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2011年6月25日 (土)

楠公精神への回帰

日本の古典には「名文」と言はれるものが多数ある。『太平記』の次の一節は、その最たるものであろう。

「合戦の習にて候へば、一旦の勝負は必ずしも御覧ぜらるべからず、正成いまだ生きて有ると聞こしめし候はば、聖運遂に開かるべしと思しめし候へ。」

「舎弟の正季に向て、そもそも最後の一念に依て、善悪の生(しゃう)を引くといへり。九界の間に何か御辺の願なると問ければ、正季からからと打笑て、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替(かへ)て、この本懐を達せんと契て、兄弟共に刺違て、同枕(おなじまくら)に伏にけり。」

この文章には、楠公の絶対尊皇精神、七生報国の精神が見事にうたひあげられてゐる。

落合直文氏の作詩による『櫻井の訣別』もまた、楠公父子の尊皇精神が格調高く切々とうたひあげられている。

「汝をこゝより歸さむは
わが私のためならず
おのれ討死なさむには
世は尊氏のまゝならむ
早く生ひ立ち大君に
仕へまつれよ國のため」

日本国家存立の基礎は、国民の尊皇精神である。大楠公は「尊皇精神」を体現された方である。大楠公仰慕の心は、『太平記』『日本外史』などの史書によって後世に伝えられた。明治維新の志士たちも楠公精神を継承して維新を戦ったのである。

現代のわが国は、精神的・思想的・政治的に混迷の極に達している。また近隣諸国との関係も緊迫している。今こそ、楠公精神即ち絶対尊皇精神・七生報国の精神に回帰しなければならない。

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