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2011年2月 5日 (土)

八百長相撲について

神風正一氏は、その著書『神風一代』(日本放送出版協会刊)で、かつての名大関・名寄岩について「まじめ一途、巡業の取り組みなども少しも妥協がなく、花を持たせるべき地元力士も容赦なくやっつけてしまうので“ぼんなか”(気を利かすこと)の分らない力士として変人扱いされた」と書いていた。勝負の世界ではあっても、そういう人情というか気を利かすことは認められていたのだろう。

私の小学生時代に、テレビのプロレス中継を見ていたら、レフリーの九州山(元小結で力道山の先輩)が、レスラーがほんのちょっと反則をしただけですぐに止めたり、カウントをとったりしたのを、リング下で見ていた力道山が「ショーなんだから、ショーなんだから」と大声で叫んでいたが、九州山は言うとを聞かなかったのを見たことがある。相撲中継ではこんなことは全くなかった。

石原東京都知事は、相撲の八百長問題について「誰とは言わないが、力士が取組中に相手に『押せ、押せ』」と言うのだが、(※八百長をやってる)力のない横綱とか大関は相手を押し切れない。それを記者はゲラゲラ笑って見てた。そこで金が動いたかどうか知らないが、そういう経験があったものだから、今さら驚かない」
「これからの一番、八百長でございますというわけじゃないんだから、歌舞伎の見得(みえ)を堪能するみたいに騙されて見て楽しんでいればいい。そういうものだよ、相撲とは」「あんなもん(相撲の八百長は)、昔から当たり前のこととしてあったんだよ。日本の文化なり伝統をふまえた日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」

「今さら大騒ぎするのは、世間もずいぶん物を知らなかったというか。笑って目をつぶってろとは言いませんけど、あれが日本の文化の神髄である国技だっていうのは、ちゃんちゃらおかしいわな」

と述べた。

こう言ってしまえば身も蓋もない話、それまでの話になるが、半分同感できる。しかし、問題は、先日も書いたが、相撲の起源は神事であり、天覧相撲が行われることだ。国技と言うからには、やはり八百長はあってはならないだろう。また、相撲協会の運営が元力士だけで行われているシステムは改革すべきである。

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