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2011年1月21日 (金)

呉春宜氏の講演について

一月十四日内幸町の日本記者クラブにて開催された「マスコミ総合研究所研究会」において台湾国立高雄第一科技大学教授・呉春宜氏が「辛亥革命と中華民国」と題して講演し、次のように語った。

「孫文は四十年間革命運動を行ってきたが、そのうち三十年間は日本と関わってきた。『中山』という号は、日比谷にあった中山忠能(ただやす・明治天皇の外祖父にあたられる。幕末から明治にかけての公家。明治維新で活躍)の屋敷前を通り、表札を見て『中山』と号した。

中国革命に命を捧げた一人の日本人がいる。山田良政である。弘前出身。東亜同文書院教授の頃に孫文と知り合った。孫文の革命の志に共鳴。山田先生は明治三十三年九月二二日恵州蜂起に参加し戦死した。三三歳であった。

六百万人の満州族が四億人の全中国人を支配していた。漢民族はかなり不満だった。西欧列強が入ってきた。日露戦争の日本の勝利はアジア人民に独立の希望を与えた。一九〇五(明治三八年)に中国革命同盟会を結成。汪兆銘は法政大学に留学した。中国革命同盟会機関紙『民報』の編集に携わった。当時、二、三万人が清から日本に留学していた。頭山満・宮崎滔天らの支援を受けて、日本を基地にして革命運動を行った。

宮崎滔天は政界の陰の実力者秋山定輔を動かして桂太郎首相に孫文との協力を説いた。一九一三年(大正二年)二月、孫文は国賓として来日し、桂首相と語り合った。『新支那の建設は孫文にまかせる。日本は孫文の新政権を支援し、日支協力して、満洲を共同開発する、日支協力してダーダネルス海峡以東のアジア民族の自立達成に助力する、などの密約を交わした。しかし、桂太郎はまもなく急死し、孫文も袁世凱にその地位を奪われて、失脚した。日支提携密約は実現しなかった。

一九三一年(昭和六年)満州事変が起こった。梅谷庄吉は蒋介石との和平工作を行ったが、憲兵隊からスパイ容疑をかけられた。

大アジア主義は多義的。欧米に対抗する運動の総称と説明される。明治中期に興亜論・中国朝鮮との関係論から始まり、アジアの革命勢力との協力・大東亜共栄圏へとつながる。

一九二四年十二月二十八日、神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体におこなった講演で『貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります。』と語った。仁義は王道であり、功利は覇道である。仁義道徳が大アジア主義の根本。人種を問わず圧迫被圧迫に重点を置く。アジア各民族が大同団結する。日本はアジアを独占しようとした。西洋の代わりに日本がやってくことへの支持は得られなかった。二十一カ条の要求・山東出兵・満州建国・日中戦争が続いた。国益追求で推し進められたことが逆に日本を不幸にした。孫文の言った言葉が一世紀たって示唆を与える。日本と欧米列強の利権争いになった。

中国は共和制の国家になって漢・満・蒙・回(イスラム系諸民族)・蔵(チベット民族)の五族の独立は自然に消滅した。万里の長城以北は中国の領域に入っていなかった。桂太郎との密約はそれに基づいていた。」と語った。

            ◎

千駄木庵主人曰く。「日本の対支那政策・アジア政策に間違いは全くなかったとは言わないが、日本のやったことはすべて西洋覇道精神であり侵略であったという主張は全く受け入れられない。「中国は共和制になったから五族独立は消滅した」などという主張には思わず吹き出してしまう。一体何時支那が共和制の国家になったのか。また共和制になったら民族独立は消滅するなどという議論は初めて聞いた。これは漢民族の他民族支配搾取を正当化する論理である。孫文の言った言葉が一世紀たって示唆を与えると言われたが、まさに今日アジアで覇道精神を実践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行っているのは共産支那である。さらに、五族共和どころか各民族を抑圧しているのは漢民族である。今日の共産支那には仁義も道徳もありはしない。

小田村四郎先生が「大アジア主義は思想としては成り立つが、外交としては成り立たない」と言われた。その通りと思う。

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