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2011年1月31日 (月)

野党は、中井洽・安住淳両氏の辞職を要求すべきだ

国会は明日から衆院予算委員会で11年度予算案の実質審議に入る見通しだが、自民など野党6党は、与党が28日の提案理由説明を強行したことに反発、審議に応じない構えだという。

野党は、先の国会で、中井洽予算委員長の懲罰動議を提出した。天皇皇族への不敬行為という重大な問題なのに、何故か有耶無耶になってしまった。おかしな話である。中井洽氏の予算委員長のみならず議員辞職を求めるべきである。辞職しない限り予算審議には応じないと強く要求すべきである。

民主党の安住淳国対委員長は、昨年11に起きた「自衛隊行事での民間人による政権批判を封じる事務次官通達を出した問題」において、他の人の反対を押し切って主導的にこの通達を出した張本人である。この通達に伴い防衛省自衛隊情報保全隊自衛隊OB佐藤正久自民党議員や元航空幕僚長田母神俊雄氏等を監視していた問題まで明らかになった。しかも安住氏は、「一度通達を出せば撤回しても効力はものすごい」と発言したという。自衛隊内で強く印象づけられ、民間人の政権批判を控えさせる「自主規制」が働くと踏んだからだとされる。

安住氏は、NHKという報道機関に出身であるにもかかわらず「言論の自由」「思想信条の自由」を蹂躙したのである。断じて許してはならない。野党はこのことを厳しく追及し安住氏の議員辞職を要求すべきだ。

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千駄木庵日乗一月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、今夕の講演の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、「第九回日本の心を学ぶ会」開催。渡邉昇氏が司会。瀬戸弘幸氏及び小生が「大和魂と国難」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。この後、懇親会。

帰宅後は、二月一日の行われる「國體政治研究会」における講演の準備。

「日本の心を学ぶ会」については後日報告します。

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2011年1月30日 (日)

『伊勢真一監督ヒューマンドキュメンタリー上映会』を観賞して

『伊勢真一監督ヒューマンドキュメンタリー四作品新春プレミアム上映会』では「ゆめみたか~愛は歌 田川律~(上映後トーク有)」と風のかたち-小児がんと仲間たちの10年』の二作品が上映された。

ゆめみたか~愛は歌 田川律~は、田川律という老音楽家の生き様というか日常のドキュメント。田川律という人のことは全く知らなかった。またそれほど有名なでもないらしい。伊勢真一監督によると「『有名でも何でもないワイみたいなジジイ撮ってどないすんの?』と本人は言うし、まわりの仲間もフィルムの無駄だから止めたほうがいいと言う。こんなことで映画など出来るわけがない・・・と。しかし、とても面白い作品が出来てしまった」とのこと。どこがどうというというわけでもないが確かに面白かった。

風のかたち-小児がんと仲間たちの10年』は、小児がんと闘う子供たちのドキュメント。十年間かけて記録されたものである。病気を克服し、社会の小児がんに対する偏見や差別を跳ね返そうともがく子ども達のことが描かれていた。亡くなっていく人もいるが、今は十人に八人は治癒するという。薬の副作用で髪の毛が抜けた子供痛々しい姿や、学校でいじめにあった子供の話は本当に気の毒であった。

小児がんの治療を乗り越え、水泳などスポーツで活躍する女性、二人の子供を出産し、自らの体験を若者たちに積極的に語る活動を行っている女性、自分の体験を生かしたいと看護士になった女性、高校生で白血病を発症後、骨髄移植を経て出産した女性、眼のがんで失明したが、何事にも積極的に挑戦する少年、病気と一生関わっていきたいと製薬会社に入社した青年の姿を見て本当に救われる心地がした。

この映画の制作に協力した一隅社の野口香織氏は、小生の小中学校の同級生である。大学時代は小生とは全く反対の立場で学生運動をしていた。卒業後、父上から受け継いだ専門新聞社を経営しつつ、色々な社会活動をしている。

今日は久しぶりに見ごたえのある映画を観賞することができた。

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千駄木庵日乗一月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の講演の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識は非常にはっきりしていて、私が来たことを大変喜んでくれた。

午後五時半より、谷中夜店通りの戸野廣浩司記念劇場にて開催された「伊勢真一監督ヒューマンドキュメンタリー四作品新春プレミアム上映会」鑑賞。

帰宅後も、明日の講演の準備など。

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2011年1月29日 (土)

小沢一郎の昭和殉難者靖国神社合祀反対論を批判する

『週刊文春』今週号(二月三日号)に掲載されている「小沢一郎がすべてに答えた」というインタビュー記事で、小沢一郎氏は「戦後の懸案では、靖国神社のA級戦犯合祀については、いかがですか」という質問に答えて小沢氏は、「靖国神社は政治犯ではなくて、戦って亡くなった人を祀るところでしょう。…それなのに、厚生省の役人が政治責任を問われた人たちを入れてしまった。役人が入れてしまったのだから、政治家が責任を持って『靖国から外に出せ』と言えばいいだけの話ですよ」などととんでもない発言をした。

第一に、日本には「昭和殉難者」即ち戦勝国のよって理不尽に処刑された人はいても「A級戦犯」なるものは一人もいない。戦争行為の継続である「軍事裁判」で処刑された人々は、立派な戦死者である。靖国神社に祀られて当然である。否、真っ先に祀られるべき方々である。

第二に、戦死者の靖国神社合祀と戦争開始および戦争遂行についての「責任問題」とは全く別のことである。

第三に、「政治家が責任を持って『靖国から外に出せ』と言えばいいだけの話」などというのは政治権力による宗教への介入であり、完全に「憲法違反」である。小沢はこんなことも分からないのか。政治権力者何でもできると思っているのだ。まことに危険な政治家である。

小沢一郎氏は、昭和六一年四月二日に開かれた参議院地方行政委員會で自治大臣として次のように答弁した。

「靖國神社は一般的に常識的に言って戦没者を祭っておる、その追悼ということでだれもが自然な気持ちで行くべきものであろうと思います。したがって、私もいわゆる自分のそのような気持ちがわいてきたとき、そして時間が許せば靖國神社の参拝は今までもしておりましたし、するつもりであります」「基本的に、お國のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。したがいまして、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝國によって戦犯という形でなされた人もいる。あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております」

ほぼまともな考え方である。しかるに、小沢一郎は、最近はこの考え方と正反対の主張をしている。

靖國神社は、神話の世界の神々、歴史上の偉人・聖人君子が祀られている神社ではない。戦死者・英靈が祀られている神社である。戦死者には大東亜戦争遂行・敗戦に関して法的・道義的責任を負うべき人がいたかもしれない。また現實に責任を負って自決を図られた人もおられるし、従容として死地に赴かれた人もいる。東條英機元総理もそのお一人である。しかし、戦争責任と、戦死者を靖國神社の御祭神としてお祀りし慰靈することとは、全く無関係である。たとえ戦争責任があったとしても、戦争行為の継続である「極東軍事裁判」の「判決」により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖國神社にお祀りするのは当然である。

東條英機氏等十四人の方々を「絞首刑」に処した戦勝國こそ「人道に対する罪」を犯したのである。同じ日本國民として東條氏を戦死者・殉難者として靖國神社に祀らねばならぬのである。それが日本人の道である。

小沢の最近の主張は、戰勝國が行った無法な「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定する議論であり、亡くなった人々を慰靈するというわが國の傳統倫理を否定する議論である。

昭和二十八年、わが國政府は当時の國會決議を踏まえて戦勝國即ちかつての敵國の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定し、その遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは國家意思と言っても良い。今になって「戦犯」は戦死者ではないから靖國神社に祭るのは間違っているなどと言う小沢一郎のの主張はまさしく歴史への冒瀆である。

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千駄木庵日乗一月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、月末の「日本の心を学ぶ会」と来月初めの「國體政治研究会」での講演の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識が少しあり、私が来たことを喜んでくれる。

帰宅後も、原稿執筆及び講演の準備。

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2011年1月28日 (金)

民主党政権はチンピラの政治ごっこに見える

民主党政権というのは、チンピラが集まって政治ゴッコをやっているように見える。しかし彼らは実際に国家権力を握っているのだから困る。安住淳とかいうチンピラは、防衛副大臣当時に自衛隊行事での民間人による政権批判を封じる事務次官通達を主導した。思想統制・言論弾圧を何の罪の意識もなくやってしまう。しかも彼はNHK出身であるにもかかわらずこういうことをした。権力を握ったことがうれしくて仕方がないのである。

安住だけではない、国会の中でファッションショーをやった蓮舫も、皇族に対し奉り不敬言動を行った中井洽も、政府与党の一員になったことで有頂天になったのだ。民主党政権はともかく質が悪いというか人材がいない。だから、与謝野を引き入れなければならなかったのだ。相当な高齢者を官房副長官にしなければならなかったのだ。参議院議長経験者を閣僚にしなければならなかったのだ。

もう一つ。週刊文春と週刊新潮に、大川隆法の離婚問題が報じられた。一夫多妻を主張し、離婚した妻を悪魔呼ばわりしているという。今までも新宗教・新新宗教の教祖にはおかしなのがいたが、大川隆法が一番ひどいのではないか。こういう人物を生き仏と信じ、金を捧げる人が数多くいるというのだからあきれ返ってしまう。

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『酒井抱一生誕250年 琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派―』展を見て

今日参観した『酒井抱一生誕250年 琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派―』展は、「桃山時代が終末する頃、その絢爛たる黄金文化を背景にして、優雅な琳派芸術が京に息吹をあげました。琳派の始祖と仰がれる本阿弥光悦や俵屋宗達らは、王朝時代の装飾美を豊かに翻案し、新時代の幕開けを告げる斬新な造形美を生み出しました。それは後世の京に生まれた尾形光琳や、江戸で活躍した酒井抱一らの新たな創造を促したのです。宗達が手懸けた金銀のきらびやかな装飾による和歌巻、扇面画、さらに大画面の草花金地屏風などを中心として、宗達が創始した華麗な装飾美と、奥行きある豊かな金地空間をご覧いただきます。琳派芸術の粋美の輝きを、どうぞご鑑賞ください。」(案内書)との趣旨で開催された。

「蓮下絵百人一首和歌断簡 本阿弥光悦」「紅白梅図屏風 伝尾形光琳」「太公望図屏風 尾形光琳」「禊図屏風 伝尾形光琳」「龍虎図 伝俵屋宗達」「白蓮図 酒井抱一」などを見る。

琳派は、桃山時代の俵屋宗達に始まり、尾形光琳・尾形乾山に引き継がれ、江戸時代後期の酒井抱一などに至る絵画・書・工芸にまたがる総合芸術である。大胆な構成と豊かな装飾性と色彩に満ちた芸術で、近代芸術にも大きな影響を与えた。徳川三百年の泰平といわれる時代に花開いた豪華絢爛たる美である。それまでの日本の美は、わび・さびの文化といわれるように、地味というか静寂さが主流であったが、琳派は新しい美の世界を開いたと言っていいと思う。色彩と生命力豊かな作品が多く伝尾形光琳の「紅白梅図屏風」という絵画や本阿弥光悦の書作品はその代表である。素晴らしい展覧会であった。

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千駄木庵日乗一月二十七日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。小生も、診察を受ける。採血・尿の採取をしてもらう。結果は二週間後とのこと。

午後は、丸の内の出光美術館にて開催中の「酒井抱一生誕250年 琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派―」展参観。

この後、日比谷にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆及び講演の準備。

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2011年1月27日 (木)

「皇位継承」に関する論議について思う

「皇位継承」の事柄について、激しい論争が行われている。実に心配である。天壌無窮の皇統が連綿として続くことを祈り念願する人々同士で、敵意と憎悪がむき出し(少なくとも私にはそう思える)の論争が行われている。

色々な文献や歴史的事実などに基づき、相手方の論議を否定し合っている。他の問題なら、あるいはこうした事も意味のあることかもしれない。しかし、事は國體の根幹・天皇国日本の永遠性に関わる「大事中の大事」である。普通一般の学問論争や政治論争とは全く異なる。

「素人」「ドーベルマン」「カルト」「学匪」などと罵り合うことは如何かと思う。それだけ自分の主張に確信があり、相手の主張が間違っていると信じるが故の「激語」なのであろうが、國體の根幹・皇室にかかわることは、もっともっと冷静に、そして何よりも慎み深く論じ合われるべきである。

私は自分のことを他人様に「感情的になるな」とか「もっと冷静に」などと説教を垂れることができる人間とはさらさら思っていない。私も「國體破壊」「天皇・皇室冒瀆」の主張や行動をする人物に対しては、激しくこれを糾弾してきた。

あってはならないことであるが、将来、「女系天皇」が御即位になった場合、「皇統は断絶した」として、「男系の天皇」を戴いた皇室が出来る可能性は絶無ではない。また、その逆もあり得る。これは南北朝の対立以上に深刻な事態である。私はこうした事態を最も恐れる。そうならないために、何とか正しい解決が実現されることを切に祈る。

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千駄木庵日乗一月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆及び講演の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆及び講演の準備。

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2011年1月26日 (水)

中井洽予算委員長留任は許し難い

中井洽の衆院予算委員長留任は許し難い。彼は議員を辞職すべきなのだ。自民党は肝心なことで民主党を攻撃できない。皇室に対し奉り不敬言動を行った中井洽の予算委員長留任を何故厳しく追及しないのか。自民党の国会対策委員長の携帯電話の件があるから攻撃できないのだろう。情けない話である。

民主党政権の防衛庁関係者に対する思想調査・言論抑圧は絶対に許せない。やはり民主党政権は社会主義政権なのだ。

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菅直人総理の「昭和天皇退位論」を批判する

菅直人総理は、平成十七年五月八日午前のフジテレビの『報道201』で、「日本自身が、日本の負ける戦争をやった責任を何一つ問はなかった。天皇陛下は退位された方が良かった。」「明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いてゐたから(昭和天皇に)直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだった。」と語った。

昭和十年代にわが國の行なった戦ひ即ち大東亜戦争は、決してわが國による一方的侵略ではなかった。わが國の自存自衛のために止むを得ずして進められた戦ひであり、日本だけが一方的に断罪されるべきではない。したがって、「天皇の戦争責任」なるものを問ふのは大きな誤りである。しかも「法的責任」「道義的責任」といふ言葉は聞いた事があるが、「象徴的責任」といふ言葉ははじめて聞いた。一体具体的にどういふことを意味してゐるのであらうか。

戦前も戦後もわが國の政体は、立憲君主制である。昭和天皇は戦前も戦後も、政体上は「立憲君主制における君主」として行動されてゐたのである。「天皇機関説」といふ一つの學説に従って行動されてゐたのではない。

昭和天皇は、大東亜戦争のいはゆる「戦争責任」をご自分一人で果たそうとされた。昭和天皇は、敗戦直後の昭和二十年八月二十九日午後十一時四十分、木戸幸一内大臣を呼んで次のやうに仰せになった。

「戦争責任者を連合國に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人が引き受けて退位でもして納めるわけにいかないだらうか」

すると木戸氏は「御退位を仰出さることは、皇室の基礎に動揺をまねき、その結果民主的國家組織(共和制)論を助成する恐れもある。十分慎重に相手方の出方を見て考究遊ばさるる要あるべし」と奉答した。 (児島襄氏著『天皇』第五巻および高橋紘氏『象徴天皇』)

この木戸氏の奉答は正しい。もし、昭和天皇が終戦直後に「戦争責任を果たす」といふ理由で退位された場合、國家と國民は寄る辺を失ひ、大変な混乱に陥ったであらう。

「昭和天皇退位論」は、わが國國民の民意にも反する主張である。当時のわが國民大多数の意志は、いはゆる「天皇制存続」正しくは「國體護持」であったし、「天皇退位」を望んでゐなかった。敗戦直後の昭和二十一年四月の『毎日新聞』の世論調査によると、「天皇制を認める」=八五%、「認めない」=一三%、「天皇は留位された方がよい」=六八・五%、「退位または皇太子に攘夷された方がよい」=一八・四パーセント、「退位されて天皇制を廃した方がいい」=一三・八パーセントであった。

まさに、「日本國民の自由に表明する意志」は、國體護持であり、昭和天皇のご留位であったのである。当時の日本國民が昭和天皇に全面的に責任があると考へ、天皇を憎悪していたなら「天皇退位」あるいは「國體廃絶」の世論が巻き起こったであらう。しかし、そのやうなことは起らなかった。

昭和天皇は責任を回避されたことなど一度もない。むしろ積極的に責任を果たすために、天皇の御位にとどまられたのである。そして「堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」その責任を果たされたのである。だからこそ、その後、昭和天皇は、國民大多数そして諸外國が仰慕され尊敬され続けたのである。「昭和天皇は戦争責任をとって退位されるべきであった」などといふ議論は、昭和天皇の御聖徳を否定し、戦後日本の復興を否定する妄論である。

昨日も書いたが、民主党政権になって、皇室に対する軽視や不当な干渉や不敬言動が目立つようになったのは、民主党の幹部・指導者の「國體・皇室」に対する根本的な考え方に問題があるからだ。これはまことに重大にして憂えるべき事柄である。民主党政権打倒が急務である。

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千駄木庵日乗一月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、資料検索及び原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識があり、回復してきていた。医師によると「予断は許さないが、峠は越えた」とのこと。まことにうれしい。父の生命力に感服する。そして医師の努力の感謝する。

帰宅後も、資料の検索及び原稿執筆の準備。

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2011年1月25日 (火)

政権政党・政治家による悪質なる公権力利用

北沢俊美防衛相直轄の防諜部隊「自衛隊情報保全隊」が陸上自衛隊OBの佐藤正久参院議員や田母神俊雄元航空幕僚長の講演に潜入し、現職自衛官の参加状況を監視していたという。由々しき問題である。先日の田母神氏宅窃盗事件もそいつらの仕業ではないかと勘繰りたくなる。

保全隊は外国情報機関によるスパイ活動などから自衛隊の保有情報を防護するのが主任務である。本来すべき仕事と違う仕事をしているのである。これは違法行為である。

自衛隊の調査機関のみならず、警察の警備公安部門も公安調査庁も、時の政権政党・政治家のために公権力を行使し国民の税金を使って、やるべき出来ない調査活動・しなくてもいい調査活動をしているのではないか。

読売新聞のドンといわれる人物を批判していた民族運動団体の責任者が、本来なら逮捕されるようなことではないのに、立件され、逮捕されたといわれている。これは当時の警視総監(故人)の命令によるという。読売新聞の「ドン」とその盟友といわれる元総理(元警察官僚)の力が背後にあったとされる。

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岡田克也民主党幹事長の「国歌君が代」論について

岡田克也民主党幹事長は、平成十五年十月中旬の日本テレビの『今日の出来事』という番組における安倍晋三自民党幹事長(当時)との対談で、国歌『君が代』について次のように述べた。

「私自身『君が代』というセリフを見るとやや違和感を感じる。それはそれで尊重して行かなければいけないわけだが、私はもう少し今の民主主義国家にふさわしい国歌があってもいいんじゃないかとすら思う」

これは重大なる発言である。民主党政権になって、皇室に対する軽視や不当な干渉や不敬言動が目立つようになったのは、民主党の幹部・指導者の「國體・皇室」に対する根本的な考え方に問題があるからだということがはっきり分かる。

「国歌君が代」が「民主主義国家にふさわしくない」ということは、「天皇を君主と仰ぐ日本國體」が民主主義に反すると主張しているのと同じである。「現行占領憲法」には、「天皇は国民統合の象徴」と規定されている。天皇の御代が永遠に続くことを祈るということは、即ち、天皇が象徴される日本国民が永遠に続くことを祈るということと同じである。私は、「現行占領憲法」を肯定するわけではさらさらないが、それでも「君が代」が、「現行占領憲法」のいわゆる「民主主義」なるものにふさわしくないなどということはあり得ない。

そもそも君主制と自由と民主主義が矛盾するとか違和感があるとかふさわしくないどと考えること自体、重大なる誤謬である。イギリス・デンマーク・オランダ・スペイン・ベルギーなどの君主国においてこそ、自由体制と民主主義が実現している。反対に君主制を打倒し「人民民主主義国家」なるものになった国、即ち旧ソ連(今のロシア)・共産支那・南北朝鮮・エチオピアなどにおいてこそ民主主義に反する独裁専制政治が行われているし、行われていた。

岡田氏の主張を突き詰めれば、岡田氏は、「現行占領憲法」の「象徴天皇制」すら否定することになる。菅直人総理が「国旗・国歌法案」に反対した事実と考え合わせれば、民主党政権は、「天皇を君主と仰ぐ自由国家日本」を否定あるいは変えようとしていると考えざるを得ない。こういう政権は一日も早く打倒しなければならない。

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千駄木庵日乗一月二十四日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師より現在の病状についていろいろ話を伺う。予断を許さぬ状態という。

帰途、谷中三崎坂下にて、友人と懇談。雨が少し降る。

帰宅後は、講演及び原稿執筆のための準備・資料検索など。

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2011年1月24日 (月)

自民党・民主党・警視庁の皇室軽視・国旗冒瀆を糾弾する

自民党が懲罰動議まで出した中井洽の予算委員長留任を認めるのは全くおかしなことである。中井を追及すると、「議会開設百二十年記念式典」の最中、自民党の逢沢一郎国会対策委員長の携帯電話の着信音が鳴り響いた失態を、民主党から追及されるからであろう。昨日も書いたが、政権政党たる民主党、野党第一党たる自民党に、皇室を敬う心が極めて希薄なのだ。厳しく糾弾しなければならない。

さらに、カレンダーや機動隊訓練で国旗を冒瀆した警視庁も何の反省の弁もなく、警視総監・交通部長・警備部長も責任をとっていない。戦前なら、懲戒免職である。この問題も厳しく糾弾しなければならない。

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維新運動は単なる排外運動ではない

昨日の会合で、大東塾の福永武氏と話し合った時、維新運動・愛国運動は、単なる排外運動ではないということで意見が一致した。最近の極めて厳しい内外の情勢下にあって、共産支那や北朝鮮そして国内の反日分子に対して果敢なる戦いを行うことは大切である。悪逆不逞の国賊・日本を侵略せんとする外敵とは徹底的に戦わねばならない。

ただし、その基本に尊皇敬神の心がなければならない。幕末期における西欧列強の日本侵略・植民地化に対する戦いも、「尊皇攘夷運動」と言われた如く、根底に尊皇精神・日本の伝統精神を置いた戦いであった。

やまと心・やまと魂・日本精神・民族主義・愛国主義の本義とは何か。やまと心とは戦闘的な精神であり行動であると共に、おほらかにして包容力のある心である。国難の時期に戦闘的な面が強調され表に出るのは当然である。しかしそれと共に、言向け和す心・包容する心も大切である。日本の伝統精神・神ながらの道による感化が行われなければならない。

愛国維新運動とは単なる排外運動ではないことを自覚すべきと考える。維新とは日本伝統精神による祖国の救済であり、世界の救済である。それが平成維新でありアジア維新であり世界維新である。

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中井洽の予算委員長続投を許すな

皇室に対する不敬言動を行った許し難き政治家・中井洽が、依然として衆議院予算委員長をしている。何ら反省の色がない。民主党は、中井洽を予算委員長から更迭すべきだ。自民党は民主党政権打倒を目指すのなら、何故、中井洽の不敬言動問題を追及しないのだ。自民党は前の国会で、中井洽の懲罰決議を提出した。懲罰に値することをしでかした人間が予算委員長を続投することを許すのか。

政府民主党も、野党第一党の自民党も、皇室に対するかしこみの心・尊敬の念が希薄だからこそ、中井の続投を認めるのだ。断じて許すべからざることである。

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千駄木庵日乗一月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年1月23日 (日)

池田維交流協会顧問の講演

一月十五日午後二時より、日本プレスセンターにて開催された『アジア問題懇話会』における池田維交流協会顧問(元交流協会台北事務所長)が「日台関係の課題と展望」と題する講演は次の通り。

「二〇〇八年まで三年八か月間台湾で勤務した。帰国後、三回台湾へ行った。国立台湾大学創立八十周年記念シンポに出席依頼があり台湾に行った。台湾大学の前身は台湾帝国大学である。一九二八年(昭和三年)秋に創立。五十年の日本統治時代は抹殺されず継続したものと扱われている。これが韓国・中国との違い。

日本の軍需工場で働いた台湾の少年工だった人々が来日した時に会った。零戦の組み立てをしていた人たち。日本の敗戦の後苦労されたから、日本への恨みつらみがあると思っていたがそうではなかった。約二十年前、台湾の民主化の後、『高座会』という会を作った。神奈川県の高座で寮生活を送った後、日本各地の工場に分かれて行った。選抜されたことら誇りを持っている。現在でも日本との交流がある。昨年五月にも来日した。その中の一人が宜蘭出身で、現在小学校のPTA会長をしておられる。その小学校は日本の台湾統治開始から五年目の一九〇〇年に創立した。創立記念行事をやると言っておられたことに感銘した。

二〇〇七年に台北と宜蘭を結ぶ高速鉄道が開通した。日本から新幹線を輸出した。開通式の日取りは、百年前の南北鉄道が開通した日を選んだ。国民党が政権を奪還した後も日本との関係の継続性はある。しかし、こうしたことは台湾が民主化して可能になった。一九八七年の戒厳令解除まではそういうことはなかった。

台湾人が一番好きな国は日本。海外留学先も二〇〇七年にアメリカを抜いて日本が一番になった。しかし全ての台湾人が日本のことを好きだと言っているわけではない。交流協会の前で反日デモをする人がいる。

台湾から日本に来る人は年間百万人以上。二千三百万人の人口のうち百万人が来日する。台湾は日本の貿易相手国の第四位。日本は台湾の貿易相手国の二位。

一九九七年から中学校社会科教科書に使われ出した『認識台湾』は、過去の日台関係をバランスよく書いている。五十年間の日本の台湾統治が現在の台湾発展の基礎と書いてある。

李登輝さんは尖閣問題について『中国が尖閣の領有権を主張するのは、きれいな女性が歩いていると隣の家の奥さんでも自分の物だと言うのと同じ。』と言った。日本は、日米同盟を強固にすると同時に、実効支配をしっかりとしたものにし、日本自身が領土を守る決意を見せるべし。

故宮博物院の展覧会を日本で行うと、在日中国人が自分の国の物だという訴訟を起こす危険あり。

中国は『第一列島線で囲まれている』と言う。中国はそれを突破したい。台湾の東側の深海は中国の潜水艦が自由に動くのに便利。

民主化した台湾を大事にしなければならない。馬英九の対中国政策に変化の動きあり。急速な中国接近は、台湾人の多くが現状維持を望んでいるので、総統選に悪影響を与える。

最近台湾を訪問した自衛隊OBに台湾軍のOBが『中国は台湾にとって敵だ』と言ったという。台湾としては日米に頼りたいが、両国とも中国に気を使ってやってくれないと思っている。『周辺事態法』を見直して、米軍が台湾を支援するなら、日本の支援できるようにすべし。」と語った。

              ◎

高座会とは

大東亜戦争末期、優秀な労働力を台湾に求め、小学校六年か高等科を卒業した人に、働きながら勉強すれば、旧制中学の卒業資格を与えると約束した。多くの台湾少年が競って応募し、厳しい採用試験を突破して、当時の内地へ渡った。配属先は現在の神奈川県座間市にあった高座海軍工廠で、宿舎が今の大和市上草柳にあった。仕事はB29を迎撃する新鋭戦闘機「雷電」の製造でした。彼らは懸命に働き高い評価を得た。終戦となり志半ばで台湾へ帰った。その人々の同窓組織である台湾高座会が、高座の地を『第二の故郷』と呼んで里帰りしたのは、平成五年六月九日で、実に五十年ぶりであった。里帰りした元台湾少年工千三百名、歓迎する日本人千八百名、双方で三千百名を超える大集会となったという。

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千駄木庵日乗一月二十二日

午前は、母のお世話。

この後、「政治文化情報」発送作業・発送完了。読者の皆様には月曜日にはお届けできると思います。

午後四時より、青山の大東会館にて、「時局戦略懇話会総会」開催。全員で当面する諸課題について討議。その後、新年懇親会。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年1月22日 (土)

今日思ったこと

自慢には全くならない話であるが、私は経済問題にうとい。十年近く前のことだが、ある国会議員と話していて、「金融三法案」がどうのこうのということが話題になった。私が「金融三法案って何ですか」と質問したら、大声で笑われてしまった。

二年近く前のことだが、近所の居酒屋で、隣の席の人が、「リーマンショック以来景気がますます悪くなって困る」と言った。私が「リーマンショックって何ですか」と言ったら、困った顔をして話題を変えられてしまった。

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」という諺があるが、聞いても教えてくれないのは困る。あまりにも常識的なことなので、あきれて果ててしまったのでありましょう。

              ◎

カリスマ性という言葉がある。一国の指導者たる政治家や宗教家には必要なものであろう。「人々の心を引きつけるような強い魅力」という意味だそうだが、私がこれまで会った人々でカリスマ性を感じた人は、谷口雅春・五井昌久・小谷喜美という宗教家の方々だ。谷口先生や五井先生には何回もお目にかかった。小谷喜美霊友会会長には一回しかお目にかかったことはない。小谷喜美氏の場合、お目にかかったというよりも、大きな会合でお話を聞いたのだが、登壇してきた時から、言うに言えない雰囲気を醸し出した。女性であるが、相当の威圧感というか凄さを感じた。

今まで会った政治家にはそういう人はいない。佐藤栄作・田中角栄という総理経験者にも集会の控室などでお見かけしたことがあるが、カリスマ性を感じなかった。ただし、佐藤氏の眼光は相当鋭いものがあった。

会ったことも見たこともないが、池田大作氏はどういう人なのであろうか。やはり相当なカリスマ性があるのであろう。矢野絢也氏の本にもそういうことが書かれてある。創価学会は、池田氏の指導力・カリスマ性で持ちこたえてきた部分がかなりあると思う。今後の動向が注目される。

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千駄木庵日乗一月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がった。よく眠っている。

夕刻、日暮里駅前の蕎麦屋で知人と懇談。このお蕎麦屋さんのつまみがとてもおいしい。日蓮宗の坊さんが太鼓を鳴らし題目を唱え行進していた。谷中ならではの光景。谷中寺町には日蓮宗の寺が多い。徳川幕府の政策であっただろう。

帰宅後は、書状執筆。

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2011年1月21日 (金)

呉春宜氏の講演について

一月十四日内幸町の日本記者クラブにて開催された「マスコミ総合研究所研究会」において台湾国立高雄第一科技大学教授・呉春宜氏が「辛亥革命と中華民国」と題して講演し、次のように語った。

「孫文は四十年間革命運動を行ってきたが、そのうち三十年間は日本と関わってきた。『中山』という号は、日比谷にあった中山忠能(ただやす・明治天皇の外祖父にあたられる。幕末から明治にかけての公家。明治維新で活躍)の屋敷前を通り、表札を見て『中山』と号した。

中国革命に命を捧げた一人の日本人がいる。山田良政である。弘前出身。東亜同文書院教授の頃に孫文と知り合った。孫文の革命の志に共鳴。山田先生は明治三十三年九月二二日恵州蜂起に参加し戦死した。三三歳であった。

六百万人の満州族が四億人の全中国人を支配していた。漢民族はかなり不満だった。西欧列強が入ってきた。日露戦争の日本の勝利はアジア人民に独立の希望を与えた。一九〇五(明治三八年)に中国革命同盟会を結成。汪兆銘は法政大学に留学した。中国革命同盟会機関紙『民報』の編集に携わった。当時、二、三万人が清から日本に留学していた。頭山満・宮崎滔天らの支援を受けて、日本を基地にして革命運動を行った。

宮崎滔天は政界の陰の実力者秋山定輔を動かして桂太郎首相に孫文との協力を説いた。一九一三年(大正二年)二月、孫文は国賓として来日し、桂首相と語り合った。『新支那の建設は孫文にまかせる。日本は孫文の新政権を支援し、日支協力して、満洲を共同開発する、日支協力してダーダネルス海峡以東のアジア民族の自立達成に助力する、などの密約を交わした。しかし、桂太郎はまもなく急死し、孫文も袁世凱にその地位を奪われて、失脚した。日支提携密約は実現しなかった。

一九三一年(昭和六年)満州事変が起こった。梅谷庄吉は蒋介石との和平工作を行ったが、憲兵隊からスパイ容疑をかけられた。

大アジア主義は多義的。欧米に対抗する運動の総称と説明される。明治中期に興亜論・中国朝鮮との関係論から始まり、アジアの革命勢力との協力・大東亜共栄圏へとつながる。

一九二四年十二月二十八日、神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体におこなった講演で『貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります。』と語った。仁義は王道であり、功利は覇道である。仁義道徳が大アジア主義の根本。人種を問わず圧迫被圧迫に重点を置く。アジア各民族が大同団結する。日本はアジアを独占しようとした。西洋の代わりに日本がやってくことへの支持は得られなかった。二十一カ条の要求・山東出兵・満州建国・日中戦争が続いた。国益追求で推し進められたことが逆に日本を不幸にした。孫文の言った言葉が一世紀たって示唆を与える。日本と欧米列強の利権争いになった。

中国は共和制の国家になって漢・満・蒙・回(イスラム系諸民族)・蔵(チベット民族)の五族の独立は自然に消滅した。万里の長城以北は中国の領域に入っていなかった。桂太郎との密約はそれに基づいていた。」と語った。

            ◎

千駄木庵主人曰く。「日本の対支那政策・アジア政策に間違いは全くなかったとは言わないが、日本のやったことはすべて西洋覇道精神であり侵略であったという主張は全く受け入れられない。「中国は共和制になったから五族独立は消滅した」などという主張には思わず吹き出してしまう。一体何時支那が共和制の国家になったのか。また共和制になったら民族独立は消滅するなどという議論は初めて聞いた。これは漢民族の他民族支配搾取を正当化する論理である。孫文の言った言葉が一世紀たって示唆を与えると言われたが、まさに今日アジアで覇道精神を実践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行っているのは共産支那である。さらに、五族共和どころか各民族を抑圧しているのは漢民族である。今日の共産支那には仁義も道徳もありはしない。

小田村四郎先生が「大アジア主義は思想としては成り立つが、外交としては成り立たない」と言われた。その通りと思う。

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菅直人の反転攻勢とやらについて

反転攻勢と言われているが、菅さんは焦っているようである。反小沢を表看板にして、小沢を失脚せしめ、あとはどことでも手を結んで、政権を維持していきたいのであろう。果たしてうまくいくかどうか。鳩山由紀夫も敵に回すようだ。昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵ということであろう。トロイカ体制は崩壊した。もともと民主党はバラバラなのだから仕方がない。

菅直人・小沢一郎・仙谷由人・横路孝弘という政治家の国家観・歴史観・國體観に根本的に問題がある。自民党が真に保守政党として再生し政権を奪回したいなら、国家基本問題できちんと民主党に攻勢を強めなければ駄目なのである。谷垣・石原では心許無い。

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千駄木庵日乗一月二十日

午前は、母のお世話。介護マネージャーの方と相談。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱が出ていた。額と背中に手をあてて平癒を祈る。少し楽になったようですやすやと寝てくれた。有難し。

帰途、動坂下の焼鳥屋さんで一杯。

帰宅後は、原稿執筆。

             ◎

衆議院事務局秘書課から、小生と木村氏とで出した「要望書」に関する手紙が来た。なんとも官僚的というかお役所的な文面であった。横路衆院議長は「革新政党・日本社会党」出身政治家である。あきれてしまう。

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2011年1月20日 (木)

西岡武夫参議院議長及び衆議院事務局秘書課よりの回答

西岡武夫参議院議長よりの回答

「お手紙にお答えします。開会式の時、イギリスの議会みたいに、両院全部集まると席がないのです。それで席がちゃんとそろった上であれば、誰が欠席しているんだということになるのですけれども、もともと席が足りないので、それが言えないのです。こういう説もあったのです。衆議院と参議院とで総理の施政方針演説や所信表明演説を同じことを二回やるわけです。これも一緒にやったらどうかという話もあるんですが、衆議院も参議院の同じ広さなんです。参議院は二百四十二名だから、空いている席が沢山あるんです。いかにも欠席しているように見えるんです。衆議院は四百八十人なんです。私が初当選した頃は、四百七十何名で、その後、沖縄が復帰しまして、その議席が増えたんです。とても参議院議場に全員入り切れないのです。そんな状況で、出欠がとれない。とろうとすればとれるんですけど、不公平になりますから。」

衆議院事務局秘書課よりの回答

「この度の横路衆議院議長宛のご意見等につきましては、確かに拝受いたしまた。議長からの回答につきましては、請願、陳情及び地方議会からの意見書に対しても行っておりませんのでご了承願います。

衆議院の活動に係るお問い合わせにつきましては、衆議院事務局広報課を窓口に対応しておりますので衆議院ホームページとともにご利用いただけますと幸いです。」

        ◎

西岡武夫参院議長は自ら電話で回答してきた。横路孝弘衆院議長は秘書課から上掲のような手紙が来た。この対応の違いは実に大きい。二人の政治家の姿勢の違いがはっきりわかる。西岡氏は親子二代にわたる保守政治家であり、横路氏は親子二代にわたるいわゆる「革新」政治家である。国民に対する姿勢は、西岡氏は誠意あるものであるが、横路氏は官僚的と言うか責任回避とも思える姿勢である。

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菅直人総理の國體観・憲法論

菅直人総理は『文藝春秋』平成十一年七月号の「第九条は覚悟なくして変えられない」と題するインタビュー記事で「(現行憲法で日本人がどのようにあるべきかを示しているのは)国民主権です。残念ながら、それが日本人に浸透していない。」「戦前には天皇制を中心とした國體護持ということがあり、そのためには一億玉砕もありうるという考え方のなかには、私の言う『国民と国民が構成する政府』とは違う国家があった。」「国民主権国家のことを、たとえ話で私がよく言うのは『水戸黄門』ではなくて『七人の侍』です。立派な人にお任せしようではなく、自分たちを守るために…自分たちで判断して、自分たちでリスクを負うことです。」と論じている。

菅直人総理の國體観・天皇観・国家観が端的に表明されている。これを読むと、菅直人氏は窮極的には、「国民主権国家には、天皇はいらない」と考えている判断せざるを得ない。

「國民主権論」は、西洋の「市民革命」より生まれたところの君主と國民の対立闘争概念に基づく思想である。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない「君民一體の信仰共同體」たるわが國の國柄とは絶対相容れない國體破壊につながる思想である。

わが國は「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」である。西洋國家論で言うところの契約國家・権力國家ではない。「國家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同体國家日本には全くそぐわない。わが國には西洋的主権論はあてはまらない。

ゆえに「国民主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定すること自體、大きな誤りであり國體を隠蔽し破壊につながる。天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体國家日本の成文憲法に「國民主権」を記す必要は全くない。

日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている「現行憲法」が長く続けば続くほど、「国民と国家の自立」は損なわれ、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。「思想の自由」は保障されなければならないが、天皇國日本の國體破壊につながる思想は、速やかに捨て去るべきである。

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千駄木庵日乗一月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京国立博物館で開催中の「本館リニューアル記念特別公開」展参観。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

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東京国立博物館表慶館

この建物は、明治四一年十月、皇太子殿下・嘉仁親王(のちの大正天皇)のご成婚を奉祝して建てられた。明治末期の洋風建築を代表する建物と承る。

今日参観した「本館リニューアル記念特別公開」は、「本館のリニューアルを記念して所蔵作品の中から選りすぐりの名品を公開します」(案内書)との趣旨で開催された。

国宝 秋冬山水図 (雪舟等楊筆 室町時代) 国宝 古今和歌集(元永本) (平安時代) 重要文化財 熊野懷紙(飛鳥井雅経筆) 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏ほか(葛飾北斎筆 江戸時代)  国宝 舟橋蒔絵硯箱(本阿弥光悦作 江戸時代)などを見る。残念なことに、重要文化財 風神雷神図屏風(尾形光琳筆 江戸時代)は残念なことに展示期間が過ぎていてみることができなかった。このほかにも、仏像・刀剣・武具・絵画など貴重な作品を見ることができた。日本刀と鎧が展示されていた。本当に美しかった。武器・武具をこれほどこれほど美しいものにしている国はそんなに多くはあるまい。日本文化の高度さを証明すると思う。

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2011年1月19日 (水)

政治家の質の低下について

多くの人が批判しているからあらためて書くこともないかもしれないが、今回の与謝野氏の入閣はやはりおかしい。入閣する方もする方だか、入閣させた菅総理もおかしい。政治家というのは一体どういう神経をしているのか。昨日までの仇敵の政党が組織する内閣に平然と入閣する。その心根がわからない。与謝野氏は、鳩山氏を「平成の脱税王」とまで言って糾弾した。その鳩山氏は民主党を離党したわけではない。また、与謝野氏の本を読んでいないからよく知らないが、民主党の政策を散々こきおろしていた。日本を滅ぼすようなことまで言っていた。その民主党内閣に入閣するというのだから、あきれてしまう。よほど大臣になりたいのだと言うほかはない。自分の政策を実現したいという気持ちもあるのだろうが…。

「昨日の敵は今日の友」という言葉があるが、変節を讃えた言葉ではない。敵として戦った相手でも、戦いが終われば、友として助け合うというほどの意味であろう。与謝野氏の場合は明らかに変節である。

政治家の質の低下は本当に憂えるべきものがある。そうした中で、西岡武夫参院議長が、自ら私の家に電話をかけてきて、小生と木村三浩氏が出した「要望書」への回答を行ったのは、誠意ある態度であると思った。横路衆院議長からの回答はまだない。

天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ行われる国会開会式などの式典は、玉座のある参議院本会議場で行われる。ところが、衆参両院議員全員が参列すると席数が足りないという。だから出欠はとれないとのことであった。しかし、国会にはたくさんの委員会室や会議室がある。そこにテレビ中継してもいいと思う。やはり、日本国の君主であらせられる天皇陛下がご臨席になるのであるから、衆参両院の全議員が参列するべきである。参列者が半数というのは余りにもひどい。

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千駄木庵日乗一月十八日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父の付き添う。咳きこんで苦しそうだったので、体をさすってあげる。看護師に処置を頼む。大勢の患者がいるので、なかなか大変なのだろうが、息子にとってはたった一人の父である。しっかりしやってくれなければと思う。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備。

ともかく日日忙しい。

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2011年1月18日 (火)

衆参両院議長への「要望書」

本誌購読者の稻垣直氏から頂いたお手紙に次のやうなことが書かれてゐた。

「中井代議士の不敬事件に憤激して積極的な行動に出て居られる様ですが、小生は、『遂に来たか』の感想を先づ持ちました。そして單に中井議員個人の言動よりも、両陛下のお出ましに対して、議員全体の半ばが欠席して居ると云ふ状態の方に注目して居ます。総員結集して奉迎申し上げる可き處ではないか。」

その通りである。衆参両院は、昨年十一月二十九日に、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ参議院本會議場で行はれた「議會開設百二十年記念式典」に欠席した議員の名前を公表するべきと考へる。我々國民には、そのことを知る権利がある。そこで、木村三浩一水會代表と共に、衆参両院議長に対して、次のやうな「要望書」を提出した。

             ◎

「 衆参両院議長への要望書

謹啓 時下益々ご清祥にて、公務にご精励のことと拝察申し上げます。

小沢一郎議員や中井洽議員の問題に見られるように、最近、衆参両院議員の皇室に対する尊崇の念の希薄化はまことに憂えるべき状況にあると存じます。

衆参両院は、昨年十一月二十九日に、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、参議院本會議場において、「議會開設百二十年記念式典」を執行致しました。ところが、日本國の君主であらせられ、元首であらせられる天皇陛下にわざわざご臨席頂いたにもかかわらず、この式典に半数近くの衆参両院議員が欠席したと傳えられております。これは實に以て遺憾千萬なことであります。

『現行憲法』においても、天皇陛下は「日本國の象徴」「日本國民統合の象徴」と仰がれています。天皇陛下及び皇室への尊崇は、國家存立の基本であります。「國権の最高機関」とされる衆参両院において、天皇陛下及び皇室への尊崇の念が希薄化している状況は即刻是正されるべきであります。

そこで、衆参両院は、欠席した議員の名前を公表するべきと考えます。また、これまで、天皇陛下のご臨席を仰いで行われた「國會開會式」における衆参両院議員の出欠状況も公表すべきであると考えます。我々國民には、そのことを知る権利があります。

貴職におかれましては、可及的速やかに「議會開設百二十年記念式典」及びこれまで行われた「國會開會式」の衆参両院議員の出欠状況を公表されるよう、強く要望致します。

               謹白

平成二十三年一月十一日

   四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

   一水會代表       木村三浩」

         

              ◎

この要望書に対して、本日、西岡武夫参院議長ご本人から電話で回答があった。

「国会の開会式などの式典は、参議院の議場で行われる。衆参両院議員全員が参列すると、議席数が足りなくなるので、全員の参加は不可能である。したがって、欠席者の数やその氏名を公表することは不公平になるので行っていない」という趣旨の回答があった。

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千駄木庵日乗一月十七日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、資料の整理。

西岡武夫参院議長より電話があり、先日、木村三浩一水会代表と共に提出した要望書に対する回答があった。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年1月17日 (月)

池田大作・小沢一郎両氏について

日本という国は、長い間池田大作氏と小沢一郎氏の二人に引きずりまわされていたと言うと少し大袈裟かもしれないが、この二人の影響力というのは大きなものであった。私は、長い間この二人を批判し続けてきた。これは正しかったと信じている。池田氏は高齢化のためか、最近は、表面に出て来なくなっている。小沢氏は、政治資金問題などで現在窮地に立たされている。

ある大先輩から、「人間所詮好きか嫌いかだ」という言葉を聞かされたことがある。私は、池田・小沢の二人が嫌いである。大嫌いである。

池田大作氏が創価学会会長に就任した直後の演説で「西の天理教、東の立正佼成会に猛然と襲いかかっていきたい」と叫んだことを当時の『聖教新聞』で読んで、こんな人物・こんな宗教が巨大化していくことに大きな不安を覚えた。それ以来、池田氏に対して批判的になった。以後、池田氏は、他の宗教団体のみならず、身内と言って良い日蓮正宗に対しても、悪辣な手段を用いて攻撃迫害を行い、さらには、自分の意向に反した幹部たちにも筆舌に尽くし難い迫害を行った。

小沢一郎氏に対しては、鈴木都知事引き摺り下しのやり方、そして総裁候補だった宮沢喜一氏を事務所に呼びつけて面接したのを見て、年齢も政治経歴も大先輩に対してひどい仕打ちをするものだと思った。こんな男が政治権力を握ることに不安を覚えた。また、自分がコンチクショーと言われるまでに、政財官の癒着政治の中枢にいたくせに、旧田中派・経世會を牛耳れなくなった途端、「政治改革」などときれいごとを言って自民党を飛び出したことに大きな不信感を抱いた。許すべからざる男だと思った。

池田・小沢両氏に対する私の不安は的中し、この二人は、排他的・独善的な手法で、権力を握り、好き勝手なことをしてきた。その結果、日本が良くなったのならいい。しかし決してそうはならなかった。池田・小沢の両名は、日本をおかしな方向に引っ張ってきた。私の今日の日本の劣化は、この二人の責任が大きいと思っている。

池田・小沢両氏に共通するのは、憎悪の深さ、怨念のすさまじさ、排他独善性、目的のためには手段を選ばぬ悪辣さである。自分に批判的な人を排除し、迫害する。また自分に批判的ではなく、むしろ尽くしてくれた人も平気で使い捨てる。そういう人間性も共通している。

ともかく、この二人の影響力がなくなることによって日本が良くなると信じている。

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千駄木庵日乗一月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。今日もよく眠っていた。

帰宅後は、資料の整理。

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2011年1月16日 (日)

奥野誠亮先生について

今日の『アジア問題懇話会』に奥野誠亮先生が出席され、質疑応答の時、お元気に発言されていた。奥野先生は大正二年七月のお生まれで、今年の七月で九十九歳になられる。驚異的と言っていいほどお元気で、本日も、的確なご質問をされ、かつ、自説を滔々と語られた。まことに素晴しいことである。真正保守の立場に立たれる方で、靖国神社・歴史問題・外交問題・憲法問題などで、正論を吐露され続けた方である。

旧内務官僚で、後藤田正晴氏の一期先輩にあたられる。戦前は、鹿児島県警特高課長を務められ、戦後は、自治官僚として活躍、事務次官を退任された後、衆院議員となられ、法務大臣・文部大臣・国土庁長官などを歴任された。

以前から、ご厚誼をいただいている。本来なら、衆院議長になられるべき方であった。平成五年に衆議院議長候補に推されたが、細川連立政権であったので、土井たか子に敗れてしまわれた。

平成十九年の八月十五日、奥野先生が、お一人で炎天下、靖国神社に参拝しておられる姿を拝見した事がある。その時に次のような歌を詠んだ。

「炎天下 靖國の宮に 出會ひたる 老政治家の 姿忘れず」

自民党の会議で、野中広務氏が、創始改名について「日本の強制であった」という発言をしたので、実際に創始改名の実施の実務に携わった奥野氏が「朝鮮人の希望によったものだ」とたしなめたという。野中氏はそそくさと退席してしまったという。

今の日本の政治家には、奥野先生のような国士は少なくなった。日本古代の歴史が息づく奈良県御所市のご出身である。一層のご活躍とご長寿を祈る。

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千駄木庵日乗一月十五日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後二時より、日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。池田維交流協会顧問(元交流協会台北事務所長)が「日台関係の課題と展望」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。講演内容は後日あらためて報告します。

この後、日本記者クラブにて、伊波新之助元朝日新聞編集委員と懇談。禅と日本文化・神仏分離のことなどを語り合う。

午後六時より、千駄木にて、同じマンションに住む人々との新年会開催。初めての試み。マンション住民の横のつながりは大事。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年1月15日 (土)

今日購入した三冊の書籍について

今日行われた「マスコミ総合研究所」の新年会でお目にかかった小田村四郎先生より、『別冊・正論・皇統をめぐる議論の真贋』(産経新聞社)がなかなか良いというお勧めを頂いたので、早速プレスセンターの書店で購入した。八木秀次・新田均・竹田恒泰・小堀桂一郎・高森明勅氏などの論考が掲載されている。新田均氏による小林よしのり氏の『新天皇論』への反論が一番長い論文である。

皇位継承は、國體の根幹にかかわる極めて重要な事柄である。國體護持・天皇尊崇の立場にある人同士の論議は、つとめて冷静にそして礼儀正しいものであるべきである。最近のこのことに関する論議が敵意むき出しの文字通りの論争になっているのは実に憂えるべきことである。

皇統断絶とは、天皇国日本の破滅と同意義である。吉田松陰先生の言われたとおり、「天壌無窮」の御神勅を疑ってはならない。そのような事が起こり得るはずがない。またそのようなことを軽々しく口にすべきではない。神武天皇以来の男系継承の伝統は、できる得る限り守られるべきである。しかし、もしも万一、男系継承が不可能となり、女系天皇が御即位あそばされても皇統断絶ではないと信ずる。新田氏もそのようなお考えのようである。

もう一冊、矢野絢也と島田裕巳氏の対談『創価学会―もう一つの日本』(講談社)という本も購入した。創価学会の本質と歴史そして今後の動向について詳しく論じられている。池田大作氏を絶対的存在として崇め奉り、その独裁権力によって運営されてきた創価学会は、池田氏の高齢化によって今後どうなっていくか。日蓮正宗との関係が断絶しただけでなく、敵対関係になっているだけに、池田氏の影響力が弱まった後創価学会の求心力は何によって維持されるのか。日本最大の新宗教創価学会の今後の動向は注目される。

もう一冊、『天皇の歴史第一巻・神話から歴史へ』という本も購入した。全十巻になる予定で、是非全巻購入し、勉強したいと思っている。

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千駄木庵日乗一月十四日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本記者クラブにて、「マスコミ総合研究所研究会」開催。阿部穆氏が司会。台湾国立高雄第一科技大学教授・呉春宜が「辛亥革命と中華民国」と題して講演。質疑応答。続いて、新年会。講師の方には甚だ失礼であるが、予想していたより興味深いお話であった。孫文は死の直前に神戸で行った講演で「日本は西洋覇道の道を行くか、東洋王道の道を行くか」と呼びかけたというが、今日唯今、共産支那が覇道路線を推し進め、東洋侵略支配の野望をたくましくしている。今日の講演内容は後日あらためて報告させていただく。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はよく眠っていた。

千駄木に戻り、和食屋で地元の眼科医の方などと懇談。医療問題について語り合う。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

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2011年1月14日 (金)

健康診断を受けて思ったこと

個人的なことであるが、今日の健康診断では心電図も血圧も特に異常はなかった。しかし、太り過ぎは何とかしなければならないとのことである。約二十キロ多いという。医師は、夜の食事の量をできるだけ少なくするべしと言う。私の最大の楽しみは、夜、一杯やりながら、おいしいものを食べることである。これが最大の楽しみであり、安らぎでもある。この楽しみを無くすことは全く不可能に近い。この楽しみを無くすことは生甲斐を無くすことでもある。肥満を治すよりも楽しみを続けること方が良い。これが現在の偽らざる心境である。しかし、次回の往診で糖尿の検査をしてもらうことになっている。その結果がどう出るかが問題である。

食事・読書・音楽鑑賞が私の人生における三つの楽しみである。それに、歴史探訪・美術館・博物館見学も好きである。だから、比較的よく歩く方である。これからも、これは熱心に続けたいと思う。

以前は、カラオケで熱唱するのが大きな楽しみであった。しかし、今はあまりやらない。父が病院で苦しんでいることを考えると、大きな声で歌を歌うことができないのである。歌っても楽しくない。

私の好きな歌手は、田端義夫・渡辺はま子・田谷力三・三波春夫氏などである。田端氏以外は他界されてしまった。子供の頃から好きだった役者もほとんど今はいなくなった。嵐寛寿郎・上田吉二郎・島田正吾・辰巳柳太郎・渥美清氏などである。これらの人々の当たり役のセリフはよく覚えている。女優では、千石規子・山田五十鈴のファンである。

健康の話からそれてしまったが、ともかく、これからも無理をせず地道に歩んでいきたいと思う。

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千駄木庵日乗一月十三日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。小生も診察を受ける。心電図・血圧を測ってもらう。特に異状なしとのこと。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。詳しくは書けないが、つらそうなので心が痛む。

帰宅後も、原稿執筆。木村三浩氏と電話で打ち合わせ。

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2011年1月13日 (木)

昭和天皇御製碑と警視庁

昭和天皇の御製碑は、全国各地に建てられている。鈴木正男先生の著書「昭和天皇のおほみうた」にその一覧表が掲載されている。それによると、官庁の敷地内に、その官庁のことを詠ませられた御製碑が建てられているのは、東京千代田区の警視庁のみである。

警視庁正面玄関には、昭和天皇が昭和五十六年一月十七日に「警視庁新館を見て」と題されて詠ませられた

「新しき 館を見つつ 警察の 世をまもるための いたつきを思ふ」

といふ御製碑が建てられている。

昭和天皇のおかせられては、治安を守る警視庁及び警察官の労苦を嘉せられ、この御製を歌はれたと拝する。しかるに、その警視庁機動隊の「暦」及び「暴走族取締り訓練」において「国旗冒瀆」の問題が起こっている。まことに由々しき事態と言わなければならない。

日本国の君主であらせられる天皇陛下対するかしこみの心そして日本国の国旗に対するに対する畏敬の念のない権力者及び権力機構は、警察に限らず、慎みのない横暴な権力行使をする。事実、最近そういう事象が頻発している。皇室を侮辱した中井洽・小沢一郎という権力者の言動はその典型である。

国旗は、太陽をかたどっている。天照大御神は皇室の御祖先神であらせられると共に太陽神であらせられる。国旗を侮辱することは、すなはち、皇室を侮辱することであり、祖国を侮辱することだ。

政府与党の実力者・小沢一郎及びついこの間まで国家公安委員長をしていた中井洽が、皇室を冒瀆し、首都の治安を守る権力機関たる警視庁が、国旗を冒瀆したのである。まさに日本国は危機に瀕している。

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千駄木庵日乗一月十二日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、中皇命(なかつすめらみこと)及び額田王の御歌を講義。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2011年1月12日 (水)

今日思ったこと

後任の官房長官は、小沢一郎氏ではどうだろうか。あんな実力者が一兵卒なのはあまりにも気の毒だ。悪と馬鹿で内閣を運営することなるが、どうせ短命内閣なのだから良いではないか。官邸内で、二人でデスマッチをすることになる。希望的観測も含めて小生の意見を申し述べた。

自民党もだらしなかったが、民主党にこれほど政権担当能力がなかったとは思わなかった。

NHKの後任会長は、小林よしのり氏か三宅久之氏か櫻井よし子さんが良いと思う。乗り込んで行って手厳しく偏向報道是正をしてもらいたい。

西岡参院議長は、とても個性の強い人である。別の言葉でいえば相当変人である。小沢一郎寄りなのが気になるが、仙谷官房長官辞任要求は正しい。しかしこれほど政局問題で色々発言する参院議長も珍しい。民主党もエライ人物を議長にしたものである。今更替えるわけにもいくまい。

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千駄木庵日乗一月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の「萬葉古代史研究会」における講義の準備。額王女の御歌を講義する予定。

あるところへ、木村三浩氏と連名で「要望書」送付。後日発表します。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、講義の準備。

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2011年1月11日 (火)

「現行占領憲法」の根本的欠陥

三島由紀夫氏は、天皇のご本質について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じてゐる。

『現行占領憲法』の「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」といふ規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。そして、天皇・皇室は政治権力者・官僚の「操り人形」になる危険がある。現実にさうなりつつある。小沢一郎や中井洽のような政治家が出現するのは、『現行占領憲法』の「天皇条項」がその原因である。

天皇は、空間的に日本国民を統合し結合される御存在であるのは、時間的・伝統的に、日本の伝統を継承され、体現されるご存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐない。天皇の空間的統一性は表現されてゐるが、時間的連続性が表現されてゐない。

祭祀主としての伝統的な天皇のご資格・ご使命が正しく憲法に規定されなければならない。『大日本帝国憲法』の「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」との規定は、天皇が日本国の「空間的統一性」と「時間的連続性」を正しく表現してゐた。

日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策にのっとった『現行占領憲法』は、否定されなければならない。そして、『記紀』『萬葉』以来の國體精神の伝統を復元し護持する事が最も大切である。

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千駄木庵日乗一月十日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。そして、古賀俊昭都議及び木村三浩一水会代表と、電話で打ち合わせ。

午後からは在宅して「政治文化情報」の原稿執筆。

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2011年1月10日 (月)

大給坂のことなど

私の住む文京区には坂が多い。私の住む街は昔、駒込坂下町と言っていた。団子坂・大給坂・狸坂という三つの坂の下にある街である。

私は、大給坂の下で育った。この坂の上に大給家という大名屋敷があった。大給氏は、戦国時代に三河国(愛知県)加茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)三河西尾に移封された一族である。明治以後子爵になった。詳しくは分らないが、大給松平氏は、徳川家康の本家筋に当たる家系で、江戸時代は譜代大名で、歴代の藩主は、老中・大阪城代・寺社奉行などを務めた。最後の藩主・大給恒は、幕府の老中・陸軍総裁をしていたが、戊辰戦争ではいち早く官軍についたので、明治以後も顕職につくことができ、賞勲局総裁・枢密顧問官などを務めた。大給恒

戦後になってからだと思うが、華族は生活が厳しくなり、屋敷の半分以上を三木証券の社長に売った。その三木証券社長の令嬢が大平正芳氏と結婚したので、大平氏がその屋敷に住んでいた。大平氏が官房長官をしていた頃までそこにいたが、のちに世田谷に引っ越した。私が小学校や中学校に登校する時、政治家たちが大平邸を訪ねてくるのに良く出っくわした。

春日一幸氏が車に乗って来たのには驚いた記憶がある。

その坂の上の道を真っすぐ行くと、今度は、宮本顕治・百合子夫妻が住んでいる屋敷があった。宮本百合子の実家の中条家の屋敷である。中条家はなかなかの資産家であった。火炎ビン闘争の頃に宮本顕治はその家で、原稿などを書いていたという。

さらにそのはす向かいが、何と内務省警保局の官舎であった。戦後は、警察庁の官舎になった。取り締まる方と取り締まられる方が向い合せに住んでいたのである。だから、小中学校の同級生には警察庁のキャリア官僚の子供さんたちがいた。大津君・増井君・平井さん・守屋さんなどという子たちであった。近くに駒込警察署長官舎があるのだが、署長官公舎の方がキャリア官僚の住んでいた官舎よりずっと立派だった。

さらに、宮本顕治夫妻の家の隣が高村光太郎・千恵子夫妻の家であった。また安田財閥の一族の屋敷もあった。これは今も昔のままに残されている。

大給坂の上は、お屋敷町で、大給坂の下は庶民の住む町。山の手とは坂の上のこと、下町とは坂の下のことを言う。私の育った家は典型的な下町にあった。

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千駄木庵日乗一月九日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の検索。

この後、病院に赴き、父に付き添う。体をさすってあげると、気持ち良さそうに寝ている。

帰途、動坂下の焼鳥屋さんで一杯。地元の人たちと懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿及びあるところに提出する質問書執筆。

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2011年1月 9日 (日)

教育勅語と儒教

小室直樹氏の『日本国憲法の問題点』という本に、「教育勅語は儒教思想にあらず」との見出しで次のようなことが書かれている。

「(教育勅語が儒教思想ではないということは・注)勅語の中に『臣民』なる語が使われているからである。…(儒教思想では・注)臣と民とは別個のものであって、とうてい並列できるようなものではない。…『臣』と支配階級・高級官僚、『民』とは一般の庶民である。」「儒教とは民のための教えではない…支配階級の人々に倫理と行動規範を与えるための教えである。」

そして孔子の言う「君子」とは「立派な人」のことではなく「支配階級」のことであり、「小人」とは、「立派でない人」のことではなく「人民」のことであると書いている。

一君万民の日本國體とは、基本的に相容れない思想が「儒教」の徹底した身分差別思想なのである。しかし日本民族は儒教の説く「徳目」の一部は受け入れた。だから「君子」「小人」を読み替え、日本の伝統に合致させたのである。ここに、日本民族が大らかなる包容性と強靭なる国粋性が兼ね備えていることの証を見る。即ち、わが国は外来文化・思想を無批判に受け入れたのではないのである。

以下は『政治文化情報』昨年十月二十日号に書いた拙文の一部である。

「日本の儒教では『君子』とは、徳の高い人といふ意味として来た。しかし、支那における『君子』の原義は、朝廷の會議に参列できる貴族たちの総称であり、『身分の高い人』『支配者』『官僚』『貴族』といふ意味が原義である。その原義が延長して『貴族のふさわしい教養・品位』のことをさすようになったといふ。

一方、『君子』の対義語である『小人』とは、日本儒教では、教養道徳心に欠ける人間を意味する。しかし、支那における『小人』の原義は単にの低い人間、被支配者のことであるといふ。

『春秋左氏(孔子の編纂と傳へられる歴史書) 桓公十年に、『小人罪なし、玉を抱きて罪あり』といふ言葉がある。『小人であっても最初から罪を犯すものではなく、分不相応な宝を持ったり位についたりすると、ついふらふらと魔がさして悪い事をして罪を犯すようになるものだ』といふほどの意味である。

これは身分差別思想であり、一君萬民のわが國體とは相容れない。だからわが國においては『君子』『小人』の意味を読み変へたのである。儒教は、『君子』即ち貴族・官僚の身分道徳であった。貴族・官僚が政治と生活において民衆の規範になるように人格を磨き、倫理・礼節を守るといふ基本観念はあった。しかし基本的には巨大帝國を管理支配する思想であり、体制維持のために必要とされた思想であった。」

今日の共産支那においては、「君子」とは共産党員であり、「小人」とは人民である。共産党員が権力者・支配者として人民の上に立つことが当たり前のこととされるのは、儒教と共産主義独裁思想が相似であるからである。

私はさらに次のように書いた。

「支那の『共産革命』も為政者が変わっただけである。清朝そして國民党政権の後を継いだ毛沢東といふ皇帝及びその配下の官僚による独裁専制政治体制が現出した。二代目の皇帝が鄧小平である。『中國共産党による一党独裁政治』は、古代支那以来の専制政治の継承である。中國共産党員による行政機構・企業幹部の独占は、支那古代以来の『君子』による『小人』支配の継承である。改革開放によって豊かになったと言っても、『中國人民』全体が豊かになったのではなく、現代における『君子』=『中國共産党員』だけであると言っては言ひ過ぎであらうか。」

われわれ日本人は、「中国から素晴らしい儒教を学んだ」などと劣等意識を持つ必要はさらさらないのである。

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千駄木庵日乗一月八日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆のための資料検索。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さんと懇談・意見交換。

帰宅後も、資料検索など。

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2011年1月 8日 (土)

小沢一郎や中井洽の不逞発言が起こる原因は現行憲法にある

『現行占領憲法』について色々調べているのだが、今日読んだ『天皇制の現在』(日本評論社)という本に収録されている横田耕一が書いた「象徴天皇制の憲法論」には、次のようなとんでもないことが書かれている。

「世襲的な天皇制度を置いたことは、日本国憲法の基本原理である国民主権原理を曖昧たらしめ、人権原理とりわけ平等原理を毀損することになった。」

「国民の総意によって設けられた国家の制度が象徴天皇制である。したがって、国民は国民の総意によって、具体的には憲法改正手続きを通して…天皇の地位を変更することができる。もちろん天皇なる制度を一切廃止することも可能である。…このことが明確であれば、主権者たる国民とその被造制度である天皇との上下関係はおのずから明らかとなろう。…国民主権原理を原則とする限り、日本国憲法の制度は、国民→国会→内閣→天皇という序列で構成されていると理解できるのである。…日本国憲法は、国民は天皇を自分たちの上にけっしていただいていはしないのである。」

この論議を天皇制否定論者による偏向した憲法論であるとして否定することは可能である。しかし、『現行占領憲法』には、こうした解釈も可能ならしめる欠陥があるのである。天皇を最下位の序列に置き奉るなどという憲法解釈は、全く噴飯ものである。現実には、天皇は日本国の君主として最高位に君臨されている。しかし、政治家・官僚にこういう悪逆不逞な思想が無意識的に植え付けられている可能性はある。

問題なのは、「国民の総意により憲法を改正すれば天皇制を廃絶できる」という解釈である。日本の国柄と全く相いれない國體破壊思想である「国民主権論」を基本原理とする『現行占領憲法』を素直に読めばそういう解釈になる。現実には、いわゆる「天皇制廃止」を国民が支持することはあり得ない。しかし、そういう解釈が成り立つという事実はまことに危険である。

最近、政治家・権力者の皇室軽視・皇室冒瀆の言動が頻繁に起こってきている原因は、「日本国憲法の制度は、国民→国会→内閣→天皇という序列で構成されている」などという憲法解釈が可能なところにある。「主権者国民の代表であり国権の最高機関を構成する国会議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」という考え方が無意識的に植え付けられているのである。何回も書くが、小沢一郎や中井洽の不逞発言が起こる原因は、『現行占領憲法』にあるのである。

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千駄木庵日乗一月七日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理および検索。

午後六時より、新宿にてある武道家の方と懇談。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年1月 7日 (金)

「古事記」「萬葉集」に示された日本國體

権力者・権力機構による皇室軽視・國體隠蔽が行われている。國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。「国柄」という言葉は、萬葉の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。

それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」と歌われている。「(玉藻よし)讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……」というほどの意である。

これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。

「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。

ここに自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。

さらに柿本人麿は、輕皇子(かるのみこ・後の第四二代・文武天皇)がの安騎野(あきのの・奈良県宇陀郡大宇陀町一帯の山野)へ行幸された時に、

「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと……」(やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく……という意)

と歌った。

 

「やすみしし わが大君」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれている。「四方八方を知る」という意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」ということである。或いは、「安見知之」とも書く。これは「やすらけくこれを見、知る」という意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」ということである。

「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」という意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されているという時間的事実を言った言葉である。

つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現は、現御神として日本國を時間的に空間的に統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。こうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」という言葉がある。

天皇は武力で空間を制圧して國家を治められているのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。

このような『古事記・萬葉集』以来の我が国の精神伝統が、「我が国は天皇を中心とした神の国である」とする「國體」「国柄」なのである。権力者・権力機構による國體隠蔽・皇室軽視の動きを破砕はなければならない。

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千駄木庵日乗一月六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆のための資料検索など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料検索・整理など。

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2011年1月 6日 (木)

諸悪の因は「現行憲法」の国民主権論

「諸悪の因は『現行占領憲法』」と言われて久しいが、最近の事象は、この言葉の正しさをますます証明している。とりわけ「国民主権論」は、日本国の國體・伝統を根底から突き崩す思想である。一刻も早く否定されはならない。

「国会は国権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する国民の総意に基くのであるから、国民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるということになる。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されている内閣は、天皇よりも「上」の存在だという悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられるのである。

だから、小沢一郎のように、「天皇は政府・国会の意思どおりに動かれるべきだ」という不逞思想を平然と語る政治家が現れるのである。また中井洽のように、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く政治家が現れるのである。さらに言えば、天皇・皇后両陛下にご臨席を仰いだ式典に、衆参両院議員の半数が欠席するという非礼極まりない事態が発生するのである。

菅総理も、谷垣自民党総裁も、四日に伊勢参宮を行った。また、菅総理は、元旦の皇居における行事で、臣下の礼をとった。当然のことである。社会党の村山富市元総理も同じことをした。戦時中それこそ「一兵卒」であった村山氏は、軍隊時代を思い出したのか、天皇陛下に対し奉り、前任者の藤原氏の子孫という貴族の家系である細川護煕元総理よりも深々と最敬礼していた。『押し付け憲法』『占領憲法』にどう書かれていようとも、天皇を君主と仰ぐ國體の尊厳性は、そう簡単には、破壊されないのである。

しかし、『現行占領憲法』が、國體を隠蔽するどころか、破壊する憲法であることは間違いない。『現行占領憲法』の「前文」には、「われらは、これ(現行憲法の原理たる国民主権論)に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と書かれてある。「詔勅」は、日本国の最高の法である。「承詔必謹」の日本国の最高の道義精神である。國體の根幹である。これを否定しているのが『現行占領憲法』なのである。一刻も早く破棄されるべきである。外国製の「国民主権論」を否定することが日本國體を護持する道なのである。

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千駄木庵日乗一月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載中の『萬葉集』講義原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。目のあたりが傷ついていた。原因ははっきりとは分からない。病院を信頼しないわけではないが、やはりできるだけ毎日病院に行くことが必要である。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

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2011年1月 5日 (水)

今日の会合で話したこと

今日の会合での意見発表で話させていただいたことを加筆して記す。

「歴史に学ぶということが大切だ。大化改新・元寇・明治維新は、内憂外患交々来ると言った状況、民族の存亡にかかわる危機を乗り切った歴史である。今日の危機を乗り切るためにも、そうした歴史に学ぶことが大切である。日本民族が国家的危機を乗り切った基本理念は『尊皇攘夷の精神』である。」

「個人的にことを言わせていただけば、今年一年、父がずっと入院生活を送ってきた。またも母も家で介護を受ける生活である。そのことにより、私はまことに多くのことを学び、体験させていただいた。私の両親のことだけでなく、同じ病院に入院している方々そしてそのご家族のことを傍から見ていて、『生老病死』が人間の根本問題だといわれているが、まさにその通りであると実感した。生きることの尊さ、老い・病・そして死をどう受け止めるべきか。親子・夫婦の絆がいかに大切か。そういうことを体験的に学んだ。

さらに、日本の医療体制、病院の実態、医師や看護師の質なども良い悪いを含めて、体験的に知る事が出来た。また、病院との交渉において、信頼していた人がいざとなると積極的に動いてくれないということも体験した。」

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千駄木庵日乗一月四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後五時より、新宿に手、「新春を寿ぐ一献会」開催。犬塚博英氏が挨拶。全員が意見発表。そして懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2011年1月 4日 (火)

韓国との安保協力について

海上保安庁は、海保の海上警察権を強化するため、法改正を行う方針だという。尖閣事件受け、強制停船要件緩和し、体当たり停船の要件に「国益を損なう恐れがある場合」などと付記し、停船させやすくする案が浮上しているという。

日本と韓国の包括的な協力強化をうたった新たな共同宣言を両政府が春にも発表する方向で検討を進めていることが明らかになったが、自衛隊と韓国軍の平時の協力など、日韓間の安全保障分野での協力強化を初めて柱にすえるという。

韓国との軍事協力において問題になるのは、日本の領土を侵しているのは、共産支那だけではないということだ。韓国は竹島を奪取したままだ。また、ロシアも南樺太全千島を侵略支配している。

こうした問題の根本的解決は、日本が自国の力を強めるしかないのである。

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道灌山について

私宅のすぐ近くに都バスの道灌山下という停留所がある。道灌山下という地名は、その昔太田道灌のつくった物見櫓のあった高台がのちに道灌山と名付けられ、その下に当たる場所だからということだ。しかし、道灌山下というバス停留所は西日暮里駅のすぐ近くの道灌山とは少し離れている。「山下」というのには少し無理がある。

道灌山の上は見晴らしがよく、外敵の侵攻を察知するには適していたことは確かである。ただし、その高台は、上野山から飛鳥山まで続いている台地の一部なので、何処から何処までが道灌山かははっきりしない。日暮里駅前の本行寺という日蓮宗のお寺には、小林一茶の「陽炎(かげろう)や道潅どのの物見塚」という句碑がある。一茶がこのお寺を訪れて詠んだという。「刀禰の帆が寝ても見ゆるぞ青田原」という句も詠んだといわれているが、これは流山で呼んだらしい。いくら高層の建物がなかった江戸時代とはいえ、どう考えても、道灌山から利根川は見えなかったと思う。

ところが、戦国時代・後北条氏時代にこの地に居住した土豪・関道閑という者の名が道灌にすり替わったという説もあり、地名の起源というのはなかなか難しい。しかし、本行寺には、太田道灌の子孫の方々のお墓もあり、この高台が太田道灌のゆかりの地であったことは確かと思う。

道灌山の上は、今は公園になっている。そこからは、荒川区一帯が見渡せる。春には桜の花が咲き、隣にある諏訪神社と共に地域住民に憩いの地になっている。また、この公園を住み家としている方(最近はホームレスというそうだが)もおられ、天気の良い日にはその方たちが麻雀等を楽しむ姿を見ることができる。まことにのどかである。

谷中・根津・千駄木・日暮里というところは、名所旧跡と言われる所が多い。江戸期から明治大正昭和の歴史が刻まれている。

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千駄木庵日乗一月三日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き父に付き添う。

夕刻、道灌山下の飲食店にて、近隣の方と懇談。

帰宅後も、資料の整理。

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2011年1月 3日 (月)

権力者・権力機構の皇室軽視・国旗冒瀆を許すな

最近頂いた読者の方からのお手紙に次のようなことが書かれていた。

「中井代議士の不敬事件に憤激して積極的な行動に出て居られる様ですが、小生は、『遂に来たか』の感想を先づ持ちました。そして單に中井議員個人の言動よりも、両陛下のお出ましに対して、議員全体の半ばが欠席して居ると云ふ状態の方に注目して居ます。総員結集して奉迎申し上げる可き處ではないか。」

その通りである。衆参両院は、昨年十一月二十九日に、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ参議院本會議場で行われた「議會開設百二十年記念式典」に欠席した議員の名前を公表するべきと考える。我々国民には、そのことを知る権利がある。同志と共に、衆参両院議長あるいは事務総長に対して、公表を要求したいと思っている。

『現行占領憲法』に「国権の最高機関」などと規定されている機関を構成する権力者たる衆参両院議員の「皇室軽視」、及び皇都の治安を守る権力機関たる警視庁の「暦」及び「暴走族取締り訓練」における「国旗冒瀆」の問題は、看過できない。

日本国の君主であらせられる天皇陛下対するかしこみの心そして日本国の国旗に対するに対する畏敬の念のない権力者及び権力機構は、慎みのない横暴な権力行使をする。事実、最近そういう事象が頻発している。

天皇を君主と仰ぐ道義国家日本の真姿開顕のための重要な戦いである。

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千駄木庵日乗一月二日

午前は、母のお世話。

根津神社に初詣。例年よりも多くの人々が来ておられた。

皇居に参賀。謹みて聖壽萬歳を謹唱し奉る。

「晴れわたる大空の下 謹みて聖壽萬歳となへまつれり」

「この国に生れし幸を喜びて 聖壽萬歳となへまつれり」

皇居前広場の松の緑が美しかった。「梅で開いて松で治める神国の代」という言葉を思い出した。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。

           ◎

皇居前広場の松

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初詣で賑わう根津神社

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2011年1月 2日 (日)

小林よしのり氏の二冊の本について

昨日、日暮里駅構内の書店で、小林よしのり氏の『新天皇論』『本家ゴーマニズム宣言』を購入した。それほど大きな書店ではないのに、この二冊の本が平積みされていた。購入する人が多いのだろう。

皇室とりわけ皇位継承について重要なことが書かれている。これからじっくりと読んで勉強させていただく。わたくしも、男系継承されなければ「皇統断絶」「皇室消滅」「易姓革命」とは思わない。小林氏の論は正しい。

そもそも「皇室消滅」「皇統断絶」などという言葉を書名にしたり、軽々しく使う人の心を私は全く理解できない。「言霊」の大切さが分かっていない。

また、小林氏の、「支那から入ってきた男尊女卑思想」の否定論も、全く同感である。

ただし、神武天皇以来、男系で継承されてきた事実はやはり重いと考える。これを伝統と言っていいと思う。出来得る限り「男系継承」は守られるべきである。したがって『皇室典範』を改定して「長子優先」にするという意見は首肯できない。

祭祀國家日本の祭祀主にかかわること、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體日本の祭祀主の御位の継承に関することは、神聖なる事柄であり、世俗の権力問題ではない。まさに神事(かみごと)であり、天地生成以来、わが國肇國以来の神聖國家日本の根幹である。ゆえに世俗の権力機構である行政府や立法府によって神聖なる皇位継承の事柄が決定付けられてしまってはならない。このことが一番大切である。

「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、信仰共同體・祭祀國家日本を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。ゆえに権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違っている。皇室及び國體の根幹に関わることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志を体して決められるべきである。

旧『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関わることは、輔弼の臣の節度ある建言は許されるとしても、すべて大御心を根幹にすべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

小林よしのり氏の二冊の著書を精読したいと思っている。

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千駄木庵日乗一月一日

午前は、家族と新年を祝う。

午後は、年賀状を読む。お出ししなかった方への年賀状を書く。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。正月中にたまりにたまった資料を整理しなければならない。

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2011年1月 1日 (土)

新しき年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

祖国日本は今、大変な危機に瀕しております。この危機は、有史以来未曽有と言っても過言ではありません。内憂外患交々来ると言った状況であります。しかもその内憂も外患も全く以て尋常ではありません。皇室にかかわる御事、共産支那の我が国に対する圧迫などまことに憂えるべき状況があります。

しかしながら、わが国の歴史を顧みますと、これまで国家民族存亡の危機に見舞われたことか幾度かありましたが、そうした危機を打開してきた歴史を有しております。今日の危機も必ず打開できると確信します。その基本は、国民が「敬神崇祖」「尊皇愛国」の伝統精神に回帰し、「尊皇攘夷「尊皇討奸」の意志を強く持ち、それを実行することであります。

「陰極は必ず陽転する」という言葉があります。「朝の来ない夜はない」とも言われます。その信念で頑張っていきたいと思います。

「君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪」

伴林光平の歌です。天誅組の大和義挙に参加し、元治元年二月十六日京都にて斬罪に処せられたる際の辞世の歌です。

「天皇國日本は巌のように不動であるから日本を侵略しようとする國々は沖の白波のやうに砕けて帰ってしまえ」という意です。

絶望的な状況で歌はれたにもかかわらず、死への恐怖は微塵もありません。これほど堂々としたこれほど盤石な精神の満ちたこれほど力強い辞世の歌は他にないと思います。

「君が代はいはほと共に動かぬ」という信念は光平の「神代即今」「今即神代」といふ深い信仰が基盤になっている。草莽の志士たる光平をはじめとした天誅組の烈士たちの熱い祈りと行動が、王政復古そして維新の原動力となりました。私たちも、どのような危機的状況になっても、絶望することなく、深い國體信仰を保持して突き進んでいきたいと思います。

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千駄木庵日乗十二月三十一日

午前は、母のお世話。二人の同志と電話で来年の活動について話し合う。

午後は、正月の準備。注文しておいたお餅とおせち料理を取りに行く。

そして、根津神社に参拝。お札を納める。

この後、病院に赴き、父に付き添う。苦痛が少なかれと祈りつつ体をさする。父は気持ち良さそうにしてくれる。父にとって病院での越年は二年目となる。

夕刻、谷中三崎坂下のお寿司屋さんで、友人と懇談。

帰宅後、家族と年越しそばを食す。

この後、書状執筆。

とても忙しい大晦日であった。

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