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2011年7月14日 (木)

今日講義した高市黒人の歌と自然災害

今日講義した高市黒人の歌は次の歌である。 

ささなみの國つ御神(みかみ) のうらさびて荒れたる京(みやこ) 見れば悲しも

 國土の神を鎮魂しなぐさめてゐる歌。「國つ御神」とは、その國の地主の神・國魂の神。日本の神々には、天津神と國津神とがおられる。天津神とは天照大神・天児屋命などの「天の神」のこと。國津神とは大國主命などの「國土の神」のこと。各土地々々に神様即ち國魂がおられる。これを地主神といふ。今日の建物を建てる時に地鎮祭(基礎工事にかかる前に土地の神を祭り、工事の無事を祈る祭事)を行ふ。「上に建物を建てます」と土地の神の了解を得る祭事である。

元初においては、神とは通念としては天津神であった。発生的には天津神だけがいはゆる神としての本質を持ってゐたのだが、土地の精霊・國魂も次第に神としての待遇を受けるやうになっていったといふ。しかし、國津神も元をたずねれば天津神である。國土の神とされる大國主命は須佐之男命の五世の孫であり、須佐之男命は天津神であられる天照大神の弟神であらせられ、高天原から出雲の国に天降ってこられた神である。

「うらさびて」はウラとは心のこと。サビルは衰へる・さみしくなる・荒む・しぼむといふ意、言ひ換へると神としての威力・生気・パワーがなくなるといふ意。「國つ御神のうらさびて」とは、國土の霊魂が遊離してしまふこと。

通釈は、「ささなみの國土の神様の生気がなくなって荒れてしまった都を見るのはさみしいなあ」といふほどの意。

ささなみの國土の神の威力がなくなり、それが原因となって荒れてしまった大津の都を見るのは悲しいといふ歌である。荒れてしまったささなみの國の土地の神を鎮魂し、なぐさめてゐる歌である。自然を擬人化してゐるのである。

現実的に考へると、大津の都が荒れてしまったのは壬申の乱の結果である。しかし古代信仰から考へると、國魂(くにたま)の神の生気がなくなった結果なのである。天皇の祭り事が行はれる宮廷がなくなると、國土の霊も威力がなくなってしまふのである。近江朝廷か滅んでお祭りしなくなったから國土の霊の威力が無くなったのか、國土の霊の威力が無くなったから近江朝廷が滅んだのかは、相関関係にある。

黒人は信仰的なものの見方をした人なのである。黒人の内向的な憂ひがあると共に古代人の信仰が直截的に表現されてゐる。「壬申の乱」によって近江朝廷が滅んでから二、三十年後に詠まれた歌といはれてゐる。黒人は個性的な客観歌を歌った先駆けの歌人であると共に自然神秘思想を歌った歌人である。

古代日本人は、国土の荒廃・自然災害を防ぐには、天地の神々に対する祭祀を正しく行ひ、天地自然に対して畏敬の心が持つことが大切である考へたのである。今日に生きる日本人もそうした心を大切にすべきだと思ふ。          

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