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2011年6月 6日 (月)

「国旗国歌訴訟」最高裁判決への『朝日新聞』の暴論

最高裁が五月三十日に言い渡した「国旗国歌訴訟」の上告審判決最高裁判決に対して、『朝日新聞』(六月一日号)の社説は「(起立を拒み戒告処分を受けた元教員は)定年後の再雇用を認められなかった…多数者の意向や勢いに流されず、少数者を保護する。それが司法の大切な使命だ。とりわけ思想、信条、表現、信教など精神的自由に関する分野では、厳格なチェックが求められる。裁判所がその職務を放棄したとき、私たちの社会は多様性を失い、やがて色あせていく。」と論じた。

国民としての儀礼・習慣を身につけさせる公教育の場で、教師が率先して実行して生徒に範を示さねばならない「国歌斉唱」を拒んだ元教員の再就職が認められなかったのは当然である。さういふ常軌を逸し教育者としてあるまじき行為をした元教員でも再就職させてくれる職場を探せばいいだけのことである。そんな元教員の再就職の心配よりも、国歌・国旗の尊厳性の方がよほど大切である。

「多様性のある社会」とは、公教育の場で、儀礼として当然行わなければならない国歌斉唱を拒否する現象が多発する社会ではない。子供が教師の言うことをきかず、騒いだり、教室の中を動き回る現象を「学級崩壊」とは言っても、「多様性のある学級」とは言わないのと同じである。

今日の道義の頽廃はまさに末期的である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。今日の皇室への尊崇の念の希薄化と道義心の低下とは相関関係にあると考える。日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕するのである。

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