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2011年9月18日 (日)

神道と近代日本

村上重良などの左翼歴史学者・宗教学者は、明治初期から終戦までの間、神社神道が国教とされ他の宗教は抑圧されたという説を喧伝している。しかしそれは大いなる誤りである。

明治維新当初は、祭政一致の古代国家再生が実行されようとしたが、それは文明開化路線とは相容れずかつまた仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。村上の説は誤りである。神道はむしろ形骸化されたというべきである。

当時の権力者・伊藤博文、井上毅などはほとんどは政教分離論者であったという。近代化か促進されるとともに、祭政一致の理想は軽視されるようになった。第二維新すなわち明治維新の理想貫徹をめざした人々=神風連は勿論、西郷隆盛や江藤新平らは、大体神道を重んじ、キリスト教や仏教には批判的であったが、そういう勢力は疎外されてしまった。

ともかく「国家神道制度が神道の宗教活動を抑圧した。外来宗教を排斥した」というのは誤りである。むしろ、『国家神道制度』は、神社神道を骨抜きにしたと言い得る。

窮極においては、日本民族は日本伝統信仰に回帰すべきである。これは外来宗教排斥ではなく外来宗教融合摂取の基盤確立であり確認である。それをしなかったら日本が失われる。神道の伝統精神まで骨抜きにされては困る。特に造化の三神への信仰の否定は神道の根本を否定することとなる。そうした「国家神道」が国民の正しい精神を涵養できなかったのは当然である。これが明治以後の日本の大欠陥である。

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