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2011年5月18日 (水)

「朝日新聞」社説の國體破壊思想

『朝日新聞』五月十六日号の「社説」は、「皇室と震災・『国民と共に』を胸に」と題して、次のように論じた。

「(天皇皇后両陛下は・注)保守派の論客が『ひざまずく必要はない』と苦言を寄せたこともあったが、揺らぐことなく、そのスタイルを貫いてきた。困っている人と同じ目の高さに自らを置く。それが新しい時代の皇室の生き方であり、主権者である国民の思いにも沿う。お二人のそんな確信を感じる。計画停電の時には、対象外の御所でも自主的に電気のブレーカーを落とした。これも同じ思いに基づく行いだろう。『国民と共に』との姿勢を機会あるごとに示す陛下を『皇室は祈りでありたい』との考えを持つ皇后さまが支える。皇室の将来やその基盤となる国民との関係を見すえながら作り上げてきた“平成流”といえる。」と論じている。

一見、皇室を尊重しているようでいて、実は大変な反國體思想に貫かれている。「君民一体」のわが國體、そして、天皇陛下の「国民と苦楽を共にされる大御心」は、『占領憲法』の国民主権論」とは全く関係がない。

また、両陛下がひざまずかれるのは、「新しい時代の皇室の生き方」などでは断じてない。「君民一体」は、神武建国来の道統であり、歴代天皇の大御心である。「主権者である国民の思いにも沿う。お二人のそんな確信を感じる」などというのはこの論説を書いた人間の勝手は推測である。両陛下は、皇室の伝統のままにご行動されているだけである。

この「社説」では、震災発生五日後の天皇陛下の「お言葉」について、「政治家の万の発言よりも、五分余の陛下のスピーチの方が心に染み、説得力を持ったということか」と書き、「国政に関する権能を持たないと憲法に定められた天皇に、高度な政治性を託し、現人神・主権者とされたかつての天皇と現在の象徴との違いを飛び越えて、終戦時の玉音放送と同視するような論評や感想も目についた。しかし今回の放送も被災地訪問も、『公的行為』として内閣の補佐と責任において行われることを忘れてはならない」と書いた。

つまり『朝日新聞』は「現人神」「現御神」としての天皇のご本質を否定し、「天皇はあくまでも政治権力の操り人形であるべし」と主張しているのだ。『現行憲法』には「天皇の『公的行為』は内閣の補佐と責任において行われる」などということは一言半句書かれていない。天皇陛下の「御行為」は、天皇の御意志のままに行われるのであり、それに対して政治権力が容喙することがあってはならない。

さらに「社説」は「未曽有の災害に直面し、皇室に多くの目が集まる。そんな時だからこそ、両陛下の歩みに思いを致しつつ、天皇の地位や活動のありようをめぐって、国民の間で積み重ねられてきた議論を忘れないようにしたい」と論じた。

これは、天皇及び皇室に対し奉り、日本国民の伝統的な天皇仰慕の心・尊皇精神・現御神信仰が復活し、高まることを阻止せんがための論議である。「国民の間で積み重ねられてきた議論」とはどういう議論なのか具体的には全く書かれていない。要するにこの「社説」は、天皇・皇室は国体破壊の思想である「国民主権論」に則って、主権者国民と対等あるいは下位に立つべきであると論じているのだ。そして「国民の代表者」で構成される「内閣」の言いなりに行動せよと論じているのだ。とんでもない國體破壊思想である。

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