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2011年6月26日 (日)

建武中興について

戦後日本のいわゆる「平和主義」の謳歌は、皇室から「武」の精神を切り離してしまった。また「軍」との関わりを断絶せしめてしまった。

しかし、「三種の神器」に「剣」があるのを拝しても明らかなごとく、皇室の道統・日本天皇の国家統治は、武の精神と一体である。また上御一人日本天皇は軍の最高の統率者であらせられる。

神武天皇・天武天皇・聖武天皇という諡号を拝して、それはあまりにも明白である。応神天皇は、八幡宮として祀られ、武の神・軍神として今日に至るまで崇められている。日本天皇及び朝廷は、わが国の伝統的な武の精神の体現者であらせられる。軍においてもその頂点にお立ちになるのが本来のお姿である。

しかし、中古時代以降、朝廷において「武の精神」が希薄になったことが、武家による政治の壟断の原因であると言ってよい。後鳥羽上皇・後醍醐天皇は、隠蔽され衰微していた天皇の国家統治と武の精神の一体性の復興を目指されたのである。

元弘四年(一九九四)正月二十九日、「建武」と改元されたのは、武の精神の復興を目指されたからである。また、護良親王は征夷大将軍兵部卿に任じられた。

建武中興は、武家による政権壟断以前の時代の精神の復興であった。すなわち復古即革新である。今日の日本においても、建武中興・明治維新の理想が実現されねばならない。

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