗の篤信者で、宗教画も多く描いている。

出光美術館は便利なところにあるし、それほど大きな美術館ではないが、なかなか素晴らしい作品を展示するので、時々参観する。

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千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、丸の内の出光美術館にて開催中の『長谷川等伯と狩野派展』参観。

帰途、日比谷にて知人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2011年11月12日 (土)

教条・イデオロギーを排する日本伝統精神

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きというものは大切にするが、そうしたものから遊離した超越的な『教条』『イデオロギー』(独善的観念体系)と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『教条』『イデオロギー』と称するものは、作り事であり、嘘や独善と隣合わせであると直感するからである。

日本人は物事を「あげつらふ」ことを嫌った。「あげつらふ」とは、物事の善し悪しについて意見を言い合うことであり、欠点・短所などを殊更に言い立てることである。それは人生や宇宙そして自然そのものを歪曲する危険があると考えたからである。教条・教義(イデオロギー)というものは宇宙や人生や世界や歴史に対する一つの解釈であり絶対のものではないのである。

日本の伝統精神すなわち日本民族固有の『道』は事実の上に備わっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しない。抽象的・概念的な考え方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたいあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向である。

こういう教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

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千駄木庵日乗十一月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年11月11日 (金)

現代の危機と復古即革新

大東亜戦争に敗北して六十六年、今日わが國は、精神的にも敗戦国家になろうとしているのではないか。魂の腐敗と國家の欺瞞は、軍國主義國家であったという戦前の日本にはあり得なかったような、人命軽視という言葉すら空しくなるような、残虐なる殺人が日常茶飯事になった現代社會を現出させた 

武士道を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

わが国には建国以来三千年という光輝ある歴史と伝統がある。「愚者は歴史を経験するのみだが、賢者は歴史に学ぶ」と言う。今日の国難を打開するために歴史に学ばねばならない。わが国には国難を乗り切った明治維新の歴史、建武中興の歴史、大化改新がある。その歴史に学ばねばならない。

わが国が国難を乗り切った歴史の根底には、伝統的な道義精神を正しく保持しつつ、改革を実現し、現状を打開してきた。

わが国の伝統精神を回復し、天皇を敬い、国を愛し、神仏を尊び、先祖及び護国の忠霊を敬い、親や家族を大事にする心を取り戻すことである。

明治維新は、「王政復古」によって一大革新を断行した。これを復古即革新という。今日の危機を打開するためには、日本伝統精神に回帰し、それを開顕することが大切である。

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千駄木庵日乗十一月十日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年11月10日 (木)

日米開戦は東條首相が、昭和天皇の御心を無視して行ったということは絶対にない

昭和十六年十二月八日の「日米開戦」は、先帝・昭和天皇のご意思に反して当時の軍部が行ったという論議がいまだに横行している。「昭和天皇は平和を望んでおられたのだが東条英機などの軍部が陛下の大御心を無視して戦争に突っ走った」という議論である。

東条英機氏を「戦争犯罪人」とし、靖国神社にお祀りすることすらこれを否定する人が外国のみならず日本国内にもいる。

東条内閣時代に開始された対米英戦争は米国大統領ルーズベルトの挑発によるものであることは今や明白になっている。

当時の状況下において「支那及印度支那より一切の陸海空軍兵力及警察力の撤収」などという最後通牒(ハル・ノート)を受け入れることは東条英機氏であろうと誰であろうと不可能であった。それは東京裁判においてインドのパール判事が「こんな最後通牒を受け取ったら、ルクセンブルグ大公国やモナコ王国のような小国でも、敢然として剣を執って起ったであろう」と述べ、英国の軍需大臣オリバー・リットルトンが昭和十九年六月に「米国が戦争に追いつめられたというのは、歴史上の改作狂言である。日本をしてパールハーバー攻撃にまでに追いつめ強圧したのは米国である」と述べたことによって明白である。

大東亜戦争の開戦は、アメリカのあまりに理不尽なる圧迫が原因となったやむを得ざる選択であって、東条英機首相が陛下の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどということは絶対にない。むしろ大東亜開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したというのが歴史の真実である。

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千駄木庵日乗十一月九日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

午後六時半より、豊島区の駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、巻一の作者未詳歌を講義。質疑応答。帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年11月 9日 (水)

近代における『神社神道』の形骸化について

「国家神道は各宗教の上に君臨する国教であった」という説がある。村上重良氏などの説である。この「国家神道」という言葉は、敗戦後占領軍によって作り出された言葉である。

明治維新当初は、祭政一致の古代国家再生が実行されようとしたが、それは「文明開化路線」とは相容れずかつまた仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。神道はむしろ形骸化された。

神社神道には仏教や儒教やキリスト教などのような教典とか教義とか理論がなかった。とりわけ特定の人物が説いた独善的観念体系としての教条は全くなかったので、「神社神道は宗教ではない」とされ、祭政一致の國體は隠蔽された。そして「神社神道」は、ただ国民道徳上の儀礼ということになった。神社に祀られている「神」も遺徳ある先人であり「宗教上の神」ではないとされた。

『古事記』冒頭の「造化三神」への信仰は隠蔽された。そうした「神社神道」が明治期からずっと続く。しかし、宇宙根源神たる天之御中主命、むすびの神たる高皇産霊神・神産霊神という三神への信なくして、神道はあり得ない。これを隠蔽した近代のいわゆる「国家神道」は、形骸化された神道ということになる。

つまり、近代日本の「神道」はその宗教性を剥奪されたのである。したがって、「国家神道」によって仏教などが圧迫され布教の自由・信教の自由を脅かされたなどということはなかった。「神社神道」は「各宗教の上に君臨する国教」とはなり得なかった。戦前戦中の内務省によるいわゆる「宗教弾圧」は全く別の理由即ち『治安維持法違反』で行われたのである。

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千駄木庵日乗十一月八日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、講義の準備そして『政治文化情報』の原稿執筆。

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2011年11月 8日 (火)

金田秀昭元海上自衛隊護衛艦隊司令官の講演

十一月五日に行われた『アジア問題懇話会』における金田秀昭元海上自衛隊護衛艦隊司令官の講演で印象に残った話次の通り。 

              ◎

「海の脅威は日本周辺のみを考えても始まらない。『テームズ川は日本の海に繋がる』と言われる通りだ。中国は海に進出した歴史は若干あるが、これまで大陸国家だった。中国のこれまでの海軍は水軍だった。日清戦争の時も、清の艦隊は日本艦隊にやられた。中華人民共和国建国時の海軍は陸軍の補助として海岸のパトロールが精一杯だった。

中ソ対立が起こり、軍事闘争にも発展しかねなかった。毛沢東は海洋による生存という手法をとり、海から物を運び交易を行なう組織的海洋進出に目を付けた。海上交通路を確保せんとした。鄧小平は改革開放と同時に、『国連を中心とする海洋法会議が大国に独占されている』という海洋ナショナリズムの大演説をした。その結果、米英が妥協して持たざる国が有利になった。

劉華清海軍司令は非常に能力があった。国防科学技術を発展させた。シーパワーによる国力伸長を国家の方針にした。この人の流れが今日の中国のやり方。海洋覇権を確立し中華大国にする。

日本は東シナ海から日本は絶対に引いてはならない。中国が『南シナ海は核心的利益』と言ったら、アメリカは激しく反発し、『南シナ海はアメリカの国益ととらえる』と言った。アメリカとベトナムは安保上の協力関係を強固にしている。

海洋安保は一国のみに非ず。海洋係争は対岸の火事に非ず。自律的防衛強化・日米同盟深化・地域協盟拡大・海洋立国基盤の四つが必要。

領域警備は海保が行い、領域防衛は海自が行う。海自は要請があれば海上警備行動を発令できる。しかし実際に取り締まるのは困難。能登半島の不審船の時、漁業法違反で取り締まった。海保は命懸けでやっている。法の整備が必要。

日本の外務省に領土問題での統一戦略があるのか。法に基づく一貫した政策を作るべし。国際海洋法裁判所裁判長に柳井俊二さんが就任した。この方がいる時に領土問題の白黒をつけるべし。この機会に『押せ押せ』で行くべし。

国防を最優先するという考えが民主党にも自民党にもない。TPPは第三の黒船。今、過去の恩恵に浴している日本だけでは解決できない問題が起こっている。TPPを好機ととらえて経済と安保とをリンクさせ、新しい日本像で活性化すべし。東日本大震災の復興とTPPとをかけ合わせるべし。経済基盤が新しい形で成り立てばいい。日本人には知恵がある。しかし政治家には知恵がない。」

             ◎

アメリカとベトナムは安保上の協力関係を強固にしているという。ベトナム戦争とは一体何だったのであろうか。

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千駄木庵日乗十一月七日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識がはっきりしていると、色々苦しみを訴えるのでつらい。『靴を出せ。家に帰る』と言う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年11月 7日 (月)

大東亜戦争について考える

本年は、大東亜開戦七十年である。森田康之助先生(故人。文学博士・国学院大教授)は、「歴史を見る目は即ち将来を見通す目であり、歴史とは未来記に他ならない」(『伴信友の思想』)と言はれた。日本近代史に対する正しい認識が、現在及び将来の日本を決定づける大きな要素になる。何時までも自虐史観にとりつかれてゐると、日本は亡国の道を歩む。すでに歩み続けてゐると言っていい。 

自虐史観を払拭することは、決して無反省でいいといふことではない。私は、明治以後の日本が良いことしかしなかったとは思はない。また戦前の日本が理想的に国だったとも思はない。もしさうだったとしたら、昭和維新運動は起こらなかったであらう。また戦争に負けるはずもなかった。 近代化によって、西洋覇道精神が日本国に浸潤したことも事實である。そのことの反省はもちろん必要である。

しかし、日本国が、西欧列強の侵略に抗して自国の独立を護るために、西洋化・近代化を推進し富国強兵を図った。そのことによって国内的にも対外関係においても様々な矛盾が生じた。しかし、「日本だけが悪かった、日本は悪いことしかしなかった」といふ歴史認識は改めなければならない。

渡部昇一氏は次のやうに論じてゐる。「十九世紀末から二十世紀前半の国際社会は、『侵略は是』とされた時代であった。この時代の思想を簡潔に表現するならば、『弱肉強食』あるいは『適者生存』という言葉を使うのが、最もふさわしい。…欧米の植民地政策は、ダーウィニズムによって〝お墨付き〟をもらったようなものであった。何故なら、『優れた白人が有色人種を征服することは、自然の摂理なのだ』ということになったからである。…当時は、進化論を持ち出せば、何でも正当化できるという雰囲気が欧米社会に充満していのである。このような『弱肉強食』を是とする国際社会の中で、日本がその生存と独立を維持しようとすれば、同じように弱肉強食の論理に従わざるを得なかった。」(『かくて昭和史は甦る』)

東條英機元総理は、「東京国際軍事裁判」に於けるキーナン検事の尋問に答へて、「この裁判の事件は、昭和三年来の事柄に限って審査しているが、三百年以来少なくとも阿片戦争までさかのぼって調査されたら、事件の原因結果がよく分かると思う。」と述べた。欧米列強の数百年間にわたる東亜侵略の歴史を踏まへて、大東亜戦争は論じられ、評価されなければならない。大東亜戦争は、数百年来の西欧列強・白色人種国家の東亜侵略に対する正義の抵抗であったのだ。

歴史問題は、真摯に冷静に考究されなければならない。ところが現状はさうなってゐないことが問題なのである。近隣諸国、つまり共産支那や南北朝鮮は、歴史問題をわが國に対する外交的圧迫、攻勢、脅迫の手段にしてゐる。

のみならず、国内の反日的な政治家・メディア・学者文化人は、近隣諸国に対してわが国への内政干渉を煽動し、近隣諸国のわが国への外圧=内政干渉を利用して、わが国の尊厳性・誇りそして日本民族の国民的自覚を喪失せしめ、窮極的には、天皇中心の日本國家の崩壊を目論んでゐる。

かかる状況下にあって、歴史問題がを政治問題にせず、冷静にして真摯な論議を行ふことが必要である。

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千駄木庵日乗十一月六日

朝は、母のお世話。

午前十時半より、靖国神社境内の靖国会館にて、『草地貞吾大人之命十年祭』執行。祝詞奏上・玉串奉奠・祭文奏上などが行われた。そして湯澤貞元靖国神社元宮司が挨拶を行った。この後、直会が行われ、平岡辰夫氏の音頭で献杯を行った。そして、板垣正元参院議員・三井勝生前靖国神社権宮司などが挨拶した。

午後四時より、神宮外苑の日本青年館にて、『大日本生産党結党八十周年記念交流懇親会』開催。阿部右善党首が挨拶。頭山興助・犬塚博英・福永武・近藤勢一・渡辺東洋の各氏そして小生などが祝辞を述べた。鴨田徳一最高顧問が挨拶し、杉山清一書記長が結語を述べ、終了した。

帰途、同志多数と懇親。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年11月 6日 (日)

『呉竹会アジアフォーラム』における西部邁氏の講演・その二

東日本大震災で感動したのは、次のような老人の発言。八十四歳のおばあさんは『あの戦争と比べれば何ほどのこともない』と言った。あの戦争でアメリカ軍の空襲で非戦闘員が九十万人殺された。ある老人は、『私は生き延びたが、娘も婿も孫も死んだ。生き延びたことが幸せかどうか分かりません。梅の木が一本生き延びていた。残された梅の木を自分の孫と思って育てる。それしか生き甲斐はない』と言った。生き延びたことは死よりも苦しい。

平凡ではあるが人間同士が親密なつながりを持っていて初めて人生であり人間である。相互扶助を戦後の日本人は忘れてしまった。

クライシスの語源はギリシア語のクリシス。決断という意味。危機とは速やかに決断をしなければならない状態をいう。『維新』とは『詩経』にある言葉。『その命維新たなり』。『糸』がしっかり繋がっていることが今に繋がる。過去と今日と未来が繋がる。復古が維新である。古いものの智慧を今に生かすのが維新。天明を受け付けない王朝を打倒するのが革命。リボリューションとは、古い形が螺旋状にめぐって今に繋がることを言う。

左翼とは、フランス革命で『自由・平等・博愛』をことあるごとに言っていた連中。即ちジャコバン党を言う。戦後は、全てアメリカからやって来た『自由・平等・博愛』。近代人は基本的にフランス革命以来左翼。フランス議会で左側に座って『自由・平等・博愛』を叫んだのが左翼の淵源。アメリカはフランス革命に繋がる。アメリカはフランス革命に繋がる近代主義。歴史不在。USAは実験国家。左翼の集団主義派がソ連・中国。左翼の個人主義派がアメリカ。

伝統とは危機を乗り越えるための常識力。原発が安全というのはとんでもない。技術が安全であったためしがない。東電批判と技術批判の裏返し。技術に安全を要求するのは愚か。

満州事変から日米戦争までは日本のエネルギー・行動力が膨らんだ時代。危機を乗り越える国民の組織を作り直さねばならない。大衆と庶民とは違う。技術や金に狂いメディアに騙される人々が大衆。大衆は世論の名において人材を殺す。そして人材がいなくなったと嘆いて見せる。」

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『呉竹会アジアフォーラム』における西部邁氏の講演・その一

『呉竹会アジアフォーラム』における西部邁氏の講演内容は次の通り。

「TPPはろくでなしのやること。そういう政権を選んだのは日本人。構造改革は九十年代に始まっている。アメリカ的自由主義を持ち込んだ集大成がTPP。

原発事故は、技術の限界を示した。技術立国こそ日本の生きる道と言ったことを反省すべし。

この世にはコントロールしきれないこと、不条理なことが起こり得る。危機管理という言葉がまことしやかに何十年もの間使われてきた。クライシスとは人間の能力では乗り越えられない危機のこと。これを管理するとは何事か。自分たちに万能の能力があると錯覚している。リスクとクライシスの違いすら知らない。確率的に予測できるリスクを危険と呼ぶ。

何もかもガラガラと変えてそれを促進するのが構造改革。そういう時代に未来を予測するのは詐欺。確率的に予測できないことを予測できるとするのは詐欺。クライシスとはマネージできないことを言う。マネージとは技術的に管理できることを言う。

未来の危機が確実に個人・国家・世界に現れる。危機の範囲が広がる。人間はなにがしかの組織を作ってしかクライシスに対応できない。構造改革とは国民組織・ナショナルオーガリゼーションをトータルで破壊すること。国民と言わずに市民と言うと主張する政治家が現れた。経験と創造の母体は日本という国家。歴史は危機の連続であった。『あの時はああやったのでうまくいった』という大まかな想像において教訓を与えてくれる。伝統の本質とは国家の危機を打開してくれる貯蔵庫、そこに危機を乗り越えてきたヒントあるはずだということを意味している。

イラン・アフガンへのアメリカの侵略で、五万、十万の人が死んだのに日本人は何一つ騒いでいない。日本は六十六年間以上アメリカの奴隷。

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千駄木庵日乗十一月五日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。金田秀昭岡崎研究所理事(元海上自衛隊護衛艦隊司令官。戦前でいえば連合艦隊司令長官)が講演。質疑応答。久しぶりに板垣正氏にお会いした。お元気そうであった。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年11月 5日 (土)

呉竹会における西部邁・頭山興助両氏の話

今日の呉竹会における西部邁氏の講演で特に印象に残った言葉を記します。

「危機管理という言葉があるが、危機とは予測できないリスクのことを言う。予測できないのだから管理することもできない。」

「大衆と庶民とは異なる。金に狂い、メディアに騙される人々を大衆と言う。大衆は世論の名において人材を次々と殺す。そして人材がいないと嘆いて見せる。」

千駄木庵主人曰く。最近の橋下前大阪府知事に対する『週刊新潮』の報道ぶりを見ていると、この西部氏の主張は納得できる。ただ庶民とは一体どういう人々なのかは語られなかったのが残念だった。また、日本國體・皇室についての西部氏の考え方を詳しく聞きたかった。

          ◎

主催者の頭山興助氏は結語で「小泉政権が、郵政問題で国内に敵を作り出すことによって、政権を維持し浮揚させて以来、日本人は外国の敵に対峙するよりも、国内に敵を作り出している。日本人が日本人を見下している。秋篠宮悠仁殿下の『着袴(ちゃっこ)の儀』と『深曽木(ふかそぎ)の儀』を拝し、久しぶりにさわやかな気持ちになった。尊皇攘夷のはっきりとした立場に立たなければ国家民族は滅びる」と語った。

          ◎

千駄木庵主人曰く。全く同感である。何事も尊皇愛国精神がきちんと確立していることが基本である。

               

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千駄木庵日乗十一月四日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。特に異状なし。

午後は、『伝統と革新』原稿執筆。大東亜戦争論なり。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、永田町の憲政記念館にて、『第三三回呉竹会アジアフォーラム』開催。頭山興助会長が挨拶。西部邁氏が講演。質疑応答。詳細は後日報告する予定です。多くの同志友人と会う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年11月 4日 (金)

愛国維新運等と宗教の関係

近代のいわゆる日本主義運動・維新運動の歴史を回顧すると、宗教の影響が大きいというか、宗教思想が維新運動において極めて大きな位置を占めている。

維新運動は、神道国学の思想が根幹となっていることは自明である。それと共に、明治以後に勃興していわゆる教派神道の影響も大きい。とりわけ、神政復古・立て替え立て直しを叫んだ「皇道大本」(いわゆる大本教)は、頭山満・内田良平両先生をはじめとした多くの維新運動者と連携を持った。大本教の出口王仁三郎に、「月の出口は頭山満 神が打ち出す末永世」という歌がある。維新運動の指導者だった頭山・内田・末永の三氏と自分の名前を詠み込んだのである。大本教が徹底的に弾圧されたのは、維新運動との提携を当時の権力が恐れたからというのが定説になっている。

もう一つは、田中智學の日蓮主義も維新運動に大きな影響を及ぼした。石原莞爾・板垣征四郎・北一輝・西田税・井上日召は、みな日蓮主義者と言って良い。日蓮の救済思想が、当時の維新運動者に共感を呼んだのであろう。

戦後の民族運動・維新運動に大きな影響を与えた宗教団体は、何と言っても、生長の家であろう。今日、民族運動・真正保守運動を行っている人々に、生長の家の信者はまことに多い。

ところが残念なことに、最近は、谷口雅宣という三代目の指導者が、祖父である谷口雅春先生の遺志を踏みにじり、教えを隠蔽して、愛国運動とは全く異なる路線を歩んでいる。

大本教も、維新運動との接点は無くなっている。日蓮系教団も、維新運動・愛国運動を行う団体は少ない。霊友会や仏所護念会は保守ではあるが、戦前の日蓮主義のような維新運動に対する大きな影響力は持っていない。それどころか、創価学会のように、民族運動の批判の対象になるような教団が最大の組織を誇っている。しかし、田中智学系統の諸団体は、今でも、愛国運動を展開している。

維新運動・民族運動の基盤には、日本傳統信仰たる神道・國體信仰がある。大化改新も建武中興も明治維新も、その基盤に國體信仰があった。日本国は、危機に瀕すると必ず、國體信仰が甦る。そして国を変革し危機を乗り越える。これがわが国の光輝ある歴史である。

今日の日本も深刻な危機的状況にある。しかし、國體信仰を甦らしめることによって、必ずこの危機を打開することか出来ると信じる。神道精神・國體信仰は、決して偏狭にものではないし、独善的ではない。八紘を掩いて宇(いえ)となす精神であり、四海同胞の精神であり、真の世界平和の精神である。この精神に回帰し、世界に闡明することが大切である。

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千駄木庵日乗十一月三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆・資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんの病状に関する話を聞く。

帰宅後も、原稿執筆など。

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2011年11月 3日 (木)

高乗正臣平成国際大学教授の講演

昨日行われた『新しい憲法を考える研究会』における高乗正臣平成国際大学教授の講演

「憲法改正が現実味を帯びて来た。物事には本末がある。根本と枝葉がある。憲法問題は根本を如何に考えていくかが大事。恩師である三潴信吾先生は『本立ちて道生ず』と言われた。第一は、国柄・國體・立国法の規定。第二は、安全保障と非常事態の規定。第三は、人権と公益の調整規定。

『大日本帝国憲法』制定の時も民間の人々が色々な憲法試案を作った。今日も沢山出来ている。日本独自の国柄をわきまえない改憲案は無国籍。現代において井上毅が出て来なければならない。『帝国憲法』制定の時は伊藤博文と井上毅が議論を重ねた。

民主党・自民党にはっきりとした国家論・國體観を持った政治家は少ない。憲法には、確認規定と創設規定とがある。天皇統治は確認規定。今日公私の別が社会から消えかかっている。戦後民主主義は我欲の正当化。公の感覚の喪失。弱い者いじめが起こる。戦後憲法学は人権万能主義。」

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千駄木庵日乗十一月二日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、原稿執筆のための資料検索と整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年11月 2日 (水)

『新しい憲法を作る研究会』における山崎拓氏の講演

今日開かれた『新しい憲法を作る研究会』における山崎拓氏の講演で印象に残った話は次の通り。

「臨時国会が始まったばかりで、突然『憲法審査会』が始動した。二〇〇〇年の国会で『国民投票法』が制定され、平成十九年五月十日に公布。三年後に施行すると取り決められた。三年間衆参両院の『憲法審議会』において改正に向けて論点整理を行うことになった。しかし、『憲法審議会』は設置されずに今日に至った。民主党がメンバー表を提出しないので設置できなかった。ところが今度の臨時国会で、民主党がメンバー表を提出した。ようやくレールの上を憲法改正列車が走り出した。しかし、ゴールまでは相当長い時間を要すると懸念される。

自民党創設者の一人である緒方竹虎先生は修猷館及び早稲田の大先輩。修猷館の創立七十周年記念式典における講演で緒方先生は憲法改正の必要性を力説された。緒方先生は『占領軍の強制ということがあまりに露骨になっている。これでは国民の独立の気概は生まれて来ない』と語られた。この講演を深く心に刻んだ。

自民党は自主憲法制定が党是。民主党は創憲が党是。仙谷由人氏が取りまとめた。『憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である』という説を強調。

時の内閣によって憲法解釈が異なるのはおかしい。第九条の改正は自民・民主・公明の三党で考え方が異なるので難航が予想される。民主党は『綱領』にどういう国づくりをするのかを明記し、憲法改正はその点からやってもらいたい。

自衛隊には国家の防衛・国際貢献・災害派遣の三大使命がある。それには人員が足りない。中曽根内閣は日本の防衛費をGNPの一%以下に抑えるという三木内閣の決定を撤廃した。高坂正堯氏を一九八三年に設置された中曽根康弘首相の私的諮問機関『平和問題研究会』の座長にして『一%枠必要なし』との結論を得た。私は官房副長官として京都大学の高坂氏のところに何回も通った。財政上の見地のみで国防力の枠をというのはおかしい。しかしその後防衛費は一回も一%枠を超えたことはない。憲法三原理遵守は自民・民主・公明三党共通している」。

              ◎

『現行占領憲法』の「憲法三原理」を遵守するというのでは、自主権法制定にも憲法改正にも占領憲法廃棄にもならない。この『三原理』が戦後六十年以上にわたって日本国をおかしくしてきたのである。「占領憲法」の原理を否定することなくして日本の再生はない。今の自民・民主・公明三党が合意した『憲法改正』では『憲法改悪』になる恐れが十分にある。『現行占領憲法』の三原理については、小生のホームページコラム欄に掲載している拙論をお読みいただければ幸甚です。

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千駄木庵日乗十一月一日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『新しい憲法をつくる研究会』(新しい憲法をつくる国民会議主催)開催。堀渉理事長が挨拶、清原淳平会長が講師紹介。山崎拓自民党総合政策研究所長および高乗正臣平成国際大学教授が講演。質疑応答。

午後五時より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

午後七時より、新九段下茶龍にて、『憲法勉強会』開催。小生が國體と憲法について少しく話させていただいた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年11月 1日 (火)

この頃詠みし歌

花屋さんが届けくれたるお榊を神棚に供へ柏手を打つ

開戦七十年この秋の夜を瀬島龍三の大東亜戦争論読みて過ごせり

秋の日に照らされ光るスカイツリー遠く眺めて深呼吸する

断末魔のカダフィの顔を流しゐるテレビニュースを我は厭へり

殺されし独裁者の顔を映し出すテレビを見つつ心陰鬱

見上げたる古き山門 長久山本行寺とあり 日暮しの里

日の暮れる里といふ名の町に来て秋の夕暮れの静けさに立つ

蕎麦を食し店を出づれば日は暮れて人らいそいそ駅へ急げり

西方の雲は紅にかがよへり遥かなる浄土を恋ふる我かな

西空の入り日は朱色に燃ゆるなり高層ビルは墓標のごとし

ガラス戸の向かふの景色は何時も同じされど愛しき千駄木の町

茶房にて美しき乙女と出逢ひたり幻のごとく去りゆきにけり

再びは逢ふことのなき乙女子の美しき面は今は幻

光明の照り輝ける道を行き たどり着く先は神の御國か

静かなる林の中を歩みゆき先帝陛下を偲びまつれり(皇居東御苑)

意識薄く時々苦しき咳をする父の傍らに座す切なさよ

薄目開け我が来たれるを喜びたまふ父の額に手を当て祈る

薄目開け我と認めてかすかにも安らぎの顔を見せたまふ父

苦しめる父の体をさすりつつただ祈るよりなすすべはなし

ディズニーの映画を父と共に見し遠き日のことを思ひ出しをり

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千駄木庵日乗十月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載中「萬葉集」解釈原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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