« 千駄木庵日乗八月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十五日 »

2011年8月25日 (木)

三木清氏の『哲学入門』を読んで思う

今、哲学のことを勉強しようと思い、三木清氏の『哲学入門』(岩波新書)というのを読んでいる。「入門」と名付けられている本だから、さぞや分かりやすく書いてあると思っていたら、大違い。極めて難解である。一ページ読むのに相当時間がかかる。それでもよく理解できない部分が多い。

たとえば次の文章。

「カントは知識の普遍妥當性の根據を主として知識の形式の先驗性に求めたのであって、その批判論は先驗主義であり從ってまた合理論的色彩が強いといはれるであらう。知識の先驗的形式はそれによって直觀に與へられた内容を統一する主觀の形式である故に、彼の批判論はまた主觀主義である。カントの主觀はもとより個人的な經驗的自我でなく、超個人的な先驗的自我であり、その根本的な作用は先驗的統覺と呼ばれてゐる。」

「汝が眞に汝として我に對するためには我が眞に我でなければならぬ。」

専門用語即ち難しい哲学用語が並べられていて、何が言いたいのかさっぱり分からない。

ただ次のような言葉は何となくわかるような気がする。

「人間は環境を形成することによって自己を形成してゆく、――これが我々の生活の根本的な形式である。」

「行為するとは身體をもって自己の外にある存在に働きかけることである。」

次の論述は、近代科学技術文明の本質を言っていると思う。

「人間は技術によって新しい環境を作りつつ自己を新たにするのである。環境を變化することによって環境に適應するといふ人間の能動は知性によって發揮される。知性は人間の行爲により高い形式を可能にするのである。技術は先づ物質的生産或ひは經濟的技術を意味してゐる。」「人間は技術を以て環境を支配することによって獨立になるのである」。

             ◎

人間の「知性」が物質的・経済的「科学技術」を発展進歩せしめ、それによって環境を作り変え、より高い形式の生活を営む、ということを言っていると私は理解する。環境とは言うまでもなく自然である。物質的・経済的に自然作り替えることが人間の「高い形式」の新しい環境を獲得するということであろう。

かかる考え方が基本となって、近代科学技文明は発展し、人間は快適な生活を獲得してきた。しかしその反面、自然環境は破壊され、核の軍事利用・平和利用の両面において人間の生命と地球は危機にさらされているのである。その根本的解決について三木清氏は、「倫理の確立」を言っておられる。

|

« 千駄木庵日乗八月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十五日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/52560594

この記事へのトラックバック一覧です: 三木清氏の『哲学入門』を読んで思う:

« 千駄木庵日乗八月二十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十五日 »