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2011年10月31日 (月)

『日本の心を学ぶ会』における瀬戸弘幸氏の講演

本日行われた『日本の心を学ぶ会』における瀬戸弘幸氏の講演で印象に残った話は次の通り。

「これまで日米間の様々な問題は克服してきた。アメリカが日本を再び植民地化するというのは正しい見方ではない。オバマは選挙を目前にして外交的成果を望んでいる。しかしアメリカ国内でそれほど厳しい反日感情はない。むしろ韓国や支那に対して反感を持っている。貿易摩擦がある。

アメリカの物を買う力のある国は日本が一番。だからアメリカは日本に買わせたい。アメリカ国内で日本製品を排斥する動きはない。このままにしていると反日的流れが出てくるというのは嘘の議論。アメリカは中国・韓国の対米輸出を抑えたいがために日本を組み入れたい。

左翼は反米。国粋主義者にも反米がいる。八十七歳で昨年他界した私の父は、戦後アメリカの捕虜になった。しかし父からアメリカの悪口を聞いたことがない。父は『父島での捕虜生活で米軍は階級にとらわれず平等に扱ってくれた。きちんと説明すれば理解してもらった』と言っていた。

私は反米ではないが反ユダヤ。アメリカは格差社会。親米で一貫していた赤尾敏先生は正しい。アメリカの建国の精神は『民主主義と人権』。第二次大戦におけるアメリカの立場はファシズムに呻吟する人々を解放すること。冷戦時代のアメリカの立場は共産主義に呻吟する人々を解放すること。

日本や沖縄にアメリカ軍がいるのは、アジアの共産化を阻止するため。自由のために命を懸けるのがアメリカ海兵隊の精神。日米関係の重要性は守っていきたい。日本は独立国家ではないというのはおかしい。ただ日本が国際社会で発言力がないのが問題。

日本は自存自衛・アジア解放のために大東亜戦争を戦っただけでなく、ソ連の南下を防ぐために満州国を建国した。日本は国際社会の要請に従って、アジアの共産化を防ぐために大陸に進出した。ソ連を崩壊させないために日本軍がソ連に攻め込まないように工作したのがゾルゲと尾崎。

TPP反対運動、原発反対運動で日の丸を掲げている人はいない。明治維新の後の開国とは富国強兵。今言われている開国とは開国ではなく開放であり、外国人が沢山流入してくるのが問題。特定の国が意図的に人間を日本に送り込んでくることを警戒すべし」と語った。

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2011年10月30日 (日)

千駄木庵日乗十月三十日

午前は、母のお世話。

午後二時より、新橋の港区生涯学習センター(ばるーん)にて、『日本の心を学ぶ会』開催。瀬戸弘幸氏と小生が講演。質疑応答。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。原稿執筆・書状執筆。

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『幻の室内装飾―明治宮殿の再現を試みる』展を参観

今日参観した『幻の室内装飾―明治宮殿の再現を試みる』展は、「明治二十一年に竣工した明治宮殿は、外観は和風建築、内部を西洋式の椅子座として、その室内装飾が施されました。…調度の品々も、当時を代表する作家や技術によるものでした。国の近代化を象徴する存在でもあった明治宮殿は、日本美術史においても、重要な存在だったのです。…当時の資料や伝存する作品を通して、明治宮殿の存在にスポットを当てたいと思います。今回の試みを通して明治宮殿が近代の大きな基点となっていることを再認識していただければ幸いです。」(案内書)の趣旨で開催された。

鳳凰唐草模様緞帳裂(『日本帝国憲法』発布式が行われた正殿で使用)、瑞鳳模様衝立(御歌会始などが行われた鳳凰の間で使用、蘭陵王置物(海野勝眠作・鳳凰の間で使用)、色絵金彩菊貼付香炉(沈寿官作・南溜の間で使用)、鳳凰高彫花盛器(香川勝廣作)などを参観。

「蘭陵王置物」は、高度な金属の着色加工や,象嵌,打ち出しなど多彩な金工技法を駆使した精巧にして美しい作品。装束の内側にいたるまで文様を施している。面を取り外すと演者の素顔があらわれる工夫も凝らされているという。海野勝眠氏の代表作。以前にも三の丸尚蔵館で拝観したことがある。

和洋折衷という言葉があるが、明治宮殿は、まさにその典型である。日本近代そのものも『和洋折衷』という言葉が当てはまるのではないかと思う。明治宮殿は米軍の空襲で焼失した。

参観の後、東御苑を少し散策。雑木林や竹林を見ると心が落ち着く。

大手門から退出。大手門の白壁が崩れ落ちている。皇宮警察の人に聞いたところ、三月十一日の東日本大震災で崩れ落ちたという。いまだに修理されていないのは少しおかしい。宮内庁は仕事が遅いのだろうか。

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東御苑の林

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東御苑の庭園

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崩れ落ちたままの大手門白壁

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2011年10月29日 (土)

千駄木庵日乗十月二十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、皇居東御苑にある三の丸尚蔵館にて開催中の『幻の室内装飾ー明治宮殿の再現を試みる』参観。東御苑を散策。

帰途、湯島で知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理・『伝統と革新』編集の仕事。

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「守れ!わが領土国民決起集会」における登壇者の発言 その二

諏訪邉泰敬県土・竹島を守る会会長「韓国の主張は嘘と捏造。県と県議会と連携を図りつつ運動して来た。少しづつ前進している。韓国は対馬も韓国領と言い出している。不遜無頼な韓国とどうして付き合わねばならぬのか。韓国と鎖国すべし。」

梶谷萬里子県土・竹島を守る会事務局長「島根県議会が全会一致で『竹島問題を国際司法裁判所に提訴せよ』と決議して請願した。法治国家では国民運動とは選挙運動。全力を挙げてこれはという人にバッチをつけていただく。」

小沢秀多島根県議会議員「一九五二年に李ラインが引かれた。拿捕された人とその家族の悲しみをこの目で見たことが私の原点。」

小山和伸メディア報道研究センター理事長「竹島は主権回復の直後に占拠された。この事実を国民に知らせるべし。朝鮮民族は満州で一番威張っていた。支那人から差別されていたのに『大日本帝国臣民』になって威張った。戦後は『戦勝国民だ』と言って日本人に対して威張った。外交関係は狡猾な者が勝つ。支那人・韓国人と仲良くするには強いところを見せるのが一番。NHKは『平家物語』で、皇室を王家と言っている。冊封関係を認めることになる。皇室を貶めることになる。NHKは逆賊。受信料を払ってはならない。」

平田文昭アジア太平洋人権協議会代表「古代ギリシアと今のギリシアは無関係。古代ギリシアの継承者はヨーロッパ。それと同じことが支那にも言える。支那の文化は日本にある。勝った者が戦利品を持っていくのは当たり前。美とは作った人のものではなく、それを発見した人のもの。高麗の仏画は日本にある。李朝は廃仏を行った。仏国寺は李氏朝鮮の太宗による仏教弾圧の際、廃寺になった。それを日本が発掘した。『朝鮮王室儀軌』は返す必要はない。」

西村眞悟前衆院議員「戦後政権をたらい回ししてきた政党に解決する資格はない。我が国の防衛ラインは敵陣地の背後。日本は『憲法』前文に毒されている。『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』とある。日本国民は自分の政府ではなく朝鮮と支那を信頼せよと言っている。また、この『憲法』が出来るまでの『一切の憲法、法令及び詔勅を排除する』と書いてある。このような『憲法」に基づく戦後を打倒せよ。』

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千駄木庵日乗十月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年10月28日 (金)

「守れ!わが領土国民決起集会」における登壇者の発言その一

十月二十五日に行われた「第五回・守れ!わが領土国民決起集会」における登壇者の発言は次の通り。

 

加瀬英明氏(外交評論家)「野田総理が訪韓して李明博大統領と会談した時、竹島問題と十二月に在韓日本大使館前に忌まわしい慰安婦像を建てることに触れなかった。とぜう料理を

食べて悦に入っていた。どぜうに背骨がないということで納得した。野田氏は松下政経塾出身の初めての総理。私は松下政経塾の役員をしていた。野田も前原も出来損ない。野田氏は『慰安婦基金』を作ると約束した。『日韓条約』で請求権は放棄されたのにこんな約束をした総理を松下政経塾が出したことをお詫びしたい。日本が韓国・中国・ロシアに対して卑屈な態度をとり続けると、この三国は一層図に乗る。朴正煕政権の頃は、反日熱は存在しなかった。日本が卑屈な態度をとるようになってから反日熱が高まった。韓国には誇るべきものが何もないので反日をナショナリズムの柱にしている。日本の尊厳を守るために戦ってまいりたい。」

 

新藤義孝衆院議員「一般観光客と同じように韓国に入国して鬱陵島の博物館に行くだけのことだったのに、入国拒否された。法律に基づかない非合法の措置だった。事前に大統領が声明を出した。恫喝に屈することはできない。ビザも必要としない友好国に国会議員が入国することを拒否する理由なし。我々は淡々と行ったが相手は大騒ぎ。直前にキャンセルした平沢さんの顔写真も焼かれた。議員だけではなく、鬱陵島の博物館の展示品についてご説明いただく予定だった下條正男先生も入国を拒否された。『法律的根拠を示してほしい』と言って九時間交渉した。駐韓日本大使が、『政府として今回のことは引き取る』と言ったので、大使に任せて帰国した。外務省が韓国に要求しても返答はない。韓国は未成熟な国。私たちの行動が竹島問題という国際問題があることを世界に示した。韓国が東日本大震災に厚意を寄せてくれたことには感謝する。竹島にヘリポートを作り、ビル建設を着工した。日本で竹島問題に関する運動が広がっていないのは反省点。領土を守れないと、国家は信用を失う。他国のまともな付き合いが出来なくなる。竹島問題は決着させなければならない。」

 

浅野貴博衆院議員「鈴木宗男は国家主権を守るのが国会議員の使命としている。『韓国に対して毅然たる姿勢で返還を迫れ』という『質問主意書』を十件以上出した。国旗を焼き、他国の国会議員の写真を踏みにじるということは、二十一世紀の先進国家の国民のやることか。我々は今こそ立ち上がらねばならない。国家を守ることができない政府に価値があるのか。」

 

山谷えり子参院議員「今朝、外務副大臣に『竹島問題を国際司法裁判所に提訴せよ』と陳情に行った。民主党政権になってから不法占拠がひどい状況になった。両国が合意しないと裁判にならないので、韓国は逃げている。民主党は民団の支援を受けている。そういう政権だからひどい状況になっている。私たちは、NHKに『竹島にお天気マークをつけろ』と要求している。郵便事業会社に『竹島切手を作れ』と要求している。一方的に主権を侵害されたら友好はあり得ない。」

 

亀井亜紀子参院議員「『北方領土の日』と比べて『竹島の日』は担当部署もない。政府与党は韓国に遠慮してきた歴史がある。『竹島の日』の式典には私一人しか国会議員は出席していなかった。私も何回も『質問主意書』を出した。東京でこういう集会を開く意義は大きい。この国の仕組みは霞が関が中心。国会周辺でアピールすることで全国のメディアが報道する。国会議員をテロリスト扱いして入国拒否したのはひどい。九月二十八日に超党派で要望書を出した。あらゆる方法で尖閣に上陸する必要あり。尖閣には絶滅品種のモグラが棲息している。その調査のために尖閣に上陸したいという活動をしている。政界再編して保守を結集したい。自民党にも同志がいる。」

 

下條正男拓殖大学教授「今日は韓国の『独島の日』。私が鬱陵島に行くと、竹島が韓国領ではないと実証されるので入国させなかった。平沢氏が行かなくなったのは、日韓議員連盟の森喜朗・渡部恒三の二人に話が行った。森喜朗は三年十一月に韓国から勲章を貰った。森を使えば日本は何とかなるという考えが韓国にはあった。平沢は森と山崎拓に弱い。山崎拓は韓国の東亜大学の名誉政治学博士の称号を貰っている。私は研究者。テロリストには見えない。学問の自由が侵された。国民が立ち上がる以外にない。韓国は自国の利権のために教科書・竹島・慰安婦問題を使っている。韓国は完全に北朝鮮化している。新藤先生たちは外交カードを作った。」

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

この後、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方二人と打ち合わせ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。副院長の病状についての話を聞く。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年10月27日 (木)

『大吼出版「大吼」創刊三十周年祝賀会』における登壇者の発言

『大吼出版「大吼」創刊三十周年祝賀会』における登壇者の発言。

 

三本菅啓二会長「昭和五十六年に再興以来、三十年を経過した。同盟国アメリカは弱体化し、我が国は原発事故・震災の脅威にさらされている。今こそ、清水行之助先生の『日本精神を発揚し、世界全人類に平和を齎すを以て本分とする』という理想精神を実現しなければならない。国家としての主体性を確立しなければならない。我々は自立した日本を建設するため、日本精神・日本主義を実践してゆきたい」。

 

丸川仁本部長「『法の理想は法無きにあり』という。しかるに今の日本は法が乱用されている。」

 

小林節慶応義塾大学教授「政治の空白、度を越した官僚支配が蔓延している。ロシア・南北朝鮮・中国の民族主義が日本を狙っている。これからが正念場である。過剰な法規制が行われようとしているが、スリム化には良い機会。純化の時である。苦境を逆手に取って頑張っていただきたい。」

 

村上正邦元自民党参議院議員会長「安心した生活が脅かされている。『暴力団排除条例』は憲法違反・人権無視。政治の問題である。この条例に反対する議員連盟を組織したい。今日ほど政治の在り方が問われる時代はない。『晋ドンもうここらでよか』と言った西郷南洲の最期と『殺さないでくれ』と言ったカダフィの最期を比較すると、日本人の死に際は素晴らしい。」

 

大下英二氏(作家)「清水行之助氏は『三月事件』で決起した。全アジアを考えた革命家として上海などで活躍した。清水精神を継承して奮闘していただきたい。」

 

南丘喜八郎『月刊日本』主幹「明治維新で会津は一番苦労させられた。一万七千人が下北半島の付け根に強制移住させられた。近代日本建設に一番貢献したのは東北。戦後発展に一番貢献したのも東北の人々。そして今日、地震災害で大変な目に遭っている。『昭和維新の歌』の『権門上に傲(おご)れども  国を憂うる誠なし  財閥富を誇れども  社稷を思う心なし』という歌詞を想起する。崩れつつある日本を再興すべし。」

 

 

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千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、母のお世話。

午後一時より、横浜山下町のローズホテル横浜にて開催された『大吼出版「大吼」創刊三十周年祝賀会』に出席。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年10月26日 (水)

『守れわが領土国民決起集会』における小生の『閉会の辞』

今日行われた『第五回 守れわが領土国民決起集会』において、小生は次のような『閉会の辞』を申し述べました。

              ◎

考えてみれば、日本と朝鮮、そして日本と支那との関係は、古代から今日に至るまで、政治・文化・軍事・経済などあらゆる面で対立と戦いの歴史であった側面がある。明治維新直後も、当時の李朝政府は我が国の主権を侵害し否定し軍事的圧迫を加えた。その時、西郷隆盛先生は毅然として対処すべしという正論を吐露され、当時の大久保・岩倉たちと対立し下野された。

 

『西郷南洲遺訓』には次のようと示されている。

「國の陵辱(りょうじょく)せらるるに當(あた)りては、縱令國を以て斃るる共、正道を踐(ふ)み、義を盡すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ共、血の出る事に臨めば、頭を一處に集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀るのみ、戰(いくさ)の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。」「正道を踏み國を以て斃(たお)るるの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮(いしゅく)し、圓滑(えんかつ)を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮(けいぶ)を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。」

 

野田総理は、かつてテレビ番組で西郷隆盛の役を演じていたが、西郷先生の遺訓を正しく実行し、祖国の主権と尊厳を守るべきである。本日を祖国の領土と主権と尊厳を守るための決起の日として出発したい。

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千駄木庵日乗十月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備など。

午後六時半より、牛込箪笥区民ホールにて、「第五回・守れ!わが領土国民決起集会」開催。登壇者の発言は後日報告します。

帰宅後は、諸雑務。

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「決起集会」でスピーチする新藤義孝衆院議員

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2011年10月25日 (火)

千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、母のお世話。

ケアマネージャーの方が来宅。今後の母の介護について相談。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年10月24日 (月)

「国際シンポジウム・3.11後の報道や危機管理のあり方を探る」における登壇者の発言・その二

ジェフリー・キングストン氏(テンプル大学アジア研究科教授)「管直人は悪者扱いされた。彼は個人的資質で災害に正しく対応できなかったということになっている。阪神淡路大震災における村山内閣の対応は惨憺たるものだった。自衛隊に出動要請しなかった。外国から来た捜索犬を『検疫基準がある』と言って入れなかった。管直人は素晴らしかったとは言わないが合格点をとった。東電と保安院はあまりにも楽観的。東電は、意図的に誤った情報を出すことによって管氏の足元をすくおうとした。自民党の谷垣氏がうまく対応したとは思わない。十万の人が避難しているのに不信任案を出した。管直人氏は政治家として十分なコメンテーターではなかった。しかし、より優れた政治的なメカニズムを作ることが大事。日本の緊急対応はかなり良い。死者二万人というのは少ない。緊急対応はできていた。」

 

谷口智彦氏(慶応義塾大学特別招聘教授)「管政権はとても評価できない。どんな事が起きても準備しておくのが大切。平成十一年に制定された『原子力災害対策特別措置法』で、政府は『原子力災害対策本部』を設置し、内閣総理大臣が本部長に就任することになっている。本部長は非常時の全ての権限を行使できることになっている。しかし、管氏は『私が本部長でございます』と国民の前に出てきたのか。全てのテレビコマーシャルがギブアップした。明日が今日と同じかという確信が持てない日々が続いた。米軍と自衛隊の使い方はよかった。余程上手な制度設計が必要。シナリオライティングを書くプロセスが大事。色々な人を集めるべし。官僚は、『これをやるな、あれをやるな』という環境で育っているから出来ない。総理が変わっても制度が変わらなければ駄目。何のリスクも何一つ考えていない今の状況から少し前進すべし。自衛隊が十万出動した時、尖閣の中国漁民が押し掛けるリスクを考えていたのか。リスクを敏感に感じる職業組織はどこの国でも軍隊。日本はリスクを感じるセンサーが弱い。危機管理の仕事はボトムアップではなく、あくまでもトップダウン。管さんは頼れたかもしれない官僚組織を鼻から信用しなかった。官僚を全く寄せ付けなかった。個人としてはリスクの種類によって経験を積んだ人を見つけてついていくのが一つの方法。メディアは経済的に苦しくなっている。分析し、リードし経験年数を持つジャーナリストを育てるのが難しくなっている。インテリジェンスの世界は日本語だけの世界ではなくなった。英語の世界に入らねばならない。」

 

ヒル・エモット氏(英『エコノミスト』前編集長)「日本人は自然災害リスクに直面してきた。そして回復・立て直しに長けている。許容可能なリスクはどの程度か。我々のやることにはリスクが伴う。政治もリスキー。管直人氏は政治のリスクの犠牲になった。イギリスで予想外の暴動が起こった。警察の準備体制が十分ではなかった。しかし六日間で暴動は終わった。風評は原発問題に限らない。一般の人々の対応は自分のイメージとコンセプションによる。一九九〇年英国で狂牛病が発生した。感染する人の数の予測が過大だった。狂牛病死亡者予測は全く間違った。英国の畜産業界の倒産だけでなく、貿易相手国が牛肉を買わなくなった。予防的措置はこういうことも起こる。」

 

江里口隆司氏(東京海上リスクコンサルティング()執行役員)「リスクマネージメントとは自分の会社が囲まれているリスクを把握し評価する。経営に対するインパクトの大きいリスクを回避する。日本の企業経営者はリスクに関する意識、リスクマネージメントが必ずしも高くない。しかしトップの意識が根底から変わって来た。責任は最後には自分に来ると自覚した。他の役員がついて来ることができない。」

 

ウィリアム・スポサト氏(ウォール・ストリート・ジャーナル副東京支局長)「東電は安全を第一にしていたのか。東電は航空会社ほどやるべきことをやっていたのか。外国メディアは誤解されている。ロイターの東京在住百人の記者の七割から八割が日本人。基本的に日本人の記者が書く。日本語でまず理解して英語で説明する。」

 

 

 

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「国際シンポジウム・3.11後の報道や危機管理のあり方を探る」における登壇者の発言・その一

昨日開催された「国際シンポジウム・3.11後の報道や危機管理のあり方を探る」における登壇者の発言。

 

 

サーラ・スヴェン氏(フリードリヒ・エーベルト財団日本代表)「危機管理の全体的尺度はない。破滅的リスクがある原発事故は、政府と専門家を信用せざるを得ない。リスクの評価は、破滅的な事故が起こると未知。メディア報道は、不完全な情報に頼らざるを得ない。ジャーナリストは、すべてのことに専門家ではない。しかし、情報や出来事への評価・分析について一般人よりは優れていなければならない。ジャーナリストは常に、歴史の一項目を書いているといわれる。ニュースの展開の中で、新しい情報で当初のストーリーを訂正する。危機が起こり得るというメディアの警報を無視しがちだ。心理的に警報を信じない傾向があった。九・一一以後は、リスクを過大評価するようになった。東電にはリスクへの過小評価があった。専門家にどのくらい権威があるのかの判断が難しかった。放射能についての知識は持っていても、こうした大事故についての本当の専門家はいない。」

 

青木由利さん(毎日新聞科学担当論説委員)「毎日新聞の二十人の論説委員で、科学担当は私しかいない。三・一一以降、原発・放射能・津波・地震の事をもっぱら書いている。原発政策の大転換を図れと書いた。メディアは私が知る限り情報を隠していない。原発事故の現場に立ち入ることはできないので、情報不足になった。」

 

加藤祐子さん(gooニュース編集者)「英語のメディアをウォッチしている。そういうコラムが成り立つのは日本独特。日本人は外国の評判をものすごく気にする。特に欧米を気にする。私たちに、『政府を信用できない、大本営発表を信用できない』という意識がある。役人は『パニックを起こさせたくない』と言う。不正確なことは言わない。そういうトレーニングを子供の頃から受けた人が官僚になる。海外メディアが、『日本人は暴動を起こさないのは驚異的』と報道したのは良いことだが、『東京はゴーストタウンになった』『東京から民族大脱出』という記事が出た。東京にいれば、事実ではないことは分かる。過剰な報道が海外にいる日本人が見て驚く。時間が経つと、日本に詳しい記者が残ったので、正確な報道になった。」

 

クリストフ・ナイハード氏(南ドイツ新聞東京支局長)「三月十五日、世田谷の自宅から家族を連れて成田まで自動車で走った。ゴーストタウンだった。ミルクも無かった。日本のメディアは電力会社から広告を貰っている。NHKは『危険』という言葉は使えないのだと思った。ドイツの報道は誇張し過ぎたかもしれない。特にタブロイド紙は恐怖を煽る報道をした。自民党には東電と共に、全体としてこの事態を招いた責任がある」。

 

江口隆司氏(東京海上日動リスクコンサルティング株式会社執行役員)「日本は護送船団方式という国による産業発展方式で引っ張られてきたので、リスク管理はあまり必要なかった。七十年代後半に、リスクマネージメントが導入されたがあまり進まなかった。九・一一やリーマンショックでリスクのグローバル化が起こった。日本のリスクマネージメントはそれなりに進んで来た。東日本大震災によって従来の想定を超える事態が発生。見直しが必要になった。巨大な津波が町を破壊しつくす映像がライブで世界に発信された。九・一一に続く大惨事。日本はああいう津波が襲う国という記憶が全世界の人々に焼き付けられた。」

 

ウィリアム・スポサト氏(ウォール・ストリートジャーナル副東京支局長)「広報は真実に基づくべし。最初に嘘をつくと不信感が拭えなくなる。枝野は『炉心溶融』という言葉を使った。『Meltdown』という言葉はもっと強い意味。危機管理でカギとなるのは事前準備。日本の原発会社は『日本の原発は安全』と言って来た。」

 

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、母のお世話。

この後、技術者に来ていただきパソコンの整備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年10月23日 (日)

護国の英霊は今日唯今も祖国をお護り下さっている

靖國神社に祭られている英靈は今日唯今もわが祖國をお護り下さっている 靖國神社に祭られている英靈は、國のために命を捧げられたばかりでなく今日唯今もわが祖國をお護り下さっているのである。

 それは皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」

 

 と、詠ませられている御歌を拝しても明らかである。

 また、沖縄戦で自決された牛島満陸軍中将は、                   

「矢弾盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ」

 という歌を遺された。

 わが國及びわが國民は、靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈によってお護りいただいている。であるが故に内閣総理大臣をはじめ全國民は、靖國の英靈に対して感謝・報恩・顕彰の誠を捧げるのは当然である。共産支那や韓國の圧迫に屈してこれを怠るなどということは絶対にあってはならない。

 

 國のために身命を捧げた人々の御靈を共同體信仰である神道祭式でお祭りする靖國神社を、國が奉護し、政府の長たる内閣総理大臣が内閣総理大臣として公式に参拝するのは当然のことである。

 國家も國民も現に今生きている者たちのみによって成り立っているわけではない。悠久の昔のわが國建國以来、この國に生まれこの國に生きこの國に死んでいった人々の御靈、とりわけ國のために命を捧げた尊い英靈たちの御蔭によって今日のわが國そしてわが國民の存在があることを忘却してはならない。

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千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、母のお世話。

午後一時より、平河町のJA共済ビルにて、国際シンポジウム「3.11後の報道や危機管理のあり方を探る」開催。活発な討論が行われた。内容は後日報告します。

この後、病院に赴き、父に付き添う。私がベットの横に座ると、薄目を開けと喜びの表情を見せてくれる。

帰宅後は、資料の整理。原稿を書く準備です。

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2011年10月22日 (土)

竹内泰存師の『宮沢賢治と立正安国論』と題する講演・その二

当時は念仏の信者が多く、『法華経』の信者は少なかった。日蓮大聖人は十七歳で出家され、十二年間、比叡山などで勉学された。日蓮大聖人は、比叡山からお戻りになる時、伊勢間の山常明寺で、百日間、沐浴参篭し、伊勢神宮に参拝された。そして『我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん』という『三大誓願』をお立てになった。日蓮大聖人は、天照大神を国祖として崇めた。

私は昭和二十五年に立正大学に入学。当時は袈裟を着て大学帽をかぶって通学した。五反田駅辺りで良く創価学会員に折伏された。『大石寺には血脈があり、相承があり、大御本尊がある。身延には無い。学会に入らないと、一週間以内に火事になり怪我をする』と言われた。私は『今言った事を紙に書いてハンコを押せ』と言い返した。

日蓮大聖人は、清澄寺に帰られ、建長五年四月二十八日に御年三十二歳で、清澄山旭が森の岩頭に立たれ、遥か大平洋上を暗闇を破り、凛々として上りくる大日輪に向かい、南無妙法蓮華経と大音声にお題目を唱えて、法華経の広宣流布を宣言なされた。その後度々法難を遭われた。佐渡に四年間流罪になった。

鳥と虫とはなけども涙落ちず。日蓮は泣かねども涙ひまなし。此の涙 世間の事には非ず。ただひとえに法華経の故なり(『諸法実相鈔』)と書かれた。そして六十一年の生涯を終えられた。それから今年で七百三十年である。

宮沢賢治は明治二十九年月二十七日に花巻で生まれた。賢治が生まれる約二ヶ月前の六月一五日に『三陸地震津波』が発生し誕生から五日目の八月三一日には秋田県東部を震源とする『陸羽地震』が発生した。疫病もはやった。お百姓さんたちの苦労を知りつくしていたので、何とか農民を助けようと賢治は考えた。

宮沢賢治は、その遺言に『妙法蓮華経全品一千部を刷って知己の方にお送り下さい。その経本の最後のところに『私の全生涯の仕事はこの経典をあなたにお届けして、あなたがこの中にある仏意にふれて無上道に入られんことをお願いするの外ありません』と書いていただきとう存じます」と書いた。『法華経』の『如来寿量品第十六』の結句『得入無上道 速成就佛身』と同じ念願を書き遺して、三十八年の生涯を終えた。

『雨ニモマケズ』の『アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ』という心が大事。『終戦の大詔』の『宜しく挙国一家子孫相伝え、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏くし、誓て國體の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。』との大御心に随順し、『教育勅語』の御精神を体していかなければならない。」

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竹内泰存師の『宮沢賢治と立正安国論』と題する講演・その一

本日行われた竹内泰存氏の講演内容は次の通り。

「十月二十日、皇后陛下には七十七回目のお誕生日を迎えられた。有難い。御成婚より今日まで、今上陛下に寄り添われるお姿を見せて下さり有難い。

皇后陛下は、平成十年に、国際児童図書評議会におけるビデオによるご講演『子供時代の読書の思い出』では、日本武尊と弟橘姫の物語が心に残ったと話された。

日本武尊と弟橘姫は相模の国で敵のはかりごとで枯れ草に火を放され、燃える火に取り囲まれた。その時、命がけで危険も顧みず草薙の剣をかざし、愛する妻の為に火の海から、弟橘姫を助け出され、敵を平定された。浦賀水道に差し掛かると海が荒れて航路を閉ざされた。弟橘姫は海を鎮めるため御自ら海に飛び込まれた。

その時に歌われた御歌が、『さねさし相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも』である。それから日本武尊はその地に暫らく留まり弟橘姫のことを思われて『君さらず袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき』という歌を詠まれた。その歌の一節『君さらず』が転じて、『木更津』という地名となったと伝えられている。

皇后陛下はこの美しい物語に感動され、御自らも弟橘姫のような御心境で、今上陛下にお仕えになって来られたのだと拝察申し上げる。有難き限りである。

日蓮大聖人は『まず臨終のことを習うて、のちに他事を習うべし』(『妙法尼御前御返事』)と仰せになった。日蓮大聖人は、『中興入道御消息』に、『そとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば…現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん』と説かれている。

昔、奄美大島に布教に行った時、泉重千代さんにお会いした。長寿の秘訣を聞いたら、『食べたい時に食べ、飲みたい時に飲み、寝たい時に寝ることだ』と答えた。パイプで煙草を吸い、玄米食を食べ、黒糖から作った焼酎を飲んでおられた。自然に生きること、命に対して感謝し、他人様に尽くすことが大事。生かされていることが有難い。

立正安国論』は、日蓮大聖人が元年七月十六日に得宗(元執権北条時頼に提出した。『旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。』『世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。』『所詮、天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり。夫れ国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先づ国家を祈りて須く仏法を立つべし。』『汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり。仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし』と説かれた。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、母のお世話。

午後二時より、江東区東砂の江東メモリアルにて、『宮沢賢治七十九回忌追悼法要』開催。竹内煌雲谷中・延寿寺住職の導師で法要。この後、若山和子さんが宮沢賢治の作品「よだかの星」を朗読。そして、竹内泰存師が「宮沢賢治と立正安国論」と題して講演。

帰宅後は、原稿執筆など。

              ◎

今日講演された竹内泰存師は、私が講師を務める「萬葉古代史研究会」の長年にわたる会員である。本日導師を務められた和田煌雲師はご子息である。

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講演する竹内泰存師

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朗読する若山和子さん

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2011年10月21日 (金)

カダフィの死と大久保利通

リビアの国民評議会が二十日、カダフィ大佐が死亡したと発表したニュースで、血にまみれたカダフィ大佐とみられる映像が流されている。何とも残虐に映像であり、正視に耐えない。こういう映像を公開すること、そしてそれをテレビで流すことに違和感を覚える。以前、ルーマニアのチャウシェスク夫妻の射殺死体も放送されたのと同じだ。

独裁者に対する憎悪が如何に深いかを物語るが、異常だ。『目には目を。歯には歯を』という言葉があるが、やはり農耕民族とは感覚が異なるのであろうか。

日本にも、織田信長とか豊臣秀吉のように相当残虐な武将もいたが、はるか過去の事である。「市中引き回しの上獄門申しつける」という刑罰もあったが、江戸時代の事だ。「獄門」とは、刎ねた首を台に載せて見せしめとして晒しものにする公開処刑刑罰梟首晒し首ともいう。

大久保利通は、西郷隆盛・木戸孝允と共に「明治維新三傑」の一人として、且つ、近代日本の基礎を築いた人として評価されている。しかし、内務卿として政敵であった江藤新平前司法卿を、謀略を用いて死地に追いやり、「梟首」即ち「獄門」の刑に処した。あまつさえその江藤新平が梟首された写真を全国の役所に掲示させた。また、大久保利通内務卿は川路利良初代警視総監を使って西郷隆盛をも死地に追いやった。大久保は相当冷酷にして残虐な人物だった。だから、大久保自身も、石川県士族によって天誅を加えられた。私は大久保利通がいかに日本近代化に功績があったとしても、彼を全く尊敬することはできない。

カダフィの死と大久保利通とは全く無関係だが、以上のことを考えてしまった。

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。母も小生の異常なしとのこと。

昼は、知人と懇談。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。副院長から病状について話をうかがう。

帰宅後も、「大東亜戦争」についての原稿執筆のための資料の整理。

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2011年10月20日 (木)

。『現行占領憲法』がある限り日本は真の独立国家とはなりえ得ない

今日の会合では、次のようなことを話した。

『現行憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。

わが國固有の領土南樺太・全千島を五十年間も占拠したままのロシア、そしてチベットを侵略支配し台湾及び尖閣諸島などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那、わが国民多数を拉致しテロを行う北朝鮮、わが国固有の領土竹島を占拠し続ける韓国のどこに「公正と信義」という立派なものがあるというのか。

『現行憲法』の「平和主義」には、「日本の軍隊はかつて侵略戦争を行い、アジアの人々や日本國民を塗炭の苦しみに陥らせた。日本に軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という観念が根底にある。

 

この『前文』の精神に基づいて、現行占領憲法第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、『現行憲法』が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。         

國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防が明確に規定されてないという欺瞞的な状況を一刻も早く是正することが必要である。憲法を改めて、自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである。『現行占領憲法』がある限り日本は真の独立国家とはなりえ得ないし、国家国民の生存と平和は保てない。

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田にて大行社幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。領土問題・憲法問題について話させていただいた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師の方のお話をうかがう。

千駄木に戻り、ある法律家の方と懇談。法律問題ではなく、千駄木・谷中・日暮里の歴史と魚のこと。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年10月19日 (水)

「フォーラム・アメリカ大統領選挙 オバマ大統領・共和党候補はどう戦うか」について報告

本日に行われた『東京財団フォーラム・アメリカ大統領選挙 オバマ大統領・共和党候補はどう戦うか』について報告します。

冒頭、コーディネーターの渡部恒雄氏(東京財団上席研究員)は次のように述べた。「対外積極姿勢・自由貿易が共和党の伝統だったが、今回は内向きになっている。オバマは経済的苦境によるアメリカ社会の不満があり、必ずしも有利ではない。共和党がどういう大統領候補を選ぶのかが問題」。

続いて、ポール・サンダース氏(センター・フォー・ザ・ナショナル・インタレスト常務理事)、ニコラス・グボスデフ氏(海軍ウォー・カレッジ教授)、ジェイ・クー氏(ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院米韓研究所長)が討論を行った。その内容は次の通り。

          ◎

「オバマは支持率が低落。共和党は活性化。健保問題・税制が共和党のオバマ政権への攻撃材料。予備選まで数カ月あるので、その間に情勢が変化する可能性あり」。

「共和党のウィラード・ミット・ロムニーは、大統領候補として残れるかどうかわからない。リック・ペリーは、選挙資金が優位に立っている。ロムニーとオバマの支持の差は僅少。ブッシュ政権の官僚によって構成される二十人以上の諮問チームがロムニーに具体的詳細に外交情報を提供している。

「ロムニーは『国防費支出をGDPの四%を維持する』と表明した。米中経済関係について中国の不正・ごまかしに対して強硬姿勢。中国を『為替操作国と宣言する』と言った。米中貿易戦争に深刻な影響を及ぼす。ロシアに対してはその拡張主義と人権問題に対して確固たる姿勢を示している」。

「ハーマン・ケイン氏は、『イスラムとの対決でアメリカの価値観をはっきりさせる』と言っている。共和党の候補は、同盟国特にイスラエルへの支持を表明」。

「最近のデモ・抗議活動は大統領選挙の票数に関係ない。インパクト無し。共和党はもともとああいう人々からは支持されない。デモに参加した人々は、前の大統領選でオバマを支持した」。

「プーチンがクレムリンに戻ると、米ロ関係も変わって来る」。

「アジア太平洋には日本という素晴らしいパートナーがいる。日本のリーダーは、一年以上は首相を続けてもらいたい。」

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、母のお世話。

午後二時より、赤坂の日本財団ビルにて開催された『東京財団フォーラム・アメリカ大統領選挙 オバマ大統領・共和党候補はどう戦いか』に出席。

この後、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方と打ち合わせ。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年10月18日 (火)

金正日拘束作戦について

新聞の整理をしていたら、本年八月十三日号の『朝日新聞』で、米韓両軍が合同演習で、北朝鮮の金正日を捕える作戦の演習をしていることが報道されていた。アメリカはかつて、パナマの独裁者・ノリエガを拘束したし、最近はビンラディンを殺害した。北朝鮮がアメリカ・韓国・日本を本格的に直接攻撃する危険が発生したら、金正日一族を拘束するか、殺害する作戦を実行する可能性は高い。ただしそれがアメリカの国益に合致するという前提がある。

米韓両国の特殊部隊が実行するのだろうが、本来なら、多数の国民を拉致され、テロ攻撃・ミサイル攻撃の危険にさらされているわが日本も、習志野空挺部隊などがこの作戦に参加してもいいはずなのである。ただ、朝鮮北部にわが自衛隊が武力進攻することには、韓国反日勢力が反対するであろう。またこういう作戦が公けにされると、北朝鮮もそれなりの防備体制を構築するであろう。また、共産支那がどういう態度に出るかも問題である。

しかし、アジアにおける最も凶悪な独裁国家、国際テロ国家を解体するには、その絶対権力者でありノリエガ以上の犯罪者である金正日を拘束することは今日唯今の時点でも必要であると考える。それが朝鮮北部に住む民衆のためでもある。

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千駄木庵日乗十月十七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。最終締め切りが近くなり、まだ送稿して頂いていない方々に催促の電話とメール。送稿して頂いた方の原稿を拝読。

この後、病院に赴き、父に付き添う。副院長から病状について詳しい説明をうかがう。父は熱が下がりすやすやとやすんでいた。

千駄木に戻り、小中学校の後輩のお店で、富山県から来られた日本酒の蔵元の社長さんと懇談。富山県のお酒と、魚などの食材は素晴らしいというお話をうかがう。美女も多いそうである。富山には二回ほど行ったことがある。宇奈月温泉というところに泊った。住んでいる方はみんなうなずいているのかと思ったらそうではなかった。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。

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2011年10月17日 (月)

自然神秘思想を詠んだ高市黒人の歌

『萬葉集』に高市黒人という歌人の次の歌が収められている。

ささなみの國つ御神(みかみ)のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも

(巻一)

 『壬申の乱』で滅んでしまった近江の都のことを悲しんだ歌。黒人は、柿本人麿と大体同時代の人。伝未詳。

 「高市氏」は古い家柄で、天津神を祭る齋場(いつきば)と関係のある「氏」であったといふ。「黒人」は「山部赤人」と同様に「まれびと」(稀人・普通ではない人)の名である。鬼も珍しい存在なので赤鬼・青鬼といふ「色」がつく。今日でも普通とは異なる状態になることを「色がつく」といふ。「黒人」「赤人」といふ名前を付けるのは、普通一般人とは異なった特殊な能力・役目を持ってゐる人だからである。黒人は神秘的な役目を持つ人物であと思はれる。

 

「ささなみの」は琵琶湖西南岸の土地の古称。天智天皇・弘文天皇の御代に都があった。「國つ御神」とは、その國の地主の神・國魂の神。「うらさびて」はウラとは心のこと。サビルは衰へる・さみしくなる・荒む・しぼむといふ意。「國つ御神のうらさびて」とは、國土の神霊が遊離してしまひ國土に威力・生気・パワーがなくなること。

 通釈は、「ささなみの國土の神様の威力・生気がなくなって荒れてしまった大津の都を見るのはさみしいなあ」といふ意。荒れてしまった「ささなみの國」の土地の神を鎮魂し、なぐさめてゐる歌。

 現實的に考へると、大津の都が荒れてしまったのは『壬申の乱』の結果である。しかし古代信仰から考へると、國魂(くにたま)の神の生気がなくなった結果なのである。天皇の祭り事が行はれる宮廷がなくなると、國土の霊も威力がなくなってしまふのである。近江朝廷か滅んでお祭りしなくなったから國土の霊の威力が無くなったのか、國土の霊の威力が無くなったから大津の都が滅んだのかは、相関関係にある。

黒人は信仰的なものの見方をした人である。古代日本人は、自然に神が宿ってゐると素直に信じてゐた。この歌には、黒人の内向的な憂ひと共に古代日本人の自然神秘思想・自然信仰が直截的に表現されてゐる。

自然に宿る神々は、人間を護り恩恵を与へてくれると共に、時に荒ぶる神となり、大変な脅威を齎す。東日本大震災など自然災害の被災地の姿を見るとそのことを實感する。現代に生きる我々は、自然に対する畏敬の念を取り戻さなければならない。大地震・大津波・原発事故は、自然に対する人間の姿勢が如何にあるべきかを示唆してゐる。

 

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には、明日か明後日にはお届けできると思います。今月号は、「日本國體と徳川覇道政権」と題する拙論を掲載いたしました。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱が下がった。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年10月16日 (日)

弟橘姫の御歌と杜甫の詩

昨日は、『文京区秋の文化祭・書道展』を参観した。書道展は時々参観するが、書を見ることが主目的なのは言うまでもないが、書かれている文句にも興味がある。石川啄木の歌、『萬葉集』の歌、『百人一首』の歌、『唐詩』などが定番である。

昨日の展覧会では、杜甫の『絶句』と題する

「江碧(みどり)にして鳥逾(いよいよ)白く、山青くして花然(も)えんと欲す。今春看(みすみす)又過ぐ、何れの日か是れ歸年ならん。」

という漢詩を書いた作品があった。

「エメラルド色の川に映じて飛ぶ鳥の白さかいよいよ際立ち、新緑の山々に咲く花の紅はもえるように鮮やかだ。今年の春も瞬く間に過ぎ去ってしまう。私は何時になったら故郷に帰ることが出来るのだろうか」というほどの意である。

私は、二松学舎大学で、内田泉之助先生に唐詩を習った。この詩は印象に残り、暗記している。美しい山水の景色と白鳥の姿が目に浮かぶようである。そして自然の美しさを詠むだけではなく、時の流れの早さに対する感慨そして深い望郷の念も表白されているところがこの詩の価値を高くしている。

また、弟橘比売命(おとたちばなひめ)の次の歌を書いた作品もあった。

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

「(さねさし・相模に掛かる枕詞)相模野で燃える火の中に立って、私の名を呼んで安否をお尋ねになったあなたよ」といふ意。『古事記』に収められている。

日本武尊が焼津に至ると、まつろわざる者共が日本武尊のご一行を野に誘ひ火を放って焼き殺さうとする。日本武尊は剣で草を刈り払ひ火打石でこちらからも火をつけて野をお焼きになり相手を滅ぼされた。その時、日本武尊は愛する妃の名を呼び安否を気遣はれた。

その後、浦賀水道にさしかかると、海神が風と波を立てて船を進ませないやうにした。日本武尊のお妃・弟橘姫は「私が御子に代って海に入りませう」と言われて海にお入りになられた。すると、波はおさまり、船は対岸に渡ることが出来た。

弟橘姫が入水される際、焼津での出来事を回想して歌はれた御歌がこの歌である。「命懸けで私を守って下さった日本武尊のために一身を捧げます」といふ崇高な〈捨身の心〉が歌はれてゐる絶唱である。

日本武尊と弟橘姫との愛は、お互ひに文字通り「水火を辞さない愛」であった。日本民族においては「戀」と「美」は一つであった。わが國においては、やまと歌をはじめとした文芸も生活そのものもそして戦争ですら「美」を最高の価値とした。

わが國の武人・戦闘者の代表と申して過言ではない日本武尊の物語において、最も美しい戀愛があり、そして最も高貴なる相聞歌が歌はれてゐることをわれわれ日本人は誇りとすべきである。

不思議なのは、『唐詩』には恋愛の詩はない。支那の詩全体にも恋愛を詠んだ詩はない。ところが、わが国は『記紀』『萬葉』には數多くの恋愛歌が収められている。この違いは何処から来るのであろうか。

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千駄木庵日乗十月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また、発熱している。心配である。看護師さんと話す。

帰宅後も、発送作業。

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2011年10月15日 (土)

千駄木庵日乗十月十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、文京区役所に赴き、両親の老人医療保険のことにつき、相談。

この後、区役所一階で開催中の『文京区書道展』参観。

この後、銀座に出て、もつ焼き屋さんで知人と懇談。このもつ焼き屋さんはどうしたわけか以前よりもずっと空いていた。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備及び原稿執筆。

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一色正春氏(元海上保安官)の講演内容・その二

しかし、一方で中国の空軍や漁業監視船が来ている。『中国の領土だ』と言って領海侵犯してきている。最後の手段は防衛出動。戦後一回も防衛出動は発令されていない。『憲法』に『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』とあるから、中国はやり放題。

自衛隊には領海警備の仕事はなし。しかし現実には調査研究という名目でパトロールしている。何かあると海保に連絡してくる。海上警備行動発動で海保が出来ない場合、自衛隊がやる。しかし、法律的にはやれることは同じ。『警察権の発動に際し、目的達成のためにいくつかの手段が考えられる場合にも、目的達成の障害の程度と比例する限度においてのみ行使することが妥当である』という『警察比例の原則』というのがある。法整備の問題で行くつくところは『憲法九条』。『尖閣に自衛隊が駐留すればいい』という簡単な問題ではない。実際に現場に行く人間は困る。自分の持っている力を発揮できない。国民の認識が問題。今日、話したことを殆どの国民は知らない。そういう国民が判断を誤るとどうなるか。今の日本のようになる。

日中中間線にガス田がある。日中が合意しないと採掘しないと言っていたが、今は中国が採掘している。中国は沖縄と沖ノ鳥島を狙っている。島の二百カイリ(半径三八〇キロ)の範囲で排他的経済水域が認められる。日本は排他的経済水域の広さは世界で六番目。中国は『沖ノ鳥島は島ではない』と主張。『沖ノ鳥島は島ではない』と日本人が言ってはいけない。一人で釣りをしていればいい。日本人が相手の理屈に従うことはない。目には目、歯には歯である。

尖閣の風前の灯。制空権は侵され、領海侵犯されている。世界は『日本はあきらめ始めている』と思い始めている。尖閣の危機的状況をメディアは取り上げない。中国に非があることは分かっていても何も言わない。『パンダが来た』と喜んでいる。

ユ―チューブにアップロードしてあれだけ急速に広まるとは予想していなかった。日本は自民党政権時代から、尖閣竹島などの領土領海問題が大きくならないようにしてきた。そして中国の違法行為を放置してきた。それが結果的に問題を大きくしてしまった。

保の人員が少ないと言われるが、世界的にはアメリカに次いで二位。人数よりも装備の問題。能登半島に北朝鮮から小船が来ても発見できなかった。地球は丸いから船ではなかなか発見できない。航空機を増やすべし。年間一千八百億の予算では、人件費と装備のメンテナンスに殆ど食われてしまう。今の海保は自転車操業。

中国は『海島保護法』で、小さな島の全てに名前を付けた。先手を取られている。大阪府と兵庫県の海の県境・漁業の範囲を決めることが出来ない。徳島県と和歌山県も然り。和歌山の漁民は『和歌山の海はアメリカまで続いている』と主張。国や自治体は決めかねている。害を受けるのは漁民。

北朝鮮崩壊で何万の船が来る。武器を持っている可能性あり。石垣島は、海保と警察一名づつが拳銃二丁で国境の島を守っている。シーレーン防衛に石垣島は重要。石垣島を封鎖されたら日本の油が入って来なくなる。南シナ海も然り。

竹島哨戒は海保の任務の一つ。『日韓漁業協定』の中間線に入ると警告して来る。銃撃を辞さない。声が大きい方が勝っている。東日本大震災で日本が困っているのをチャンスにして、韓国は竹島にヘリポートを増設した。ソウルの日本大使館前に慰安婦の碑をつくる。ロシアは爆撃機で一周した。北方領土・竹島の実効支配が強まっている。韓国漁民は滅茶苦茶しよる。幼いカニを獲ってしまう。資源保護の観点が日本とは違う。」

                   ●

我々は切歯扼腕するしかないのか。『暴支膺懲』という言葉を想起する。

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一色正春氏(元海上保安官)の講演内容・その一

十月十一日に行われた『一水会フォーラム』おける一色正春氏(元海上保安官)の講演内容は次の通り。

「制空権がなくなるとやられ放題になる。尖閣に自衛隊を置いても玉砕になってしまう。石垣・宮古に自衛隊はいないから、補給は沖縄本島から行わなければならない。八月二十四日、中国の漁業監視船が、領海に入って来て九時間一周した。これは海保と自衛隊がどういう対応をするかその動きを見に来たのである。当時の官房長官は、『中国と話しをして理解してもらう』という頼りないことを言った。

十二カイリの領海内でも無害航行権はある。領海内に入ってわが国に害を及ぼすことをするから領海侵犯となる。中国の漁業監視船は、中国の尖閣が領土と主張して入って来るので、わが国に害になるから、有害航行であり領海侵犯となる。日本は『出て行ってくれ』とお願いするしか方法はない。

中国の公船には日本の裁判権は及ばない。中国は一段パワーアップして公船が来るようになった。海保は対抗できない。去年の事件をうやむやに終わらせた結果、中国の公船が入って来るようになった。

去年の事件のビデオに中国漁船が沢山映っていた。三十隻の漁船が違法操業していた。領海の外には百戸十隻の中国漁船がいた。数が多いので物理的に阻止できない。違法漁船を挟んで接舷して飛び乗って制圧するのだが、数が多くて不可能。他国ではこういう場合は武器を使用する。日本は漁業に関する違反では武器は使用できない。領海内では日本国籍がなければ漁業はできない。しかし捕まえても罰金を取らず領海外に出していた。

日常茶飯事的に違法操業を行い、それを退去させる当たり前の風景なのに、エンジンをかけてゴツンとぶっつけて来たのだ。那覇地検は『逃げ回って当たったのではないから故意ではない』とした。ビデオ公開でそれが嘘だと分かった。船長は酔っていたと言われるが、冷静にぶつかって来た。『被害は軽微だった』というのが釈放の理由だったが、修理費用は一千万円。『再犯の恐れなし』と言うが、中国人船長は『また来る』と言っていた。

去年の九月七日に事件が起こり、同日十三時に制圧した。そして翌日の二時に逮捕した。制圧から逮捕まで十三時間かかった。政府の決定が遅い。東日本大震災でも同じ。公務執行妨害で逮捕すれば三年以下の懲役、五十万円以下の罰金。国内法をきちんと適用していれば、一週間もたたないうちに帰すことはない。よその国の領海内で漁業をしたら、船を没収されて抑留される。

以前は、尖閣周辺海域で十五憶円の水揚げがあったが、今は六百万円の水揚げ。海保は『漁に行くな』と言う。漁に行けば行くほど赤字になる。油代が往復十万円かかる。中国漁船は、日本漁船の網を切ってしまう。海保は取り締まらない。魚は獲れない・金はかかる・漁具は壊されるで、自然と漁場に行かなくなる。

逮捕の時点で中国は圧迫して来た。フジタの社員を四人拘束。日本は平身低頭して謝った。日本国民は映像を見るまで何が起こっているか分からなかった。中国では、『福建省の貧しい漁民が細々と漁をしていたのを、日本の海保がぶち当たって船長を連行した』と報道された。それで反日デモが起こった。日本は証拠を出し反論しなかったから、中国の言い分が正しく、日本に非があるという嘘が本当の事になって来た。もし、九日の段階で映像が公開されていたらそういうことにはならなかった。そこで私は十月四日にああいうことをした。そこで私の役割は終わった。

中国漁船が何十隻も違法操業をしていたのを日本政府は放置していたということ。日本政府は長年にわたって違法状態を放置してきた。それをメディアは報じない。専門家も言わない。検察審査会で『起訴相当』という二度目の議決が出ているが、今どうなっているのかさっぱり分からない。国民の関心も薄れ、マスコミの扱いも小さくなっている。このまま忘却されるのか。

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2011年10月14日 (金)

この頃詠みし歌

窓開けてくしゃみをすればその音は千駄木の町に響きわたれり

一人して生きてゆくほかなきを知る 我の老後を予測する時

すでにして六十五歳は老後なるか まだまだ我は若き命ぞ

東京の空に白雲たゞよひて 老いたる母を楽しませゐる

ししゃもといふ小さき魚を食べにつゝぬる燗を呑む時のうれしさ

今日も一日(ひとひ)過ごし終へたるやすらぎに筆をとりては日記書きゐる

友どちがわが前に笑顔で語りゐるこの友もすでに三十年の友

幻の五重塔は夕闇の谷中霊園にそそり立ちゐる

木彫(もくちょう)の佛の像は朽ちゐても なほぞあはれに尊とかりける(『彫刻の時間—継承と展開—』展参観)

もがれたる腕痛々しき菩薩像 仰ぎて心はやさしくなりぬ(同)

石がたゞ敷き詰められてゐるだけの作品をしも彫刻といふか(同

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師と看護師の方と相談。

帰宅後も、発送の準備。

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2011年10月13日 (木)

ロシアによる北方領土ミサイル基地建設に思う

ロシア国防省高官は十二日、北方領土を含む千島列島の軍部隊に、自走式の対空ミサイル発射装置「ブク(ブナ)M1」の配備を終えたことを明らかにした。同高官によると、T80戦車大隊も配置されたほか、国後、択捉両島で新たな軍事施設の建設を開始。軍備強化は「今後も継続される」という。

愈々日本もなめられたものである。否、なめられただけではない。軍事的危機を迎えているのだ。ロシアは何故、わが国の領土である千島列島にミサイルを配備しなければならないのか。日本に対する軍事的威嚇であると共に、あわよくば日本に対して軍事的侵略をしようと思っているからだ。

民主党政権が領土問題・国家主権問題で、支那・北朝鮮・韓国に毅然とした対応ができなかったことが、ロシアのわが国に対する理不尽な対応を招いたのである。ロシアに足元を見透かされたのである。民社党政権の罪は深く大きい。

日本政府は断固としてロシアに抗議し、国交断絶を視野に入れた対応をすべきだ。少なくとも、わが國の領土である千島からミサイル基地を撤退させないかぎり、ロシアとの一切の経済・文化交流を中止すべきだ。

日本はまさに「前門の狼、後門の虎」の状況に陥っている。沖縄の米軍基地の事をギャアギャア言うくせに、支那・北朝鮮・ロシア・韓国のわが国に対する軍事的恫喝、特に、今回の千島におけるロシアによるミサイル基地建設に対しては何にも言わない社民・共産は、文字通り売国政党である。

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千駄木庵日乗十月十二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、今日の『萬葉集』講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七時より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、柿本人麻呂の歌を講義。質疑応答。

終了後、出席者の方と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

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2011年10月12日 (水)

一色正春氏の講演

今日行われた一色正春氏の講演については、後日詳しく報告いたしますが、取り急ぎ、きわめて印象に残ったお話を報告します。

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              ●

「去年の九月七日に事件が起こり、同日十三時に制圧した。そして翌日の二時に逮捕した。制圧から逮捕まで十三時間かかった。政府の決定が遅い。東日本大震災でも同じ」。

「尖閣に自衛隊を駐留させても、法律が整備されていなければ、力を発揮できない。結局『憲法第九条』の問題に行きつく」。

「海保の人員が少ないのも問題だか、予算と装備がもっと重要。年間一千八百億の予算では、人件費と装備のメンテナンスに殆ど食われてしまう。今の海保は自転車操業」。

「日本は自民党政権時代から、尖閣竹島などの領土領海問題が大きくならないようにしてきた。そして中国の違法行為を放置してきた。それが結果的に大きな問題にしてしまった」。

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』の講義準備。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。一色正春氏(元海上保安官)が講演。活発な質疑応答が行われた。

終了後、近くの居酒屋で懇親会。談論風発。小生もスピーチを行い、「姓に数字の付く人には立派な人が多い。一色正春、二宮尊徳、三波春夫、四宮正貴である」と申し述べ、多くの方々の賛同を得た。

帰宅後は、原稿執筆など。

明日の「萬葉古代史研究会」は次の通りです。

 

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。
  日時 毎月第二水曜日 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)下巻。

初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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2011年10月11日 (火)

『彫刻の時間—継承と展開—』を参観して

今日参観した『彫刻の時間継承と展開展は、「東京藝術大学美術学部彫刻科は、前身である東京美術学校創立以来120余年の長い歴史を持ちます。…数多くの彫刻家を輩出し、現在に至っています。この展覧会は彫刻科が企画し、二つの柱で構成されます。一つは、藝大コレクションの名品を中心に出品します。飛鳥・白鳳の仏像から、近・現代の彫刻まで、日本彫刻の歴史を一望できる彫刻をセレクトし展示します。
もう一つの柱は、名誉教授、現職教員の展示です。空間を意識的に使い、現代の彫刻のあり様、個々の彫刻観の違いを提示するというものです。また今回の目玉として、橋本平八の作品17点と、平櫛田中の作品29点の展示です。この二人の彫刻家は、明治時代、ヨーロッパから導入されその後大きな潮流となった近代塑造彫刻と比較する上で、また日本の彫刻の独自性を検証する上でも、あらためて注目されている彫刻家です。橋本平八の収蔵作品には、『花園に遊ぶ天女』『或日の少女』『裸形の少年像』などの代表作を含み、その充実度は他に類を見ないもので、一同に展示されることも初めての試みで、大いに注目されることでしょう」(案内書)との趣旨で開催された。

午後二時より始まった木戸修東京芸術大学美術学部彫刻科教授による「名誉教授・現職教員の作品」についてのギャラリートークに参加。展示作品についての説明を聞く。

木戸氏は、「近代以前の日本の彫刻は仏像。近代になって最初にロダンの影響を受けた。次にイタリア彫刻から影響を受けた。これから彫刻の材料を探すのが不自由になって行く。材料に対してどのように向き合うのか心配。彫刻は置かれている空間が大事。屋外と室内では違う。屋外に置かれた作品は晴天と雨天では違ってくる。それが彫刻を見る楽しさ。

芸大の彫刻コレクションは、四万点以上ある。これには卒業制作も含まれている。この展覧会では仏像と平櫛田中をはじめとする近代の作品そして本学名誉教授・現職教員の作品が展示されている。

澄川喜一は前学長で『スカイツリー』のデザインをした人。海ほたるのトンネル掘削機の歯をモニュメントにした。澄川氏の『そりのある形』は木彫でバランスの取れた作風。

手塚登久夫の『約束の森』は人間の心の優しさを表現。鑿一本で、手で彫っている。山本正道『帽子をかぶった肖像』。この人は、山下公園の『赤い靴はいてた女の子』の作者。原真一の『浴室』は、人は何十年しか生きられないが、その間の肉体と精神の変容を表現した。林武史の『石間』は石の持っている可能性を目指した」と語った。

            ◎

展示された作品についての小生は次のような感想を抱いた。橋本平八の『幼少の孟子像』は、本を読んでいる気の強そうな少年が描かれていた。平櫛田中の『鏡獅子試作』は、顔が岩井半四郎に似ていた。同じく平櫛の『平安老母』は、生きているごとき表情であった。また二点あった平櫛田中の『岡倉天心像』も、田中が尊敬していた人の像であるので実に見事であった。竹内久一の『伎菜芸天』は、彩色豊かにして実に大きな女性像だった。

近代日本彫刻で大きな足跡をのこした高村光雲・光太郎父子は千駄木に、朝倉文夫、平櫛田中は谷中に住み、創作活動を行った。また、近代日本文学の二人の大立者・森鴎外と夏目漱石は千駄木に住んで創作活動を行った。近代日本の芸術史・文学史に欠かせない地に育ち住んでいる私にとってまことに有り難いことである。

ギャラリートーク

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東京藝術大学

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千駄木庵日乗十月十日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京藝術大学美術館にて開催中の『彫刻の時間 継承と展開』展参観。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

千駄木に戻り、隣町西日暮里の知人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年10月10日 (月)

彌生慰霊堂は神道祭式による慰霊顕彰を復活すべし

「靖国神社の神道祭式を廃止し無宗教の慰霊施設にしろ」という暴論がある。国のために命を捧げた人々に対して、神社祭式での慰霊をやめて無宗教の慰霊施設となってしまった先例がある。それは、千代田区の北の丸公園にある皇宮警察・警視庁・東京消防庁などの殉職者慰霊施設・彌生慰霊堂である。

彌生慰霊堂かつては彌生神社と言った。明治十八年十月に『彌生神社』として創建された。この名称は私の家の近くの本郷区(現文京区)向ヶ岡彌生町に創建されたことによるものという。以来、毎年、神式による合祀・慰霊祭を行ってきた。

しかし、戦後の「神道指令」により、神社を警視庁が管理し続けることができなくなってしまったために、昭和二十一年(一九四六十月に元警視総監をはじめとする有志が奉賛会を結成し、昭和二十二年十月に現在地に遷座し、名称を『彌生廟』と改めた。そして奉賛會主催の慰霊祭という形に変化した。しかし、戦前・戦後を通じて神道祭式には変化はなかった。昭和四十七年、連合赤軍の浅間山荘事件で殉職した警察官の合祀祭も神道祭式で行われた。

ところが、昭和五十八年九月に名称を「彌生慰霊堂」に改称し、神式の慰霊祭からいわゆる“無宗教”形式の慰霊祭に変更してしまった。この変更について警視庁は「法律を守る立場にある警察としては、政教問題が取りざたされているときでもあり、どこからも文句のでない無宗教方式へ変更した」と説明した。小生も何回か参拝しているが、社殿は神社建築に近いもので拝殿と本殿からなり、本殿は神明造の屋根であるが千木・堅魚木がない。現在でも鞭懸(神明造の破風にある八本の棒)が残っている。しかし鳥居などは取り外されている。

東京都慰霊堂は、仏教施設であり、そこで行われる春秋の慰霊大法要には、都庁・都議會の幹部が公式に参列している。殉職警察官を神道祭式で慰霊しても何ら問題はない。殉職者への慰霊というきわめて重要な行事を、わが國伝統信仰たる神道祭式で行わないというのは、敬神崇祖というわが國の倫理精神の基本そして日本伝統信仰たる神道祭式を、警視庁が否定したということである。

小生は何度か、警察庁長官及び警視総監に対し、殉職警察官慰霊施設は日本伝統信仰に基づく慰霊すなわち神道祭祀に戻すべきであると要望している。また数年前、古賀俊昭都議も都議会本会議でこの問題を取り上げ、警視総監に要請を行った。しかし、いまだに実現していない。

「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

さらにいえば、わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同体である。祭祀共同体としての日本國家と神社神道の本来一体なのである。そしてそれは決して教団宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

國家民族のために一身を捧げた御霊を、わが國伝統祭式によって公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。

「無宗教」とは霊魂の否定であり道義の否定である。殉職警察官慰霊施設の無宗教化が、最近の警察官の道義精神希薄化・不祥事続発の原因の一つがある。

初代警視総監・川路利良の命日に当たる十月十三日に慰霊祭が無宗教形式で執行されるという。これもおかしい。川治利良は殉職者ではない。病死である。しかも、恩師・西郷隆盛を死地に追いやった忘恩の徒である。このような人物の命日は、殉職警察官・消防官の慰霊を行う日としてはふさわしくない。

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。今日はやや落ち着いた状態。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年10月 9日 (日)

牧口常三郎創価学会初代会長の「天皇観」「国家観」について

青年思想研究会の『しのぶ会』の帰途、信濃町駅前の博文堂という書店に寄った。創価学会系の書店で、学界関係の出版物が多く売られていた。『国家主義と闘った牧口常三郎』という文庫本を購入した。牧口常三郎創価学会初代会長の「国家論」「天皇論」について色々書かれている。

日蓮上人は、『高橋入道殿御返事』で「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」と論じている。

日蓮上人は、天照大神の御神靈は、天皇の御魂と一体であるというわが國の伝統的な<現御神信仰>を保持していたのである。

創價學會初代會長牧口常三郎氏は、この日蓮の<現御神信仰>を継承し、『大善生活実証録』という昭和十七年発行の書物で「吾々は日本國民として無条件で敬神崇祖しているのである。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖國神社へ参拝するのは『よくぞ國家の為に働いて下さった、有り難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって…天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるである。万世一系の御皇室は一元的であって 今上陛下こそ現人神であらせられる。…吾々は現人神であらせられる天皇に帰一し奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することができると確信するのである。」と論じている。

創価学会が「日蓮大聖人直結・御書根本」と言うのなら、日蓮上人および牧口常三郎氏の國體観・天皇信仰・神祇信仰に回帰すべきである。そして靖國神社総理公式参拝反対・國家護持反対の姿勢を改めるべきである。

今日の創価学会は、「大東亜戦争は侵略戦争だった」「創価学会は戦争に反対して弾圧された反戦平和団体だ」と盛んに宣伝している。ところが、戸田城聖二代会長は昭和十八年に出した会員への通諜で、「時局下、決戦体制の秋、創價教育學會には益々盡忠報國の念を強め會員一同各職域においてその誠心を致し信心を強固に鬼畜米英打倒の日まで戦い抜かんことを切望す」と述べている。またこの通牒には「学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと」と指導した。

また、昭和十七年十一月二十二日に行われた創価教育学会の第五回総会では、「午前十時宮城遥拝」「軍歌高唱」「牧口會長の発声にて聖寿萬歳三唱」などと共に、本間直四郎理事は、「大東亜戦争も一周年に垂んとして、陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫赫たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である」と演説し、西川という理事は閉會の辞で、「いまや、皇國日本は……赫赫たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問はず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、戦場精神によって一丸となり、只管に目的達成に邁進しつゝある……」と述べたと記されている。

つまり、「戦時下の創價学会が大東亜戦争に反対したために弾圧された」という今日の創価学会の主張は事実に反するのである。牧口・戸田両氏の指導下にあった戦時中の創価学会は、大東亜戦争の意義を積極的に肯定しその勝利を祈念していたのである。それは日本國民として当然の態度であった。

こうしたことについて今日購入した『国家主義と戦った牧口常三郎』という本はどう論じいいるのか、これからゆっくり調べてみたい。

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、母のお世話。

午後三時より、新宿区霞ヶ丘町の(と言うよりも青山のと言った方が分かりやすいが)日本青年館にて、「青年思想研究会  しのぶ会」開催。緒方孝名議長が挨拶。黙祷の後、山口申・阿形充規・犬塚博英・蜷川正大の各氏及び小生が挨拶した。青年思想研究会には、長い間、共に運動をしてきた同志の多くが加盟している。亡くなられた関係者にも色々お世話になった方々が多い。今日はそうした方々の思い出を話させていただいた。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年10月 8日 (土)

外患の危機と天皇中心帰一の國體精神

梁川星厳(江戸末期の漢詩人。梅田雲浜・吉田松陰などと交流があったため、「安政の大獄」で逮捕されるはずであったが、大獄の直前に逝去)は、徳川幕府がペリーの恫喝に恐怖し、何ら為すところなく、安政五年(一八五八)に『日米修好通商条約』を調印したことに憤り、次の詩を詠んだ。

「紀事

當年乃祖(だいそ)氣憑陵(ひょうりょう)、

風雲を叱咤し地を卷きて興る。

今日能はず外釁(がいきん)を除くこと、

征夷の二字は是れ虚稱。」

(その昔、徳川氏の祖先の家康の意気は、勢いを盛んにして、人を凌いでゐた。大きな声で命令を下し、風雲を得て、地を巻き上げて、勢いよく興った。 今日、外敵を駆除することができなければ、徳川氏の官職である征夷大将軍の「征夷」の二字は、偽りの呼称呼び方になる、といふ意)

もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者であった徳川氏は、その力を喪失してしまえば、国の支配者たるの地位も失うのである。

幕末の国家的危機において、日本国民は、皇祖天照大神に国難打開を祈り、天照大御神の生みの御子即ち現御神たる天皇中心の國體を明らかにすることによって、国難を打開し、明治維新を断行した。

全国民が真に日本民族としての運命共同意識を強く保持し燃え立たせ得る精神的な基盤に依拠しなければならない。

さうした精神的基盤は、神代以来の神聖権威の体現者・保持者であらせられる日本天皇への尊崇の念即ち尊皇精神であらねばならない。

今日の外患の危機も、日本国民が、天皇中心帰一の國體精神を正しく体得し、強い愛国心を持つことによって打開できると確信する。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年10月 7日 (金)

小沢一郎氏の裁判について

今日の一連の動きをテレビニュースで垣間見て、小沢一郎氏はますます国民から見放され嫌われると思う。

裁判の内容はよく知らないし、知りたくもない。しかし、小沢さんの対応はやはりおかしい。大上段に検察当局への批判を行っているが、肝心要の容疑に関する詳しい弁明・反論は全く行わない。

記者の質問に対しても、まともに答えず、硬直した独りよがりの法律論というよりも屁理屈を恫喝的にまくしたてるだけ。これもおかしい。

腰痛で日本医大病院に担ぎ込まれるというのも不思議である。小沢氏のかたくなな態度・硬直した自己主張はかえって疑惑を深める。また、小沢氏自身の精神衛生にも良くないと思う。

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。主任の看護師さんにいろいろお話をうかがう。この方は適切な対応をする優れた看護師さんである。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年10月 6日 (木)

大橋訥庵の徳川幕府批判論

大橋訥庵(江戸後期の儒学者。文久二年、坂下門外の変の実質的指導者として捕縛され、拷問により死去)は、「幕府果して能く天朝を崇敬し、征夷の大任を顧みて、蛮夷の凌辱を受ることなく、神州に瑕瑾を付けず、然ればそれより大功と云ふ者なきゆえ、天朝にて眷顧を加へて優遇し玉ふべき、固より論なし。然るに後世の幕府のさまは、余りに勢威の盛大なるより、天朝を物の数とも思はず、恭遜の道を失ひ尽して、悖慢の所行甚だ多し。且や近年に至るに及んで故なく夷蛮に腰を屈して、国の醜辱を世界に顕し、開闢以来になき瑕瑾を神州に付けたれば、其罪細少のことと云んや。」(『文久元年九月政権恢復秘策』)と論じた。

「徳川幕府が、天皇・朝廷を崇敬し、征夷大将軍の使命を正しく果たしてゐれば、外敵の凌辱を受けることなく、神国日本を傷つけることもない。そうであれば大変に功績である。しかし今の幕府はあまりに威勢が大きいので、朝廷をものの数とも思わず、恭して慎み深きする道を失い、驕慢の所業が甚だ多い。しかも近年理由もなく外敵に屈して、国が辱めを受けることを世界に示し、日本国始まって以来無かったわような傷を神国日本に付けた。その罪は小さいなどと言うことはできない」といふ意である。

これは、徳川幕府が、朝廷を軽視して来た上に、肝心要の外敵を征伐するという「征夷大将軍」の使命を果たすことができない罪を追及した激烈な文章である。まさに、幕府の最大の罪を追及したのである。明治維新という尊皇倒幕・尊皇攘夷の一大変革の基礎理論を主張しているのである。

今日の外患の危機も、日本国民が、天皇中心帰一の國體精神を正しく体得し、強い愛国心を持つことによって打開できると確信する。

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千駄木庵日乗十月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや落ち着いていて、よく眠っていた。一安心。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年10月 5日 (水)

この頃詠みし歌

騒がしき街歩み来て菩提寺の墓苑の中に立ちてやすらふ

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時の混沌を思ひつつ彼方の雲を眺むる

西空は夕茜して新宿の高層ビル群シルエットとなる

ベランダに立ちて歌へるカンツォーネ千駄木の町に響きわたれり

お彼岸の中日の空の夕茜 はるかに遠き浄土を思ふ

大嵐吹き荒ぶ街を急ぎ行き母の待つ家に帰り着きたり

疲れたる身を横たへて眠りゐし時に嵐は過ぎ去りにけり

荒びゐし嵐の後の夜の空 穢れし空気は清められたり

嵐去りし夜更けの空に月浮かび煌煌として冴えかへるなり

父上はやさしく我を気遣ひぬベッドに伏して苦しみたまふに

わが祈り深くありせば わが願ひ叶へたまへよ天地(あめつち)の神

公園の緑美し そのかみの友の姿は今は見えねど

半月の浮かぶ夜空を仰げども鎮まり難きわが憤怒かも

楽器といふものに親しみし若き日の思ひ出の曲は『禁じられた遊び』

過ぎ去りし時は戻らず とことはに生きゐる人は一人(いちにん)もなし

朝毎に牛乳を飲むがならひにて今日の活力新たなるかも

すこやけき姿の老人とすれ違ひ父を思ひて心さみしも

古きビルに友ら集ひて憲法を論じゐるなり秋浅き日に

大企業の山荘ばかりが目につきぬ箱根の山をバスで登れは

中河与一竹中労が住みてゐし箱根の山に今日来たるかも

静かなる山のいで湯に朝早く身を清めつつ青空仰ぐ

箱根なる山ふところの美術館 レオナールフジタの裸婦像を見る

フジタ描きし子供の顔に笑顔なし祖国を捨てし悲しみゆゑか

いらついてはならぬと自らに言ひ聞かせ燃ゆるがごとき夕雲をみる

日々(にちにち)を生き来て今日も奮ひ立つ吾の心ぞ朝日仰ぎて

奮ひ立つ我の心かとこしへに我をまもらす天地(あめつち)の神

天照らす神の御稜威にまもられてわが日の本は永久に栄えむ

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千駄木庵日乗十月四日

午前は、母のお世話。

午後三時より、本郷の展転社にて、『時局戦略懇話会』幹事会開催。中村信一郎氏が司会。十月二十五日に開かれる「第五回・守れ!!わが領土国民決起集会」について討議。

午後七時より、千代田区富士見町の新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。「三島由紀夫と楯の会・日本改正案」を教本として全員で学習。小生が大楠公・吉田松陰の尊王精神について話させていただいた。

終了後、懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年10月 4日 (火)

『心に心、心許すな』

最近は、何が正しくて何が間違っているかという価値判断の基準が無くなっているように思う。政治・宗教・文化・経済などあらゆる面でそうなっているようだ。

この人はまともだろうと思っていた人が、とんでもないことをやったり言いだしたりする。それも相当の経験を積み、知識のある人なのだから困ってしまう。

私は、相当短気だし、怒りっぽい性格だと自分でも反省する。しかし、あまりにも常識外れというか、ひどい事をする人が多い。外出して家に帰るまで、一回や二回は腹が立つことがある。私の性格がおかしいからなのだろうか。電車の中で老人が立っていても席を譲らない若者、平気で長い脚を組んでいる人を見て腹を立てていたら、腹を立てるために電車に乗っているようなものになる。

「見ざる・言わざる・聞かざる」が一番いい処世法なのだろうが、今日の看護師のように、実の父親それも入院生活を送り、病に苦しむ父親に関することでは、そんなことは言っていられない。

私も六十四歳である。人格完成などということは夢物語としても、「心こそ心惑わす心なれ。心に心、心許すな」という言葉をかみしめている。

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千駄木庵日乗十月三日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。看護師の対応が非常に悪いので、思わずきつく抗議した。父の枕元なので本当につらい。しかしあまりにもひどいのでこらえることができなかった。ここの病院は、医師や他の看護師はなかなかよくやってくれるのだが、今日注意した看護師だけは、どうもひどい。明日、病院側にきちんと事情を説明して何とかしてもらわねばならない。

千駄木に戻り、古くからの友人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年10月 3日 (月)

「水戸學」の尊皇攘夷思想について

明治維新の基本思想たる『尊皇攘夷』は、『弘道館記』(水戸藩第九代藩主・徳川斉昭が創設した弘道館の建學の精神と綱領とを記した文章)の一節「わが東照宮(徳川家康)、撥乱反正(乱世を治めて正道に帰る)、尊王攘夷、允に武、允に文、以て太平の基を開きたまふ。」より発したのである。

藤田東湖はこれを解釈して「堂々たる神州は、天日之嗣(てんじつのしし)、世(よよ)神器を奉じ、万方に君臨し、上下・内外の分は、なほ天地の易(か)ふべからざるごとし。然らばすなはち尊皇攘夷は、実に志士・仁人の、盡忠・報國の大義なり。」(『弘道館記述義』)と述べている。

徳川幕藩體制打倒の基本思想が徳川御三家の一つ・水戸徳川家から発したという事実は驚嘆に値する。今わが祖國日本は確実に内部崩壊を始めた。小手先の弥縫策ではこの危機を乗り切ることはできない。我々のなすべきことは、こうした荒廃を生んだ根本的原因を剔抉することである。

 

戦後日本の精神荒廃の根源を探っていくと、敗戦後、占領下のわが國に奔流のように流れ込んだアメリカ及び旧ソ連製の人権至上主義、平和主義、悪平等主義、経済優先主義に突き当たる。物と金さえあれば皆が幸せになるという考え方が戦後日本の満ち満ちてきた。その結果が、今日のわが國の荒廃である。わが國の歴史、伝統、文化、道義精神を断ち切って、戦勝国即ちアメリカ及び旧ソ連が構築した戦後體制に、大多数の日本人は文字通りマインドコントロールされてしまっている。

わが祖國日本は、今こそ、この日本弱體化のマインドコントロール・精神的呪縛から脱しなければならない。日本人としての魂・誇り・道義精神・文化伝統を取り戻さねばならない。それが教育の荒廃のみならず、祖國日本の内部崩壊を食い止める唯一の方策である。

その意味において、我々は幕末の危機を打開した基本精神である「水戸學」の尊皇攘夷思想を今こそ學び直さなければならない。

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千駄木庵日乗十月二日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載原稿「萬葉集に歌われた日本の心」執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また熱が出ている。心配なり。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年10月 2日 (日)

『憲法懇話会』における討議内容

本日行われた『憲法懇話会』における討議で印象に残った発言は次の通り。

国家緊急権について

「緊急事態でも合議制では非常時に対応できない。行政権限を集中させるべきだ」「法律に明文があると無いとではスピードが違う」「国家緊急権とは非常事態において憲法の枠を超えた措置を行う場合である。これには法的根拠は存在せず、政治的な問題となる」「非常事態が発生した時は、憲法規定にかかわらず即応できる非常措置を取り得ることは主権国家の不文の原理であり、日本国憲法の場合は公共の福祉に関する規定から発見できる」

三潴憲法学について

「ステイトとネーションの二つに分けて国家を考える」「戦後の憲法論は国家論なき憲法論。『国家は権力機構であり権力は必要悪であから国家も必要悪』というのが戦後の憲法論。国家と国民を対立させ国家を悪、国民を善とみなしている」「有斐閣はマルキストによって編集権が支配されている」「国民共同体・ネーションとしての国家は生命体と見なければならない」「憲法の解釈権と立法論を峻別すべし」「国のために身を捧げるという時の国とは権力機構ではない」

            ○

私は、「『皇室典範』が『現行占領憲法』の下位法であることは絶対におかしい。皇位継承といふ皇室の重大事が権力機構である國會で決められるようになったのは國體隠蔽と言うよりも國體破壊である。皇室の事柄を政府・國會で決めるのは、権力が権威を、俗が聖を、権力國家が信仰共同體國家を、政體が國體を規制する事となる。これは國體破壊である。衆参両院議員の過半数によって、國體の根幹が変更されたり、否定されたり改変されることは絶対にあってはならないことである」と述べた。

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千駄木庵日乗十月一日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。日本大学大学院生の新美太志氏が「国家緊急権について」と題して発表。続いて高乗正臣氏が「三潴憲法学」について発表。全員で討論。

帰宅後は、諸雑務。

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2011年10月 1日 (土)

志方俊之帝京大学教授の講演内容・その二

危機は時間によって見えて来るものが違う。五年から十年間の時間軸で考えておくべき脅威は北朝鮮。崩壊・暴発などが考えられる。『ニューズウイーク』は『北朝鮮は軍部の独走が始まる』と報道している。十年から二十年間の時間軸で考えておくべき脅威は中国。中国の一党独裁は峠を越えた。中国が何処へ行くかは中国人さえ分からない。日本は中国がどのような道を歩んでもそれに対処できるようにしておくべし。

扇千景氏が国土交通大臣だった当時に起きた、北朝鮮工作船事件の時、扇大臣は『相手が撃ってきたら撃ち返せ』と指示した。北朝鮮工作船が攻撃をしてきたため、海上保安庁は反撃し、その結果不審船は自爆して海に沈んだ。扇大臣は海底に沈んだ工作船の引き揚げも決定した。この決断によって北朝鮮の工作船だと判明した。また、この工作船の展示には、どこも恐れをなして提供してくれなかったが、この展示に協力してくれたのが、日本財団の曽野綾子氏だった。この二人の女性の決断によって北の工作船の実態が広く国民に知れ渡った。尖閣でも同じようにやればいい。侵犯して来た船は捕えればいい。

北朝鮮は韓国に軍事的に手を出しても、アメリカには手を出さない。『やられたらやり返す』がアングロサクソンの性格。北朝鮮の崩壊が夏なら、二十から三十万の難民が日本に来る。

日本のシーレーンと中国が東へ進出する海洋戦略とはぶつかる。中国が最近建造した空母は、海上自衛隊は一発で沈めることができる。しかし、南へ行ったら危ない。中国は西沙・南沙・中沙を三沙市という行政区域にした。弱いものに強いのが中国。

サイバー戦争に対しては防衛省が対抗部隊を持つべし。国防費はロシアが世界一。他国も右肩上がり。日本のみ右肩下がり。防衛は仕分けや切り詰めはしてはならない。沖縄に米軍がいるのは日本を守るため。沖縄は自衛隊が守る。

日本は核武装を五年でできるが、核兵器を持たないというから世界から尊敬される。核はアメリカにやってもらう。通常兵器のアメリカ依存は解消すべし。通常兵器は今よりも三倍質の高いものを持つべし。核は持てる態勢を取りながら持たない。

『武士道五要件』とは『①武士は、強くなければならない。②武士は、自分から先に刀を抜いてはならない。③武士は、弱きを助けなければならない。④武士は、為したことを恩にきせてはならない⑤武士は、為した後、黙って立ち去らなければならない。しかし、武士の立ち去った後には華の香りが残る』である。『武士』を『自衛隊』に置き換える。日本人は農耕民族だからあくどい事をやらない。やられたらやり返すは良くない」。

           ○

大変に勉強になった。新しく共産支那が建造した空母を自衛隊は一発で撃沈できると聞いて安心した。また、扇千景・曽野綾子両女史の決断と行動に感心した。ただ私は想定外の危機に対処するためには核武装は必要だと考える。

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志方俊之帝京大学教授の講演内容・その一

九月二十五日に行われた『日本学協会定例講演会』における志方俊之帝京大学教授の講演内容は次の通り。

「アメリカが軍事力で中国と戦うことは考えられない。ソ連に対してと同じように内部崩壊を待つ。

技術の進歩に人間社会が追い付かない。管理する人間の知恵が遅れている。

超大国の米国一国主義から多極化・地域化の時代に入ると考えられる。『パワー・シフト』『パラダイム・シフト』『テクノ・シフト』の三つが同時進行する『不安定』且つ『不確実』な時代の到来を意味している。日本の危うさが見えてきた。

危機管理の法体系には有事法制、武力攻撃事態法、国民保護法などがある。自衛隊の国外での活動をどうするかの法律を作らねばならない。情報をどのように管理するかの法律もない。『日本国憲法』に非常事態の項目がない。占領下に作られた憲法だから何が起こっても占領軍が何とかしてくれるという憲法。しかし占領は数年で終わった。その時に法整備を怠った。米軍は駐留軍という名前にしてずっと駐留した。『日本国憲法』には『平和』という言葉は沢山あるが、平和をどうやって守るかは一言も書いていない。

自衛隊は東日本大震災で起こったような大津波が来ることを想定し訓練していた。北朝鮮がミサイル攻撃して来ることを想定しなければならない。自衛隊は常に想定外に備えている。

自衛隊は自己完結。婦人科医もいる。自衛隊には有事即応性・大量動員性・陸海空統合性・特殊装備性・日米共同性がある。『自衛隊があるから戦争が起こる』と言う人が知識人と言われる人に多いのが困る。『警察があるから犯罪が起こる』というのと同じ論理。安倍晋三氏が『内閣そのものに安全保障委員会を作らなければならない』と主張しても、福田氏が『要らない』と言った。

大震災発生時、都庁は四階まで開放した。アメリカ大使館は『用の無いアメリカ人は関西に行け』と言った。ルース大使は『日本の状況を国務省に報告しようとしてもできない。日本の内閣の言っている言葉は翻訳しようがない。日本語ではない。CNNを見て日本で起こっていることが分かった』と怒っている。

文科省は日教組に牛耳られている。七十年後に、『日本の衰退は平成二十三年から始まった』と言われるかもしれない。

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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