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2011年1月23日 (日)

池田維交流協会顧問の講演

一月十五日午後二時より、日本プレスセンターにて開催された『アジア問題懇話会』における池田維交流協会顧問(元交流協会台北事務所長)が「日台関係の課題と展望」と題する講演は次の通り。

「二〇〇八年まで三年八か月間台湾で勤務した。帰国後、三回台湾へ行った。国立台湾大学創立八十周年記念シンポに出席依頼があり台湾に行った。台湾大学の前身は台湾帝国大学である。一九二八年(昭和三年)秋に創立。五十年の日本統治時代は抹殺されず継続したものと扱われている。これが韓国・中国との違い。

日本の軍需工場で働いた台湾の少年工だった人々が来日した時に会った。零戦の組み立てをしていた人たち。日本の敗戦の後苦労されたから、日本への恨みつらみがあると思っていたがそうではなかった。約二十年前、台湾の民主化の後、『高座会』という会を作った。神奈川県の高座で寮生活を送った後、日本各地の工場に分かれて行った。選抜されたことら誇りを持っている。現在でも日本との交流がある。昨年五月にも来日した。その中の一人が宜蘭出身で、現在小学校のPTA会長をしておられる。その小学校は日本の台湾統治開始から五年目の一九〇〇年に創立した。創立記念行事をやると言っておられたことに感銘した。

二〇〇七年に台北と宜蘭を結ぶ高速鉄道が開通した。日本から新幹線を輸出した。開通式の日取りは、百年前の南北鉄道が開通した日を選んだ。国民党が政権を奪還した後も日本との関係の継続性はある。しかし、こうしたことは台湾が民主化して可能になった。一九八七年の戒厳令解除まではそういうことはなかった。

台湾人が一番好きな国は日本。海外留学先も二〇〇七年にアメリカを抜いて日本が一番になった。しかし全ての台湾人が日本のことを好きだと言っているわけではない。交流協会の前で反日デモをする人がいる。

台湾から日本に来る人は年間百万人以上。二千三百万人の人口のうち百万人が来日する。台湾は日本の貿易相手国の第四位。日本は台湾の貿易相手国の二位。

一九九七年から中学校社会科教科書に使われ出した『認識台湾』は、過去の日台関係をバランスよく書いている。五十年間の日本の台湾統治が現在の台湾発展の基礎と書いてある。

李登輝さんは尖閣問題について『中国が尖閣の領有権を主張するのは、きれいな女性が歩いていると隣の家の奥さんでも自分の物だと言うのと同じ。』と言った。日本は、日米同盟を強固にすると同時に、実効支配をしっかりとしたものにし、日本自身が領土を守る決意を見せるべし。

故宮博物院の展覧会を日本で行うと、在日中国人が自分の国の物だという訴訟を起こす危険あり。

中国は『第一列島線で囲まれている』と言う。中国はそれを突破したい。台湾の東側の深海は中国の潜水艦が自由に動くのに便利。

民主化した台湾を大事にしなければならない。馬英九の対中国政策に変化の動きあり。急速な中国接近は、台湾人の多くが現状維持を望んでいるので、総統選に悪影響を与える。

最近台湾を訪問した自衛隊OBに台湾軍のOBが『中国は台湾にとって敵だ』と言ったという。台湾としては日米に頼りたいが、両国とも中国に気を使ってやってくれないと思っている。『周辺事態法』を見直して、米軍が台湾を支援するなら、日本の支援できるようにすべし。」と語った。

              ◎

高座会とは

大東亜戦争末期、優秀な労働力を台湾に求め、小学校六年か高等科を卒業した人に、働きながら勉強すれば、旧制中学の卒業資格を与えると約束した。多くの台湾少年が競って応募し、厳しい採用試験を突破して、当時の内地へ渡った。配属先は現在の神奈川県座間市にあった高座海軍工廠で、宿舎が今の大和市上草柳にあった。仕事はB29を迎撃する新鋭戦闘機「雷電」の製造でした。彼らは懸命に働き高い評価を得た。終戦となり志半ばで台湾へ帰った。その人々の同窓組織である台湾高座会が、高座の地を『第二の故郷』と呼んで里帰りしたのは、平成五年六月九日で、実に五十年ぶりであった。里帰りした元台湾少年工千三百名、歓迎する日本人千八百名、双方で三千百名を超える大集会となったという。

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