« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月31日 (金)

憲法学者・伊藤正巳氏の逝去に思う

憲法学者の伊藤正己氏が逝去された。ご冥福を祈ります。

この方の著書『注釈憲法』(有斐閣刊)を持っている。それには次のように書かれている。

「(現行憲法は・注)国民が主権を持つこととした。その趣旨からいえば冒頭の章が天皇と題され、天皇に関する諸規定をおさめているのは適当とはいえない。」「国民主権の原理から言えば、国家の構成員のうちに身分的に特殊な地位を持つ者を認める天皇制は、それとあいいれない要素を含むと考えられる。」

明らかに「現行占領憲法」のいわゆる「象徴天皇制」すら否定しているのである。

さらに伊藤正己氏は、殉職自衛官を護国神社に合祀したことが政教分離原則や信教の自由に反するかが争われた「自衛官合祀訴訟」の大法廷判決(昭和六三年)では、合憲とした多数意見に対し、ただ一人反対意見を表明した人である。

こういう人物が、勲一等旭日大綬章・文化勲章を受章しているのだ。しかも、皇族に「憲法学」を御進講申し上げたのである。一体どうなっているのか。政府及び宮内庁は何を考えているのか。また、死者に鞭打つわけではないが伊藤氏自身の姿勢も納得できない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、年末にしなければならない仕事。

その後、病院に赴き、父に付き添う。帰途、御徒町に出て買い物。それほど人は出ていなかった。しかし吉池は混んでいた。

帰宅後は、書状執筆など。

| | トラックバック (0)

2010年12月30日 (木)

二つの忘年会に出て思ったこと

二つの忘年会で、同志の方々と色々話し合った。内外情勢は厳しい。今日は多くの同志と語り合った。皆さんそれぞれの立場で頑張っている。ともかく自分にできることを真剣にそして地道にやっていくことしかない。日本をおかしくしている政治家・官僚・メディアという「権力」に対して厳しい姿勢で臨んでいかないと、国家が危うい。

いろいろ糾弾すべきこと、訴えるべきことが多い。その活動は活発に行っていかなくてはならない。と同時に、「本立ちて道生ず」という言葉がある如く、民族運動・維新運動の基本に立ち返りつつ運動を進めていかなければならない。先人たちの歩んできた「道」を継承し、わが日本の伝統精神をしっかりと学ぶことなくして「本が立つ」ということはない。

私は、自分の使命として、日本國體を隠蔽し破壊せんとする者共に対する批判を今後も強くしっかりとやっていきたいと思う。

有難いことに、三十代、四十代の同志たちが増えてきている。厳しい情勢下にあっても、一生懸命運動をしている。そういう人たちと共に、日本の再生・維新のために頑張っていきたいと思う。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時半より、高田馬場の一水会事務所にて、一水会の忘年会開催。木村三浩代表・鈴木邦男顧問・田村司相談役そして幹部の方たちと懇談。

この後、平河町の「月刊日本」事務所にて開催された「忘年会」に出席。多くの同志・執筆者の方々と懇談。文字通り談論風発。久しぶりにロマノ・ヴルピッタ氏にお目にかかり、色々お話しすることができた。

| | トラックバック (0)

2010年12月29日 (水)

古賀俊昭都議の警視総監に対する抗議書について

古賀俊昭東京都議会議員から、古賀議員が池田勝彦警視總監に提出した「平成二十三年版 警視廳機動隊暦の使用寫眞に潛む『国旗日の丸への敵意』に對する抗議書」が送られて来た。長文でブログでは全文紹介できないので、重要なところを紹介させていただく。

「来年の警視庁機動隊の暦の八月の頁に使はれてゐる写真は、今年八月十五日靖国神社周辺で強行された『反天皇制運動連絡会』の示威行進に整然と抗議する国民を機動隊が威圧する光景のものであった。国旗を手に秩序正しく抗議する人たちを恰も悪事を働く暴徒であるかのごとき印象を与へる写真が使用されたことに怒りを禁じ得ない。当該暦には左翼組織に対する警戒状況を紹介する写真は一葉もない。反日活動家・岡崎トミ子に阿諛迎合する意識が警察に醸成されてゐると看做すこともできる。私は当日現場の状況を確認してゐるが、警視庁は『反天連』に対する警備よりも、国旗日の丸を持つ人々に対する警備の方が敵意を感じさせる位過剰なものであった。国旗日の丸を掲げることがあたかも犯罪であるかのやうな印象を国民に伝える可能性大であり黙視できない。配布済みの機動隊暦を速やかに回収し、残部と共に廃棄すべきである。」(原文は正漢字)

さらに、古賀俊昭議員は、十二月六日に行われた警視庁の暴走族取締り訓練における、国旗に対する不敬・冒涜行為についても次のような抗議文を提出した。

「実戦さながらの訓練とは言へ、国旗を暴走族の紋章であるかの如く、国旗と暴走族を一体に結びつけるのは乱暴に過ぎる。暴走族より悪質な所業であり断固抗議する。」(原文は正漢字)

           ◎

警視庁警備部長・交通部長そして最高責任者たる警視総監は、即刻辞任すべきである。治安維持を担当する官庁が、国旗に対して不敬・冒涜行為を働いたのであるから、それは当然である。戦前なら、当然懲戒免職になっているであろう。

中井洽前国家公安委員長の皇室に対する不敬行為、そして警視庁による国旗に対する不敬・冒涜行為は、今の日本が如何に劣化しているかを如実に示している。国家治安担当の閣僚が、皇室を冒瀆し、そしてその機関が、国旗を冒瀆したのである。まさに日本国は危機に瀕している。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は、母のお世話。具体的には、朝食・昼食を作ってあげることなどです。「伝統と革新」編集実務担当者と電話で年内最後の打ち合わせ。また、同志と中井前国家公安委員長への質問書のことについて電話で打ち合わせ。中井事務所はコメントを出さないという意向のようである。長期戦になるであろう。

午後は、年賀状執筆・投函

この後、病院に赴き父に付き添う。体をさすってあげると気持ち良さそうに寝てしまった。

帰宅後は、資料の整理。資料の整理をしながら、テレビで市川海老蔵の記者会見を垣間見たが、海老蔵は顔が前原外相に似ていると思った。そういえば前原氏は今年七月両院議員総会を欠席して海老蔵の結婚披露宴に出席したことが問題になった。録画しておいた「相棒」という刑事ドラマも見た。

| | トラックバック (0)

2010年12月28日 (火)

検察・警察に対する国民の信頼の喪失は国を崩壊させる

「地検特捜部は正義の味方」だという観念を広めたのは、立花隆氏ではないかと思う。立花氏は、反権力の姿勢を貫き、不正を暴くことに熱心であった。そのこと自体は評価されるべきだか、地検特捜部に対する過大評価があったのではないかと思う。

正義の追及・犯罪の摘発は大事である。しかし、最近の様々な事象は、検察庁及び検事は、必ずしも「正義」ために職務に精励しているのではないことが明らかにした。功名心・権力欲・成績・出世のために、権力を行使し、「犯罪」を摘発するという傾向が出ていた。権力者の不正を暴き、逮捕し、罵詈雑言を浴びせかけ、断罪するということに快感を覚えるということがあったのではないか。これはまことに危険である。冤罪を生む。

ともかく、検察・警察に対する国民の信頼の喪失は、国を内部から崩壊させる。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十七日

午前は、母のお世話。同志と来月の「日本の心を学ぶ会」について電話で打ち合わせ。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや意識がはっきりしていて、母のことなどを話す。会いたがっている。母も九十一歳なので、とても病院に連れて来ることはできない。悲しい。胸が痛む。

谷中三崎坂の飲食店で、小学校の先輩と二人で懇談。上野山・谷中・根津・千駄木が戦場になった彰義隊のことなどが話題になった。この方の妹は私の初恋の人であるが、一昨年他界された。

帰宅後は、古賀俊昭都議会議員と電話で懇談。警視庁機動隊訓練における国旗冒瀆の件など。

そして資料の整理。整理しても整理してもたまってしまう。

| | トラックバック (0)

2010年12月27日 (月)

与謝野馨はおかしな人物だ

立ち上がれ日本が、民主との連立を思いとどまったのは良かった。真正保守の平沼氏が亡国勢力と一緒なるということはあってはならない。それにしても与謝野馨というのはおかしな人物である。この人が、国体・憲法・靖国・教育の問題を語るのを聞いたことがない。そして国賊小沢一郎とは碁友達だ。民主党政権は打倒するしかないのだ。

| | トラックバック (1)

検察・警察の不祥事に思う

検察と警察は、日本の治安維持の要である。そしてこの組織は、国民からの信頼が根幹となっていなければならない。しかるに、最近、国民からの信頼を失いかねない状況となっている。機密の漏洩・国旗に対する不敬・証拠改竄など、絶対にあってはならないことが起こった。

川路利良初代警視総監は、「警察は国家平常の治療なり」と言った。その治療に誤りがあると、国家そのものが危殆に瀕する。

機密漏洩問題で、警視庁警務部参事官という官僚が記者会見をしていたが、その顔つきは緊張のせいもあるかもしれないが、何かマインドコントロールされた宗教団体の幹部のように見えた。

検察・警察は、組織防衛意識が強い。しかし強すぎるのは問題である。自己の非を認めないで、事を済まそうとしてはいるように見える。

違法行為や世の中の悪に対して厳しく対処するのは当然だ。しかし、悪の追及・違法行為の断罪のためなら何をやっても許されるということはない。特に、拷問・謀略・証拠改竄は許されることではない。

ましていわんや、国旗・日の丸を冒瀆する行為は許されない。そういう行為が「警察は暴力装置だ」などと言われる原因となる。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して年賀状執筆。一人一人のお顔を思い浮かべならが、書かせていただいた。長くお会いしていない方もおられれば、何時もお会いする方もいる。年賀状の交換だけで四十年経過している学生時代の友人は特に懐かしい。

| | トラックバック (0)

2010年12月26日 (日)

最近頂いたお手紙に思う

最近頂いたお手紙に次のようなことが書かれてありました。

ある武道家の方のお手紙

「日本文化三要素 一、共生の思想。 二、異文化の咀嚼力、三、縦軸の伝統文化 と認識しております。」

まことにその通りである。日本伝統信仰たる神ながらの道は、天地自然に神の命が宿っていると信じ、天地自然を拝み、生きとし生けるもの・天地自然が共に生きる精神である。日本民族は、古代から、外来文化を摂取包容し、自己の文化文明を高めてきた。日本国の祭祀主であらせられる日本天皇はまさに時間的永遠性と空間的統一性の中核である。 

ある大先輩からのお手紙

「中井議員の軽はづみの行為は正に先生の申される通りです。そもそも民社党を解体した事が、自分たちの次の選挙だけを考へ、先人後世のことを考へなかった誤りで、竹本孫一先生が上京され『君たちの民社党解党の権利があるか!西尾の墓に参拝したか!』と叫ばれたことを今にして思ひます。」

いまさら嘆いても文字通死んだ子の年を数えるようなものだが、民社党の解党は誠に残念であった。公明党・社民党・共産党は今も存続しているのに、何故民社党のみがなくなってしまったのか。小沢一郎にたぶらかされたとしか思えない当時の民社党執行部の責任は極めて大きい。民社党は、國體・安保・教育などで自民党よりもしっかりとしたところがあった。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、年賀状書き。ようやく年賀状を書く時間が出来ました。

| | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

最近寄贈していただいた二冊の本について

最近いただいた書籍を紹介します。

「句集 國病む日」 滝沢幸助氏著 洛風書房 著者より

滝沢幸助先生は、元民社党衆院議員。書家でもあり歌人でもあり俳人でもあられる。国語国字問題に熱心に取り組んでおられる。心より会津を愛し、日本を愛し、伝統を重んじ、国を憂いておられる。文字通りの国士であられる。

朝敵にされたる町の七竈

會津贔負といふ句を選ぶ初句會

したゝかや歴史認識てふ黄砂

母を思ふ山陽外史無月の詩

蝉しぐれ生きて悔いなき者はなし

夜もすがら音なく積る雪を聴く

などの句に感銘した。

Img020

「維新の先駆者」 岡田幹彦氏著 日本製作センター 著者より

岡田氏は小生の学生時代からの知己である。生長の家の活動を共に行った。岡田氏は国史とくに人物伝を多く書かれている。また全国各地で講演しておられる。この本は、坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・中岡慎太郎のことが書かれている。歴史を学ぶには、人物を知ることが何より大切である。明治維新は、数多くの維新の志士によって命懸けの志と行動によって成就した。この本は、青少年に読んでもらいたい本である。

Img019

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き父に付き添う。

千駄木に戻り、地元の後輩と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2010年12月24日 (金)

中澤伸弘氏及び瀬戸弘幸氏の講演

『天長節を祝ふ會』における中澤伸弘氏の講演は、小生が実行委員であったため、落ち着いてと聞くことができなかった。まことに残念である。ただし、次のような重要なことを語られた。

「『易経』に『聖人南面して天下を聴けば、明に嚮(むか)ひて治まる。』とある。これは元号『明治』の出典。『天子南面』と言われ、東洋では皇帝が南面して政治を執る事が当然とされた。わが国の内裏・京都御所の天皇の高御座(たかみくら)・御座所は南面している。南面して左前(南東)の方角が内侍所、その遥か彼方に伊勢の神宮が鎮まる。徳川将軍家の居城・江戸城は東面の構造になっていた。明治二十二年、明治宮殿が落成。正殿・豊明殿・表御座所すべて南面。南面して左前(南西)に賢所、その遥か彼方に伊勢の神宮が鎮まる。明治四十一年の『登極令』に京都御所で即位式は行われると規定されている。昭和四十三年の昭和新宮殿は、正殿・竹の間・松の間・長和殿はすべて東面。平成の即位式は『登極令』に従わず、東京で行われた。そして、今上天皇は東面して即位された。」と語った。

これは重大に指摘である。警備上の理由とかで、平成の「御大礼」は、京都御所で行われた。そして、天津日嗣の高御座をヘリコプターで京都御所から運んだ。小生は、即位の「御大礼」は、京都御所で行われるべきと考え、当時、宮内庁に意見書を提出した。

『日本の心を学ぶ会』瀬戸弘幸氏は次のように語った。

「選挙では国を変えることはできない。ネットは力不足。デモや集会で一定の成果を果たすことができた。来年から新たなる展開を図っていきたい。逆賊とは主君に歯向かう人のこと。日本の主君は言うまでもなく、天皇陛下である。『政治家が天皇陛下よりも偉い』などという不敬な考えは払拭すべし。それが民主党政権打倒。天皇陛下の習近平引見に関する小沢一郎の発言は許し難い。小沢はまた、『天皇・皇室は騎馬民族の末裔』『韓国の若者は優秀だから、韓国の若者の血を日本に受け入れるべし』と言った。徹底的に批判しなければならない。公務員のスト権を認めるという仙谷由人の発言は危険である。岡田総理・麻生副総理で大連立の動きがある。読売新聞のオーナーが画策している。」と語った。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十三日

朝は、母のお世話。

午後十一時半より、靖国神社に昇殿参拝。拝礼・玉串奉奠。「天長節を祝ふ會」森田忠明実行委員長及び本日の講演会講師・中澤信弘氏らと共なり。

午後十二時より、靖国会館にて、『天長節を祝ふ會』開催。国歌及び「天長節の歌」奉唱、「教育勅語」奉読、小田村四郎会長式辞・来賓祝辞(中村信一郎氏)が行われ、小生の発生で聖寿を万歳三唱した。この後、中澤伸弘氏が記念講演を行った。そして、直会が行われた。

午後六時より、新橋の港区生涯学習センター「ばるーん」にて『日本の心を学ぶ會』開催。渡邉昇氏が司会。瀬戸弘幸氏及び小生が講演。質疑応答。この後、直会が開かれ、談論風発。今日は出席者が予想以上に多く新しき同誌数人と知り合いになることができた。

本日は、「天皇晴れ」という言葉そのままの好天気に恵まれました。有難き限りであります。天皇陛下の聖壽無窮を心より祈念申し上げます。

| | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

正しき者が罰せられ邪悪なる者が罰せられない今の日本

海上保安庁の鈴木久泰長官は二十二日、沖縄・尖閣諸島沖の衝突映像を流出させたとして、神戸海上保安部の一色正春海上保安官(43)を停職1年の懲戒処分にしたと発表した。一色保安官は処分後、辞職した。警視庁は同日、保安官を国家公務員法の守秘義務違反容疑で東京地検に書類送検する方針で、今後は送致を受けた東京地検がどう処分するかが焦点になるが、東京地検は、起訴猶予処分とするかどうか年明けに判断する見通しだという。

海上保安官は、動機について「中国船衝突事件の真相を多くの国民に知ってもらいたかった。海上での出来事を国民に判断してほしかった」などと話したという。

この海上保安官の行動は、正義の行動である。何故罰せられなくてはならないのか。共産支那の漁船と称する船による我が国領海侵犯、海保警備艇への暴虐行為を国民に広く知ってもらうことが何故犯罪なのか。公務員として当然の情報開示を行ったまでのことだ。むしろ、当該ビデオの開示を抑止した仙谷由人内閣官房長官が罰せられるべきである。

「議会開設一二〇年記念式典」が行われた国会の本会議場において、天皇皇后両陛下・秋篠宮同妃両殿下に対し奉り、不敬言動を行った中井洽前国家公安委員長こそ、厳しく罰せられ、弾劾されるべきである。国会において「懲罰動議」提出の動きがあったが、結局有耶無耶になってしまった。

また、「議会開設一二〇年記念式典」に出席した国会議員は全体の半数であったという。天皇皇后両陛下・秋篠宮同妃両殿下のご臨席を仰いだにもかかわらず、半数の議員しか出席しなかったという事実は、今の国会議員たちがいかに「皇室を敬う心」が欠如しているかを如実に示している。欠席した議員たちこそ、職務怠慢・皇室への非礼の罪で厳しく罰せられるべきである。

こういう政治家たちが「政治主導」などと言っているから、警視庁も国旗に対する比例を平気で行うのである。警視庁の責任者も、「国旗に対する非礼」の罪で厳しく罰せられるべきである。

正しき者が罰せられ、邪悪なる権力者が皇室・国旗に非礼行為を働いても罰せられないという今の日本はまさに国家的危機に瀕している。

| | トラックバック (0)

2010年12月22日 (水)

千駄木庵日乗十二月二十二日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

その後、『伝統と革新』編集実務担当者の方と表紙のデザインのことなどを打ち合わせ。

夕刻、病院に赴き父に付き添う。よく眠っている。

帰宅後は、明日の「日本の心を学会」における講演の準備など。

| | トラックバック (0)

小沢一郎は菅と岡田を甘く見ていた

小沢一郎は、菅直人と岡田克也を甘く見ていたのではないか。党代表と幹事長という権力を握っている方が、一兵卒よりも強いということだ。菅と岡田は小沢を証人喚問に引き出すことまで考えているという。完全に敵対関係になってということだ。しかし、そこまでやれば、小沢一郎は脱党するしかないだろう。そうなったら一体何人の議員が小沢についてくるか。小沢がかつて竹下・金丸を裏切ったように、今度は自分が裏切られるのではないか。亡国的な政権政党内部の権力闘争であるから、どちらが勝とうと知ったことではない。しかし、小沢一郎のこれまでのやり方があまりにもひどかった。その報いを受けているということは言える。渡部恒三も石井一も藤井裕久も自民党をおん出て以来小沢についてきたのに、今や、反小沢になっている。小沢という人にいかに人徳がないかが分かる。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の茶陶の道―天目と呉州赤絵―』展参観。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

「呉竹會アジアフォーラム」の報告

十二月十六日に行なわれた「呉竹會アジアフォーラム」を報告します。

頭山興助呉竹会会長「国民に本当のことが知らされているのか不安。五一五事件・二二六事件の頃の世相に似ている。今の日本がアジアや世界でどのような位置にいるかを考えたい。私の祖父を尊敬していたある任侠の人が『パチンコ屋一軒の利権を奪われたら、それを取り返すには相手の本拠を命懸けで攻めなければ取り返すことはできない。領土も命懸けにならなければ取り返すことはできない』と言っていた。日本の置かれている危険な状況を国民が正しく認識しなければならない。今ならまだ間に合う。」

石破茂自民党政調会長「国会議員になって二十五年、防衛オタクと揶揄的に言われているが、私の防衛に関する知識程度は他の国の国会議員なら誰でも持っている。憲法・安保についての基本的考え方を確立していない人は政治家として意味がない。憲法・外交・安保・財政・教育は国会議員としてやらねばならぬこと。『集団的自衛権は持っているが行使できない』という誤った解釈を正したい。島根県の東半分が私の選挙区。日本海の向こうに怖い国があると言われて育った。北朝鮮をこの目で見たいと思った。二十年前に自民党・社会党・公明党の代表団に加わって北朝鮮を訪問した。マスゲームでは、『悪逆非道な日本軍を金日成将軍がいかにして打ち破ったか』をテーマにしていた。夜のオペラも同じテーマ。徹底した反日であり、徹底した個人崇拝、徹底したマインドコントロール。英才教育を受ける施設を見物したが、十二・三歳の女の子がオルガンを弾き、みんな同じ顔で笑った。この国はアジアや世界に対して必ず何かやらかすと直感した。その時から、防衛問題に関わった。私の思いは的中した。アメリカとソ連、東と西の力のバランスが大きな戦さのない状態を作っていた。バランスが崩壊した時に戦さが起こる。アメリカが何故八月六日と八月九日に原爆を落としたのかをきちんと認識すべし。第二次世界大戦後の世界はアメリカが支配すると宣言したのだ。ソ連の参戦によって戦争が終わったという形にしたくなかった。ウラニウム型の原爆を広島に、プルトニウム型の原爆を長崎に落として、この二つを持っていることを世界に示し、アメリカが日本を支配すると宣言した。レーガンは『ソ連は悪の帝国だから滅ぼさねばならぬ』と言った。ソ連の核ミサイルを無力化するミサイル防衛計画を作った。ソ連にはミサイル計画を可能にする経済力がなかった。アメリカだけが力を持ったら、あちこちに戦さが起こった。米韓合同演習に参加した韓国の揚陸艦は『独島』という名前。日本の国会議員で竹島が何故日本なのかを語れる人は少ない。韓国民の殆どは何故独島が韓国領なのかを語ることができる。戦争は経済格差も一因となる。湾岸戦争がその典型。人類が始まって以来テロはあった。有事法制をきちんとやらないと戦さになる。基盤的防衛構想も変えなければどうにもならない。集団的自衛権はどういう時に行使できるかを決めた法律をきちんと作らねばならない。」

続いて討論が行われた。登壇者の発言は次の通り。

小磯明都議会議員「韓国は対馬も自国領土と主張している。陸海空自衛隊が対馬に駐屯している。しかし、船もヘリコプターもない。銃に弾がない。中国は『国境線は奪い取るものだ』と思っている。一九五九年にチベットを侵略、一九六九年に中ソ国境紛争、一九七九年にベトナムと国境紛争、そして今日、尖閣問題が起こり、南シナ海で中国の侵略行為が進んでいる。国境及び離党を守る『振興法』が必要。李登輝先生は明確に『尖閣は日本領土』と言われた。香港に本部を持つ愛国同心会は北京から運投資金をもらっている。沖ノ鳥島も非常に重要。日本の排他的水域は世界第六位。沖ノ鳥島は大正九年に国際連盟により日本の委任統治領となった。昭和六年七月六日『内務省告示第百六十三号』により『沖ノ鳥島』と命名され、東京府笠原支庁に編入された。平成十六年に中国が日本に無断で周辺の海洋調査を進めた。領土・領海を守り抜くとともに海底資源獲得競争の時代に勝ち抜かねばならない。」

藤井厳喜氏「石垣市の仲間均市議が尖閣諸島の南小島に上陸した時、海保は妨害しなかった。帰って来た後も妨害はなし。九月七日の事件で海保の雰囲気が変わった。韓国で口蹄疫騒動が起こっている。韓国からの入国をストップすべし。今までの十倍以上の生産性のある石油を作る水生植物・藻が発見された。尖閣上陸に許可が必要になったのは、小泉内閣の時から。」

江崎道朗氏「沖縄に米海兵隊がいるだけでは抑止力にならない。日米共同訓練をしなければならない。中国政府はワシントンDCで『アジアの秩序・平和を守るのは日本ではなく中国である。アメリカは中国を立てるべきだ』というロビー活動をしている。しかるに日本は何もやっていない。『日本は中国の属国になることを決めた』ととらえている。日本人は完全に情報鎖国の中にいる。視野が狭い。尖閣海域で日本漁船は操業ができなくなりつつある。二百隻の中国船がやって来る。それに対して海保は四隻で対応する。物理的に取り締まりは無理。日本漁船は強化ステンレス製で十トン。中国漁船は鉄製で百五十トン。尖閣海域に漁をするのは中国のみ。海保の体制を整備し、大型巡視船を数多く早く配備すべし。領海侵犯に対して武器使用をしてはいけないという法律になっている。自衛隊の護衛艦は警戒監視しているが、領海侵犯されても何もできない。海保に知らせるのみ。香港の週刊誌は『来年の六月十七日に千隻の船で尖閣を包囲して韓国が竹島に奪ったように我々の尖閣を奪ってしまおう』と呼びかけ、世界華僑にカンパを求めている。」

| | トラックバック (0)

2010年12月21日 (火)

中井洽の人間性

中井洽は、秘書に暴力をふるうと聞きました。また、民主党の他の議員からもものすごく評判が悪いとのことです。やはり、基本的な人間性に問題があるのであります。そもそも、夫人が自殺したのに、平気で政治家をやっていられる神経がわかりません。尊皇精神が薄い人は、道義感覚も薄いということは真実であります。尊皇精神は、日本との道義感覚の基本であるからです。

| | トラックバック (0)

民主党の自壊を望む

昨日の菅と小沢の会談後の、菅と岡田の目つきは尋常ではありませんでした。一兵卒と言いながら司令官と参謀長の言うこときかない小沢に対する憎しみにあふれているという感じでした。いよいよ内部紛争が拡大し深刻化すると思われます。民主党は亡国政権でありますから、自壊してもらいたいと心から思います。民主党政権になってから、日本は確実に亡国への道を歩んでいます。鳩山由紀夫の罪も大きく深いと思います。

| | トラックバック (0)

国民主権論は日本の伝統と相容れない

民主党政権による天皇・皇室に対する冒瀆は目の余るものがある。その根本原因は、やはり、「現行憲法」とりわけ「国民主権論」にある。

『現行占領憲法』は「国民主権論」がその基本原理となっている。

日本の伝統的な考え方は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が不自然に思われてきた。現行憲法制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張し、今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されている。

主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産中国も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、スターリンや毛沢東の個人専制恐怖政治が行われた。

君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。しかし、日本においては天皇と国民は、権力的・政治的に対立する存在ではなく、信仰的・精神的に一体の存在だったのである。それを敢えて相対立する存在ととらえて、国民主権をわざわざ第一章に置くというのは、国体破壊・伝統無視につながる。

「現行占領憲法」は、戦勝国たるアメリカに強制され、制定された。そして「憲法三原理」なるものとりわけ「国民主権」の考え方は、欧米においてのみ通用するものであり、天皇国日本には通用しない。日本では、古来西洋のような闘争の歴史は無かったからである。日本の歴史と伝統は、天皇を中心として君民一体となって民族共同体・信仰共同体を形成し発展させてきた。天皇と国民、国家と国民の関係は、相対立するものではなくして、不可分一体の関係にある。天皇主権と国民主権を、氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考え方に立っており、日本の伝統とは相容れない。

我々がここで確認しておきたいことは、国民主権は決して人類普遍の原理ではないということである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二十日

午前は、母のお世話。ケアマネージャの方が来宅し、今後の介護について相談。

昼は、知人と懇談。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。途中空を見上げると、満月がとても美しかった。

帰途、御徒町に出て買い物。

帰宅後は、原稿の校正など。

| | トラックバック (0)

2010年12月20日 (月)

『教育勅語渙發百二十年記念講演會』における森田忠明氏の講演

『教育勅語渙發百二十年記念講演會』にて、森田忠明氏は次のように語った。

「江戸時代には、江戸には幕府直轄の昌平坂学問所があった。各藩には藩校があった。明治になって、文明開化の潮流が襲ってきた。西洋の文物に日本文化伝統が軽視された。各地の親孝行の人たちの事績を紹介した『明治孝節録』が明治十年頃に出された。明治十一年に、明治天皇が東北・北海道地方を御巡幸あそばされ、道徳教育がおろそかにされていると痛感された。明治十二年に、明治天皇は『教学聖旨』を示された。明治十九年十月、明治天皇は東京帝国大学をご視察され『道徳教育に不備がある』と嘆かれた。明治二十三年二月、地方長官会議で、『徳育涵養の義に付建議』を決議し、知識の伝授に偏る従来の学校教育を修正して、道徳心の育成も重視するように求めた。この会議で当時の岩手県知事は『文部省には米国留学の連中が西洋かぶれの説を主張し「五倫などというものは価値がない。朋友の信くらいがとるべきものだ」の主張している。このような留学帰りの連中によって何でも決められる』と嘆いた。

明治二十三年十月三十日、文部大臣を介して下賜する形がとられて渙発された。政治上の詔勅には国務大臣の副書を要することになっていたが、『教育勅語』『軍事勅諭』『戊申詔書』には副書がない。これらの詔勅は政治関係を離れ、明治天皇が親しく国民一人一人にお呼びかけになった意義を有するからである。

『教育勅語』が渙発されてから十八年経った明治四十一年『戊申詔書』が渙発された。『教育勅語』を国民皆が実践していれば、『戊申詔書』が渙発されることはなかった。明治維新は大変革だったが、まだ維新を必要とする。人間は怠慢である。永遠の維新が必要。同じように道徳教育にも終わりはあり得ない。『教育勅語』精神は常に訴えていかねばならない。」と語った。

             ◎

なお、小生は「開会の辞」で、「戦勝国の日本弱体化策謀及び共産侵略国家の赤化策謀が功を奏し、今日の日本の危機はまことに深刻になっている。今日の日本は、『天皇のみことのり』すなわち『詔勅』が廃され、天皇の大御心は『お言葉』という言葉で表現されている。また『勅撰和歌集』も編纂されなくなった。これは重大な國體隠蔽である。

『現行占領憲法』には、『この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。』などと書かれている。アメリカ製の憲法によって『詔勅』が否定されているのである。『占領憲法』は大逆憲法である。そして、昭和二十三年九日に、衆議院では『教育勅語等排除に関する決議』が、参議院では『教育勅語等の失効確認に関する決議』が、それぞれ決議されて教育勅語は排除・失効が確認された。こうしたことは速やかに是正されなければならない。日本に再生のために『教育勅語』の精神を今こそ発揚しなければならない。森田忠明氏の著書『教育勅語いま甦る』はまことに意義深い本である。」と語った。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、母のお世話。

午後一時より、靖国神社に昇殿参拝。午後二時より行われる『教育勅語渙發百二十年記念講演會』の実行委員会の方々と共なり。

午後二時より、靖国会館にて、『教育勅語渙發百二十年記念講演會』開催。藤本隆之氏が司会。小生が開会の挨拶。森田忠明氏が「教育敕語の現代的意義」と題して講演。

講演終了後、魚谷哲央・小川力・小田内陽太の各氏が意見発表。続いて、質疑応答。そして、中村信一郎氏が閉会の挨拶を行い、終了した。

この後、九段下の酒房にて懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

101219_151802

講演する森田忠明氏

| | トラックバック (0)

2010年12月19日 (日)

千駄木庵日乗十二月十八日

朝は、母のお世話。

午前から午後にかけは、『政治文化情報』発送作業・発送完了。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると思います。

この後、病院に赴き、父に付き添う。今日は意識が比較的はっきりしていて、私が来たことを喜んでまし。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

        ◎

今日は大変寒い一日でした。これからこういう日が続くのでしょう。また、今は日が短い時期です。四時を過ぎれば暗くなってきます。こういう時は、燗酒か焼酎のお湯割りが一番です。そして鍋料理であります。八代亜紀の歌ではありませんが、温めの燗が好きです。しかし焙った烏賊だけでは、小生の胃袋は満足しません。

| | トラックバック (0)

2010年12月18日 (土)

『大詔奉戴六十九年祭』における土屋たかゆき氏の講演

十二月八日に行われた『大詔奉戴六十九年祭』において、土屋たかゆき都議会議員は次のように語った。遅ればせながら報告します。

           ◎

「今の日本は歪んだ形で国家が形成されている。大東亜戦争は間違っていたというところから出発していることにその原因がある。当時の世界情勢は侵略に次ぐ侵略。イギリスはは中国に阿片を持ち込んだ。西太后は阿片中毒で死んだ。私は昭和二十七年生まれ。占領軍放出のミルクで育った。大東亜戦争は間違っていたという教育を受けた。

大英博物館の展示物の八0%はアフリカから収奪したもの。ツタンカーメンの金のマスクだけ返した。パリの下水道はアジア・アフリカから収奪した富で出来た。黒人をモノとして扱った。黒人を乗せた奴隷船にサメが付いてきた。病気になった黒人を海に投げ込んだから。こういうことは全く学校で教えない。日本のみが侵略したように教えている。ハワイはアメリカが侵略。フィリッピンはスペインが侵略。アメリカがスペインとの戦争に勝ったので、フィリッピンはアメリカの植民地になった。仏印はフランスの植民地。

日本の仏印進駐は批判してもフランスの侵略は批判しない。日露戦争の後、オレンジ作戦で日本を追い込んだ。アメリカは『人種差別撤廃条約』に反対し、『反日移民法』を作った。そこで日本は満州に出た。政治家の殆どに歴史観が無い。戦後体制を克服しなければならない。日本の戦争は正義の戦争。日本植民地政策は投下資本の方が多い。

二千六百年の歴史の中で、一回しか戦争に負けていないのに、何故謝り続けるのか。日本が謝るのなら、イギリスは世界の百カ国以上に謝らねばならない。時代の変革期には変人がいなければならない。行動を伴った発言をすれば国民はついてくる」。

| | トラックバック (0)

天皇の尊貴性について

『現行占領憲法』上の「主権の存する日本国民の総意に基づく象徴」という「御地位」は、一体いかなるものであるのか。まことに畏れ多い表現ながら、小沢一郎が言う如く、「天皇陛下は政治権力者の操り人形」ということなのか。

歴史的連続性・伝統性を否定し、主権の存する国民の総意に基づくのみの「天皇の御地位」は、天皇・皇室の尊厳性を隠蔽し、天皇・皇室は政治権力者・官僚の「操り人形」になる。現実にそうなりつつある。小沢一郎や中井某のような政治家がいるのだから…。

そもそも大衆と同じレベルの『人』が「国家国民統合の象徴」になることは不可能である。その不可能を今まで可能にして来たのは、皇室の伝統性がまだ生きているからである。

現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子としての皇太子への回帰・天皇の御本質の復元が第一である。建国以来三千年の伝統を護持する事が最も大切である。皇室の御事はそこから考えねばならない。

日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策にのっとった『現行占領憲法』は、否定されなければならない。憲法改正は、国家の基軸中の基軸である「天皇の統治大権・祭祀大権」の回復が行われなければならない。

天皇は、国民を統合される尊貴な御存在であらせられる。天皇の尊貴性は、天皇が神にして人・人にして神=現御神であらせられるということである。日本国の祭祀主であり統治者としての御本質に立ち返っていただくことが基本である。神とは人ではないという事ではない。人としてもっとも尊貴な御存在ということである。日本の神とは、全知全能の唯一絶対神ではない。日本の神は大自然の中に生きる久遠のいのちであり祖霊である。天皇はその体現者であらせられる。天皇は、現御神(人にして神)という天皇の御本質を回復されるべきである。

小沢一郎は、どう考えても、戦後日本における最悪の政治家である。逆賊と断じてもいい。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、友人の専門家の方に来ていただいて、パソコンのメンテナンスをしていただく。また、「ツィッター」の説明・操作の指導をしてもらった。そして、「ツィッター」というのを始めました。まだ慣れません。

その後、病院に赴き、父に付き添う。父はすやすや寝ていた。二日間来ることが出来なかったので、心配だったがほっとした。

帰途、団子坂下で地元の友人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

| | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

「萬葉集」の掉尾を飾るに相応しい家持の歌

本日の「萬葉會」において、「萬葉集」の掉尾を飾るに相応しい家持の歌を講義した。

 大伴家持は、日本の国の国柄の素晴らしさを後世に伝えなければいけないという使命感を持って、「萬葉集」の編纂に関わり、自らも歌を数多く詠んだのである。「萬葉集」は平穏無事の時代に編纂されたのではない。大化改新・壬申の乱などという大変革・大建設の時代に、日本の国の理想・國體の本姿を語り伝へるために「萬葉集」は編纂された。

 しかし、支那と比較すればわが国は平穏に歴史を経過して来た。支那は「易姓革命」といって、王室の姓が変わる革命が繰り返された。「易姓革命」とは、儒教の政治思想の一つで、天子は天命により天下を治めてゐるのであって、天子に不徳の者が出れば、天命は別の有徳の者に移り、王朝が交代するといふ思想である。わが国の天皇統治の道統には一切さういふ思想はない。天皇その方が天の神の地上における御代理・御顕現であり、現御神(うつし身として現れられた神)である。天皇の御意志そのものが天命なのである。一系の天子が永遠にわが国を治められるのである。だから支那のやうな王朝の交代とそれに伴ふ国家の分裂や興亡は起こらなかったのである。      

 三年春正月、因幡國の廳(まつりごとどころ)に、国郡の司等に饗(あ へ)を賜へる宴の歌一首

                      

                

新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よごと)

                (四五一六)          

 大伴家持が四十二歳の時の賀歌(お祝いの歌)で、「萬葉集」最後の歌である。天平宝字三年(七五九)の正月(太陽暦では二月二日)、因幡の國(鳥取県東部)の國廳(行政を扱う役所)で、因幡守(今日の県知事)であった家持が、恒例により郡長などの部下に正月の宴を与へた時に詠んだ歌。

 「いや重け吉事」の「重け」はあとからあとから絶える事なく続くこと。「新しい年のはじめの初春の今日降る雪の積もるやうに良きことが積もれよ」といふほどの意。

 元旦に雪が降るのは瑞兆で、その年は豊作であるといはれてゐた。しんしんと雪が降り積もるやうにめでたきことも重なれよといふ願望を歌った。雪の降る眼前の光景を見て歌った平明で清潔で堂々たる「萬葉集」の掉尾を飾るに最も相応しい名歌である。

 人麻呂の時代即ち初期萬葉の時代は、壬申の乱などがあったが、それでも神ながらなる日本を讃える歌を歌った。しかし、家持の時代になると、仏教しかも悪い意味の祈信仰が浸透し、藤原仲麻呂の専横・僧道鏡の出現など日本国の本来の大らかさ・明るさ・さやけさ・清らかさが隠蔽されつつあった。

 家持と同族であった大伴古慈悲とか大伴古麻呂という人たちは、橘奈良麻呂と一緒に、称徳天皇の寵を得て専横をきはめてゐた藤原仲麻呂打倒のクーデターに関ってみんな粛清されてしまった。そして直接クーデター計画に関わらなかった家持も因幡國に左遷されたのである。家持は後に、都に戻る。

 しかし、家持は、年の初めにかういふめでたい歌を詠んだ。「言事不二」という言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。聖書にも「言葉は神なりき。よろずものこれによりて成る」と書かれてゐる。家持が、「いや重け吉事」と歌ったのは、めでたい言葉を発することによって吉事が本当に事実として実現すると信じたのである。

 そして、「萬葉集」の最後の歌にこれを収め、一大歌集の締めくくりにしたところに、なにがしかの意味があると考えるべきである。国が混乱し、世の有様は悲痛であり慟哭すべきものであっても、また自分の一族が危機に瀕してゐても、否、だからこそ、天皇国日本の国の伝統を愛し讃へ、日本の国の永遠の栄えと安泰を祈る心の表白であらう。

 また、「萬葉集」編者(家持自身かもしれない)は、祝言性豊かなこの歌を全巻の最後に置き、「萬葉集」を万世の後まで伝えやうとする志を込めたといはれてゐる。我々は「萬葉集」という名称に、無限の力と祈りとを実感するのである。

 ともかくこの歌は、わが国の数多い和歌の中でもとりわけて尊くも意義深い歌である。

 この歌は、淳仁天皇が御即位された翌年の正月に詠まれた歌で、「萬葉集」の歌で最も作歌年代の新しい歌である。また家持の歌としてもこの歌が年代が最も新しい。この歌の後に家持が詠んだ歌は「萬葉集」に収録されてゐない。ということは、因幡國から都に戻った家持は、藤原仲麻呂打倒計画にまたまた巻き込まれ、今度は薩摩守に左遷されるが、再び都に戻り、参議兼東宮大夫、東北鎮撫の総帥持節征東将軍などを歴任し、延暦四年(七八五)、六十四歳でこの世を去ってゐる。

 したがって、この歌を詠んだ四十六歳から亡くなる六十四歳までの長い期間、家持が全く歌を詠まなかったということは考へられない。どうして歌が残ってゐないのかが不思議である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、大伴家持の『萬葉集』巻末の歌を講義。

午後六時より、永田町の憲政記念館にて、「呉竹。會アジアフォーラム」開催。頭山興助会長が挨拶。第一部は、石破茂自民党政調会長が講演。第二部は小磯明都議会議員・藤井厳喜氏などによる討論。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

101216_200601

呉竹会にて挨拶する頭山興介会長

|

2010年12月16日 (木)

赤穂浪士について

元禄十五年十二月十五日未明、赤穂浪士による吉良邸討ち入りが行われた。艱難辛苦を乗り越えて主君の仇を討った行為は、武士の鑑として歴史的に高く評価されてきた。三波春夫氏の「俵星玄蕃」は、赤穂浪士の討ち入りをテーマとした歌である。私は、発売された直後、昭和三十九年の高校時代にこの歌を覚えた。以来、年末になると、忘年会などでよくこの歌を歌わせていただく。

赤穂城にも十年ほど前に行ったことがある。もちろん、高輪泉岳寺にも数回参詣させていただいた。元禄時代から四百年くらい経過しているのに、今でも、赤穂浪士のことは忘れなれていない。『鉄道唱歌』に「高輪泉岳寺 四十七士の墓所 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも」と歌われている通りである。

「忠臣蔵」とも言われ、芝居や歌や映画にこれほど多く題材になっている事件もめずらしいではないか。それだけ日本人の心情に合う事件だったということであろう。

赤穂藩士に大きな思想的感化を与えた人物は、山鹿素行である。江戸時代において、尊皇思想を鼓吹した人物であり、幕末の勤皇の志士にも大きな影響を与えた。徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、一君万民の正統思想を説き、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』といふ歴史書を著した。これは日本の特質を儒教思想によって論じているという。「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本は神国であり天皇はご子孫であるとの意見が開陳されている。

支那は自国を「中華・中国・中朝」とし、外国をことごとく野蛮な国と断じている。素行は、その「中華・中国・中朝」は実に日本であるとして、書名を『中朝事実』としたのである。つまり山鹿素行は、日本国を支那と同等あるいは上位に置き、国粋思想を支那の学問を借りて論じたのである。

尊皇精神が、日本民族の道義精神の基本であることは、山鹿素行と赤穂浪士の事績を見ても明らかである。それだけに、民主党政権の尊皇精神の蹂躪・皇室冒瀆は許されない。

吉良上野介に関しては、芝居や映画では敵役になっているが、実際にはそうではなかったという説もある。歴史の見方は色々である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月十五日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後一時半より、三田にて開催された「大行社幹部会」でスピーチ。この後、忘年会開催。小林節慶応大学教授・作家の郡順史氏・犬塚博英氏・渡辺謙二氏が挨拶。小生は「長編歌謡浪曲・俵星玄蕃」「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌う。帰途、高齢の郡順史先生を秋葉原まで送らせていただく。郡先生は、今はあまり使われなくなった「文士」という言葉がぴったりの方である。

帰宅後は、明日の『萬葉會』における講義の準備そして『政治文化情報』発送準備。

年末となり、会合も多く、今週中に書きあげねばならない原稿数本などがあり忙しい日々です。しかし、こうしたことは大変有難いことだと思っております。ただ父が入院している病院に行く時間がない日があるのが残念です。また今日は、今年最後の『一水会フォーラム』に行くことができませんでした。

| | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

国旗を侮辱する警視庁に抗議を

土屋たかゆき都議会議員から、次のようにメールが届いた。  

            

            ◎

古賀俊昭都議(自民・日野)が、警視総監に抗議を申し入れた

こともあろうか、警視庁は、暴走族の取り締まり訓練で、神聖な「国旗」を暴走族に持たせた。
暴走族は、言うまでもなく「違法行為」を繰り返す集団。取り締まるのは当然だ。しかし、何故、国旗をもたせなければいけないのか。
彼らが持つのは自由だ。暴走族と言えども「日本国民」に違いはないから。
しかし、警視庁の訓練で、違法行為をする集団に、意図的に、国家の象徴たる神聖な「国旗」を持たせる理由はどこにある?

数年前の「SAPIO」に中学生時代に国旗を書いたら、日教組の教師に「日の丸は暴走族の旗だ」と言われたと投稿があった。今回の警視庁の行為は、日教組の、こうした偏向教師の発言を補完することになる。

そもそも、暴走族の取り締まりも、無理な追跡はしないとか何とか言って、あいまいにする。だから、数十年前、水元公園で、怒った住民がピアノ線を張って暴走族が死亡した。張った人間は不明だが、それ以来、暴走族の暴走行為はなくなったと聞く。
違法行為を繰り返し、追尾され、転倒して死亡するのは「自業自得」ではないのか。アメリカなら、銃撃されてもおかしくはない。
肝心なことをしないで、訓練ばかりして、それに神聖な国旗を使用するなど、言語道断だ。

国旗を侮辱することは、天皇陛下を象徴を仰ぐ、日本国を侮辱することに通じる。

この行為を警視庁は「どう責任をとるのか」お聞きしたい。
古賀都議は、都議会議員といて、自分は、警察・消防委員会委員として聞きたい。従って、警視庁は、明確に答える義務がある。

違うか?
もし、受けてもらえるのなら、公開ディベートをしようではないか。
これを企画した担当部長と私か古賀都議、双方二人づつでも結構。
公開で、この行為が正当かどうか議論しよう。

【困りごとなどで、警察に相談したい時は、
警視庁総合相談センター「#9110」又は「03-3501-0110 begin_of_the_skype_highlightingend_of_the_skype_highlighting 
(平日のみ受付/8:3017:15 
に、ダイヤルしてください。】警視庁hpより引用
『国旗を侮辱した行為は、日本国民として”困りごと”だから相談してもいいでしょう』

■古賀都議に、激励の電話 メールを!
      0425-87-2200
      koga@toshiaki.name

             ◎

こうしたことは以前にもあった。何かの国際会議が日本で行われる直前に行われた右翼の抗議活動取締り訓練で、「右翼」の役を演じる機動隊員に「国旗」を持たせた。

警察は、他の官庁と比較すると、国旗・国歌を大事にしているように思えるのだが、こういうことが繰り返されるとなると、そうではないということになる。

国旗・国歌を本当に大切に思っているのなら、訓練の制圧対象に「国旗」を持たせるなどということができるはずがない。

国旗国歌法制化に反対し、国家を歌うことを拒否した人物が、内閣総理大臣になり、皇室を侮辱する人物が国家公安委員長をしている世の中だがら、官庁・役人が「国歌国旗」を侮辱するのも当然か。

警視庁警備当局は、国会への請願行進でも、国旗を捧持して行進することを禁じている。これもおかしい。国旗を奉持するのと、赤旗を立てるのとの一緒にしているのだ。しかも真正保守の人々の請願行進で参加者が手にする国旗は、小さな紙製の国旗である。武器になる可能性は全くない。それても駄目だと言う。

国旗は、太陽をかたどっている。天照大御神は皇室の御祖先神であらせられると共に太陽神であらせられる。国旗を侮辱することは、すなわち、皇室を侮辱することであり、祖国を侮辱することだ。

警視庁には、昭和天皇の御製碑が建てられている。官庁に「天皇の御製碑」が建てられているのは、警視庁以外にないのではないか。私は寡聞にして知らない。しかるに、最近はこのような体たらくになっている。許し難いことである。

警視庁に厳しい抗議をしなければならない。警視庁の国旗に対する侮辱は、土屋氏の言われるとおり、まさに国家的な困りことである。

| | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

千駄木庵日乗十二月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務・資料の整理など。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、明日の会合でのスピーチ及び木曜日の『萬葉會』における講義の準備。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月十三日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、先輩の事務所訪問。懇談。

この後、お茶の水で、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

夕刻、病院に赴き、父に付き添う。

この後、湯島で地元の先輩と懇談。先輩曰く「不良役者と暴走族の喧嘩を何でこんなに大騒ぎするのか」。全く同感である。メディアの視聴率・雑誌販売部数稼ぎ以外の何物でもない。

帰宅後は、書状執筆。

| | トラックバック (0)

民主党政権は文字通り亡国政権だ

民主党政権も末期的症状である。どうしようもない。政権交代が行われるべきだ。小沢を政界から追放しなければならない。そして左翼革命勢力の残りカスが政権を担っている状況も一刻も早く是正しなければならない。

わが国の政治状況が不安定になっていること、そして北朝鮮や共産支那に軍事的圧迫を受けていることに乗じて、北方の熊・ロシアがわが国に対して不当不法な行為を繰り返すようになっている。まさに前門の虎・後門の狼である。こうしたことは、全て民主党政権の責任である。

政治腐敗・政治資金問題・外交問題・沖縄問題・領土問題などありとあらゆる問題でも民主党政権は、まともな対処できなくなっている。そしてバカと阿呆の絡み合いの争いを続けている。

そしても最も重大なのは、小沢一郎・中井洽の、皇室を冒瀆した言動である。この二人は仲が良い。そして二人とも人相が悪い。山岡某も人相が悪い。類は友を呼ぶのである。

民主党政権は文字通り亡国政権だ。

| | トラックバック (0)

2010年12月13日 (月)

『日本美術院の画家たち』を参観して

今日参観した『日本美術院の画家たち-横山大観から平山郁夫まで-』は、「岡倉天心(てんしん)により、1898(明治31)年に在野の美術団体として創設された日本美術院は、茨城県五浦(いづら)への移転の低迷期を経て、天心の一周忌にあたる1914(大正3)年9月に大観、下村観山(しもむらかんざん)らによって再興されます。彼らは、古典研究の上に絵画の新生面を開いていこうとする天心の遺志を受け継ぎ、個性を尊重した自由な制作に取り組みました。伝統絵画を学ぶ一方、ヨーロッパ絵画や東洋画から多くを吸収し、柔軟な発想と新鮮な感覚でそれぞれが独自の画風を創出していきます。特に当館所蔵作品の中心である大正から昭和にかけての日本美術院は、多くの気鋭の画家を輩出した黄金期といえましょう。…個性溢れる作品と共に近代日本画発展の足跡をたどります。」(案内書)との趣旨で開催された。

横山大観《作右衛門の家》、《月出皎兮(つきいでてこうたり)》、《春の水・秋の色》小林古径《清姫》、安田靫彦《平泉の義経》、前田青邨《腑分》、堅山南風《彩鯉》奥村土牛《鳴門》、小茂田青樹《丘に沿える道》、富取風堂《もみぢづくし》速水御舟《翠苔緑芝》、小倉遊亀《舞う》、岩橋英遠《暎》、吉田善彦《尾瀬三趣》、守屋多々志《聴花・式子内親王》平山郁夫《バビロン王城》などを見る。

どれも圧倒されるような見事な作品ばかりであった。特に、速水御舟《翠苔緑芝》は、色彩が美しかった。小倉遊亀《舞う》は、女性がよくこれほどの大きな絵を二つも描くことができた感心した。小倉遊亀さんは、小生の文芸上の師である中河与一氏夫人の故中河幹子先生(歌人)と奈良女子高等師範(現・奈良女子大学)で同級生であった。奥村土牛の《鳴門》は、父の故郷の徳島を訪ねた時に見た鳴門のうず潮が描かれていた。

日本美術院は明治三一年、岡倉天心が校長をしていた東京美術学校から追放されたた後、天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその維持発展を図る」ことを目的として創設された民間美術団体である。小生が住んでいる千駄木の隣町である谷中に建てられた。その地は現在、岡倉天心記念公園となっている。園内の六角堂には、平櫛田中作の天心坐像が安置されている。


また、『日本美術院院歌』天心作詞の院歌を、横山大観が碑にして建てている。その碑には


「谷中うぐいす初音の血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい 奇骨侠骨開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでもよい 録天心先生作日本美術院院歌大観」 

と刻まれている。とても美術学校との校歌とは思えない勇ましくも雄々しい歌詞である。「初音」とは、当時の町名の「谷中初音町」と鶯の鳴声をかけたもの。命懸けで志を貫徹するという強い意志を示した歌である。この時、岡倉天心は数え年三七歳、横山大観は三一歳であったという。民族運動の大先輩・北上清五郎先生が小生の出版記念会でこの詞を吟じて下さった。

大正二年九月二日に天心が逝去し、翌年の一周忌に大観等によって日本美術院が再興された。その再興の綱領には「芸術の自由研究を主とす。故に教師なし先輩あり。教習なし研究あり」と宣言するものであった。

岡倉天心や横山大観は烈烈たる気迫の持ち主であった。天心は「東洋の理想」「日本の目覚め」などの著作で日本精神を表現し、大観は霊峰富士を描いた絵画などで日本精神を表現した。その精神を受け継ぐ絵画を今日は鑑賞することができた。

| | トラックバック (0)

2010年12月12日 (日)

千駄木庵日乗十二月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、広尾の山種美術館にて開催中の日本美術院の画家たち-横山大観から平山郁夫まで-』展参観。

帰宅後は、『政界往来』連載原稿執筆・脱稿・送付。中井氏批判を書きました。

| | トラックバック (0)

女性は祭祀を行うことができないという主張は誤り

来年早々に行われる「國體政治研究会」で小生が話をさせていただくことになったので、少し祭祀のことを勉強している。神祭り・祭祀は、女性は行うことができないという主張がある。これは大きな誤りである。古代日本においては、むしろ女性が祭祀を行っていた。斉明天皇・持統天皇をはじめ女性天皇も祭祀を執行あそばされていた。

新嘗祭を歌った「萬葉集東歌」に、

にほ鳥の葛飾早稲(わせ)をにへすともその愛しきを外(と)に立てめやも (三三八六)

という歌がある。通釈は、「(にほ鳥の・枕詞)葛飾の早稲を神饌として供へる祭事の夜でも、あの愛するお方を外に立たせてはおかれやうか、立たせてはおかれない」といふ意。

「にへすとも」の「にへ」は、神に捧げる食べもののこと。「にへす」は、その年の新穀を神に供へて、感謝すると共に来年の豊饒を祈る新嘗の祭を行ふこと。古代の農家は、家毎に新穀を供へて物忌みをして新嘗の祭を行った。その家の女性が、神主・祭り主となって、神に新米を供へる新嘗祭を行って、男たちはその期間中家にゐることは許されなかった。女性は祭り主として家に残り、男は外に出かけたのである。

新嘗祭に奉仕する女性の物忌みは、奉仕の女性以外、家人は、親といへども、夫といへども、その家に入ることは出来なかった。家中の男を外へ出して、自分は祭主として神様に仕へてゐる。

そのやうに厳しい新嘗祭の物忌みも、愛する人のためならあへて侵さずにはゐられないといふ、恋する乙女の燃えるやうな情熱をうたった歌。愛する男を外に立たせてはおけないといふ歌である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、「政治文化情報」の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

中井洽氏への質問書

中井洽衆議院議員に次のやうな質問書を提出したことを報告します。

          ◎

謹啓

十一月二十九日に、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、参議院本会議場で行われた「議会開設百二十年記念式典」において、貴下は、天皇、皇后両陛下のご来臨を起立して待っておられた秋篠宮同妃両殿下に対し奉り「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と野次を飛ばした。

このことは、桜内文城参議院議員が「ブログ」で、「ある民主党ベテラン議員は、秋篠宮殿下御夫妻が入場された後、天皇皇后両陛下の御入場をお待ちになる間、ずっと起立されていた(当初の式次第では着席されることとなっていた)のに対して、『早く座れよ。こっちも座れないじゃないか。』と野次を飛ばす始末。想像を絶するようなことが起こっていたのが実情です。」と書いたことによって判明した。桜内氏のみではなく、周囲にいた議員たちも貴下がそのような発言をしたことを認めている。

貴下は、十一月一日、報道陣に「野次ではない。(式典の)行程表にはお座りになると書いてあり、一同着席となっている。どうしたんだろう、宮様に伝えていないのかね、ということを(周囲の議員に)申し上げた」と釈明した。

しかし、秋篠宮・同妃両殿下が、両陛下をお迎えするために起立されていたのだから、臣下たる者黙って起立していればいいのである。ぐずぐず文句を言うこと自体、不敬千万である。断じて許されない。

また、貴下の「尊皇精神」「皇室への敬いの心」を云々する以前に、私語を慎まなければならない場で、私語を発すること自体許されない。人間・政治家としての常識が欠けている。

さらに「議会開設百二十年記念式典」において貴下は何と、天皇陛下が御着席になるや否や早々に着席した。その時、皇后陛下も秋篠宮同妃両殿下も御起立されたままであった。貴下は、皇后陛下が未だ御着席になっていないのを見て、再び立ち上がった。

貴下は、法務大臣・国家公安委員長を歴任し、長い間衆議院議員を務めてきた政治家である。貴下の言動は、いかに日本の政治家と称する者共の質が低下しているかを証明するものである。否、質の低下などという言葉で片付けられない。貴下は、日本国の君主であらせられる天皇陛下に対する尊崇の念・かしこみの心・皇室を敬う心が希薄なのだ。否、ないと言った方がいい。

菅直人総理は、「昭和天皇退位論者」であり「国歌君が代斉唱」を拒否した。小沢一郎元代表は、畏れ多くも「皇室は騎馬民族の子孫だ。御陵を暴けばそれがわかる」「天皇は政府の言いなりになれ」などと言った。

今回の貴下の悪質さは、秋篠宮同妃両殿下の御前での言動であり、天皇皇后両陛下がご臨席あそばされる直前での言動であることである。

民主党政権の中枢に、菅・小沢両氏そして貴下のように尊皇精神・皇室への尊敬の念が欠けるばかりでなく、天皇の尊厳性を冒瀆し、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體を破壊するような人物いることは許し難い。

尊皇精神は日本の道義精神の根幹である。尊皇精神の薄い人ほど道義観念も薄い。貴下はその典型である。貴下は、これまで、道義的に政治家失格と思われる所業を行ったと指摘されている。国家公安委員長という重責にありながら、SPを外して三十歳以上年の離れた銀座のホステスと連日のようにデートを重ねただけでなく、そのホステスは、議員宿舎のカードキーを使ってたびたび赤坂議員宿舎に入っていた。 

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず真の國家の危機である。

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。日本はまさに危機的状態に陥っている。日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。

天皇及び皇室の尊厳性を冒瀆した貴下の罪は重大であり、断じて許し難い。速やかに、衆議院議員を辞職することを強く要請する。

謹白

平成二十二年十二月六日

四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

一水会代表       木村三浩

中井洽殿

| | トラックバック (3)

千駄木庵日乗十二月十日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、諸雑務。中井前国家公安委員長のことなどについて語り合う。中井氏は、短期間ではあったが法務大臣を経験している。治安と司法の責任者を経験した政治家が、日本国民としての基本的な良識・節度・矜持を欠いていることはまことに情けないということを話し合った。政治家失格であることは間違いない。。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2010年12月10日 (金)

第8回「日本の心を学ぶ会」のお知らせ

第8回「日本の心を学ぶ会」のお知らせ


平成22年を振り返ると皇紀2670年の節目の年でありますが、日米安保50周年、鳩山内閣解散、管内閣成立、普天間基地問題、日韓併合100年、そして尖閣諸島事件、北朝鮮・韓国の軍事衝突と、まさに風雲急を告げる激動の年でありました。
 
然しながら敬神勤皇、國体護持の我々の運動を振り返りますと、未だ大御心にかなう真日本人として成りえて無いのが現状ではないでしょうか。

修理固成、光華明彩。この日は天長節一般参賀が皇居にて祝賀されますが、この日を合わせて國体に関するテーマ、そして時局と関連させた勉強会を下記の通りに開催致します。当日は忘年会も兼合いますが皆様お誘いあわせの上ご出席頂きますよう宜しくお願い申し上げます。

【日 時】 平成22年1223日(木) 午後5時45分開場 6時開会 8時まで講義その後は質疑応答
【登壇者】   四宮正貴先生 四宮政治文化研究所
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/<http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/>
  瀬戸弘幸先生 せと弘幸Blogu 『日本よ何処へ』
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/<http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/>
【司会者】  日本の心を学ぶ会 代表 渡邊昇

【場所】
港区生涯学習センター「ばるーん」304学習室
東京都港区新橋3-16- TEL03-3431-1606
交通機関 JR:新橋駅下車 烏森口徒歩3
地下鉄 浅草線・銀座線・ゆりかもめ:新橋駅下車 JR乗り換え口 徒歩4
地下鉄 三田線:内幸町駅下車 A1出口徒歩10

【参加費】
資料代500 終了後、近隣で懇親会(3000円くらいの予定です)

【連絡先】
日本の心を学ぶ会事務局
埼玉県川口市安行藤八33-13
電話:090-8770-7395
尚、問い合わせは、港区生涯学習センター「ばるーん」せをせずに、日本の心を学ぶ会事務局までご連絡を下さい。

渡邊昇
住所 埼玉県川口市安行藤八33ー13
携帯電話 090ー8770-7395


| | トラックバック (1)

「教育勅語渙發百二十年記念講演會」のお知らせ


===============
教育勅語渙發百二十年記念講演會
===============

《開催趣旨》
 明治二十三年十月三十日、明治天皇より教育勅語(「教育ニ關スル勅語」)が下賜されて百二十年。この節目の年に當り、別記次第により記念講
演會を催します。
 講師にお招きするのは尊皇文武の志士として、知る人ぞ知る森田忠明樣です。
 森田樣の志士たる信條・氣風・見識を吐露した著作は、歌集を含めていろいろありますが、中でも異彩を放つのが『教育勅語いま甦る逸話に學
ぶ大和ごころ』(財團法人日本精神修養會發行)です。上下二卷計七百五十頁のこの大册は、學校法人日本航空學園の教材として平成二十年に出
版されたものであり、市販されてゐないのが殘念ですが、教育勅語の解説書としては比類がありません。
 教育勅語の渙發は、歐米文物流入の中で道徳が輕視され國民思想が混亂する時代風潮を深く憂慮された明治天皇の聖旨が結實したものと申せませ
う。以來百二十年、同樣の時代風潮は遥かに惡化した樣相で祖國を覆ひ盡し、亡國の慘状を呈してゐます。今日ほど教育勅語の精神が見直されるべ
き時はありません。その見直しの最適任者の一人が森田樣であります。
 有志各位の御來席をお待ちしてゐます。
 平成二十二年十二月吉日

《主催者及び呼掛人》
 教育勅語渙發百二十年記念講演會實行委員會
 魚谷哲央・四宮正貴・中村信一郎・福永武・藤本隆之・三澤浩一・小川力・小田内陽太(正五十音順)

【日 時】十二月十九日(日曜)十四時~十六時半
【會 場】靖國會館二階 田安の間
【講 師】森田忠明樣(東京文武館館長 日本歌壇代表)
【演 題】教育敕語の現代的意義
【參加費】千圓
【問合せ】090-4815-8217(中村)
【申込先】參加申込みはFAX又はEメイルにて下記宛に
 FAX:03-3712-8862(電話兼)
 Eメイル:nakasin@pop11.odn.ne.jp 又は caq97080@pop11.odn.ne.jp
---------
〔講師略歴〕
 昭和二十四年兵庫縣生れ。國士舘大學政經學部に學び、東亞學院中國科卒業。陸上自衞隊勤務後、文筆業に從事、傍らガイドとして中國大陸を巡
る。平成十二年、國士養成を目的に山梨縣に森田塾を創設、二十年一月玉鉾書院に改名。機關誌布衣之風發行。櫻風歌會主宰。千三歌會講師。在野
活動網國民行動幹事。皇居勤勞奉仕團體玉鉾奉仕團團長。大詔奉戴祭竝びに天長節を祝ふ會實行委員長。
〈著書〉『獄中ナンバー689』、『憂國と望郷昭和浪人逍遙賦』、『まづ一獻荻窪醉夢談』、『颯颯と森田忠明隨筆集』
〈共著〉『國風戊寅合同歌集』、『長城甲申合同歌集』、『國士内田良平その思想と行動』

| | トラックバック (0)

神社神道と日本近代

鎌倉にて、葦津康國・伊波新之助・木村三浩三氏と懇談した際、近代以後の神社神道のことが話題となった。「国家神道」と言われる体制が敷かれ、神社が内務省神社局の管理下に置かれ、神職は公務員になった。「神社神道は宗教にあらず儀礼である」ということとなり、信仰精神が形骸化された。御託宣とか神がかりは否定された。神社は専ら儀礼としての祭祀のみを行い、神道精神に基づく宗教的救済活動も行わなくなった。宗教的救済活動は、天理教・金光教・黒住教・大本教・生長の家などの教派神道が行うようになった。

                         ◎

葦津珍彦先生は、

「明治維新に際して「祭政一致」「神仏分離」「大教宣布」の国策決定に大きな働きをした玉松操などをはじめとする主要人物や活動家は、明治3年には早くも政府中枢と対決を生じて、その後10年のうちに追放され、刑死され、戦没するなどして、いわゆる神道勢力全般は「残党なお亡びず」といった悲惨な状態になってしまっていた。」

「神社局の消極主義は、無精神、脱イデオロギー、ことなかれ主義とも言いかえる事ができ、神宮神社を著名な天皇、皇族、または国家、郷土に功労のあった人々を崇敬するためのモニュメントとして、神霊を祀る神道独自の精神を著しく否定するものだった。神社局長のポストが任官待ちのポストで祝詞も古典も知らないような官吏が腰かけにするようなものであったところをみても、いかに当時の政府が神道に何の期待もしていなかったかがわかる。」(「武士道、天皇、国家神道」)

「神社は宗教に非ず」との政府の公式見解は、古来の日本人の神道信仰心理を抹消しようとした。…内務省の公式見解は、議会、とくに衆議院の建議者たちとは異なって、非宗教といふことを、きはめて世俗の常識合理主義の意味での国家精神(国民道徳)以上のなにものでもないとの意味に解することになった。その解釈を要約すると、神社とは、日本帝国の天皇、皇族または、国家社会に特に功績のあった人格者に対して、伝統的な礼法をもって表敬すべき場所であるといふことである。神主は、国家的記念堂(メモリアル・ホール)の儀礼的執行者であり管理人であって、特殊格別の宗教信仰心や思想を持つものではない。忠良な臣民としては、仏教、儒教、キリスト者と同一の国民精神を持つべきで、神道といふ特殊の宗教や思想の対立的独自の立場があるべきではないといふのである。」(「国家神道とは何だったのか」)と論じておられる。

            ◎

明治維新当初は、祭政一致の古代国家再生が実行されようとしたが、それは文明開化路線とは相容れずかつまた仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。神道はむしろ形骸化されたというべきである。

仏教を尊崇した徳川幕府打倒の戦いであった維新の後、明治初期に「神仏分離令」が出され、廃仏毀釈が行なわれたのは徳川幕藩体制下で、神道・神社が仏教から圧迫され制約を受けていたからである。その反動である。

祭政一致の國體は隠蔽され、神社は宗教ではないとされた。ただ、国民道徳上の儀礼ということになった。「神」も遺徳ある先人と言う事であり宗教上の神ではない。神社神道によって仏教などが圧迫され布教の自由・信教の自由を脅かされたなどと言うことはなかった。むしろ神社神道がその宗教性を剥奪されたと言って良い。

第二維新すなわち明治維新の理想貫徹をめざした人々=神風連は勿論西郷隆盛や江藤新平らは、大体神道を重んじ、キリスト教や仏教には批判的であったが、そういう勢力が抹殺されてしまった。

近代日本の政府は「神道は宗教ではなく神職は宗教家ではないから宗教活動をするべきではない」というのが基本方針であった。神道が国教だったなどというのはまったくの幻想である。

昭和維新運動における根本思想は神道であり、しかもそれは官製の国家神道ではなく、大本などの神道思想であった。大本弾圧後大本にとって代わって登場したのが生長の家である。戦前における出口王仁三郎氏と内田良平氏とのつながり、戦後における谷口雅春氏と影山正治氏のつながりはそれを証明している。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月九日

朝、母のお世話。

午前十一時、鎌倉駅西口に集合。伊波新之助元朝日新聞編集委員・木村三浩一水会代表と共に、鎌倉市佐助にある故葦津珍彦先生の墓所に、ご子息の葦津康國氏のご案内をいただき参拝。供花を手向け、ご冥福とご加護を祈る。

この後、鎌倉駅近くの蕎麦屋で懇談。

帰途、横浜にて伊波・木村両氏と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

          

101209_111401

葦津珍彦先生の墓所前にて。ご子息の葦津康國氏と共に。

| | トラックバック (0)

2010年12月 9日 (木)

政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因

政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にある。日本国民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えている。小沢一郎・中井洽はその典型である。

『現行占領憲法』の基本三原理の一つに「国民主権」が明記され、「国会は国権の最高機関」と規定されている。このことが、国会議員に「国権の最高機関の一員であり主権の存する国民に選ばれた国会議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などといふ意識が生まれ、皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、政治家は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。諸悪の因は『現行占領憲法』にあるというのは真実である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月八日

朝は、母のお世話。

午前十時より、靖国神社本殿にて、『大詔奉戴六十九年祭』執行。国歌斉唱・祝詞奏上・大詔奉読(森田忠明実行委員長)・奉答歌奉唱・玉串奉奠などが行われた。この後、奉納演武が能楽堂にて行われた。

午後十一時四十五分より、靖国会館にて、「記念講演会」が行われた。小生が挨拶を行ない、土屋たかゆき拓殖大学客員教授・都議会議員が「大東亜戦争の意義」と題して記念講演を行った。つづいて直会が催され、出席者が意見発表を行った。

いったん帰宅。

病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、舒明天皇の御製を講義。

大変忙しくも有意義なる一日であった。

| | トラックバック (0)

2010年12月 8日 (水)

天皇・皇室の尊厳性を侵害する者を糾弾する理由

前にも書いたと思うが、私は、「誰それは尊皇の念が薄い」「皇室を敬う心が足りない」と言って他人様を批判するのは余り良いことではないと思っている。「尊皇心」は、日本民族の倫理精神・道義感覚の基本である。「尊皇心」「皇室尊崇の心」「天皇仰慕の心」というのは、国民一人一人が当然持っているべき心である。であればなおさら、国民一人一人の自覚の問題である。他人に対して強要し、自分の判断で「お前は尊皇心が足りない」などと批判すべきではないと考えている。

天皇陛下は、決して権力者ではない。まして独裁者ではあらせられない。日本の国は、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。建国以来、日本民族は天皇を君主と仰ぎ、皇室を神聖にご存在として尊崇してきた。それは、権力や暴力による強制ではまったくなかった。

中井洽氏の不敬言動に対して厳しく批判するのは、彼が権力者であり、与党政治家であり、国民に対して以て範となるべき立場の人だからである。権力者・政治家は、常に神聖なるもの、尊崇すべきものに対するかしこみの心を持っていなければならない。「神聖なるものへのかしこみの心」の無い政治家・権力者は、道義心を忘れ、権力におぼれ、腐敗堕落する。

国民主権論が横溢し、「国会は国権の最高機関」などと言われている。だから、「国民に選ばれた国会議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などという意識が生まれ、皇室尊崇の念が忘却される。そして、政治家は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

わが国において、国民全体が尊崇すべき神聖なるご存在は、「天皇・皇室」であることは言うまでもない。中井洽氏や小沢一郎氏にそれが欠けている。こういう政治家が権力を振うことは国家国民に大きな災厄をもたらす。政治家・権力者(第四権力と言われるマスコミも含む)による國體破壊・皇室の尊厳性侵害は絶対に許してはならない。故に、中井洽氏や小沢一郎氏が行った、天皇・皇室の尊厳性を破壊する行為に対して、これを厳しく糾弾しなければならない。

| | トラックバック (0)

2010年12月 7日 (火)

千駄木庵日乗十二月七日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備。この後、二日ぶりに病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も『萬葉集』講義の準備及び『政治文化情報』の原稿執筆。

| | トラックバック (0)

民主党菅直人政権が続く限り日本の安全は保てない

衆議院における三分の二の議席を確保するために、社民党と関係を修復せんとする菅民主党政権はまったくおかしい。

民主党は六日の常任幹事会で、新たな「防衛計画大綱(防衛大綱)」に関する提言を了承し、原則としてすべての武器や関連技術の輸出を禁じている武器輸出三原則について、見直す方針を明記した。にもかかわらず、同じ六日に菅直人首相は、社民党が反対しているという理由で、「武器輸出三原則見直し」の先送りを北沢俊美防衛相に指示した。国家の安全・東アジアの安定よりも、政権維持を優先させたのである。

社民党という政党は。本来的に北朝鮮と友好関係にある政党である。北朝鮮から資金援助すら受けていたとされる。北朝鮮による我が国国民の拉致も、事実無根としてこれを否定してきた政党である。北朝鮮による韓国及びわが国に対する軍事攻撃の危険が迫っている時期に、社民党と手を結ぶ民主党政権は国家民族にとって百害あって一利なき政権である。

もっとも福島瑞穂は、仙谷由人の弁護士事務所に所属していたというのだから、もともと極めて近い関係にあったのだ。

菅直人・江田五月・仙谷由人・福島瑞穂は、北朝鮮という国際テロ国家から祖国を守ることよりも、左翼革命政権を維持することを優先させる「同じ穴のムジナ」なのだ。自衛隊を暴力装置とする仙谷由人と、自衛隊を憲法違反とする社民党が手を結ぶのは当然である。民主党菅直人政権が続く限り日本に安全は保てない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月六日

午前は、母のお世話。

午後二時半、三鷹駅に集合。同志多数と、故北上清五郎先生の墓所に赴く。線香を手向けて拝礼。ご冥福を祈る。この後、三鷹駅近くの酒房にて、懇親会。北上清五郎先生は、色々ご指導をいただいた民族運動の先輩である。今日は久しぶりに、同志諸氏の前で、「大利根月夜」「名月赤城山」「俵星玄蕃」を歌った。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事及び『政治文化情報』の原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2010年12月 6日 (月)

民社党と中井洽氏

中井洽氏への「質問書」を書いている。中井氏は旧民社党出身である。旧民社党の政治家には、小生の尊敬する政治家が多かった。西尾末広・西村栄一・伊藤卯四郎・水谷長三郎・春日一幸の各氏など錚錚たる政治家がいた。この人たちは皆、反共産主義の立場に立っていた。春日氏が選挙演説で、「自民党は北極にいて南極に向かい、反共を叫べども、その声は南極に届くや届かざるか。わが民社党は、労働運動の中において反共の戦いをしている。」という意味のことを言っていたのを今でも覚えている。民社党の系列に属する政治家、労働運動家は、戦前戦後を通じて、組合運動・政治運動の第一線で、共産主義に反対する運動をして来たのである。

しかし、決して軍や権力に迎合していたのではない。昭和十五年二月二日、支那事変処理を中心とした質問演説(いわゆる粛軍演説)を行った斉藤隆夫代議士に対する「除名決議」に反対したのは、戦後社会党脱党して民社党を結党した西尾末広・水谷長三郎・片山哲氏らであった。「除名決議」に賛成したのが、戦後左派社会党として西尾氏らと対立した浅沼稲次郎河上丈太郎河野密三宅正一の各氏であった。

浅沼稲次郎氏は、第一次安保の時、岸信介氏を「東條内閣の閣僚であり、戦犯だ」と批判し、支那に赴いて「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」などと言ったが、彼こそ戦時中は軍部に協力したのである。浅沼氏は「聖戦貫徹議員連盟常任幹事」も務めた。まさにオポチュニストの典型である。

旧民社党に属していた政治家や党職員には、今日、真正保守運動で大活躍している人がいる。政治家では西村眞悟氏がその代表格である。「國體政治研究会」の代表幹事をされているわが同志・中村信一郎氏も旧民社党本部におられた。拉致問題で大活躍している荒木和博氏も然りである。今は議員を引退されたが、塚本三郎・滝沢幸助両氏は真正保守の立場に立つ立派な政治家である。

その旧民社党に属していた中井洽氏が、今回のような不敬言動を行ったことはまことに残念である。よくよく反省してもらいたい。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月五日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後三時半より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、『おとなの寺子屋・論語の会』開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。この後、団子坂下の中国料理店にて忘年会。講師を囲んで懇談。

帰宅後は、『月刊日本』連載中の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。中井洽氏への「質問書」執筆。

今日は、父の病院に行くことができなかった。私自身がさみしい。

| | トラックバック (0)

2010年12月 5日 (日)

國體護持と「学問・言論の自由」

『憲法懇話会』において慶野義雄平成国際大学教授は次のようなことを語られた。

「大学への文部科学省官僚の天下りは違法である。『学問の自由』は『帝国憲法』の下で確立。ヨーロッパにおける『学問の自由』とは、民主主義というよりは特権階級の自由であり、精神的貴族主義によって出来上がった思想。しかし教会権力に反対すると弾圧があった。一八七〇年代にダーウィンの進化論をめぐって対立があった。人を猿の子孫とする教授に子弟を教育させられるかという批判が起こった。大学教授の職務は、学問の研究と学問の授業。学問というものはその本質上、ある結論を前提とすることはできない。研究の結果、国家主義の学説に到達とようとも、無政府主義の学説に到達しようとも、大学教授の職務を行った結果であって、職務違反とはいえない。京大事件(滝川事件)の職を賭した戦いと名誉ある敗北があって初めて学問の自由の普遍的価値が認められた。学問の自由を守るものは、信念のために勇気を持って戦う勇気であり武士道である。学問の自由を保障する制度が大学の自治である。わが国の学問の自由はアメリカ製憲法によって与えられたのではなく、先人の悲壮な戦いによって築き上げらたれものである。」

            ●

「学問の自由」「言論の自由」は大切である。学問研究そして発表に対して、政府権力が介入することがあってはならない。真理の探究は真摯であらねばならない。と同時に、自由が保障されなければならない。

わが国のみならず世界の学問の歴史、思想の歴史は、そうしたことの戦いの歴史であったとも言える。共産主義独裁体制下の国家ではまったくと言っていいほど「学問の自由」「言論の自由」は抹殺されていた。北朝鮮・共産支那においては今日においても抹殺されている。

國體転覆を目指す活動に対してこれを糾弾し批判を行うのは、「学問の自由」「言論の自由」を侵害することには全くならない。日本國體・日本国家の在り方について学問的に研究し、持論を発表することは自由に行なわれるべきである。しかし、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の破壊は、これを食い止めねばならない。

また、中井洽や小沢一郎が行った、天皇・皇室の尊厳性を破壊する行為に対して、これを厳しく糾弾しなければならない。そもそも彼らのやったことは「学問」「言論」でも何でもないただの破壊活動であり冒瀆行為である。破壊活動から国家を守る行為は国民の義務であり使命である。これは「学問の自由」「言論の自由」の侵害ではまったくない。日本國體の破壊は、あらゆる自由の圧殺につながる。國體護持は窮極的に「学問の自由」「言論の自由」を守ることになるのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月四日

午前は、母のお世話。

午後は、質問状執筆など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、神田学士会館にて『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学教授が座長。慶野義雄平成国際大学教授が「京大事件の立命館大学」、竹内雄一郎高崎経済大学教授が「憲法論に見る国家と国民」と題して研究発表。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2010年12月 4日 (土)

国会が中井洽を懲罰できないなら国民が懲罰するしかない

中井洽は、十一月一日、報道陣に「野次ではない。(式典の)行程表にはお座りになると書いてあり、一同着席となっている。どうしたんだろう、宮様に伝えていないのかね、ということを(周囲の議員に)申し上げた」と釈明した。

中井の「尊皇精神」「皇室への敬いの心」を云々する以前に、私語を慎まなければならない場で、私語を発すること自体許されない。人間・社会人としての常識が欠けている。

さらに「議会開設百二十年記念式典」において中井は何と、天皇陛下が御着席になるや否や早々に着席した。その時、皇后陛下も秋篠宮同妃両殿下も御起立されたままであった。中井は、皇后陛下が未だ御着席になっていないのを見て、再び立ち上がった。尊皇精神は日本の道義精神の根幹である。尊皇精神の薄い人ほど道義観念も薄い。中井洽はその典型である。

中井に対する「懲罰動議」が提出されたが、結局、採決されず、廃有耶無耶になってしまった。中井洽は国賊である。それを擁護する民主党は朝敵である。国会が懲罰できないのなら、国民が合法的に懲罰するしかない。

中井洽は、法務大臣・国家公安委員長を歴任し、長い間衆議院議員を務めてきた政治家である。その罪は重大である。

| | トラックバック (1)

千駄木庵日乗十二月三日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。看護師さん・介護の方が良くしてくれるので有難い。

帰途、御徒町の長い付き合いの店主が経営する酒房で知人と懇談。

帰宅後は、質問書及び原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2010年12月 3日 (金)

亡國政治家による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶すべし

中井洽がいろいろ言い訳していた。また、岡田克也幹事長は2日の記者会見で、「私が知る限り、野次ったとか、そういうことではなかった」と中井氏を擁護した。

しかし、秋篠宮・同妃両殿下が、両陛下をお迎えするために起立されていたのだから、臣下たる者黙って起立して入れはいいのだ。ぐずぐず文句を言うこと自体、不敬千万である。断じて許されない。要するに中井洽は、尊皇精神が希薄なのだ。皇室を敬う心が足りないのである。中井を擁護する岡田も同じである。「声が響き渡る」かどうかの問題ではない。

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず真の國家の危機である。

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。日本はまさに危機的状態に陥っている。 

 

國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって國民を教育し、共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。今日の日本はまさにそういう國家になろうとしている。

日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。

最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

今日のわが祖國日本の道義の頽廃はまさに末期的である。これを打開することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

ともかく、日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月二日

午前は、母のお世話。

午後三時より、ホテルニューオータニにて、『鈴木宗男氏を送り出す会』開催。鳩山由紀夫前首相・森喜朗元首相・伊吹文明・田原総一朗・佐藤優・古賀誠・福島瑞穂・亀井静香・弘中惇一郎弁護士・原田一博・額賀福志郎・小沢遼子・佐高信の各氏らが挨拶した。そして鈴木宗男氏及び令夫人が挨拶した。

私の見る限り共産党・公明党の議員はいなかったが、与野党の政治家が多数出席した。原田一博氏は、「今の内閣は明治維新政府が新撰組に乗っ取られたようなもの」という意味のことを言っていた。民主党内部対立は深刻のようである。

森元総理が「悪法でも法は法」と言い、鳩山前総理が「私が北海道で当選したのは鈴木先生のおかげ」という意味のことを言ったのが印象に残った。江戸時代で言えば、八丈島か佐渡島に島送りになる人を征夷大将軍が二人も見送りに来たということである。世の中の司法への不信が強まっている証拠であろう。

佐藤優氏は、「私は今でも刑務所に入るのに反対だ。癌の治療のために刑の執行停止を求めるべきだった。医療刑務所には絶対に入らないでほしい。ベッドに縛り付けられて、廃人にされる」という意味のことを言った。刑務所の中で抹殺されるという意味の話であり衝撃的であった。

私自身もそうだが、かつて鈴木宗男氏を強く批判していた人が多く出席していた。田原総一朗氏は、「サンデープロジェクト」で鈴木氏を相当とっちめていた。今日、田原氏が出席したということは、鈴木氏に対する見方を改めたということだろう。

私は、ロシアから奪還すべき北方領土は南樺太全千島であると思っている。したがって、鈴木氏とは意見が異なる。しかし、彼の行動力・負けじ魂を評価している。また、いわゆるエリートでもないし、二世でも三世でもないのに頑張ってきたことも評価している。鈴木氏は、我々民族運動の会合に一人でやって来て、自分の立場と主張を訴え、討論した。こういうことは、普通の政治家は絶対と言っていいほどやらないことである。

鈴木宗男氏は、無罪を主張している。令夫人は、「無実の罪を三つも背負って収監されるのは本当に悔しい」と涙ながらに訴えていた。検察の手法の強引さなどを見ると、鈴木氏夫妻の主張は、否定できない。だから総理大臣経験者までが「悪法でも法は法」と言ったのであろう。二百人以上の出席者があったのは、今日の検察への不信を反映していると思う。小生のような庶民というか一般の人間だけでなく、三権の長経験者二人そして立法府の議員四十人以上が出席したということは、裁判・検察への不信がそれだけ大きいということだろう。これは大変な問題である。

帰宅後は、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

民主党逆賊政権を許すな!

中井洽の不敬言動は、いかに日本の政治家と称する者共の質が低下しているかを証明するものである。否、質の低下などという言葉で片付けられない。日本国の君主であらせられる天皇陛下に対する尊崇の念がない。かしこみの心がない。中井洽は文字通り不逞の輩である。

民主党政権の中枢にいる人物に、尊皇精神・皇室への尊敬の念が欠ける人物が多いことはますます明らかになった。菅直人は、「昭和天皇退位論者」であり、「国歌君が代斉唱」を拒否した人物である。小沢一郎は、畏れ多くも「皇室は騎馬民族の子孫だ。御陵を暴けばそれがわかる」「天皇は政府の言いなりになれ」などと言った。

今回の中井洽の悪質さは、秋篠宮同妃両殿下の御前での言動であり、天皇皇后両陛下がご臨席あそばされる直前での言動であることだ。

中井洽だけでなく、民主党政権が逆賊政権だということである。断じて許してはならない。

尊皇精神は日本の道義精神の根幹である。尊皇精神の薄い人ほど道義観念も薄い。中井洽はその典型である。中井は、国家公安委員長という重責にありながら、SPを外して30歳以上年の離れた銀座のホステスと連日のようにデートを重ねただけでなく、そのホステスは、議員宿舎のカードキーを使ってたびたび赤坂議員宿舎に入っていた。

さらに、平成104に妻が自殺している。中井の元秘書は、妻は中井の遊び癖に悩み、地元事務所の職員などに相談したりもしていたと言っているという。

常識的に考えれば、妻を自殺に追い込んだ人物が政治家を続けていること自体が常軌を逸しているのだ。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十二月一日

午前は、母のお世話。

午後は、衆議院第一議員会館に赴く。木村三浩氏と共に、中井洽氏の事務所に赴き、抗議しようと思ったのだが、受付から事務所に電話しても誰も出ない。国会開会中なのだから居留守であるに違いない。仕方がないので、文書で抗議文を送ることにする。そして、ある議員事務所訪問。新しい議員会館にはじめて来た。旧会館よりも広々としている。器は立派だが、中身がどうしようもなくなっているというのが、今の国会である。

この後、病院に赴き、父に付き添う。ここに詳しく書くことはできないが、本当に父が可哀そうでならない。

帰宅後は、資料の整理。

| | トラックバック (0)

2010年12月 1日 (水)

中山恭子参院議員の講演を聞いて

『アジア太平洋交流学会例会』にて、中山恭子参院議員は次のように語った。

「先日予算委員会で質問をした。私は他人をとっちめることをしたことがいない。政治家の判断、特に政府中枢にいる人の判断は直接国益に係る。与えられた課題に直ちに判断しなければならない。瞬時に判断しなければならない。その判断が何年間も影響を与えるという予想も含めて判断できるかどうかが問題。今の国の中枢にいる政治家に正しくない判断が続いている。今の政府は責任を問われることは免れない。国家が国際社会で何をやらなければならないか、どうしたら信頼されるかという観点が抜け落ちている。これは日本にとって不安。

周辺国との関係で、北方領土・竹島・尖閣・拉致問題がある。国が国民を守る意思があるかを問われている。国家として解決していかねばならないという意識をしっかり持たねばならない。

特命全権大使として中央アジアのウズベキスタンに三年間滞在した。中央アジアにはソ連の崩壊によって独立した国々がある。シルクロードが通っている。大使公邸で働いていた数人の人々はみな人種が違った。ユダヤ人・タタール人・韓国人・ウズベク人が、ウズベキスタン国民として生活している。国民の七割がウズベク人。日本人と似ている。テルメズには仏教遺跡がある。サマルカンド一帯はオアシスと言われ綿の産地。

タシケントにあるソ連三大劇場の一つと言われたナヴォイ劇場は、日本人抑留者が建設。独立後の標識にはそれまで『日本人捕虜が建設した』と書かれてあったのを『日本国民が建設した』という表示に変えた。大統領は、『我々は日本と戦争したことはない。日本人を捕虜にしたこともない』と言っていた。ウズベキスタンには日本人墓地がある。タシケントの人々は『日本人はよく働いてくれた。良い人たちだった。あの運河も日本人が作ってくれた。そのお陰で田畑が出来た。水力発電所も作ってくれた。』と語ってくれた。また、『ラーゲリ(収容所)には何もなかったので、近くの子供たちが自分の家に成った果物などを差し入れた。何日かたって。日本人抑留者が手作りのお人形をお礼にくれた。日本人は嘘をつかない。礼儀正しい。規律正しい。誠実で律義。日本人を見習って大きくなりなさいと親に言われた。』と語ってくれた。

大統領は、『教育がテロを防ぐ。日本人は中央アジアでプレゼンスを高めてほしい』と言った。国際社会では日本の元首は、天皇である。そういうことを含めて憲法問題を考えたい。

日本に帰国した拉致された人々は『絶対に北朝鮮の帰りたくない』と言った。どれほど苦しい経験をしたかを感じ取ることができる。

日本は軍事力を使わずに平和を維持しなければならないとすると、いかに外交力が大事かが分かる。国際社会が日本を信頼するという状況を作り出すべし。日本に情報機関がないので、拉致問題の時、片肺飛行をしている感じだった。ビデオ映像問題は、政府の判断ミス。すぐ世界に向かって発信しなければいけなかった。パンフレット・DVDなどで全世界に『尖閣は日本の領土』ということを宣伝すべし。」

         ◎

不勉強にも私は、ウズベキスタンに日本人抑留者の墓地があることを知らなかった。また、ウズベキスタンの国民が日本人を尊敬していることも知らなかった。

ロシア・共産支那・北朝鮮こそ、凶悪なる侵略国家である。これは、日本に対してのみではなく、全アジアに対する侵略者である。共産支那・北朝鮮という独裁専制国家は、旧ソ連が作り出したのだ。だから今日も、ロシア・支那・北朝鮮は連携するのだ。

大規模な米韓合同軍事演習が行われている。本来なら、日本軍も参加すべきなのだ。それができないところに日本という国の置かれている弱さがある。何とかしなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、母のお世話。介護の方と相談。

午後は、諸雑務。

午後六時より、本号の東京大学山上会館にて、『アジア太平洋交流学会』開催。久保田信之代表理事が座長。中山恭子参院議員が講演。

帰宅後は、資料の整理。

いよいよ明日から師走である。何となくせわしない気分になる。久しぶりに東京大学構内に入ったが、暗くて風景がよく見えなかった。銀杏の木が黄葉し、たくさん枯葉が落ちていたのは分った。

| | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »