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2010年11月 4日 (木)

谷中霊園散策記

谷中霊園を経巡ると、本当に歴史の勉強になる。幕末から戦後まで、日本国で活躍した人のお墓が数多くある。青山霊園はどちらかというと、薩長藩閥政府に関係する人のお墓が多いが、谷中霊園は、徳川家の菩提寺である寛永寺に隣接しているためか、徳川慶喜・渋澤栄一など幕府関係者や明治期に野にあって活躍した人のお墓が比較的多いようである。

今日は、次の方々のお墓をめぐった。

伊達宗城 宇和島藩八代藩主。松平春嶽・山内容堂・島津斉彬等大藩の諸侯に伍して「天下の四賢候」と称せられ、
明治維新に際しては、枢機に参画して活躍。明治元年(一八六八)五月参議に任ぜられた。支那問題研究の大家・伊達宗義先生の曽祖父にあたられる。

戸田忠至(ただゆき) 幕末期の宇都宮藩家老。勤皇家。朝廷から山陵奉行拝命。歴代天皇陵修復を建白し、幕府の許しを得て畿内の山稜の調査修復にあたった。このことが朝廷にも評価され、慶応三年(一八六七年)に、朝廷の意向により宇都宮藩から一万石の分知を受け諸侯に列し、高徳藩を立藩した。明治新政府では参与。

重宗雄三 九年間参議院議長をつとめ、参議院に「重宗王国」を築き絶大に権力を振ったが、河野謙三や田中角栄によって失脚させられた。全国区で生長の家の推薦を受けたので、大学生だった私は、重宗氏の選挙応援をしたことがある。友人の紹介で永田町の平河ビルにあった重宗事務所でアルバイトもした。権勢が絶頂の時だった。眼光鋭い人であった。しかし、生長の家の信者では全くなかった。組織を利用したと言って良いだろう。谷口雅春先生は『帝国憲法復元』のために重宗氏に期待したのだが、全くやる気はなかったし、やれるものでもなかった。

岩村通俊 高知の人。勤皇の志士。戊辰戦争では東征軍軍監。東北地方を鎮定。西南戦争では、西郷隆盛を手厚く葬る。南洲神社を建立。

岩村高俊 通俊の弟。戊辰戦争では長岡藩の河井継之助に高圧的な態度で臨み、無理な要求を突き付けて、抗戦に追い込み、佐賀の変でも、大久保利通と共に新政府の功労者・江藤新平を死地に追いやったとされ、兄と比べるときわめて評判が悪い。

野田豁通(ひろみち) 熊本藩士。横井小楠の弟子。戊辰戦争で戦い、維新後陸軍主計総監。

このほか、横山大観氏などの墓も巡った。

谷中霊園から見える日暮里の高層ビル

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伊達宗城公墓所

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谷中霊園の上に浮かぶ白雲

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