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2011年2月11日 (金)

大相撲に関する思い出

私は、子供の頃から相撲が大好きだった。プロ野球やサッカーやボクシングや柔道などには全く興味はなかったが、相撲だけはよく見た。

小学校時代は、鏡里という横綱の大ファンであった。双葉山即ち時津風親方の弟子だった。あんこ型で、太鼓腹。押し相撲が強く、寄り切りで勝つことが多かった。いかにもお相撲さんと言った感じの人だった。

私が相撲を見始めた頃は、千代の山・鏡里・吉葉山が横綱であった。三根山・松登・大蛇潟・鳴門海・北の洋といった力士が好きであった。もちろん江戸っ子横綱栃錦の大ファンだった。

栃若時代になったが、若乃花より栃錦が好きであった。若乃花も立派な相撲取りと思っているが、その頃は、鏡里をよく上手出し投げで負かすことがあった。そして土俵にたたきつけるように投げた後、鏡里を助け起さなかったので大変悔しい思いをした。そんなわけで当時は、若乃花は大嫌いであった。

私が高校生時代に書生をしていた帝都日日新聞実業の世界社会長・野依秀市先生は、大分県中津市出身で、双葉山と同郷だったので、後援会長をされていた。双葉山の優勝写真には必ず野依先生が写っている。野依先生は、「福沢諭吉・双葉山そしてオレが中津出身の三天王」と言っていた。果たしてどうか。

築地本願寺で行われた野依先生のお葬式には、時津風親方以下、時津風部屋の関取が多数参列した。

後年、銀座で鏡里関のお子さんがやっていたちゃんこ料理屋に行った。その息子さんは優勝写真に必ず写っている野依先生のことを御存じなく、「誰かと思っていた」とのことだったので、野依先生のことを詳しく教えてあげた。小生が書生をしていたことも言った。大変喜んでくれた。

自分でも面白いと思うのは、私は行司が好きだったことだ。近所に木村幸之助という三役格の行司さんが住んでいたこともある。学校で同級生が相撲をやる時にもよく行司役を買って出た。

ヒゲの伊之助の大ファンであった。伊之助さんは、栃錦・北の洋戦で、差し違えの審判に納得せず、勝負検査役(今の審判)に食ってかかり、二十分ばかり土俵上で揉めたことがあった。この時私はテレビに向かい「伊之助頑張れ」と叫んだ。翌日の新聞の報道写真では伊之助さんの判定が正しいことがわかった。伊之助さんは出場停止になったが、ファンからの抗議があまりに多いので、千秋楽には出場した。

蔵前国技館にも両国国技館にもよく行った。しかしはっきり言って、外国人力士が多くなってからは、あまり相撲も見なくなった。それでも、大先輩に当たる方からいわゆる砂被りの席の切符を戴くことがあったので、そこには二三回行った。知人・友人によく出会った。

相撲はやはりなくなってほしくない。

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