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2011年7月 7日 (木)

日本人の死生観

日本人は、肉体は滅びても、生命は永遠といふ信仰を持ってゐる。生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる。

「七生まで唯同じ人間に生れる」とは、よみがへりの思想である。黄泉の国(あの世)に行かれた伊邪那美命の所を訪問しこの世に帰って来られた伊邪那岐命は「よみがへられた」のである。『萬葉集』では、「よみがへり」といふ言葉に「死還生」といふ字をあててゐる。「黄泉の国から帰る」から「よみがへり」なのである。

日本人が死者は必ずよみがへると信じたといふことは、日本人にとって絶対的な死は無いといふことである。人は永遠に生き通すと信じたのである。「七度生きる」とはさういふことである。

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」といふ。それは平安時代の歌人・在原業平が「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫ってゐるとは思いなかった、といふほどの意)と詠んでゐる通りである。

そして死んだ人は草葉の蔭から生きてゐる人を見守ったり祟ったりするのである。といふことは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動してゐるといふことである。

 日本人は基本的に、人間は肉体は死んでも魂はあの世で生き続けるといふ信仰を持ってゐるのである

本来日本人は、「死ぬ」と言はず「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言った。肉体は滅びても生命・霊魂は生き続けるといふ信仰に基づくことはである。今でも、丁寧な言い方をする時には「死んだ」とか「死ぬ」と言はない。「亡きがら」「遺体」とは言っても「死体」とは言はない。

日本人は、古来、霊魂が遊離して肉体は滅びても人間が無に帰するといふことは無いと信じているのである。

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