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2011年6月30日 (木)

「東日本大地震からの復興を考える経済再生の決め手セミナー」における登壇者の発言

六月二四日に開かれた「東日本大地震からの復興を考える経済再生の決め手―政府貨幣発行権を考える―セミナー」における登壇者の発言を報告する。

加瀬英明氏「東日本大震災の一大教訓は、国家的危機には国しか頼るものはないということ。地方分権・地方主権とか言って国をおろそかにする風潮があった。しかし、国民は国がなければ生きていく事は出来ない。巨額に資金が必要。増税の議論がある。増税したら日本経済は冷え込む。国債発行は償還・金利が発生する。政府貨幣を発行すべきであるという運動を二十年間やって来た。償還も金利も発生しない。深刻なデフレが日本経済を悩ましているから、インフレにはならない。日本の新しい繁栄の時代を招き寄せるために、政府貨幣の発行に踏み切るべし」。

平沼赳夫衆院議員「日本気世界一の地震国、地球にプレートが四枚ある。その一枚一枚が年間数センチづつ動いている。そのうち四枚が日本に集中。千年に一度の津波が来た。民主党政権は二百年に一度の大雨を想定してつくったダムの予算をカットした。平安時代に貞観大地震が来た。貞観大地震では富士山の噴火があった。今も低周波の振動が起っている。『コンクリートから人へ』というのを止めて、しっかりとした防災対策をすべし。五月二十日に現地に行った。国土交通省の東北整備局長の徳山日出男は、今年の一月に着任した。大地震で獅子奮迅の活躍をしている。『役人の目で見て、政治家に見てもらいたいところを見たい』と依頼して視察した。仙台平野を突っ切る盛り土の高速道路の太平洋側は瓦礫の山だった。反対側は平和な田園風景であった。盛り土の高速道路が堤防を役割を果たした。それを見て『コンクリートから人へ』と言う無責任な政治家の存在は許されないと思った。関東地方でも、直下型地震が来る恐れあり。東海地方も富士山の噴火があるかもしれない。数十メートル岩盤が動き、その下にマグマがあり、その上に富士山が乗っている。四兆円の補正予算などというケチなことでは国を救えない。しっかりとした財源を確保すべし。青木ヶ原樹海・富士五湖は貞観大地震で出来た。慶長・安政年間にも大地震が起った。安政の大地震で徳川幕府は疲弊した。地震の影響が無かった薩摩・長州・土佐が力を持った。我々は国家千年の計を考えるべし。そのためにしっかりとした政府の貨幣発行権を利用して財源をつくらねばならない。二十年もデフレが続いているのに増税していいのか」。

丹羽春喜大阪学院大名誉教授「日銀券の発行は日銀の借金。国の利益にならない。政府貨幣は負債ではない。発行額に制限なし。政府財政にとって打ち出の小槌。慶応三年の大政奉還の後、由利公正と坂本龍馬が、維新政府の財源をどうするかを協議。由利公正は政府紙幣を出せと主張。そのアイディアが用いられて、明治維新の諸事業は太政官札でまかなわれた。国難の時である今こそこの国家基本権のメカニズムを使えるようにすべし。日銀に『電子的相互決済』で発行権を買ってもらう。威風堂々と経済再建計画が立てられる。社会保障も充実し、年金がもらえなくなるという心配もなくなる。ケインズ的政策をきちんとやっていればGDPが空しく失われることはなかった。今の経済学は『経世済民』の精神を失ってしまった。政策担当者が愛国心を失った。私の提言は通貨をたくさん印刷するわけではない。政府が持っている政府貨幣の発行特権のうち必要額分の権利を日銀に売る。その代金は電子信号で政府の口座に振り込んだことにすればいい」。

渡辺利夫拓殖大学学長「政府の貨幣発行特権は有効であり、大規模な財源を手にすることができる。東日本大震災は第二の敗戦。日本は完全なデフレ不況の真っただ中にある。大震災で共同体の強靭性が理解できた。血縁・地縁なくして生きていく事は出来ない。共同体を共同体たらしめる原理が我慢強い東北に生きていた。しかし高齢化している。基礎的共同体をしっかりさせねばならない。それによって政府が支えられる。共同体と国家の重要性を悟らせたのが大震災。その意味で、天罰ではなく天恵であった。どんなに壮大で緻密な防災をほどこしたところで、大震災が続いて起これば、日本は到底守れない。防ぎようのない悲劇がこの世にあるというしなやかな諦観を我々は持つべし。自分にとって都合の良い環境で人類は生きて来たわけではない。個々の生命体は必ず消滅する。生命体の精神は次の世代へ受け継がれていく。この生命体の集合体が民族。死者への深い鎮魂の心があって、今、我々がここに在る。合理的思考の身で天変地異に立ち向かうのはただの傲慢。三月十一日を『国民鎮魂の日』にしたい」。

長谷川三千子埼玉大教授「自分もやっぱり大自然の中に生きている動物の一匹なのだと今回の大地震で実感した。たくましく生きていく事が鎮魂。被災地の人々の切実な声は『自由に使えるお金が欲しい』ということ。政府予算は書類を書いてから何カ月も経過して出て来る。今使うお金が欲しいのだ。東北は第一次産業の拠点。この数十年間、第一次産業がいかになおざりにされてきたか。穀物の自給率が二十%という低さは国防として問題。日本農業はアメリカと比較してちっとも保護されていない。アメリカは戦略的に政府が安いコメをよその国に輸出している。日本は生産を制限し、休耕地になっている。日本がGDPをどんどん上げていくために必要なのは電力。しかし、それも節電を要求されている。全ての原発を止めようという動きがある。冷静な議論が出来ない。美しい精神と共に、日本人の愚かさも示している。日本人の放射能恐怖症を克服して、理にかなった復旧の道を歩むべし。これが不可欠な心構え」。

ヘンリー・S・ストークス元エコノミスト東京支局長「あと一二年、完全復興は難しい。問題は復興費用をいかに捻出するか。百兆円、二百兆円必要。日本はすでに膨大に国債を発行している。増税は国民に負担をかける。第三の選択肢は政府通貨の発行。ジャーナリストの直感で言えば、みんなが反対することは実行すべきである」。

         ◎

丹羽氏の言われる「政府が持っている政府貨幣の発行特権のうち必要額分の権利を日銀に売る。その代金は電子信号で政府の口座に振り込んだことにすればいい」ということが今の政治家や日銀・大蔵官僚に実行できるかどうかが問題である。

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、赤坂のサントリー美術館で開催中の『不滅のシンボル・鳳凰と獅子』展参観。この展覧会は、「日本の古代史において鳳凰と獅子は、特別な存在です。鳳凰は優れた天子が世に現れる兆しとして、古代中国で生み出された空想の鳥であり、対する獅子は、日本に棲息しないライオンを原型とし、やはり中国から唐獅子という半ば空想上の動物として伝わりました。いずれも宗教・儀礼や民俗・芸能に広く深く取り込まれ、それぞれ祝儀にふさわしい高貴なシンボルとして、繰り返し絵画や工芸の意匠となってきました。鳳凰と獅子の多岐にわたる造形表現は、日本文化全般におけるハレの場面と、常に密接に関わりあいながら、その不滅の生命を今に伝えていると言えるでしょう。この展覧会では、鳳凰と獅子という瑞鳥、霊獣のイメージの展開に注目します。高貴な姿の鳳凰や威厳あふれる獅子の変遷を、屈指の名品によってたどりながら、人々が鳳凰や獅子に託した祈りや、豊かな空想のはばたきを感じていただければ幸いです。」(案内書)

「日吉山王・祇園祭礼図屏風」(室町時代)「鳳凰文槫」(飛鳥時代)「仏涅槃図」(鎌倉時代)「旭日鳳凰図」(伊藤若冲)「鏡獅子」(平櫛田中)などを見る。伊藤若冲の「旭日鳳凰図」がやはり一番印象に残った。時代が比較的新しいせいもあるが色彩が見事で描写も緻密である。他に比類がない美しさだ。竹内栖鳳の「獅子」は下絵の展示だったことである。

帰宅後は原稿執筆。

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2011年6月29日 (水)

亀井静香と菅直人

菅直人の居座りに対して、閣僚からも、民主党幹部からも批判の声が上がっている。しかし、国民新党の亀井静香は、菅総理の延命に手を貸していろいろな動きをしている。

亀井と菅とは、十年くらい前、森喜朗の「神の國発言」に関して、『サンデープロジェクト』怒鳴り合いの大げんかをしていた。私はそれをビデオに記録している。

國體観・歴史観という思想信条の根本問題で、激しく対立していた二人が今は、手を組んで権力の延命を図っているのだ。

思想も理念も関係なく権力に固執するのが今の政治家どもなのだ。菅直人と亀井静香は性格的にも思想的にも絶対相容れない。しかし、権力維持という点で利害が一致している。菅は、総理を辞めたくないし、亀井は大連立になったら、自分の居場所がなくなるということなのであろう。

亀井静香は田母神俊雄氏のことをテレビで「田母神だか死神だか知らないが…」と罵ったことは許せない。亀井が支那事変を日本軍の侵略だったと思っていても、意見が異なるからと言って、他人様をよりにもよって「死神」だなどと罵るなどということが許されるはずがない。

亀井は、自分が自社連立を推進し、村山内閣閣僚であり、「村山談話」にも深く関わったので、「村山談話」を否定した田母神氏が憎くてしょうがなかったのであろう。また、自衛隊への反感・蔑視もあるのだろう。

また最近は「皇居を広島に御移しすべし」などということをも畏れ多くも、陛下の御前で口にした。不敬千万な行為である。

以上の点から、私はどうも亀井静香という政治家が好きになれない。亀井氏は時々良い事も言うし、私の同志や親しくしている人に、亀井氏と親しい人が案外多いので、あまりこういうことは書きたくないのであるが、今回の菅直人擁護の動きは納得がいかないので、敢えて書いてしまった。

自民党政権時代の歴代総理は、みんな小沢一郎に苛められて辞めてしまったのに、菅直人の今回の粘り腰というか、権力維持への執念に対しては、小沢一郎も為す術がないようである。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年6月28日 (火)

「三種の神器」について

「三種の神器」について書かせていただきたい。

 

「天皇中心の神の國」がわが國體である。この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。天皇の統治したまえるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、御歴代の天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、そうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦い」を否定しているのではない。

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されているのである。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

これらは別々の観念として傳えられているのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一體になること)の観念である。

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。つまり、武こそ真の平和を実現するのである。そして、日本天皇は、その「武」の精神の体現者であらせられるのである。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はすやすや寝ている。

夕刻、団子坂にて、同志と今後の諸活動について相談。

帰宅後は、書状執筆など。

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2011年6月27日 (月)

天皇と「武」の精神

本日の「日本の心を学ぶ会」において、次のようなことを語らせていただいた。

            ◎

今日、『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」に汚染されて、自衛隊が軍ではないというような考え方が横溢している。国軍としての真姿が隠蔽されている。そして、天皇・皇室と、自衛隊との関係は希薄になっているように拝される。これは重大なる國體隠蔽である。

しかし、天孫降臨の時天照大御から授けられ皇位継承と共に歴代の天皇が継承されてきた「三種の神器」は、「鏡」「玉」剣」である。「剣」は「武」の精神を象徴している。

古代日本においては、「神武天皇」「天武天皇」「文武天皇」「聖武天皇」と申し上げる「諡号」を拝する。さらに、応神天皇は、八幡神として武の神と崇められてきている。

「建武中興」という後醍醐天皇が断行された維新は、その名の通り隠蔽され衰微していた「武」の精神の復興を目指されたのである。

このように、天皇・皇室は、「武」「軍」の最高の神聖なる権威を体現されるのである。それが、日本國體の真姿であり、日本の伝統である。これは、天皇・皇室が戦いを好まれるというのではない。日本皇室の「武」とは、「神武」即ち神聖なる武・神ながらの武であり、「聖武」即ち聖なる武であり、「天武」即ち天の御心のままの武であり、「文武」即ち文武両道の武である。

國體の真姿を回復し、天皇を最高の精神的統率者と仰ぐ国軍が再建されなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『日本の心を学ぶ会』の講演準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が司会。小生が「楠公精神と現代」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、諸雑務。

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2011年6月26日 (日)

建武中興について

戦後日本のいわゆる「平和主義」の謳歌は、皇室から「武」の精神を切り離してしまった。また「軍」との関わりを断絶せしめてしまった。

しかし、「三種の神器」に「剣」があるのを拝しても明らかなごとく、皇室の道統・日本天皇の国家統治は、武の精神と一体である。また上御一人日本天皇は軍の最高の統率者であらせられる。

神武天皇・天武天皇・聖武天皇という諡号を拝して、それはあまりにも明白である。応神天皇は、八幡宮として祀られ、武の神・軍神として今日に至るまで崇められている。日本天皇及び朝廷は、わが国の伝統的な武の精神の体現者であらせられる。軍においてもその頂点にお立ちになるのが本来のお姿である。

しかし、中古時代以降、朝廷において「武の精神」が希薄になったことが、武家による政治の壟断の原因であると言ってよい。後鳥羽上皇・後醍醐天皇は、隠蔽され衰微していた天皇の国家統治と武の精神の一体性の復興を目指されたのである。

元弘四年(一九九四)正月二十九日、「建武」と改元されたのは、武の精神の復興を目指されたからである。また、護良親王は征夷大将軍兵部卿に任じられた。

建武中興は、武家による政権壟断以前の時代の精神の復興であった。すなわち復古即革新である。今日の日本においても、建武中興・明治維新の理想が実現されねばならない。

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の『日本の心を学ぶ会』における講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父は少し元気を回復し色々なことを話すようになった。有難いことである。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。慶野義雄平成国際大学教授が「改憲草案作成のための予備的考察」と題して研究発表。『大日本帝国憲法』について貴重なお話があった。久保田信之・田尾憲男・竹内雄一郎の各氏ら全員で討論。内容は後日報告します。。

帰宅後も、明日の講義の準備。

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2011年6月25日 (土)

楠公精神への回帰

日本の古典には「名文」と言はれるものが多数ある。『太平記』の次の一節は、その最たるものであろう。

「合戦の習にて候へば、一旦の勝負は必ずしも御覧ぜらるべからず、正成いまだ生きて有ると聞こしめし候はば、聖運遂に開かるべしと思しめし候へ。」

「舎弟の正季に向て、そもそも最後の一念に依て、善悪の生(しゃう)を引くといへり。九界の間に何か御辺の願なると問ければ、正季からからと打笑て、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替(かへ)て、この本懐を達せんと契て、兄弟共に刺違て、同枕(おなじまくら)に伏にけり。」

この文章には、楠公の絶対尊皇精神、七生報国の精神が見事にうたひあげられてゐる。

落合直文氏の作詩による『櫻井の訣別』もまた、楠公父子の尊皇精神が格調高く切々とうたひあげられている。

「汝をこゝより歸さむは
わが私のためならず
おのれ討死なさむには
世は尊氏のまゝならむ
早く生ひ立ち大君に
仕へまつれよ國のため」

日本国家存立の基礎は、国民の尊皇精神である。大楠公は「尊皇精神」を体現された方である。大楠公仰慕の心は、『太平記』『日本外史』などの史書によって後世に伝えられた。明治維新の志士たちも楠公精神を継承して維新を戦ったのである。

現代のわが国は、精神的・思想的・政治的に混迷の極に達している。また近隣諸国との関係も緊迫している。今こそ、楠公精神即ち絶対尊皇精神・七生報国の精神に回帰しなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、母のお世話。

午後一時四五分より、永田町の参院議員会館にて、「東日本大地震からの復興を考える経済再生の決め手―政府貨幣発行権を考える―セミナー」という長い名前の会合に出席。加瀬英明氏が開会の辞。平沼赳夫衆院議員が基調講演。丹羽春喜大阪学院大名誉教授・渡辺利夫拓殖大学学長・長谷川三千子埼玉大教授・塚本三郎元民社党委員長が講演。内容については、後日報告します。平沼・塚本両氏は、厳しい民主党政権批判を展開された。

丹羽春樹先生とは昭和五十年代前半すなわち今から三十有余年前、京都の松本明重氏を団長とする台湾・韓国訪問団でご一緒した。全く衰えを見せず、矍鑠としておられ、そのころとあまりお変りはなく、今日も、元気に講演された。

帰宅後は、日曜日に行われる「日本の心を学ぶ会」での講演準備。建武中興と楠公精神について話させていただく。

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2011年6月24日 (金)

今年は大東亜戦争開戦七十年である

今年は、大東亜戦争開戦七十年である。

昭和十六年十二月八日、影山正治氏は、

「いざ行きて今こそ撃てと待ち待ちし神のみことは天降りたり」

「そ根芽つなぎ撃ちてし止まむ皇軍(みいくさ)の起ちのきほひはさやかなるかも」と歌った。

保田與重郎氏は、

「対米宣戦の大詔を拝し、皇國の向ふところ、必ず神威発するあるを確信した。…神命は常に國際謀略を霧消せしめ、万民草莽の苦衷は必ず大御心のしらしめすところ、まことに神州たる所以、神州不滅の原理を感銘し、感動し、遂に慟哭したのである」とその日記に記した。

中河幹子氏(中河與一氏夫人)

「戦へば勝つ皇軍やいにしへゆしか思へども涙あふるる」

と歌った。

また、中村武彦氏は、戦争直後獄中で「今こそ撃てと詔(みことのり)/承けて起ちたる暁の/あの一億の感激を/敗けたからとて忘られよか/そうだ敗けても国護る/大和魂われにあり」と歌った。

 祖國日本が近代において、欧米列強の侵略支配に抗して祖國の独立を維持し続けただけでなく、アジア解放に努力した歴史に対して、日本國民が誇りを持ち、先人たちに感謝し慰霊すべきなのである。しかるに、今日の日本の圧倒的に多くの國民が、國内外の反日勢力の洗脳・宣伝によって、東京裁判史観・大東亜戦争侵略戦争論に汚染され、祖國への誇りと自信を喪失している。そして、日本近代史を「近隣諸國への侵略の歴史であった」として罪の意識のみを持ち先人を冒する風潮が横溢している。こうしたことは一刻も早く是正されねばならない。

 我々日本國民が日本近代史をどうとらえるかが、今日の日本人の精神構造やその國家観に大きな影響を与え、現実の政治・外交・教育など全てにわたることを規定する。

 近代日本が弱肉強食の世界で生き抜き、西欧列強の侵略に抗して独立を維持していくために、「富國強兵」「殖産興業」の合い言葉のもと近代國家建設を行ったことは、わが日本民族が誇りにすべき事実である。また、明治維新以後の日本の海外進出そしてその到達天としての大東亜戦争が、日本の一方的な侵略であったという歴史観は全く誤りである。 近代日本史および大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の検索整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、グランドヒル市ヶ谷にて、「『ざっくばらん』ごくろうさんの集い」開催。

田久保忠衛氏(呼びかけ人代表)が挨拶し「奈須田敬氏は知的巨人である」と語った。

堀江正夫氏は祝辞で「奈須田さんの書斎と頭の中にあるものを若者たちに継承させてほしい」と述べた。

このほか、橋本五郎・加瀬英明・小川勝也の各氏らが祝辞を述べた。

この後、工藤美代子さんから花束が贈呈された。

そして『ざっくばらん』の主宰者・奈須田敬氏が挨拶し「生きながらに『ざっくばらん』の葬式を出してもらった」と述べた。

会場には多数の方々が参集し、奈須田氏のご労苦をねぎらった。保守的立場の評論家・学者・文化人の方々が結集したという感じであった。

『ざっくばらん』発送の時は、奥さまが封筒詰めをされていたという話を聞き、身につまされる思いがした。

奈須田先生のご健勝を祈ります。

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奈須田敬氏

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田久保忠衛氏

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堀江正夫氏

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加瀬英明氏

帰途、同志数人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年6月23日 (木)

菅の暴走に為すすべがない与野党幹部は情けない

総理大臣の首を取るのは難しいらしい。しかし、自民党政権時代の総理はちょっと行き詰まるとすぐ自分から辞めてしまった。潔いというべきか、根性ないというべきか。しかし菅直人を根性があるなどとほめるわけにはいかない。

私の大嫌いな「朝日新聞」六月二十一日号に同紙編集委員の曽我豪氏が次のように書いている。

「もう限界だ。自分の顔を見たくないなら早く通せ。再生エネルギー促進という脱原発の明日に直結する法案について、最高権力者がこんな脅しめいた事を言い放つ国に住む不幸を私たちに甘受せよというのか。」「協調を損ねる乱雑な政治作法と自己の責任に無頓着な言葉の軽さ、それが菅政治の本質だ。」

同感である。それにしても菅の暴走に為すすべがない与野党幹部は情けない。

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーが来宅。介護について打ち合わせ。

午後は、原稿執筆のための資料検索。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識が大分はっきりしてきた。

帰途、上野広小路にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

猛暑到来。節電に心がけたいと思う。

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伴英幸氏「原子力発電と新エネルギーを考える」と題する講演内容

六月二十日に行われた『一水会フォーラム』における伴英幸氏(原子力資料情報室共同代表)が「原子力発電と新エネルギーを考える」と題する講演内容は次の通り。

「三月十一日の地震により、十一の原発が一斉に自動停止した。津波などで十五の発電所が現在も止まったまま。再起動まで最低でも三年くらいかかる。福島第一原発は、全電源喪失という事態。これは最も恐れていた事故のパターン。

自動停止後も核燃料は高熱を発する。二四〇万キロワットの熱を出している。そのうちの三分の一が電気になり、三分の二は捨てられる。核分裂した破片は放射性物質になる。二百種類の放射能が生まれる。放射線はエネルギーになる。それが熱になるので、冷やし続けねばならない。電気出力八十万キロワットの原発が地頭停止二時間後で四万キロワット近い熱を出している。冷却できなければ溶ける。地震で外からもらう電気が来なくなった。全てのジーゼルが駄目になり、所内の電源は全く使えなくなった。冷やし続けられないので、燃料溶融(メルトダウン)の事態になった。五時間たった時にメルトダウンは始まっていた。燃料が溶けて水と反応して水素が発生した。それが噴き出した。蒸気の通路の閉じ込め機能が失われたのかもしれない。蒸気が漏れ、建物の上の方にたまって爆発した。二号機は地下で爆発が起きた。三号機はさらに壊滅的。

国際的事故評価尺度で判断して自己レベル七に位置付けられた。チェルノブイリと同じレベル。史上二番目の自己。上記には様々な種類の放射能が含まれる。水素爆発は最悪の事態。それが避けられたのは不幸中の幸い。原子炉は冷却し続けなければならない。循環冷却へ向けた努力はうまく機能していない。放射能漏えいは続いている。特に海洋は問題。

作業員の被爆はかなり深刻。百人を超える人々が直ちに影響が出るレベルに達している。福島で作業員を集めるのに苦労している。住民は半径二十キロメートルの範囲の避難になっている。汚染の広がりはその時の風向きで変化する。福島の若い人たちの将来の健康への影響が一番心配。

戦後、旧財閥系は原子力産業へ流れて行った。原子力が次の産業となっていくという意識があった。二兆円を超える産業となった。ただ維持するのが自己目的となった。

核燃料サイクル技術獲得が大きな目標とされた。技術的に獲得できているわけではない。技術抑止という言葉がある。核兵器を持たないことを前提として技術を持っていることが重要。今の枠組みが崩れると、技術を持っている国と持っていない国との差ができる。

スリーマイルの経験から、最終的に燃料を取り出すのに十余年かかる。その間住民は戻れない。

医療関係以外は、核放棄の道を求めたい。余震が一番怖い。統計的にベラルーシの住民の寿命が短くなっている。日本の原発は老朽化が進んでいる。福島一号機は四十年を超えていた。津波以外に地震によって根本的ダメージを受けていたという見方がある。節電に協力すべし。」

         ◎

小生の原発問題は素人ですし、小生のメモと記憶と配られた資料をもととした報告ですので間違っている点があるかもしれません。私自身は、原発・核開発は全面的にストップすべきだと言い切ることはできません。ただ相当危険であることは今回の事故で明らかになりました。今私たちに迫られているのは、科学技術を利用した快適な生活というものの根本的見直しではないかと思います。

しかし、現代の生活は電気がストップしたか全く成り立たなくなります。こうしてパソコンを利用することすらできなくなるのであります。今私にできることはできるだけ節電をすることしかありません。

メディアでは全く論じられませんが、テレビ放送の製作及び視聴の電力使用量はどれくらいなのでしょうか。もっと節約できるのではないでしょうか。あまりにもチャンネルが多すぎますし、内容も全く放送する必要のないものもあります。食べ物に関する番組、買い物番組などです。

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2011年6月22日 (水)

日本ウズベキスタン協会「特別シンポジウム」における登壇者の発言

六月十八日に行われた日本ウズベキスタン協会主催の「特別シンポジウム 三・一一後の日本の世界を考えるー日本の未来―大震災・イスラム・文明の転換」における登壇者の印象に残った発言を記します。

田中正明氏(元電力会社役員)「六十七歳だが、ボランティア活動を受け入れてくれたので、四月下旬に石巻・塩釜に行った。海の汚泥と下水の強烈な匂いと埃が凄かった。これはテレビ報道では実感できない。塩釜は消毒の匂いが凄かった。石巻では高台から市内を見ると全てがなぎ倒されていた。IAEAを通してきちっと対処すべし。日本に合った形での原子力のあり方が問われている。阪神淡路大震災の六千人の死者のうち一千人は震災の後に亡くなっている。お互いに助け合うことが必要。日本は年間三万人も自殺者が出ている。英雄待望論はやめた方が良い。テレビは料理番組が多すぎる。取材しないでいいし金もかからないからだろう。高齢者の働ける社会にしたい。」

グレン・フクシマ氏(基米政府日本部長・エアバスジャパン会長)「三月十一日は東京にいた。四月下旬にアメリカに行った。海外から日本への同情と支援があった。ボストンなどでも募金活動が行われた。日本国民への評価が高く、日本のリーダーへの批判があった。三月下旬、私の住んでいる東京のマンションの外国人の八割は祖国に避難した。日本政府の国内国外に対する発信が有効ではなかった。地震・津波で海外からの観光客で悪影響が出ると懸念しているが、日本では切迫感がない。今回の震災で日本が変化するかどうかが注目されている。日本のテレビは事態を沈静化せんとしている。外国のメディアは危険性を報道している。『ニューヨークタイムズ』は最初から東電批判を行った。日本のメディアはしなかった。政治家・監督官庁・電力会社の関係がおかしい。『ニューヨークタイムズ』は十数人の記者を日本に送り込んだ。かなりの体制。日本のメディアの報道への不信があった。政権交代で日本は変わると言った人が多かったが、日本が良くなったと言う人はあまりいない。三・一一によっても日本は変わるのか。さらに内向きになるのか。政治・企業のリーダーが育っていない。指導力がないのが大問題。」。

西川恵氏(毎日新聞専門編集委員)「日本政府が再三要請してもサルコジ大統領は日本に来なかった。大震災の後すぐに来日した。フランスは原発制御技術を持っていることをアピールし成功した。汚水処理にもフランスの技術がかなり入っている。フランスは徹底した安全のための準備をしていた。テロも想定している。日本の在外公館は、外国の間違った報道に対して訂正を申し込んでいるが、これは防衛的。フランス大使はこれまで八回も日本のテレビに出ている。日本政府は国民や海外に語りかける競争で圧倒的に負けている。宣伝戦において日本は負けている。中国の最大の問題は人口増加。北アフリカはヨーロッパの安保上重要な南翼。トルコ・リビアに対するヨーロッパの外交は失敗した。北アフリカとの関係を再構築しなければならない。今回の原発事故の心理的影響は極めて大きい。九十五年のサリン事件と同じ。北東アジアの外交環境は厳しい。圧力が強まる。その時の日本の政治家の指導力が問題。政府の執行力を強めるべし。効率の良い政府をつくるべし。多数を制した政党にある一定期間政策を執行せるべし。」

飯塚正人氏(東京外語大教授)「三月十一日の地震発生時はシベリア上空にいた。CNN・BBCは、一時間のニュース報道のうち、三十分が原発、二十分が地震、あとの五分がリビアと天気予報など。日本とは全く温度差がある。メルトダウン(炉心溶解)でもう日本へは帰れないと思った。福島県は危険の中で、命懸けで取り組んでいる。エジプトは、実権は軍が握っている。軍と新しいイスラム政党とのバランスが問題。アフリカも中東も中国の進出ぶりが凄い。根付き方が違う。中国人はいきなり農業をやって根付いてしまう。リビアが内戦状況になって、中国人は大量に脱出した。ロシアの影響力はかつてのソ連より弱くなっている。既得権益はほとんどなくなっている。中国のプレゼンスは大きくなる。日本人は内向きになっている。若い人が国内のことしか見ない。もう一度外に目を向け、外国に出かけていかねばならない。」

嶌信彦氏(日本ウズベキスタン協会会長)「このままほっておくと東北は衰退する。日本は近代化によって途上国から先進国になった。日本の歴史・伝統・四季の変化による感性の豊かさ、日本の良さを世界に訴えていきたい。凛とした国・徳のある国になるのがこれからの日本の生きる道。」

          ◎

睡魔と闘いながらのメモなので、書き漏らしたことがたくさんあるのが残念であります。ともかく、日本はこの試練を乗り越えなければならない。日本の歴史は多くのそして大きな試練を乗り切ってきた歴史である。今回の試練を乗り切ることができると確信する。否、乗り切らねばならないのである。大化改新・明治維新を見ても、わが国は国難を国家変革の起点にしてきた。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識がはっきりしている。私の来たことを本当に喜んでくれる。しかし苦しさを訴えられるのがつらい。体をさするよりなすすべがない。

帰途、根津で知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年6月21日 (火)

民主党政権打倒こそが平成維新の第一歩

『日本経済新聞』六月十九日号の「風見鶏」欄に秋田浩之編集委員がに次のようなことを書いていた。

「政権交代を果たしたとき、民主党は明治維新に次ぐ変革だと自賛した。自分も一瞬、そうかもしれないと思いかけた。…しかし、今はこう断言できる。あれは決して維新などではなかった。むしろ、徳川幕府が倒れる前の断末魔の始まりのような出来事であった。と。民主党は自民党という幕府体制を変えると言いながら、何も新しいものを築けていない。」「幕末には透徹した志から名や命を捨て、時代の歯車を回した英傑が現れた。いまの混迷から、そんな政治家が生まれるのか。だめならば、日本は『志士なき幕末』という悲劇に突き進むことになる」

           ○

明治維新を実現した志士たちは確かに透徹した志を持っていた。その志とは何だったのか。言うまでもなく「尊皇攘夷」である。まず以て、小沢一郎・中井洽を見ても明白なように、尊皇精神どころか、皇室を貶め、軽視する言動を繰り返してきたのが民主党政権の中枢を担う男たちである。明治維新の基本精神とは全く逆のことをしているのが民主党政権である。

さらに、尖閣問題・北方領土問題を見ても明らかなように、わが国の主権と領土を侵害する国家に対して毅然とした対応が出来ない政権が民主党政権である。すなわち「攘夷」の精神も実行力もないのである。

民主党政権とは、尊皇精神も攘夷の気概もないただの政治屋たちが、風に乗って経験を取っただけのことである。明治維新と比較すること自体、おこがましいかぎりだったのだ。

民主党政権の打倒こそが、「尊皇攘夷」の実行、即ち平成維新の第一歩である。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。伴英幸氏(原子力資料情報室共同代表)が「原子力発電と新エネルギーを考える」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。内容については、後日報告します。

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帰宅後も、資料の整理。

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2011年6月20日 (月)

『憲法を起草する会』における荒谷卓氏の講義

六月十七日に行われた『憲法を起草する会』における荒谷卓氏(明治神宮至誠館館長)の講義で印象に残ったことを記す。

「憲法の条項の見直しでは価値観の変更はない。憲法の起草とは、憲法を貫く価値観から物事を考えて行こうということ。武道は小手先の技を鍛えても実力は養えない。基礎体力と腹ごしらえを作るのが大事。最も大事なのは何のために武道をするのかということ。

国のありようとして九条をどうしたいのか。日本の国柄の本質を探り、日本の國のあるべき姿を議論する。政体の根本に國體がある。政体が変わっても國體の根幹は変わっていない。大化改新も明治維新も革命ではなく禊祓いして国の本質・あるべき姿に戻った。

天照大御神から命ぜられ、天照大御神の御心を心として国を治める大使命を引き継いで来られた御神霊が畏い。天津日嗣の大使命を達成される。

三権に対して国民主権は作用しているのか。国民は選挙という手段しか与えられていない。立法府に国民主権が正しく反映される状況ではない。憲法では内閣が行政を指導監督することになっている。日本の官僚はものすごいパワーを持つ。仕組み上行政府に国民主権が及びようがない。国民が監視できる仕組みが必要。

日本は議院内閣制。立法府の人間が行政も担当。行政府の規定が憲法上ない。衆参両院議員は何故政治家と呼ばれるのか。行政を実質的に支配しているから政治家という」。

            ○

事前に送って頂いた「文書」(文責・荒谷卓氏)には、「『憲法を改正する』とは、憲法の基本精神を踏まえて、条項の見直しを図ることであるのに対し、『憲法を起草する』とは、憲法の基本精神そのものを見直すということです。本会では、米国に強要された現憲法の基本精神を排し、日本本来の伝統的価値観を基本精神とした憲法を起草することを目指しております」と書かれていた。

まことに正しい考え方であり、全面的に同感である。『現行占領憲法』の「三原理」の「国民主権論」は全く日本國體に合致しない。「平和主義」は敗戦国の戦勝国に対する絶対服従の誓いである。「基本的人権の尊重」はその根幹に道義精神がない欲望民主主義である。この『現行占領憲法』の「三原理」なるものが戦後日本をおかしくしてきたばかりでなく、今日の混迷の根本原因である。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、書状執筆・資料の整理。

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2011年6月19日 (日)

稲田朋美衆院議員の講演

「水曜会」における稲田朋美衆院議員の講演内容は次の通り。

「自民党は下野すべくして下野した。自民党マイナス政権与党イコール零だった。もう一度自民党らしい自民党に戻ることが求められる。一九九名の衆院議員のうち五十名が大臣経験者。

民主党は政党ではない。自民党にはまがりなりにもりっとうの精神がある。民主党には旗がない。反自民党というだけで集まっている政党である。辞めると言っている人を信任した。辞めると言ったから信任した。おかしい。誰も菅が総理にふさわしいと思っていない。前首相が今の首相をペテン師と言う国が何処にあるのか。菅が辞めない限り審議に応じないというのがスタンス。

世論に迎合した思い付きで浜岡原発停止を決めた。法的根拠なしで決められてしまうのが怖い。政治主導とは法的根拠があって勇気を持ってやること。

自民党も原子力は安全だと言ってきた。自民党に五十人以上いる大臣経験者は過去のしがらみがある。私たちぺいぺいはしがらみがない。パニックや暴動が起らなかったことを世界が称賛した。

安倍さんは戦後レジームからの脱却と言った。日本は戦争に負けてから主権制限のもとでやって来た。憲法を改正すべし。谷垣さんは靖国参拝をしている。正しい事なら与党であろう野党であろうと実行すべし。

四月二十八日の『主権回復記念日』に自民党の『四月二十八日を主権回復記念日にする議員連盟』(野田毅会長・小池百合子副会長)ができた。記念集会には谷垣禎一総裁が出席した。谷垣さんは総理になっても靖国神社に参拝すると言った。東京裁判史観脱却を国民に約束したのと同じ。

清瀬一郎弁護士は東京裁判冒頭、原告側を代表して『当裁判所の管轄に関する動議』という陳述をした。『罪刑法定主義』『ポツダム宣言』に違反すると主張した。裁判官は答えることが出来なかった。自分の国の名誉は自分たちで守る。それが主権国家。自民党の『政綱』には『国民道義の確立』と書かれている。道義国家として正しい事を発信する國にしたい。そのためには憲法を改正して自分の國は自分で守る國にしたい。

福井県は学力・体力検査ナンバーワン。日本福井化計画を立てている」。

         ○

昭和三十年十一月十五日に自由民主党が結党された時の「政綱」には、「現行憲法の自主的改正をはかり」と明確に記されている。また、「国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」とも書かれている。結党以来、この二つのことにどれだけの努力を傾注してきたであろうか。自民党はこの原点に帰るべきである。

福井県は、明治維新で大きな功績を残した。松平春嶽公・橘曙覧・橋本左内・由利公正・元小浜藩士の梅田雲浜等が活躍した。史家の平泉澄氏も福井の方である。今日においても、愛国の女性代議士・稲田朋美さんの活躍が期待される。

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千駄木庵日乗六月十八日

朝は、母のお世話。

午前は、「政治文化情報」発送作業。

午後一時半より、内幸町の日本プレスセンターにて、日本ウズベキスタン協会主催「特別シンポジウム 三・一一後の日本の世界を考える」開催。内容については後日報告します。

帰宅後は、「政治文化情報」発送完了。読者の皆様には月曜日にはお届けできると思います。

この後、資料の整理など。

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2011年6月18日 (土)

「政治主導」と「政治家主導」とは厳しく峻別すべし

「憲法を起草する会」において印象に残った参加者の発言は次の通り。なお、荒谷卓氏の講義は後日報告します。

「戦後復興はしていない。日本がアメリカ化しただけ。現行憲法の発想の根源はアメリカの思想。しかし、建国以来の日本民族のDNAは健在」。

「阪神淡路大震災の時、震災対策担当相をしていた小里貞利氏の活躍は目覚ましかった。今はそれがない」。

「昔は、災害などがあると、天皇のご命令で元号が変わった。今は、元号は一世一元制になり、しかも内閣が政令で元号を決める。これは伝統にのっとっていないのではないか」。

「日本の道徳・規範は、『詔』に集約される」。

「政治家はゼネラリスト。官僚はスペシャリスト。政治家が行政というマシンを使いこなすことが大事」。

           ○

小生は次のように思う。

「民主党は『政治主導』と言うが、道義心が希薄であり、徳もなく、しかもゼネラリストなどとはとても言えない政治家が圧倒的に多い。そういう政治家が国家公安委員長になり『政治主導』を金科玉条にして警察組織を恣意的に動かし、政敵を逮捕させたり、不祥事をもみ消させたりしたらどうするのか。法務大臣が検察を恣意的に動かし、同様なことをしたらどうするのか。自衛隊を『暴力装置』などと馬鹿なことを言う人が官房長官であった。彼らの言う『暴力装置』たる自衛隊・検察・警察が、時の権力者の支配下に置かれ、恣意的に使われるようなことになる危険がある。『政治主導』と『政治家主導』とは厳しく峻別されなければならない。早い話が、検察・警察が小沢一郎の支配下に置かれたらどうなるかということである。しかし、警察・検察に対するチェック機構・監視機構はきちんと確立されねばならない。議会も公安委員会もその機能を正しく果たしているとは言えない」。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、明治神宮武道場至誠館にて、『憲法を起草する会』開催。荒谷卓館長が講義。全員で討論。

久しぶりに小田急線参宮橋駅より明治神宮に向かった。雨上がりの神域は実に清らかでしっとりとしていた。浮世の喧騒を忘れさせる。武具を背負った若者たちとすれ違う。会合が終わった後、真っ暗になった森の中を歩みゆく。少し恐いが神秘的であった。荒谷氏の講演は後日報告します。

帰宅後も、発送準備。

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2011年6月17日 (金)

三人の恩師

私にも「恩師」と申し上げるべき方がおられる。谷口雅春先生・野依秀市先生・中河与一先生のお三方である。

谷口雅春先生は、生長の家の創始者であられる。先生の著書「生命の實相」は、今も座右の書である。毎日就寝する直前に拝読している。今色々な精神世界と言われる分野の書籍・宗教書が出ているが、「生命の實相」をはじめとした谷口雅春先生の著書に書かれていること以上のものはないように思う。小生の言論・思想・信条に最も大きな影響を与えた方が谷口雅春先生である。中学三年生の時に毎週日曜日の朝、ニッポン放送で放送されていた「幸福への出発」を聞いたのが谷口先生との出会いであった。以後、大学卒業まで、生長の家の組織活動に参加した。谷口先生には、直接色々ご指導をいただいた。大学卒業時には、就職の心配までしていただいた。非常に有難いことであった。

野依秀市先生は、高校三年の時、野依先生が主宰しておられた『帝都日日新聞』を読む機会があり、その御主張に共鳴した。そして「書生」となった。一年にも満たない期間であったが、お側で仕えさせていただき、本当に色々なことを学んだ。明治・大正・昭和の三代にわたって、政治家・言論人・宗教者として活躍された方の側にいることが出来たのはまことにありがたい事であった。言論活動の意義と素晴らしさを教えて頂いた。野依先生については、先月、「中外日報」という宗教専門新聞に一文を書かせていただいた。

中河与一先生は、二松学舎大学に入って、『萬葉集』を学ぶようになった時、先生の著書『萬葉の精神』を拝読し、感激した。そして一度お目にかかりたいと思っていた。昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫氏らの「楯の会事件」が起った。そしてその直後、豊島公会堂で追悼集会が開かれた。その時、楽屋ではじめて中河先生にお目にかかった。以後、先生の主宰する文芸勉強会に参加させていただいた。また、令夫人・中河幹子先生の主宰する短歌の会にも参加させていただいた。先生の作品も文藝論も日本伝統精神に立脚した素晴らしいものであると思っている。

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、発送準備。

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2011年6月16日 (木)

共産国家こそ暴力装置だ

仙谷由人氏は「自衛隊は暴力装置」と言った。左翼革命運動家であった人ならではの発言である。マルクス・レーニン主義では、国家は暴力装置であり支配と被支配との関係の権力機関的存在であるとしている。そして窮極的には国家を否定し、「人間による人間の搾取のない社会」なるものを目指すとしている。

しかし、現実には、旧ソ連・共産支那・北朝鮮そしてかつての東欧諸国といった「共産主義国家」こそ、国家が暴力装置となり、人間による人間の搾取が行われ、階級差別が歴然とし、ごく一部の階級による専制支配が行われてきた。今日唯今も、北朝鮮・共産支那はそういう国家である。

そうした共産国家の手先となり、日本を共産化しようと蠢動してきたのが、社会党・共産党そして日教組・国労・動労・全逓・自治労などの左翼労働運動組織なのである。

そうして者どもの残りカスが、社民・共産そして民主党左派なのだ。天皇中心の國體を否定し、国旗日の丸や国歌君が代も認めず、愛国心を嫌う人々は、「国家」を権力機構としてのみとらえているのである。民主党内にはそういう勢力が根強く残っている。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田で行われた大行社幹部会にてスピーチ。今年は大東亜戦争開戦七十周年であることについて話させていただいた。

いったん帰宅。

午後六時より、平河町の都道府県会館にて、『水曜会』開催。篠宮良幸氏が主催者あいさつ。稲田朋美衆院議員が講演。つづいて懇親会。稲田さんの講演については後日報告します。自民党には稲田氏をはじめ小池百合子・山谷えり子といった女性議員にしっかりとした人が多い。

篠宮氏は、雑誌「全貌」の編集長・全貌社専務を歴任された人。小生の「姓」と「音」が同じなのでよく間違えられる。私より大先輩である。小生の友人同志であった原正寿氏が篠宮氏のもとで「全貌」の編集長を長く務めたので、かなり以前から親しくさせていただいている。全貌社からは、拙著『天皇・祭祀・維新』を出版していただいた。雑誌『全貌』は、共産党及び左翼革命運動批判を長く展開していた雑誌である。共産党からは「札付きの反共暴露雑誌」などと攻撃された。

その「全貌」も今や廃刊となり、共産党の力が弱まっている。しかし、歴史と伝統の国日本を破壊せんとする勢力はまだまだ健在であるし、共産支那・北朝鮮という専制国家・侵略国家・国際テロ国家による我が国に対する圧迫・主権侵害・侵略策謀はとどまるところを知らない。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2011年6月15日 (水)

公文書の公開について

「公文書等の管理に関する法律」が、この四月に施行されたらしい。この法律の第一条には、「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」という趣旨で制定された。

しかし、全ての公文書が公開されるわけではなく、二二六事件・五一五事件など歴史的大事件の記録は、容易に閲覧できないばかりでなく、どのような事件の記録がどこに保管されているかさえ非公開だという。

小生などは、二二六事件・五一五事件ばかりでなく神兵隊事件・大本教事件・ゾルゲ事件・中野正剛自決事件、さらに遠くは西南戦争・大久保利通遭難事件などの記録も機会があれば閲覧したいのだが、無理なのだろうか。

こういう事件の記録のことを「刑事参考記録」と刑事参考と言うのだそうだ。刑事事件の記録は、犯罪被害者の人権やプライバシーを守るために全面公開はするべきではない。しかし、歴史的大事件については、全面公開されてしかるべきであろう。

また「刑事参考記録」が裁判所ではなく検察庁に保管されているというのもおかしい。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、母のお世話。訪問看護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備・資料の整理など。

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2011年6月14日 (火)

米軍基地を日本国軍基地にすべし

『世界日報』六月十二日号で、新垣安弘民主党沖縄県連総支部連合会代表が「独立国家としての国防に対する意識の面で問題があるし、対等とはいかなくても健全な日米関係となっていない。」「対米依存だけでいいという訳ではない。…沖縄の過重負担を減らすべきだ」と論じてゐる。さらに、「中国の軍事力が著しく拡大していることは大変懸念すべき事実だ。これまでのような防衛意識が希薄なままの外交・防衛でいいのか。」「日米同盟を基軸とした上で、軍事的にも経済的にも力をつけた中国とどう向き合っていくのかが大事だ」と論じた。ほぼまともな意見である。

沖縄の基地問題の根本解決は、米軍基地を自衛隊の基地にすることである。自分の國は自分で守るという基本原則に立てばそれが最良である。外国の軍隊が国内に駐留しているというのはやはり異常である。沖縄は、米軍基地になっていると同時に、反米闘争の基地になっているのである。日米同盟を基軸にして共産支那と対峙していくためには、沖縄が反米闘争の基地になっている現状を是正しなければならない。それより何より、対米依存の解消・日米対等関係の確立・自主防衛体制確立の第一歩として、沖縄米軍基地を自衛隊というよりも大日本国軍の基地にするべきである。

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最近受贈した書籍

最近受贈した書籍。

「信念の神道家 橘三喜」 郡順史先生著 一の宮巡拝會発行 著者より

「雲南の多様な世界」 栗原悟氏著 大修館書店発行 佐抜邦一氏より

「天皇の暗号」 大野芳氏著 学研発行 発行所より

「世界革命 革命児ゲバラ」 面影橋出版発行 森洋氏より

寄贈して下さった方々に感謝します。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

昼は、知人と懇談。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年6月13日 (月)

「アジア問題懇話会」における吹浦忠正氏の講演

昨日行われた「アジア問題懇話会」における吹浦忠正氏の講演内容は次の通り。

「昭和十六年生まれで、七十歳になった。戦争を知らない子供たちの一期生。大学入学の時が第一次安保。大学生に意識調査をしたら、九六人中二一人が大東亜戦争を知らなかった。一六人が日米戦争では日本が勝ったと答えた。真珠湾は三重県にあると答えた学生もいた。

海外が見える領土の一つが北方領土。稚内に『日本最北端』という碑がある。稚内市長に抗議したら、『あれだけが観光資源』と言われた。与那国からは台湾が見える。納沙布岬から貝殻島が手に取るように見える。

国後島は沖縄全島を合わせた広さと同じ。択捉島はもっと大きい。一九四五年にソ連軍は北緯五十度を越えて南下。真岡に艦砲射撃を行った。豊原にあった樺太庁の最後の長官・大津敏男氏は、本内閣調査室長の大津英男氏の父上。樺太には三百人の残留日本人がいた。韓国人は四万八千人いた。これ人たちは強制連行で樺太に来たのではない。一肌脱ぎの人々。北方四島では無抵抗で武装解除された。

一九五九年のサンフランシスコ条約で千島列島は放棄した。北方領土問題は、国家の尊厳と国民の矜持が第一。領土交渉は時間を要する。共同統治はうまく行ったためしがない。日本からそんなことを言っては駄目。

私は占守島までが日本のものと思っている。はじめから四島返還で交渉するのでは駄目。平成五年(一九九三)の『東京宣言』が重要。具体的に四島の名をあげ、その帰属の決定には①歴史的・法的事実に立脚し②両国の間で合意のうえ作成された諸文書及び③法と正義の原則を基盤としてという三つの原則によることが明記された。

メキシコとアメリカの間のリオグランデの領土問題解決に一〇四年かかっている。KGBは日本の内部分裂を狙っている。日本側からロシアに対してカードを出すのは間違い。『四島一括全面返還で平和条約』という確固たる姿勢を継続すべし。

領土問題を各国語で世界に発信すべし。日ロ両。国の政治状況が安定するのが『天の時』。それまでは『人の和』を図り様々にシュミレーションをし、叡智を結集しながら時を待つべきである。毎年首相が変わる國に外交は出来ない。鳩山さんは日ロ外交が家業だと思っている。鳩山さんは二島と言ったり四島と言ったりその都度いうことが違う。

ロシアは選挙が近くなると愛国心を謳歌する。メドベージェフは、プーチンがやらなかった北方領土上陸を行った。あまりに開発が遅れているのに驚いた。国後島には街灯が二四個しかない。道路は一本も舗装されていない。前原前外相は北方領土まで行けばよかった。小池百合子・鈴木宗男・尾身幸次の各氏は行った。

菅内閣では官邸が外務省の言うことを聞かなくなった。外交問題のレクチャーに行った外務省の局長に菅総理は八ッ場ダムの話をしだしので『私は外務省です』と『帰れ』と怒鳴られたという。菅さんの国家間の無さはひどい。しかし、小泉も福田も麻生も外交は駄目だった。安倍晋三以外は駄目だった」。

司会の澤英武氏は「ロシアとは一切交渉せず、ロシアの不法性を世界に宣伝するべし。菅政権は瓦礫のようなもの。本人がどかないと言っているのだからなお困る。官僚に身命を賭して首相に諫言する人がいない」と語った。

         ○

「南樺太全千島」が、わが国がロシアから奪還すべき「北方領土」である。決して北方四島のみではない。吹浦氏の主張は正しい。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も資料の整理。

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2011年6月12日 (日)

国家的民族的一大変革は国難打開と一体である

「国難」という言葉が良く使われる。何と戦時中に使われた「挙国一致」という言葉もよく使われる。真正保守運動・民族運動を行っている人々は良く使う言葉だが、東日本大震災の後は、左翼偏向マスコミですら使っている。国家を否定し、国家を呪い、国家を貶めている左翼や偏向マスコミにこの言葉は使う資格はない。

わが国の歴史は、国難と戦い、国難を克服してきた歴史であると言っても過言ではない。もちろん、平安時代や江戸時代、そして戦後の五十年間くらいは「平和な時代」が続いた。しかし、わが國国史上、飛鳥時代の新羅・唐連合軍侵攻の危機、壬申の乱、元寇、南北朝の争乱、応仁の乱とその後の戦国時代、江戸末期の西欧列強侵略の危機、大東亜戦争の敗北という大国難が続いた。日本民族はそうした大国難を力強くそして巧みに乗り切ってきた。

東日本大震災は確かに国難である。さらにわが國は今、共産支那・北朝鮮による外患の危機に直面している。こうした危機を乗り切るために指導力を発揮すべき政治家がいない。このことも国難である。

国難打開の原理・日本的変革の原理は何か。それは尊皇攘夷の思想であり、神国思想である。明治維新・大化改新・建武中興はこの原理によって断行された。この度の国難も同じ原理によって乗り越えることができると確信する。国家的民族的一大変革は、国難打開と一体であった。大化の改新・建武の中興・明治維新はその典型である。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、母のお世話。

午後十二時より、青山霊園にて、「無名烈士墓前法要」執行。読経・焼香・「無名烈士を弔ふ歌」斉唱・呼び掛け人代表犬塚博英氏挨拶・施主頭山興助氏挨拶などが行われた。法要が始まると雨があがった。蝶々が二匹飛んでいた。墓地の緑が美しく空気もきれいだった。多くの同志と会った。直会があったが、残念ながら不参加。

法要風景

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午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。吹浦忠正氏(ユーラシア21研究所理事長)が「日ロ関係と北方領土問題」と対して講演。質疑応答。内容はあらためて報告します。

夕刻、日本橋にて知人と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理。

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2011年6月11日 (土)

「民主」という美辞麗句について

「民主」という言葉ほど怪しげな言葉はない。戦後日本そして現代日本の荒廃の原因は、道義心・倫理観の低下にある。「民主的」「個人の尊厳」という言葉も字面としては正しい。しかし、戦後日本においてそれは「自分の権利や欲望さえ満たされれば他人や国家はどうなってもいい」という誤れる思想と同意義になっている。根本に、神仏に祈る心、国を愛する心、皇室を敬う心、家族を大切にする心、道義心・伝統を尊重する精神があってこそ、「人としての尊厳」が正しく実現するのである。

民主とは「民が主になること」などと単純に考えるのは大きな間違いである。「民主」とか「民主主義」とは一体具体的にはどういう事なのか明確ではない。中華人民共和国=共産支那、朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮などを見れば明らかなように、麗々しく国名に「人民」とか「民主」とかを冠している国において専制的な独裁政治が行われている。

独裁専制政治が行われていた共産圏諸国において「民主」とか「人民」という言葉がよく使われる。独裁専制政治・一党支配を「人民民主主義」だとか「民主集中制」などと言い換えていたのである。

わが国内においても共産党一党独裁専制政治を目指す日本共産党が、「民主青年同盟」「民主商工会」「民主医療機関連合会」など「民主」という言葉を多く用いている。美辞麗句や奇麗事を声高にいう国や法律や政党ほど危険なものはない。『現行占領憲法』および『教育基本法』の「前文」は美辞麗句の典型である。この二つの法律が、祖国を荒廃させ亡国に導いている。

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、母のお世話。

近所に新規開店したラーメン屋で昼食。小生の好きな醤油味の東京ラーメン。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、近所に新規開店したお店にて夕食。魚料理屋なのに焼鳥の方がうまかった。

帰宅後は、資料の整理そして原稿執筆。

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2011年6月10日 (金)

大東亜戦争開戦七十年に思う

今年は大東亜戦争開戦七十周年の年である。あまり論じられることがないのが不思議である。大震災が起きたためであろうか。わが国は、核の軍事利用においても長崎と広島に原爆を落とされるという大きな惨禍を被った。そして今年は、核の平和利用においても原発の大事故という惨禍を被った。

だからこそ、アメリカ・旧ソ連・イギリスと戦った大東亜戦争についてあらためて考えなければならないと思う。私は、あの戦争の歴史を考えるとき「鬼畜米英」という言葉は決して大げさではなかったと思っている。また、旧ソ連そして現在のロシアの侵略体質・火事場泥棒体質は許し難いと思う。

わが国は何故米英に宣戦を布告したのか。それは米英本国に日本が攻め入り、彼の国を占領支配せんとしたためではない。米英が百年来、東亜諸国諸民族を侵略支配している状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦いをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列・白色人種に虐げられていたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。アジアの中でよく独立を維持しさらに近代化を遂げ、発展した唯一の国である日本は、欧米列強の植民地支配からアジア諸国諸民族を守る大きな盾となったのである。

旧ソ連(ロシア)はそれを恨みに思い、終戦直前に日本に対して侵略を開始し、南樺太全千島を奪い、多くの無辜の日本人をロシアに連行し殺戮したのである。

開戦七十年を期して、大東亜戦争について日本国民全体が正しき理解をすることが大切である。自虐史観・東京裁判史観の脱却がなされなければならない。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識が比較的はっきりしていると、色々苦しみを訴えるのでつらい。医師と主任看護師の方と少し話す。少し熱が出ることがあるが、安定しているとのこと。しかし一日中というよりも入院して以来ずっとベッドに寝かされている苦しみは耐え難いと思う。こうした原因を作った前に入院していた病院のことが恨まれてならない。そしてその病院に対する抗議を行うために相談していた法律家がさっぱり動いてくれなかったことも怒りの念を持つ。

帰宅後も原稿執筆。

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2011年6月 9日 (木)

倫理精神のない國家は本当の國家ではない

人間は一人では生きていけない。共同体無くして人間は生きていけない。孤立的個人として生きることは不可能である。人間は一人では生きていけない。ドイツの法学者・オットー・ギールケは「人の人たるの所以は人と人との結合にあり」と言ったといふ。

人が人として生活することは、共同体国家の成員として生まれ生きることなのである。そして、共同体国家は倫理精神によって成立する。言ひ換へれば、人が動物ではなく人として生活にしていくようになるのは、共同体の成員として生きることによるのである。個人が自我の拡張ばかりしてゐたら共同体は破壊される。共同体が破壊されればそこに生きる個人は生きていけなくなる。

人間はその本性において「聖なるもの」を求めざるを得ないのである。日本民族において「聖なるもの」とは天皇以外にあり得ない。

倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。今日の日本はまさにそういう國家になろうとしている。

日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

 

現御神日本天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域分化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。天武天皇御製・持統天皇御製・柿本人麻呂の歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年6月 8日 (水)

「国歌君が代」斉唱妨害は人倫国家日本破壊行為である

自我の拡張・自我の実現を根本とする西欧思想にかぶれた人間が、教師でありながら「国歌斉唱」を妨害するのである。「少数者の人権を保護」を名目として「国歌斉唱」に異議を唱へる『朝日新聞』社説の主張も同断である。「自我の拡張」「人権擁護」を金科玉条にして、人倫国家日本を破壊しようとしてゐるのである。

天皇が日本国の倫理精神の鑑であらせられ、「無私・無我・清明心・誠」といふ日本古来の伝統的倫理精神の体現者であらせられるといふのは、天皇が無私になって神に一切をまつろひ奉る行事=「まつり」の執行者であらせられるからである。

「国歌君が代」の斉唱は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ日本国の永遠を寿ぐ行為である。したがって、公教育の場での「国歌君が代」斉唱を否定するのみならず妨害する行為は、日本といふ人倫国家・信仰共同体の破壊行為と断じても何ら差し支へない。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年6月 7日 (火)

天皇陛下は、人倫国家日本の中核であり鑑であらせられる

東北大震災において、あらためて認識されたのは、日本民族の道義精神の高さである。日本は人倫国家である。人倫国家日本の中核が、神聖なる日本天皇の信仰的権威である。

日本民族は、古来、祭祀主天皇の神聖性を道義精神の鑑として仰いできた。この度の大震災においても、天皇皇后両陛下の民と苦楽を共にされるご行動・ご姿勢が、国民に大きな感動を与へた。

「君民一体」は、肇国以来の道統であり、歴代天皇の大御心である。両陛下は、皇室の伝統のままにご行動されてゐるのである。

昭和天皇は、昭和四十五年御年七十歳の砌、次のやうに詠ませられてゐる。

「よろこびもかなしみも民と共にして年はすぎゆきいまはななそぢ」

人間はその本性において「聖なるもの」を求めざるを得ないのである。日本民族において「聖なるもの」とは天皇以外にあり得ない。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、母のお世話。

午後は、在宅して原稿執筆。

夕方、ある新聞社の方と懇談。

夜も、原稿執筆。

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2011年6月 6日 (月)

「国旗国歌訴訟」最高裁判決への『朝日新聞』の暴論

最高裁が五月三十日に言い渡した「国旗国歌訴訟」の上告審判決最高裁判決に対して、『朝日新聞』(六月一日号)の社説は「(起立を拒み戒告処分を受けた元教員は)定年後の再雇用を認められなかった…多数者の意向や勢いに流されず、少数者を保護する。それが司法の大切な使命だ。とりわけ思想、信条、表現、信教など精神的自由に関する分野では、厳格なチェックが求められる。裁判所がその職務を放棄したとき、私たちの社会は多様性を失い、やがて色あせていく。」と論じた。

国民としての儀礼・習慣を身につけさせる公教育の場で、教師が率先して実行して生徒に範を示さねばならない「国歌斉唱」を拒んだ元教員の再就職が認められなかったのは当然である。さういふ常軌を逸し教育者としてあるまじき行為をした元教員でも再就職させてくれる職場を探せばいいだけのことである。そんな元教員の再就職の心配よりも、国歌・国旗の尊厳性の方がよほど大切である。

「多様性のある社会」とは、公教育の場で、儀礼として当然行わなければならない国歌斉唱を拒否する現象が多発する社会ではない。子供が教師の言うことをきかず、騒いだり、教室の中を動き回る現象を「学級崩壊」とは言っても、「多様性のある学級」とは言わないのと同じである。

今日の道義の頽廃はまさに末期的である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。今日の皇室への尊崇の念の希薄化と道義心の低下とは相関関係にあると考える。日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕するのである。

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、母のお世話。

午後二時より、九段の靖国神社境内の靖国会館にて、『郡順史先生を囲む会」開催。桑木野義郎氏が司会。発起人の竹内信幸氏が挨拶。塩原輝昭一の宮巡拝会副代表・森田忠明氏などが祝辞を述べた。

小生は祝辞と共に長編歌謡浪曲「元禄名槍譜・俵星玄蕃」を熱唱した。また、森田忠明氏より「元二の安西に使いするを送る」(王維)、青木孝氏より「星落秋風五丈原」(土井晩翠)、桑木野義郎氏より「蒙古放浪歌」、藤本隆之氏より「昭和維新青年日本の歌」(三上卓)が披露された。

この会は、郡先生が「全国一の宮講元祖・信念の神道家・橘三喜」を上梓されたことを祝して開かれた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

郡順史先生を囲む会風景

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2011年6月 5日 (日)

この頃詠みし歌

戦後復興経済成長の道を歩み来し祖国に迫りし大き国難

わが心鎮まりにけり菩提寺の先祖の墓に真向かひ立てば

洗ひ清めし墓石の下にわれもまた何時かは永久の眠りにつかむ

蛸を食し美味し美味しとつぶやきて夜を過ごせば楽しかりけり

歩み来て古き茶房に入りにけり夕暮れ時の安らぎを得むと

家に帰りさてこれからが一仕事少しの酒に酔ひしながらに

時々に声あげて一人笑ひする 空しき思ひを打ち捨てむとて

水を入れたる灰皿を机の上に置き今日初めての煙草を吸はむ

相槌を打ちつつ相手の話聞く 同感することは少なくありとも

日は長く夜は短かし 雨降ればなほぞせかるるわが思ひかな

母校へと電話をすれば恙無くわが旧友は働きてをり

恥知らずが宰相をつとめるこの國はいよよますます危うかりけり

風に乗り政権取りし民主党 今断末魔の苦しみに喘ぐ

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、母のお世話。

午後は、水曜日に行われる「萬葉古代史研究会」における講義の準備。明日から「政治文化情報」の原稿執筆を始めるので、今日のうちに準備をしなければならない。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰途、御徒町で知人と懇談。政権政党がバカなことをしていても、繁華街は何時も通りの賑わい。

帰宅後も、「萬葉集」講義の準備。

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2011年6月 4日 (土)

ペテン師と恥知らずの喧嘩は醜い

前総理からペテン師呼ばわりされている人が現職総理ではどうしようもない。民主党は政党の体をなしていないし、菅政権は統治能力の喪失している。もっとも鳩山氏も、「総理を辞めた後、影響力を行使すべきではない。私は議員を辞める」と言っていたのに、前言を翻した。こういう人を恥知らずという。

政治の根底には、それを支える正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、わが國は、戦後日本のいわゆる民主化が進行する過程において、伝統的権威や慣習に制約されることが少なくなった。それだけに、一層自己を統制することが必要であった。しかし、今日の日本の政治家の多くは道義観・倫理観が希薄になった。

戦前の日本には、正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは全て「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観なき「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。そして今日の体たらくとなっている。菅も鳩山も小沢も戦争後の「民主教育」という名の「日本弱体化教育」を受けた世代である。

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

 

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を反省し、わが國の伝統的な道義精神を回復せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

ともかくぺてん師が総理大臣をやり、恥知らずが前総理として政治力を行使しては困るのである。

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載の「萬葉集に歌はれた日本の心」執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年6月 3日 (金)

茶番劇鑑賞記

可決したらいいと思っていたが、そうはならなかった。ただの茶番劇だった。結局、鳩山は菅と岡田に騙されたのだ。

鳩山は菅よりバカだった。騙された人をあまり悪く言うのも気の毒だが、鳩山は以前「私は愚かな総理かもしれない」と言っていた。「かもしれない」ではなく愚かなのである。

本会議場の後ろの方に並んでいた自民党のベテラン議員にも、日本を任せたいという人は全く見当たらない。森喜朗とか古賀誠あたりは自分の影響力を維持するために小沢一郎と手を組みたかったんだろうと推測する。

維新を叫んでいた佐賀県選出の原口とかいう議員の変節ぶりはあまりにもひどい。この人は、故末次一郎氏の門下だそうだが、末次氏もあの世で嘆いておられるであろう。

要するに今の政治そのものが茶番劇なのである。しかしそんなことより、この国難にこの人なら総理になってもらいたいという人がいないことが最大の問題である。そのことが真の国難であろう。

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福島伸享衆院議員の講演

福島伸享衆院議員の講演

「TPPとは環太平洋連携協定の略。シンガポール・ニュージーランド・ブルネイという小さな国が始めた協定。二〇一〇年に、米・豪・ベトナム・ペルーが加盟して変質。途上国を装っている中国とインドの関税を下げさせたい。原則として、十年以内に関税を撤廃。原則全ての関税の撤廃を宣言しなければ入れない。窮極の自由化。途上国のふりをしている中国と韓国とインドの市場をいかに開かせるかが大事。この二カ国と自由貿易協定を結べばいい。中国・EU・韓国・台湾が参加しないTPPに日本が参加しても、日本は自由貿易のメリットはあまり大きくない。TPP協定とは実は日米協定。

菅さんは『平成の開国』という言葉が好き。主食を自由貿易にすると、食糧安保が保てない。日本は世界有数の開国をしている国。米と麦の高関税は例外。日本は農業も含めて開国していないわけではない。むしろ世界有数の低関税の開放国。日本の高関税品目は、食糧自給の維持・国土や環境保全などの多面的機能維持という国家戦略に関するものや、それがなければ地域経済が成り立たない道東や離島の基幹産業に限定。

韓国車の部品は殆どが日本製。日本の部品が韓国に入ったら韓国の自動車業は駄目になる。日本からアメリカに行っている物の四割は関税が掛かっていない。地震が起っても円高は止まらない。高級自動車は日本でしか造れない。関税の問題でアメリカに輸出できなくなるというのは本当だろうか。日本の製造業は関税で困っていない。経団連は共同幻想を持っているだけ。

アメリカから日本に来る物の四分の三は殆ど無税。アメリカは二五・五%の有税の品を取っ払うためにTPPをやっているのではない。アメリカの狙いは規制対策。我が国政府の審議会に外国人を入れるなどの『改革』をやることによって、外国人弁護士の参入・生命保険・IT・電気通院への参入を実現させるのがアメリカにとって魅力的。規制緩和を拘束力のある条約すること。アメリカ企業が日本政府に直接訴訟を起こすことができるようにする。TPPは、ぼったくりバー・値段のない銀座の寿司屋みたいなもの。

TPPに入らなくても自由貿易から遅れるということはない。TPPは中国封じ込めと言いながら、アメリカは中国とうまくやっている。米中経済同盟という言葉があるくらいである。オバマは自由貿易に意欲が無かった。アメリカはTPPをきっかけにしてアジア市場に入り込んでいくということ。TPP加盟国のマレイシア・豪州などはかつてのイギリス植民地。実はブロック経済。

アセアンは日本が育ててきた部分がある。大国の利害の中でアセアンはまとまってきたのに、今、分断されようとしている。アジアを中国・アメリカの利益衝突の場にしないために、日本は中規模の国々との連携を深めるべし。TPPは、日本が世界とアジアの中でどうやって生きていくかが問われているTPPは、実質は日米自由貿易協定。国を開かせるべき国は中韓両国。アメリカの方から頭を下げさせるようにすべし。

来週の『不信任案』で悩んでいる。自公民の議員の会合が頻繁に開かれている。若手議員は、根性はあるが金がない。反小沢親小沢・反自民・反民主という古い構図でしか考えられないのか。

アメリカの国家戦略はエネルギーセキュリティとフードセキュリティ。アメリカは大豆とコーンの農家に補助金を出している。コーンと大豆が一番人類にカロリーを供給している。石油・大豆・コーンが人類の命を支えている。モンスーン地帯でしか水田の競争力はない。海外にまで水田を作ることはまではまだしていない。よその国に行って水と土地を使うのは紛争の種。

アメリカは中国に興味はあるが、日本には興味がない。発電と送電の分離は必要。

次の総理は、西岡・中曽根・亀井・渡部氏が良い。今こそ、古い世代・戦前の教育を受けた人が良い。その世代の人が最後のご奉公でやっていただきたい。

守るべきものは、国民の生命と財産ではない。もっと大事なものがある。TPPに参加しようというのは似非保守。何を守ろうとしているのか。それを失ったのが日本の混迷の原因。何を守るべきなのか。国民の生命と財産を守ると言うが、もっと大切なものがある。天皇陛下は、御自ら節電をされた。皇居の宮殿には、一枚の絵画も、一個の壺もない。シャンデリアもない。板と壁のみ。それがきれいに磨かれている。これが日本そのもの。窮極に研ぎ澄まされている。英王室のように人前でキスなどされない。皇室には品格がある。清々しさがある。守るべきものとは皇室。皇室を守るために国家の独立がある。親の脛をかじる子供の生命や、成金の作った財産を守るのではない」。

        ○

TPPについてはあまりよく分らなかったので、非常に勉強になった。また、福島氏の「皇室観」はまことに素晴しい。

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、母と共に診察を受ける。

午後は、国会中継を見ながら資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も資料の整理。

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2011年6月 2日 (木)

「花鳥の美 ―珠玉の日本・東洋美術」展を参観して

今日参観した「花鳥の美 ―珠玉の日本・東洋美術」展は、「花鳥は、日本・東洋の美術作品の中で、最も愛された主題です。四季折々の変化を見せる豊かな自然の下で、幾多の花が、各々の美を競わせながら華やぎある風情を伝えてきました。…花鳥の主題は、瑞々しい自然の様相と生命の輝きを象徴するテーマとして人々の間で認識されてゆきました。…出光コレクションより絵画・工芸の優品、約80件を厳選して特集展示いたします。…日本・東洋美術における花鳥の意匠が織りなす不思議な魅力と、その変遷や大いなる広がりをご堪能いただきます」(案内書)との趣旨で開催された。

「四季花鳥図屏風」(伝雪舟・室町時代)「五彩花鳥文瓢瓶」(支那明時代)「金銅蓮唐草文透彫経箱」(室町時代)「色絵花鳥文蓋物」(柿右衛門・江戸時代前期)「吉野龍田図屏風」(桃山時代)「色絵鳳凰文共蓋壺」(野々村仁清)などを見る。

「花鳥風月」は、美しい自然の景色そのもの形容する言葉である。日本はそうした自然の美しさに恵まれている。したがって、日本美術も花鳥風月を描いた優れた作品が多い。今日見た作品では野々村仁清の「色絵鳳凰文共蓋壺」が最も優れているというか美しいと思った。野々村仁清は、江戸初期の陶芸家で、丹波国の人。京都御室(おむろ)の仁和寺近くで創作活動を行った。京焼の祖とされる。江戸初期の作品とは思えない新しさというか瑞々しさのある壺であった。

「吉野龍田図屏風」も素晴らしかった。吉野の桜と龍田の紅葉が描かれている六曲一双の屏風である。桜と紅葉は、まさに日本の春と秋の自然美を代表する植物である。

在原業平は龍田川の紅葉を

「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」

と詠んだ。「神代の昔にもこんなことがあったとは聞いていない。龍田川の水を美しい紅色にくくり染めするとは」というほどの意である。

日本人にとって自然は美しくも親しい存在である。そして日本人は、自然から実に多くの恩恵を受けている。自然と共に自然を友として生きていると言ってもいい。日本人は本来、自然を神として拝ろがんできた。

しかし、今回の東北大震災のように、自然は時として荒ぶる神となって人間に襲いかかって来る。我々は、自然に親しむと共に、自然の中に生きたまう神々を大切にして生きていかねばならない。自然を人間の支配下に置いたり、破壊することがあってはならないと思う。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、母のお世話。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の「花鳥の美 ―珠玉の日本・東洋美術」展参観。

帰宅後は、資料の整理・書状執筆など。

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2011年6月 1日 (水)

「国旗国歌訴訟」の最高裁判決について

最高裁が三十日に言い渡した「国旗国歌訴訟」の上告審判決には、次のように書かれている。

「起立斉唱はその性質上、元教諭の歴史観や世界観を否定することと不可欠に結び付くとはいえず、起立斉唱を求める職務命令は、歴史観や世界観自体を否定するとはいえない。

 客観的に見ても、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するともいえない。

 起立斉唱の職務命令は、個人の思想、良心の自由を直ちに制約するとは認められない。」

極めて常識的な判決である。公教育の場で、自国の国歌を斉唱し、国旗を掲揚することに異議を唱え、さらにそれを拒否し、妨害する行為が、教職員によって行われてきた国は、日本以外にはないのではないか。少なくとも、私は聞いたことがない。日本は異常な國なのだ。

個人として、「国旗」「国歌」を受け入れ難いという思想を持つことは自由であろう。しかし、公教育・義務教育の場で、国歌を斉唱し、国旗を掲揚することは、当然のことである。それに対して、「憲法違反だから慰謝料を払え」などと訴訟を起こすことは異常である。こういう異常な人間の異常な行動を否定した最高裁判決は正しい。

公教育の場で、国民としての最低限の良識・規範を守らせることが「強制」であるはずがない。教育の一環である。このような訴訟は、「漢字を強制的に覚えさせた」「掛け算の九九を強制的に覚えさせた」として訴訟を起こし、慰謝料を請求するのと同じ行為であり、まさに常軌を逸しているのだ。馬鹿につける薬はない。また、この判決を批判する「朝日新聞」や日弁連も常軌を逸している。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。肉体の鍛錬の重要性についていろいろ話を伺った。エレベーターを使わず階段を昇るべきだとのことであった。小生にとっては難行苦行であるが、無理をしない程度に実践したいと思っている。この知人は空手の達人。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。いつもよりかなり意識がはっきりしている。ビールが飲みたいなどと言う。しかし、悲しいけれども、その願いをかなえてあげることはできない。

帰宅後は、書状執筆など。

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