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2011年1月26日 (水)

菅直人総理の「昭和天皇退位論」を批判する

菅直人総理は、平成十七年五月八日午前のフジテレビの『報道201』で、「日本自身が、日本の負ける戦争をやった責任を何一つ問はなかった。天皇陛下は退位された方が良かった。」「明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いてゐたから(昭和天皇に)直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだった。」と語った。

昭和十年代にわが國の行なった戦ひ即ち大東亜戦争は、決してわが國による一方的侵略ではなかった。わが國の自存自衛のために止むを得ずして進められた戦ひであり、日本だけが一方的に断罪されるべきではない。したがって、「天皇の戦争責任」なるものを問ふのは大きな誤りである。しかも「法的責任」「道義的責任」といふ言葉は聞いた事があるが、「象徴的責任」といふ言葉ははじめて聞いた。一体具体的にどういふことを意味してゐるのであらうか。

戦前も戦後もわが國の政体は、立憲君主制である。昭和天皇は戦前も戦後も、政体上は「立憲君主制における君主」として行動されてゐたのである。「天皇機関説」といふ一つの學説に従って行動されてゐたのではない。

昭和天皇は、大東亜戦争のいはゆる「戦争責任」をご自分一人で果たそうとされた。昭和天皇は、敗戦直後の昭和二十年八月二十九日午後十一時四十分、木戸幸一内大臣を呼んで次のやうに仰せになった。

「戦争責任者を連合國に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人が引き受けて退位でもして納めるわけにいかないだらうか」

すると木戸氏は「御退位を仰出さることは、皇室の基礎に動揺をまねき、その結果民主的國家組織(共和制)論を助成する恐れもある。十分慎重に相手方の出方を見て考究遊ばさるる要あるべし」と奉答した。 (児島襄氏著『天皇』第五巻および高橋紘氏『象徴天皇』)

この木戸氏の奉答は正しい。もし、昭和天皇が終戦直後に「戦争責任を果たす」といふ理由で退位された場合、國家と國民は寄る辺を失ひ、大変な混乱に陥ったであらう。

「昭和天皇退位論」は、わが國國民の民意にも反する主張である。当時のわが國民大多数の意志は、いはゆる「天皇制存続」正しくは「國體護持」であったし、「天皇退位」を望んでゐなかった。敗戦直後の昭和二十一年四月の『毎日新聞』の世論調査によると、「天皇制を認める」=八五%、「認めない」=一三%、「天皇は留位された方がよい」=六八・五%、「退位または皇太子に攘夷された方がよい」=一八・四パーセント、「退位されて天皇制を廃した方がいい」=一三・八パーセントであった。

まさに、「日本國民の自由に表明する意志」は、國體護持であり、昭和天皇のご留位であったのである。当時の日本國民が昭和天皇に全面的に責任があると考へ、天皇を憎悪していたなら「天皇退位」あるいは「國體廃絶」の世論が巻き起こったであらう。しかし、そのやうなことは起らなかった。

昭和天皇は責任を回避されたことなど一度もない。むしろ積極的に責任を果たすために、天皇の御位にとどまられたのである。そして「堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」その責任を果たされたのである。だからこそ、その後、昭和天皇は、國民大多数そして諸外國が仰慕され尊敬され続けたのである。「昭和天皇は戦争責任をとって退位されるべきであった」などといふ議論は、昭和天皇の御聖徳を否定し、戦後日本の復興を否定する妄論である。

昨日も書いたが、民主党政権になって、皇室に対する軽視や不当な干渉や不敬言動が目立つようになったのは、民主党の幹部・指導者の「國體・皇室」に対する根本的な考え方に問題があるからだ。これはまことに重大にして憂えるべき事柄である。民主党政権打倒が急務である。

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