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2010年12月 3日 (金)

亡國政治家による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶すべし

中井洽がいろいろ言い訳していた。また、岡田克也幹事長は2日の記者会見で、「私が知る限り、野次ったとか、そういうことではなかった」と中井氏を擁護した。

しかし、秋篠宮・同妃両殿下が、両陛下をお迎えするために起立されていたのだから、臣下たる者黙って起立して入れはいいのだ。ぐずぐず文句を言うこと自体、不敬千万である。断じて許されない。要するに中井洽は、尊皇精神が希薄なのだ。皇室を敬う心が足りないのである。中井を擁護する岡田も同じである。「声が響き渡る」かどうかの問題ではない。

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず真の國家の危機である。

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。日本はまさに危機的状態に陥っている。 

 

國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって國民を教育し、共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。今日の日本はまさにそういう國家になろうとしている。

日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。

最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

今日のわが祖國日本の道義の頽廃はまさに末期的である。これを打開することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

ともかく、日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶しなければならない。

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