国難と日本伝統信仰
第一〇三代・後土御門天皇は、明応四年(一四九九)「伊勢」と題されて、
「にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」
と詠ませられた。後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震・武家の専横などがあり、御皇室の衰微が極に達した。崩御になられた後、御大葬は行われず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだという。
この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。今日の日本も「にごりゆく世」である。本来の日本の清き姿に回帰することを日本国民は神に熱祷しなければならない。
清らかな伊勢の皇大神宮の神域に入り行くと、本当に日本人に生まれ来た喜びと有難さを実感する。吉川英治氏は
「ここは心の ふるさとか そぞろ参れば 旅ごころ うたた童に かへるかな」
と詠んだが、まさにその通りである。伊勢の皇大神宮に参らせていただくと、本当に魂のふるさとに帰って来た心地がする。
伴林光平は、
「度会の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり」
と歌っている。「度会の宮路」とは伊勢に神宮の参道のこと。神宮が度会郡に鎮まりたもうゆえにかくいう。「五百枝杉」とは枝葉の繁茂する杉。伴林光平は河内の人。真宗の僧であったが、加納諸平・伴信友に国学と歌道を学び、還俗して、天誅組の大和義挙に参加。京都六角の獄で斬罪に処せられる。この歌は宇治橋を渡って歩み行く人々全ての実感ではなかろうか。
近代歌人・窪田空穂も、
「遠き世にありける我の今ここにありしと思ふ宮路を行けば」と歌っている。
伊勢の神宮に参拝すると「今即神代・神代即今」を真実に実感する。こうした日本民族の伝統信仰と精神を回復することが国難打開と方途であると確信する。
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