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2011年9月22日 (木)

神社のお祭りと創価学会

秋祭りがたけなわである。創価学会機関紙『聖教新聞』本年九月十八日号掲載の「新やさしい教学」という記事に、「仏法の根本にたがうことなければ、その地域の風習を用いるべきであるとされているのです」「今日の祭りは、宗教的な意味合いはほとんどなく、地域の親睦という社会的、文化的な意味合いのものです。したがって、参加することに何も問題はありません。私たちの参加は、地域友好のためであって、拝みに行くわけではないからです。」「人間の文化はなんらかの宗教から生まれたものがほとんどです。その多様な文化を尊重し、包んでいくのが仏法の精神です」と書かれている。

平成十年年九月九日付け創価學會機関紙『聖教新聞』で当時の秋谷栄之助会長は、学会員の祭りへの参加についての質問に答えて、「今日、祭りとはいっても、宗教に起源をもっていますが、もはや宗教的な意味はほとんど薄く、むしろ地域の親睦をはかるという社會的、文化的な面が強くなっています。したがって、この種の祭りについては、参加することは何ら問題ありません」「(日蓮)大聖人は『随方毘尼』といって、仏法の本義に違わない限り、その地方の風習に従ってもよいとの原理を示されています」「もし宗教的目的に賛同して、他宗の本尊や神体を信じて拝むのであれば、それは謗法です。しかし町會や自治會の一員として、仮に宗教的色彩のある祭りなどの行事に参加したとしても、信じて拝むのでなければ、謗法にはなりません」「具体的には、祭りにおいて御輿を担がざるを得ない場面があったとしても、地域役員として宗教色の濃い儀式などに立ち会わざるを得ない場面があったとしても、それは地域の文化行事への参加と同次元のことである。…ただちにそれを謗法とはいえません」と論じている。

 

これは創価學會員が祭礼に参加し御輿を担いでも問題はないと言っているのである。神札に悪鬼邪神がすみついているのなら御神輿にもすみついているはずである。しかしそれをかついでも謗法にならないというのだから創価学会も変わったものである。事実、公明党議員が神社に参拝したり祭りに参加している。

そもそも神社神道はいわゆる「教団宗教」「救済宗教」(一人の人物の説いた教義を絶対のものとし、他の宗教を排撃あるいは否定して布教し世を救済しようとする宗教)ではない。神道は古代日本以来、天皇(すめらみこと)を祭り主とする祭祀宗教(民族発生以来崇めてきた天神地祇をお祭りし五穀豊饒を祈念する共同体宗教)である。わが日本は天皇を祭り主とする信仰共同体である。したがって神社神道は何ら他の宗教と相対立するものではない。だからこそ日本は古代以来外来宗教の受容に寛大であったのだ。聖徳太子・聖武天皇は仏教受容にきわめて大きな役割を果たされた。また御歴代の天皇で御退位後出家された方もおられる。

 

秋谷氏は、「祭りは文化的面が強い」「仏法の本義に違わない限り、その地方の風習に従ってもよい」「(祭りへの参加は)地域の文化行事への参加と同次元のこと」と言っているが、まさに神社の祭礼は、日本文化の中核行事であり、信仰共同体国家の基本である。これに参加することが日本民族の原点である。

創価学会員も大いに神社のお祭りに参加してもらいたい。またもう一歩進めて正々堂々神社に参拝してもらいたいし神札もお祀りしてもらいたい。日蓮聖人がいかに敬神尊皇の念に篤かったかは数々の文証に明らかである。

小生は、創価学会が神社神道を否定し、他の宗教を排撃する姿勢を改めるのは、日本にとってもまた学会にとっても良いことであると思う。しかし、この姿勢が本物であるか、そして未来永劫続くものであるかを見極めなければならない。

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