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2011年2月19日 (土)

新国劇について

今日は仕事をしながら、平成元年に録画した新国劇十八番「極め付け国定忠治」を鑑賞しました。約三十年前の昭和五十五年、読売ホールでの公演です。主役の国定忠治はもちろん辰巳柳太郎。川田屋次は島田正吾、日光の円蔵は宮本曠二郎、山形屋藤蔵は緒形拳でした。出演者の殆どは故人となっております。

私は高校生時代に明治座で見て以来、新国劇が大好きになりました。そして東京での公演は殆ど見に行きました。「国定忠治の」の名セリフは暗記しています。赤城山天神山の場の「赤城の山も今夜を限り」はもちろん、「犯した罪の数々に首は細っても長岡の忠治、生涯男の魂は曇らせたくねえ了見だ」「何を隠そう高飛車に出て、子分の衆に斬られようと、企んで来たが相親の御室の最後を見るにつけ、矢竹心の張りも切れ、年寄りの意気地はなくなった。笑って死のうぜ、やってくんねえ」などです。

そして「瞼の母」の「親に放れた小僧っ子がぐれたを叱るはちっと無理。堅気になるはの遅蒔きでござんす」「幼い時に別れた母親の顔は、こう瞼の上下ぴったり合わせ、思い出しゃあ、絵に描いたように浮かんで来るんだ。それでいいんだ、会いたくなったら俺は目をつぶろうよ」。「大菩薩峠」の「親もいない、子もいない、妻もなければ、兄弟もない、天涯孤独の龍之介」、なども覚えております。

銀座で偶然にお会いした島田正吾氏に握手をしていただきながら、「瞼の母」のセリフを言ったら、大変喜んでいただきました。島田氏の楽屋を訪問し、お話を伺ったこともあります。島田氏の色紙は私の宝の一つであります。

新国劇は「男の劇団」と呼ばれ、義理人情の世界を描いた劇を多く上演しました。日本人の伝統というか、美風というものを伝える劇団だったと思います。今は、新国劇もなくなり、島田・辰巳両氏も、そして緒形拳氏も亡くなってしまいました。本当にさみしい限りです。

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