« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月31日 (水)

NHKとテレ朝による憲法の「立憲君主制」の規定を無視した重大な誤報

NHKも、テレビ朝日も、ニュースで、「野田新総理」と繰り返し報道していた。これは実におかしい。と言うよりも立憲君主制の憲法の規定を無視した重大な誤報である。

『現行占領憲法』第六条には、「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」と規定されている。今日は、天皇陛下による内閣総理大臣親任式並びに内閣閣僚の認証官任命式が執り行われていない。したがって、野田氏はまだ総理大臣ではないし、野田内閣はまだ発足はしていない。

NHKとテレ朝は、憲法の規定を無視しているのみならず、天皇を君主と仰ぐ國體をも冒瀆していると言わざるを得ない。

菅内閣は今日の閣議で総辞職した。しかし、菅総理は今日の閣僚懇談会で全閣僚に「本当によくやっていただいた。(野田内閣の)認証式が終わるまでは我々が危機管理の責任を負うので、万全を期してほしい」と呼びかけた。菅氏は、国会で総理に指名された直後の「記者会見」で、「これから皇居での手続きがある」などと、不敬千万なことを述べたが、今日はまともなことを言った。

かつて、佐藤栄作氏が國会で総理に指名されただけで、親任式が終わっていないのに、総理官邸に来て執務を開始しようとしたら、当時の石岡實内閣官房副長官(事務)が「皇居における親任式が済んでいないのですから、官邸を使うことはできません」と諫言した。尊皇精神篤い佐藤栄作氏は、そのことでかえって石岡實氏を大変信頼したという。

石岡氏は、終戦時の警視庁特高第二課長として愛國団体の終戦阻止行動などに対処し、戦後は、警視庁公安部長・内閣調査室長などを歴任した。愛宕山の「尊攘義軍」(終戦直後、終戦に反対して愛宕山にて集団自決した愛國者)の慰霊祭には必ず参列されていた。古武士のような風格の方であった。

ともかく、正式に総理大臣に任命されていない人を「新総理」と呼ぶのは誤りである。 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京文化会館にて、知人ご夫妻と懇談。福井ご出身の大先輩で、内外情勢、歴史問題などについて貴重なお話をうかがった。

この後、病院に赴き、父に付き添う。少し精神的に安定していない。ずっとベッドの上で拘束されているのだから無理もない。本当に胸が痛む。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

| | トラックバック (0)

2011年8月30日 (火)

民主党代表選挙結果に思う

私は、今の民主党の中では、野田佳彦氏を評価していたので、今回の結果は良かったと思っている。しかし、野田氏は保守なのだろうが、野田氏を支援した人たちには、左派が多い。菅直人・仙谷由人・江田五月という人は、反小沢だが、もともと革命勢力である。ゲバ棒を持って暴力革命を目指した連中と同類だった。国家基本問題で、野田氏がどのような姿勢を示すかが問題である。特に江田氏は本当ににゲバ棒を持って自民党本部に殴りこんだ人物だ。こういう人か判事そして参院議長になったのだから日本は不思議な国である。

民主党は世代交代が実現したということだろう。鳩山・小沢という所謂「小鳩連合」は今後どうなっていくのか。昔、『愛の灯かげ』(西条八十作詞・古賀政男作曲。奈良光枝・近江俊郎のデュエット)という流行歌の歌い出しは「住むに家無き小鳩の私 雨に泣いてた焼け野原」という歌詞であった。

投票の直前に、職員がカラの投票箱の中をみんなに見せたのはおかしかった。アダチ龍光氏の手品を思い出した。

もともと鳩山氏系で、軽井沢で小沢・鳩山を元気づける気合の音頭をとっていた中山義活氏が、今日は、鹿野道彦氏の会合で同じような音頭をとっていた。体育の先生をしていたようなのでこういうことが好きなのだろうか。中山氏は鳩山氏から鹿野氏に鞍替えしたのだろうか。それとも、海江田氏がよほど嫌いなのだろうか。小生の地元選出なので気になる。

| | トラックバック (0)

ある講演の記録

ある方の講演記録を掲載します。

「東日本大震災における死者・行方不明者は、二万人強。これは、戦後六十五年間の自然災害による死者・行方不明者の合計数と同じ。陸前高田市は市民の九%が亡くなった。人口の多い所で起こった大震災としては歴史上最大。建物の倒壊での死者はほとんど出なかった。人類史上最初の例。耐震改修を熱心に行った成果。凄い水流で遺体がバラバラになった例が多い。

慶長大地震・大津波は、伊達政宗が仙台に来た直後に起こった。その時立てた対策が今日生きた。十五メートルの津波が来ても、慶長大地震の時に建てられた神社や祠が残っている。四百年前に被害が無かっだった場所に『神様のお蔭だ』と信じて神社や祠が建てられたからだ。伝統文化が大事。お寺は、昔の人が作った避難場所。先祖のお蔭で助かったことが沢山ある。

『安くて良い物を沢山売ります』というやり方は行き詰まっている。『みんなが言っていることは間違っている』というのが歴史の教訓。海外で日本製品が売れているのに、国内では売れていない。グローバルなものに関心を示さなくなっている。日本から儲けている国は少ない。フランスとイタリアはブランド品があるので対日貿易は黒字。

世界で一億円以上の自宅以外の金融資産を持っている人の六人に一人が日本人。日本には富裕層が一三七万人いる。中国は四十八万人。ドイツは八十一万人。英国は三十六万人。日本は人口が増えて地価が上がり、世界中から金が集まっている。相続税を払う平均年齢は六十七歳。この年になるとお金はあまり使わない。小判は価値があるが、証券・金券は価値なし。若い人に金が回らない。経済不況になる。社会全体が貧乏になる。過剰供給・価格崩れの悪循環。若い人の給料を下げるのを止めるべし。

需要総量が減少していく中、安物の大量販売に活路はない。コンビニの弁当は買わない。マクドナルドは食べない。こだわっているもの・少量で価値のあるものを買うべし。地域の価値は環境と景観と文化。独自性のないものは通用しない。

三陸は世界一の漁場。恵まれすぎて出来ないことがあった。土佐の鰹節・小田原の蒲鉾のようなものが三陸には無い。生のまま東京に売って満足していた。加工品は売らなかった。だから儲からない。隠岐の島のは加工品製造で雇用が生まれている。三陸は本気になって十年から二十年かけて加工品を作るべし」。

         ◎

経済のことはよくわからないが、ともかく、伝統を大切にし、神仏を敬い、父母を大切にし、真面目に生きていく、という事が大事なのだありましょう。

|

千駄木庵日乗八月二十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2011年8月29日 (月)

許すべからざる篠田正浩の暴言

篠田正浩という人はやはりおかしい。今日のディスカッションで、次のようなことを言っていた。

「①天皇は、戦後『人間宣言』をしたのだから、天皇陵を考古学研究のために発掘してもかまわない。そこから考古学が生まれる。

 総理大臣が四年間任期を全うせず、よく交代するのは、日本に民主主義が正しく根付いていないからだ。その原因は、古代の卑弥呼のような祭祀を行う君主がいるからだ」。

        ○

篠田は、天皇御陵は人間の墓だからどんどん発掘してもかまわない。発掘しない限り日本の考古学は生まれないと言っているのだ。人間の墓も、その尊厳性は保たれるべきである。他人が自由な発掘していいということはあり得ない。篠田の家の墓が他人に発掘されても文句を言わないというのか。馬鹿なことを言うものではない。

まして、歴代天皇の御陵は、神聖なる日本天皇の御神霊が鎮まりましているのである。その尊厳性・不可侵性は厳しく保たれるべきだ。それと考古学の発達とは無関係である。篠田は、「現御神信仰」を正しく理解していないからこのような暴言を吐くのだ。

日本の政治が混乱しているのは、最近の政治家が無能だからである。戦前戦後を通じて、長期にわたって政権を保った総理が多数いる。総理がコロコロ変わるのは最近になってからだ。それを上に天皇がおわしますからだなどと言うのは全く見当違いの発言だ。

上に、天皇がおわしますからこそ、今日のように、いくら政治が混乱しても、国難に見舞われても、国家の統一と安定が基本的に保たれているのだ。それはわが国の歴史を通観すれば火を見るよりも明らかである。天皇の御存在こそが、日本国永遠の隆昌の基である。

篠田正浩は、かつて、「ゾルゲ事件」を扱った映画を製作したが、その映画では、謀略を用いて日本を戦争に追いこんだ旧ソ連のスパイ・ゾルゲを、英雄のように描いていた。

今日の暴言・与太話を聞いて、篠田正浩は実に以て許すべからざる人間であることを改めて認識した。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十八日

午前は、母のお世話。

午後一時より、両国の江戸東京博物館にて、『東京新聞フォーラム よみがえる古代の大和 卑弥呼の実像』開催。菅谷文則奈良県立橿原考古学研究所所長が基調講演。続いて、武田佐知子大阪大学大学院文学研究科教授・篠田正浩(映画監督)・菅谷文則氏・入倉徳裕奈良県立橿原考古学研究所総括研究員によるパネルディスカッションが行われた。内容は、後日報告します。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がっていた。一安心。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

| | トラックバック (0)

2011年8月28日 (日)

『日本書紀』の地震に関する記事を読みて思う

今、『日本書紀』を読んでいる。

巻第十三の允恭天皇五年(四一六)七月の条に次のように記されている。「五年の秋七月(ふみづき)丙子(ひのえね)朔(ついたち)己丑(つちのとのうしのひ)に。地(なゐ)震(ふ)る。」

これが『日本書紀』に記された地震の記事の初出である。ということは国史の文献にはじめて記された地震の記事ということである。

巻第二十二の推古天皇七年(五九九)四月の条に次のように記されている。「七年の夏四月(うづき)の乙未(きのとのひつじ)朔辛酉(かのとのとりのひ)に、地(なゐ)動(ふ)りて。舎屋(やかず)悉(ことごとく)に破(こぼ)たれぬ。則ち四方(よも)に令(のりごと)して、地震(なゐ)の神を祭(いの)らしむ」。

この時は相当の被害であったようで、朝廷は全国で地の神を祭るようにという「詔」を発せられた。

この後も、天武天皇の御代に大きな地震災害があったことが記されている。

わが国は、地震の多い国である。そして朝廷は、地の神を祭り、平安を祈られたのである。

今日の日本は大きな転換点に立っている。激動の時代であり混迷の時代であることは確かである。それは、政治経済面のみならず、自然環境も激動の時代である。歴史を回顧すると、時代の転換期には、自然災害が起こることが多かった。

わが國は悠遠の歴史を有している。三千年に及ぶ歴史を貫いて来たわが日本の傳統精神、民族の精神的核に立ち返って、現状を正しく観察し、変革と安定の方途を見出すべきである。

我が國は過去において何回か國家的危機に際會し、見事に乗り越えて来た。

大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行はれた。元寇=蒙古襲来の時、日本國民は愛國心を燃え立たせ神國意識を強固なものとした。明治維新は欧米列強による侵略の危機があった時に行はれた。

今日においてもわが國の本来の姿に回帰することによって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。

民族の歴史と傳統の精神を基本原理とする日本の革新即ち維新は、それを志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。その源泉は、天神地祇への祭祀である。

わが日本國民が護るべき最高のものは傳統精神であり、変えるべきものは国家民族の真姿を隠蔽する全ての事象である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き父に付き添う。微熱がある。額などに手を当てて快癒を祈る。心配である。

帰宅後は、『伝統と革新』次号の編集準備。執筆依頼のお手紙の作成など。

| | トラックバック (0)

2011年8月27日 (土)

民主党代表選に思う

総理大臣の交代が日常茶飯事というのはまことに困ったことだ。日本はこのままでは本当におかしくなるのではないかという危惧を抱く。

テレビニュースで、福島の方が「総理が替わっても、どうこうなるものじゃない。我々が頑張るしかない」と言っていた。本当にそう思う。こういう国民がいるから、日本はまだ崩壊しないのだ。政治家が三流だろうと四流だろうと、国民が頑張るしかない。

農水大臣をしている候補者が「党が一つになるしかない」と叫んでいたが、それなら自分が立たなければいいのだ。おかしなことを言う。

鳩山元総理は、「マニフェストの原点に返る」などと言っているが、実現不可能なマニフェストが破たんしたから、今日の体たらくになったのだ。自分が総理の任をまともに勤められなかったくせに、こんなことを言うのというのはまさに無責任の極みだ。第一、鳩山は総理を辞めた直後、「もう政治家を辞める」と言っていたではないか。無反省・無責任の見本のような男だ。菅のみならず鳩山もペテン師だ。

無反省と言えば菅直人も然り。辞任の記者会見で「やるべきことはやった」と笑いながら言った。一言の反省の弁も無く、本人がこういうことを言うのはまったく無責任だ。

昔、自民党の総裁になってくれと言われた伊東正義氏は「表紙を変えるだけでは駄目だ」と言って断った。民主党は中身が駄目なままで表紙を変えようとしている。一刻も早く政権の座から降りるべきだ。

小沢一郎の影響下・支配下に置かれる総理では駄目だ。その意味では、野田氏が良いと思う。前原氏は今回は野田氏に譲るべきだ。

| | トラックバック (0)

『都営交通100周年記念特別展』参観

今日参観した『都営交通100周年記念特別展「東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄のいま・むかし~』展は、「東京都交通局は本年八月一日に創業百周年を迎えます。…本展は、明治から大正、昭和、平成に至る東京の交通百年の歩みを、交通局所蔵品を中心とする様々な資料(車両模型、都電系統板、乗車券、ポスターなど)で振り返ります。この特別展を通じて、東京の懐かしい姿に思いを馳せていただくとともに、都営交通へのご理解と愛着を更に深めていただければ幸いです。」との趣旨で開催された。


 三代歌川広重「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」大判錦絵三枚続、「系統板」昭和三十~四十年代(東京都交通局所蔵)、大正十三年「東宮殿下御成婚奉祝花電車」絵葉書、函館市企業局ササラ電車(旧東京市電ヨヘロ1形)、旧東京市営バス(愛称 円太郎バス)、都電六〇八六号車の実車、ヨヘロ一形の実物大モックアップ(模型)などを見る。

わが町を通る不忍通りは、昭和四十年前半までは、江戸川橋―須田町間の二十番、そして神明町―銀座間の四十番の電車が走っていた。よく利用した。大正六年の路線地図に小生の住む「駒込坂下町」(旧町名)が載っていた。大正四年の路線図には無いから、この頃わが町にも市電が開通したらしい。

関東大震災直後の九月六日には、わが町を通る神明町・上野間の市電が復旧したという。また、急遽アメリカから大量の自動車を購入して乗合バスとして運行したという。

先日の『一水会フォーラム』で猪瀬直樹氏が、この展覧会を参観した人がいるかと問いかけ、一人もいなかったので、猪瀬氏は「もう少し好奇心を持った方がいい」と言った。また、猪瀬氏は講演で、今の東京都交通局が戦前は電気局と言う名称だったのは、電力供給の仕事もしていたからだと言ったので、そのことを詳しく知りたいと思った。また私の母は、戦前の独身時代に、東京市電気局交通統制調査課に勤務していた。

以上のことがあったので、この展覧会を参観したのである。電力供給のことは全く展示されていなかったのは非常に残念であった。

しかしお年寄りから子供まで楽しそうに参観していた。

110826_162202

都電六〇八六号車の実車(内部)

110826_162701

都電六〇八六号車の実車

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、両国の江戸東京博物館にて開催中の『東京の交通百年博ー都電・バス・地下鉄のいま・むかし』展参観。

帰途、湯島にて、知人と懇談。日韓関係・尖閣・竹島問題なとについて語り合う。

帰宅後は、原稿執筆。


| | トラックバック (0)

2011年8月26日 (金)

この頃詠みし歌

不慮の死といふ言葉は深く胸を打つ 懐かしき友の写真を見つつ

悲しみの深きしらべの歌を読み こみ上げてくる涙なりけり

あれもこれも読むべき本が並びゐる書棚を見つつ溜息をつく

ラーメン屋の二階のトイレに入りしかば蒸し風呂のごときその暑さはや

わが身をば焼き尽くすごとき暑さならわが煩悩を焼き尽くしたまへ

油虫に殺虫剤を吹きかけて殺生といふ罪を思へり

光りあまねき世となるべしと祈りつつ明るき部屋で友と語らふ

眼鏡とは体の一部といはるるに置き忘れること多きこの頃

飼ひ主に従ひにつつ愛らしき仕草で犬はわが前を行く

人を憎む心を何とか鎮めむと真向ふ仏に経読みてゐる

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十五日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月25日 (木)

三木清氏の『哲学入門』を読んで思う

今、哲学のことを勉強しようと思い、三木清氏の『哲学入門』(岩波新書)というのを読んでいる。「入門」と名付けられている本だから、さぞや分かりやすく書いてあると思っていたら、大違い。極めて難解である。一ページ読むのに相当時間がかかる。それでもよく理解できない部分が多い。

たとえば次の文章。

「カントは知識の普遍妥當性の根據を主として知識の形式の先驗性に求めたのであって、その批判論は先驗主義であり從ってまた合理論的色彩が強いといはれるであらう。知識の先驗的形式はそれによって直觀に與へられた内容を統一する主觀の形式である故に、彼の批判論はまた主觀主義である。カントの主觀はもとより個人的な經驗的自我でなく、超個人的な先驗的自我であり、その根本的な作用は先驗的統覺と呼ばれてゐる。」

「汝が眞に汝として我に對するためには我が眞に我でなければならぬ。」

専門用語即ち難しい哲学用語が並べられていて、何が言いたいのかさっぱり分からない。

ただ次のような言葉は何となくわかるような気がする。

「人間は環境を形成することによって自己を形成してゆく、――これが我々の生活の根本的な形式である。」

「行為するとは身體をもって自己の外にある存在に働きかけることである。」

次の論述は、近代科学技術文明の本質を言っていると思う。

「人間は技術によって新しい環境を作りつつ自己を新たにするのである。環境を變化することによって環境に適應するといふ人間の能動は知性によって發揮される。知性は人間の行爲により高い形式を可能にするのである。技術は先づ物質的生産或ひは經濟的技術を意味してゐる。」「人間は技術を以て環境を支配することによって獨立になるのである」。

             ◎

人間の「知性」が物質的・経済的「科学技術」を発展進歩せしめ、それによって環境を作り変え、より高い形式の生活を営む、ということを言っていると私は理解する。環境とは言うまでもなく自然である。物質的・経済的に自然作り替えることが人間の「高い形式」の新しい環境を獲得するということであろう。

かかる考え方が基本となって、近代科学技文明は発展し、人間は快適な生活を獲得してきた。しかしその反面、自然環境は破壊され、核の軍事利用・平和利用の両面において人間の生命と地球は危機にさらされているのである。その根本的解決について三木清氏は、「倫理の確立」を言っておられる。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十四日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーの方来宅。今後の介護計画について相談。

午後は、資料の整理。

午後六時半より、銀座紙パルプ会館にて、『農山漁村資源開発協会&銀座ミツバチプロジェクトチームフォーラム』開催。藻谷浩介氏(日本政策投資銀行地域振興グループ地域支援班参事役)が「日本再生と地域の活性化」と題して講演。(実に興味深い講演であった。内容は後日報告します)質疑応答。最後に、頭山興助代表理事が挨拶。

帰宅後も、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

前原氏立候補・伸助氏引退・テレビについて

今日、引退表明した芸能人は、私はあまり好きではない。したがって、どうでもいいことだが、少し書かせていただく。記者会見で話している内容を聞くと、あの程度のことは、芸能人のみならず、政治家でもやっているのではないか。政治家・芸能人・会社経営者などが、もめごとの処理・解決を「ヤクザ」と言われる人に依頼することはよくあることである。しかも数年前の話だ。なんで今頃問題になったのか。誰でも何か裏があると思うのではないか。

それにしても、テレビ報道で、一芸能人の不祥事による引退表明が、政権与党の代表選よりも大きくあるいは同じくらいに扱われるというのもおかしな話である。前から言っていることだが、今、節電が呼びかけられている。製造業や交通機関でも、節電が行われている。私は、テレビ局は、料理番組。買い物番組、そしてくだらないバラエティ番組を休止して、節電に協力すべきだと思う。これらの番組の制作に使われる電力、そして視聴に使われる電力は相当な量なのではないか。

私は、前原氏は、尖閣事件の対応を見ても、今の民主党の中ではまともな政治家かと思っているが、外国人からの献金問題で外相を辞任してからまだ一年も経過していないのに、総理大臣になろうとするのはやはりおかしい。もう少し時間をおいた方が良い。まして、小沢一郎と妥協してまでとなると問題が多い。前原氏が総理になったら、献金問題と小沢氏との関係を、野党やメディアに攻撃されることは目に見えている。ここは野田氏の応援に回るべきだ。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2011年8月23日 (火)

「美辞麗句」が、世の中に混乱と破壊をもたらす

報道によると、八月十一日、ロシア議会上院、連邦会議国際問題委員会、ミハイル・マルゲロフ委員長は、インターファックス通信に対し、イギリス各地で発生しているような暴動の危険性はほかのヨーロッパ各国でも繰り返される恐れがあるとの見解を明らかにしたという。

 イギリスでの暴動事件の主な原因としてマルゲロフ委員長は、多文化共存政策の失敗にあると見ており、これより先、ドイツ、フランス、イギリス各国の首脳がそのような政策が失敗したことをすでに指摘していたことを挙げているという。

 マルゲロフ委員長は、多文化共存と寛容の価値観は、ヨーロッパ人にとっても、移民達にとっても受け入れられないものだと指摘しており、移民達はヨーロッパ的価値観を認めず、尊重していないと語っているという。

「共存」とか、「寛容」とか、「共生」という言葉を「美辞麗句」と言う。まさに美しく華麗な言葉である。こういう言葉を出されるとだれも文句が言えなくなるくらいだ。しかし、実際には、こういう「美辞麗句」が、世の中に混乱と破壊をもたらす。

 共存・共生・寛容は大切だが、実際にどう実現するかが問題なのだ。近年のヨーロッパの混乱は、具体的な方策をきちんと立てることなく、こうした「美辞麗句」を無理に実行に移そうとしたことにある。

二千年来のユダヤ・キリスト・イスラムの対立は、そう簡単に「多文化共存と寛容の価値観」を実現することはできない。

日本で言えば、あの鳩山由紀夫氏の唱える『友愛』もその危険がある。彼は「日本列島は日本人だけのものではない」と言ったそうである。これは、話にもならないばかばかしい考えと言うか妄想である。

鳩山氏自身、「友愛」を説きながら、実の弟とすら「友愛関係」を構築できず兄弟喧嘩ばかりしているではないか。自分の後継総理とも「友愛関係」を構築できず『ペテン師』呼ばわりしたではないか。

「自然との共存」もそう簡単ではないことは、今回の大震災で身にしみて分かった。共存・共生・寛容・友愛という「美辞麗句」に惑わされて、国家国民の平和な生活を破壊してはならない。「気をつけよう、甘い言葉と暗い道」という言葉は真実である。

ヨーロッパの轍を踏まないためにも、日本も、外国人や外国文化の流入にはよほど気をつけないといけない。日本国に対する忠誠心をきちんと保持している人に限って帰化させるべきだ。ましていわんや外国籍のままの人に参政権を持たせてはならない。また、日本文化の独自性をきちんと確立した上での外来文化の受容が大切である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。ここに書くことができない色々な事がある。父が可哀想である。息子と雖もどうすることもできない。

この後、西日暮里にて、学生時代の友人と懇談。

帰宅後も、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2011年8月22日 (月)

猪瀬直樹氏の講演

八月十七日の『一水会フォーラム』における猪瀬直樹東京都副知事の講演

「明治維新で、日本人が世界史の中に入って行った。時間的・空間的に自分たちが何処にいるのかを発見した。それまではガラパゴス(独立した小宇宙)であった。黒船が来て世界史の扉が開いた。黒船の射程距離に江戸城があった。黒船はヨーロッパ文明の化身。近代が我々の前に現れた。

アリューシャンから台湾までの列島は、大陸が外に出る通路を塞いでいる。日本列島以外のアジアは帝国主義に呑み込まれてしまった。一九四五年八月十五日以降、日本は戦争を想定外にした社会になった。そういう時代は人類の歴史には無い。戦争を想定して全てのコミュニティ・国家・村を作って来た。戦後の日本はディズニーランドのような世界にいる。門番のアメリカ兵は見えなくなっている。ディズニーランドの内側は平和。日本の戦後は幸福な時代を生きた。東日本大震災で、戦後は終わった。震災後社会に入った。想定外は無い。

東京湾に天然ガス発電所を作る。東京水道の海外進出を開始。国際貢献ビジネス。東京の水は世界一の水。去年の今頃マレイシアに売り込みに行った。水道は大変な技術の結晶。江戸の町には辻々に水道があった。羽村の堰から玉川上水を通って太い木簡の水道が江戸の町に来ていた。緻密な設計だった。高低差で設計して八王寺の水が江戸に流れた。

二宮金次郎が薪を背負っていたのは、お金になるから。エネルギーを売っていた。近世と近代の違いは電気というエネルギーがあるかないか。近世のエネルギーは焚き木。『桃太郎』の『お爺さんは山に柴刈りに』というのは、エネルギー源の枯れ木を狩りに行ったのだ。その日の燃料を山に取りに行った。黒船も『薪をよこせ』と言った。産業革命は近代革命の基本パワー。日本はヨーロッパの制度のみならずエネルギーを受け入れた。それが石炭であり電気だった。

『江戸交通百年』とは『電気百年』。芝浦に火力発電所を作った。明治四十四年、東京市電気局創設。路面電車(市電)事業と電気供給事業を開始。西武・東急などは自分で電力を供給しなければならなかった。小さな発電所は数多くあった。戦時統制で一つになった。昭和十七年、電力管理法に基づく電力統制により配電部門を東京市電気局から分割、関東配電(東京電力の前身会社)に移譲。こうした経緯から、東京都は東電の設立当初から大量の株を取得している。東京都のバス事業会計に東京電力の配当金が入る。それで何とか赤字にならない。

夕張に東京都職員を派遣した。それが被災地支援のモデルになっている。森ビルは、六本木ヒルズに外資の店子を得るために六本木ヒルズの地下に発電所を作った。ゴールドマンサックスにとって想定外はあり得ない。大規模ビルでは一定期間の電力を賄う非常用電源が装備されているケースが多いが、震災後に燃料不足が起これば、機能を停止せざるを得ない。しかし、六本木ヒルズの場合、ガスタービンを活用したシステムのため、燃料である都市ガスが供給されている間は発電が可能。まさに都心の発電所の機能を果している。

東京が大地震に襲われても、分散型で生き残れる余地を作る。『東京エリアの地下発電所として東京湾に百万キロワットの天然ガス発電所を作ろう』と石原都知事に提案した。急場をしのぐには天然ガスでないと駄目。八月二日にプロジェクトチームを立ち上げた。

全国知事会で、福島県知事から、『東京は福島の原発から電気の供給を受けているのに、感謝の気持ちが無い。その代り原発反対のデモ隊を寄こす』と文句を言われた。フラストレーションがたまっていた。こういう時に福島を助けないといけない。節電が大事だと言っても、電気の生産者の姿が見えないと実態が分からない。

昭和十六年夏、総力戦研究所で日米戦争の展開を研究予測した。その結果、『開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能』という『日本必敗』の結論を導き出した。これは現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった。

昭和十二年から十三年にかけて人造石油計画(石炭液化)を立てたが、工場で生産できるまでにはいかなかった。ドイツは成功した。

中東石油一辺倒では危ない。油母頁岩(ゆぽけつがん・オイルシェール。油母を熱分解することで、合成石油にすることができる。石油の代替エネルギーとなり得るという)はカナダなどに無尽蔵にある。当面は、天然ガスしかない」。

         ○

大変勉強になった。私の母は、戦前の独身時代に、東京市電気局に勤務していた。電気局の由来というか故事来歴を初めて知ることができた。

東京の大震災が来た時に、エネルギー源の確保が大問題となる。我々は原子力発電の危険性を、身を以て体験した。代替えエネルギーを真剣にそして早急に確保しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。昨日来ることができなかったので心配だったが、落ち着いた容態だった。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月21日 (日)

愛国運動と宗教

明治維新の思想的基盤は、水戸学と共に神道国学の精神があった。国学四大人と呼ばれる本居宣長・平田篤胤・荷田春賀茂真淵の思想的影響は大きい。

それと共に、幕末期には、黒住教・天理教・金光教という所謂教派神道三教団が立教した。この三教団が、神社神道と異なる所は、教祖がおり、独自の経典があり、布教活動を行うということである。そして、病気・貧困などに苦しむ民衆の救済を行った。

さらに、幕末期には、民衆による伊勢参宮が盛んに行われた。これを「おかげ参り」という。つまり、明治維新という未曽有の変革の精神的基盤には、国民全体の宗教的情熱があったのである。

明治二十五年に立教した教派神道・大本教は、大正維新運動・昭和維新運動において大きな働きをした。教祖の出口王仁三郎は頭山満・内田良平両氏の深い交わりがあった。そして『立て替え立て直し』『神政復古』を唱え、昭和神聖会という愛国運動組織を作った。

しかし、昭和十年に、政府権力による大本教大弾圧が行われ、殆ど壊滅状態に陥った。これは、大本教と愛国維新運動が一体となって国家変革を実行するのを権力側が恐れたためと言われる。その後、大本教にとってかわるように、愛国宗教として大きな活動を行ったのが生長の家であった。

こういう歴史を紐解くと、維新運動と宗教はとても深い関係にあるということが分かる。特定教団と結び付くということではなく、愛国運動・維新運動には、敬神・尊皇・崇祖という日本伝統信仰に立脚した信仰的情熱が不可欠である。それが基本と言ってもいい。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二十日

午前は、母のお世話。

この後、『政治文化情報』発送作業・完了・送付。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると思います。

午後六時より、新橋の港区生涯学習センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邊昇氏が司会。「愛国運動と宗教」をテーマにして、瀬戸弘幸氏と小生が講演。質疑応答。終了後、懇親会。談論風発。

帰宅後は、諸雑務。

| | トラックバック (0)

2011年8月20日 (土)

『三議員を断固支持する緊急国民集会』における登壇者の発言・その二

『三議員を断固支持する緊急国民集会』における登壇者の発言・その二

下条正男氏「竹島問題は一九九六年からの関わり。韓国の雑誌に『竹島は日本領』と書いたら勤務していた韓国の大学をクビになった。今回は森喜朗の神通力が利かなかった。二〇〇五年の『竹島の日』制定に反対したのも自民党議員。官房長官から『止めろ』と言ってきた。我々が国会議員をコントロールすべし。韓国と断交するより併合すべし。日本が生まれ変わらねばならない。松下政経塾が日本のガン。韓国をいじめて楽しむ趣味を持つべし」。

頭山興助氏「胡錦濤の秘書が私の所に来て、『日本国憲法がある限り我々は安心』と言っていた。六十六年間憲法をほったらかしにしてきたら、外国が良い気になるのに決まっている。軍があってこそ外交が成り立つ。『皇室を大切にすべし』が教育の根幹。ここに心を一つにした時、中露も『またやられる』と思って逃げ出す。強い軍をもう一回作り出すべし。『天皇陛下万歳』を奉唱して死ねる人間を作り出すべし」。

水島総氏「韓流ブームは電通とフジテレビが組んだ洗脳工作。日本国解体を目的としている。日本合衆国という多民族共生国家にして國體を変革することを、フジテレビと電通がやっている。金浦空港での韓国人の抗議行動を見た世界の人々は、『韓国人とはこんな連中か』と思った」。

すぎやまこういち氏「日本は、日本軍と反日軍の内戦状態にある。メディアを選別する目を磨くべし。電通を握れば全国の民放を動かせる。電通の中にかなりの反日軍が入り込んでいるような気がする。企業トップになっている五十代・六十代の人たちが日教組の洗脳を一番受けている。その後の年代そうでもない。国会議員の入国拒否は無礼千万。自民党は烈火のごとく怒らねばならない。韓国は法治国家にあらずということを世界に宣伝すべし」。

鈴木信之氏「三人の国会議員と鬱陵島に渡る予定だった。韓国人からの投石と盾になろうと思った。韓国では『首謀者は下条』と報道されていた。村田氏とともに韓国に入った。この動きを中露は見ている。竹島・北方領土・尖閣はリンクしている。国会議員は再度行くべし。韓国を困らせるべし」。

村田春樹氏「狂犬には棒が必要。『北方領土の日』の記念式典に国旗が掲げられていなかった。国歌も歌われなかった。『竹島の日』の式典には一人の大臣も来なかった。その式典で正論を言った石原伸晃は、今回の三議員の訪韓に反対した」。

木村三浩氏「我々がどんどん韓国を訪問し、鬱陵島を視察しよう。今回の壮挙を基礎として戦いをしよう。来年二月二十二日に大行動を起こそう。日の丸を破った人々への処罰を要求しよう。それが行われなければ駐韓日本大使を召還すべし」。

           ○

領土問題の解決は最終的には「力」しかない。現実に、韓国は「力」で竹島を占拠し、ロシアは「力」で北方領土を占拠し、共産支那は「力」で尖閣をそして沖縄を侵略しようとしているのだからそれは当然である。今すぐ戦争を開始するというのではなく、外交には軍事の背景が無ければならないということである。『外交とは華麗に礼装した軍事である』という言葉は真実である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、発送準備。

| | トラックバック (0)

2011年8月19日 (金)

『三議員を断固支持する緊急国民集会』における登壇者の発言・その一

八月十一日に開かれた『新藤・稲田・佐藤三議員を断固支持する緊急国民集会』における登壇者の発言を報告します。登壇者の数か多かったので、数人ずつ分けて掲載します。

              ○

佐藤正久氏「八月一日に行った目的は、八月十二日の竹島で行われる予定だった韓国国会の委員会を阻止するため。入国拒否が大騒ぎになり、領土問題があることが国際社会にばれてしまった。我々が行かなければそうはならなかった。ファッションショーも中止。警告しても我々が来てしまったので韓国側はあわてた。『入国禁止の理由・法的根拠を教えてくれ』と言っても、準備していなかった。まともな説明なし。金浦空港に二百人のデモ隊が入ることができるのがおかしい。棺桶を担いで気勢をあげているのを、公権力が黙認していた。領土問題を先送りしてきた自民党も反省すべし。領土問題でどう向き合うのか。それをやるのが政治家。政治家がリーダーシップを示すことで扉が開く。鳩山も菅も個人の権利を国家権力から守ることをしてきた人。国益・主権を考えていない人が権力者になった。空港ロビーでデモをしているような韓国人に参政権を与えて大丈夫か」。

稲田朋美さん「わが党はあのマニフェストで政権を民主党にかすめ取られた。財源が無かった。やると言ったことはすべてやらず、やらないと言った消費税を上げることはやった。『天皇制打倒』を目指す団体に応援した貰った民主党政権が続く限り国家危機は続く。今回の行動は、自民党の『領土に関する特命委員会』の委員として、党務として鬱陵島視察をしようという真っ当な行動。私は今回が初めての公務の海外視察。記念すべき一回目の視察が入国拒否された。空港の入国事務所の女性所長が来て、入国を禁止すると通告した。その理由は『大韓民国の利益や公共の安全を害する行動をする恐れがあると認める相当の理由がある者』(出入国管理法十一条一項三号)に当たるからという。ところが、所長が説明した入国拒否の理由は、私たちの身辺の安全を確保できないことと、二国間の関係に悪影響を及ぼすという二点だった。奇妙なことに、所長の説明と適用条文は正反対の内容だった。私たちが危険にさらされるという理由で、私たちが危険人物(テロリスト)という条文を適用したのだから。日本にも入国拒否理由として同じ内容の条文がある。法務省の説明では、これはまさしく伝家の宝刀で、最後の最後に適用する。日本では過去一回しか適用したことがないということだった。なぜこの条文を韓国はあえて使ったのか。私の推測だが、この条文を使わずに、法律に規定のない理由で入国拒否をした場合、された側の国は、同じ理由でその国の人間を入国拒否できる。『法務大臣は、本邦に上陸しようとする外国人が前項各号のいずれにも該当しない場合でも、その者の国籍又は市民権の属する国が同項各号以外の事由により日本人の上陸を拒否するときには、同一の事由により当該外国人の上陸を拒否することができる』という規定が日本にあるからだ。つまり韓国が私たちのことを、竹島の日本領有を主張する政治家だから入国を拒否したとなれば日本は竹島の韓国領有を主張する韓国の政治家の入国を拒否できるのだ。だからあえてテロリスト条項を使ったのではなかったか。今回、友好国であるはずの韓国から入国拒否されるという異常事態になったことは残念だが、これを機会に竹島を日韓の議論の場に持ち出し、見せかけでない真の友好国になる一歩になれば幸いだと思っている。平沢先生は来ていないのに写真が出ていた。外国国旗を損傷したら罰せられる法律がある。日本政府は、日本国旗を損傷した人たちを罰するよう韓国に申し入れるべし」。

古賀俊昭氏「四人行くはずだったのに、敵前逃亡した人がいた。百人くらいの自民党国会議員で行くべきだった。わずか三人だったのは外交に腰が引けている証拠。島根県が『竹島の日』を定めた。政府は『北方領土の日』と同様に『竹島の日』を定めるべし。東日本大震災では、台湾からは支援があったのに、韓国からの支援は数字としては出てこない。日韓議連が『外国人参政権』推進の母体。民主党政権ではない時からそういう動きはあった」。

小磯明氏「日本は韓国に対し言うべきことは言うべし。日本人は怒っているぞと相手に伝えなければいけない。私は対馬に行った。対馬は以前の人口は七万人だったが、今は三万五千人。対馬にはアリラン祭りがある。韓国人観光客を呼ぶために行われる。石垣島や与那国の置かれている状況を国会議員は知らない。経済状況は厳しい。自衛隊は置かれていない。二人の警察官がいるのみ。中国では『琉球回復』が言われている。そして『小日本』を取得しようとしている」。

          ○

言うまでもありませんが、小生のメモと記憶によって書いているものですから、文責は小生にあります。竹島を不法に占拠する韓国、飛行場でわが国国会議員を入れる棺桶を担いだり、唐辛子を撒いたり、わが国の国旗を焼くなどという乱痴気騒ぎをする国民がいる韓国と、わが国が友好関係を保つことができるであろうか。『日韓議員連盟』(渡部恒三会長)に所属する日本の国会議員は、まず以て数多くの敵対行為を繰り返す韓国に強硬に抗議すべきであるにもかかわらず、何の行動も起こしていない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。主任看護師の方と相談。

この後、西日暮里にて、友人およびそのご家族の方々と懇談。談論風発。

帰宅後は、土曜日に行われる『日本の心に学ぶ会』における講義の準備など。

| | トラックバック (0)

2011年8月18日 (木)

ぺマ・ギャルポ氏の講演

八月六日に行われた『アジア問題懇話会』におけるぺマ・ギャルポ氏の講演内容は次の通り。

「今年三月、ダライ・ラマ法王は、政治的役職から身を引き、四百年続いた政教一致制度廃止を発表された。暫定憲法が決定され、亡命政府という言葉も使ってはならないということになった。民主化は手法であり、我々の目的は独立であり、中国の侵略への抵抗であったのに、目的が変ってしまった。

一九八九年、法王にノーベル平和賞が授与され、世界的関心が集まった。人権問題が表に出てしまった。平和は言うが、独立と言うと右翼と言われる環境ができた。『ペマ・ギャルポは右翼と絡んでいる』と言われるようになった。デモの時、日本の国旗とチベットの国旗を持ってはいけないということになってしまった。ダラムサラの状況は先輩達が何のために血を流したのか分からなくなってしまった。私は道義的責任を感じる。

北京政府は、七〇年代の開放政策で、ダライ・ラマ法王に会話を持ちかけ、私を含めた代表団が中国に行った。『独立以外は何でも話そう』と言った。連邦制度を中国は本気で考えていた。一九八〇年、胡耀邦によるチベットへの謝罪があった。胡耀邦の中国共産党主席就任に対するダライ・ラマ法王の祝電全文を『人民日報』が掲載した。本来のチベット領を確認するために北京政府の局長クラスが青海省・雲南省などを歩いて調査した。

一九八七年九月二七日、ラサにおいて二百人を超えるチベット人がデモを敢行した。公安の責任者であった喬石の命令で武器を持たないデモ参加者への無差別発砲が行われた。

ダライ・ラマ法王は、私たちに『独立を求めてはならない』とは一回も言っていない。人権派の人々は『独立を求めるのは法王の意志に反する』と言い出した。四百年以上続いたダライ・ラマ制度はなくなった。法王の純粋な民主化の思いが利用されるのは残念。亡命政府という言葉や国のマークも使えなくなった。北京政府の遠距離操作で今の状態になった。国内では若者が焼身自殺をした。

中国はチベットを呑み込んだかもしれないが、消化してはいない。チベット人の独立願望は消えていないし、中国政府の支配に納得している人はいない。チベット人にも抵抗する権利、先祖から受け継いできた土地を守る権利はある。伝統文化・自分たちの価値観に基づく生き方を守る。

ネパールでは難民を中国に引き渡している。中国はネパールを援助している。中国は着実に南アジアに入って来ている。今の中国は大火災になってもおかしくない状況。公安武装警察は三百九十万人いる。防衛予算より多い予算。盤石な国家体制になっていない。

チベット問題で、人権問題以上に許されないのは、植民地支配が行われていること。ラサでは、百軒以上ある売春宿から科学技術開発まで党と軍が支配している。私は七歳でヒマラヤを越えた。日本が『中華人民共和国倭自治区』にならないように願っている。私の第二の故郷・日本も危ない」。

司会の澤英武氏は「独裁国家の寿命は七十余年。ソ連は崩壊した。地続きの中国も同じ。」と語った。

            ○

ペマ氏は途中涙を流しながら語った。アジア最大の侵略国家・覇権主義国家・軍国主義国家・専制国家が『中華人民共和国』である。そしてその手先・ミニ版が北朝鮮である。この二つを解体しなければ、アジアの平和はあり得ない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて『一水会フォーラム』開催。猪瀬直樹東京都副知事が「これからの日本・これからの東京ーエネルギーを考えるー』と題して講演。質疑応答。終了後懇親会。内容は後日報告します。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

110817_191202

猪瀬直樹東京都副知事

| | トラックバック (0)

2011年8月17日 (水)

瀬戸弘幸氏の講演記録

七月三十日に行われた『日本の心を学ぶ会』において瀬戸弘幸氏は次のように語った。

「日本人は古来太陽信仰である。原発は人間が新しく作り出した太陽。それが暴走するとコントロールできない。深い反省と真摯な気持ちで受け止めるべし。私は原発を推進してきた。十九歳で自民党に入党し、今、五十九歳。その頃、南相馬市で『原発の未来を考える』という講演会を開かれた。扇谷正造が来てつまらない話をした。SF作家の豊田有恒氏を東京の自宅に訪ね、原子力の未来について話してもらいたいと依頼した。相馬・浪江に来て話してもらった。五百人くらい集まった。原子力と日本の未来を信じてその会合に集まって来た若者たちは、今、浪江に住めない。十キロ圏内の人たちはあと十年以上住めない。講演会を主催した私は忸怩たる思い。

太陽を自分たちの手で作り出そうとした驕りがこういう形になった。今回の事態をとらえると原発の未来を考え直さざるを得ない。私の娘は、科学者を目指してある工業大学に入った。学長が『二十世紀は科学技術を優先して自然を破壊してきた。これからは自然を守らねばならない。』と言っていた。娘は今、准教授になった。災害現場に連れて行った。最近も、祭りの霊的エネルギーを肌で感じて生きて行かねばならないと言って東北三大祭りを見に来た。『神が存在していることを前提にして生きていくべきだ』と娘は話していた。

自分たちの考えていたレベルをはるかに超えた大震災は、大きな衝撃を与えた。雨の量が多いところは放射性物質が多く降る。福島原発との距離は関係ない。政府が言っている暫定基準値が正しいとしても非常に危険な状態。外部から受ける放射線は心配ない。煙草の方が癌になる確率が高い。内部被ばくは注意したい」。

              ○

原発事故とその影響について、もっと色々なことが語られたのだが、専門的知識のない私のメモと記憶に誤りがあると困るので、ここに記すことは差し控えさせていただきます。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。

この後、病院に赴き父に付き添う。

この後、日比谷にて知人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月16日 (火)

この頃詠みし歌

老いませる母の手をとりエレベーターに乗りて我が家に帰り着きたり

あれほどに活発なりし若き日の母を思ひて胸迫るなり

贈られし桃を母と食しをり 夏てふ季節の幸の一つぞ

やがて去る夏といふ季節を惜しみつつ汗かき歩む炎天の道

罪の無き人を殺して何になるとの単純なる疑問に答へたまへよ(ノルウェー乱射事件)

蒸し暑き八月九日ソ連参戦原爆投下の日なるを思ふ

日本人を幾十万も殺したる米ソが日本を裁きたる罪

松園の美人画描かれし栞をば雑誌に挟み潤ふ心

一定の酒量保てば百薬の長たるべしと今日もまた呑む

夕つ方一杯のビールにうるほへば生きて甲斐あるわが身なりけり

大調和と和解と感謝を説く宗教その総裁は逆のことする

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。点滴のことなどで主任の看護師さんのお話をうかがう。

帰宅後は、書状執筆など。

            ◎

本来なら、今日は靖国神社に参拝すべきなのであるが、思うところあり、靖国神社のお札を祀らせていただいてる自宅の神棚に祝詞奏上。感謝の祈りを捧げさせていただいた。

| | トラックバック (0)

2011年8月15日 (月)

最近受贈した書籍

最近受贈した書籍を紹介します。

「台湾が国際社会の承認を得る絶好機到来」 宗像隆幸氏著 台湾独立建国聯盟日本本部発行 著者より 

「ツクヨミ 秘された神」 戸矢学氏著 河出書房新社発行 著者より

「新・言論の覚悟」 鈴木邦男氏著 創出版発行 著者より

「天下国家を論ず」 奈須田敬氏著 並木書房発行 著者より

「教育勅語と修身」 小池松次氏著 日本館書房発行 五十嵐晴雄氏より

「永遠のマイトガイ小林旭」 小林旭氏著 たちばな出版 発行所より

            ○

お贈り下さった方々に心より感謝申し上げます。

宗像隆幸氏は、日本人でありながら、まだ台湾独立・台湾民主化など絶望的だと言われていた時代から、本当に長い間台湾独立運動に挺身して来られた方です。戒厳令下の台湾に潜入したり、台湾独立運動の指導者・彭明敏博士の台湾脱出作戦を敢行するなど命懸けで運動をして来られました。

戸矢学氏は、数年前、近所の焼鳥屋さんで知遇を得させていただいた方で、国学院出身の学者です。千駄木に住んでおられます。わざわざ私宅までお届け下さいました。

鈴木邦男氏は、生長の家時代から色々お世話いただいている先輩です。今は私と意見の違いが多くありますが、大変な文章力の持ち主であります。それだけ勉強もしているし、努力されているのでありましょう。

奈須田敬氏最近まで『ざっくばらん』という月刊新聞を出しておられました。大正九年生れで、私の母と同年とあられます。矍鑠としておられます。私もあと三十年くらいは頑張れると思っております。この本は、『ざっくばらんごくろうさんの集い』に出席者に贈られたものであります。

| | トラックバック (1)

千駄木庵日乗八月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、『大吼』連載の「萬葉集」解釈原稿執筆・脱稿・送付。

この後、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2011年8月14日 (日)

ロンドンの印象

ロンドンで暴動が起こったが、ロンドンには一回だけ行ったことがある。今から十数年前のこと。ツアーに参加したのだが、新婚夫婦とフルムーン夫婦ばかりの団体の中に私一人が参加した。何とも居心地が悪かったが、美人添乗員さんに親切にしていただいたので嬉しかった。

パリ・ローマ・ロンドンに三都市を周ったのであるが、一口で言えば、ロンドンが、一番雰囲気が暗かった。料理もあまりおいしくなかった。フランス料理・イタリア料理というのはあるがイギリス料理というのはあまり聞いたことがない。

ロンドン塔は要塞のような建物で、窓が余り大きくない。ここでは国王暗殺事件が起こったり、処刑場・牢獄だったりした。ヘンリー八世の王妃二人が男の子を産まなかった罪や姦通罪で処刑されたという。だから幽霊が出るという。

ウィンザー城は、大きな階段のところに鎧や刀剣などの武具が陳列されていた。そしてウォータールー・チェンバーという名前の広間がある。この部屋ではガーター勲章(エドワード三世が創設した英国最高勲章)を貰った人々を集めて女王主催の晩餐会などが開かれるという。ローマ法王ピオ七世の肖像画などがある。国王の豪華な寝室や謁見室などを巡る。しかし、何となく寒々としていた。富と権力と武力を誇る支配者の城といった感じである。

大英博物館の収蔵品の多くは要するに世界侵略支配を行った英国が各地から略奪して来た品々だった。エジプトや古代ギリシャの美術品がなぜロンドンにあるのだろうか。日本の美術館や博物館には、このような外国から奪ってきたものは無い。イギリスは、民主主義国家の見本のように言われているが、覇道国家・侵略国家の歴史を持つ。

十年前も、いわゆる有色人種が多かった。そういう人々がウェイターなどの仕事をしていた。はっきりとした階級社会である。ともかくロンドンは、パリやローマと比べると随分暗い都という印象であった。ただしバッキンガム宮殿前の衛兵の交代は楽しかったし、ハイドパークは明るかった。

外国人労働者の無制限な受け入れの結果が、社会の混乱を引き起こしたのではないだろうか。日本も、今後十分に気をつけなければならない。安易に外国から労働力を受け入れるのは色々な意味で危険である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『大吼』誌連載中の『萬葉集』解釈原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰途、湯島で地元の先輩父子と懇談。やはり日本酒はぬる燗が一番美味い。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月13日 (土)

国民主権論が國體を破壊している

最近、特に民主党政権になって、政治家・権力者の皇室軽視・皇室冒瀆の言動が頻繁に起った。その根本原因は、「日本國憲法の制度は、國民→國會→内閣→天皇という序列で構成されている」などという憲法解釈が可能なところにある。「主権者國民の代表であり國権の最高機関を構成する國會議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」という考え方が無意識的に政治家たちに植え付けられているのである。だから「天皇は政府・國會の意思どおりに動かれるべきだ」という不逞思想を平然と語る小沢一郎のような政治家が現れるのである。また、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く中井洽のような政治家が現れるのである。さらに言えば、天皇・皇后両陛下にご臨席を仰いだ式典に、衆参両院議員の半数が欠席するという非礼極まりない事態が発生するのである。

日本國民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、國民全般に尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えている。政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、そして現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にある。

 「國會は國権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する國民の総意に基くのであるから、國民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるという解釈が成り立つことにになる。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されている内閣は、天皇よりも「上」の存在だという悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられる。國會議員に「國権の最高機関の一員であり主権の存する國民に選ばれた國會議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などという意識が生まれる。これが、権力者・国民が皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、権力者は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

「諸悪の因は『現行占領憲法』」と言はれて久しいが、最近の事象は、この言葉の正しさをますます証明している。とりわけ「國民主権論」は、日本國の國體・傳統を根底から突き崩す思想である。一刻も早く否定されはならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

2011年8月12日 (金)

国難打開と祭祀の精神

河合一充氏は次のやうに論じてゐる。「今度の大悲劇の中で、初めて日本人は自分のことに気がついたのではないか。…それは何だろうか。日本は『豊葦原の千五百秋の瑞穂の国』である。米作を基本とする農業共同体であった。田植えは一人では出来ない。…現代は多くの人が都会生活で、個人主義が徹底してきたように見える。が、それでも、あの日、東京で起こったことは…助け合いの精神の発露であった。日本人が『事あるときに』現すこの精神がある限り、国民が一致団結して、互いに同胞としての労りと愛が、日本民族の誇りが再生への力となるであろう」(『大悲劇の教訓』・「ミルトス」本年八月号)。

卓見である。

日本天皇の国家統治は稲作生活と不離一体である。稲作生活は、永遠の循環の生活であり、人と人との共生の生活であり、自然との共生の生活であり、勤労の生活である。これが日本および日本人の基本であり中核精神である。

今回のような大震災・国難に遭っても、日本国民が混乱・闘争・退廃に陥ることがなかった根本原因は、まさに神話の世界以来の日本人の平和的な中核精神が生き続けていることによると考へる。

今こそ、天孫降臨の精神=稲穂による統治といふ絶対平和の精神が重大な意味を持つと確信する。日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰である。今日の国難打開は、祭祀の精神の復興がその原基である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

午後七時より、春日の文京区民センターにて、『新藤・稲田・佐藤三議員を断固支持する緊急国民集会』開催。内容は後日報告します。

110811_190501_3

佐藤正久参議院議員

110811_192801

稲田朋美衆議院議員

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月11日 (木)

邇邇藝命の御陵

 南九州の地には邇邇藝命の御陵が鎮まりまします。埋葬地である「筑紫の日向の可愛の山陵」の御陵伝承地は南九州各地にある。私は、昭和四十年代後半に、鹿児島県薩摩川内市宮内町新田神社境内に鎮まりまします可愛山陵(えのやまのみささぎ)に参拝させていただいた。

我が國創世の神話は薩摩を中心とする南九州の地から始まってゐる。故に、薩摩人は古来、敬神・尊皇の念が篤い。薩摩には、聖武天皇の御代に國分寺が立てられてゐる。奈良の都からははるか遠い南端の地でありながら、天皇を君主と仰ぐ律令國家を担ふのが早かったことを証明する。

津田左右吉氏が、『記紀』におさめられた「神話」及び応神天皇以前の「歴史」を、六世紀の大和朝廷が自己を正当化・神聖化するための作り話・フィクションであると論じたことに対して、梅原猛氏は次のやうに論じてゐる。

「津田が文献のみで記紀を批判して、現地(注・南九州や出雲のこと)を訪れていない…彼は、出雲神話や日向神話をまったくのフィクションだとしたけれど、その神話の故郷を訪ねた形跡はない。また、津田の時代には歴史研究に考古学がほとんど採り入れられておらず、彼の歴史學も考古学的発見を参考にしたところは乏しい。彼の記紀論は、伝承をあつかう民俗学や遺跡を調べる考古学と、まったく無関係に提出されたものである。しかし、このふたつの学問に助けなくしては真実をつかむことができないというのが現代の歴史学の方向である」(『天皇家の〝ふるさと〟日向をゆく』)。

 

その通りである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月十日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はすやすやと寝ている。

帰途、地元の後輩と一献。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

           ◎

今日の昼間は暑かった。ホームに立っているだけで汗が噴き出てきた。そのかわり夜になって呑んだビールがことのほか美味かった。

| | トラックバック (0)

2011年8月10日 (水)

欧州のテロと暴動に思う

ロンドンを中心に英国で暴動が続いている。死者も出たということだ。

この暴動の原因は何か、どういう勢力が中心になっているのか、何が目的かが、あまり報道されていない。

先月の二十二日には、ノルウェーの首都オスロの首相府が入る政府ビル近くで爆発テロがあり八人が死傷し、その約二時間後、連立与党・労働党の青年部集会で、男が銃を乱射し、六十八名以上が死亡した。 

イギリスは、議会制民主主義国家の模範と言われてきた国である。ノルウェーは、「ノーベル平和賞」の授与主体国である。どちらの国も欧州にある所謂「先進国」「民主主義国家」である。そういう国でこういう事件が勃発するようになった。

アメリカでは九・一一テロが起こったが、欧米はこれまで、アジア・アフリカ・中南米・アラブと比較すると、テロも暴動も少ないと言われてきた。

しかし、歴史を回顧すれば、欧米諸国は、戦争と暴動とテロの歴史を刻んできたと言える。戦争・テロ・暴動という人と人との殺し合い、傷つけあいは、所謂「先進国」も「開発途上国」も関係ないということであろう。

現在欧米諸国は、イスラムの進出に大変な脅威を抱いている。さらにユダヤ勢力による政治と経済支配に対する反発も地下のマグマのように根強いものがある。これをどう解決するかが大きな問題なのである。

ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の対立と抗争は、実に根深く、深刻である。その上、人種差別・経済格差・金融不安などの問題がある。

わが日本は、戦後の混乱期に、共産党による火炎瓶闘争があり、七十年代には新左翼過激派のテロ、そして平成になってオウムによるテロはあった。今日もそういうテロや破壊活動が起こらないという保証はない。

ただ幸いなことに、わが日本には、根深い宗教対立や民族対立というものは絶無とは言わないが少ない。これは、稲作を主体とする神話時代からの日本の文化伝統が原因なのであろう。稲作生活は、言葉の真の意味における平和な生活であり、永遠の循環の生活であり、人と人との共生の生活であり、自然との共生の生活であり、勤労の生活である。これが日本および日本人の基本であり中核精神である。

今回のような大震災・国難に遭っても、日本国民が混乱・闘争・退廃に陥ることがなかった根本原因は、まさに神話の世界以来の日本人の平和的な中核精神が生き続けていることによるのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月九日

午前は、母のお世話。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。早く行ったので、病院の人から「今日はお早いですね」と言われた。

午後四時より、西荻窪のたちばな出版にて、『伝統と革新』の編集会議。諸氏と討論。

この後、懇親会。談論風発。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月 9日 (火)

この頃詠みし歌

窓開けて朝風入れるすがしさよ 今日の一日(ひとひ)の始まりの時

大きなる樹木を仰ぎ 生命の力強さをわれも生きゆかん

空海のその名のごとく大らかな文字で書かれし墨跡を観る

父のみの父の額に手をあてて苦なく生きませとただ祈るなり

川の上に虹の架け橋浮かびたりたちまちにして消えゆきしかな

久しぶりに見事なる虹を仰ぎたり驟雨過ぎたる東京の空

逢ひ得ざる人を思ひてゐる時の南の空に虹の架け橋

閉じられし酒房の前を通り過ぎあるじ夫妻のことを思へり

老いといふ事を拒絶して生きゆかん そんな不埒は許されざるや

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月八日

午前は、母のお世話。

午後は、パソコン修復作業。

午後四時、知人来宅。懇談。

夜は、『政治文化情報』原稿執筆。

              ◎

父が入院している病院に行くことができなかった。

| | トラックバック (0)

2011年8月 8日 (月)

更新できませんでした

パソコンのワープロ機能が使用できなくなり、更新ができませんでした。

正常な状態になりましたのでご報告いたします。小生の操作ミスでした。パソコンというのは、「習うより慣れろ」であることを実感しております。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月七日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理など

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月六日

午前は、母のお世話。

午後二時より、『アジア問題懇話会』開催。ぺマ・ギャルポ氏が講演。質疑応答。内容は、後日報告します。

この後、日比谷にて知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。パソコンのワープロ機能が使用不能になる。

| | トラックバック (0)

2011年8月 6日 (土)

愛国運動と宗教

明治維新においては民衆の間に、伊勢の皇大神宮への崇敬の心が高まった。それと共に、神道国學の精神が勃興した。また、天理教・金光教・黒住教などという所謂教派神道が勃興した。

大正維新運動・昭和維新運動における皇道大本及び日蓮主義の影響は甚大なものがあった。内田良平・頭山満両氏は、出口王仁三郎氏と深い交わりがあった。北一輝・石原莞爾両氏は日蓮に強い影響を受けた。

戦後愛国運動においては生長の家の谷口雅春氏の影響が大きかった。

愛国運動・維新運動の根底には、宗教的情熱があるからである。維新運動・愛国運動は宗教と表裏一体と言ってもいい。

ところが今日、大本教も生長の家も愛国運動から離れ、日蓮系巨大教団である創価学会は、愛国運動から強い批判を受けている。

しかし、今日の愛国運動・真正保守運動に宗教的情熱が無くなってしまったわけではない。日本民族の伝統信仰・神ながらの道を根幹とした維新運動・愛国運動を、これからも力強く推進していかねばならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆など。

| | トラックバック (0)

2011年8月 5日 (金)

『空海と密教美術展』

今日参観した『空海と密教美術展』は、「奥深い密教の教えは、絵画などを用いなければ理解できないと空海自身がいうように、密教では造形作品が重視されます。この展覧会では空海が中国から請来(しょうらい)した絵画、仏像、法具、また空海の構想によってつくられた教王護国寺(東寺)講堂諸像など、空海ゆかりの作品、さらに空海の息吹が残る時代に造られた作品を中心に、密教美術の名品を展示します。…出品作品は99点で、98.9%が国宝または重要文化財という、質、規模ともにこれまでにない展覧会です。」との趣旨で開催された。

弘法大師像、空海筆の「聾瞽指帰(ろうこしいき)」、東寺講堂の仏像群による「仏像曼荼羅」、「金念珠」(伝空海所持)空海が唐からの帰国に際し、密教を広めるのに相応しい地を求めて明州の港から空中に投じたところ、飛行して、高野山中の松の枝に懸ったという伝承をもつ「飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ) 」、「両界曼荼羅図 (高雄曼荼羅)」、大日如来像(金剛峯寺)、空海渡来の密教法具などを拝観。

展示品のほとんどが、国宝か重要文化財であった。弘法大師像から不思議なパワーというか霊的力が発しているのを実感した。空海の書は実に力強く且つ美しい。

我が家の宗旨は真言宗なので、弘法大師・空海を、格別親しく感じている。空海の著書や真言宗の教義が書かれた本を読んだことがあるが、なかなか難解であった。しかし、天地自然に仏の命を観、即身成仏という空海の信仰は、日本仏教の各宗派の中ではもっとも日本の風土・伝統を体現しているのではないかと思う。皇室の菩提寺と言われる京都泉涌寺は、真言宗のお寺である。

110804_163201

ゆりの木の巨木

110804_163401

東京国立博物館平成館

110804_163301

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月四日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京国立博物館平成館にて開催中の『空海と密教美術展』参観。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月 4日 (木)

『元寇』の歌と国難

日本国はこれまで数々の国難を経験して来た。内憂外患という言葉もある。今の日本はまさにそうした状況下に置かれている。

私が「国難」という言葉をはっきりと意識したのは中学時代に『元寇』という唱歌を覚えた時である。この歌は、永井建子(ながいけんし・男性・陸軍軍楽隊長)作詞・作曲で、「四百余州を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃」という歌い出しである。日清戦争の時に作られたと聞いている。

この歌は、学校の音楽教育で教わったのではなく、当時売られていたソノシートで聞いたと記憶する。日本人の魂を鼓舞する歌であると思うが、私たちの世代は左翼偏向教育のおかげで、学校教育で教わることはなかった。『国歌・君が代』すら教わらなかったのですから当然である。

石原慎太郎氏が都知事当選直後の記者会見でこの歌を披露した時には思わず拍手した。今こそ、日本国民はこの歌の心意気を発揮しなければならないと思う。

このように書くと如何にも好戦的・排外的という誤解を受けるかもしれないが、決してそうではない。飛行場で唐辛子を撒いたり、他国の国旗を焼くなどという乱痴気騒ぎをするというのではなく、国難に際会した時には、国粋精神・愛国心を強固にして対処しなければならないということである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月三日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』の「編集後記」執筆・脱稿・送付。あまり堅苦しいことも書けないし、かと言ってくだけてもおかしい。「編集後記」というのは、なかなか難しい。

この後、病院に赴き、父に付き添う。途中、空に虹が出ていた。ちょうど荒川の上を虹の橋がまたいでいた。すぐ消えてしまったが、美しい光景であった。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿送付。

| | トラックバック (0)

2011年8月 3日 (水)

山際澄夫氏の講演

『呉竹会アジアフォーラム』における山際澄夫氏の講演内容は次の通り。

「外交防衛以前のきわめて重要な問題がある。一国の総理が北朝鮮のスパイではないかと疑われても仕方のないスキャンダル、考えられないような事態がある。菅直人の政治資金団体から北朝鮮に近い政治団体『市民の党』に六千二百万円寄付している。これは拉致事件の実行犯・森順子の長男が所属している団体。森順子の夫はよど号事件の田宮高麿。その間の子が森大志。この男は北朝鮮で生まれ、北朝鮮の教育を受けている。帰国して、日本国籍を取り、被選挙権をとって、三鷹市議選に立候補。父はテロリスト、母は拉致実行犯の子供が日本国民になっているのがおかしい。幸い落選。その男の所属する団体に六千二百五十万円のお金を菅直人が寄付した。日本は現在北朝鮮と戦っている。二百人の同胞が拉致されている。

『市民の党』の事務所がある平河町のビルの所有者はかつて金正日に一億円寄付して『愛国メダル』をもらった。この男は何者かに路上で射殺された。今のビル所有者は、朝鮮総連の青年商工会の会長経験者。菅が寄付したお金は国民の税金が含まれる。そのお金が北朝鮮に回っている。こうした重大なことをメディアは一切報道しない。

菅直人は一九八九年、北朝鮮の拉致の実行犯だった辛光洙(シン・ガンス)の『釈放嘆願署名』に署名した。江田五月・千葉景子も署名した。こういう人物が政府の要職にあるのはおかしい。菅直人は在日韓国人から一〇四万円貰っていた。前原は二十万円貰って大臣を辞めた。国益を守るべきなのに、外国人から金を貰ってはいけない。逮捕され公民権停止になる。国会議員の資格も無くなる。外交なんかできるわけがない。

鳩山由紀夫は『日本列島は日本人だけのものではない。外国人にも参政権を与えよ』と言った。民主党幹部はみな然り。国家と国民を解体する主張。民主党は外国人を党員やサポーターにしている。去年九月の代表選で投票資格があった。外国人が首相を選んでいる。

外国人は、天皇陛下を中心とする日本の伝統文化を守る人ではない。いざという時、北朝鮮の人は金正日の国を守る。チベットやウイグルの人々のことを考えると、中国はまともな国ではない。

自民党は何故もっと追及しないのか。メディアが駄目。戦後ジャーナリズムの恥部は真実も事実も伝えないこと。尖閣衝突事件で、中国を糾弾し、中国人を釈放した政府を糾弾する十月二日のデモに二千八百人集まった。保守派は組織が無い、インターネットを見て集まった。外国のメディアは記者を派遣して報道を繰り広げた。CNN、AP、ニューヨークタイムズ・ウォールストリートジャーナル・ロイターがトップクラスで報じた。ところが日本のメディアは産経も含めて一社も一行も報じなかった。日本のメディアの思考停止はひどい。

宮古島の横を中国艦隊が通っても、日本政府はモノを言えない。『朝日』はかつて北朝鮮を地上の天国と言った。十万人の人が騙されて北朝鮮に行った。被災地を守れない国、日本人を守れない国では駄目。愛国心に欠ける政治家は駄目。ネットで既成のメディアがカバーしないことを発信すべ」。

            ○

情熱的な語りぶりで、なかなか勉強になった。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月二日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後七時より、富士見町の九段下沙龍にて『憲法勉強会』開催。初めに久しぶりに石垣島より帰京した中尾征秀郎氏が現地で行っている尖閣防衛運動について報告。この後、『三島由紀夫と楯の会・憲法改正案』をテキストにして、「天皇に関する規定」について全員で討論。内容は後日報告します。

帰宅後は、原稿執筆。

           ◎

今日は、本当に久しぶりに千代田区富士見町を歩いた。飯田橋から三番町にある母校・二松学舎への通学路にあたる町である。小生が学生時代の四年間通った。当時は千代田線が開通していなかったので国鉄を利用していた。表通りは高いビルが立ち並んでいた。驚いたのは、高層の角川書店のビルが建っていたことだ。私の学生時代は、三階建の小さなビルであった。二松学舎大学の恩師の娘さんが角川書店に勤務しておられ、角川から出ている書籍を安く購入できたので、時々お訪ねした。当時なかなか高価であった『中河与一全集』などを購入した。懐かしい街であるが、様子はずいぶん変わっていた。ただ靖国神社の近くは昔のままであった。

| | トラックバック (0)

2011年8月 2日 (火)

『呉竹会アジアフォーラム』の登壇者の発言

七月二十八日に開かれた『呉竹会アジアフォーラム』における登壇者の発言は次の通り。

頭山興助氏「震災と原発にうつつを抜かしている我々に、恐ろしいことが起こっている。ロシアに北方領土を持って行かれた。中国は日本を越えて太平洋に出て行こうとしている。日本がだらしないので台湾が困っている。日本の『憲法九条』があることと腐った政党政治は、日本のみならずアジア全体の不幸。世界の潮流が変わっているのに、安心している日本の気がしれない。」

山際澄夫氏「私は名越二荒之助氏の大ファン。ご一緒に中国の歴史施設を訪ね歩いた。上海の孫文旧宅を訪ねた。そこに日本人の写真があった。解説は無かった。名越先生に教えてもらった。内田良平と宮崎滔天だった。日本ほど中国革命・アジア近代化に尽くした国は無いと名越先生に教えられた。石垣市は尖閣諸島を行政区域に含んでいる。中山義隆石垣市長はしっかりとした対応をして来ている。侵略を糾弾する発言をしている。今年一月に『尖閣諸島開拓の日』を制定した。沖縄と言うと左が多いと思われているが、中山市長は保守の人。中山市長を中心とする政府に対する申し入れに対して、政府はけんもほろろの対応だった。大臣が会おうともしなかった。」

中山義隆石垣市長「去年の三月二十日より石垣市長をしている。九月七日に衝突事件が起こった。それまでは、領海侵犯した中国船を拿捕しても領海外に追い出していたのを、今回は逮捕した。日本政府が本気になったので良かったと思った。前原外相が石垣に来て海保を激励した。二日後に外相を辞任した。そして中国人全員が釈放された。石垣市の歴代市長が政府に要請書を出してもけんもほろろの対応だったが、ビデオ流出の後は対応が変わった。課長が出て来るようになった。海保は今年十月から千トンクラスの船を一隻増強させることとなった。後手後手になってはいるが…。尖閣に本格的な灯台を建設し、管理する人が常駐し、漁民が安心して操業できるようにしてもらいたい。悪天候の時に避難できる桟橋を作ってもらいたい。自分たちの領土である尖閣で経済活動をしっかりできるようにしたい。民主党おかしいが、自民党も同じような反応をしてきた付けが回って来た。巡視船の一階と二階をつなぐパイプが千切れていた。軽微な損傷ではない。閣議決定の日である一月十四日を『尖閣諸島開拓の日』とした。野党は反対したが、住民の大多数は賛成した。数次ビザの発行で、沖縄に一泊すれば、九十日間日本の何処にでも行ける。三年間有効。何故、九十日間も滞在させるのか。その理由と目的はどこにあるのか。石垣市を素晴らしい所にするには、景観を守りつつ癒される所にしたい。中国人がどんどん入って来て土地投機の対象になるのが不安。国境離島に対する経済政策が大切。尖閣に人が住んでいないから危機になった。」

小磯明都議会議員「中山石垣市長の誕生は、この国にとって大変良かった。昨年九月七日、我が国の領海を侵犯した百トンの漁船と称する船が海保巡視船にぶつかって来た。尖閣諸島は石垣市の行政権ということを適切に発信している中山市長を、我々はあらゆる支援をすべし。一九九二年に中国は『領海法』を制定した。海洋覇権確立をもくろんできている。日本の領海・領域に対して具体的な行動を開始した。この国の国土と主権をどうやって守るのか。与那国島には海保も自衛隊もいない。二人の若い警察官がいる。わが国最西端の国境の島がわずか二人の警察官で守られている。我々ももっと関心を持つべし。台湾まで一一一キロの与那国島にレーダーサイトを建設する必要あり、南西諸島の守りを強くする。自衛隊を駐屯させるべし。李登輝総統は『尖閣諸島は日本の領土』と明確に言っている。多くの台湾国民もそう思っている。」

木村三浩一水会代表「この国の政府は領土意識が本当に薄いと実感。政府は一月十四日の『尖閣諸島開拓の日』制定を国民の知らせる義務がある。しかし韓国や中国を刺激してはいけないということで地域の人々の熱い思いや主張を報道制限している。新聞は報道しない。六月十四日、中山石垣市長が、戦没者慰霊祭を魚釣島で行うために、魚釣島上陸の要望書を政府に出したのに、新聞は報道しなかった。慰霊祭すらやらせない日本の政府は一体何なのか。慰霊祭の実現、灯台の建設、港の建設を実現させたい。日本には島が六千五百ある。国境問題のために新しい法律を作るべし。」

        ○

左翼勢力・偏向マスコミは、あれほど沖縄返還要求運動を展開したのに、尖閣防衛・竹島奪還・北方領土奪還運動は全く行わない。そして、日米軍事同盟破壊策謀を繰り返している。彼らが何を目的としているかはこの事実を見れば火を見るよりも明らかだ。左翼勢力・偏向マスコミは、我が国の弱体化、共産支那・南北朝鮮・ロシアの属国化を望んでいるのだ。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗八月一日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年8月 1日 (月)

慶野義雄平成国際大学教授の講演

七月二十五日に開かれた『新しい憲法をつくる研究会』における慶野義雄平成国際大学教授の「議院内閣制と首相のリーダーシップ」と題する講演を報告する。

「菅直人のリーダーシップ欠如が問題と言われているが、そう言われるわりに独裁者として居座っている。政治体制は立憲主義政治体制と全体主義政治体制に分類される。権力の制限を念頭に置いたのが立憲主義政治体制。立憲主義政治体制は議院内閣制と大統領制に分類される。議院内閣制は内閣を議会の信任の上に立たせる制度。内閣(キャビネット)とは国王の個人的部屋に由来。信任あつい廷臣を自分の部屋に招き入れて国政を審議した。議院内閣制は君主制と不可分。三権分立の一形態。議院内閣制を最初に取り入れたのはイギリス。議会と行政とをつなぐ鎖の輪が内閣。

菅直人は、『民主政治は期限を切ったある種のレベルの独裁を認める』と昨年三月十六日の参院予算委で言った。古代ローマのディクタツールは、共和制維持のための知恵であり、非常事態収拾装置。三か月から四カ月の期限。政権返上が早ければ早いほど名誉になる。ディクタツールを政権の延命に使う発想は無かった。菅直人の『独裁』はロシアの共産党専制に名を借りた専制政治。

また平成二一年十月十五日のNHKの『クローズアップ現代』で『憲法には三権分立とは書いていない』と言った。アメリカ的な大統領制をイメージしているのか。しかしアメリカは厳格な三権分立。君主制あっての議院内閣制。大統領制を目指しては方向性を失う。責任を取らないで政治主導ができるわけがない。『責任は役人が取れ』では政治主導ができるわけがない。

菅直人は教条主義的でないマルクス主義者・松下圭一を自らの政治の原点とする市民運動家。地域は独立国と言うのが松下理論。主権は国家の属性であり、地方主権があるはずなし。

菅直人の裏に怨念(反日)があるのではないか。北朝鮮拉致加害者・よど号ハイジャック実行犯田宮高麿などが関係する革命集団に多額献金したのは背景に反日・日本破壊思想があるのではないか。」

千駄木庵主人曰く。議院内閣制はリーダーシップが発揮できないという意見がある。それと関連して、首相は直接選挙で選ばなければリーダーシップが発揮できないという意見がある。しかし、議院内閣制下で、衆参両院において指名されて総理になった吉田茂・岸信介・佐藤栄作・田中角栄・中曽根康弘・小泉純一郎という歴代総理大臣は、相当なリーダーシップを発揮した。

常に国民の幸福と国家の平安を祈られる日本国の君主=天皇陛下への「かしこみの心」を持つ総理大臣が、リーダーシップを発揮するのが理想的政治であろう。上記の総理すべてがそうだったというわけでは決してない。吉田・岸・佐藤・中曽根の四氏は、今の政治家よりは尊皇精神があったと思う。

慶野氏が「責任を取らないで政治主導ができるわけがない。『責任は役人が取れ』では政治主導ができるわけがない」と論じられたことで想起するのは、仙谷由人氏の発言である。

共産支那漁船領海侵犯事件をめぐるビデオ映像を海上保安官が国民に公表したことについて、昨年十一月十日の記者会見で、仙谷由人官房長官(当時)は、馬淵澄夫国土交通相(当時)らの責任について、「政治職と執行職のトップの責任のあり方は違う」と言った。

仙谷氏の発言は、国土交通相(政治職)と、海上保安庁長官(執行職)とを比較し、責任の重さが違うと強調することで、馬淵氏の辞任要求をはね返すのが狙いだったようだが、現場の官僚に責任を押し付ける言い草であり、あまりにも姑息であった。

そもそもこの「政治職」と「執行職」という言葉自体、仙谷長官が勝手に作り出した「造語」である。「政治職」「執行職」という言葉は法令上、全く規定されてない。如何にも弁護士らしい詭弁であり、逃げ口上であり、屁理屈である。こういう屁理屈を振り回す弁護士・法律家を「三百代言」という。総理大臣も官房長官も閣僚も自分の政治判断に基づいてその権力を行使するのだ。国務大臣は政治職であり執行職なのだ。こういう政治家が上に立っているのでは、官僚はまともにその仕事をできるわけがない、民主党政権が混迷に陥っているのもこういう所に原因がある。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗七月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。よく寝ていた。

帰宅後は、書状の執筆など。

| | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »