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2011年5月10日 (火)

「論語の会」における野村英登氏の講義

「おとなの寺子屋・論語の会」において、東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)は次のように語った。

「『論語』を読む目的は次の三つに大別される。一、学術研究。二、実践倫理。三、個人修養。しかしこの三つはざっくり分けられるものではない。三つの方法を総合して読むことが大事。『論語』は抽象哲学ではない。どちらかと言うと、実践倫理。人間はどう動くべきなのかを書いた本。野村克也も『野村の実践「論語」』という本を書いた。原文を読んでいるのではなく、訳文を読んで自分の考えを述べている。

朱子学・陽明学は、自分自身をどう高めていくかを考えるようになった。孔子の時代は戦乱期なので、どう行動するかが大事だった。王陽明・朱子の時代は孔子の時代に比較すれば世の中が落ち着いていたので、自分探しの時代になった。実践倫理と個人修養は関係している。学術研究を基礎として『論語』を読むことが実践倫理と個人修養の助けになる。

『吾未だ徳を好むこと、色を好むがごとき者を見ず』と孔子は言った。色を好むことを否定しているのではない。好色は人の本性。好色と同じくらいに徳を好む人がいたら、それは本当に徳を好んでいるのだと説いたのである。しかし、『そういう人はいないよね』と孔子は言っている。孔子は女性恐怖症に近い部分がある。

学ぶ者が自分自身を励まして進んでいくと、最終的には大きなことを成し遂げると孔子は言った。継続すれば目的は達成できる。

東アジアの人々は自然を大切にするということはない。中国人は自然と闘ってきた。『愚公山を移す』という説話がある通り、川の流れを変えることもあったし、山を削ることもあった。風水が発展したのも、自然を変える発想があったから。ヨーロッパの自然観は『自然を征服する』だが、中国は多神教なので、自然の神と交渉した。神に願うとは、願いが成就する前にお賽銭をあげ、願いがなったらお礼にまたお賽銭をあげる、という行為。人知を超えた自然という存在を、人間の手でコントロールしようという考え。東アジアの宗教にはそういう性格がある。商売上の利権を得るために中国共産党に入党する人もいる。

中国には『対の思想』『陰陽の思想』がある。陰の中に陽が、陽の中に陰がある。男女関係では陰とされる女性が、子供に対しては陽になる。女性の中にも陽の要素がある。

中国における『法』とはバランスをとってそれに反するものを排除する。西洋のジャスト(合法・正当)とは異なる。『儒教』は正論を言っているが、大切なのは正論が実行できるかどうか。表向きは正しい事を言っているのに、実際はそうではないことをしている人が世の中に害を与える。

日本の武士道は『武士には好色な人はいるはずがない』という立場。生真面目な傾向が日本人には強い。『論語』はそうでもない。現実主義。理想を論じて実現しなくても気にしないのが中国人。」と語った。

           ◎

なかなか勉強になる面白い講義であった。渋沢栄一氏は、『処世の大道』と『論語講義』という大著を二冊著わしている。「一、学術研究。二、実践倫理。三、個人修養」の三つを総合した著作である。渋沢氏は、儒教を私の母校・二松學舎の創立者・三島中洲先生に学んだ。そして後に、二松學舎の舎長となられた。

「男性原理・女性原理」「陰陽」という「対の思想」は、日本神話にも共通する。女性神であられる天照大御神は女性神であられるが、高天原の主宰神であられ、武装して戦う姿勢を示された。また、邇邇芸命の祖母神として、邇邇芸命に葦原中つ国を統治するようにお命じになった。これは陽・男性的性格を示されているのである。

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