« 千駄木庵日乗十二月二十日 | トップページ | 民主党の自壊を望む »

2010年12月21日 (火)

国民主権論は日本の伝統と相容れない

民主党政権による天皇・皇室に対する冒瀆は目の余るものがある。その根本原因は、やはり、「現行憲法」とりわけ「国民主権論」にある。

『現行占領憲法』は「国民主権論」がその基本原理となっている。

日本の伝統的な考え方は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が不自然に思われてきた。現行憲法制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張し、今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されている。

主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産中国も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、スターリンや毛沢東の個人専制恐怖政治が行われた。

君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。しかし、日本においては天皇と国民は、権力的・政治的に対立する存在ではなく、信仰的・精神的に一体の存在だったのである。それを敢えて相対立する存在ととらえて、国民主権をわざわざ第一章に置くというのは、国体破壊・伝統無視につながる。

「現行占領憲法」は、戦勝国たるアメリカに強制され、制定された。そして「憲法三原理」なるものとりわけ「国民主権」の考え方は、欧米においてのみ通用するものであり、天皇国日本には通用しない。日本では、古来西洋のような闘争の歴史は無かったからである。日本の歴史と伝統は、天皇を中心として君民一体となって民族共同体・信仰共同体を形成し発展させてきた。天皇と国民、国家と国民の関係は、相対立するものではなくして、不可分一体の関係にある。天皇主権と国民主権を、氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考え方に立っており、日本の伝統とは相容れない。

我々がここで確認しておきたいことは、国民主権は決して人類普遍の原理ではないということである。

|

« 千駄木庵日乗十二月二十日 | トップページ | 民主党の自壊を望む »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/50356607

この記事へのトラックバック一覧です: 国民主権論は日本の伝統と相容れない:

« 千駄木庵日乗十二月二十日 | トップページ | 民主党の自壊を望む »