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2010年12月18日 (土)

天皇の尊貴性について

『現行占領憲法』上の「主権の存する日本国民の総意に基づく象徴」という「御地位」は、一体いかなるものであるのか。まことに畏れ多い表現ながら、小沢一郎が言う如く、「天皇陛下は政治権力者の操り人形」ということなのか。

歴史的連続性・伝統性を否定し、主権の存する国民の総意に基づくのみの「天皇の御地位」は、天皇・皇室の尊厳性を隠蔽し、天皇・皇室は政治権力者・官僚の「操り人形」になる。現実にそうなりつつある。小沢一郎や中井某のような政治家がいるのだから…。

そもそも大衆と同じレベルの『人』が「国家国民統合の象徴」になることは不可能である。その不可能を今まで可能にして来たのは、皇室の伝統性がまだ生きているからである。

現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子としての皇太子への回帰・天皇の御本質の復元が第一である。建国以来三千年の伝統を護持する事が最も大切である。皇室の御事はそこから考えねばならない。

日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策にのっとった『現行占領憲法』は、否定されなければならない。憲法改正は、国家の基軸中の基軸である「天皇の統治大権・祭祀大権」の回復が行われなければならない。

天皇は、国民を統合される尊貴な御存在であらせられる。天皇の尊貴性は、天皇が神にして人・人にして神=現御神であらせられるということである。日本国の祭祀主であり統治者としての御本質に立ち返っていただくことが基本である。神とは人ではないという事ではない。人としてもっとも尊貴な御存在ということである。日本の神とは、全知全能の唯一絶対神ではない。日本の神は大自然の中に生きる久遠のいのちであり祖霊である。天皇はその体現者であらせられる。天皇は、現御神(人にして神)という天皇の御本質を回復されるべきである。

小沢一郎は、どう考えても、戦後日本における最悪の政治家である。逆賊と断じてもいい。

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