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2011年10月16日 (日)

弟橘姫の御歌と杜甫の詩

昨日は、『文京区秋の文化祭・書道展』を参観した。書道展は時々参観するが、書を見ることが主目的なのは言うまでもないが、書かれている文句にも興味がある。石川啄木の歌、『萬葉集』の歌、『百人一首』の歌、『唐詩』などが定番である。

昨日の展覧会では、杜甫の『絶句』と題する

「江碧(みどり)にして鳥逾(いよいよ)白く、山青くして花然(も)えんと欲す。今春看(みすみす)又過ぐ、何れの日か是れ歸年ならん。」

という漢詩を書いた作品があった。

「エメラルド色の川に映じて飛ぶ鳥の白さかいよいよ際立ち、新緑の山々に咲く花の紅はもえるように鮮やかだ。今年の春も瞬く間に過ぎ去ってしまう。私は何時になったら故郷に帰ることが出来るのだろうか」というほどの意である。

私は、二松学舎大学で、内田泉之助先生に唐詩を習った。この詩は印象に残り、暗記している。美しい山水の景色と白鳥の姿が目に浮かぶようである。そして自然の美しさを詠むだけではなく、時の流れの早さに対する感慨そして深い望郷の念も表白されているところがこの詩の価値を高くしている。

また、弟橘比売命(おとたちばなひめ)の次の歌を書いた作品もあった。

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

「(さねさし・相模に掛かる枕詞)相模野で燃える火の中に立って、私の名を呼んで安否をお尋ねになったあなたよ」といふ意。『古事記』に収められている。

日本武尊が焼津に至ると、まつろわざる者共が日本武尊のご一行を野に誘ひ火を放って焼き殺さうとする。日本武尊は剣で草を刈り払ひ火打石でこちらからも火をつけて野をお焼きになり相手を滅ぼされた。その時、日本武尊は愛する妃の名を呼び安否を気遣はれた。

その後、浦賀水道にさしかかると、海神が風と波を立てて船を進ませないやうにした。日本武尊のお妃・弟橘姫は「私が御子に代って海に入りませう」と言われて海にお入りになられた。すると、波はおさまり、船は対岸に渡ることが出来た。

弟橘姫が入水される際、焼津での出来事を回想して歌はれた御歌がこの歌である。「命懸けで私を守って下さった日本武尊のために一身を捧げます」といふ崇高な〈捨身の心〉が歌はれてゐる絶唱である。

日本武尊と弟橘姫との愛は、お互ひに文字通り「水火を辞さない愛」であった。日本民族においては「戀」と「美」は一つであった。わが國においては、やまと歌をはじめとした文芸も生活そのものもそして戦争ですら「美」を最高の価値とした。

わが國の武人・戦闘者の代表と申して過言ではない日本武尊の物語において、最も美しい戀愛があり、そして最も高貴なる相聞歌が歌はれてゐることをわれわれ日本人は誇りとすべきである。

不思議なのは、『唐詩』には恋愛の詩はない。支那の詩全体にも恋愛を詠んだ詩はない。ところが、わが国は『記紀』『萬葉』には數多くの恋愛歌が収められている。この違いは何処から来るのであろうか。

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