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2011年3月31日 (木)

原発について考える

今回の原発事故の背後に見え隠れするのは、政府と電力会社の関係者から成る閉鎖的な「原子力村」の姿である。電力業界だけでなく、政府の担当部門も巻き込んで、歪んだ仲間意識を育ててきたのではないか。

さらに原子力発電の経済性重視の流れが安全軽視に結びついていたのではないかということを示唆する。「結果として安全なら情報公開が不徹底でもいい」という考え方があったとしたら問題である。

ものの本で読んだのだが、東京電力の事業の原点は、民間のベンチャー企業として、電力事業に挑戦したことであるという。その事を東電は誇りにしている。トーマス・エジソンが世界で最初にロンドンとニューヨークで電気供給企業を開始したのが一八八二年の翌年には、早くも東電の前身東京電灯が設立され、電気の供給を始めた。民間のベンチャー企業として、電力事業に挑戦したことは同社の誇りだったという。

弱肉強食の創業期、戦時の国家管理時代、現在の十電力体制に至る百二十年間の歴史を持つ東電の事業の原点の一つを挙げるなら「安定的で低廉な電力供給」ということになるといわれている。この「電力の安定供給」というのが曲者で、このために安全性や公開性が軽視されてきたという見方もある

これまで東京電力の原子力発電の建設に協力し、また経済的にも利益を得て来た福島県にとって、今回の事故は深刻な問題である。「原発是か非か」の議論をもう一回基本からやり直すしかない。

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千駄木庵日乗三月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、室内整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、日暮里駅近くの蕎麦屋さんに入ったが、何時も混んでいるのに、ガラガラであった。街の様子も「灯が消えたよう」という表現そのものであった。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2011年3月30日 (水)

岡本太郎展を参観して

今日参観した『生誕百年岡本太郎展』は、「岡本太郎といえば、大阪万博のシンボル『太陽の塔』そして『芸術は爆発だ』をはじめとしたインパクトに満ちた発言など二十世紀後半の日本において、もっともよく知られた芸術家のひとりといえるでしょう。一九九六年に没してからも、若い世代を中心に、再び彼に関心を持つ人々が増えてきています。…彼を再評価するには、彼の発した批判の矢を、私たち自身にも向けられたものとして正面から受け止めることが必要ではないでしょうか。岡本太郎の人生はまさに『対決』の連続でした。この度の展覧会は、{対決}をキーワードにか岡本太郎が立ち向かった相手を七つの章に分け、苦闘の中から生み出された一三〇点の作品を紹介します。」(案内書)との趣旨で開かれた。

「ピカソとの対決」「『きれい』な絵との対決」「『わび・さび』との対決」「『人間の進歩と調和』との対決」「戦争との対決」「消費社会との対決」「岡本太郎との対決」という七つのテーマに分けられ、絵画・彫刻・写真などが展示されていた。

絵画はやはりピカソの影響が強いと思う。岡本太郎の溢れる生命力を実感する。絵画よりも彫刻の方が、迫力があった。「座ることを拒否する椅子」という作品が面白かった。岡本太郎は、縄文文化に深く魅せられたということであるが、私には、「日本らしさ」というか「日本なるもの」があまり感じられなかった。パリで学び、「わび・さび」を否定しているのだから当然であろう。しかし、人間の持っている生命力というかエネルギーというものをまさに「爆発」させ、それを「美」にまで昇華させていることは事実である。参観者は、他の美術展と比較すると、若い人が多かった。

岡本太郎氏とは、岡本氏の両親である岡本一平・かの子夫妻と親交のあった中河与一先生と共に青森県古牧温泉に行ったことがある。懐かしい思い出である。その時の写真を掲載する。

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中河与一先生・岡本太郎氏と共に(昭和五十年ころ。青森県古牧温泉)

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岡本氏の作品の前で

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千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、竹橋の東京国立近代美術館にて開催中の「生誕百年岡本太郎展」参観。

この後、お堀端を散策。和気清麻呂公像を仰ぐ。大手町方向ら歩き、将門塚に拝礼。

帰宅後は、室内整理及び資料の整理など。

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和気清麿公御像

背面に、「紀元二千六百年 建設委員長・陸軍大将林銑十郎 寄贈者・石川博資」と刻まれていた。また、そばに由来が書かれた石碑が建てられていたが、よく読み取れなかった。詳しい説明書きが設置されるべきである。

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2011年3月29日 (火)

国難と日本伝統信仰

 第一〇三代・後土御門天皇は、明応四年(一四九九)「伊勢」と題されて、      

「にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

と詠ませられた。後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震・武家の専横などがあり、御皇室の衰微が極に達した。崩御になられた後、御大葬は行われず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだという。

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。今日の日本も「にごりゆく世」である。本来の日本の清き姿に回帰することを日本国民は神に熱祷しなければならない。 

 清らかな伊勢の皇大神宮の神域に入り行くと、本当に日本人に生まれ来た喜びと有難さを実感する。吉川英治氏は

「ここは心の ふるさとか そぞろ参れば 旅ごころ うたた童に かへるかな」

と詠んだが、まさにその通りである。伊勢の皇大神宮に参らせていただくと、本当に魂のふるさとに帰って来た心地がする。

 

伴林光平は、

「度会の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり」

と歌っている。「度会の宮路」とは伊勢に神宮の参道のこと。神宮が度会郡に鎮まりたもうゆえにかくいう。「五百枝杉」とは枝葉の繁茂する杉。伴林光平は河内の人。真宗の僧であったが、加納諸平・伴信友に国学と歌道を学び、還俗して、天誅組の大和義挙に参加。京都六角の獄で斬罪に処せられる。この歌は宇治橋を渡って歩み行く人々全ての実感ではなかろうか。

近代歌人・窪田空穂も、

「遠き世にありける我の今ここにありしと思ふ宮路を行けば」と歌っている。

伊勢の神宮に参拝すると「今即神代・神代即今」を真実に実感する。こうした日本民族の伝統信仰と精神を回復することが国難打開と方途であると確信する。

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千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、母のお世話。

続いて、室内の整理。余震も少なくなったのて、書籍・雑誌などを書棚に戻したい。今日はその前段階の作業。

この後、病院に赴き、父に付き添う。私が来たことを声をあげて喜んでくれる。

夕刻、近所の飲食店に行く。空いている。

帰宅後も、室内整理。

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2011年3月28日 (月)

人災がこれ以上広がらないことを祈る

菅直人総理は、笹森清内閣特別顧問(本連合会長)に「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」と語ったという。しかし、現実には、福島原発の惨禍は終息する気配を見せていない。むしろ、菅直人総理および官邸そして東電の不手際というか、無策というか、間違った対応で、事態が悪化している。

猪瀬直樹氏は次のように書いている。「震災対応で政権浮揚をもくろむ菅首相は、何でもかんでも自分で仕切ろうとし、結
局、事態を悪化させて、周囲に当たり散らしている。こんな内閣に命を預けなければならない国民は、命がいくつあっても足りないというものだ。」(日刊ゲンダイ3月24日掲載)

以前、ある官庁の事務次官をしていた方が「大臣は、所管する官庁の出身で仕事を熟知している人か、あるいは、全くの素人が良い。中途半端な人が一番困る。実態をよく知らないのに、色々細かいことまで口出しをしてくる。そして結局、行政が停滞したり、間違った方向に行ってしまうことが多い。」と語っていたのを思い出した。

人災がこれ以上広がらないことを祈るのみである。

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千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、地震発生以来、お出しすることが出来なかった書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。昨日今日は計画停電もなく有難い。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2011年3月27日 (日)

先輩から聞いた話・私が思ったこと

今日、電話でお話しした宇都宮在住の大先輩の方曰く。

「地震当日は、東京にいた。JRが動かなくなり、午後五時半頃、JR上野駅にいたら、何と駅側から『構内から出て行ってくれ』と言われた。仕方がないので、地下鉄銀座線上野駅構内の地下道で一夜を過ごした。地下鉄の駅は親切でトイレや階段を使って良いと言われた。私は、ボーイスカウトの指導をしているので、サバイバルには慣れている。周囲の人たちのお世話をすることができた。翌日、電車が動き出したので、午後二時十分に上野駅を発車し、宇都宮に着いたのは午後八時十分だった。

核家族となり大家族で家族が協力し合うことが少なくなってしまったこと、両親を敬う心・先祖を尊ぶ気風・皇室を尊敬する心が薄れてきたことを、今回の地震で反省すべきである。

『想定の範囲内』とか『想定以上だった』とかいう言葉を聞くが、そういう言葉に疑問を持つ。大自然の威力を事前に人間が想定できるはずがなかったのだ。もっと自然に対して謙虚でなければならない。」

私は、今日次のようなことを考えた。

「自然の凄さを今回つくづく思い知った。日本人は、麗しい自然に恵まれているからこそ、自然を甘く見たり、バカにしたりすることなく、自然に対して畏敬の念を持つべきである。

また、電力節減について思うのだが、テレビ放送はどうなのだろうか。テレビ局の使う電力量は相当なものだろう。必要最小限の放送にとどめるというのは間違った考え方であろうか。NHKだけ毎日放送して、民間放送は一局が一日づつ交替で放送してはどうか。民間放送はコマーシャル料で成り立っているから、なかなかこういうことは難しいのだろうが、少なくとも、くだらない娯楽番組は、この際、放送を停止すべきである。節電はテレビも含まれることは確かである。」

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千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、母のお世話。

続いて、「政治文化情報」発送作業。発送完了。読者の皆様には月曜日にはお届けできると思います。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識があり、私が来たのを喜んでくれた。

帰宅後は、書状執筆。

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2011年3月26日 (土)

民主党ではこの国難は乗り切れない

岩手を選挙区とし、故郷とし、さらに「生活第一」と声高に言っていた小沢一郎は一体どこで何をしているのか。さっぱり聞こえてこない。故郷に帰り被災地を訪問し、命懸けで復興と救援に当たるべきであろう。それが政治家としてやるべきことである。それを実行しないということは、「国民生活第一」などというセリフが国民を欺く大ウソだったということになるのである。

命懸けということの大切さを本当に有難く実感している。消防・自治体・自衛隊・警察などの皆さんに、心より感謝する。菅直人がバカと言った役人の人々が頑張っているのである。レンホーが予算・人員を削った組織が頑張っているのである。辻元が所属していた社民党が目の敵にしていた自衛隊が頑張っているのである。仙谷由人内閣官房副長官が「暴力装置」と罵った自衛隊が命懸けで献身的な救援活動をして頑張っているのである。仙谷由人を官房副長官にするなどというとは、いくら人材難とはいえあってはならないことである

メディアの報道、そして色々なホームページやブログで、菅直人総理に対する批判が渦巻いている。その内容も納得できるものばかりである。えらい時にえらい人が総理になっていたものである。

左翼市民運動出身の菅直人や左翼学生運動出身の仙谷由人では国難を乗り切ることはできない。クーデターを起こしても良いから救国内閣を作るべきだとさえ思う。

ブログというのは、言い過ぎることがある。反省しなければならないし、注意しなければならない。責任の持てないこと、出来もしないことは書かないようにしたい。菅直人首相が20日の防衛大学校の卒業式で、「自衛隊は危険を顧みず、死力を尽くして活動を続けている。自衛隊員を誇りに思い、ご家族に心から敬意を表したい。」と述べたことは評価する。

しかし、今日買った「週刊朝日」「週刊新潮」を読むと私の菅直人批判は決して言い過ぎではないことがわかった。

都知事はやはり現職であろう。石原氏はもう年であるが、他の人ではやはり不安である。「居酒屋のおやじ」は、困難に喘ぐ庶民に安い酒とおいしい食べ物を供給しているべきである。「そのまんま」は、そのまんま故郷の宮崎に戻って故郷で活躍すべきである。「発明家」は、地震災害・原発災害を防ぎ除去し復興するための発明をすべきである。「共産党のお医者さん」は被災地で救援活動・救護活動をすべきである。

東京電力は今頃になってお詫びと御願いのコマーシャルを流している。遅きに失するとはこのことだ。

また全国の原発を敵性国家に攻撃されたらどうするか?。これが問題だ。

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、先祖のお墓を掃苔。花・線香を供えて拝礼。御加護を祈る。お彼岸の中日に来ることが出来なかったので、本日お参りさせていただいた。多くのお墓に花が供えられていた。先祖のお墓にお参りすると心洗われる思いがする。有難い。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2011年3月25日 (金)

この頃詠みし歌

この苦難乗り切りやすらけき世の中を取り戻すべし日の本の國

押し寄せし黒き津波にさらはれし人々の御霊を切に思ふも

煌々とまんまる月は照りてゐる地上にいかなる惨禍ありとも

春弥生津波押し寄せ罪の無き人々呑み込み荒れ狂ひたり

部屋の中に籠りて嘆くことのほか為すすべなきは悲しかりけり

命懸けの働きをせし人々のその麗しき功(いさを)讃えむ

自然の禍(まが)と科学の禍に苦しめる日の本の国を神よ守らせ

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師と看護師に色々と話をうかがう。このところ、病院のある地域は停電がないので助かる。交通機関も動いている。

帰途、上野に出たが、節電で街がいつもよりも暗い。行きつけの飲食店も、客が大幅に減少し嘆いていた。電力供給が減っているので、消費活動も生産活動も停滞している。吉池は何時も通りの賑わいのようであった。

帰宅後は、室内整理。

               

                 ◎

古くからの友人の常陸大宮市長・三次真一郎氏にお見舞いを電話をしたら、三次市長は「原発から百キロ離れているのに、出荷した野菜が全部返品されてくる。受け取ってくれない。風評被害がひどい。東京の人は、茨城の野菜を率先して買ってもらいたい。大手の納豆工場は操業を停止していたが、昨日あたりから再開した」と語った。

                

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2011年3月24日 (木)

昭和天皇の御製を拝誦し奉りて

昭和天皇は、昭和八年、御年三十三歳の砌、「朝海」と題されて、

「あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」

と詠ませられた。当時の緊張する内外情勢を憂えられ、天神地祇に平和を祈念せられた大御歌である。

今わが祖国は、大地震と大津波に襲われ、さらに原発事故の発生という未曽有の危機にさらされている。文字通り国難が怒涛のごとく押し寄せている。今こそ、我々日本国民は、昭和天皇のこの御製を拝誦し奉り、天地の神に「波立たぬ世」の回復の切なる祈りを捧げなければならないと思う。

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千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、三田にて大行社幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はよく眠っている。

夕刻、千駄木にて、地元の後輩などと懇談。乳幼児がいるので、飲料水のことで困っているという。野菜や水という生活に欠かすことのできないもので、深刻な不安が起こっている。これからもっと色々な問題が起こるのかどうか心配である。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備。

      

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2011年3月23日 (水)

瑞穂の国日本の眞姿回復を祈る

混迷する現代日本は、文字通り内憂外患交々来り、未曽有の危機にある。麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科学技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。福島原発は、自然災害であると当時に科学技術による災害でもある。

 こうした文字通り「亡國的状況」を打開するには、日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。 

戦後半世紀、物質至上主義・営利至上主義に汚染され続けてきた日本國の危機を救うには、日本の傳統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

 我々國民が愛するべき國、尽くすべき國とは、信仰と信頼と正義と愛と真心によって結ばれた精神的道義的共同體なのである。我々は正しき國家観に回帰し、日本國を道義國家として新生せしめねばならない。

 

 そのためには、「現代に生きる神話」たる<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復しかないのである。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心、そして、農を大切にされる御心を、道義的倫理的規範として習い奉るということである。それが理想的な國家實現の基礎である。

天神地祇のお祭りをしっかりとさせていただきましょう。また、荒ぶる神々のお鎮まりを心より祈念させていただきます。

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千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、母のお世話。

午後からは、本日締め切りの原稿執筆・脱稿・送付。

この後は、資料の整理。余震が続いているので、揺れ落ちた多くの書籍を書棚に戻すことができない。

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2011年3月22日 (火)

日本人と自然

今回の大地震・大津波そして原発事故で、和辻哲郎氏が、その著『風土』において次のように論じているのを思い出した。

「我々は自然の合理的な性格と非合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現われて来たのを見る。…ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ『征服さるべきもの』、そこにおいて法則の見いださるべきものとして取り扱われた。……自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神の造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現われたものとしてである。

しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。自然と共に生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さをまって初めてあり得たことであろう。」

            ○

ヨーロッパの自然は、比較的温順にして秩序正しいので、神が創造した自然は、神の創造物の中で最も高い地位にある人間によって支配され改造され利用されてよいという思想が生まれた。これがヨーロッパの自然観である。こうした自然観が、自然を改造し利用して科学技術を発達させたが、自然破壊につながった。

日本をはじめとした東洋の自然は比較的厳しく秩序もないので、人間は自然と共生し、自然を畏怖すべきものとして接してきた。そして自然を「神」として拝み、信仰の対象にした。

この度の大地震と大津波は、まさに自然の非合理の極であり、人間が自然を征服するどころか、自然が人間を征服することを実感させた。

われわれ日本人は、これからも自然と共に生きる姿勢を保っていかなければならない。人間の力が自然を征服するなどという傲慢な考え方を持たず、自然の命を尊び、自然に「神」を見なければならない。ただし、自然に宿る神々には、和やかな神もおられれば、荒ぶる神をおられるのである。

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千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、母のお世話。そして、室内の整理。

午後は、原稿執筆。まだ余震があるので、書籍を書棚に戻すのは控えている。

夕刻、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年3月21日 (月)

日本人・自然・科学技術

今日は漂える雲の彼方に満月が浮かんでいた。まことに美しかった。自然は美しい。特に「月」は、日本人が歌に俳句によく詠む自然景物である。そして日本国土の自然も実に美しい。山・川・海の景色は実にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。

これだけ文明が発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。科学技術が進歩しているが故になおさら惨禍がひどくなる。福島原発を見てそれは明らかである。

われわれは、自然・科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきではあるまいか。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族はそういう使命を帯びていると思う。

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千駄木庵日乗三月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はよく寝ている。帰途、空に満月が浮かんでいた。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。一週間遅れである。

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2011年3月20日 (日)

千駄木庵日乗三月十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

この後、室内整理。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、今日は計画停電がなく、交通機関も動き、病院も停電にならなかったので、病院に赴き、父に付き添う。少し熱がある。額などに手を当てて祈る。

帰途、谷中で地元の友人と懇談。その最中に揺れが来る。谷中銀座は賑わっていた。

帰宅後も、原稿執筆。

『政治文化情報』は何とか今月中に発行したいと思っています。

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2011年3月19日 (土)

今日思ったこと

久しぶりに交通機関を利用したが、駅構内や車内で節電が行われていた。肥満体の小生にとってはエスカレーターが止まっていることはいささか苦痛であったことのほかは、特に利用に支障はなかった。今まで電気の使い過ぎだったのではないか。

アメリカ大統領・共産支那主席・韓国大統領がわが国大使館を訪問し、東日本大地震の犠牲者に対し哀悼の意を表した。有難いことである。ただし、今後の日本の外交とくに領土問題・資源問題・主権侵害問題に、今回の大災害が大きな影響をもたらすことは必定である。日本は、相手国に対して言いたいことも言えなくなる危険がある。

本日の「読売新聞」は次のように報道した。

『17日付の米紙ニューヨーク・タイムズによると、米国は原発の上空に放射能測定装置を積んだ無人機を飛ばして独自の情報収集に着手している。米政府からの測定装置の提供の申し出は地震直後に行われたが、日本政府は当初断り、事態が悪化し受け入れたという。

 

ヤツコ委員長が16日、「4号機の水はすべて沸騰して干上がっている。放射線レベルは極めて高く、復旧作業に支障をきたす恐れがある」と証言したのは、無人機の情報を踏まえている可能性がある。

日本政府が委員長の見解に反し、自衛隊が4号機のプールの水を確認したと発表したことをめぐっても、米メディアには「日本政府が情報を隠しているのでは」との不信感が広がっている。

率直な議論を重視する米国では、事態の深刻さを直視する姿勢が強い。民間機関「憂慮する科学者同盟」は17日、記者会見を開き、核専門家のエドウィン・ライマン博士が「日本は絶体絶命の試みを続けているが、もし失敗すれば、もう手だてはない」と指摘、放射性物質が大量に放出されて「100年以上にわたって立ち入れなくなる地域が出るだろう」との悲観的な見方を示した。

米国社会は常にイラクやアフガニスタンの戦死者など冷徹な現実と向き合ってきただけに、日本政府の対応は手ぬるく映る。ニューヨーク・タイムズは、「日本の政治、官僚機構は、問題の広がりを明確に伝えず、外部からの助けを受け入れようとせず、動けなくなっている」「日本のシステムはすべてゆっくりと合意に達するようにできている」とする匿名の米政府関係者の分析を紹介し、国家的な危機に及んでも大胆な決断ができない日本政府へのいら立ちをあからさまにした。』

私の知る限り、テレビではこういう報道は行われていない。政府が後手後手に回っている感は否めない。当事者能力に欠けている。挙国一致で危機に当たるべきである。昨日も書いたが、自民党など野党の閣僚経験者の協力も要請すべきだ。

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千駄木庵日乗三月十八日

朝、母のお世話。

午前十一時より、品川グランドセントラルタワーにい開催された「深見東州作品作品展開幕式」開催。深見東州氏が挨拶。油絵・墨絵・書・陶芸などの作品を鑑賞。

この後、西村真悟前衆院議員と懇談。

そして、病院に赴き、父に付き添う。五日ぶりに病院に行くことができた。病院は計画停電が実施される地域にあるが、今日は行われず比較的平穏であった。

帰宅後は、原稿執筆。

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2011年3月18日 (金)

今日思ったこと

余震が続いている。停電が何時起こるかわからない。交通機関も正常では全くない。さらに、スーパーやコンビニでは、買い占めのため食料品やトイレットペーパーなどがなくなっている。パニックは全く起こっていないが、このような状態は一日も早く解消されなければならない。

報道によると、菅総理は、イラ菅ぶりを大いに発揮し、東電技術者などを怒鳴りまくっているという。困ったことだ。政治主導というが、その政治家とりわけ総理大臣がコンマ以下では話にならない。「小人、玉を抱いて罪あり」という言葉を想起する。

今こそ、挙国一致の時である。閣僚を体験した自民党などの野党政治家や退職した官僚・専門家に協力してもらうべきだ。

今回のことで改めてNHKの存在価値を認識した。

パニックを起こさない日本人は優秀だという評価が海外であるようだが、苦難に耐え抜く力はまだまだ日本人には残っていた。

大正九年、東京生まれの私の母は、関東大震災と東京大空襲そして戦後の混乱期を体験している。いろいろ話を聞くと勉強になる。

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、室内の整理など。

崩れ落ちた書籍などの整理は、まだ終わらないが、そろそろ、原稿執筆などの仕事を始めなければならない。「政治文化情報」の原稿も仕上げて、印刷所に送らねばならない。また、今月中に書かねばならない比較的重要な原稿が二つある。

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2011年3月17日 (木)

菅総理の原発事故現場視察について

前衆院議員の深谷隆司氏が、「ホームページ」に次のようなことを書いておられた。

             ○

「地震が発生した翌日、十二日朝だが、菅首相はヘリコプターに乗り込んで福島原子力発電所を訪れた。如何にも現場に飛んで首相自ら指揮を執るといった図だが、一体何か具体的成果があったというのか。
 

なんにも知らない素人が急に行っても役に立つはずもない。

 首相たるもの、まずは官邸にどっしりと腰を据え、担当者から詳細報告を受けて、大所高所から正しい判断を下すべきなのだ。全容を把握し、適切な決断をするのが大将の本来の役目なのだ。現場に飛んで調査をしたいのなら、それは普段済ませておくべき事柄なのだ。

現場で一時間視察していたというが、丁度その時期が、すでに放射性物質の一部を放出しなければならない緊急事態に陥っていた時であった。首相がヘリコプターから降り立った為、現場担当者も首相対応に追われてしまった。こうした遅れが後の爆発の引き金になったと本気で怒っている関係者もいるという。

十四日の枝野官房長官の記者会見で「菅首相は更に被災地に行きたいと考えていたが、現地と調整した結果、無理であった」と正直に話していた。何のことはない、迷惑ですと断られたのだ。

 みっともない話ではないか。」

           ○

サンケイ十二日号は次のように報道した。

「12日朝、首相は原発視察に先立ち、記者団に「現地で責任者ときっちりと話をして、状況を把握したい。必要な判断は場合によっては現地で行うかもしれない」と意気込みを語った。

 

政府関係者によると視察は首相が突然言いだした。枝野氏も12日未明の会見で『陣頭指揮を執らねばならないという強い思いが首相にあった』と説明した。

 しかし、現場はすでに放射性物質の一部放出をしなければならない事態に陥っていた。そこに首相がヘリコプターから降り立ったため、現場担当者も首相の対応に追われた。」

             ○

これが事実とすれば、菅総理の責任は重大である。事故現場に総理大臣が行ったところで、何の問題の解決にはならない。火事現場に消防総監が行っても、消火活動が迅速かつ効果的に行われるわけではないのと同じだ。こんなことを書くのも風評に当たるのだろうか。

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千駄木庵日乗三月十六日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、室内整理。

昼間は交通機関が不通、夕方以降は病院のある地域が停電のため、父の入院している病院に行くことが出来ない。病院に電話して、看護師さんに様子を聞く。無事とのことで安堵する。

今日は少し大切な会合があったのだが、中止となった。

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2011年3月16日 (水)

菅総理と東電社長に望む

菅総理も東電社長も懸命の努力をしているとは思うが、もっと国民の前に顔を出し、短時間でいいから、被災地・被災者への救援、原発事故、物資の流通、計画停電など、国民が直面している問題、困窮していることの現状と今後のことについて説明する機会を増やすべきである。そうしないと、国民の不安と疑念と不信は増すばかりである。東電社長は地震発生後、一回しか国民の前に顔を出したことはないと思う。

NHKの情報収集と国民への提供はまことに適切である。政府と東電は、NHKをもっと有効活用して、国民に語りかけ情報を提供すべきである。

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千駄木庵日乗三月十五日

午前は、母のお世話。

昼に、知人二人とお会いする予定になっていたのだが、すっかり失念してしまっていた。せっかくお訪ねくださったのに、食料などの買い出しに出かけてしまっていた。まことに申し訳ない。

スーパー、コンビニは、パンやトイレットペーパー・ティシューはすべて売り切れていた。訪問介護の方が買って来て下さった。有難い。

午後からは、室内の整理など。

今日も、交通手段が不通なので、父の病院に行くことが出来なかった。また、明日予定されていた会合も中止となった。

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2011年3月15日 (火)

この頃詠みし歌

このままに衰ヘ行くかわが祖国 力与へよ天地の神

大津波襲ひかかりて黒き濁流 川遡る恐ろしさかな

禍事に命失ひし人々のことを思へば胸迫るなり

水と火の禍事重なりあまたの人命落とすは悲しかりけり

海神(わだつみ)はにはかに荒ぶり大きなる怒涛となりて襲ひ来たれり

天罰などと言ふことなかれ 罪の無き人々多く惨禍に喘ぐ

禍事の重なり起こりし日の本の國のよみがへりただ祈るなり

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、室内の整理。

夕刻、父の入院している病院に行こうと思って、病院に電話をしたら、「夕方から停電で真っ暗になる」とのことであきらめる。ところが、時間が経過しても停電にはならなかった。政府及び東電の対応はまことにおかしい。どれだけの人が迷惑しているか。

夜も、室内整理。

今、連絡があり、親族が千代田線内に閉じ込められているとのこと。心配である。

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2011年3月14日 (月)

惨禍と菅内閣

東京電力が14日から、地域ごとに順番に送電を止める「計画停電」を実施する。心配していた通りの事態である。首都機能が大きく損なわれるであろう。日本は存亡の危機に立たされているといっても過言ではない。

都心で働く人々も通勤に支障が出る。また、医療関係がどうなるのか。自宅で、電力に頼らないと機能しない医療器具を使っている重篤の患者はどうなるのか。水道も一部使えなくなるという。乾電池・ロウソクそして食糧の供給はどうなるのか。明日の朝から、東京及び関東地方でパニックが起こることを恐れる。

菅・民主党政権は、官僚を批判し、政治主導と言ってきた。また仕分けとか言って、色々な予算を削減させた。それが今回裏目に出たように思える。情報提供・救援・原発復旧などで相当手間取っている。被害をより大きくしてはいないか。二次災害を起こす危険はないか。失われなくてもいい人命が失われてはいないか。

菅直人総理はもっと国民に直接語りかけるべきだ。東電や官僚に任せるべきではない。ネットやツィッターで、今回の惨禍を政権の延命に利用しているという情報が流れている。事実とは思いたくないが、否定することもできない。

ともかく、今こそ、真の意味の「政治主導」で国難に立ち向かうべきだ。機能も書いたが、菅さんが、「馬鹿」と罵っていた官僚に依存している姿はまことに醜い。

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、書棚から崩れ落ちた書籍など室内の整理。

この後、交通機関が運転を再開したので、病院に赴き、父に付き添う。二日ぶり。意識があり、母に会いたいと言う。本当に辛い。母も九十一歳になるので、とても病院に来ることはできない。可哀想でならない。

帰宅後も、室内整理。これを機会に不要の物はすべて捨てすことにする。

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2011年3月13日 (日)

地震のこと

原稿を書いていたら、ものすごい揺れが始まった。本棚を押さえたが、どんどん本が落ちてきた。揺れが収まったので、母の部屋に行った。母が無事だったのが何よりうれしかった。電気も水道も止まらなかったのが有難かった。夜になると、不忍通りを多くの人が歩いている。また自動車の大変に渋滞であった。今後の日本が心配である。

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して室内整理。整理を終えるには、相当時間がかかる見込み。

交通機関が不通なので、父の病院に行くことかできない。病院に電話をすると、無事であるとのこと。

これほど悲惨な災害は初めてであろう。地震・津波・原発事故の三つが重なり、多くの人命が失われた。これ以上亡くなった方の数が増えないことを切に祈る。

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2011年3月12日 (土)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は、母のお世話。

午後、原稿執筆中に大地震。部屋の中はめちゃめちゃになるが、小生及び家族にけがはなし。

皆様の無事をお祈り申し上げます。

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2011年3月11日 (金)

論語と「共産中国」

三月七日に行われた「おとなの寺子屋・論語の会」で、東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)は次のように語った。

「中国では『論語』が学校で教えられるようになった。『人間性を涵養するために、「論語」をしっかりと読んでしっかりと覚えましょう。「己を欲せざるところを人に施すなかれ」などの処世に関する成語・格言・警句を把握してノートに書きましょう』と教科書に書いてある。日本の論語教育とそんなに変わらない章句を選んでいる。中国は経済状況が良くなってきたのに、道徳が乱れている。それを直そうとしている。独裁国家の中で儒教の価値を喧伝するのは共産党支配を強くするため。『論語』には大変立派なことが書かれているが、古代中国人はそんな立派なことを実行していたわけではない。実行していなかったから、紙が少なかった時代に書くまでもない事を紙に書いたのである。」と語った。

           ○

千駄木庵主人曰く。「小便すべからず」という標語が掲げられるのは、してはいけない所で小便をする人がいるから掲げられるのである。それと同じで、道徳の色々な徳目を文章にして民に教えるのは、道徳を実行する人が少ないからである。毛沢東時代の支那、蒋介石時代の台湾には、「毛主席万歳」「総統万歳」の標語があちこちに掲げられていた。それは、毛沢東や蒋介石が嫌いな国民が多かったからである。今の共産支那も「中国共産党万歳」という標語が掲げられている。これも、中国共産党が嫌いな人が多いからである。

毛沢東存命中の「文化大革命」の時代は、「批林批孔」運動が展開され、儒教は排撃された。実権派を打倒するために、大いに造反を煽った時代には、体制擁護の思想と言っていい儒教は邪魔だったのである。ところが、今日の中国共産党は、民主化の動きを抑え秩序を維持するために儒教思想を利用しているのだ。

「己を欲せざるところを人に施すなかれ」(『論語-衛霊公』)で思い出すのは、小泉純一郎元総理の靖国神社参拝に対して、当時の王毅駐日大使は、「東洋人は他人が嫌がる事をするものではない」と批判した。冗談ではない。他の国が嫌がることばかりしているのが、共産支那ではないか。よくこんなことが言えたものである。

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千駄木庵日乗三月十日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。母は九十一歳であるが、異常はないとのこと。有難い。小生も診察していただく。血液検査や尿検査の結果は異状なし。これまた有難い。ただし、太りすぎは何とかしなければならない。

午後は、御茶ノ水にて、『伝統と革新』次号について、編集実務担当者の方と打ち合わせ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2011年3月10日 (木)

民主党に維新を語る資格なし

維新運動・民族運動の基盤には、日本傳統信仰たる神道・國體信仰がある。大化改新も建武中興も明治維新も、その基盤に國體信仰があった。日本国は、危機に瀕すると必ず、國體信仰が甦る。そして国を変革し危機を乗り越える。これがわが国の光輝ある歴史である。

換言すれば、神州不滅の精神こそが、維新の根本である。伴林光平氏は、「君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つ白波」と詠み、吉田松陰は「皇神の誓ひおきたる國なれば正しき道のいかで絶えゆべき」と詠んだ。

外患に当って、「神祭・神事」が盛んになるのは、わが國の伝統である。現代においてこそ、祭祀主日本天皇の真姿が開顕されるべきである。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。

民主党政権は、明治維新以来の大変革を行ふと言ってゐたが、ご覧のやうな体たらくである。「尊皇攘夷」の精神が確立されてゐないで、真の維新が出来るはずがない。日本國體精神・尊皇精神を軽視し、祖国日本の独立を危うくしてゐるのが、民主党政権である。日本國體の真姿を隠蔽する権力、天皇・皇室の尊厳性を破壊する権力や法や政府に従ふ必要は全くない。厳しく対決し打倒しなければならない。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。私は額や胸に手を当ててさすってあげると、たちまち安らいだ顔になる。できるだけ病院に来てあげなければならないと思う。医師と看護師の方にお話をうかがう。

午後七時より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。天智天皇御製を講義。

帰宅後も原稿執筆。

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2011年3月 9日 (水)

維新について

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。

変革は、明確なる理想が掲げられ、民心が一致することが肝心である。しかし、変革は、いたずらに精密なる理論や教条に基づいて行われるわけではない。国民全体を奮起せしめる現実の危機によって断行される。理論は現実の危機打開の実行行為と共に生起し構築される。

しかし、大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを維新と言う。天皇その方が、維新の原理であると言っても過言ではない。

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。

祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である。教条や政治理論に基づく体制変革ではない。

醜悪な国になりつつある祖国日本を救済する大変革それが維新である。今こそ、維新断行の時である。

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

午後六時より、新宿で開かれたある会合に出席。古賀俊昭・小磯明両都議などと会う。

帰宅後は、明日の「萬葉古代史研究会」の講義準備。

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2011年3月 8日 (火)

稲村公望氏の講演

稲村公望氏の講演で印象に残ったことを記します。

「徳之島という辺境の出身。集団就職の時代だった。辺境の人が中央に来る。神武天皇御東征も然り。(ここで稲村氏は井沢八郎の『ああ上野駅』を熱唱した)私は郵便局の宿直室で生まれた。戦争が終わって最初に建てられた建物が郵便局。私の叔父が郵便局長だった。

祖父は、台湾の台南と台北州の知事をしていた。岸信介氏と東大で同期。私が台北に行った時、『あなたはお孫さんか』と言われ歓迎された。祖父は台湾で悪さをしていたのではない。戦後の歴史で祖父を抹殺したのは良くない。スマトラ方面の第六軍の司令長官をしていた。『オイコラ』は鹿児島では丁寧な言葉だった。江戸では『オイコラ警察』と言われるようになった。

私は、八三年までバンコクで、ファクシミリの技術開発に携わった。ファクシミリは百%日本の技術。私は東大とハーバート大学を出た。戦後初めて徳之島から東大に入った。

最近の外国語教育は間違っている。日本を主張するためでなく、外国にペコペコするために英語を習っている。金子堅太郎はセオドア・ルーズベルト大統領と親しい関係にあり家に泊まった。心血を注いで相手を抱き込んだ。そして日露戦争を勝ち戦にした。アメリカとは友人関係でなければ駄目。主従関係では駄目。

六九年、プエブロ号事件が起きた頃、アメリカのジョージア州に行った。まだ白人のベンチと黒人のベンチが分かれていた。日本人は白人のベンチに座った。名誉白人と言われた。日本が日露戦争に勝ち、アメリカと互角に戦争をしたからである。

北方領土問題は、千島樺太交換条約の時代に戻すべし。今は、振り子が終戦直後に戻った気がする。戦いに勝つためには、物事を冷静に客観的に科学的に判断すべし。中国ば空母を造ったら、日本はミサイルを造るべし。

アメリカ人は強い奴が好き。力が全てという西欧の考え方になじむ必要はない。弱い者を助けるのが民族運動。

今の大学生はヨーロッパに行くがアジアには行かない。幼稚園で英語教育を行っているが、日本文化・日本的思考を抹殺するためにやっているのなら困る。アメリカ人はアメリカの価値観を日本に植えつけるために日本語を勉強している。日本の交通機関などの標識などが英語・中国語・韓国語で書かれているが、アメリカ・中国・韓国では日本語で書いているか。

一つの時代は終わった。新しい秩序をどうつくるかでうごめいている時代。昭和十五年の『國體の本義』をもう一回読んで、日本の本質がどこにあるのかを知り、世界に主張しよう。

大東亜戦争で日本に協力して、国家反逆罪に問われた人がいる。日本のために反逆者になった人々を忘れて、中国には金を出している。二二八事件では、蒋介石の軍隊が台湾に来て殺戮を行った。日本は戦争に負けたので何の世話もできなかった。沖縄には師範学校しかなかったのに、台北と京城に国立大学をつくった。

アメリカは十九世紀からグァムを狙った。ハワイもフィリッピンも然り。TPPは叩き潰すべし。これは金融問題。『金を持っている奴の言う通りにしろ』ということ。食は保守的であるべし。『パンダは中国からの出稼ぎの英雄」と中国の新聞に出ていた。

官僚に『国民全体の奉仕者』と言わなくなった。佐藤達夫人事院総裁は『天皇の官僚とは国民全体の奉仕者ということ』と言った。高級官僚は高給官僚ではない。

『官から民へ』と言うが、『民』とは何か。大阪三井商船の社長のことを言うのか。私物化を民営化と言う。資本家と外人がやり放題やっている。ものづくりと言っただけで参議院議員会長が捕まった。

駐インド大使になった斎木昭隆氏は気骨がある。日本の国連常任理事国入りに反対したのは中国とアメリカ。

伊勢の神宮の玉砂利、神殿の姿は南方のもの。暖房は一切ない。新羅とは違う。厳然として太古日本は南方の文明であり、海洋民族である。

アメリカでもジャスミン革命が起こるのではないか。日米のパイプはアメリカとカナダとのパイプよりも太い。山よりも大きいイノシシはいない。海よりも大きいクジラはいない。昭和十五年・紀元二千六百年が日本の国力が最高の時。

アメリカは、『国際法はアメリカが決める。核の先制攻撃は俺たちがやる』と思っている。これに対しフランスは『自由の女神は何処の国がアメリカに持って行ったか』と言い、日本は『アメリカと互角に戦争をしたのは何処の国か』と言う。

『一日一冊本を読み、給料の一割を本代に使う』のが税金から給料をもらっている官僚のたしなみ。戦略をどう立てるかが大事。清朝打倒の革命を支援したように、共産独裁体制打倒の戦いを支援すべし。」と語った。

          ○

本当に勉強になった。稲村氏の今後一層のご活躍を心から祈念する。

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千駄木庵日乗三月七日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。よく寝ている。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。内容は後日あらためて報告します。

帰宅後も、原稿執筆。

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2011年3月 7日 (月)

「維新」の語源と意義

今、政治家などが安易に「維新」という言葉を使っている。維新」という言葉の出典は、『詩経』(支那最古の詩篇。代に作られた。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。)の「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」であるという。「周という国は、古い国であるが、新しき天命を受けている」というほどの意味であろう。

古くから続く国が、革新を繰り返し、新生するという意味である。日本民族が、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ國體を護持しつつ、常に革新・改革を繰り返してきた歴史に合致した言葉なのである。

明治維新は、有史以来未曽有の変革ではあったが、國體は護持された。と言うよりも、日本國體の真の姿を回復することによって、大変革を成し遂げたのである。即ち、「復古即革新」である。

世の中の矛盾・不合理を徹底的に粉砕し、国民の幸福と国家の存立を確保する。それがただの破壊・破壊としないためには、日本国の道統を原理としなければならない。日本における革新とは、古きものの土台の上に立脚する。「古きもの」とは、単なる時間的過去ではない。「原初」「始原」「始まりの時」である。すなわち。天孫降臨・神武肇国への回帰である。

歴史のさびを落とすためにものの本質・原初に立ち戻るのである。神代への回帰である。維新とは、「高天原への回帰」であり「今即神代」の精神である。

日本では天保元年(1830)、水戸藩藤田東湖藩政改革への決意を述べる際に、を引用して用いたのが最古とされている。

(周代は、支那古代の王朝を倒して王朝を開いた。また、時代の名前にも使い、「周代」と言えば、紀元前1046頃から、遷都して東周となるまでの紀元前771の間のことを指すという)

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2011年3月 6日 (日)

千駄木庵日乗三月六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がった。熟睡している。

帰宅後は、水曜日の「萬葉古代史研究会」における講義の準備。

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外交は華麗に礼装した軍事である

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある。外交は軍事と一体の関係にある。「現行占領憲法」はこの冷厳なる事実を全く無視している。「占領憲法」の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。これは全くの夢物語であり現実に全く相反する危険思想である。共産支那・ロシア・北朝鮮のどこに「公正と信義」があるのか。戦後六十数年の日本の平和は、こんな憲法があったから保たれてきたのではない。アメリカの軍事的庇護と自衛隊あつたからである。

今日の講演で、稲村公望氏は「アメリカで日本人は名誉白人とされ、黒人のように差別されなかったのは、アメリカ人に『日本人は日露戦争に勝った。アメリカとも互角に戦った』という観念があったからだ。」と語っていた。軍事力は、日本及び日本国民を守るためには絶対に必要である。国家主権も国民も領土も資源も、そして平和も、軍事力があってこそ守ることができるのである。

わが国が、『現行占領憲法』前文に書かれている「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということを正しく実行し実現するには、軍事力が絶対に不可欠である。

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後六時より、新宿にて、「維新公論会議」開催。犬塚博英氏が座長。稲村公望氏(元郵政公社常務理事・中央大学大学院公共政策研究科客員教授)が「不平等条約改正百年記念――日本が独立すれば世界のためになる」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。実に勉強になったし、大事なことが語られた。後日あらためて報告します。稲村氏は「公務員たる者、一日一冊本を読む。給料の十分の一は本代に使え」をモットーにしてきたとのことであった。

千駄木に戻り、地元の知人と懇談。

                 ◎

久しぶりに歌舞伎町を通ったのだが、戦争直後の新聞やラジオの報道で使われた言葉で書けば、「色の黒い大男」が多数客引きをしているのにはびっくりした。

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講演する稲村公望氏

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2011年3月 5日 (土)

弥生美術館参観

弥生美術館で開催中の『百花繚乱! 挿絵の黄金時代展
 ~懐かしき昭和2030年代の挿絵画家たち~』展
は、「挿絵がなければ雑誌が成り立たない-そんな百花繚乱の賑わいを見せた昭和20年代から30年代の「挿絵黄金時代」をご紹介いたします。敗戦後、日本が復興し急成長していく中、マスメディアも活況を取り戻し、新聞・雑誌の種類や部数が急激に増加していきました。それはそのまま多くの小説家や挿絵画家が活躍する舞台となり、昭和初期の『挿絵黄金時代』以来、再び挿絵の黄金時代がやってきたのです。本展では、挿絵界の双璧とされた岩田専太郎と志村立美を中心に、この時期活躍した挿絵画家・漫画家総勢約250人とその作品を一挙にご紹介いたします。」との趣旨(案内書)で開催された。
 

いわゆるカストリ雑誌、大衆娯楽雑誌、新聞連載小説、少年雑誌の絵物語、少女雑誌や付録、子ども向け雑誌、絵本、週刊誌などに描かれた挿絵が展示されていた。

歌舞伎にも登場する「延命院日当」という連載小説に描かれた岩田専太郎の絵が印象に残った。というのは、延命院という寺は、日暮里に実在する寺院で、小生も時々その前を通るからである。日蓮宗の寺院で、江戸時代、そこの住職が大奥の女性をたぶらかし処罰された事件が劇化され、歌舞伎で演じられた。私は実川延若が主人公の日当という僧侶を演じた歌舞伎を見たことがある。延命院は、上野戦争で彰義隊が立てこもったため、新政府軍の攻撃を受け、その弾痕が今も残っている経王寺というお寺にすぐ隣にある。今は、静かなたたずまいを見せている。

岩田専太郎は、伊東深水の弟子で、永井荷風・吉川英治・川口松太郎などの小説の挿絵を多く描いた昭和を代表する挿絵画家である。

このほか、武内つなよしの「赤胴鈴之介」、横山光輝の「鉄人二十八号」といった漫画作品も展示された。この二人の作品は小生もよく見た。

弥生美術館は、東京大学弥生門のすぐ前にあり、高畠華宵・竹下夢二の作品を多く展示している。規模は小さいが良い美術館である。

弥生町は、弥生式土器が最初に発見されたところである。サトウ・ハチローが住んでいた。法律家の団藤重光氏も住んでおられる。

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、母のお世話。

午後は、文京区弥生の弥生美術館で開催中の「百花繚乱! 挿絵の黄金時代展」参観。

この後、病院に赴き、父に付き添う。微熱がある。額などに手をあてて快癒を祈る。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年3月 4日 (金)

満州建国は日本の侵略ではない

「東京裁判史観」「自虐史観」では、「満州事変」が日本による支那侵略の開始だと言う。もともと「支那人」が居住していた満州を日本が侵略したと言うのである。

しかし、満州はもともと支那人が居住していた所ではない。その証拠が「万里の長城」である。支那大陸を初めて統一した秦の始皇帝は、満州や蒙古に住む民族が支那に侵入して来るのを防ぐため、三海関から西域地方まで六千四百キロの巨大な壁をつくった。つまり、満州は蒙古と同様、支那人(漢民族)の居住地でも支配地でもなかったのだ。満州族の清朝政府も、支那人が満州に移住するのを禁止し、自分たちの故郷に異民族たる漢民族が侵入するのを防いだのだ。

中華民国の建国即ち辛亥革命は、「反清復明」(満州族の清朝を打倒し、漢民族の明朝を復活させる)「滅満興漢」(満州族を滅ぼして漢族を興起させる)をスローガンにしたのだ。

このように満州は支那ではなく満州は漢民族の土地ではないということは明々白々である。

したがって、日本が満州を煮て食おうと、焼いて食おうと、支那を侵略したのではない。しかし日本は満州を煮て食ったわけでも焼いて食ったわけでもない。理想国家建設を目指したのだ。そして満州族の王朝であった清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀を皇帝とし大満州帝国を建設したのである。そして満州に住む人々は平和と繁栄を満喫したのである。

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千駄木庵日乗三月三日

午前は、母のお世話。

午後は、年度末にしなければならない仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年3月 3日 (木)

外交問題について

民主党政権の外交は稚拙である。ロシア・共産支那・南北朝鮮による我が国主権・領土・資源に対する侵害に対して有効な手立てを講じることが出来ないでいる。それどころか、相手国による我が国への侵害を誘発するようなことまでしている。そして党内抗争を繰り返している。自民党政権の外交もおかしかったが、民主党政権よりはましであった。

近代以後の日本の外交は失敗が多かった。その原因は何処にあるのか。ユーラシア大陸は、ずっと国家間・民族間の交流と戦争の繰り返しであった。ところが、わが日本は、明治時代以後になって国際的外交を本格的に行うようになったと言っていい。しかも、大陸民族は、遊牧民族・狩猟民族から出発した。大和民族は稲作民族である。闘争戦争を繰り返してきた大陸民族と、その名の通り比較的平和な生活をしてきた大和民族とでは、その気質に大きな差異がある。そうした事も、外交に影響を及ぼしていると考えられる。

しかし、大和民族は退嬰的で大人しいとは決して言えない。民族と国家の危機に遭遇すると、民族のエネルギーが爆発して、外敵に立ち向かい、危機を乗り越えて来た。白村江の戦い、元寇、明治維新、日清・日露戦争などである。大東亜戦争は敗北したが、アジアアフリカを侵略支配していた欧米列強を駆逐した。

こうした歴史を顧みると、大和民族はまさに大和魂を発揮して今日の国家的危機も乗り越えることができると確信する。今がその時期である。共産支那や北朝鮮やロシアと今すぐに戦争を開始すべきだと言っているわけではない。

大陸国家にしてやられるような外交を是正すべしと言っているのである。ただしそれには、相当の決意と努力が必要である。また、大陸国家に負けない外交戦略を打ち立てそれを実行しなければならない。歴史に学ぶ事が第一である。特に、明治維新に学ばねばならない。今の政治家は、安易に「維新」という言葉を使うが、真の意味の維新それは一言で言えば「尊皇攘夷の精神」である。

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千駄木庵日乗三月二日

午前は、母のお世話。

午後二時、新宿にて、『伝統と革新』の新企画打ち合わせ。続いて、久しぶりに紀伊国屋書店に赴き書籍購入。

夕刻、赤坂にて、旧友ご夫妻と久しぶりに再会・懇談。

帰宅後は、諸雑務。

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2011年3月 2日 (水)

憲法勉強会で話したことなど

今日の『憲法勉強会』では次のような意見が出された。

           ○

「共産支那などから祖国を防衛するために、自主憲法の制定、第九条の改正は国家緊急の課題である。」

「西洋憲法の起源は、市民と君主との契約・約束事である。日本國體はそういう西洋成文憲法の上位にある。『大日本帝国憲法』は明治期における緊急性で、知恵を絞って作った。」

「國體は成文憲法に規定する必要はない。」

「衆議院の解散は、天皇陛下が内閣の助言と承認によって行われることなのに、『総理大臣の専権事項』とされるのはおかしい。」

              ○

私は、「日本國體」について自分の存念を話させていただいた。さらに、次のようなこともは論じさせていただいた。

日本という国もそして日本國體も、『成文憲法』に規定されて、初めて存在するのではない。『成文憲法』があろうとなかろうと、日本国家・日本國體は永遠に存在し続ける。したがって、日本國體を『成文憲法』に規定する必要はないという意見もそれなりの正当性がある。特に『現行占領憲法』のように、日本國體を正しく規定していない憲法は、國體を隠蔽するどころか、破壊する危険がある。

さらに言えば、わが国は、西洋国家とはその成り立ちが根本的に異なるのであるから、西洋に起源を持つ『成文憲法』そのものが必要ないのかもしれない。

ただし、今日の日本においては、少数ながら國體破壊勢力が存在する。また、國體に対して無関心層も存在する。そういう時代状況にあって、『成文憲法』がありながら、國體の関する条項がないというのも危険である。故に、日本國體精神に則った正統なる「國體条項」が『成文憲法』に規定される必要はある。

『成文憲法』そのものを廃止してしまうのも一つの方策である。国会法・内閣法・防衛省設置法・警察法などの各法律を充実させれば良いということも言える。その方が、国会の過半数で法律改正することによって、法律を時代状況に速やかに適応させることができる。

『現行占領憲法』の「天皇条項」の根本的欠陥は、天皇の御地位が「主権の存する日本国民の総意に基づく」とされていることである。これは、日本國體に全く合致しない規定である。また、「日本国及び日本国民統合の象徴」という規定は、天皇の空間的統一性・統合性は表現されているが、天皇の時間的連続性・伝統性は全く表現されていない。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七時より、新宿区内藤町の四谷区民センターにて、『憲法勉強会』開催。民族運動活動家が参集し、憲法問題について論じ合った。小生は、国体と憲法について話した。

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2011年3月 1日 (火)

継体天皇の『詔』を拝したてまつりて

今、『日本書紀』を読んでいる。その「巻十七」に次のようなことが記されている。

《継体天皇元年(丁亥五〇七)》「三月の庚申(かのえねさる)の朔に詔して曰く。『神祗不可乏主。宇宙不可無君。天生黎庶。樹以元首、使司助養。令全性命。』(神々をお祭りするには、祭祀主がなくてはならず、天下を治めるには君主がなくてはならない。天は国民を生み、元首を立てて、その本性と天命とを全くさせている。)

継体天皇は『詔』において、上御一人・日本天皇のご使命は、日本国の祭祀主であらせられると共に、天下を統治されるお方であらせられること、そして、天の神が日本国民を生みたまい、天皇を国の中心に立て、日本国民の本性と天から与えられた使命とを全うさせているということを示されたのである。この「詔」には、日本国は、天皇を祭祀主・統治者と仰ぐ祭祀国家であるという「祭政一致の日本國體」、そして日本国民はひとしく神の子であるということが端的に示されている。わが国における「元首」とは、決して権力機構の最高権力者(英語で言うと、ヘッド・オブ・ステイト)ではない。祭祀主・統治者即ちスメラミコトの御事である。

さらに『日本書紀』には次のようなことが記されている。

《継体天皇元年(丁亥五〇七)》「三月戊辰(つちのえたつ・九日)に、詔して曰く。『朕聞。土有当年而不耕者。則天下或受其飢矣。女有当年而不績者。天下或受其寒矣。故帝王躬耕而勧農業。后妃親蚕而勉桑序。』(男が耕作をしないと、その年は天下が飢饉に陥ることがあり、女が糸を紡がないと、その年は天下が寒さに震えることがある。それ故、帝王自ら耕作を行って人々に農業を勧め、后妃は自ら養蚕を行って人々にそれを勧めさせると聞いている。)

継体天皇は『詔』において、天皇・皇后が御自ら、耕作と養蚕にお励みになり、日本国の豊穣を祈られるということを示されたのである。この尊い皇室の伝統は、今上天皇・皇后にも継承せられている。まことに有難き限りである。このような國體・国柄はまさに万邦無比である。

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、母のお世話。訪問介護士の方と共なり。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識があり、励ます。

帰宅後は、資料の整理。

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