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2011年5月31日 (火)

『一水会フォーラム』での石高健次氏の講演内容の報告

五月二十四日に開催された『一水会フォーラム』における石高健次氏の講演内容を報告する。

「拉致問題を意識して取材した。ほとんど気違い扱いされた。大物スパイ・辛光洙が原敕晁(はらただあき)さんを拉致した時の共犯を、九五年二月、済州島に行って取材した。この人は、無期の判決を受けたが恩赦で、五年で出て来た。『原敕晁は何処に行ったかわからない』と言って路上にしゃがみこんで号泣し、原さん拉致を認めた。全国放送したが、全く黙殺された。南北朝鮮は、国家的謀略をやる。日本はやらない。だから外交交渉で日本は裸。日本政府の拉致問題に関する予算はテレビのコマーシャルにかかる費用。中朝国境で、命懸けで脱北工作をしている人がいる。そういう人々に日本政府が金を出せば情報はいくらでも入って来る。公安調査庁から外務省に出向して瀋陽に行き、安給料で脱北した日本人を命懸けで助けている人がいる。日本領事館に自動車に乗せ、領事館に運び込む仕事をしている。拉致問題は、水面下でも何も進んでいない。日朝国交が樹立すれば、日本の当局者や家族が北朝鮮に行って拉致された人々を救出できると言う人がいる。しかし、日中国交回復したから中国国内の人権問題はなくなったか。日本人が中国国内の好きな所に行って情報収集できるのか。メディアの法輪功に対する取材すら自由にできない。中国南部でエイズが蔓延していることも取材も報道できない。日朝国交樹立後、日本の公安当局者や報道関係者が北朝鮮国内で自由に情報収集できるとは思えない。ジャーナリストが事実を暴くことはできない」。

         ○

拉致問題の取材について詳しいお話があったが、小生のメモと記憶だけで報告することは、事実関係に間違いがあるといけないので遠慮する。いずれ一水会機関紙『レコンキスタ』に講演記録が掲載されると思います。

中朝国境で、命懸けで職務に精励している公安調査庁の人がいることを初めて知った。こういう人々がいるにもかかわらず、同庁の元トップが朝鮮総連とおかしな関係にあったこと、そして元日経記者の杉島氏によれば公安調査庁の内部情報が北朝鮮に把握されていた事はまことに残念である。

以前にも論じたが、「共産支那に対して日本が経済援助をすれば、支那の自由化・民主化が進む」ということで、日本は散々経済援助をしてきたが、全く逆の結果になっている。支那の一党独裁体制・民衆への抑圧が緩むことはなかった。支那は、日本の経済援助・技術援助で経済発展を遂げたことに感謝するどころか、反日姿勢を強め、わが国に対して軍事的抑圧を加えて来ている。こうした事は「泥棒に追い銭」という諺に当てはまるのではあるまいか。

北朝鮮も同じである。金大中・ノムヒョンという韓国左翼政権の北朝鮮への融和政策=「太陽政策」によって、北が民主化したか、独裁体制が崩壊したか。否である。むしろ核実験を行い、武力攻撃を仕掛けてきた

日本が北朝鮮に融和政策をとり、日朝国交を樹立し、膨大な額の経済援助を行っても、北朝鮮という国がまともな国になるはずがない。日本は北朝鮮に対して、もっともっと毅然とした姿勢でのぞむべきである。日米合同で、金正日政権打倒を目指すべきである。

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千駄木庵日乗五月三十日

午前は、母のお世話。母の介護計画について、ケアマネージャーの方々と相談。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰途、日暮里駅前の蕎麦屋で、知人の大学教授と懇談。拉致問題に取り組んでおられる方。この蕎麦屋さんは、刺身がとてもおいしい。

帰宅後も、原稿執筆など。

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2011年5月30日 (月)

瀬戸弘幸氏と小生の講演内容

今日の『日本の心を学ぶ会』瀬戸弘幸氏は次のように語った。

「政治運動は今の権力を打倒して、権力を掌握しなければならない。みのもんた氏が、東北大地震に関して『国民はよく暴動を起こさないで我慢している』と語った。政府の言ってきたことが嘘である可能性が高い。民主党政権のやってきたことは出鱈目。天皇陛下は、普通の御身なりで相馬市を行幸啓された。しかるに民主党の政治家は防護服を着て視察した。夏から秋にかけて社会的矛盾が頂点に達するのではないか。その時が革新の時。変革を目指す我々にとって好機到来である。菅直人が解散せず居座るなら、選挙によらないで政権交代を実現するしかない。大衆の力を結集しよう」と語った。

小生は、「人間が傲慢にも、自然や宇宙や人生を全て人間の作りあげた論理や科学研究によって説き明かこれを改造できるなどと考えたことが、美しい自然を破壊し、人類の生命をも脅かすに至った根本原因である。科学者の研究によって得られた知識が、どれだけ宇宙の真実に一致しているかを反省する必要がある。こういう疑問や反省を忘却した人間の傲慢さが今日の文明的危機を招いていると言えよう。しかし、日本民族は、既に古代において、人間のかかる傲慢さを反省し、自覚していた。

それが、古代日本人の『葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…』という歌なのである。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

日本人は自然そのもののみならず、歴史からも「道」を学んだのである。わが国に伝わる『道』は歴史に現れているのだから、体系としての世界観や人倫思想基礎を人為的に『さかしらなる知識』をもって言挙し作りあげなくとも、日本の国の歴史の事柄・事実に学べばよかったのである。

歴史や自然を対立的にとらえて、論理や教条を振り回して自然や宇宙や人生や歴史の本質を説き明かそうなどという不遜な考えは持たなかった古代日本人の基本的な姿勢を、現代において甦らせることが必要なのである。

近世国学者が、外圧の危機に中で行ったように、古代日本の歴史精神として今日まで伝えられてきている『道』を、そのままありのままに学び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが、我々の志である。」ということなどを語らせていただいた。

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千駄木庵日乗五月二十九日

午前は、母のお世話。

午後二時より、新橋の港区生涯学習センター「バルーン」にて、『第十二回日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が司会。瀬戸弘幸氏と小生が「真正保守運動と国学」をテーマに講演。活発な質疑応答が行われた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2011年5月29日 (日)

福島伸享衆院議員の皇室論

今日の「アジア太平洋交流学会例会」で講演した福島伸享(のぶゆき)衆院議員は、講演の結語で次のように語った。

「何を守るべきなのか。国民の生命と財産を守ると言うが、もっと大切なものがある。天皇陛下は、御自ら節電をされた。皇居の宮殿には、一枚の絵画も、一個の壺もない。シャンデリアもない。板と壁のみ。それがきれいに磨かれている。これが日本そのもの。窮極に研ぎ澄まされている。英王室のように人前でキスなどされない。皇室には品格がある。清々しさがある。守るべきものとは皇室。皇室を守るために国家の独立がある。親の脛をかじる子供の生命や、成金の作った財産を守るのではない」。

         ○

日本文化の窮極は、清らかさである。簡素さである。神々しさである。そしてそれを体現される御存在が、天皇であり、皇室である。

これまで、多くの政治家の講演を聞いてきたが、このような素晴しい意見を述べた人は極めて少ない。民主党には、中井や小沢のような皇室を冒瀆し、軽視する政治家もいるが、こういう若手政治家がいることは本当にうれしいし有難いことである。

真の保守とは、國體護持である。穢れ切った戦後体制を守ることではない。現状の日本を祓い清め、天皇を祭祀主と仰ぐ國體を明らかにすることが、真の革新である。それを維新と言う。

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千駄木庵日乗五月二十八日

午前は、母のお世話。

午後三時より、平河町の砂防会館にて、「アジア太平洋交流学会例会」開催。久保田信之代表理事が挨拶。福島伸享(のぶゆき)衆院議員が、「TPPとは何か」と題して講演。質疑応答。とても勉強になった。詳細は後日報告します。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年5月28日 (土)

最近詠みし歌

わが来たるを喜びたまふ父上の笑顔を見れば胸迫るなり

幼子のごとくになりし父母をいとほしみつつ過ごす日日(にちにち)

父のゐる病院への道に慣れにけり人影少なきさみしき道に

政治家の空虚なる言葉を峻拒してただ大君のみ姿を仰ぐ

つつがなく一日(ひとひ)を終へてやすらへば筆はすらすらと歌詠み出づる

静かなる夜更けに一人もの書けばペンの音のみさらさらと響く

初夏の日がさんさんと照りわが部屋にさし来る朝は洗濯物を干す

明治大帝まつれる宮にチマチョゴリまとひし婦人が詣でてゐたり

大きなる鳥居の上の菊の御紋燦然と輝くを仰ぎけるかな

大御歌に歌はれしごとき大空を仰ぎてうれしき神宮の森

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千駄木庵日乗五月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、「伝統と革新」編集の仕事など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年5月27日 (金)

東京財団フォーラム・国連をどううまく使うか」の登壇者の発言

五月十七日午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて開催された「東京財団フォーラム・国連をどううまく使うか」における登壇者の発言を報告する。

北岡伸一東大教授「国連中心主義という言葉は実体がない。総理が国連総会に行くのは三回に一回。国連で決まったことを金科玉条にしていない。日本外交の基軸は日米。日本の国連理解は、理想主義的見方と、国連なんか役に立たないという見方の両方がある。国連は貧困撲滅・社会正義実現・平和の実現のために大切な機構。日本が国連を動かしていくのが国連中心主義。そのためには倫理学ではなく政治学が必要。二〇〇六年に、北朝鮮のミサイル実験非難決議が通った。しかし、北朝鮮による黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島砲撃があっても、国連は機能しない。アラブにも有効な手が打てない。その背景に中国の台頭がある。米英仏の力の相対的低下がある。そういう中で日本はどういう役割を果たすのか。安保理事国にいるといないのとでは情報の質と量が違う。モクラシー・選挙・ジャスティスを国連にそのままあてはめるのはどうか。ソフトな権威主義国家は包み込むようなことが必要。日本の国内情勢が難問。総理がすぐ変わる。安定したリーダーがいない。戦略的外交がない。『PKO参加は集団的自衛権の行使ではない』というのが世界の大多数の法学者の意見。日本の法制局のみが違う意見。PKOの武器使用基準は極めて厳格。ルワンダでは百万人が虐殺された。自然も恐ろしいが人間も恐ろしい。」

鶴岡公二外務省総合外交政策局長「世界の国連疲れ・国連馴れがある。国連は役に立つのかという疑問がある。日本外交は愚直外交。手練手管・騙しはやらない。正直。身の丈ほどの外交が各国から認められてきた。理念が大事。その理念のもとに国連を活用していく。理念の中心は人間の安全保障。国連全体の意思統一は極めて困難。各国の立場はかけ離れている。国連職員は国際公務員。日本人の美点を遺憾なく発揮すれば貢献することになる。国連組織の上層部の多くは欧米の人間。欧米理念を目標・原則にしている。手足になって働く人は非白人。『人間の安全保障』は、国内で認知度が低い。国連決議されたことも御存じないでしょう。国際平和協力に取り組む世論がもっと高まればいい。」

星野俊也大阪大学大学院教授「国連の信頼性は危機に直面。安保・地球環境問題で足並みの乱れが見られる。一九四五年の国連と二〇一一年の国連とは違う。一九四五年は国家が中心。今は大国の中でもパワーの変化がある。中国が台頭。破綻国家・脆弱国家は機能していない。アルカイダなど非国家主体が力を持って来た。経済・金融・自然・宇宙空間・サイバー空間のことなどに対応しなければならなくなっている。こういう中で国連をどう位置づけるか。日本は国連に対して真面目。誠実堅実に活動してきた。国連の中で信頼された。国連改革の先頭に立つ信頼がある。日本としてどういう世界を作り上げたいのかというビジョンを持たねばならない。アメリカとの共通戦略目標を作ることが大事。アメリカとのすり合わせが重要。日本はアジアグループにある。アジア各国との連携を深めるべし。アジアに政治経済の重心が移って来ているのなら、日本が世界標準を作る。民主主義の発展を広げる。国連は日本の立場をアピールする場。総理のリーダーシップ・官邸の力が問題になる。戦後六十年経って、日本が後から国連に加盟した事が壁になっている。」

蓮生郁代大阪大学大学院准教授「日本人にとって国連は敷居が高い。市民社会の協同の歴史が浅い。」

           ○

私は時々夢想するのであるが、日本とアメリカが国連を脱退したらどうなるのだろうか。2009-11年の「国連通常予算分担率・分担金」は、アメリカが二二%、日本は一七%を占める。日本が国連安保理常任理事国になっていないのは、企業で言えば大株主が取締役になっていないのと同じである。日本の国連に対する姿勢は、あまりに「愚直・正直」でありすぎるのではないか。「常任理事国にしなければ分担金を減らす」くらいのことは主張すべきだ。共産支那はたったの二・六%にすぎない。

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千駄木庵日乗五月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。主任の看護師さんと病状について話し合う。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年5月26日 (木)

大楠公の絶対尊皇精神

久保田収氏は、「楠正成が、わが国史上の英雄として崇拝されて来たのは、その絶対尊皇の精神と行動にある。『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。正成が天皇の御召しを受けて参上し、力強く決意を申し上げたこと、千早の険に拠って、北条氏の大軍を向こうにまわして奮戦し、建武中興の糸口をつくったこと。『七生報国』の志を残して、湊川で戦死したことなど、正成が死生を超越し、一意至誠をもって天皇に捧げた純忠の精神は、読む人に深い感動を与え、正成への憧憬と、その志を受け継ごうとする決意とを生み出したのである。天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎の学問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と伝えている。強斎は、このことばが『わが国士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」と論じている。(『建武中興』)

正成公が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』こそ、わが国の臣民のあるべき態度である。天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道である。尊皇精神とは、日本国の祭祀主として神聖なる君主であられる天皇へのかしこみの心である。

自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成公の事績を見ればあまりにも明らかである。

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考えや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下をあからさまに批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。楠正成公が言われた如く「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし」なのである。この絶対尊皇精神は太古以来の伝統である。

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千駄木庵日乗五月二十五日

午前は、母のお世話。

続いて、「伝統と革新」原稿執筆依頼の仕事。

その後、病院に赴き、父に付き添う。

午後五時半より、赤坂の乃木神社社務所にて、「楠公祭」(世話人・犬塚博英氏)執行。祝詞奏上・祈願詞奏上・玉串奉奠・「桜井の決別」斉唱などが行われた。

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帰宅後、「伝統と革新」編集の仕事。

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2011年5月25日 (水)

北朝鮮に融和政策は通じない

今日の「一水会フォーラム」で、数人の出席者から「北朝鮮に経済制裁を加えても拉致問題は解決しない。もっと違う方法があるのでは」という意見が出された。私はこの意見には大反対である。

「共産支那に対して日本が経済援助をすれば、支那の自由化・民主化が進む」ということで、日本は散々経済援助をしてきたが、全く逆の結果になっている。支那の一党独裁体制・民衆への抑圧が緩むことはなかった。支那は、日本の経済援助・技術援助で経済発展を遂げたことに感謝するどころか、反日姿勢を強め、わが国に対して軍事的抑圧を加えて来ている。

北朝鮮も同じである。金大中・ノムヒョンという韓国左翼政権の北朝鮮への融和政策=「太陽政策」によって、北が民主化したか、独裁体制が崩壊したか。否である。むしろ核実験を行い、武力攻撃を仕掛けてきた

日本が北朝鮮に融和政策をとり経済援助をしても、北朝鮮という国がまともな国になるはずがない。日本は北朝鮮に対して、もっともっと毅然とした姿勢でのぞむべきである。日米合同で、金正日政権打倒を目指すべきである。

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千駄木庵日乗五月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや意識がはっきりしていて、小生が来たことを喜んでくれた。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。石高健次氏が「拉致問題進展せず、ひ弱な日本」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。後日報告します。

帰宅後も、諸雑務。

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2011年5月24日 (火)

敬神崇祖は日本傳統信仰の基本

今日、菩提寺で行われた「施餓鬼法要」とは、先祖の御霊を供養する「法会」である。弘法大師・空海によって日本に伝えられたという。

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。それは平安時代の歌人・在原業平が「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)と詠んでいる通りである。

そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのである。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということである。それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに) の神話を拝すれば明らかである。

日本人は基本的に、人間の肉体は滅びても魂はあの世で生き続けるという信仰を持っている。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになった。

今日行われた「施餓鬼法要」、春秋二回のお彼岸、そしてお盆仏教行事であるが、日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた行事なのである。

他界に生きている死者の靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けているのである。こうした日本民族の傳統的死生觀から、「よみがえりの信仰・七生報國の志」が生まれてきた。また、仏教の輪廻転生思想受容の下地にもなった。

祖靈・死者の魂をお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台である。

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千駄木庵日乗五月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。施餓鬼法要が行われる。四宮家先祖代々のお墓を掃苔。お塔婆を供養。御先祖の御霊に御加護を祈る。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館にて、『おとなの寺子屋・論語の会』開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。この会は本質が最終回なので、終了後懇親会。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年5月23日 (月)

荒谷卓氏の講演記録

五月十日に行われた「國體政治研究会」における荒谷卓氏(明治神宮武道場至誠館館長・元一等陸佐)の「大日本は神国、そして武国なり」と題する講演を報告する。

「日本の武士道の根源は天津日嗣。『神皇正統記』には『大日本は神国なり』とある。大国隆正は『日本国は武の国なり』と言った。神武天皇といふ諡号は『神』と『武』との御聖徳を戴いておられる。伊邪那岐・伊邪那美二神は、天津神より天沼矛(あめのぬぼこ)という武器をいただいて国を固められた。須佐之男命が高天原に御挨拶に行かれると、天照大御神は武装された。和魂と荒魂は別のものではない。文武両道という狭義のものではなく、神武として一つになっている。國譲りの時、建御雷神は建御名方神をただ力で制圧したのではない。武威をあらわし、大義を示し、和平のあり様を提示し、国譲りを成立させた。建御名方神は諏訪の地にお社が建てられて祭られた。

武力を防衛力、軍隊を自衛隊と称していることに違和感がある。ある時は攻撃することが必要。防衛と攻撃の両方の力がなければならない。名は体を表す。神武天皇の御東征においては、途中極めて厳しい戦になったが、天照大御神の命により建御雷神が、神武天皇に献じた国譲りの時に使った韴霊(ふつのみたま)という号の御刀を手にした途端、神武天皇の軍は生気を取り戻した。長髄彦等の敵に対しては凄まじいばかりの力でやっつけてしまう。奇襲戦法をも使われる。御刀は知恵と勇気の象徴。国民に対する慈愛の心と長髄彦等征伐の荒ぶる心は、環境に応じて発現する。

『神武天皇橿原奠都の詔』に『大人制を立てて、義必ず時に隨ふ、苟くも民に利有らば、何ぞし聖の造に妨はむ』と示されている。制度は時々によって変化する。国民の幸福が大切。法と制度がこうなっているのだから、国民が苦しんでも仕方がないというのは間違っている。

『イツ』は力を表に発揚する状態。『イヅ』は内に対して発揚する。日本武道は臍下丹田を大事にする。体の中心の力をしぼり込む。丹田に力を蓄えてその力を外に張り出す。まず力を中心に集め、それを発揚する。これが日本独特の発想。大東亜戦争が劣勢でも、あれだけの戦いが出来たのは『イツ』の力のおかげ。体格・腕力を超えた神妙なる力。『イツ』(外に出る力)には正邪はない。『イヅ』(中に入る力、中心に立ち戻る力)には正邪の源がある。中心にいったん引き戻って発揚する力は『スメミマ』の武力。臣下の武は中核に何を据えるかで力の性格が決する。『イツ』元に『イヅ』の御霊がある。武道とはみそぎはらひ。

貞観十一年十月十三日の『陸奥の國震災賑恤の詔』に『陸奥の國境は、地震尤も甚しく、或は海水暴に溢れて、患を爲し、或は城宇頻りに壓れて殃を致すと。百姓何の辜ありてか、斯の禍毒に罹れる。憮然として媿ぢ懼る。責深く予に在り。』と示されている。与謝野馨は『想定外で自分には罪はない』と言うのか。

私財を守るために実力集団が出来た。これが武家の元になる。『私の武家集団』が反乱を起こす。これを征伐した源氏・平氏が武家の棟梁となった。自発的に『まつろはざるもの』を討つ。『棟梁への忠』が『天皇への忠』になった。勤皇精神の篤い人が武家の棟梁であったなら、朝廷への不遜はない。北条時宗の時代が過ぎると、朝廷への誠忠がなくなってしまう。武家だけの『忠』が蔓延る。朝廷への忠が薄くなり、世の中が混乱。楠氏・菊池氏が、天皇への忠を捧げた。

足利時代は惨憺たるもの。下克上の時代になる。世が乱れると、世を一つにまとめる力が出て来る。優れた武将が出て来る。織田信長は刮目すべき武将。敬神尊皇の志が高い。伊勢御遷宮の復活に貢献したのは、信長とその父信秀。御所の復旧に私財を捧げた。正親町天皇・後陽成天皇の御代に朝廷の権威が復活。正親町天皇は『うづもれし道もたゞしき折にあひて玉の光の世にくもりなき』という御製を詠まれた。

徳川の代は、総じて足利的。朝廷を金縛りにして権威を徳川に引き寄せた。徳川幕府への忠誠心を育成。猛々しさや勤皇武士道は無くなった。大伴氏の誠忠・勤皇の精神が下々に降りてきて、各藩の下級武士が朝廷への誠忠を継承実践。明治の御代に、一兵士が皇軍兵士としてお勤めできるようになった。

日本の大義を実践で示して、世界の大国の地位を得ることができる。軍事力・経済力が何番目などということは意味がない。世界はどうあるべきかの大構想を持ち、それを実践する力を持つべし。『神武建国の大理念』が大戦略。

東北大地震で発現した『我が身を顧みずに他人を助ける』という精神を国力に変えるべし。国民として決断する勇気の欠如、持っている能力を使おうとしないところに最大の問題がある。大震災前のつまらぬ世に戻すのではなく、本来の日本に戻すべし。」と語った。

       ○

以上はあくまでも、小生のメモによる記述でして、実際に

は、武道・神道・軍事について専門的な事柄が語られましたが、間違ったことを記してはいけませんので割愛させていただきました。御容赦下さいませ。

荒谷氏は、純粋なる「日本の武の精神」「もののふのこころ」を継承されている方であると実感した。しかもいわゆる机上の空論ではなく、自衛官としてさらに明治神宮武道館の館長として日々実践されているところに尊さがある。

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千駄木庵日乗五月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年5月22日 (日)

支那・韓国首脳と菅直人の被災地訪問について

菅総理は、内政の失点や不人気を外交でカバーしようとしていると見るのは酷だろうか。今日のテレビ報道を見ていると、そういう印象を拭えない。

近隣諸国との友好は大切である。しかし、今回は相手国の意向なのだろうか。日本側から頼みこんだではないのか。

共産支那は、尖閣諸島を侵略支配しようとしている。韓国は、竹島に占拠している。首脳が被災地を訪問したからと言って、支那と韓国がわが国の主権を侵害している事実に何ら変わりはない。つまりこの二つの國とは友好関係にはないのである。

菅総理は首脳会談で、共産支那に対しては毅然とした姿勢で主権侵害を抗議し尖閣諸島及び周辺海域での不当行為の即刻中止と謝罪を求めるべきである。また韓国に対しては韓国武装部隊の竹島からの即時撤退と謝罪を求めるべきである。

こうした外交を行ってこそ、内政の失敗を外交によって補うことになるのだ。菅さんにこういうことを望んでもまず実現は無理であろう。

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千駄木庵日乗五月二十一日

朝、母のお世話。

午前から午後にかけて、「政治文化情報」発送作業。発送完了。読者の皆様には月曜日にはお届けできると思います。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年5月21日 (土)

「萬葉集」と國體精神の回復

今日の日本は、「グローバリゼーションの時代」などといはれ、日本民族の主體性・誇りを喪失しつつある。わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。

『萬葉集』が「記紀・萬葉」と並び称される所以は、古事記・日本書紀と並んでわが國の「古典」だからである。ここにいふ「古典」とは長年月にわたる批判に耐へて傳へられ現代でも文化的価値の高い内容の書物」といふ意味だけの「古典」ではなく、「天皇國日本の中核的な傳統精神」即ち日本國體精神をうたひあげた歌集といふ意味の「古典」である。

『萬葉集』は、決して平和安穏の世の文藝ではない。内憂外患交々来るといった國難状況の時に生まれた歌集である。今日の日本も萬葉時代と同じやうにわが國には朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来てゐる。精神的・経済的・政治的・軍事的苦悩を強いられてゐる現代においてこそ、勤皇の精神・國體精神の回帰と復興が大事である。

日本國民の草莽の心としての思想・精神とりわけ國體観念は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。これを「意識した草莽の精神」と言ふ。

元寇・明治維新・大東亜戦争など、我が國は國家的危機の時に、國民的な尊皇愛國の精神が燃え上がる。そしてそれと一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」即ち和歌が勃興する。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。   

『萬葉集』に歌はれた國體精神の回復によって現代の危機を乗り越えなければならない。混迷の極にある現代においてこそ『萬葉集』の精神に回帰し、國體精神を勃興せしめるべきである。

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千駄木庵日乗五月二十日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。

夜は、ある新聞記者の方と懇談。

この後、書状の執筆など。

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2011年5月20日 (金)

「朝日新聞」の皇室報道を糺す

先日取り上げた『朝日新聞』五月十六日号の「皇室と震災」と題する「社説」で、天皇皇后両陛下に対し奉り敬語が全くと言っていいほど使われていない。「訪問した」「足を運ぶなどして」「励ましている」「声をかける」「手を添える」「そのスタイルを貫いてきた」「電気のブレーカーを落とした」といった具合である。また同紙五月十二日号の「両陛下、福島訪問」という記事でも、「福島を訪れた」「小学校を訪問した」「避難してきた人たちを見舞った」というように、敬語が全く使われていない。

石破茂衆院議員の平成二十一年十一月十三日の「ブログ」には次のように書かれている。「以前からとても気になっているのですが、テレビや新聞などのメディアが両陛下をはじめとする皇室についての報道をする際の敬語の使い方はどこかおかしくないでしょうか。たとえば本日朝刊のいくつかの新聞記事では、『天皇陛下は・・・と述べた』『・・・と心情を示した』『・・・お祝いに応えた』『・・・とあいさつした』などという表現が使われていますが、どうにも違和感をおぼえざるを得ません。せめて『述べられた』『示された』『お応えになった』『あいさつされた』と表現すべきものではないかと思うのです」。

神道政治連盟平成十一年六月十日発行の「敬語が消えていく これでいいのか皇室報道」には次の様に論じられている。

「象徴たる天皇に対して、各種の報道機関が一切敬語を使わなくなったら、わが国は一体どうなっていくでしょうか。…心理的にも皇室に対する敬意が次第に薄れていくことが危惧されます。それは結局のところ、皇室を一般人と変わらぬ存在へと解消していこうとするごく一部の人々のたくらみに、われわれが手を貸すことになっていくのです。このまま放置すれば皇室は尊厳性を喪失し、やがては、天皇の象徴としての権威も無化されて国民統合の働きを失い、日本が日本でなくなっていってしまうのです。これまでにわれわれの祖先が永永と築いてきた世界に誇るべき二千年来の歴史伝統と文化そのものが、根底から破壊されていってしまうことになるのです」。

『朝日新聞』は、「皇室を一般人と変わらぬ存在へと解消していこうとするごく一部の人々のたくらみ」の先頭に立ち、「皇室の尊厳性の喪失」「天皇の象徴としての権威も無化」を狙っているのである。そして、「れわれの祖先が永永と築いてきた世界に誇るべき二千年来の歴史伝統と文化そのもの」を根底から破壊せんとしているのである。

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千駄木庵日乗五月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『大吼』連載の「萬葉集」講義原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。二日ぶりである。父は本当に喜んでくれる。看護師さんと病状について話す。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年5月19日 (木)

火事場泥棒・ロシアを糾弾する

「火事場泥棒」という言葉がある。「火事で混乱した現場で窃盗を働くこと、または窃盗を働く者。転じて、人々が混乱している中で利益を得ること、または利益を得る者。」という意味である。旧ソ連・そして今日のロシアはまさに「火事場泥棒」である。否、ロスケの悪逆非道の行為は「火事場泥棒」など言う生易しいものではない。

旧ソ連(今のロシア)は、日本が戦争に負けそうになった時、突如「日ソ不可侵条約」を破棄して日本に宣戦し、満州・北朝鮮そしてわが国固有の領土たる南樺太全千島を侵略した。のみならずわが国同胞約百七万人をシベリアやソ連各地に拉致し、強制労働させた。確認済みの死者は二十五万四千人、行方不明・推定死亡者は九万三千名で、事実上、約三十四万人の日本人が死亡したという。また一九四五年から一九四九年までの四年間だけで、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、三十七万四千四十一人にのぼるという調査結果もある。

そして今日、我が国が大震災・大津波・原発事故という大災害に見舞われている時に、ロシアのイワノフ副首相は、わが国固有の領土択捉・国後に侵入した。さにら、メドベージェフ大統領は、国後・択捉両島に軍事姿勢を建設し、地対空・地対艦ミサイル、攻撃ヘリなど最新型兵器を配備する計画策定を指示した。

我が国まさに内憂外患交々来たると言った状況である。民主党政権の外交失策がこうしたロシアの強硬姿勢を誘発したのである。日米軍事同盟を強化すると共に、自主防衛体制を確立し、ロシア・北朝鮮・共産支那に対峙すべきである。

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千駄木庵日乗五月十八日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田の駐健保会館にて開かれた「大行社幹部会」で顧問の一人としてスピーチ。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて「東京財団フォーラム・国連をどううまく使うか」開催。北岡伸一東大教授・鶴岡公二外務省総合外交政策局長・星野俊也大阪大学大学院教授・蓮生郁代大阪大学大学院准教授が討論。質疑応答。大変興味深い内容であった。後日報告します。総理大臣と外務大臣がころころ変わることがどれだけ国益を損なっているかということが話題となった。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備など。

今日も父の入院している病院に行けなかった。

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2011年5月18日 (水)

「朝日新聞」社説の國體破壊思想

『朝日新聞』五月十六日号の「社説」は、「皇室と震災・『国民と共に』を胸に」と題して、次のように論じた。

「(天皇皇后両陛下は・注)保守派の論客が『ひざまずく必要はない』と苦言を寄せたこともあったが、揺らぐことなく、そのスタイルを貫いてきた。困っている人と同じ目の高さに自らを置く。それが新しい時代の皇室の生き方であり、主権者である国民の思いにも沿う。お二人のそんな確信を感じる。計画停電の時には、対象外の御所でも自主的に電気のブレーカーを落とした。これも同じ思いに基づく行いだろう。『国民と共に』との姿勢を機会あるごとに示す陛下を『皇室は祈りでありたい』との考えを持つ皇后さまが支える。皇室の将来やその基盤となる国民との関係を見すえながら作り上げてきた“平成流”といえる。」と論じている。

一見、皇室を尊重しているようでいて、実は大変な反國體思想に貫かれている。「君民一体」のわが國體、そして、天皇陛下の「国民と苦楽を共にされる大御心」は、『占領憲法』の国民主権論」とは全く関係がない。

また、両陛下がひざまずかれるのは、「新しい時代の皇室の生き方」などでは断じてない。「君民一体」は、神武建国来の道統であり、歴代天皇の大御心である。「主権者である国民の思いにも沿う。お二人のそんな確信を感じる」などというのはこの論説を書いた人間の勝手は推測である。両陛下は、皇室の伝統のままにご行動されているだけである。

この「社説」では、震災発生五日後の天皇陛下の「お言葉」について、「政治家の万の発言よりも、五分余の陛下のスピーチの方が心に染み、説得力を持ったということか」と書き、「国政に関する権能を持たないと憲法に定められた天皇に、高度な政治性を託し、現人神・主権者とされたかつての天皇と現在の象徴との違いを飛び越えて、終戦時の玉音放送と同視するような論評や感想も目についた。しかし今回の放送も被災地訪問も、『公的行為』として内閣の補佐と責任において行われることを忘れてはならない」と書いた。

つまり『朝日新聞』は「現人神」「現御神」としての天皇のご本質を否定し、「天皇はあくまでも政治権力の操り人形であるべし」と主張しているのだ。『現行憲法』には「天皇の『公的行為』は内閣の補佐と責任において行われる」などということは一言半句書かれていない。天皇陛下の「御行為」は、天皇の御意志のままに行われるのであり、それに対して政治権力が容喙することがあってはならない。

さらに「社説」は「未曽有の災害に直面し、皇室に多くの目が集まる。そんな時だからこそ、両陛下の歩みに思いを致しつつ、天皇の地位や活動のありようをめぐって、国民の間で積み重ねられてきた議論を忘れないようにしたい」と論じた。

これは、天皇及び皇室に対し奉り、日本国民の伝統的な天皇仰慕の心・尊皇精神・現御神信仰が復活し、高まることを阻止せんがための論議である。「国民の間で積み重ねられてきた議論」とはどういう議論なのか具体的には全く書かれていない。要するにこの「社説」は、天皇・皇室は国体破壊の思想である「国民主権論」に則って、主権者国民と対等あるいは下位に立つべきであると論じているのだ。そして「国民の代表者」で構成される「内閣」の言いなりに行動せよと論じているのだ。とんでもない國體破壊思想である。

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千駄木庵日乗五月十七日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、「伝統と革新」編集の仕事・資料の整理など。

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2011年5月17日 (火)

警察・検察と政治主導

国際テロ対策で、わが国にも諜報機関を作るべきだという意見がある。一応正論なのだが、民主党政権下でやたらにこういうものを作ると、かえってわが国の安全が脅かされる恐れがある。政治主導などと言って、民主党の政治家が、国家の安全に関する機密情報を手に入れ、それを第三者に漏らす危険がある。

昨年十月には、警視庁公安部の国際テロに関する極秘文書が漏えいしている。その流出ルートはまだ特定されていないという。警察官僚ですら情報を漏らす人がいるのだ。はっきり言って、民主党政治家はもっと危険だ。

前も書いたが、杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』によると、公安当局の情報が北朝鮮当局に筒抜けになっていたという。この國は、国家として極めて脆弱なのだ。そのぜい弱さを治すために、諜報機関を設置したり、現存の公安警備機関を強化すべきなのだが、それがかえって国家を損ねる結果を生む危険なしとしないというのでは、まことに困ったことである。

「政治主導」という言葉が躍っているが、自衛隊・警察・検察という実力組織・治安維持機関、国民を拘束する権力・実力を有する機関が、民主党という政党の手先になるということは絶対にあってはならない。それではまさに仙谷由人の言った「暴力装置」になってしまう。

『大日本帝国憲法』下では、「天皇の軍」「天皇の警察」という意識があったという。『現行憲法』においても、天皇陛下は「日本国の象徴」「国民統合の象徴」であらせられる。「天皇の自衛隊」「天皇の警察」という意識があってしかるべきである。

ところが警察官僚のトップたる警察庁長官・官僚のトップたる内閣官房副長官・政治家としての準トップたる内閣副総理を経験した後藤田正晴は、「大臣という名称はやめるべきだ。一体誰の臣下なのか」などと言った。立憲君主国たる日本の閣僚・官僚は、天皇陛下の臣下に決まっているではないか。後藤田のような不忠の臣が、日本をおかしくしたのである。

後藤田は、天皇陛下の臣下ではなく、金権政治家田中角栄の臣下だったのだ。

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千駄木庵日乗五月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。私が行くと喜びの表情を見せてくれる。顔色もいくらか良くなるようである。だからできるだけ病院には行くようにしている。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。季刊誌というのは三カ月に一回の発行ということであるが、結構忙しい。

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2011年5月16日 (月)

明治神宮参拝

今日は明治神宮に参拝させていただいた。参道に入り行くと、新緑が美しい。参道から左横の道に入り、森の中の道を歩み行く。カラスが多いが、東京のど真ん中とは思えない。二十分ほど歩いて、神門に到る。

本殿に参拝。明治天皇と昭憲皇太后の御神霊に謹んで拝礼し、皇室の御安泰と祖国の隆昌を祈念申し上げた。

多くの人々が参拝に来ている。外国の方々も多い。チマチョゴリを着た女性もいた。アジア系の人々が多かった。神殿とその向こうに見える新緑の木々が実に美しい。

神苑に入る。ゆっくりと歩み行く。菖蒲苑に到る。まだ菖蒲は咲いていなかった。このあたりの景色は山奥に来たような感じである。ただ原宿駅近くの喧騒、楽器の音が聞こえて来る。

清正井というところに到る。加藤清正が掘ったと伝えられる。ここは今パワースポットなどと言われて、多くの人が行列している。以前は御苑の入り口にも多くの人々が行列していた。今日は、それはなかった。井戸の水を飲むために行列しているのかと思ったら、井戸の写真を撮るためとのことだった、その写真を持っていると運勢が向上するという。「信ずる者は救われる」というから、そうなのであろう。五十人以上、否、もっと多くの人が並んでいた。若い女性が多かった。

私は写真を撮らずに、池や庭を眺めた後、退出した。

東京という喧騒の世界の真ん中にある神宮の緑の森は、まさに都民のみならず来多くの人々の魂の安らぎと心の憩いの地である。明治神宮に参拝し、ご祭神に祈りを捧げ、そして自然の中を歩むことによって、魂が清められる思いがする。

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参道

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神門と新緑

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神苑

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菖蒲苑

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千駄木庵日乗五月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、明治神宮参拝。御苑散策。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年5月15日 (日)

千野境子産経新聞特別記者の講演記録

五月七日の『アジア問題懇話会』において千野境子産経新聞特別記者は次のように語った。

「失われた十年とか二十年とか言われる。日本の存在感が薄くなっていく。自民党政権末期には、日本はどうしようもない事になって来た。リーダーシップの問題が、失われた二十年をとりあげる時にずっと指摘されてきた。戦後最大の危機である大震災で、決定的にリーダーシップの欠如により人災化している。

東日本大地震によって、世界のメディアは日本の報道で溢れかえらんばかり。日本人の素晴らしさに世界は驚嘆。『ニューヨークタイムズ』のコラムニストのクリストフ記者は東京支局長から本社に戻り日本を賛美。日本人は根気強く高潔で我慢強いと言った。『日本の地域社会における絆の強さは、二極化した日本の政治状況やアメリカの食うか食われるかの社会状況とは対極にある』と書いた。韓国の『中央日報』は『世界は二度衝撃を受けた。一つは地震の被害であり、もっと驚くのは日本人の冷静で落ち着いた国民性だ。』と書いた。『朝鮮日報』のコラムは『日本人の市民意識に世界が簡単。日本の被災地は試練に耐えている。不屈の精神を発揮している。』と書いた。日本人は自然にやっているだけだが、日本人の民族性に世界の人々が感激していることにあらためて驚く。

阪神大震災と東日本大震災には地域性の違いがある。阪神の人はおしゃべり。東北の人は口が重いと感じた。日本が埋没しかかった中で、大震災によって日本の存在感が良い意味で知らされた。

原発の連続事故発生で、情報公開も説明責任も報道も十分ではなかった。報道にオーバーリアクションがかなりあった。『黙示録』のような話が罷り通っていた。情報を少しづつ出すというのは日本の欠点。『当面大丈夫』『さしあたり問題ない』というのでは外国人にとって不安を駆り立てる。原子力についての知識が不足している。

チェルノブイリ事故がソ連崩壊の引き金になった。水素爆発が起きたことによって憶測報道が行われた。原発と規制当局が癒着しているのではないかと海外のメディアが指摘。阪神大震災はボランティア元年と言われた。東日本大地震はソーシャルメディア元年と言われるのではないか。

新しい原発を作るのは難しい。今ある原発の寿命を延ばすしかない。地震の多い国で安全な原子力発電をしていくことを真剣に考えるべし。国は原子力発電を電力会社に丸投げしてきた。

中国人は実利的民族。日本人は義に感ずる美意識がある。中国人はお金が儲かればいい。中国は若者の失業が大問題。経済の恩恵を受けているのは十二億のうち一億。出稼ぎのお金で国家財政が潤っている。アルカイダが広がったのはインターネット。」と語った。

            ○

戦災復興は、昭和天皇の御巡幸が大きな力となった。震災復興も、今上陛下のご巡幸が大きな力となっている。有難き限りである。

小沢一郎は、千葉県沖で釣りをするよりも、被災している岩手に帰って、救援・復旧・復興のために努力するべきだ。小沢一郎は何故被災地に入らないのか?。また、鳴り物入りで参院議員になった民主党参院議員やわらちゃんは何をしているのか。

温家宝が被災地を訪れるという。相当の警備態勢を敷かなければならない。これは震災復興の妨げになるのではないか。

日本は原子力の平和利用でも軍事利用でも最大の被害を受けた事になる。

東電社長が土下座していた。気の毒な気もするが、東電の最高責任者なのだから、致し方ないことである。仙谷由人は自衛隊に土下座すべきである。

ともかくこの人なら安心という政治家がいないのも国難だ。

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千駄木庵日乗五月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

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2011年5月14日 (土)

深谷隆司氏のブログを読んで

深谷隆司前衆議院議員の「ブログ」に次のようなことが書かれていた。

「私心無し
 十一日のテレビに映る、天皇皇后両陛下の避難所の人々を見舞うお姿に、思わず目頭が熱くなった。
 この日は、原発50キロ圏内の相馬市中村第二小学校や福島市のあずま総合体育館を訪ねられた
 大震災以来二か月、心身ともに傷ついている避難民の下に、皇室ご一家は度々お見舞いに訪れている。
 秋篠宮ご夫妻もそうだが、皇太子ご夫妻、特に雅子様のご訪問には心が和んだ。長らくご病気のため思うように公務を果たすことが出来なかった。そのために心無い批判の声も起こり始めていた。
特に大勢の人前に出て、カメラや報道陣に注視されることが苦痛であったと伝えられていただけに心配であった。しかし、避難所で真摯にお話しなさるお顔は、とても表情豊かで、確実に回復されつつあるという印象であった。

 両陛下は、すでに七週連続で被災地や避難所を訪れていて、避難所のお見舞いは実に十一か所にのぼっている。
七十七歳、七十六歳というご高齢のうえ、この二月には検査入院をされている。美智子様も昨年、咳喘息や結膜下出血などで体調を崩されている。
 しかし、お疲れのご様子を少しも見せず、避難民の前に膝を屈して優しく接し、一人一人にお声をかけられる.その為に毎回予定時間が過ぎてしまう。
 避難民の中には、胡坐をかいて応対する礼儀知らずの人もいる。一応禁じられている筈の写真を撮ったり握手を求める人も多い。しかし、両陛下は一向に構わず、特に美智子様は自ら手を握られる場面さえあった。 
 比較するのは不遜だが、やっぱり、菅総理の訪問時の情景を思い出してしまう。
如何にも形式的でおざなりで、ほんの数人に声をかけただけでさっさと引き上げる姿に、ある会場では激怒して食って掛かる人まであった。
 両陛下は仰々しい警備を一切排して、時にはマイクロバスに乗られるなど深い配慮をなされ、しかも沿道の人々にも手を振り続けられた。」

             ◎

私は、深谷氏とは長い付き合いだが、これほど尊皇精神が篤い人だとは思わなかった。自らの不明を恥じる。

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。今日の日本は醜い権力闘争が繰り広げられている。夢も希望もない亡国の淵に立たされているかの如き状況である。しかし、日本の傳統精神の体現者であらせられる天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰である。

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において正しく回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

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千駄木庵日乗五月十三日

午前は、母のお世話。

お昼は、「伝統と革新」誌の編集実務担当者の方と打ち合わせ。

午後からは、在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。今週中に印刷所に送らねばならない。

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2011年5月13日 (金)

再び谷口雅宣氏のことについて

「灯台もと暗し」という言葉がある。生長の家の創始者谷口雅春先生は、「七つの灯台の点燈者の神示」というのを神から受けたとされている。その灯台は人類を救う光という意味が込められてゐる。

ところが谷口雅春先生の実の孫にして教団の三代目を継いだ谷口雅宣氏は、生長の家の教えの根本であり、その「七つの灯台の点燈者の神示」に示されてゐる「天地一切のものと和解せよ」「汝の父母に感謝せよ」「汝の兄弟と和解せよ」ということが全く実践できないのである。こうしたことを「灯台もと暗し」と言うのではあるまいか。ああ悲しいかな。

一教団のことではあるが、かつては愛国運動を活発に繰り広げていた教団であり、小生がかつて熱心に活動していた教団であるのであえて書かせていただいた。

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この頃詠みし歌

観自在 菩薩の像は 真白にて われを守らす 慈悲の尊顔

茗荷など 買ひ来て 細かく刻んでは 母と食せり 春の朝餉に

幼子が 焼肉屋に入り行く 姿見て その親の心を あやしみてゐる

晴れし日の 五月の空の 真青さは 荒びたる世の 少しのなぐさめ

石段を 下り来たれば 馴染みなる 酒房のありて われを呼びをり

政争に 維新といふ言葉を もてあそぶ 政治家といふは 許し難きも

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千駄木庵日乗五月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師の方にお話をうかがう。

千駄木に戻り、地元の友人と懇談。食中毒のこと、節電のこと、風評被害のことなど話題は尽きない。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年5月12日 (木)

谷口雅宣氏について

先ほど送られてきたメールに、生長の家の三代総裁・谷口雅宣氏の父君・清超師の葬儀におけるあきれ果てた行状が書かれていた。母君の恵美子師を「あんた」呼ばわりし、弟の貴康氏を小突いたという。ブログや機関誌や講演会でどんなに立派なことを言っても、これでは駄目だ。どうしてこういう人物が生長の家の創始者の孫なのであろうか。宗教家としてというよりも人の子として全くおかしな人物だ。親族の方々がもっと発言して雅宣氏の誤れる姿を多くの人々に知らせるべきだ。

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「からごころ」と「現行憲法」

「どの民族にも、その民族にとってもっともふさはしい自然な心のはたらかせ方がある筈だ──このことが、この一条(『玉かつま』の「からごゝろ」という一条)を貫く宣長の基本的考へであり、この一条のすべての言葉は、この基本の考へ方から発せられてゐると言ってよい」「元来が『これは人類普遍の原理である』といふ言ひ方は、或る一つの文化が他の文化に、自分たちのものの見方を押しつけようとするときの決まり文句であるが、それを日本人は疑はぬばかりか、自らの言葉として繰り返してゐる。これこそが『漢意』といふ名の文化的倒錯の構造である、と宣長は見抜いてゐるのである。」「漢意は単純な外国崇拝ではない。それを特徴づけてゐるのは、自分が知らず知らずの家に外国崇拝に陥ってゐるといふ事実に、頑として気付かうとしない、その盲目ぶりである」。

これは、長谷川三千子さんの『からごころ』という本にある文章である。戦後日本は、アメリカから押し付けられた「憲法三原理」を「人類普遍の原理」なるものを有難く押し戴いてきた。これを根本的に反省しなければならない。日本人には日本人の「心のはたらかせ方」があるのである。これを回復しなければならない。それは排他独善ということではない。日本人にとってどんな考え方がまともなのか、日本の国柄に合致しているのかを考え、日本人らしさというものを正しく自覚することである。『現行占領憲法』の三原理の一つである国民主権論はまさに日本の國の国柄に合わない思想である。

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千駄木庵日乗五月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、今夜行う「萬葉集」講義の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。大海人皇子・額田王の御歌を講義。

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年5月11日 (水)

国学運動について

十九世紀後半当時の世界情勢を見ると、東アジアは、西洋列強・白色人種による侵略支配の危機に瀕していた。そしてそれに抗して、アジア各地において民族独立運動・植民地化への抵抗運動が起こっていた。そうした状況下にあって、アジア諸地域において、民族の覚醒を促す思想運動が起こっていた。

日本も勿論その例外ではなく、日本の国の歴史を探求し、日本独自の思想・信仰を進化させんとする運動が起こったのである。それが近世国学運動の思想である。

 

国学運動は決して偏狭な排外主義や、単なる時間的過去への郷愁の思想ではなく、世界情勢に対してかなり積極的に目を開き、それに呼応した運動であった。キリスト教や、欧米の歴史や現状についてもかなり詳しく研究し、海外の政治情勢についても情報収集につとめたうえでの学問であり思想運動であった。

国学運動の底流にあったのは、日本をこのままにしておいたら、先人たちや祖先に対して申しわけない、相済まないといふ悲憤慷慨の思いであった。危機的状況を迎えんとしてゐた。日本に対して、このままではいけない、何とかしなければならないといふ精神が国学運動を起こしたのである。国学は幕末期の日本に対する悲憤慷慨の学問と言ってもいい。今日の日本もまさに危機を迎えている。国学の精神を学び直す必要に迫られている。

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千駄木庵日乗五月十日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時半より、春日の文京区民センターにて、「國體政治研究会」開催。小生が司会。高池勝彦氏が挨拶。中村信一郎氏が事務報告。荒谷卓氏(明治神宮武道場至誠館館長・元一等陸佐)が「大日本は神国、そして武国なり」と題して講演。質疑応答。終了後、懇親会。講義の内容については後日報告します。

帰宅後は、明日の「萬葉古代史研究会」における講義の準備。

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2011年5月10日 (火)

「論語の会」における野村英登氏の講義

「おとなの寺子屋・論語の会」において、東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)は次のように語った。

「『論語』を読む目的は次の三つに大別される。一、学術研究。二、実践倫理。三、個人修養。しかしこの三つはざっくり分けられるものではない。三つの方法を総合して読むことが大事。『論語』は抽象哲学ではない。どちらかと言うと、実践倫理。人間はどう動くべきなのかを書いた本。野村克也も『野村の実践「論語」』という本を書いた。原文を読んでいるのではなく、訳文を読んで自分の考えを述べている。

朱子学・陽明学は、自分自身をどう高めていくかを考えるようになった。孔子の時代は戦乱期なので、どう行動するかが大事だった。王陽明・朱子の時代は孔子の時代に比較すれば世の中が落ち着いていたので、自分探しの時代になった。実践倫理と個人修養は関係している。学術研究を基礎として『論語』を読むことが実践倫理と個人修養の助けになる。

『吾未だ徳を好むこと、色を好むがごとき者を見ず』と孔子は言った。色を好むことを否定しているのではない。好色は人の本性。好色と同じくらいに徳を好む人がいたら、それは本当に徳を好んでいるのだと説いたのである。しかし、『そういう人はいないよね』と孔子は言っている。孔子は女性恐怖症に近い部分がある。

学ぶ者が自分自身を励まして進んでいくと、最終的には大きなことを成し遂げると孔子は言った。継続すれば目的は達成できる。

東アジアの人々は自然を大切にするということはない。中国人は自然と闘ってきた。『愚公山を移す』という説話がある通り、川の流れを変えることもあったし、山を削ることもあった。風水が発展したのも、自然を変える発想があったから。ヨーロッパの自然観は『自然を征服する』だが、中国は多神教なので、自然の神と交渉した。神に願うとは、願いが成就する前にお賽銭をあげ、願いがなったらお礼にまたお賽銭をあげる、という行為。人知を超えた自然という存在を、人間の手でコントロールしようという考え。東アジアの宗教にはそういう性格がある。商売上の利権を得るために中国共産党に入党する人もいる。

中国には『対の思想』『陰陽の思想』がある。陰の中に陽が、陽の中に陰がある。男女関係では陰とされる女性が、子供に対しては陽になる。女性の中にも陽の要素がある。

中国における『法』とはバランスをとってそれに反するものを排除する。西洋のジャスト(合法・正当)とは異なる。『儒教』は正論を言っているが、大切なのは正論が実行できるかどうか。表向きは正しい事を言っているのに、実際はそうではないことをしている人が世の中に害を与える。

日本の武士道は『武士には好色な人はいるはずがない』という立場。生真面目な傾向が日本人には強い。『論語』はそうでもない。現実主義。理想を論じて実現しなくても気にしないのが中国人。」と語った。

           ◎

なかなか勉強になる面白い講義であった。渋沢栄一氏は、『処世の大道』と『論語講義』という大著を二冊著わしている。「一、学術研究。二、実践倫理。三、個人修養」の三つを総合した著作である。渋沢氏は、儒教を私の母校・二松學舎の創立者・三島中洲先生に学んだ。そして後に、二松學舎の舎長となられた。

「男性原理・女性原理」「陰陽」という「対の思想」は、日本神話にも共通する。女性神であられる天照大御神は女性神であられるが、高天原の主宰神であられ、武装して戦う姿勢を示された。また、邇邇芸命の祖母神として、邇邇芸命に葦原中つ国を統治するようにお命じになった。これは陽・男性的性格を示されているのである。

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千駄木庵日乗五月九日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後は、諸雑務。

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2011年5月 9日 (月)

今日聞いた興味深いお話

今日お会いした方から次のような興味深い話を聞いた。

「『たわけ』の語源は、『田分け』と書き、子供の人数で田畑を分けると、子・孫・曾孫と受け継がれていくうちに、田畑が少なくなり、収穫も減ってしまう。これは愚かなことなので、『愚か者』のことを『たわけ者』と言うようになった。ただし『戯け』という言葉がもともとあったので、それと掛詞・洒落にしたのであろう。今の日本の厳しい相続税はこれと同じで、祖先から受け継いできた財産はあまりに高率の相続税を納めるために失ってしまう。これは家の崩壊・歴史や家系の断絶・そして古い文化的建築物や文化遺産の散逸につながる。高率の相続税制は戦勝国アメリカによる日本弱体化のために持ち込まれた税制である。」

「『平家物語』の冒頭に、『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』とある。このようなちっぽけな人間が、大自然の動きを想定できるはずがない。」

「朱熹の『偶成』という詩に、『少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず 池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声』とある。私はそれをもじって『東電易嘘核難成 一寸行為不可軽 未覚企業順當夢 改善誤用已修正』という詩をつくった。」

「戦後は『東京裁判史観』に支配されてきたが、明治維新後は『薩摩・長州史観』に支配された。徳川幕府のみならず、尊皇で維新の功績があった水戸・越前・尾張も無視された」。

「小学校で、『百人一首』『萬葉集』を教えるべし。この二つの日本人の美意識の中核である。」

         ◎

この方とは、一昨年春、南千住回向院の橋本左内先生の墓所の前で偶然に知り合った。そして、時々お会いしては、色々ご教示をいただいている。三月十一日の大地震の時も上京されており、上野駅で地震に遭遇された。上野駅構内で帰宅困難者になっていたら、何と駅から追い出されたという。東日本鉄道会社に対して大きな憤りを感じておられた。地下鉄上野駅の構内は入れてくれたので、そこで一夜を明かしたという。『JR』とやらいう会社もどうかしている。

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千駄木庵日乗五月八日

午前は、母のお世話。

午後一時半、上野公園の東京文化会館にて、橋本左内研究家の方と懇談。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、「野依秀市論」執筆・脱稿・送付。

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2011年5月 8日 (日)

神仏崇拝について

私は神社によくお参りするが、お寺にもよくお参りする。もちろん宗派は問わない。日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次に仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。我が家も然りである。

神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。我が家の仏壇には御先祖のお位牌と共に観世音菩薩像が安置されている。

日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。「死んだら仏になる」とも言われる。機械などが壊れて使い物にならなくなると「お釈迦になった」と言う人もいる。これはお釈迦様に失礼である。結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。「仏さまのような人」というのは最高の褒め言葉である。しかし、三波春夫は「お客様は仏さまです」とは言わなかった。

 

日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教の形態で行い、現世の幸福を祈っているのである。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うに止どまった。

日本伝統信仰(神道)と仏教は当然別の宗教である。しかし、日本人は日本伝統信仰と外来の仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

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千駄木庵日乗五月七日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。千野境子産経新聞特別記者(前論説委員長)が「海外メディアの東日本大震災報道から見えてきたこと」と題して講演。質疑応答。大変参考になる話であった。後日あらためて報告します。

この後、日比谷にて、元参院議員の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備及び資料の整理。

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2011年5月 7日 (土)

大御心を拝し奉りて

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23316日)

「これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」

            ◎

常に国民と喜びと悲しみを共にされるのが、歴代天皇の大御心であります。今上陛下の「東北地方太平洋沖地震に関するおことば」を拝してもそれは明らかであります。また、明治天皇・昭和天皇の御製にも、民を思われ、喜びも悲しみも民と共にされる大御心が示されております。

明治天皇御製

とこしへに 民やすかれと いのるなる わがよをまもれ伊勢のおほかみ

(明治二十八年・日清戦争)

民草の うへやすかれと いのる世に 思はぬことの おこりけるかな

(明治三十七年・日露戦争)

暁の ねざめのとこに おもふこと 國と民との うへのみにして

(明治三十八年・日露戦争)

千萬の 民とともにも たのしむに ますたのしみは あらじとびおもふ

(明治四十三年)

昭和天皇御製

あらたまの 年をむかへて いやますは 民をあはれむ こころなりけり

(大正十三年) 

天地の 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波立たぬ世を

(昭和八年)

よろこびも かなしみも 民とともにして 年はすぎゆき いまはななそぢ

(昭和四十五年)

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千駄木庵日乗五月六日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。大量にたまった書類の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年5月 6日 (金)

「新しい憲法をつくる国民大会」における登壇者の発言

五月三日に行われた「新しい憲法をつくる国民大会」における登壇者の発言は次の通り。

清原淳平国民会議会長「日本が中国や韓国に侮られるのは現行憲法第九条に問題がある。何をやっても反撃される心配はないと相手が考える。改正が急務。第九条には学者によって十八通りに解釈が分かれる。小学校高学年でもわかる条文であるべし。国防軍として武力を行使すると明記せよ。国の安全を保つのが最大の福祉。現行憲法には、国家緊急事態宣言や危機管理規定がない。占領下に作られたので、そうした事態があれば占領軍が対処するので日本政府が出ないでもよいとされた。国家緊急事態ないし危機管理について、諸外国憲法は誰がその指揮を執るのか明記しているが、日本国憲法にはそうした規定がない。憲法に『内閣総理大臣が国家緊急事態を宣言し、緊急命令を発することができる』と規定すべし。『日本国は、独立と安全を守り、侵略に対抗し防衛する権利を有する』と明記すべし。」

高乗正臣平成国際大学教授「国家第一の役割は国民の生命・自由・財産を守ること。現行憲法第十三条は、国家の自衛権と警察権の根拠規定。元官房長官の『自衛隊暴力装置』発言、経産大臣の『消防官処分発言』などは自国の防衛を他国に依存してきた戦後の憲法感覚の表れ。昨年から今年のかけての『内憂外患』は現行憲法の持つ二つの致命的欠陥を顕在化した。第一は、『国家緊急権』ないし『非常事態規定』整備の必要。第二は、憲法第九条改正の必要。国家の緊急時においては、国民の生命・財産を保護するため、一種の権力の集中が不可避。現行憲法第九条をどのように解釈しても現在の自衛隊を合憲とすることは極めて困難。現行憲法第九条について宮沢俊義は『自衛権は戦力や武力の行使を伴わない方法によってのみ発動を許される』と解釈した。田畑信夫は『戦力的手段以外の政治的外交的手段による』と解釈した。和田英夫は『警察力、民衆の広範なレジスタンス的組織活動などの諸実力』と解釈した。昭和四十八年の長沼ナイキ基地訴訟第一審判決には『自衛権を有しこれを行使することは直ちに軍事力による自衛権に直結しなければならないものではない』とし、『平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法』『警察を以てこれを排除する方法』『民衆が武器を持って抵抗する軍民蜂起の方法』のほか『侵略国国民の財産没収・国外追放』などを指摘した。こういう解釈からの脱却が必要。武力なき自衛権論は世界の何処の國にもない。武力なき自衛権論は成り立たない。国連憲章第五一条には自衛権は『武力攻撃が発生した場合』のみに発動を許されるとある。自衛権の発動は当然に武力の行使を前提とする。憲法九条の政府解釈は欺瞞的。戦力とは自衛のための必要最小限を超えるもの、自衛力とは戦力に至らないものという『循環論法』に陥っている。『戦力にあらざる自衛力』という概念は法的概念としては認められない。外敵の武力攻撃に対して国土・国民を防衛するという目的にふさわしい装備を有する実力部隊が軍隊であり、この定義からすれば、自衛隊は戦力に該当する。国際協調と平和主義の理念を高く掲げつつ、正規の手続きを踏む憲法改正の是非を国民に問いかけるべし」。

秋元司前参院議員「普天間問題がロシア・中国から侮辱受けた原因。辺野古移転で合意したのにそれを破棄した。日米同盟の絆が壊れつつあった。独立国家の基本は自分の國は自分で守ること。自衛隊について憲法上の担保が示されていない。憲法に軍という位置づけを明記すべし。曖昧模糊とした形で自衛隊が存在しているのは士気にかかわる。」

中川雅治参院議員「東日本大震災における宮城県の瓦礫の量は同県の一般廃棄物の二十三年分の量に相当する。復旧・復興には強力なリーダーシップと国の財政支援が必要。菅総理はもっとリーダーシップを発揮して迅速に対応をしてほしい。国家緊急事態に対する態勢が全く整えられていない。三月十一日に衆議院が解散されていたら大変な事態になっていた。現行憲法は国家緊急事態を想定していない。現行憲法は占領憲法なので、国家緊急時代は占領軍が対応すると考えられていた。緊急事態についての規定を作るべし。明治憲法は整備されていた。憲法を改正すべし」。

下村博文衆院議員「日本を立て直さなければならない。そうでなければ犠牲者に申し訳ない。津波が来た地域を国有地として国が買い取り、高台に高層住宅を作り住民に住んでもらうようにしたい。しかし住民が元の所に住宅を作るのを行政は拒否できない。それでは元の木阿弥になってしまう。自衛隊は、地震発生の翌日から今日まで野宿・テント・寝袋で貢献している。自衛隊の救援活動をマスコミは正しく報道しない。憲法改正によって自衛隊を正しく位置づけることが大事。三・一一以降、意識変革が起きてきている。憲法第九十六条を改正して、二分の一で改憲できるようにする動きがある。国会議員を三割削減する。大選挙区制の一院制にする。スピーディーな国家運営が求められている。」

桜内文城参院議員「原子力災害は一カ月たっても展望が見られない。誰が意思決定しているのか見えない。国家緊急権の規定が憲法にない。旧憲法には第十四条にあった。戒厳令・緊急勅令の規定があった。民主党政権は自衛隊に頼りたくないから安全保障会議が開催されていない。復興会議を設置する意味があるのか。菅内閣は法の支配を軽視している。尖閣問題で船長の処分を決めたが、指揮権発動をしたくないので、検察に裁量権を逸脱する判断をさせた。菅内閣は災害を悪化させ復旧を遅らせている。文部科学省と経済産業省の縦割り行政で日本原子力研究開発機構と原子力安全保安院との協力が出来ない。東電に全ての責任を押し付けている。憲法とは、政府の意思決定の仕組みを考えるもの。第九条を守って、国民の生命・財産・自由を守ることができなければ改正すべし。」

平沢勝栄衆院議員「今回の災害で、韓国の大統領は『日本政府は無能』と言った。自民党は指揮系統がしっかりしている。民主党政権は役人の使い方を知らない。菅総理は『ドラム缶』ならぬ『怒鳴る菅』と言われている。あっちこっちに行って怒鳴り散らすだけ。民主政権と自治体・外国との関係がうまくいっていない。今の政権には国家観がない。官房長官は革マルと関係がある。副長官は『自衛隊は暴力装置』と言った。総理は『国旗・国歌法』に反対し、『国歌』を歌うことを拒否した。こんな連中が政権を持っているから憲法改正が進まない。『諸国民の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持する』と言うのなら、自分の家に鍵をかけるな」。

      ◎

今年の大会にも、民主党議員は一人も参加しなかった。公明党議員も参加しなかった。参加して堂々と所信を披露すべきであった。憲法問題に正面から取り組む意思がないのである。

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千駄木庵日乗五月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。

夕刻は、地元にて歯医者さんと目医者さんの友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備。資料検索と整理。

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2011年5月 5日 (木)

日本人にとって自然とは

日本人にとって自然とは、対立するものでも、征服するものでも、造り替えるものでもなかった。自然を神々として拝ろがみ、自然に随順し、自然の中に抱かれて生活してきた。自然の摂理に歯向かう時、人間は自然の報復を受けるということを体験的に知っていた。報復と言って悪ければ、摂理に逆らうことによって害を受けることを知っていた。日本人は古来、自然を畏敬し、順応しつつ生きて来た。

原子力開発が「自然の摂理」に歯向かうものであるかどうかは、私には分らない。しかし、日本人のみならず現代の人類は、自然を破壊し自然の摂理に逆って、文明の進歩発展・経済発展の道をひたすら突っ走ってきたことは確かである。

菅原道真は

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

と詠んだ。

伴林光平は

度會の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり

と詠んだ。

藤原俊成は

雪降れば 嶺の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山

と詠んだ。

こうした自然神秘思想を回復することが今最も大切なのであろう。

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千駄木庵日乗五月四日

午前は、母のお世話。

午後は、日本橋にある三井記念美術館にて開催中の「館蔵品展」参観。三井記念美術館の所蔵品から、茶道具、絵画を中心に展示されていた。重要文化財「東福門院入内図屏風」、「女房三十六歌仙帖 土佐光起筆」「聚楽第屏風図」「南蛮屏風」「岩上群猿図屏風」などの絵画、茶道具では、「重要文化財 黒楽茶碗 銘 俊寛」、「赤楽茶碗 銘 鵺」などの茶道具などを参観した。

私は、日本茶は好きであるが、茶道のたしなみは全くと言っていいほどないので、茶道具の良さが分からない。絵画の方は、いい作品が多かった。特に、「岩上群猿図屏風」は江戸時代の作品であるが、写実と抽象が合体していて、面白いと思った。美術展全体としては期待したほどではなかった。しかし、昨日まで原稿書きに追われていたので息抜きにはなった。

日本橋室町も、高層ビルが立ち並び、以前とは雰囲気が変わった。

この後、病院の赴き、父に付き添う。私が行くと喜んでくれるので嬉しい。

帰宅後は、諸雑務。

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2011年5月 4日 (水)

竹田恒泰氏の講演

大変遅れましたが、四月九日午後二時半より、春日の文京シビックセンターにて、「日本ネイビークラブ・防人を励ます会・世界戦略総合研究所合同定例会」で行われた竹田恒泰氏が行われた講演で、印象に残った話を報告します。

「慶応大学で憲法を教えている。第一条が専門。一年間かけて大学生に教えている。『古事記』『日本書紀』を熟知していなければ、第一条は理解できない。天皇統治の歴史を知っていなければ理解できない。簡単に女系の天皇を認めるべきではない。最後の最後まで男系を維持すべし。華族制度撤廃は大きな打撃。来年の『古事記千三百年祭』で『古事記』への関心を高めるべし。

私は、もともとは資源物理学が専門。原子力が専門。今後の日本をどう立て直したらいいのか。アメリカのメディアは『日本人の自助の精神から学ばなければならない』と書いた。帰宅困難者が階段に律義に座っている姿に中国人は驚いた。配給を受ける時、日本人はきちんと並んでいる。中国では腕力の強い順に処理される。日本人の評価が上がることとなった。

原子力は本質的に危険。地震による災害は三十年前から指摘されていた。しかるに高い防波堤を作っていなかった。原発は冷却に始まり冷却に終わる。原発は一年に一回止めて点検する。除染という作業をする。作業をする人は一日で二万・三万円もらっている。今回の事故は、チェルノブイリ並みの事故になる可能性あり、放射線との闘い。冷却系が回復するのが最善。しかし、四基すべてが回復しなければならない。

日本は神の國。しかし国土は放射能で汚染された。アメリカの言いなりの上に今の日本がある。そして日本人の心を失った。日本人としての美しい生き方を忘れて来た。『公』の心を忘れた。しかし今回の大震災で日本人は衣食住が足らなくても礼節を忘れないことを示した。日本の復興を為し遂げることによって世界が変わる。

日本は世界最高の鉄道技術を持っている。イギリスには高速道路は一本もない。どんな危機が来ても『他人のために生きる』という日本人の精神を持っている限り危機を乗り越えて行ける。イラクなどアラブの若者は、明治維新を為し遂げた日本、バルチック艦隊を殲滅しアメリカに攻め込んだ日本を知っている。アラブの希望の星は日本。

どんな困難も乗り越えることを神風が吹くと表現した。しかし努力しなければこのことはない。日本人の最高の輝きを取り戻すべし。」

            ◎

原発について衝撃的な詳しいお話があったのだが、原発問題について全くの門外漢である小生のメモと記憶で間違ったことを書いてはいけないので書くことを遠慮する。竹田氏の言われる通り、今回の惨禍において日本人が、取り乱すことなく冷静に対処した事はまことに素晴しい事であった。特に、被災地の方々に満腔の敬意を表する。日本人は、まだまだ大丈夫であると認識した。やはり日本人は素晴らしい。

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千駄木庵日乗五月三日

午前は、母のお世話。

午後一時より、牛込箪笥区民ホールにて、「新しい憲法をつくる国民大会」開催。清原淳平国民会議会長が挨拶。高乗正臣平成国際大学教授が講演。下村博文・桜内文城・中川雅治・平沢勝栄の各議員がスピーチ。登壇者の発言は後日報告します。

帰途、同志と上野に出てとんかつを食しつつ懇談。

帰宅後は、「月刊日本」連載の『萬葉集』講義原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年5月 3日 (火)

野依秀市先生について

最近、野依秀市先生についての論文を書かせていただいた。小生は昭和三十九年、高校に通いながら野依秀市先生の書生をしていた。またその当時生長の家で活動していた。その頃野依秀先生は、紀元節復活運動を全國的規模で展開していた。生長の家の谷口雅春先生は、野依先生の運動に全面的に協力し、共に演説會を何回も行なった。また、谷口先生は野依先生の主宰する『帝都日々新聞』に度々原稿を書いた。

野依先生は、情熱の人であり、明るい性格の人であった。また熱烈な「皇室中心主義」「愛国心」の持ち主であった。野依秀市先生は、明治・大正・昭和にわたる長い間、縦横無尽に活躍したが、何故か言論史・政治史・宗教史にその名を記されることは少ない。国難の時期に際会している今日の日本において、言論界・政界・宗教界に人物が少ないと言われる中にあって、野依秀市先生の信仰精神と足跡を再評価することが必要なのではあるまいか。

『歎異抄』に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」という言葉があるので、親鸞はあくまでも個人というよりも自分一人の救済を重視していたとする人がいる。また浄土教・阿弥陀信仰は、「厭離穢土・欣求浄土」という言葉で要約されるので、厭世的で来世に救いを求める信仰と理解する人がいる。したがって、日蓮信仰などと比較すると、国家・社会改革に対しては積極的ではないと理解する人が多い。小生自身もそうであった。

ところが野依秀市先生は、いわゆる個人主義者でも、厭世思想の持ち主でもなかった。生涯にわたって言論活動・政治運動・愛国運動を活発に展開し戦闘的姿勢を貫いた人である。退嬰的な生き方は微塵も見られなかった。「愛国の快男児」と自ら称されていた。

考えてみれば、徳川氏が天下を統一し江戸幕府による宗教統制が強固になる以前の真宗教団あるいは信徒は、一向一揆や石山本願寺の歴史を見ても分かる通り退嬰的どころか極めて戦闘的であった。信長との戦いで、本願寺第十一世・顕如は、「進む者は極楽、退く者は地獄ぞ」と号令したという。野依秀市先生はこうした戦闘精神を継承したのかもしれない。

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千駄木庵日乗五月二日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰途、谷中で知人夫妻と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年5月 2日 (月)

「大日本者神國也」

 

 日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

北畠親房公はその著『神皇正統記』において「大日本者神國也。天祖ハジメテ基ヲヒラキ、日神ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云也」と示されてゐる。

東日本大震災は、地震と大津波といふ大自然の脅威と原発事故といふ科学技術に脅威とが同時にわが国に襲いかかってきた。日本のみならず今日の人類の危機的状況は相当深刻である。現代社会は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐる。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、人類は困難な道を歩んでゐる。

現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となってゐる。現代文明とは、「科学の論理によって技術革新を行ふやうになった文明」と定義されてゐる。それは、産業革命以来機械技術の発達を促し、経済至上・物質的繁栄至上の社会を作り出した。

ところが、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして今回の原発事故を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかってゐるやうである。

今日の混迷を打開するためには、これまでの先進諸国の〈近代合理主義〉を根底に置いた科学技術・物質文明に偏した考へ方を改めて、人間の精神性の復活が大事だと思ふ。物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

国難を契機として「日本は天皇を祭祀主と仰ぐ神の国である」という國體精神が復興し、有史以来未曽有の変革を成し遂げたのが明治維新である。平成の国難も、同じ原理によって打開できると確信する。

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千駄木庵日乗五月一日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆、脱稿・送付。この後、別の原稿の校正など。

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2011年5月 1日 (日)

憲法懇話会の報告

本日の『憲法懇話会』にて、久保田信之氏は次のように語った。

「台湾に本当の日本が残っている。ハワイの日系人は日本人らしさを守っている。ハワイに来る日本人観光客は日本人らしさを失っている。『現行憲法』は日本文化から外れている。西洋合理主義に振り回された日本人は、日本人らしさをどこかにやってしまった。昭和十二年の『國體の本義』を見直したい。神社は現代に生きる古代史。道徳として法律を位置付けることによって法は生きて来る。マッカーサー憲法に國體はない。この憲法をいじくりまわしても駄目。日本国は自然発生的組織体。天皇は日本国統合の原理。日本国民は八百万の神々の末裔。」

出席者から次のような意見が出された。

「今日の我が国の状況を見ると、天皇に、明治天皇のように政治の前面に出て来ていただくのが良い」「天皇親政か不親政化の二者択一ではない。天皇は政治をオーソライズ(正当化)され、政治の命を与えるご存在。」「『大日本帝国憲法』の第一章に『万世一系の天皇これを統治す』とある。これはシラスということであり、権力で支配するという意味ではない。第四条の『統治権の総攬者』とは、行政の長ということであり元首ということ。」「『大日本帝国憲法』は、日本国建国の体を継承すると共に、海外各国の憲法を斟酌して制定された」「憲法では『元首』に『象徴』という意味も含まれる。」「法とは最低の道徳。法と道徳はリンクしている」「兵役と納税の義務がないと国家は成り立たない」。

小生は次のような意見を申し述べた。

「神武建国・大化の改新・建武中興・明治維新というわが国史上の変革は、天皇の統治者としての真姿を開顕する変革であった。これを維新という。しかし天皇の統治とは権力・武力によって国民を上から支配するということではない。祭り主としての神聖権威による日本国の統合であり、政治など一切の事象に聖化である」。

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千駄木庵日乗四月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、ある新聞社編集部の方と掲載予定の小生の原稿について懇談。

この後、原稿執筆。

午後六時より、神田学士会館にて、「憲法懇話会」開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。久保田信之氏が「国体と憲法」というテーマで講義。質疑応答。

帰宅後は、諸雑務。

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