« 千駄木庵日乗七月三十日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月三十一日 »

2011年7月31日 (日)

中川雅治参院議員の講演内容

七月二十五日に開かれた『新しい憲法をつくる研究会』における中川雅治参院議員の「北方領土訪問記ー国後島へのビザなし渡航」と題する講演を報告する。

「菅総理の献金問題がずいぶん議論されている。『産経』以外はあまり報道しない。テレビも然り。菅さんの政治資金管理団体である『草志会』から『政権交代を目指す市民の会』に平成一九年から二十一年までの間に六千二五〇万円寄付している。『政権交代を目指す市民の会』と『МPD平和と民主運動』と『市民の党』は代表が酒井剛で、この三つの団体は事務局が同じところにある。そこに菅や鳩山前首相、七人の民主党国会銀、十六名の地方議員が合計二億四九六万円寄付している。

『市民の党』所属議員だった井上桜は、二〇〇二年五月、当時の中田宏横浜市長が施政方針演説をしようとした横浜市議会定例議会で、議場正面に立てられた国旗を引き下ろそうとして議長に退場を命じられ、六月五日には、その退場命令の説明を求め、議長席などを約六時間にわたり占拠し、除名処分を受けた。菅も『国旗国歌法』に反対した。思想的に通じている。

『市民の党』から三鷹市議選挙に立候補した森大志の父親は、よど号ハイジャック犯のリーダー・田宮高麻呂、母親は石岡享さんと松木薫さん拉致の実行犯・森順子。森大志は、昭和五十一年に北朝鮮に生まれ、平成十六年に帰国。

平成十三年『九・一一同時多発テロ』が起こった。九月十九日東京都議会が再発防止を訴える決議をした際、菅氏の地元の三鷹の『市民の党』の伊沢けい子都議(当時)は、ただ一人『テロではない』として反対した。この団体の実質的代表・斎藤まさしこと酒井剛は田英夫の娘婿で過激派。菅とは三十年来の付き合い。

菅直人は一九八九年、北朝鮮の拉致の実行犯だった辛光洙(シン・ガンス)の『釈放嘆願署名』に署名した。菅直人をめぐる北朝鮮との関係・闇についてなかなか解明しきれていない。菅政権は行き詰っている。菅が何時辞めるかが注目の的。民主党政権の行き詰まりの原因は一昨年の総選挙のマニフェストにある。マニフェストに書かれていたことが嘘だった。

ソ連が北方四島を占領した時、一万七千人の日本国民が自力で脱出した。ソ連軍は侵入の時相当ひどいことをした。村長射殺の例もある。一九四六年に一方的にソ連領に組み入れた。国際法的に受け入れられない。脱出して来た一万七千人のうち、七千四百人が今も生存。平均年齢は七十七歳。何としても北方領土を取り戻さねばならない。不法占拠であることは間違いなし。

五月十四日から十六日まで、ビザなし渡航により、北方領土の国後島を訪問した。四十数名でバスに分乗して視察した。道路が凄いデコボコ。日本の行政権が及んでいたらこんなことはあり得ない。建物は木造で基本的に二階建て。七千人の人口だが繁華街が無い。ホテルは無い。アパートの中にお店が入っている。オープンスペースは無い。品数は豊富。

ロシア政府は今までほったらかしにして来て、最近になって実効支配を強めている。病院・学校を整備している。予算をかなり投入。幼稚園はかなり豪華。温水プールもあった。

家庭訪問をした。日本で言えばコンビニをしている家。日本人墓地はよく整備されている。『北方領土問題が話題になることはありますか』と聞いたら『時折話題になります。隣人として交流できるのも領土問題があるからこそと思います』と答えた。しかし、もともと日本の領土であるという認識や返還交渉に関しての考え方についての言及は一切なかった。『日本人もアイヌ人を追い出したではないか』と言う人もいた。『日本人を追い出して申し訳なかった』と言う人もいた。

郷土博物館はお粗末だった。『日本人が異常にきれい好きなのだ。汚いのが当たり前』と言う人がいた。

我々が訪問している時に、イワノフ副首相一行四十名が国後島に入って来た。滞在時間二十分。実効支配しているのはロシアだということを見せつけた。旧島民の人々が怒っていた。我々が子供たちの演奏会を鑑賞している建物の前をイワノフ一行がけたたましく走って行った。日本国民が一致団結していかないと足元を見られる。

北方四島の戸籍・住民票・登記簿は根室の登記所に完備されている。国後島の登記所責任者がそれらを根室に運んだ。」

|

« 千駄木庵日乗七月三十日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月三十一日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/52350793

この記事へのトラックバック一覧です: 中川雅治参院議員の講演内容:

« 千駄木庵日乗七月三十日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月三十一日 »