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2011年10月22日 (土)

竹内泰存師の『宮沢賢治と立正安国論』と題する講演・その一

本日行われた竹内泰存氏の講演内容は次の通り。

「十月二十日、皇后陛下には七十七回目のお誕生日を迎えられた。有難い。御成婚より今日まで、今上陛下に寄り添われるお姿を見せて下さり有難い。

皇后陛下は、平成十年に、国際児童図書評議会におけるビデオによるご講演『子供時代の読書の思い出』では、日本武尊と弟橘姫の物語が心に残ったと話された。

日本武尊と弟橘姫は相模の国で敵のはかりごとで枯れ草に火を放され、燃える火に取り囲まれた。その時、命がけで危険も顧みず草薙の剣をかざし、愛する妻の為に火の海から、弟橘姫を助け出され、敵を平定された。浦賀水道に差し掛かると海が荒れて航路を閉ざされた。弟橘姫は海を鎮めるため御自ら海に飛び込まれた。

その時に歌われた御歌が、『さねさし相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも』である。それから日本武尊はその地に暫らく留まり弟橘姫のことを思われて『君さらず袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき』という歌を詠まれた。その歌の一節『君さらず』が転じて、『木更津』という地名となったと伝えられている。

皇后陛下はこの美しい物語に感動され、御自らも弟橘姫のような御心境で、今上陛下にお仕えになって来られたのだと拝察申し上げる。有難き限りである。

日蓮大聖人は『まず臨終のことを習うて、のちに他事を習うべし』(『妙法尼御前御返事』)と仰せになった。日蓮大聖人は、『中興入道御消息』に、『そとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば…現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん』と説かれている。

昔、奄美大島に布教に行った時、泉重千代さんにお会いした。長寿の秘訣を聞いたら、『食べたい時に食べ、飲みたい時に飲み、寝たい時に寝ることだ』と答えた。パイプで煙草を吸い、玄米食を食べ、黒糖から作った焼酎を飲んでおられた。自然に生きること、命に対して感謝し、他人様に尽くすことが大事。生かされていることが有難い。

立正安国論』は、日蓮大聖人が元年七月十六日に得宗(元執権北条時頼に提出した。『旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。』『世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。』『所詮、天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり。夫れ国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし。』『汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり。仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし』と説かれた。

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