« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月30日 (土)

「第十一回・日本の心を学ぶ会」

「日本の心を学ぶ会」で、瀬戸弘幸氏は次のように語った。

「正直に言って、この一カ月は心身ともに落ち着かなかった。人生始まって以来の状況。次の首相に誰が良いかというアンケートで、小沢がトップに立った。全く驚いた。他の政治家がだらしない。しかし。一億円の裏献金を要請したという証言が裁判で出た。偽証罪に問われる裁判の証言で嘘を言うバカはいない。水谷建設の社長は真実を言った。検察の勝利。菅を引きずりおろしても小沢が総理になるという線は消えた。今の日本には本当に首相にしたいという人がいない。これから我々が求めるのは解散総選挙しかない。

私は四年前の参院選の第一声で、『汚れた水が入っているバケツに清浄な水を入れても駄目。バケツを蹴っ飛ばすのが維新』と言った。全ての常識的なものを壊して新しいものを打ち建てるのが維新。社会的矛盾が極まってどうしようもなくなった時維新が来る。

パチンコ店が電力を大量に消費していることを今回の地震で初めて知った人が大部分。計画停電には優先順位を付けるべし。メタルで換金するというパチンコ業界が今やっていることは違法。メディアはそのことを指摘しない。賭博性・違法性・ギャンブル性を指摘してそれをやめさせる。」と語った。

小生は、大化の改新・元寇・明治維新の歴史を回顧しつつ、現代の維新について語らせていただいた。

| | トラックバック (1)

千駄木庵日乗四月二十九日

朝は、母のお世話。

午前十時より、近所の公共施設にて、小生の居住するマンションの管理組合総会開催。

午後は、夜の講演の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、新橋の港区生涯学習センターにて、「第十一回 日本の心を学ぶ会」開催。瀬戸弘幸氏及び小生が「真の維新とは何か」と題して講演。質疑応答。終了後懇親会。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月29日 (金)

この頃詠みし歌

政争に維新といふ言葉をもてあそぶ政治家といふは許し難しも

誰がなっても同じといふ気もするけれど菅直人は駄目といふ声が満ち満つ

大給松平氏の殿様が住みし屋敷跡 銀杏の巨木の新緑の光

母校なる体育館で区議選の一票を投ず春の夕暮

初恋の人の兄上が笑顔にてすれ違ひたるふるさとの町

過ぎ去りし時は帰らず 逝きましし人も帰らず さみしき心

出合ひたる乙女は今や副大臣 われは在野でものを書く人

独りごと言ひつつ部屋の掃除する心の穢れも祓はんとして

疲れたる身を横たへて昼寝せば火事の夢など見る恐ろしさ

怒りやすきわが性(さが)厭へどままならず今日もまた堪

事難かりき

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、「伝統と革新」編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、明日の「日本の心を学ぶ会」における講演の準備など。

| | トラックバック (0)

2011年4月28日 (木)

天皇皇后両陛下のご巡幸を拝し奉りて

天皇、皇后両陛下は、東日本大震災の被災者お見舞いのため、津波で壊滅状態になった宮城県南三陸町や仙台市を御巡幸あそばされ、被災者を励まされ、救援・復興関係者をねぎらわれた。

本日午後、南三陸町の小学校校庭にヘリコプターで降り立たれた両陛下は、佐藤仁町長から説明を受けられた後、がれきが散乱する沿岸部に向かって黙礼された。体育館での被災者お見舞いの後、救助活動に当たる自衛隊幹部らにも会い、「ありがとうございます」と述べられた。同町を去る直前には、お二人でもう一度、町の跡に向かい頭を下げられた。

ヘリコプターで移動される間には、壊滅した漁港や養殖場が続く三陸沿岸を視察された。同乗した村井嘉浩知事によると、陛下は、津波で約7割の児童が死亡か行方不明となった石巻市立大川小の上空で「大変な被害でしたね。かわいそうでしたね」と話されたと承る。

天皇皇后両陛下の慈しみ深き、お姿を拝すると、自然に涙がこみ上げて来る。

戦争直後、昭和天皇と香淳皇后が、全国各地を御巡幸あそばされ国民を励まされた。戦災復興は、昭和天皇の御巡幸が大きな力となった。震災復興も、今上陛下のご巡幸が大きな力となっていると拝し奉る。有難き限りである。

この国難の時期に、権力闘争を始めるような政治家たちがいる。しかし、政治家・権力者に対する不信が高まり、政治状況がいかに不安定になっていても、上に天皇がおわします限り、日本国は安泰である。

しかし我らは、素晴らしい日本国を汚辱にまみれさせている悪徳政治家どもを糾弾する戦いはゆるぎなく進めていかねばならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月27日 (水)

菅を辞めさせた後、誰が総理になるのか。

今日は同志の方たちと色々話し合ったが、菅直人を引きずり下ろすのは良いが、では一体誰が次の総理になるのか。小沢か、鳩山由紀夫か、前原か。それとも、谷垣か、石破か、石原伸晃か、小池百合子か。あるいは亀井か。ただし小沢だけはご免蒙りたい。

菅直人が意外に強気なのはその事が分かっているからだろう。しかし、不信任案が問責決議が可決されれば、解散か総辞職しかないだろう。

民主党内反小沢勢力がどのくらいの数になるかが焦点だ。そして、その人たちが、自民党・公明党と組んで、谷垣を擁立するのか。だが自公が小沢一郎と手を組むことはないと思う。第一、そんなことは許されない。小沢は菅よりも自民党に憎まれている。

誰が総理大臣になれば、この国難を乗り切ることができるかを、第一に考えなければならない。そういう政治家が見当たらないことも、国難なのである。

しかし、私は、平沼赳夫・安倍晋三両氏に期待したいのである。ただし、総理は激務だ。ましてこの時期は本当に大変である。健康は大丈夫なのかが問題なのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十六日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーの方が来宅。母の来月の介護計画について話し合う。「ケアマネージャー」だとか「ホームヘルパー」だとか何故英語が使われるのだろうか。おかしな話である。

午後は、西荻窪のたちばな出版に赴き、編集実務担当者の方と現在編集中の『伝統と革新』の編集打ち合わせ。続いて午後四時より、第五号の編集会議。終了後、出席者と懇談。談論風発。

帰宅後は、原稿執筆。ある新聞より依頼された「野依秀市論」を書いています。

| | トラックバック (0)

2011年4月26日 (火)

国難と神国思想

日本民族はいかなる苦難をも乗り切ってきた歴史を有する。この度の国難も必ず乗り切って行けると確信する。

元寇という未曽有の国難を機として、その頃「末法が到来した」と信じて悲観絶望に陥っていた日本民族は、民族精神の底流に脈々と継承されてきた「神国思想」が表面に噴出した。そして、力強い自信を復活させた。国家的危機に際会したことによって、末法思想という宿命論を克服し、「今即神代」「大日本は神国なり」との伝統精神を回復させたのである。

国難を契機として「日本は天皇を祭祀主と仰ぐ神の国である」という國體精神が復興し、有史以来未曽有の変革を成し遂げたのが明治維新である。

平成の国難も、同じ原理によって打開できると確信する。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十五日

午前は、母のお世話。母の介護認定調査の方来宅。母に付き添う。小生にも質問があった。

午後は、「伝統と革新」編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師の方にいろいろ話をうかがう。一日でも長生きしてほしいという思いと、苦しみが少なくあってほしいという思いとが交錯する。意識があり、私が来ると喜んでくれる。

帰宅後も、編集の仕事。

| | トラックバック (0)

2011年4月25日 (月)

征夷大将軍とは

「征夷大将軍」とは、「夷狄を征伐する大将軍」という意味である。坂上田村麻呂が最初の征夷大将軍である。その後、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任ぜられて以来、兵馬の実権を握る者を表す呼称となった。しかし必ずしも武士だけが任命されたわけではない。後醍醐天皇の御子・大塔宮尊雲親王も征夷大将軍に任ぜられた。

徳川家康は天下を統一して、朝廷よりこの地位に任命された。以来、徳川氏がこの地位を独占するのである。ところが、ペリー来航などまさに夷狄がわが国に対して圧迫を加える事態になった時、徳川幕府は、これに対して毅然とした対処をすることができず、朝廷にお伺いを立てたり、諸大名に対処策を諮問した。つまり、徳川宗家および幕閣はその職責である「征夷大将軍」を全うすることができなくなったのである。

徳川幕藩体制の瓦解の原因は実にここにあると言わなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、母校の小学校体育館の投票所に赴き、投票。思わず「校歌」を口ずさむ。

帰途、小学校の先輩と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月24日 (日)

千駄木庵日乗四月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」発送完了・送付。購読者の皆様には、月曜日にはお届けできると思います。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状の執筆など。

| | トラックバック (0)

『東京財団フォーラム』における登壇者の発言

四月二十一日午後三時半より、赤坂の日本財団ビルにて行われた『東京財団フォーラム・オバマ政権の対中戦略の大転換』における登壇者の発言は次の通り。

         ◎

久保文明東京財団上席研究員・東京大学教授「日本と中国とは、東シナ海で対立関係にあっても経済的には互恵関係にある。中国とは領土紛争を抱えている。アメリカでは中国は経済発展しても悪くなるという悲観的見方が増えている。北朝鮮に対して中国と一緒に対処していくことに躊躇している人が多い。中国が今の行動を続ける限りアジアの安定はない。四川大地震の時、中国は日本の自衛隊の派遣を断った。アメリカ軍の東日本大震災に対する支援活動は、条約上の義務ではない。フレンドシップ。日米は条約以外においても同盟関係にある。今回は大事な前例になった。」

川上高司東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、・拓殖大学教授「二〇一〇年にオバマの対中政策が変化。胡錦濤の一月訪米をどう評価するのか。東日本大震災以後、アメリカの対中政策はどう転換するのか。オバマ政権前期は、イラクとアフガンからの撤退を実現するためにアジアへの関与を低下させた。中国重視・日本軽視だった。太平洋の真ん中で、米中で分けようという中国の提案をアメリカは蹴った。オバマ政権は、対中強硬路線へ軌道修正。軍事力をアジアにシフトした。台湾へ武器売却し、ダライ・ラマをホワイトハウスに招聘した。中国は『南シナ海は中国の核心的利益』とした。『核心的利益』という言葉はこれまで台湾とチベットにしか用いなかった。南シナ海での中国の覇権確立にアメリカは反対。二〇一〇年十二月の我が国の『新防衛大綱』では、中国を地域・国際社会の懸念事項とし、当初防衛を最重要課題の一つとした。米国の対中ヘッジ戦略と重ね合わせて対中抑止力を強固にし、日米同盟を深化させるとした。日本には、南の脅威西(中国)、北の脅威(北朝鮮)、北東の脅威(ロシア)があるとした。一万数千キロの外周を独自防衛は不可能。日米同盟は不可欠。北海道の自衛隊を二師団、二旅団を南西にシフトする。中国海軍が第一島嶼線を突破し、第二島嶼線まで抑えられれば、日本は海底・海洋資源の確保だけでなく、島嶼防衛は難しくなる。日米両国政府レベルの信頼性が欠けていた。ヒラリー・クリントン来日は、日本は大丈夫かを見に来た。また、日米関係重視の姿勢を示すために来日した。元大統領夫人として天皇皇后両陛下と会見した。日本の政権が不安定でリーダーシップがなくても日米関係は緊密。両陛下はクリントンに今回の支援についてお礼を述べられた。アメリカの日本に対する支援にはウラはない。友情として復旧活動をしている。菅さんは、クリントンに『一生忘れない』と言った。アメリカ人は短期間にものを考えるので楽観的。アメリカは中国が上に立つのを感情的に認めない。アメリカの前原辞任のショックは大きかった。」

渡部恒雄(東京財団上席研究員・外交安保担当ディレクター)「オーストラリアの首相は『アジアは安定してほしい。日本のことが心配。中国がこれ以上台頭するのは安定につながらない。』と言った。」

          ○

皇室の御存在がいかに偉大であるかをあらためて認識させていただいた。政権政党がいかにだらしなくとも、天皇陛下がおわします限り、日本の安定と対外的信頼関係が崩壊することはない。アメリカのオバマ大統領が来日した際、天皇陛下に対し奉り深く敬礼した姿、そして今回のヒラリー・クリントン国務長官の両陛下との会見を観て、そのことを実感した。

| | トラックバック (0)

2011年4月23日 (土)

杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』について

Img028

杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』草思社発行

             ◎

杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』は、五回にわたって北朝鮮を訪問し、色々と取材活動をしていた元日経記者の杉嶋岑氏が、五回目の訪朝で北朝鮮当局に身柄を拘束され、二年半にわたって抑留生活を送った記録である。

三百六十ページという大部の本なのでまだ拾い読みしかしていないが、杉嶋氏に情報提供を要請した我が国の政府機関に杉嶋氏が話したことを、北朝鮮の情報機関が把握していたという恐るべき事実が書かれている。わが国調査機関に北朝鮮のスパイが潜入していたということである。さらに抑留中、杉嶋氏の東京の留守宅が工作員に侵入され、北朝鮮に関する資料が物色されたこと、日本の某大手銀行の杉嶋氏の口座の取引内容も、北朝鮮の取調官が把握していたことなどが書かれている。まことに衝撃的な内容である。

杉嶋氏とはかれこれ七八年前からの知り合いである。色々な会合に出席されては、写真を撮りまくっていた。正直な話、怪しい人物と思っていたが、名刺交換し話すようになると、明るく面白い人物であり、北朝鮮に抑留されていたことを知った。今日の出版記念会で祝辞を述べた方が、「杉嶋氏は変わり者であると共に、記録マニア」と評していた。五回も訪朝して、カメラとビデオで撮影しまくり、そのうえ、日本の公安機関と接触があったということで、抑留されたということなのだろうか。本人は興味のあるところを撮影しただけで全くスパイ活動をしたとは思っていないと言っていた。大らかな人物なのである。今日も自分の祝賀会なのに、会場内をカメラで撮影しまくっていた。

杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』は、力作であり、北朝鮮の実情・日本への不法な工作を知るには大変良い本である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、「伝統と革新」編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。まだ微熱がある。

午後六時より、新宿の文芸社サロンにて、「杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』出版記念会」開催。篠田博之・羽田昭彦・西村幸祐・東條英利の各氏らそして小生が祝辞を述べた。そして、杉嶋岑氏が謝辞を述べた。

帰宅後は、「政治文化情報」発送作業。

          ◎

「杉嶋岑氏著『北朝鮮抑留記』出版記念会」で謝辞を述べる杉嶋氏。

110422_193201

| | トラックバック (0)

2011年4月22日 (金)

「東照大権現」について

徳川家康のことを「東照大権現」と言う。東から日本の國を照らす神という意味であろう。皇室の祖先神・天照大御神を意識した神名である。臣下にこのような神号を付けるのは明らかに不敬である。

「権現」とは、仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿をもってこの世に現れることで、神道の本地垂迹説においては、仏が衆生を救うために日本の神の姿となって現れた神のことという。東照大権現即ち徳川家康の本地(本来の姿)は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師瑠璃光如来であるとした。徳川家の菩提寺・上野寛永寺の本尊は薬師瑠璃光如来である。

しかも「東照大権現」という神号は、後水尾天皇の勅許によってつけられた。つまり徳川幕府は、天皇の権威によって徳川家康の神格化を行ったのである。しかもその神格化は、明らかに、天皇の権威に対抗するものであった。日光東照宮は、伊勢皇大神宮に対抗するものである。そして大名に東照宮を建立することを半ば強制し全国の五百社を超える東照宮が作られた。

しかし、幕末の国家的危機において、日本国民は、皇祖天照大神に国難打開を祈り、天照大御神の生みの御子即ち現御神たる天皇中心の國體を明らかにすることによって、国難を打開し、明治維新を断行した。東照大権現の権威はその時、日本国民の大きな精神的支柱とはなり得なかった。そもそも征夷大将軍たる徳川氏は、その職責である夷狄を征伐する力を喪失したのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十一日

午前は、母のお世話。

午後三時半より、赤坂の日本財団ビルにて、「東京財団フォーラム・オバマ政権の対中戦略の大転換」開催。久保文明(東京財団上席研究員、東京大学教授)、川上高司(東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、拓殖大学教授) 渡部恒雄(東京財団上席研究員・外交安保担当ディレクター)の三氏が討論。質疑応答。内容は後日報告します。

午後七時より、千駄木の文京区立第八中学校にて、地元区議会議員候補者の選挙演説会開催。候補者本人、文京区長、千駄木二丁目町会長などがスピーチ。候補者は小生の小中学校の後輩に当たる人。

帰宅後は、「伝統と革新」編集作業。

| | トラックバック (0)

2011年4月21日 (木)

天皇陛下の仁慈の大御心

今日の会合では、東日本大震災に際して、天皇皇后両陛下が、國民の惨禍を深くお悲しみあそばされ、國民と苦難を共にせられ、そして一日も早い被災地の復興と國民の立ち直りを神に祈られる祭祀につとめられている有難き大御心について語らせていただいた。

大橋武郎氏よりいただいたメールには大要次のように書かれていた。「三月二十一日には『春季皇靈祭の儀』が斎行された。神楽舎の柱が地震で傾き、皇靈殿へ向かう廊下の天井板も崩れており、側近たちは『余震も続いておりますし、非常に危険です』とお止めし、掌典長による代拝をお勧めした。しかし、天皇皇后両陛下は、『私たちに祭祀をさせて下さい』と、強くおっしゃったそうである。いくら建物の倒壊の危険があるといっても、代拝ですませるお気持ちではなかったと拝察する。計画停電実施中は、執務を行われる宮殿は電気を可能な限り使用されず、さらに十五日以降は毎日、お住まいである御所のブレーカーを一定時間落とす生活を続けておられる。その間は、明かりや暖房を止めるだけではなく、電気を使わない暖房器具の利用も控えておられる」。

天皇陛下が、御所内のブレーカーを落とし、暖房もお止めになり、照明も最低限に落とされているといふことに、涙を禁じ得なかった。身も震えるほどの感激を覚えた。「喜びも悲しみも民と共にある」といふのが、歴代天皇の仁慈の大御心である。

深谷隆司前衆院議員(阪神淡路大震災直後の自治大臣)はそのブログで大要次のように書かれている。

「阪神大震災後につくられた緊急消防援助隊の第一回大訓練にご臨席された天皇陛下は、寒風吹きすさぶ日だったが、『コートをお召しください』と何度も陛下に申し上げても、それをお断りになり、端然として身動ぎもなされなかった。忘れることのできない尊い思い出である」。

今上陛下は、まさに大慈悲心の体現者であらせられる。天皇陛下の仁慈の大御心に感謝し奉る。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二十日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田にて開かれた大行社の幹部会にて、顧問の一人としてスピーチ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また発熱している。心配である。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。今月中に書きあげねばならない大事な原稿が三本ある。

| | トラックバック (0)

2011年4月20日 (水)

松本健一氏について

枝野幸男官房長官は15日の記者会見で、菅直人首相が東京電力福島第1原発の避難・屋内退避区域について「10年、20年住めない」などと発言したと紹介し、直後に撤回した松本健一内閣官房参与について「適切な対応をすべく、検討したい」と述べ、解任する考えを示唆した。また、民主党の渡部恒三最高顧問は、「そんな側近はクビにすればいい」と首相に進言したという。

その後このことに関する報道はないが、一体どうなっているのか。松本健一氏に責任をなすりつけて一件落着か。松本氏がデマを飛ばしたことにするのか。やはり菅直人は汚い、卑劣だ、と私は思う。

私は松本健一氏とは面識がある。著書も何冊か贈呈していただいた。だから言うわけではないが、松本氏は他人が言ってもいないことを捏造してしゃべる人ではあるまい。全く根も葉もないことを言う人ではないと思う。

松本氏のような立場の人が内閣参与などになったことが間違いだったのである。今まで彼が書いてきたこと、主張してきたことを考えても、松本氏は内閣参与などになるべきではなかった。在野で政治批判をすべき人である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、「伝統と革新」編集の仕事及び「政治文化情報」発送準備。

| | トラックバック (0)

2011年4月19日 (火)

野依秀市先生についての原稿を書いています

野依秀市先生についての原稿を書いています。この方は、明治・大正昭和の三代にわたって、言論界・政界・宗教界そして愛国運動で大活躍をされた方であります。

「実業之世界」「帝都日日新聞」という新聞と雑誌を刊行し、破邪顕正の立場から論陣を張られました。さらに、戦前一回・戦後一回大分県から衆議院議員に選出されました。昭和三十年の保守合同(民主党と自由党が合同し現在の自由民主党が結成されたこと)では全国的な国民運動を展開しました。

明治末期に、筆禍によって入獄されましたが、獄中で阿弥陀仏信仰に目覚め、出獄後、世界仏教協会を結成され、猛烈なる宗教運動を開始されました。そして「世界仏教」「真宗の世界」という雑誌を刊行しました。

つまり、言論人・政治家・宗教家という三つの面で活躍されたのであります。

さらに、戦時中は「米本土空襲」を唱えて全国行脚をされました。戦後は、「中央公論糾弾運動」「紀元節復活運動」に挺身されました。「愛国の快男児」と言われました。

私は、高校三年の時に、野依先生の書生となりました。高校卒業までのごく短期間でしたが、色々ご教導をいただきました。野依先生の信仰信条、そして様々な活動について、私なりに書かせていただく所存であります。阿弥陀仏信仰と愛国運動がどう結びつくのかは大きなテーマであると思います。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

            ◎

奈須田敬氏編集・発行の「ざっくばらん」が四月号で休刊となるとのことである。「老躯任にたえず」「老兵は死なず消え去るのみ」がその理由とのことである。まことにさみしい限りである。奈須田氏は、小生の母と同年の九十一歳であられる。小生は今年六十四歳。あと三十年ちかくは何としてもがんばらせていただかねばならない。

| | トラックバック (0)

2011年4月18日 (月)

東京芸術大学美術館にて開催中の「香り・かぐわしき名宝展」参観

今日参観した東京芸術大学美術館にて開催中の「香り・かぐわしき名宝展」は、「六世紀、仏教伝来とともに日本人は香木を焚くことを知りました。以来、日本では「香り」を仏教文化、貴族文化、武家文化、庶民文化の中ではぐくみ、世界に稀な香りの文化を生み出してきました。本展覧会は、香りにまつわるさまざまな美術作品を紹介しながら、目に見えない香りの魅力を、人間の五感や想像力を頼りに味わっていただこうというものです。」(案内書)との趣旨で開催された。

重要文化財 阿弥陀浄土曼荼羅、重要文化財 十一面観音立像、重要文化財 三條西実隆像、重要文化財 野々村仁清・色絵雌雉香炉、織部獅子鈕香炉、鈴木春信・梅の枝折り、速水御舟・夜梅、上村松園・楚蓮香之図、などを観る。香を焚くというのは、仏教行事から発生したものだそうである。やがて、貴族・武士・庶民(と言っても富裕層)や色里の女性などが香をたしなむようになったようである。私にはあまり縁がないが、香は日本文化の一つであろう。西洋の香水よりも何となく品があるように思える。西洋の香水はあまりふろに入る習慣が無かった西洋人が体臭を消すために用いたと聞いている。日本の香はそうではない。私も香には縁があまりないとは言っても、仏前にお参りする時はお線香を焚く。これも香の一種であることは間違いない。香の香りをかぐと何となく心が落ち着く。今日の展覧会場も、香の香りが漂っていた。

「芸大コレクション展―春の名品展―」は、「当館のコレクションは、東京美術学校開学以来一二〇年を超える収集活動によって形作られたもので、古美術から日本画、洋画、彫刻、工芸、歴代教員・学生による作品など多種多様な内容を誇り、その数は重要文化財二二件を含む二万八千件を越えています。今年は、古美術、近代美術の各分野の中から、多くのお客様にご好評いただいている作品を精選して展示いたします。」(案内書)との趣旨で開催された。小倉遊亀「径」、横山大観「村童観猿翁」、高橋由一「鮭」、黒田清輝「婦人像」、レオナルドフジタ「裸体」などを観る。美術の教科書などに出て来るような名品が数多く展示されていた。日本一の美術学校の歴史を刻んでいるだけに、この美術館は、規模は小さいが貴重な美術品が収蔵されている。今回展示されているのはそのごく一部である。しかし圧倒とれるようなものばかりであった。落ち着いてすぐ近くから観賞できるので有難い。

| | トラックバック (0)

2011年4月17日 (日)

千駄木庵日乗四月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京芸術大学美術館にて開催中の「香り・かぐわしき名宝展」及び「芸大コレクション展―春の名品展―」参観。

帰宅後は、書状執筆など。

| | トラックバック (0)

この頃詠みし歌

煌々と まんまる月は 照りてゐる 地上にいかなる 惨禍ありとも

海の幸に 恵まれ生きる 日の本の 民は今海を 怖れゐるなり

日の本は 海の國なり その海が 攻め寄せ来たりし 恐ろしさかな

夜の灯の 少なき街を 走り行く タクシー運転手の 嘆き聞きつつ

のどかなる 春の日なれど 地は動き 心休まる こととてはなし

崩れ落ちし 書籍の中に うずくまり 分類整理を して過ごす春

揺れ動く 大地の上に 立つマンション その九階に われは住みをり

み仏の 慈悲をたのみて 祈りたり 御國の春よ よみがへりませと

東北の 地震に斃れし 人々の 御靈鎮めの 讀経聞きをり(谷中天王寺慰靈法要)

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。いくらか容態は良くなったようである。有難し。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

| | トラックバック (0)

2011年4月16日 (土)

上御一人の御祈り

第一〇三代・後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震などがあり、國民は疲弊し、朝廷の衰微も極に達した。崩御になられた後、御大葬は行はれず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだといふ。この時もまた未曽有の國難であった。この國難に際して、後土御門天皇は御宸筆の「般若心経」を伊勢の皇大神宮に奉納し、聖算長久、武運安全、兵革静謐を祈願された。

後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のような御製を詠ませられた。

「伊勢   

 にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、そうであればこそ、上御一人日本天皇は、神の祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。

今日の日本も「にごりゆく世」である。本来の日本の清き姿に回帰することを日本國民は神に熱祷しなければならない。 

この度の東日本大震災において、天皇皇后両陛下は、國民に惨禍を深くお悲しみあそばされ、國民と苦難を共にせられ、そして一日も早い被災地の復興と國民の立ち直りを神に祈られる祭祀につとめられてゐると承る。また、地震直後の三月十六日には、被災者・國民に対して優渥なる「お言葉」を賜った。全てのお言葉に、今上陛下の仁慈の大御心溢れてゐる。「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思ひます」とのお言葉にとくに感銘した。天皇皇后両陛下におかせられては、陛下のお言葉通りに被災者の苦難を分かち合うべく努力をされてをられる。有難き限りである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後二時より、永田町の衆議院第一議員会館にて、「新しい憲法をつくる研究会」開催。清原淳平会長が挨拶。塚本三郎元民社党委員長が「今こそ日本人の底力を!」と題して講演。質疑応答。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月15日 (金)

国難と言霊の復活

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言霊の復活が大切である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせるやまとうたの復活である。今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。

大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやにう、畏れ多いが、国難に晒されてゐる今日においても、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

日本天皇を「すめらみこと」と申し上げる。「すめらみこと」とは、天つ神の「みことのり」「神勅」を地上において実現される最高に尊いお方といふ意味である。日本の「言葉」で最も大切な言葉は、天皇の「みことのり」(詔勅)である。「詔を承りては、必ず謹む」精神即ち「承詔必謹」が日本国民の最高絶対の道義精神であり、国家永遠の隆昌の基本である。

日本国民が、絶対的に有り難く承るべき言葉は、天皇のご詔勅である。また、おのづからに心にしみ入る言葉は、天皇の大御歌である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

午後五時より、西荻窪のたちばな出版にて、「伝統と革新」の編集実務者会議。表紙のデザインなどについて討議。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月14日 (木)

永井荷風の文明批評

永井荷風の文明批評は、今もその輝きを失ってゐない。荷風の文章を引用したい。

「丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾を壮麗にす子女またクリスマスとて互に物を贈りて賀すといふ近年人心夷狄の祭祀を重んじ我邦在來の豊かにめでたき行事を忘るゝことを歎ずべしといふ者あり。」(『毎月見聞録」大正五年十二月二十四日)

「若し直に國辱の何たるかを問はば獨り對外交渉のみに止まらず現代の世態人情悉く國辱となすに足る…試みに停車場に入りて掲示を見よ。蟇口を開いて貨幣を見よ。皆外國の文字あり。此の如きは欧米何處の國に至るも決して見る事能はざるものなり。…全國停車場掲示の英語は屡々人をして神國六十餘州宛ら英米の植民地たるの思ひあらしむ。そもそも異郷人の異國に遊ばむとするや先づその國の言語を習得するの用意なかるべからず。外客の便不便は元来その國人の深く問ふべき處にあらず。」(『麻布寿襍記』・大正十三年)

そして、大正八年八月には、「地震は安政以來久しく東都の地を襲はぬけれど、浅間しき末世の有様は、何かにつけて古來の迷信を回想せしめる便宜となり易い。」(『厠の窓』)と書いてゐる。関東大震災が起こったのは、荷風がこの文章を書いた五年後の大正十二年九月一日であった。

荷風が憤り憂へたことは今日の日本に於いてますますひどくなってゐる。そして混迷せる現代に於いて天変地異を予測する人は多かった。被災者のことを思へばそんなことは言ふべきではないし、迷信邪教と言ってしまへばそれまでだが、反省の資とすることはあるいは必要かもしれない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識があり少し話すことが出来たのがうれしい。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。額田王の御歌を講義。染井吉野発祥の地である。会場近くの桜は、葉桜になっていた。

地元に戻り、ある落語家の方と懇談。落語家になって二十五年になるが、まだ若手と言われている。谷中千駄木根津には落語家が多く住んでいたし、今も住んでいる。今住んでいる方で代表的な方は立川談志さん。小生の子供のころは、志ん生さん、柳亭痴楽さん、三遊小圓朝さんなどが住んでいた。志ん朝さんは、小生の小中学校の先輩。私は、学生時代上野鈴本に通った。

帰宅後も、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月13日 (水)

国難と日本民族の自然信仰

 清らかな伊勢の皇大神宮の神域に入り行くと、本当に日本人に生まれ来た喜びと有難さを実感する。

吉川英治は「ここは心の ふるさとか そぞろ参れば 旅ごころ うたた童に かへるかな」と詠んだが、まさにその通りである。伊勢の皇大神宮に参らせていただくと、本当に魂のふるさとに帰って来た心地がする。

伴林光平は、「度会の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり」と歌っている。「度会の宮路」とは伊勢に神宮の参道のこと。神宮が度会郡に鎮まりたもうゆえにかくいう。「五百枝杉」とは枝葉の繁茂する杉。

伴林光平は河内の人。真宗の僧であったが、加納諸平・伴信友に国学と歌道を学び、還俗して、天誅組の大和義挙に参加。京都六角の獄で斬罪に処せられる。この歌は宇治橋を渡って歩み行く人々全ての実感ではなかろうか。

近代歌人・窪田空穂も、「遠き世にありける我の今ここにありしと思ふ宮路を行けば」と歌っている。

伊勢の神宮に参拝すると「今即神代・神代即今」を真実に実感する。こうした自然に神を見、自然を拝ろがむ日本民族の伝統信仰と精神を回復することが国難打開と方途であると確信する。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十二日

午前は、母のお世話。やや強い地震がある。

午後は、明日の「萬葉古代史研究会」における講義の準備。

この後、病院に赴き父に付き添う。意識があり、私が来たことを喜んでくれる。

帰宅後も、明日の講義の準備。そして原稿執筆。

               ◎

パチンコ店開店自粛=休業を実現するのはそう難しいことではない。パチンコ業界は警察の管轄下にある。多くの警察官退職者が天下っている。菅総理が、警察庁長官に指示すればいいのだし、石原氏が警視総監に指示すればいいのである。ただし、庶民の楽しみをすべて奪わないという「想定の範囲内」にしてほしい。

| | トラックバック (0)

2011年4月12日 (火)

荒ぶる神々への祭祀

「神」は、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より、祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言ったのである。

日本の神々は、生命力・霊力そのものであり、それは、人間に恩恵をもたらすと共に、破壊的な働きも示すのである。地の神が荒ぶれは地震となり、海の神が荒ぶれば荒波や津波となるのである。

日本の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり霊であると言ふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。

近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精霊として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も、祭祀によって鎮めることができるのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十一日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

昼は、二人の知人と懇談。北海道出身と九州出身の方。お二人とも、民主党政権では困るという意見であった。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。依頼していたすべての原稿が集まった。明治維新についての特集である。

この後、父の入院している病院に向かったが、地震のため交通機関が動かなくなり、断念。高架の上にある駅のホームは大変な揺れであった。外出先で、大きな地震に遭うのは久しぶり。

夜は、原稿執筆。時々揺れる。揺れながら原稿を書くという経験もあまりしたことがない。

              ◎

九段会館が、全館休館だそうである。色々な会合が九段会館で行われるので私もよく利用する。会合がなくとも靖国神社の帰りに地下の居酒屋にみんなで寄ることがある。大ホールの天井が落下したのには驚いた。

九段会館は、昭和九年の開館で、二・二六事件の時、戒厳司令部になった。古くはなっていたが、風格のある建物である。このまま解体されるのであろうか。歴史的建築物であるから十分に補強して何とか残しておいてもらいたい。

| | トラックバック (0)

2011年4月11日 (月)

石原氏の当選に思う

石原氏が当選した。良かったと思う。当選直後の記者会見で石原氏が『元寇』という歌の「四百余州(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る/十万余騎の敵 /国難ここに見る /弘安四年夏の頃」という歌詞を披露したので拍手した。今こそ、日本国民はこの歌の心意気を発揮しなければならない。

自販機とパチンコは、電力の無駄遣いという意見にも大賛成である。この二つが使用する電力量は、福島原発が東京に供給する電力量と同じだと石原氏は言っていた。私は、もう一つテレビがあると思う。BSとか何とか云うのの「買物番組」は、放送停止にしたらいいと思う。

石原氏は「想定の範囲外」というのは東電の言い訳と言っていた。そうだと思う。民主党政権の政務官で元官僚の何とか云うのもこの言葉を使う。

石原氏はまた「都市の在り方、生活様式を変えるべし」と言っていた。同感である。電力節減で町が暗くなったというが今までが明るすぎたのだ。点けなくてもいい灯りは消すべきだ。ただし、地下鉄のエスカレーターはそろそろ動かしてもらいたい。お年寄りが気の毒だ。

佐々淳行氏が、「これから国民精神作興をしたい」と言っていた。猪瀬氏も「正義とは何かを語る土壌が作られつつあるけ」と言っていた。日本の伝統精神を今こそ奮い立たせることが国難打開の大道である。

これからも佐々氏と猪瀬氏が石原氏に協力することになるのだろう。石原氏には、全く不安が無いわけではない。これまでの主張にも首肯し難い部分があることも確かである。しかし、国難を乗り切る為に大いに頑張ってもらいたいと思う。菅直人や小沢一郎にこの国の将来を任すわけにはいかない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月十日

午前は、母のお世話。土日は何故か介護のホームヘルパー来てくれないので困る。区役所の包括支援センターとかいうところに相談したら、ヘルパーの人数が足りないという。なんとも困ったことである。

午後は、谷中日暮里総鎮守・諏方神社参拝。この神社は「諏訪」とは書かない。昔の村の鎮守の森の面影をいくらか残している。そして、諏方台といわれる日暮里と西日暮里の高台にあるお寺を巡拝。桜が少し散りかけていた。

この後、病院に赴き、父に付き添う。詳しくは書けないが意識があり、私にいろいろ訴えるのがつらい。

今の病院はよくやってくれるのだが、以前に入院していた病院におけるミスというか対応のまずさがが父の病状を深刻なものにした。この悔しさはおさまらない。ある弁護士にその病院への対応をお願いし、質問書というか抗議文を出してもらったのだが、何の返事もない。その弁護士も、その後全く動いてくれない。信頼していた弁護士なので裏切られた思いである。仇討の助っ人を頼んだ荒木又衛門が途中からいなくなったようなものだ。

帰宅後は、原稿執筆。

110410_143201

谷中日暮里総鎮守・諏方神社

110410_144202

真言宗養福寺本堂と満開の桜

110410_144301

養福寺の弘法大師像(我が家も真言宗なので、このお像には必ず拝礼する)

| | トラックバック (0)

2011年4月10日 (日)

神々を祭る心の回復

日本は他の東洋諸国と比較すると、四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。過酷な自然とは思へない。しかし自然に宿る神々には、和やかな神もをられれば、荒ぶる神もをられるのである。

日本民族は自然に神仏を見、自然と共生して来たことは確かであるが、自然が常に日本人にやさしく接してきたわけではない。日本の自然は、時に、今回の大地震・津波や毎年やって来る台風のように、ものすごい猛威をふるひ、人間に襲ひかかって来る。さらに飢饉・疫病が度々襲って来た。そして人間の命を奪ひ、生活を破壊する。日本民族は、自然の猛威と危険にさらされながら生きてきたと言っても過言ではない。

近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精霊として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月九日

午前は、母のお世話。

午後二時半より、春日の文京シビックセンターにて、「日本ネイビークラブ・防人を励ます会・世界戦略総合研究所合同定例会」開催。竹田恒康氏が講演。竹田氏の講演は後日報告します。ただし、竹田氏が、「原発の除染という危険な作業を浮浪者にやらせている。」と言われたのが大変気になった。東京電力の体質そして日本の原子力行政には問題が多いのではないかと思う。

帰途、湯島で友人夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2011年4月 9日 (土)

多少先見の明を誇らせていただきます

一昨年すなわち平成二十一年十月二十六日の「千駄木庵            日乗」を掲げさせていただきます。多少先見の明を誇らせていただいてもよろしいかと思います。

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

昼は知人と懇談。

午後からは在宅して資料整理・原稿執筆。

夕刻、地元の人々と懇談。鮟鱇鍋がうまかった。

帰宅後は原稿執筆。

          ○

「歴史は繰り返す」というほど大袈裟なことではないが、今日の鳩山総理の「所信表明」を見ていて、小泉元首相が郵政選挙に大勝した後の「所信表明」の時の状況を思い出した。自民党と民主党が入れ替わっただけのことだ。どちらの選挙も、いわゆる「風」が勝敗を決めた。あと半年から一年、鳩山新政権がどのような動きを示すかで、また風も変わるであろう。

民主党政権で枢要な地位を占めている鳩山・小沢・亀井・福島・藤井・横路・輿石の各氏らは、自民党・旧社会党にいた人である。鳩山氏の祖父は自民党結党時の総裁である。まさに五十五年体制の創始者と言って良い。小沢氏は、田中角栄の政官財癒着構造・土建屋政治の継承者である。小沢氏の父親は、第一次安保改定の時特別委員長として体を張った人である。亀井氏は警察官僚出身、藤井氏は大蔵官僚出身で、まさに官僚政治家の典型である。横路・輿石・福島の各氏は旧社会党。

かつて、自民党・社会党が政治を牛耳っていた時代即ち五十五年体制の申し子・継承者のような人々が新政権を担っているのである。そして、無血革命だ、明治維新の以来の変革だと息巻いているのだ。

日本国の将来にどういう結果を生み出すか、良い結果を生み出すのか、それとも日本を沈没への道を歩ましめるのか、半年、一年で分かるであろう。

ただし、自民党は、何となく戦う姿勢に欠けているように思える。それが細川内閣の時と違う。細川内閣打倒で奮戦した亀井氏は今や反自民だし、野中氏は政界を引退し自民党批判を行っている。民主党政権の独裁者の感がある小沢一郎氏と互角で戦える人物が自民党にいるのか。」

| | トラックバック (0)

真鍋貞樹拓殖大学教授の講演

一昨日行われた「第三一回呉竹会アジアフォーラム」における真鍋貞樹拓殖大学教授の話を報告する。

「拉致問題に取り組み、その仲間が宮城にいて、その仲間たちに呼びかけて、物資を持って行った。ガソリンがなく、道路も寸断されていた。東北自動車道が開通したので、やっと持って行くことができた。相馬で瓦礫の整理をした。地方自治の崩壊と復旧を調査研究したい。報道以上の状況。身震いした。被災地に物音が無かった。ぞっとした。相馬は海苔の産地。泥と油と海苔の匂いがすごかった。言葉にならない状況。

過疎型地震。全滅した村は過疎地。支援物資は、老人向けのものでなければ意味がなかった。コミュニティが崩壊している。住んでいた人たちが元の町に戻りたいというのは分かる。しかし、小さい入江で、百人単位で暮らしている町が崩壊した。それをそのまま過疎地だった状況に戻すだけでいいのか。復旧・復興の在り方の問題。

津波が来たところとそうでないところとの差が歴然としている。政治状況がこれまでと大きく変わらざるを得ない。原子力を中心としてエネルギー政策は今までのままでは無理。これをどうするか。想定外のことを想定してものに対処しなければならない。

私は旧民社党の政策シンクタンクで原発を推進してきた。絶対安心・絶対安全はもうないということを前提に考えるべし。万里の長城みたいな堤防を作るか、海岸線に居住するのを避けるか、という街づくりをしなければならない。あらゆることが転換の時。復興は今までと同じ考え、方法では駄目。官僚に任せると、従来の枠のことはきっちりとやる。それでは駄目。政治的リーダーシップが必要。

市町村合併は難しい。過疎地の住民のマインドは大きなものを求めない。閉鎖的。自分たちのことは自分たちでやるという精神。それはすごく大切。そのマインドを大切にすべし。小さなコミュニティが持っている自治能力を壊してはいけない。合併よりも、住民たちが自分たちの町や村をどうしたいのかを復興の原点にすべし。」

         ○

大変勉強になった。この大災害を機に、日本の再生を図らねばならない。真の意味の維新が断行されなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月八日

午前は、母のお世話。

午後は、東叡山寛永寺参詣。根本中堂(本尊・薬師瑠璃光如来像)に参拝。

谷中霊園を経て、護国山尊重院天王寺に参詣。「東日本大震災犠牲者慰霊法要」に参拝。そして釈迦如来像(谷中大仏)に参拝。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや意識がある。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆など。

               ◎

谷中霊園の桜は満開でした。花見は全く行われていませんでした。。「東日本大震災犠牲者慰霊法要」でお焼香をさせていただきますと、自然に涙が出てきました。

110408_145901

寛永寺根本中堂と満開の桜

110408_151501

谷中霊園

110408_153301

天王寺のしだれ桜

110408_153601

| | トラックバック (0)

2011年4月 8日 (金)

今こそ、日本伝統信仰への回帰を

日本国土も自然も實に美しい。山・川・海の景色は實にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、今回の大地震のように、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。

文明は発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。科学技術が進歩しているが故になおさら惨禍がひどくなる。今回の大地震を見てそれは明らかである。

われわれは、自然および科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきではあるまいか。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族は、そういう使命を帯びていると思う。

戦後半世紀、科学技術至上主義・物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本國民の頽廃を救うには、日本の傳統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

そのためには、「現代に生きる神話」たる<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復しかないのである。我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心、そして、農を大切にされる御心を、道義的倫理的規範として習い奉るということが大切である。そして、日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月七日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。小生の診察していただく。特に変化なしとのこと。

午後は、文京区駒込地域包括支援センターに赴き、母の介護認定・要支援認定更新申請を行う。林町公園・須藤公園の桜が満開。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや熱がある。心配である。

帰宅後は、資料の整理。また地震がある。母の部屋に行く。まだまだこうした地震は続くのであろう。

110407_154701

林町公園の桜

110407_161501

須藤公園の弁天堂と桜

| | トラックバック (0)

2011年4月 7日 (木)

平沼赳夫氏の講演

今日行われた「第三一回呉竹会アジアフォーラム」における登壇者の話を報告する。

頭山興助氏

「この国を立ち上がらせるのが、我々の使命。安政の大地震の後に明治維新が起きた。関東大震災の後にわが國はアメリカの思う壺になった。今回の大地震は、世界に冠たる日本を取り戻せという神の声。陛下が、テレビで国民に励ましのお言葉を述べられた。陛下が国民を激励されている時、胡坐をかいている青年の姿がテレビに映し出された。あの子たちにちゃんとした教育をして来なかった戦後日本がけしからん。」

平沼赳夫衆院議員

「『立ち上がれ日本』は石原慎太郎氏の命名。与謝野馨氏は、『民主党に日本を任せていたら日本が駄目になるから私も入りたい』と言った。私は『郵政民営化をどう思っているのか』と聞いたら与謝野氏は、『ユニバーサルサービスは絶対にやめない。三四0兆円の郵便貯金・簡易保険はアメリカに渡さない。消費者増税は二段階方式で行う。景気が第一』と言った。与謝野氏とは高校三年の時同級生で隣の席同士。

ところが今や与謝野氏は民主党政権の閣僚。昨年の暮れ、与謝野氏から『私の秘書官だった人から電話があり、首相官邸で呼んでいるから今から行って来る』という電話があった。その後、菅氏と四十分あったと言ってきた。そして『平沼を大臣でとりたい』という話を伝えてきた。いい加減にあしらっていたら、十二月二十二日午後に岡田に会ってくれと言って来た。藤井氏も園田氏も会わない方がいいと言ったが、帝国ホテル十五階に行った。ドアを開けると、与謝野氏と岡田氏が並んで座っていた。出来レースだと思った。私は『立ち上がれ日本は、民主党政権打倒・自主憲法制定・人権擁護法案反対・外国人参政権反対だ』と言って帰って来た。与謝野氏は記者会見をして、『平沼は前向きだ』と言った。新聞は前向きだと報道したが、当事者の私に誰一人取材に来なかった。これが民主党政権の実態だ。

三月十一日、大震災が起こった時、永田町の路上を歩いていた。地下鉄の出入り口から外国人が真っ青な顔をして出て来て道路に寝そべった。首都高速道路が激しく揺れていた。

千年に一度の大地震。縦の長さ五百キロ、横の幅が二百キロの太平洋プレートが持ち上がった。だから大津波が起こった。福島原発の防潮堤は五・五メートル。津波にやられた。ディーゼルエンジンも石油タンクも流され、今の状況になった。過去において十メートル以上の津波が来たと文献にある。あらゆる場合を想定して防潮堤を作らなければならなかった。冷却装置が効かなくなって燃料棒が土の中に説けて入ったら大変な汚染になる。

それに対して今の政府の体たらくは何なのか。役人の能力をうまく使わねばならないのに、政治主導とか言って役人の力を借りない。イライラしてやるべきでないことをしている。発生直後に、ヘリコプターで原発に行って、一時間居座った。その間、時間との競争でやるべきことがあったのに出来なかった。菅氏は『自分が原発に行ったことは良かった』と言ったが、ど素人が一時間もいて、発電所長を動けなくした。その影響は計り知れない。東電本社に午前五時半に行って、三時間もいた。新聞記者が壁に耳をつけて中の話を聞いた。菅は、東電幹部を怒鳴りまくった。最高指揮官は、官邸にいて適切な指示を出さなければいけない。現場に行って三時間も怒鳴り散らすのは良くない。今、官邸は機能していない。

問責決議を受けた仙谷を官房副長官に据えたのは許されない。同じく馬渕を首相補佐官にしたのも許されない。辻元は阪神淡路の時、『自衛隊の配った食料を受け取るな』というビラを配った。仙谷は『自衛隊は暴力装置』と言った。

私の閣僚時代に秘書官をしていた官僚は、鳩山前首相の秘書官だったが、引き続き菅総理の秘書官をしろと言われて断った。何にも知らない政治家が政務官とか言ってくちばしを入れて来る。政務官が官僚の所に電話してきて『どこそこに石油をよこせ』と恫喝する。石油を調達すると、その政治家は『私が石油を確保しました』と言って宣伝する。役人の能力を引き出し、しっかりとした組織を作り、しっかりとした指令を出すのが政治家の仕事。

大連立には反対。菅氏が交代しない限りどんな大連立を組んでも駄目。日数を限り、二ヶ月後には解散するというのなら、挙国一致の内閣を作れる。政界再編をすべし。たちあがれ日本は三つの基本理念がある。①民主党政権打倒②歴史・伝統・文化を守る③保守基調の政界再編。

昭和天皇の『ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ』(昭和二十一年歌会始)という御製は今の日本にもふさわしい。敗戦に打ちひしがれた日本及び日本国民に、松のように雄々しく立ち上がれと励まされた大御心である。千年に一度の大震災という厳しい時に、この御製に示された大御心を体して、しっかりと頑張っていくことが必要である。」

           ○

平沼赳夫氏は、まことに礼儀正しく、しゃきっとしている。今の政治家のみならず、今の日本人の中で貴重な存在である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。少し熱がある。体をさする。

午後六時より、「第三一回呉竹会アジアフォーラム」開催。頭山興助会長が挨拶。平沼赳夫たちあがれ日本代表が講演。この後、シンポジウムが行われた。

帰宅後は、原稿執筆。

110406_180201

頭山興助氏

110406_180801

平沼赳夫氏

| | トラックバック (0)

2011年4月 6日 (水)

「緊急シンポジウム・福島原発事故―現状と今後」での登壇者の発言

日本財団主催「緊急シンポジウム・福島原発事故現状と今後」における登壇者の印象に残った発言は次の通り。

笹川陽平日本財団会長「昨日まで宮城県の現場に入っていた。行方不明者及び死亡者一人一人のご家族に、五万円づつ手渡した。義援金はこれから委員会を設立して公平に渡すということになっている。阪神淡路の時は、義援金が被災者に届くのに一年もかかった。一方、支援金は多少不公平になっても助けることができるところから助けることができる。NPOが二千五百か所の避難所を作っている。日本財団は支援金を出している。チェルノブイリの事故の時は、ゴルバチョフの要請があり、二十万人の子供たちの詳細な検査をした。チェルノブイリでは白血病はたったの二名。メディアの報道の仕方が風評につながる。『基準値の何千倍』と報道すると恐怖を煽る。大量のミルクを捨てたのは勿体ない。」

前川和彦東京大学名誉教授「安全・安心の数値を見せてくれと言われる。安心は一人一人の心の持ちよう。汚染水が固定値の何千倍と言われると安心と安全が別物になってしまう。放射性物質と生活の在り方について科学者は実験をしていない。生活目線の実験が殆どない。放射能は抽象名詞。放射線は具体名詞。放射能は能力。放射線は物質。JCO臨界事故の健康被害は確定的影響。写真で見る広島、長崎の被爆者の姿は確定的影響。原発事故で一般住民が確定的影響を受けることはまずない。今、懸念されている汚染野菜、汚染飲料などによる住民の健康被害は確率的影響。確定的影響は、しきい線量(注・放射線をある一定レベル以上の被ばくを受けると、確定的放射線影響が起きるしきい値となる線量をいう)を超えなければ障害は発生しない。発生率や重篤度は線量に依存。体表面汚染がある患者は汚染部位を被覆、密封しておけば汚染の拡大は防止でき、特にβ線接種であれば二次被ばくの恐れも全くない。福島県から避難された方々への不当な扱いは全く理解できない。彼らは被ばくを受けたわけでもないし、汚染も否定されている人たち。日本国民でβ線熱傷に見た人はいない。」

山下俊一長崎大学大学院教授「原子炉は地震でも損傷なく生き延びた。緊急炉心停止が適切に行われた。最初の一時間の閉じ込めで放射性物質の危険が五分の一になった。避難が適切に行われている。最も危険な火災のリスクが百日前まで使われていた使用済み燃料に対してあるが、これはチェルノブイリに比べて放射能の危険は百分の一。首相官邸のホームページの情報が一番信頼できる。仕分けで、被ばく医療が切られた。」

このほか、出席者の質問に答えて次のようなことが語られた。

「放射線はエネルギーなので間違いなく細胞を傷つける。」「平均的日本人は原発なしでは近代的生活は営めない。戦前の生活に戻らぬ限り原発に依存するしかない。」「自然エネルギーでまかなえぬとなれば原子力以外ではまかなえない。」「福島県民が一番苦労している。支援しなければならない。」

       ○

もっともっといろいろ貴重なことが語られたのであるが、私は全く素人であり、よくメモが出来なかった。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月五日

午前は、母のお世話。

午後二時より、赤坂の日本財団ビルにて開催された「緊急シンポジウム・福島原発事故―現状と今後」に出席。

帰途、十年ぶりにある飲食店にて食事。ご主人が亡くなってい手、息子さんが後を継いで頑張っていた。父親とそっくりである。そして料理も父親に負けないくらいうまかった。お母さんと二人で店を切り盛りしていた。

帰宅後は、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2011年4月 5日 (火)

日本民族に課せられた使命

今回の大地震と原発事故で、文明史上・人類史上大きな問題を突き付けられている。「自然との共生」などという言葉をよく聞くが、そんな生易しいものではないことを実感した。確かに人間は自然と共に生きてきたし、自然の恩恵をこうむっている。しかし、時に自然は人間に無慈悲に襲いかかってくる。これにどう向き合うのか、永遠の課題である。

それと共に、科学技術の進歩発展が、人間生活を便利にし、快適にしてきた。しかしその反面、人間は科学技術によって大きな危険を抱え込んでいる。原発や核兵器はその最たるものであろう。

今回の災害は、この二つの問題が、自然と共に生き、自然を愛し、自然の恵みを受けて来た日本、そして、科学技術が進歩発展し技術大国と言われる日本において、同時に降りかかってきた。これをどう克服するかは、日本人に課せられた大きな課題である。そして正しく克服すれば、人類に対して大きな貢献をすることとなる。

人類が今までのような、そして今まで以上の生産と消費を続けて行くためには、原子力に頼らざるを得ない。しかしそれには多くの危険が伴う。これをどう解決するのか。

もう一つ考えさせられるのは、大東亜戦争末期、アメリカはわが国に二発の原発を落とし無辜の民を殺戮した。さらに東京大空襲をはじめとして全国主要都市に爆撃・焼夷弾投下を行い、無辜の民に虐殺した。今回、そのアメリカに、多大な支援を受けている。歴史の皮肉としか言いようがない。

日本民族は、これからの人類史・文明史の言葉の真の意味における「健全な発展」を担っていく大きな使命を課せられたと言える。私は、日本民族はその使命を正しく果たしていくことができると信じている。

| | トラックバック (0)

2011年4月 4日 (月)

千駄木庵日乗四月四日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、古くからの同志と久しぶりに根岸の居酒屋で懇談。本来なら、この後、スナックへ行って、歌を歌うところなのだが、父が入院しているので、歌っても楽しくない。高歌放吟する気になれないので、失礼した。

帰宅後は、資料の整理。

| | トラックバック (0)

自衛隊員など公務員の方々に感謝したい

自治体職員や・自衛隊や消防が頑張っている。有難いことである。役人や自衛隊員を疎んじる風潮があったことを反省しなければならない。今、病床に伏している父が自衛隊員であったのでなおさらそう思う。今年九十一歳になる小生の母は、テレビの自衛隊員の活動の関する報道を見ながら、拍手したり、「自衛隊の有難さがわかったか」と叫んでいる。私も、行方不明者に捜索する自衛隊員に拍手を送った。

私の中学生時代に、伊勢湾台風が来たのだが、その時、学校の社会科の先生が、「災害がひどかったのは、防災に税金をかけなかったからだ。自衛隊なんかに投入した税金を防災に投入していればこんなことにならなかった」という意味のことを授業で言った。自衛隊員の息子であった私は大変悔しい思いをした。

その頃父は、制服姿で土浦や松戸にあった勤務先に通っていた。朝の五時ころ家を出て行った。子供心に「大変だなあ」と思った記憶がある。

自衛隊員に限らず、公務員の方々の努力に感謝したい。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆のための資料検索など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書棚の整理、資料検索など。しまいこんで行方が分からなくなっていた書籍や資料が出てきた。野依秀市先生関連の書籍を探し出した。

| | トラックバック (0)

2011年4月 3日 (日)

「アジア問題懇話会」における奥野誠亮元法相の話

「アジア問題懇話会」において、奥野誠亮元法相は次のように語った。

             ○

『律令国家体制の始まりは奈良県。都城国家は藤原京から始まった。そして平城京に遷った。昨年、平城京千三百年祭を行った。平城京復元に努力している。私は、「これを機会に日本の国を内外にアピールすべし」と主張した。

推古天皇十五年に小野妹子が国書を持って中国に派遣された。推古天皇から隋皇帝に宛てた国書に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々。)と書かれていた。日本は、世界の文化を吸収した。「日本書紀」「萬葉集」が編纂された。「宮中歌会始」など和歌の伝統は今日に至るまで継承されている。東大寺も創建された。当時の日本人の心は進歩的であった。今のようにみみっちい日本ではなく、気宇壮大であった。そうした日本をアピールするために平城京千三百年祭を行った。

今の総理は、国旗・国歌法制化に反対した。民主党政権で対米関係が変になった。チェルノブイリでもスリーマイルでも事故が起きた時、関係者は逃げた。日本は、関係者はとどまって命懸けで努力している。もし、亡くなった方が出たら靖国神社に祀るべきである。災い転じて福とすべし。』

          ○

飛鳥・奈良時代の日本に回帰するべきである。グローバル化の大波、壬申の乱、白村江の戦いという内憂外患に打ち勝ち、「大化改新」を断行し、日出づる國の誇りを持って、東方の君子国として飛躍発展し、長い平和と発展と繁栄を基を築いたのが飛鳥奈良時代である。この時代の国民精神は日本最大にして最古の歌集『萬葉集』に歌われている。

| | トラックバック (0)

村井友秀防衛大学教授の講演

「アジア問題懇話会」で村井友秀氏は次のように語った。

               ○

『震災と中国問題は、根っこで共通している。日本は危機に対してどう考えるのか。日本はこれまで「強い国」とは言われなかった。「やさしい国」から「強い国」へ、國のあり方を変えてゆくべし。日本人の考え方に大地震が大きな影響を与える。尖閣問題も同じ。

日本の防衛力近代化に貢献したのは金正日。「日本非武装化・対日抑止戦略」という中国の対日世論工作が、金正日のやることで一夜にして崩壊した。中国も尖閣でバカなことをした。地震・津波・原発と共に忘れてはならないのは、中国の船が東シナ海で中間線を越えて入って来ていること。ロシアの飛行機が入って来ていること。

日本アメリカの戦いの転換点はミッドウェー海戦。昭和十七年六月に日本が負けて大勢が変化した。空母同士の戦いで、日米両軍がほぼ同じ戦力だった。双方が空母四隻だった。日本は全空母を失った。アメリカは一隻のみ。戦い方に問題があった。日本は三千人が戦死。アメリカは三百人戦死。空母の戦いは飛行機の戦い。航空機は日本が優位であった。日本はダメージコントロールが劣った。数発の爆弾が当たった米空母「ヨークタウン」はすぐに消火した。日本の空母は大火災を起こした。日本軍の攻撃能力は遜色がなかった。日本軍は最悪のシナリオを考えていなかった。今の日本も同じような失敗を繰り返している。今回の原発も同じことが言える。

日本のパワーが落ち、中国のパワーが上がっている。中国には「国境」という言葉はない。「辺境」という言葉がある。中国の歴史で最大の版図を持ったのは「元」。二番目は、「清」。三番目が「中華人民共和国」。中華人民共和国は「清」の版図を固有の領土と言っている。中国は高句麗を中国だと言いだした。韓国は猛反発した。中国は朝鮮半島を東北地方の四番目の「省」と考えている。朝鮮はもともと朝貢国だった。沿海州もロシアによって奪われたとしている。

中国国民党は、「琉球は中華民国に返還すべし」と主張した。蒋介石は、沖縄返還に反対し、一万人の部隊の沖縄侵攻計画を持っていた。沖縄のエリートの重要部分は中国系。尚王朝の顧問に中国人がいた。その子孫の十三の「姓」を持つ人がいる。中国はそれか狙い目だが、政治的影響力は少ない。琉球は中国語。沖縄はウチナンチューという意味。沖縄県民の十代・十代の人は「沖縄」という言葉を使う。琉球とは、清朝時代の言葉。大琉球が台湾、小琉球が沖縄を指した。これを言うと、台湾も日本の版図ということになる。

中ロ国境の中国側には一億二千万の中国人がいる。ロシア側にはロシア人は六百万しかいない。数百万の中国人がシベリアに入っている。ロシアは脅威を感じている。シベリアには産業がないので人口圧力を労働力として使えない。ロシアが一番欲しいのは資本と技術。それを提供できるのは日本。ロシアの北方領土に対する行動は、ロシア国内の政治状況を反映している。中国の武器はロシア製。スホーイ二七を渡しているが、性能の低いもの。インドに新型を送っている。

中国の軍事力はグアムの手前まで届く。原潜が何処まで行けるかは、食糧の量で決まる。原潜はスピードが速いので、短時間で目的地まで行ける。中国は日本列島まで濃密に軍事力をカバーできる。アメリカは中国の攻撃兵力の外側にいて反撃する。東シナ海に原潜が入り、中国の東海岸を巡航ミサイルで攻撃する。中国は必ず負ける。中国にとって一番大事なのは共産党の支配。国益に反しても共産党支配を守る。領土を放棄することもあり得る。』

          ○

文字通り「内憂外患交々来る」と言った状況の今こそ、日本は民族の正気を取り戻し、国家を再生させ、維新を断行し、言葉の真の意味の「強い国」に変身する好機である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月二日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。防衛大学教授・村井友秀氏が講演。質疑応答。奥野誠亮氏(元法相)がスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆の準備・資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2011年4月 2日 (土)

この頃読みし歌

民と共に 苦しまむとの 大君の 大御心に わが魂(たま)は哭く

すめらぎの ゐますかぎりは この國は 永久に滅ぶる ことなしと信ず

ホタルイカを 食して思ふ 日本の 海は静かに あらまほしきかな

大きなる 清麿像は 大皇居(おほみかど) 護らすごとく 立ち給ふなり

天地の 神に祈れり この國の 平らかなるを 栄えむことを

乱にゐて 治を忘れざる 心をば 今は持ちたし 蘇れ日本

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗四月一日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。次号は、明治維新について特集する。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父が精神的に落ち着かない。血圧・体温などに特に問題はないのだが…。

帰宅後は、資料の整理。余震がまだ起るので、書籍を本棚に戻すのは控えている。

| | トラックバック (0)

2011年4月 1日 (金)

天皇陛下の仁慈の大御心に感謝し奉る

「週刊新潮」及びテレビで、天皇陛下が、御所内のブレーカーを落とし、暖房もお止めになり、照明も最低限に落とされているということを知り、涙を禁じ得なかった。有難き限りである。「喜びも悲しみも民と共にある」というのが、歴代天皇の仁慈の大御心である。今上陛下は、まさに大慈悲の体現者であらせられる。

未曽有の危機に際して、日本民族は、今こそ、その底力を発揮して、国難を乗り切らねばならない。こういう時にこそ、今更ながら、天皇陛下が上におわしますことに、無上の有難さを感じるのである。

今回の惨禍は、大袈裟ではなくなく人類史・文明史上の大問題だと思う。科学技術によって、「快適」「便利」な人間生活が維持されてきたのだが、それが大自然の力によって粉砕されたのである。そして人間の生死にかかわる苦難が生じたのだ。こうした困難きわまる課題が日本人に突き付けられた。大東亜戦争で、わが国に二発の原爆投下が行われたことと同様の苦難である。日本民族に課せられた苦難は大きい。しかしこれを日本民族が克服し乗り切ることによって、今後の人類史・文明史に大きな貢献をすると思う。

わが国は、天皇の御稜威のもと、いかなる国難も乗り切ってきた。この度もそういう歴史が繰り返されると確信する。天皇陛下の仁慈の大御心に感謝し奉る。

| | トラックバック (1)

千駄木庵日乗三月三十一日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。多少意識があり、「言わず語らず心と心」でベッドに横にいた。父の額や胸に手をあて、祈る。

帰宅後は、今まで出せなかった書状の執筆など。

| | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »