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2011年2月13日 (日)

ペリー来航について

今日の祝賀会は、「ペリー来航の間」というところで開かれた。西村真悟氏は今日の祝辞で「現在の在日アメリカ大使館の客室には、ペリーが乗っていた旗艦『サスケハナ』の模型が飾られている」と語った。

ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行った。また、ペリーは大統領の國書のほかに、一通の書簡を白旗と共に幕府に提出した。その書簡には「……通商是非に希むに非ず。不承知に候はば干戈を以て天理に背くの罪を糺し候につき、その方も國法を立て防戦いたすべし。左候はば防戦の時に臨み必勝は我らに之有り。その方敵対なり兼ね申す可く、もしその節に至りて和睦を乞ひたくば、このたび送り置き候ところの白旗を押し立つべし」(どうしても開國通商をしてくれと希望しているのではない。承知しないなら武力に訴えるまでだ。我々は必ず勝つ。その時にはこの旗を掲げて降伏しろ、という意)とあった。これほどの恫喝外交はない。

 

西郷隆盛は後に『大西郷遺訓』において、「文明とは、道の普ねく行はるゝを言へるものにして、…世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の國に對しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべし」と欧米を批判したが、アメリカの日本への恫喝はまさに西郷先生が指摘した通りのやり方だった。

アメリカの東方への進出即ちアメリカが誇りとする「フロンティア精神」とは「残忍酷薄を事とし己を利する」と頃の砲艦外交でありは東方への侵略そのものだったのである。このやり方で、米大陸の先住民・メキシコ・ハワイ・フイリッピンなどを侵略した。

さらにペリーは、安政元年(一八五四)の二度目の来航の時には、幕府に油絵を贈り物として持って来た。その油絵はアメリカのメキシコ侵略を描いた戦争画であった。これは文字通り視覚による恫喝である。    

先の大戦もその延長線上にあったと言っていい。大東亜戦争はそうしたアメリカとの戦いであった。日本に先に真珠湾を攻撃させて、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に日本に襲いかかった。昭和二十年の降伏調印式が行われたミズーリ号艦上には、ペリーが黒船に掲げた星条旗が掲げられた事実はこれを証明している。

アメリカのやることは正義であり、それに刃向かうものに対しては容赦のない攻撃を加えるというアメリカのある意味の身勝手さと野蛮さは、今日ただ今に至るまで基本的には変わっていない。

しかしながら今の日本は、共産支那や北朝鮮による我が国への侵略・武力攻撃から祖国を守るためには、日米同盟に頼らざるを得ないというのもまた悲しい現実である。

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