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2011年9月23日 (金)

和歌について

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之といはれてゐる。

紀貫之は、平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、「仮名序」を執筆した人。

和歌の勃興は日本ナショナリズムの勃興と切り離せない。漢風文化が浸透し、和風文化が軽視された時代が長くつづいた。『萬葉集』完成以後、約百三十年間(平安朝前期)、わが國の文学は漢文学であった。漢詩の勅撰集は撰進されたが和歌の勅撰集の撰進はなかった。

「やまとうた」は、「まつりごと」から発生したと考へるのが正しいのではないか。日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。そのまつりごとにおいて祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。祭祀における「となへごと」は、やまとうたのみならずわが國の文藝全体の起源である。

祭祀における「となへごと」は、「七・五調」あるいは「五・七調」に自然に整へられたといへる。これは「七・五調」あるいは「五・七調」といふ調べに、日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるといふことである。そして和歌が「五・七・五・七・七」といふ短歌形式になっていったのであらう。

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