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2011年9月10日 (土)

野依秀市先生と念仏信仰

『歎異抄』に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」「親鸞は父母のためとて、一返にても念仏したること、いまださふらはず。」という言葉があるので、親鸞はあくまでも個人の救済を重視していたと理解する人がゐる。また浄土教・阿弥陀信仰は、「厭離穢土・欣求浄土」という言葉もある通り、厭世的で来世に救いを求める信仰と理解する人が多い。したがって、日蓮信仰と比較すると、国家・社会改革に対しては積極的ではないと思われてきたようである。私もその一人てあった。

ところが私が高校生時代に書生をさせていただいた野依秀市先生は、晩年に至るまで活発なる言論運動・政治運動・愛国運動を活発に展開した。のみならず生涯を通して戦闘的姿勢を貫いた人である。野依氏が許せないと思った政治権力者・財界・軍部・学者など他者に対する非難攻撃は凄まじかった。そのために四度にわたって囹圄の身になった。それは、浄土真宗宗門にも及んだ。

大正十二年七月には「大谷光瑞氏に自決を勧告して本願寺の改革と門徒諸氏の覚醒に及ぶ」という著書まで出している。しんだら極楽浄土に往生すると説いているのに、「自決勧告」とは面白いが、野依先生には、退嬰的あるいは厭世的な生き方は微塵も見られなかった。

野依秀市先生は次のように論じている。「未來で極樂淨土に參らせて頂ける、と云ふことになって居るが我々は之を信ずる。信ずればこそ其處に人生の樂しみがある。既に世の中に樂しみを有して居るからには、この現世が厭になったり早く死なうなどと思ったりする譯がない。…國家社會のことにしても、その現状及び將來を悲觀してこそ、其處にこれでは可けない、轉回の必要があると感じ、それが爲に大なる元気を出し、大なる希望を見出して、大いに奮闘しやうとするのである。この境地に達せんとするには、一旦、小我を捨てて大我を見、他力に依って極樂を信じ、眞に親鸞の教に歸依しなくてはならぬ。」(『絶對の慈悲に浴して』)と論じている。

考えてみれば、一向宗は近世初期、織田信長と果敢に戦ったし、一揆も起こした。もともとは戦闘的であり行動的だったのである。それが退嬰的と言われるようになったのは、徳川三百年の太平、そして徳川幕府の宗教政策に呑み込まれてしまったからであろう。

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