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2010年12月16日 (木)

赤穂浪士について

元禄十五年十二月十五日未明、赤穂浪士による吉良邸討ち入りが行われた。艱難辛苦を乗り越えて主君の仇を討った行為は、武士の鑑として歴史的に高く評価されてきた。三波春夫氏の「俵星玄蕃」は、赤穂浪士の討ち入りをテーマとした歌である。私は、発売された直後、昭和三十九年の高校時代にこの歌を覚えた。以来、年末になると、忘年会などでよくこの歌を歌わせていただく。

赤穂城にも十年ほど前に行ったことがある。もちろん、高輪泉岳寺にも数回参詣させていただいた。元禄時代から四百年くらい経過しているのに、今でも、赤穂浪士のことは忘れなれていない。『鉄道唱歌』に「高輪泉岳寺 四十七士の墓所 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも」と歌われている通りである。

「忠臣蔵」とも言われ、芝居や歌や映画にこれほど多く題材になっている事件もめずらしいではないか。それだけ日本人の心情に合う事件だったということであろう。

赤穂藩士に大きな思想的感化を与えた人物は、山鹿素行である。江戸時代において、尊皇思想を鼓吹した人物であり、幕末の勤皇の志士にも大きな影響を与えた。徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、一君万民の正統思想を説き、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』といふ歴史書を著した。これは日本の特質を儒教思想によって論じているという。「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本は神国であり天皇はご子孫であるとの意見が開陳されている。

支那は自国を「中華・中国・中朝」とし、外国をことごとく野蛮な国と断じている。素行は、その「中華・中国・中朝」は実に日本であるとして、書名を『中朝事実』としたのである。つまり山鹿素行は、日本国を支那と同等あるいは上位に置き、国粋思想を支那の学問を借りて論じたのである。

尊皇精神が、日本民族の道義精神の基本であることは、山鹿素行と赤穂浪士の事績を見ても明らかである。それだけに、民主党政権の尊皇精神の蹂躪・皇室冒瀆は許されない。

吉良上野介に関しては、芝居や映画では敵役になっているが、実際にはそうではなかったという説もある。歴史の見方は色々である。

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