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2010年11月30日 (火)

『東京財団フォーラム・どうなる中間選挙後のオバマ政権』を聞いて

『東京財団フォーラム・どうなる中間選挙後のオバマ政権』における登壇者の話は以下の通り。

加藤英樹東京財団理事長「アメリカの中間選挙が終わって、日本のマスメディアは民主党敗北の報道で終わり、その後の分析が行われていない。オバマ政権は熱狂的支持でスタートしたが、二年のうちに支持率が低下した。政府は余計なことはしない方が良いというアメリカの伝統的考え方が原因なのか、経済が悪いのが原因なのか、よく分らない。日本の場合、戦後初めての本格的政権交代の後、菅政権は動きようがない状況。政治の揺れは、世界に共通して避けられなくなっている。最大のパートナーであるアメリカのことをよく知る必要がある。」

マット・デッカーDDPGlobal代表「オバマ政権は大きなトラブルに直面している。十一月二日に下院は大敗した。上院はそれほどでもなかった。ねじれ議会ができた。オバマが終わったとは思わない。支持率が下がり始めたのは、就任直後から。二〇〇八年は、無党派の支持を得た。五二%の無党派層がオバマに入れた。今は女性と若年層の支持が下がっている。ティーパーティー運動(注・2009からアメリカ合衆国で始まった保守派の政治運動)は、ヨーロッパで『頭のおかしい人々の集まり』という差別的なことを言われた。しかしメディアが思うよりもまともな集団。出口調査では、三〇から四〇%の人々がティーパーティーに肯定的だった。ティーパーティーは政党ではない。六一%の人が、次世代の暮らしは悪くなると考えている。自信喪失。だからティーパーティーが支持を得た。経済はどうしようもない。雇用の問題が重要。無党派層がオバマを支持したのは、オバマが反エリート・反エスタブリッシュメントであり、チェンジを訴えたから。今後は景気が良くなると思うので、それが追い風になる。『自由貿易協定』は妥協の余地あり。民主党系労組がオバマ政権に好意的ではない。ティーパーティーの支持を受けた七十数人の共和党議員は保護主義的。民主党はよりリベラルに。共和党はより保守に傾いている。ティーパーティーは共和党の中から影響力を及ぼす。共和党を乗っ取るのではないか。対中国強硬派は力を増す。日本のことがアメリカで話題にならないのは、日米が安定した関係だから。ティーパーティーが力をつけると、孤立主義傾向が強まる。選挙で有権者が外交について関心がない。今度の選挙でも外交について発言はない。ティーパーティーのおかげで、外交政策が弱まるとは思わない。米中は、人権・安保・通商で対立が深く大きい。日米より米中を重視することはあり得ない。」

久保文明東京大学法学部教授「長期的に見て、政府への信頼感の低下が底流にある。失業率が一七・一%で、非常に高い。『オバマはアメリカを立て直すと約束したのに、裏切られた』と思う人が多い。医者に対する不信感がアメリカには強い。大型経済対策や政治家に対する不信感が生まれた。民主党はクリントン時代より左傾している。アメリカにはロビーストという職業がある。大きなビジネスになっている。日本の民主党政権の外交政策がまずかったので、中国に『日本は押せば引く』と見られた部分はある。尖閣問題は、中国の南シナ海への戦略の延長線上にある。長期的に深刻な問題。オバマ政権は、『尖閣に安保が適用される』と言い、黄海に空母が入ったりして、強い態度を示している。」

            ○

民主党オバマ政権がリベラルで左傾していると言ってもそれは国内政策に関してのことであって、外交政策は、共和党と変わらない。むしろ、共和党より強硬な姿勢を示すことがある。オバマ政権の対支那姿勢。対北朝鮮姿勢を見てもそう思える。そもそも日本の戦争を始めたのも、日本に原爆を落としたのも、ベトナム戦争で北爆を開始したのも民主党政権であった。

日本の民主党政権も、政権樹立後一年を経過しないうちに、支持率が低下した。しかも日本の民主党は、対外政策が全く弱腰で、どうしようもない。国内政策よりも対外政策の失敗で支持率が低下したのだ。

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千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後二時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム・どうなる中間選挙後のオバマ政権』開催。加藤秀樹理事長が挨拶。久保文明東京大学法学部教授・マット・デッカーDDPGlobal代表が討論。質疑応答。

帰宅後は、書状執筆など。

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2010年11月29日 (月)

日本の心を学ぶ会の報告

『日本の心を学ぶ会』十一月例会において、瀬戸弘幸氏は次のように語った。

「神道とは、自然の恩恵を神とする独自の宗教。自然とは緑。緑とは植物。植物を育てるのは農業。私は農家に生まれ、農業高校を出て、二年間農業に従事した。今も農業に従事している。人間は、自分で栄養を作れない。栄養を自分で作れるのは唯一植物。太陽と水と二酸化炭素で行う光合成で栄養を作り出している。農家は神を尊ぶ。田んぼの真ん中に松の木を挿して、太陽が出て来る時に拝む。また水を引く場所にも松の木を挿す。太陽と水を大切にしている。水は清めの働きも持つ。我が家の近くの山王神社では『勤労感謝の日』に収穫祭が行われる。農作物を神に捧げて祈る。氏子である我々は直会の時に神にお供えしたものを神と一緒に食べる。収穫を神に感謝するだけでなく、共食することによって、神と接点を作ることを意味する。熱を出さない蛍光灯が開発され、太陽光がなくても植物が育てられるようになっている。太陽信仰という日本神道の一つの条件が欠けてくるのではないか。共同体の中に神社神道がある。人間のつながりから生まれた共同体を取り戻すのが神社。神社神道は食の安全を守り、無縁社会を是正する機能がある。日本の半導体技術が優れているのは、日本人が日本神道の清潔感・塵一つない清潔さを大切にするから。我々が護るべきものは、日本神道と皇室である。」と語った。

小生は、「宗教は、これまで人を救い、世の中を良くする働きをしてきた。しかし反面、宗教が原因となって多くの戦争や対立が起こってきた。宗教には正しい宗教と邪教とがあるのではなく、宗教そのものに、天使的な側面と悪魔的な側面がある。キリスト教・回教はその教義を世界に布教することによって世を救わんとする救済宗教である。日本神道は、天地の神々を祭ることによって高天原を地上の持ちきたす祭祀宗教である。自然を神と崇め、むすびの精神で人々の一体感を深める日本神道が今後の世界平和確立のために大きな役割を果たす。」というようなことを話させていただいた。

詳しい講演内容については、『政治文化情報』に書かせていただくつもりである。

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千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』十一月例会開催。「宗教を考える」と題して、瀬戸弘幸氏及び小生が講演。質疑応答。

帰宅後は、書状執筆など。

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2010年11月28日 (日)

ナショナリズムの興起と危機の打開

仙谷由人官房長官は尖閣諸島における共産支那の漁船と称する船による領海侵犯、違法操業、我が国海保警備艇への襲撃事件をめぐって「日中は偏狭なナショナリズムを刺激するな」と述べた。仙谷氏に限らず、ナショナリズムを危険視する人は多い。

それではいったいナショナリズムとは何であろうか。それほど危険なのであろうか。辞書によればナショナリズムとは、「一つの共同體としての國家という理念を前面にかかげ、他からの圧力・干渉を排して、その國家の統一・独立・発展を推し進めようとする思想や運動。國家主義(一民族國家については「民族主義」)と訳され、時代や國の違いによってさまざまのニュアンスで用いられる。」と定義される。

外國からの圧力・干渉を排して國家の独立を維持する思想および運動とは、運命共同體意識と言い換えても良いと思う。これは、國家民族の危機の時に澎湃として沸き起こってくるものであり、ごく自然な感情である。危険視したり不潔であるとすることはできない。わが國の歴史を回顧すれば明らかなことであるが、國民の強烈なナショナリズムの沸騰は、民族の独立を守り國家の存立を維持した。

ナショナリズムは、歴史意識・傳統信仰と深く結びついている。自己の意識の中に民族の歴史を蘇らせることによって、ナショナリズムが形成される。國家的危機に際會した時、それを撥ね退けんとしてその國民がその國の歴史意識・傳統精神を根底に置いて運命共同體意識を結集し、勃興する精神と行動がナショナリズムである。

「尊皇攘夷」という言葉は、幕末期に起った日本ナショナリズムを端的に且つ正しく言い表している。

わが國の歴史を回顧すると、國家的危機の時こそ、尊皇精神・愛國心が勃興し、その危機を乗り切ってきた。白村江の戦いに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞われた時には、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。壬申の乱の後には、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』及び『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。元寇の時には、それこそ全國民的に神國思想が勃興し國難を乗り切った。幕末の外患の危機に際しては、尊皇攘夷をスローガンとする明治維新が断行され、日本の独立を維持し近代國家として出発した。

今日の日本の危機的状況も、ナショナリズムの興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。

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千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。医師・看護師と病状・今後のことなどについて相談。

帰宅後も、講演の準備・書状執筆など。

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2010年11月27日 (土)

千駄木庵日乗十一月二十六日

朝、宿舎を出発。МOA美術館に赴く。「ルーシー・リー展」参観。「ルーシー・リー(1902-1995)は、20世紀を代表するイギリスの女性陶芸家です。ウィーンの裕福な家庭に生まれたルーシー・リーは、ウィーン工業美術学校で轆轤に魅了され、その後、数々の国際的な展覧会での受賞を重ね、作家としての地位を確立します。しかし、第二次大戦を避けるため亡命を余儀なくされ、ロンドンに居を移すと、以後およそ半世紀にわたり同地で制作を続けました。轆轤成形によるシンプルなフォルムと、長年の研究から得たさまざまな釉薬、掻き落としや象嵌などによる装飾が調和した多彩な作品は、時代や国境を越えて、今もなお多くの人々を魅了し続けています。…初期ウィーン時代から円熟期に至るルーシー・リーの創作の軌跡をたどる本展は、没後初の本格的な回顧展となります。 」(案内書)との趣旨で開かれた。

白釉青線文鉢・白釉青線文鉢・ボタン・ウェッジウッド社のためのカップ・線文円筒花器など実に多くの作品を見る。日本の陶磁器にと似た形のものも多かった。色彩がみごとであった。ルーシー・リーはユダヤ人なので、ナチスドイツの迫害から逃れるため、オーストリアからロンドンに亡命したという。

また、「国宝 色絵藤花文茶壺 野々村仁清」 「睡蓮 クロード・モネ」「阿弥陀如来立像」「聖観音菩薩立像」「聖徳太子像」「黄金の茶室(豊臣秀吉が天正14年、京都御所に組立式の黄金の座敷を運び、自ら茶を点じて、正親町天皇に献じた、その当時の諸記録に基づいた忠実な復元)なども見る。

そして、日本庭園を散策。紅葉が実に美しかった。また美術館からの海の眺めも素晴らしい。闘争的な原稿ばかり書いているので、美しい美術品・日本庭園・紅葉・海の眺めは小生の心をなぐさめてくれた。

美術館の創設者である世界救世教教祖・岡田茂吉氏に関する展示も見る。岡田氏は、大本教出身で、いわゆる「手かざし」信仰の元祖である。宗教家になる以前は、古物商をしておられた岡田氏が戦争直後の混乱期、売り食い生活を強いられた旧華族などが売りに出した美術品を買い集めたのが、この美術館の濫觴である。日本の美術品の海外流出を防いだとされる。美術館・庭園をめぐり、宗教の力の大きさを実感した。以前、世界救世教の外事対策委員長をしておられた故松本明重氏のことが思い出された。

МOA美術館正面

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日本庭園の紅葉

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美術館からの海の眺め

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、医師の往診があり、母に付き添う。また、昨日少し眩暈らしきものがあったので、小生も診ていただく。とくに異常ないとのこと。念のため、来週心臓の精密検査をしてもらうこととする。

午後、新幹線にて熱海へ。午後六時より、古屋(ふるや)にて、『日本を糺す会研修会』開催。全体会議が行われた。蜷川正大氏が司会。藤元正義・森洋両氏が挨拶。全員で討論。小生は、「時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ」で始まった赤穂義士の吉良邸討ち入りの歴史を偲びつつ、武士道精神について語らせていただいた。この後、深夜まで各分科会が開かれた。

会場の古屋旅館は、熱海でも最も古い旅館の一つで、徳富蘇峰・東條英機が戦時中定宿にしており、色々国事を語り合ったという。また、東郷平八郎・横山大観・川合玉堂など歴史にのこる人々もよく宿泊したという。このような由緒ある宿に同志が参集し研修することができたのは大変ありがたいことであった。お世話いただいた荒井清壽弁護士に感謝申し上げる。

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2010年11月25日 (木)

野分祭における荒谷卓氏の講演を聞いて

『野分祭』の講演で荒谷卓氏は次のように語った。

「戦前の日本の精神を引き継ぐのは土着の民衆である。三島先生が自衛隊に呼びかけたのは自衛隊が唯一の武力集団だから。『現行憲法』前文に、『人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。』とある。天照大御神の神勅以来の『詔』を排除するというのだ。足利尊氏・井伊直弼すらしなかったこと。今の憲法は詔勅を下に置いている。

今の憲法の思想に反するものは排除するという。井上孚麿先生は『現行憲法』は改正限界を越えているから無効であると主張された。『現行憲法』の原理は、わが國の神話の精神と相反する。受け容れるわけにはいかない。

日本神話はむすびの精神によって万物が生成し、神が神を生み、神が我々を生んだ。我々は神の子孫である。神から生まれた人間はみな家族である。これが日本の精神の根本。グローバル化された社会に最も必要な思想。

それぞれの民族にはそれぞれの神々がある。私は自衛隊時代イラクに行った。八百万の神々がイラクで有効に作用するかを体験した。日本神話の精神は世界に発せられるべし。神國の伝統を受け継ぐ日本人たるべし。日本の伝統に反する憲法に従うことは自らの尊厳性を否定することになる。

昨今の情勢は緊迫してきた。挙國一致の体制をつくりあげねばならない。日本人は天皇陛下のもとに心を一つにして団結しなければならない。

海上保安官が映像を広く公開したのは義挙。國民も賛同している。この動きが高まれば、國宝が本当に國の主権を守り國民の安全を守っているのか疑問になってくる。自衛官・警察官・海上保安官が、自らどういう意志で任官したかを考えてほしい。

この國の発する命令が、國の主権を守るための命令であることを前提としているか否かを、日本人として判断せざるを得ない。長野五輪で『中國人を逮捕するな』という指示が出た。この指示が正当なる指示であるかどうか吟味する必要がある。尖閣に國民を上陸させないという命令がある。この命令が本当に國家の命令として正しいのか、尊厳ある日本人として考えなければいけない。

葦津珍彦先生が言われる土着の日本人としての精神を継承してこれから何をなすべきか。今の日本は天の岩戸開きの時期に差し掛かっている。『勅語』を発することがおできにならなくなった陛下を、天照大神を天の岩戸からお引き出しした天手力男命の精神で岩戸を開けて、光を回復すべし。八百万の神々が相談したのと同じように、日本人としての真心をひたすら大切なものとして、天の岩戸を開くことが大切である。三島先生が自衛隊に期待したように天手力男命の力が必要になる。

憲法はもう変わらないという考えが日本人に蔓延している感があるが、やらなければならないことをやるという精神に立ち返って自分がやるべきことを見つけることが大事。歴史と伝統を愛する日本人何をしなければならないか、腹を決めて生きていくべき時に来ている。

桜田門外の変・大久保利通斬奸のような巨悪を倒した事案を非としない國民が一体となって、運動をしないと成功しない。陛下と我々の前に立ちはだかっている巨大な岩を臣の力で押し分けて。國體を明らかにしなければならない。」

         ●

維新とは「天の岩戸開き」である。日本天皇そして日本國真姿開顕が維新である。戦後、天皇のご詔勅は発せられなくなった。そして天皇陛下が示されたご意志は「お言葉」という表現で発表される。これは國體隠蔽の大きな事象の一つである。

國體に反する法や政府の方針はこれを守る必要はない。維新とは合法的に行われるとは限らない。

日柳燕石(くさなぎえんせき)の漢詩に曰く。

「縦(たと)ひ侯家の敵となるとも 皇國の賊とはならず 聴けが娑婆歌の第三を 報國報國又報國」

権力者の敵とはなっても、天皇国日本の賊とはならないという歌である。権力者が、天皇国日本の賊であるならばこれを討つが日本国民の道である。

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千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。伊勢参宮・橿原神宮・法隆寺・興福寺・東大寺巡拝の話を聞く。聞きながら一瞬気を失いかけて、体が傾く。瞬間的なことであったが少し驚く。寝不足からが、あるいは昼間からビールを飲んだためか、少し気になる。その知人から医者に診てもらうべきだと強く勧められる。

午後は、諸雑務。特に普段と変わらない。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、新宿花園神社にて、『野分祭』執行。祭文奏上・『英霊の声』拝聴・『檄文朗読』・玉串奉奠などが行われた。この後、奉納演武。続いて荒谷卓氏(明治神宮至誠館館長)が神道と武士道の現代的意義」と題して講演。

帰途、友人に昼間のことを話したら、すっぽんを食せば元気回復すると言われ、すっぽん鍋をいただく。確かに元気になったようである。

野分祭奉納演武

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2010年11月24日 (水)

北朝鮮軍の韓国攻撃に思う

北朝鮮軍は二十三日午後二時三十四分、韓国北西部・延坪島に向けて数十発の砲撃を行った。韓国は甚大な被害を被っている。第二次朝鮮戦争勃発の恐れすらある。わが国にとって対岸の火事ではない。明日は我が身である。

『現行占領憲法』「前文」の「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」という「宣言」がいかに危険であるか、現実離れしているか、虚構であるかがあらためて証明された。

こうした誤れる似非「平和主義」に基づく『現行占領憲法』第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」という規定が、日本の安全と独立をいかに危険にさらしているかが、改めて明白になった。

「現行占領憲法」の似非平和主義こそ、戦争・侵略を誘発する危険思想である。政府は『現行憲法』など無視していいから、自主防衛体制を一刻も早く確立すべきである。

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三の丸尚蔵館『近代の洋画家,創作の眼差し』を拝観して思う

今日参観した『近代の洋画家,創作の眼差し』は、「わが国に根付いた明治期から昭和初期にかけての洋画を,描かれた主題に着目しながら,国内及び海外の風景を描いた作品,同時代の世相を写し取った作品,わが国の歴史を題材にした作品に分けてご紹介します。出品作の多くは,各展覧会において買い上げられたものや,皇室へ献上するために描かれたものですが,新しく移入された洋画技法の習得や,社会における洋画の定着とともに,描かれる内容もまた変わっていきました。当時の優れた画家がどのように対象を見つめ,そして描いたのか,その点に注目することは現代の私たちにとっても興味深いことではないでしょうか。本展を通じて,近代洋画史を飾る名品に親しんでいただくとともに,洋画家が描いた時代や世相にも思いを馳せていただく機会になれば幸いです。」との趣旨(案内書)で開催された。

夾竹桃(山本森之助) なさけの庭(児島虎次郎) 陸海軍連合大演習(柳源吉) 林大尉戦死之図(満谷国四郎) かたみ(松井昇) 和気清麿奏神教図(佐久間文吾) 蒙古襲来之図(和田三造) 漁夫補網(三輪大次郎)などの作品を鑑賞。

「なさけの庭(児島虎次郎)」は、日本で最初に作られたという岡山孤児院の様子が描かれている。「陸海軍連合大演習(柳源吉)」は、明治天皇が明治二十三年に挙行された大演習を統監される御様子が描かれている。「林大尉戦死之図(満谷国四郎)」は、日清戦争の平壌の戦いにおいて林久實中尉が戦死した場面が描かれている。「かたみ(松井昇)」は、日清戦争において戦死した主人の遺品を前に、悲しみにくれる母子の姿が描かれている。「和気清麿奏神教図(佐久間文吾)」は、和気清麿が、称徳天皇に対し奉り、「道鏡を皇位につかせてはならない」という宇佐八幡宮の御神託を奏上する場面が描かれている。「蒙古襲来之図(和田三造)」は、元寇の際の日本軍と元軍との壮絶に戦いが描かれている。「漁夫補網(三輪大次郎)」は、浜辺に腰をおろし黙々と漁網の穴を繕う漁民たちの姿が描かれている。

これらの作品はすべて、宮内省が買い上げたものか、皇室に献上されたものばかりである。「林大尉戦死之図(満谷国四郎)」は、明治天皇が直々に展覧会でご覧になられお買い上げになったと承る。

明治天皇・皇室におかせられては、こうした絵画をご覧になることによって、戦争に身を捧げた兵士、孤児院の様子、戦死者の遺族の悲しみ、漁民の生活など、国民の姿をよくお知りになったと拝する。日本天皇の統治とはまさに「しろしめす」なのである。日本天皇は、独裁者・権力者として国民を上から支配される御存在ではない。国民と喜びと悲しみを共にされつつ君臨されてきたのである。このことをこの展覧会であらためて認識させていただいた。まことにありがたい展覧会であった。

また、元寇や日清戦争を描いた作品を参観し、今日の日本の国家的危機を思い、感慨無量なるものがあった。

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千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、皇居東御苑三の丸尚蔵館で開催中の『近代の洋画家,創作の眼差し』展参観。

そして売店にて、来年の「皇室カレンダー」を購入。東御苑を散策。紅葉がとても美しかった。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、ニュースを見ながら資料の整理。

東御苑の紅葉

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2010年11月23日 (火)

暴支膺懲の戦いに奮起しよう

今日の日本の政治家は、『現占領憲法』及び自虐史観教育に汚染された人々が圧倒的多数となっている。これが東アジア外交とりわけ対支那・対南北朝鮮外交をおかしくしている根本的原因である。

わが国にとって最も重大な脅威となっている共産支那は建国以来、外敵を作り出すことによって、国家の統一を図り、民衆の不満を押さえ込んできた。冷戦時代は、アメリカ帝国主義・ソ連修正主義であった。今日は、日本である。

「反日」が今日の共産支那の国是である。というよりも、「反日」を高揚することによってしか、国家の安定と統一を図っているのである。

共産支那における八〇年代の改革・開放路線は、わが国からの経済援助や投資によって推進された。その頃は、「過去の歴史問題」を持ち出してわが国を非難攻撃しなかった。しかるに「天安門事件」によって共産主義に対する幻想が崩壊し、共産党政権の虚像が崩れ、共産党一党独裁体制が危機に瀕するようになると、共産党の威信を保つために支那共産政権は国民の不満を外に向けさせるようになり、日本をその標的にしたのである。

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある。共産支那もアメリカもこれを着実に実行している。しかし、わが国は戦争直後日本を弱体化する目的で押し付けられた『現行占領憲法』に束縛され、戦うことを禁止され、集団的自衛権の行使もできない。つまり「軍事力」を外交面で有効に活用できないのである。そして共産支那や南北朝鮮から侮りを受け、主権と領土を侵害されている。

今日の日本の外交とは、譲歩・へつらい・阿り・謝罪・自虐であり、それに裏打ちされた金配りである。

共産支那の侵略策謀と外交的恫喝に打ち勝つには、先ず以て過去の歴史問題に対する正しい認識を日本国民一人一人が確立することが必要である。つまり、わが国近代史は決してアジア侵略の歴史ではなかったという歴史の真実を、国民一人一人が共有することである。

さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自国の安全と生存を保持しようと決意した」という危険極まりない幻想に貫かれている『現行占領憲法』を破棄しなければならない。今こそわが日本は、過去の謝罪外交を清算し、暴支膺懲の戦いに奮起しなければならない。これは支那人をすべて敵視するというのではない。日本に対して暴虐を行う支那という国に対して、厳しく対処するということである。

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千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。両親の介護・生命保険・病院関係の書類作成・振り込みなど。

この後、病院に赴き、父に付き添う。病院を信頼はしているが、できるだけ毎日病院に行くべきだと思っている。父も喜んでくれる。

帰宅後は、資料の整理など。このところ原稿執筆などで資料整理ができなかったので、未整理資料が大変な量になっている。

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2010年11月22日 (月)

柳田法相の辞任では事はすまない。仙谷長官も辞任せよ。

柳田法務大臣は、「検察改革をしなければならないから辞任しない」と述べたという。全く国民を愚弄する言い草である。法務行政に全く素人だと自ら認め、国会答弁は役人から言われたフレーズを繰り返せばいいなどと述べた人間が、検察改革という重要問題を推進する資格などありはしない。とっとと辞任すべきだ。本人に辞任する意思がないのなら、菅総理は速やかに柳田法相を罷免すべきだ。ただ問題なのは、柳田氏の後任に擬せられている小川敏夫法務副大臣は自治労などの左翼労組が強力に支援する左翼弁護士であることだ。

ビデオを公開した海上保安官は、「職を失うことは覚悟していた。他に迷惑をかけたことは反省する。甘んじて刑は受ける。」と語ったという。立派な態度である。あのビデオは国家機密でも何でもない。当然全国民に公開すべきものである。支那を恐れて公開できなかった民主党政権が悪いのである。海保警備艇を襲撃した犯人を支那に送り返し、公開すべきビデオを秘匿した菅政権こそ、犯罪行為を犯したのである。

民主党政権は、領海が侵され、主権が侵害され、海上保安庁の艦船が攻撃されたのに、共産支那に対して毅然とした対応ができなかった。そればかりか、共産支那を恐れあまり日本国民及び国際社会に対して支那船の不当不法な攻撃の実態を開示しなかった。その結果、共産支那の傲慢無礼な態度は加速し、わが国は屈辱的対応をしなければならなくなった。民主党政権の罪は深く重い。

民主党政権が続く限り、我が国が支那とロシアという巨大な軍事国家の奴隷になる危険が高まり続け、日本は亡国の道を歩む。柳田法相辞任でことは済まない。仙谷由人も即刻辞任せよ。そして民主党政権を一刻も早く打倒すべきである。

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千駄木庵日乗十一月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、『政界往来』連載原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年11月21日 (日)

自主防衛体制確立・対米自立とは、核武装である

『アジア問題懇話会』にて平松茂雄氏は次のように語った。

「尖閣列島は日本領土であり、中国に取られるのは大変なこと。しかし、尖閣だけ守れれば良いのではない。中国は尖閣に騒ぎを起こし、尖閣に目を引きつけておいて、西太平洋に進出しようとしている。点だけを見て全体の目を向けせないようにしている。

一九七三年に国連で『海洋法条約』の審議が開始されてから、陸上資源から海洋資源に目を向けるようになった。尖閣海域に一九六八年エカフェ(アジア極東経済委員会)の調査で海底に豊富な石油資源があるとわかった。周辺諸国が色めきたった。日本は七十年代に入って鉱区を設定した。台湾も韓国も北朝鮮も権利を持つと主張した。佐藤内閣の時、岸信介氏が特使になって日本と台湾は領土問題を棚上げして共同で資源開発を行うことにした。中国が『東シナ海は俺のもの。石油も俺のもの』と言い出した。

八〇年代になると中国は石油が出る所に当たりをつけてボーリングを始めた。九〇年代に石油開発が始まる。九〇年代後半に採掘施設建設。ヘリポートも作った。その施設のあるところは、中国海軍が西太平洋に出てくる通路。施設建設は軍事目的でもある。中国は七〇年代に南シナ海に出てきた。一〇年間で西沙・南沙を占拠した。国際法学者にはカリカリ亡者が多い。法律家ほどつきあいにくい人はいない。法律は正しくて人間は悪いと思っている。

中国軍人はアメリカ軍人に『将来、太平洋を中米で二等分しよう』と言った。また中国政府は『南シナ海は戦略的利益の核心』と言っている。南シナ海を核心にして西太平洋とインド洋に出て行こうとしている。中国は、日本は自分たちの支配下に入ると思っている。中国は森林を買い占めている。森林を買い占められると、水を中国から買うようになる。

自衛隊を正しく活躍させるには『憲法』を変えなければ駄目。自衛隊に存在感がないからコストガード(沿岸警備隊)たる海上保安庁がやってしまう。『憲法九条』が一番のネック。

アメリカが弱くなっているから中国が出てきている。日本はアメリカに全面的に依存すべきではない。六十年間『中国は、つぶれる』と言われてきたが、中国は強くなってきている。中国が何をしてきたかを洗い直すべし。日本の共産中国研究は、毛沢東と鄧小平を切り離しているところに最大の欠点がある。『経済成長したら中国は変わる』と保守の人も言っていたが、『むしろ経済成長したら始末が悪くなる』と私は言った。

毛沢東が核兵器を造った。世界は中国を認めた。北朝鮮も核兵器を造ったら、世界が認めた。内閣情報調査室のアジアに関する調査研究会議にオブザーバーとして出席していた一佐の人が『北朝鮮のような貧乏な国は核兵器なんか造れない』と言った。しかし北は核を造った。

日本も秘密裏に核兵器を造らねばならない。通常兵器より核兵器の方が安上がりで効果的。通常兵器は十年で性能が良くなり更新しなければならない。価格も上がる。アメリカは毛沢東の核兵器造りをつぶせなかった。造った方が勝ち。核兵器を造れば、通常兵器に今ほど金をかけなくても済む。

自衛隊は陸上主体を見直して、敵が上陸する前に阻止するために核兵器を持つべし。わが国が核を持てないならアメリカに頼るしかない。しかしアメリカが傾いているのは事実。このままにしておくことはできない。南西の自衛隊を強化すべし。」

             ○

私はこれまで何人もの自衛隊関係の軍事問題の専門家の話を聞いたが、皆さん日本の核武装には否定的だった。自衛隊・防衛庁出身者で核武装推進論を唱えるのを聞いたのは平松氏が初めてである。たしかに共産支那も北朝鮮も「崩壊する」と言われ続けてきたが、いまだに崩壊しないばかりか、核兵器を背景にますます傍若無人になってきている。我が国はこの二つの凶悪な国と対峙しているのだ。共産品は北朝鮮とその本質は何ら変わりはない。私は、軍事問題は全く素人だが、「自主防衛体制確立」「対米自立」とは、核武装以外にあり得ない。

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千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。平松茂雄氏(中国軍事問題専門家)が講演。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』発送作業・発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

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2010年11月20日 (土)

民主党亡国政権を打倒し維新を断行すべし

民主党政権は全く駄目である。民主党には政権をになう資格も力量もない。領海が侵され、主権が侵害され、海上保安庁の艦船が攻撃されたのに、共産支那に対して毅然とした対応ができない。そればかりか、共産支那を恐れ日本国民及び国際社会に対して支那船の不当不法な攻撃の実態を開示しない。

そのうえ、敵性国家に対しては「柳腰外交」などと詭弁を弄して、軟弱な対応をしつつ、祖国防衛の任に当たる自衛隊を「暴力装置」などと侮辱した。菅・仙石内閣はまさに亡国政権である。一刻も早く打倒しなければならない。

幕末期の徳川幕府も、迫りくる西欧列強の侵略に対して毅然とした対応ができなかったが、今日の民主党政権よりはましであった。

我が国は内憂外患こもごも起こる時に、一大変革が断行され、救国の維新が断行された歴史を持つ国である。大化改新・明治維新がそれである。民主党政権が作り出した内憂外患により亡国の危機に瀕している今こそ、大化改新・明治維新に学び、維新を断行して国を救わねばならない。

共産支那や北朝鮮の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されている今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

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千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備など。

この後、病院に赴き、父のお世話。

夕刻、千駄木にて、知人と懇談。

帰宅後も、発送準備。

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2010年11月19日 (金)

菅直人総理は暴力装置の最高指揮官なのか

仙谷由人官房長官は18日午前の参院予算委員会で、自衛隊について「暴力装置でもある」と述べた。「暴力装置」という言葉は私たちもよく使う。一体いつ頃から、誰が使い始めた言葉かは判然としないが、政治運動をしている人々がよく使うことは確かである。保守運動や民族運動から生まれた言葉ではない。やはり左翼運動からまれた言葉であろう。警察とりわけ機動隊を権力側の暴力装置と言ったのだと思う。決して良い意味ではない。そもそも「暴力」という言葉自体が、「暴れる力」というのだから否定されるべきこととされる。「暴力革命」「暴力団」「極左暴力集団」「暴力亭主」「暴力バー」などという言葉がある。共産党は「右翼暴力団」という表現をよく使う。

政府の中枢にいる人物が、自衛隊を「暴力装置」などと言うのは全く軽率である。自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣である。そうすると菅直人氏は、暴力装置の最高指揮官ということになる。

仙谷由人氏は、「ああ言えばこう言う」ということを職業とする弁護士あるいは野党政治家としては「優秀」なのかもしれない。しかし、政府権力の中枢にいる人が、国家の重要問題について詭弁・言い逃れ・屁理屈ばかりこねるのは全く許し難い。

柳田法務大臣も罷免あるいは辞職に値するが、私は、これまでの仙谷氏の言動は、法務大臣とは比較にならないくらい悪質であり、国を危うくするものだと思う。仙谷氏は一刻も早く辞職すべきである。総理大臣に次ぐ位置にある官房長官の辞任は菅内閣の終焉を意味する。それが国家国民のためである。

仙谷氏が敵対してきた小沢一郎氏も悪人であるが仙谷由人氏自身もまた悪人であることが明らかとなった。この場合の「悪人」とは国のためにならない人という意味である。ともかく民主党政権は駄目である。

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千駄木庵日乗十一月十八日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、『萬葉集』防人の歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2010年11月18日 (木)

現行憲法がある限り日本は真の独立国家ではあり得ない

『現行憲法』は、地球上には共産支那・ロシア・北朝鮮という侵略国家・国際テロ国家は存在しないということが前提となっている。そして日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからないという観念が根底にある。そしてわが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しないという虚構が作られた。これが『現行憲法』の平和主義である。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。

だから共産支那やロシアや北朝鮮という侵略国家・国際テロ国家が日本に対して、どんな不法行為を働いても、国家の主権を守ることも、報復することもできないのである。

 

「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは明らかに「軍備撤廃」「非武装」宣言である。

 この『前文』の精神に基づいて、現行占領憲法第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、この規定は、現行憲法が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

 吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べている。これが『現行占領憲法』の正しい解釈である。

 したがって、現行憲法がある限り、自衛隊は軍として認知されず、何時までも「違憲合法」という絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は法治國家ではない。

 國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。        國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防が明確に規定されてないという欺瞞的な状況を一刻も早く是正することが必要である。憲法を改めて、自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである。現行憲法がある限り、日本は真の自主独立の国家ではあり得ないのである。

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千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田にて開かれた「大行社幹部会」にてスピーチ。山口申・蜷川正大両氏と共なり。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、明日行われる『萬葉會』における講義の準備など。

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2010年11月17日 (水)

民主党の外交は国を滅ぼす

『東京財団フォーラム・二〇一〇年横浜   APECをふりかえる』における登壇者の発言は次の通り。

石毛博行前経済産業審議官「横浜APECでは、緊密な共同体・強い共同体・安全な共同体を作るということで合意した。包括的自由貿易協定を結ぶべきと思う。TPP(環太平洋経済連携協定)は高いレベルの合意を目指し、関税は撤廃する。アメリカは来年のハワイAPECでTPPを完成したい。新たなルール作りに重点を置いている。アメリカの産業界の支持が強い。日本のEPAは自由化の水準が非常に少ない。相当出遅れている。中国は自国の巨大市場が武器。日本はいっぺんにEPAを進めようとしてもうまくいかない。国内制度改革を推進しなければならない。円高が進み、産業界は物づくりの拠点を外国に移さざるを得ないと主張した。貿易の自由化に対して日本がはためらいがちと見られていたが、正面から議論するという姿勢を外国に伝えることができた。一つ一つの政治決断はやさしいものではない。農業問題に真正面から取り組むことが大事。TPPは例外を認めないから大変というが、現実には例外を認めている。日本農業を強くする政策を立てるべし。」

パトリック・クローニン新米国安全保障センター上級顧問「オバマとクリントンのアジア歴訪は重要であり成功した。太平洋の時代の到来をアピールした。中東とイラクにのめりこんでいたアメリカがテロリズム以外に視点を変えることができた。一方的な自己主張が中国によって展開された。日米関係で前向きなメッセージが出た。台頭する中国にどう対処するか。菅政権は対中国関係をどうするかで評価されるであろう。安保のみならずどうすれば経済成長を維持できるかという点で、日米は協力しなければならない。アメリカは日本の防衛にコミットしている。しかし、日本独自の責任がある。日本の陸海空の自衛隊がばらばらに動くのでは駄目。日米同盟は新しい段階に入った。ロシアは日和見主義国。中国は危険な龍と言える。経済的オポチュニティとも言える。中国の軍事力行使に対して対抗していかねばならない」。

佐橋亮神奈川大学准教授「東アジアサミットは中国を中に取り込んだ秩序に意味がある。自由で開放的な秩序の維持が日米両国の目的。中国がこの秩序の中にとどまることを望む。海洋・空・宇宙・サイバー空間への自由なアクセスが大事。日米同盟は価値と利益を共有している。オバマのインド訪問は、アジア太平洋のパートナーとしてインドを位置付けた。中国を入れる仕組みと入れない仕組みを使い分けて中国を動かすことができる。中国が秩序を壊すなら中国を入れない仕組みを使う。最終的には中国を取り込む。」

畔蒜泰助東京財団研究員「メドベージェフの国後訪問は、領土と経済は車の両輪という今までの日ロ関係を覆すアプローチ。メドべージェフの国後訪問の直接要因は民主党政権の外交はフリーズしてしまっていることにある。民主党政権の外交不全がメドベージェフを国後に呼び寄せた。ロシアは中国と連携しているわけではない。」

           ○

私にはまったく未知の分野の話も多かった。要するに、共産支那の台頭・横暴に環太平洋諸国がいかに対峙するかが最重要課題である。また、「民主党外交の不全がメドベージェフを国後に呼び寄せた」という発言はまことにその通りである。

鳩山前総理の外交失策の責任はまことに大きい。ともかく、民主党政権は一刻も早く打倒されなければならない。

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千駄木庵日乗十一月十六日

午前は、母のお世話。

午後二時より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム・二〇一〇年横浜 APECをふりかえる』開催。パトリック・クローニン親米国安全保障センター上級顧問、石毛博行前経済産業審議官、佐橋亮神奈川大学准教授・畔蒜泰助東京財団研究員がパネリストとなってパネルディスカッションが行われた。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後は、≪伝統と革新≫編集の仕事、及び『政治文化情報』発送準備。

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2010年11月16日 (火)

海上保安官の六日間にわたる身柄拘束はおかしい

捜査当局は、海上保安官を逮捕しない方針を固めたという。当然である。何故六日間も事実上身柄を拘束したか。これが問題である。任意取り調べというのは建前だ。六日間逮捕拘留したのだ。

ロシアのメドベージェフ大統領が不当不法にも国後島に上陸したことに対して、なぜもっと強硬な措置がとれなかったのか。エイペック出席で来日した時、「不法入国」で逮捕すればよかったのだ。少なくとも、不法入国した人物は入国拒否をすべきだったのだ。

支那やロシアという大国の人間の不法行為は不問にして、公務員として当然の「情報公開」を行った我が国海上保安官を六日間も身柄拘束したことは許されない。

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野村英登氏の講義を聴いて

「おとなの寺子屋・論語の会」において、野村英登氏(文学博士)は次のように語った。

「禹()は尭(ぎょう)・舜(しゅん)と共に古代中国の三皇帝の一人であり、中国の夏王朝の始祖で聖王・理想の王とされる。禹は聖人であるとともに、呪術の世界でも認知された。日本の陰陽道にも通じる。禹が伝えた歩行術を『禹歩』という。禹は中国全土を旅したり、黄河の治水にあたった時に仕事に打ち込みすぎ、身体が半身不随になった。そして蹇になり半身不随でよろめくように、または片脚で跳ぶように歩いた。その歩行術が主に魔除けや清めの効果があるとされるようになった。後足を前足に寄せながら歩く。『日月類書』という日常生活に関する辞典に不吉の時に外出する際のおまじないに、『禹歩』と『九字を切る』やり方が出てくる。悪いものを寄せ付けないために禹お願いする。

籠目は、たくさんの眼で睨まれる形なので、魔除けの力があった。北極星は動かないので、あの領域が天帝の宮殿と考えた。北斗七星は天界に昇る梯子と信じられた。中国の南方文化には儒教と違う感覚がある。道教の教説書である葛洪の『抱朴子』には、不老不死の『金丹』を作る理論が書いてある。作り方が難しい。早死にすると作れないので長生きするための言葉が出てくる。

最近、中国では出土文献が多く出るようになった。これまで六朝時代の文献は残っていなかったが、戦国末期から漢時代のものが見つかっている。墓の副葬品には、日常生活で使っていたものがある。占いの本や病気治療の本が副葬品から出てきた。文字として記録される儒教の世界のほかにおまじないなどの信仰が広がっていた。

禹という王には儒教の聖王と共に、呪術の神様という性格もあった。マジカルなパワーへの信仰は今も残っている。科挙の試験に受かった人でも、日常生活では呪術的なこともやっていた。朱子も自分の墓は風水で作った。

生駒の石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の参道には占い師が軒を連ねている。石切劔箭神社では『御湯神楽』という神前で沸かしたお湯で身を清め家内安全を祈る神事が行われている。神をおろしてきてその力で病を癒す民間信仰がある。既成宗教が解決し得ないことを解決するのが新宗教であり民間信仰である。価格設定が問題。一回三千円から四千円が相場。心理カウンセラーもそのくらいの価格。

そういうものに頼らないで、儒教だけで世の中が救われるのならいいのだが、一般の人は強くないので、何とかしてくれるものに頼る。人間の世界の外にあるものとコンタクトを取りたいという欲望は古来あった。日本でもまじないなどの民間信仰は今でも活躍している。中国台湾では派手にやっている。自分の本当の名前を知られると相手に支配されると信じた。逆に言うと、相手の名前を知ると、相手を支配できると信じた。神の名を呼ぶことで、神と交信できる。神名を羅列した祝詞もある。『礼』とか『法』とかよりも、『仁』が大事。『礼』『法』に魂を入れるのが『仁』。」

             ◎

孔子は、「怪力乱神を語らず」と言ったが、そういう合理主義は表面上のことで、やはり、目に見えぬ存在・非合理の世界による心は根強いものがある。むしろ支那人は、神秘の世界・怪力乱神の世界に対して強い信仰を持っている。

日本人も昔から、神秘の世界への憧れは強い。新宗教・新々宗教の信者は多い。そういう宗教は、既成宗教が行わない神秘的な行事・呪術を行う。それによって悩みが解決した、救われたと信じて、信者になる人が多い。

これが良いことか悪いことかはにわかに判定できないが、野村氏が言う通り、価格の問題である。「祟りがある」「罰が当たる」などと脅して、法外な金を巻き上げるやり方は許されない。

昭和三十年代の創価学会も相当オカルト的というか神秘的呪術的なことを言っていた。富士大石寺にある本尊の拭いた紙を細かく刻んで、「御秘符」と称し、これを呑むと病気が治ると言っていた。

宗教は、人を救う力もあるが、その逆に人を不幸にする力もある。今日の大宗教も過去において数多くの人々を救ってきたが、数多くの宗教紛争・宗教戦争を起こしてきた。その犠牲者まことに多い。

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千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後は、諸雑務。

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2010年11月15日 (月)

最近贈呈していただいた書籍

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啓發録 橋本左内(景岳) 野村幹三郎市書写

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福井県御出身の野村幹三郎氏が『啓發録』の原文・書き下し文・口語訳そして松平春嶽公の「橋本左内小傳」を一字一字丁寧に書写された和綴本である。そのご労苦、そして要した時間は、小生の想像を絶している。書写ばかりではない。口語訳も大変なご努力であったと拝察する。また野村幹三郎氏の「景岳追想」というご文章は、野村氏の橋本景岳に対する深い思慕の思いに満たされいる。井伊直弼に対するご評価に全く同感である。彼の頑迷固陋な悪しき保守性、先見の明の無さが、幕府崩壊を早めた。また、「もし景岳橋本左内が死罪にならず生きて居たならば、松平春嶽を軸とした車の両輪の一方の大西郷が城山で自刃するという悲劇も無く、戊辰戦争軍資金調達の大功労者由利公正の失脚も無く、本当の意味の明治維新が行われたと思う。」というご見解はまことに卓見である。さらに、春嶽公が自ら書かれた「小傳」には、左内先生のご一生とご功績が簡潔にそして切々と書かれており、有難い文章である。

憲法における普遍性と固有性(憲法学会五十周年記念論文集) 同論文集編集委員会編 成文堂発行 高乗智之氏より 

「万国の憲法に通ずる普遍的原則を究明するとともに、わが国固有の独自性の上に憲法生活を確立する方途を発見し、進んでその成果をひろく世に問い、国家の興隆と国家生活の発展に寄与すること」を目的として昭和三四年に結成された憲法学会の記念論集である。憲法学会は、憲法は日本の歴史と伝統に根ざして成立させなければならないということを基本姿勢としている。今日の我が国における正統派の憲法学者の論文が収録されている。小森義峰・相原良一・三潴信吾・百地章・高乗正臣などの諸氏が執筆されている。高乗正之氏とその父君である高乗正臣氏とは、憲法懇話会で共に勉強させていただいている。

「憂国忌」の四十年 三島由紀夫研究会編 並木書房発行 三島由紀夫研究会より

三島由紀夫・森田必勝両氏らによる市谷台上の義挙より四十年という歳月を経過した今年、「憂国忌」の記録を一本にまとめた書物である。宮崎正弘・山平重樹・玉川博己・佐々木俊夫の各氏など同志諸氏が執筆している。義挙直後の昭和四十五年十二月十一日に豊島公会堂で執行された「三島由紀夫氏追悼の夕べ」(第一回「憂国忌」)には私も参加した。その控室で中河与一先生に初めてお目にかかった。豊島公会堂は四十年たった今もそのまま残っている。

贈呈してて下さった方々に心より感謝申し上げます。

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千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰途、谷中三崎坂にて、地元の方と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集作業。

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2010年11月14日 (日)

民主党政権が続く限り我が国が支那とロシアの奴隷になる危険が高まり続ける

菅総理は、APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に出席している支那の胡錦濤とやっと会談する事か出来た。たった二十分間だった。また、日本側が正式会談と位置付けているのに対し、支那側は「正式な会談」とは位置づけていない。また尖閣諸島についての日本の立場を胡錦濤は受け入れなかった。

共産支那という国は、明確な国家目標・国家戦略を持ち、そのために国力のすべてを投入することができる国である。つまり、今日のわが国とは正反対の国なのである。

共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印にわが国の明治維新をサル真似した「富国強兵」策を通じて、アジアでの覇権確立を狙って蠢いてきた。核開発は四十数年前から行っている。海洋進出は三十数年前から始まっている。共産支那は、沖縄トラフ(海溝)まで自国の排他的経済水域と主張し、台湾併合を通じて東シナ海を内海化しようとしている。

かつて清朝時代に「眠れる獅子」と言われた支那帝国が二十一世紀になっていよいよ暴れ出したのである。アジア最大の軍国主義国家=軍事力によって国家意志を貫徹する国家が、共産支那なのである。

田中内閣による「日中国交回復」以来、対シナ屈辱外交・土下座外交が行われてきた。日本は経済協力を強いられ、シナの経済発展に貢献した。然るにそのことは全く感謝されず、また、日本の貢献をシナ民衆には知らされることもなかった。そして今日、歴史問題・領土問題・資源問題で恫喝され、軍事的圧迫を受けている。何とも悔しい限りである。

問題の根本は、わが国の戦略のなさと卑屈さである。このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

共産支那の反日策謀は、共産支那政府の国家戦略に基づいて行なわれていることは申すまでもない。その目的は、共産支那がアジアの覇者となるために日本を押さえこむことである。「日中国交正常化」以来の『日中友好』は最早過去のものとなった。

我が国が支那という巨大な軍事国家・全体主義国家の奴隷になるか、国家の独立と自由体制を守るか、という二者択一の選択が、わが国民に迫られている。中華思想の共産支那こそ二十一世紀の人類最大の脅威である。わが国は、共産支那の理不尽さに対して毅然とした態度で臨むべきである。

ロシアのメドベージェフ大統領も菅総理との会談で、北方領土について「われわれの領土であり、今後もそうあり続ける」と述べ、これまでにない厳しい姿勢を示した。これは、民主党政権の対米外交・対共産支那外交での失策と軟弱姿勢に乗じて、強気に転じて来たのである。民主党政権が続く限り、我が国が支那とロシアという巨大な軍事国家の奴隷になる危険が高まり続けるのである。

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千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2010年11月13日 (土)

逮捕されるべきなのは海上保安官ではなく支那人船長だ

ビデオを公開した海上保安官を逮捕するかどうかで捜査当局の意見が分かれているという。わが国の捜査当局が為すべきことは、支那に赴いて、帰国した漁船に偽装した工作船船長を逮捕することであって、国民の知る権利にこたえるという公務員として当然を職務を果たした海上保安官を逮捕することではない。

石原都知事は「流出させた人間は愛国者だと思う。売国内閣が罰する資格があるのか」と言っていたが、全くその通りである。石原慎太郎氏はやはり総理大臣になるべきであった。

もしも海上保安官を逮捕し、起訴するような事が本当に行なわれたら、日本国は法治国家ではなくなる。そして海上保安官たちは、領海侵犯の排除・自国民の安全確保という任務のやる気をなくす。

今回の問題で最も罪が重いのは、支那工作船船長の釈放を命じ、ビデオ公開を禁止した仙谷由人官房長官である。この人の罪こそ問われなければならない。

さらに言えば、日頃「日中友好」を唱え支那に媚を売っていた政治家の罪も大きい。しかもこの連中は今回の問題で何の行動も起さないばかりか発言もしない。池田大作・福田康夫・田中真紀子などは何をしているのか。大勢の子分を引き連れて朝貢外交を行った小沢一郎は何をしているのか。

小沢や仙石や田中真紀子のような売国奴が罰せられず、正義を行った海上保安官が罰せられるようことは断じて許されない。

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千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、ある行事に参加。

この後、同志と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年11月12日 (金)

仙石由人氏について

私は仙谷由人という人は嫌いではなかった。父と同郷の徳島出身であるし、反小沢・反学会の姿勢を示していたからである。しかし、内閣官房長官になってからの仙石氏はどうしようもない。詭弁を弄し、屁理屈をこね、人をたぶらかすようなことばかり言っている。しかもそれが国を危うくしている。

仙石氏の共産支那に対する外交姿勢は、あまり使いたくない言葉だが、まさに国賊と言っていい。「日本は昔から中国の属国だった」などという発言は許し難い。

弁護士は、色々な理屈をこねて、自分や被告人の立場を擁護する。それは、職業柄致し方ないことかもしれない。しかし、仙石氏は、今は政治家であり、政府の中枢を担う内閣官房長官である。屁理屈こね、詭弁を弄して、その場を取り繕うようなことばかりしていては駄目だ。

記者会見での「政治職と執行職のトップは責任のあり方が違う」などという発言は、詭弁・屁理屈の最たるものだ。仙石氏も民主党も「政治主導」を声高に叫んでいたではないか。官僚に任せず、官僚の言いなりにならず、政治家が行政を主導するとは、何かおかしなことがあったら責任も取るということだ。政治職だとか執行職だとか言って、それを回避するのは、まったく詭弁であり汚い言い草だ。政府や官庁に失策や誤りがあれば、政治家が率先して、責任をとる。それが政治主導である。仙谷由人氏は、今回の国防上・外交上の大失策の責任を取っても速やかに官房長官を辞するべきである。

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千駄木庵日乗十一月十一日

午前は、医師の往診があり、母に付き添う。小生も新型インフルエンザの予防注射をしてもらう。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2010年11月11日 (木)

ビデオを公開した海上保安官は英雄であり模範的公務員である

ネット上に公開されたビデオは国家機密でもなんでもない。当然、国民に公開されるべきものである。したがって公開した海上保安官は、機密漏洩の罪を問われる理由はない。海上保安官の行動は、刑事罰に当たる機密漏洩では断じてない。守秘義務違反にもあたらない。正義の行動であり、公務員としての正当な職務を執行したのである。捜査当局は処罰すべきではない。それが圧倒的に民意である。

民主党のいう「政治主導」とは、支那を恐れて、海保・検察に命じて違法行為を行った支那人を無罪放免にし、国民の知る権利を奪うことだったのである。菅政権、とりわけ、仙谷由人こそ罰せられるべきである。

            

原口一博前総務相は「残念で痛ましい。政治の(非公開の)決断がある意味で『罪人』を作ってしまった。一生懸命取り締まっている人たちがその思いを違法な形でしか出せなかったことに、大変な憤りを感じる」と職員を擁護した。正論である。しかし、「罪人を作った」という表現はおかしい。海上保安官は罪人ではない。英雄である。模範とすべき公務員である。

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田久保忠衛氏の講演

田久保忠衛杏林大学客員教授は、『日韓文化協会・日台文化協会・昭和経済研究所共催によるセミナー』における講演で次のように語った。

「政治家が国際問題を全く分かっていない。一九六九年から一年ちょっと時事通信那覇支局長を務めた。その後、ワシントンに五年間いた。東京・那覇・ワシントンでは、ものを見るのが全然違う。当時の屋良朝苗琉球政府主席は、ウチナンチュはヤマトンチュに騙されたひどい目にあったというのが本音だった。アメリカは、中国への発信として沖縄の核抜きをとっくに決めていた。

荒唐無稽な『ユダヤの陰謀』を言う人が実に多い。民主党の国際局長をしていた藤田幸久氏は、『九・一はアメリカの自作自演』と言っていた。『ワシントンポスト』は『こんなことをいう人物が与党の国際局長なのか』と批判した。

福田康夫氏は、『友人の嫌がることはやりません。国家と国家も同じです。』と言ったが、国益と個人とは別。外交と軍事は同じもの。『憲法前文』なんて何の役にも立たない。中国の軍事力がなかったら、日本は中国を恐れる必要はない。

『非核三原則』『専守防衛』で日本は自分で自分を縛った。『軍事力を強くすると外交も強くなる。そして経済も良くなる。』というのが中国の意図。

九・一一は従来の国家対立とは対照的。誰が誰を何の目的で襲うかわからない。国家間同士の対立が存在しているのはアジア。太平洋とインド洋は危険な海であり続けている。中国は大陸国家であるとともに、長い海岸線を持ち天然の良港を持った海洋国家でもある。中国は崩壊するという願望と見通しを持っている人が多い。しかし一党独裁・警察・軍・公安という暴力装置を持った国が簡単に壊れないと考えた方が健全。十三億の人々の生活水準を引き上げた。これを下げるわけにいかないとすると、原料・エネルギー資源に敏感になる。インドは急速にアメリカに近付いている。

『普天間を国外か県外へ』と言った罪は大きい。EUは民主主義国でありキリスト教という接着剤がある。日本・韓国・中国にそんなものがあるのか。

『憲法』の前文や第九条ではこの世界は渡れないということが国民が分かってきた。『憲法』前文には、領海侵犯される、他国から侵害を受けるという前提がない。海上自衛隊が領海警備をする法律がない。

中国漁船が領海侵犯した時に中国大使を呼びつけて抗議をすべきだった。『日本の海保がぶつかって来た』という中国の発表に抗議しなかった。丹羽大使は相当オタオタした。第一ラウンドで中国が先手を取った。

温家宝に『船長を釈放しなければ、何が起こっても日本政府の責任だ』と言われて震え上がった。フジタの社員を拘束されて身代金を取られた。レアアースを輸出しないと言われてガタガタになった。『国内法に基づいて粛々とやる』と言っていたのに、船長を釈放した。第二ラウンドでノックアウトされた。事態は相当深刻。国民は、中国は普通の国ではないと思うようになってきた。菅政権は最初から逃げの姿勢。仙谷由人官房長官は、『日中両国の極端なナショナリズムは危険』と言って、それを逃げの口実にしている。

前原クリントン会談で、クリントンは『尖閣は日米安保の対象になっている』と言った。『安保条約』第五条の発動は武力攻撃があった時にしか発動しない。

自衛隊は軍ではない。出自が警察予備隊。『警察法』体系になっている。軍は国のバックポーンという考え方なし。『陸海空三軍を保持しない』『交戦権を有しない』という『憲法』を改正すべし。拡大解釈も限界に来ている。政治家を憲法改正に賛成か、反対かで色分けすべし。

永井陽之助氏は『経済大国・軽武装という吉田ドクトリンが戦後日本のプリンシプル』と言った。自民党宏池会と社会党がこれを推進した。普通の民主主義国家の持っている普通の軍を持つべしというのが私の見解。普天間問題の落とし所は今のところ無い。日本はこのままでは泥沼に入る。菅政権はつぶれる。吉田ドクトリンでは駄目という政治家を結集すべし。『戦後レジームからの脱却』と言ったのは安倍晋三。この精神に賛同した人々は突破口になる」。

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千駄木庵日乗十一月十日

朝、母のお世話。

午前十一時より、大手町の経団連会館にて、『日韓文化協会・日台文化協会・昭和経済研究所共催によるセミナー』開催。倉田信靖昭和経済研究所理事長が挨拶。田久保忠衛杏林大学客員教授が講演。質疑応答。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、豊島区立地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、雄略天皇御製を講義。『萬葉集』巻頭に収められた御歌である。

帰宅後は、原稿執筆。

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2010年11月10日 (水)

ビデオを公開した人物は国民的英雄である。

            

城内実衆院議員は八日の「ブログ」で次のように書いておられる。

「今日の夕刊を見たら、『尖閣映像流出ー海保が刑事告発、 守秘義務違反容疑ー検察捜査を開始』という見出しがおどっていた。ビデオ流出の張本人が那覇地検なのか海保なのかは分からない。が、このビデオを流した者は、己の身の危険(国家公務員法違反)をかえりみずに日本国民いや、世界の良識ある市民のみなさんに、菅ー仙谷ラインが隠蔽しようとした中国漁船の乱暴狼藉を働いた真相を知らせようとしたという点では、近年まれに見る勇気と覚悟をもった国民栄誉賞ものの英雄ではあるまいか。」

まったく同感である。支那漁船(工作船)の犯罪行為を隠蔽して国民公開しないばかりか、犯人を逃がしてしまった政府こそ「証拠隠滅」「犯人隠避」の罪に問われるべきである。

ビデオを国民に広く公開した人物こそ、まさに国民的英雄であり、「国民栄誉賞」を授与すべきである。

さらに言えば、領海侵犯・海保警備艇への不法行為を働いた犯人を逃がした政府に、ビデオを公開した正義の人物を追及し処断する資格はないし、する必要もない。また、ビデオを公開した人物も、自ら名乗り出る必要はさらさらない。

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パソコンの故障について

一昨日の朝、突然、パソコンが故障した。私は機械に弱いのでどうしようもない。茫然自失というと少し大袈裟だが、パソコンの故障は本当に困る。特に、蓄積された情報が消えてしまったら大変なことだ。

仕事も日常生活もパソコンに頼る部分がものすごく多くなっている。パソコンというのは、まことに便利である。それだけに、動かなくなると大変だ。

科学技術の進歩は、人類の生活を便利にし、快適にしたが、反面、科学技術によっての人間が支配されるようになっている面がある。これは恐ろしいことだ。

昨日、技術者の方に来てもらって、三時間くらいかけて復旧作業が行われた。無事復旧した時の喜びは、「欣喜雀躍手の舞い足の踏むところを知らない」という譬え通りだった。

ところが、パソコンの修理が終わった後、ブログを書こうとしたら、今度は、ブログ機能が動かない。ブログの業者に電話して、係の人の指示に従って、数時間にわたっていろいろ操作をしたが、完全復旧とまではいかなかった。そして今日の午後、その作業の続きをやったら、何と数分があっけなく復旧した。

ともかくもパソコンというのは、便利ではあるが、故障すると大変なことになる。しかもちょっとしたことで故障が起こる。これまでも何回か故障があったが、今回が一番大変だった。大袈裟ではなくこの三日間の精神的苦痛、肉体的疲労、時間的損失は、甚大であった。

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千駄木庵日乗十一月九日

午前は、母のお世話。

午後は、ブログの復旧作業。意外に簡単に復旧した。

この後、父の病院に赴き、付き添う。

帰宅後は、「政治文化情報」の原稿執筆など。一昨日、昨日と、パソコンが故障し、原稿を書くことができなかった。

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2010年11月 9日 (火)

お詫び

ブログ機能故障のため、「千駄木庵日乗」を掲載できませんでした。ようやく復旧いたしましたので、このままうまくいけば本日からは掲載できると思います。申し訳ございませんでした。

四宮正貴 合掌

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2010年11月 6日 (土)

ビデオ流出に思うー民主党内閣を打倒せよ

沖縄県尖閣諸

沖において、共産支那の漁船と称する船によるわが国の海保警備艇攻撃事件を撮影したビデオ映像がインターネット上に流出した。これは政府部内の憂国の士が国民に共産支那の暴虐を知らしめるために行った正義の行動であると思う。決して犯罪行為ではない。救国のための超法規的行動である。まさに「愛国無罪」である。

「身内から流出した」などという報道が行われているが、海保・警察・検察そして自衛隊には、民主党亡国政権の身内などという意識はない人が多いのではないか。敵性国家に媚を売り、官僚を敵視する政権を打倒したいと思っている人もいるに違いない。

「政府の情報管理がしっかりしていない」という報道もあるが、支那を恐れてビデオを公開しなかった政府が悪いのだ。政府が「国民の知る権利」を侵害したことが今回の正義の行動の原因である。石原都知事が、「結構ですね。これは内部告発。みんな知りたいことなんだから。」という発言は全く正しい。政府の責任は大きい。

あの支那の漁船と称する船の攻撃ぶりを見ると、この船の乗組員は、普通の漁船員ではない。特別に訓練された民兵か海上工作員である。計画的な攻撃であることは確実である。

ともかく、政府は、最初からビデオを全面的に公開すべきだったのである。そして、共産支那に対してその非を徹底的に糾弾し強く抗議の意志を表明し、支那に謝罪させるべきだったのである。

ロシア大統領が北方領土に上陸したのも、民主党政権の軟弱な姿勢を見て、わが国に対して攻勢をかけて来たのである。この民主党政権が続く限り、日本は大変なことになる。一刻も早く打倒すべきである。

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千駄木庵日乗十一月五日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻、谷中にて地元の友人と懇談。

帰宅後は、来週水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。巻一から始まる。

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2010年11月 5日 (金)

「貧しきを憂えず、等しからざるを憂える」という言葉に思う

日本と共産支那とは、『戦略的互恵関係』と言われている。本質的に軍国主義国家であり、一党独裁体制国家であり、軍事的拡張をおこなっている国と、『互恵関係』など構築できるわけがない。おまけに「戦略的」とは一体どういうことなのか。全く価値観の異なる国と『戦略』が一致するわけがない。こんな言葉の遊びは甚だ危険である。

ルーマニアも、共産支那と同じように急速な資本主義化で、貧富の差が広がり、チャウシェスク独裁体制を懐かしがり評価する人が増えているという。ロシアもスターリン時代を懐かしがる人が増えている。

「乏しきを憂えず、等しからざるを憂える」という言葉がある。ホー・チ・ミンの言葉だそうだか、共産主義革命思想は、この言葉が原点と言っても良い。つまり、資本家・支配階級だけが富を誇っている世の中を変えて、万民平等の世の中にしようという思想である。共産支那も、今、貧富の差が激しくなっている。毛共産党指導部は、そうした民衆の不満を「反日」によってそらそうとしているのだ。

公平な世の中はあり得ても、平等な世の中などはあり得ない。共産主義体制国家も、スターリン時代のソ連、チャウシェスク独裁体制下のルーマニア、ポルポト政権下のカンボジア、そして何より今日唯今の北朝鮮の民衆が、どれほど悲惨な目に遭っていたかを見れば、共産主義革命思想は、人類を不幸にする思想であるかは証明済みである。みんなが貧乏で、自由がなく、何時権力によって殺されるか分からない国の民衆が幸福であるはずがない。

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一兵卒が上官の命令に従ないのは軍律違反だ

小沢一郎氏は、岡田克也幹事長の衆院政治倫理審査会への出席要請を拒否した。小沢氏は代表選に負けた後、「一兵卒となって民主党のために頑張る」と言っていた。幹事長は、言って見れば、軍団の総参謀長である。代表は、総司令官である。総司令官と総参謀長の要請を一兵卒が拒否するということは、軍律違反である。軍隊なら営倉に入れられても仕方がない行為である。そもそも一兵卒が総参謀長を「クン呼ばわり」すること自体おかしい。

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千駄木庵日乗十一月四日

午前は、母のお世話。

昼過ぎ、赤坂にて、高校時代からの友人と懇談。次の参院選を目指しているという。健闘を祈る。ある地方都市の市長も経験し、衆院選にも挑戦した人物。頑張ってもらいたい。同じ店に、知人の参院議員がおられた。この方はちょっと毛色の変わった方で、今日も政治家としてはユニークな服装をしておられた。

友と別れ、神保町の古書店街へ。伊藤博氏著『萬葉集釋注』全十三巻を購入。『萬葉集』の全注釈としては、最も新しく、これまでの学問的成果を踏まえているとされる全集である。十年ほど前に刊行されたのだが、高価なのでなかなか買うことが出来なかった。今日思いきって、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入した。月二回の『萬葉集』講義のためにどうしてみ必要なのである。

この後、病院に赴き、父に付き添う。今日は精神的にやや落ち着いていた。看護師さんか良くしてくれる。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年11月 4日 (木)

谷中霊園散策記

谷中霊園を経巡ると、本当に歴史の勉強になる。幕末から戦後まで、日本国で活躍した人のお墓が数多くある。青山霊園はどちらかというと、薩長藩閥政府に関係する人のお墓が多いが、谷中霊園は、徳川家の菩提寺である寛永寺に隣接しているためか、徳川慶喜・渋澤栄一など幕府関係者や明治期に野にあって活躍した人のお墓が比較的多いようである。

今日は、次の方々のお墓をめぐった。

伊達宗城 宇和島藩八代藩主。松平春嶽・山内容堂・島津斉彬等大藩の諸侯に伍して「天下の四賢候」と称せられ、
明治維新に際しては、枢機に参画して活躍。明治元年(一八六八)五月参議に任ぜられた。支那問題研究の大家・伊達宗義先生の曽祖父にあたられる。

戸田忠至(ただゆき) 幕末期の宇都宮藩家老。勤皇家。朝廷から山陵奉行拝命。歴代天皇陵修復を建白し、幕府の許しを得て畿内の山稜の調査修復にあたった。このことが朝廷にも評価され、慶応三年(一八六七年)に、朝廷の意向により宇都宮藩から一万石の分知を受け諸侯に列し、高徳藩を立藩した。明治新政府では参与。

重宗雄三 九年間参議院議長をつとめ、参議院に「重宗王国」を築き絶大に権力を振ったが、河野謙三や田中角栄によって失脚させられた。全国区で生長の家の推薦を受けたので、大学生だった私は、重宗氏の選挙応援をしたことがある。友人の紹介で永田町の平河ビルにあった重宗事務所でアルバイトもした。権勢が絶頂の時だった。眼光鋭い人であった。しかし、生長の家の信者では全くなかった。組織を利用したと言って良いだろう。谷口雅春先生は『帝国憲法復元』のために重宗氏に期待したのだが、全くやる気はなかったし、やれるものでもなかった。

岩村通俊 高知の人。勤皇の志士。戊辰戦争では東征軍軍監。東北地方を鎮定。西南戦争では、西郷隆盛を手厚く葬る。南洲神社を建立。

岩村高俊 通俊の弟。戊辰戦争では長岡藩の河井継之助に高圧的な態度で臨み、無理な要求を突き付けて、抗戦に追い込み、佐賀の変でも、大久保利通と共に新政府の功労者・江藤新平を死地に追いやったとされ、兄と比べるときわめて評判が悪い。

野田豁通(ひろみち) 熊本藩士。横井小楠の弟子。戊辰戦争で戦い、維新後陸軍主計総監。

このほか、横山大観氏などの墓も巡った。

谷中霊園から見える日暮里の高層ビル

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伊達宗城公墓所

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谷中霊園の上に浮かぶ白雲

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千駄木庵日乗十一月三日

午前は、母のお世話。

午後は、よく晴れていたので気分転換のため谷中霊園散策。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年11月 3日 (水)

大原康男氏の山口二矢烈士追悼講演を聞いて

「山口二矢烈士五十年祭」の追悼公演で大原康男氏は次のように語った。

「昭和三十五年十月は、私が高校三年で十八歳になったばかりであった。私は、山口二矢烈士とは同時代に生まれ育った。あの衝撃的事件は、第一次安保闘争の騒ぎが落ち着きかけ、新しい政治的段階に入った時に起きた。『自民党社会党民社党三党党首立会演説会』において、浅沼稲次郎氏に一撃が加えられた。山口二矢さんは十七歳で未成年だったが、実名で報道された。山口二矢さんは、十一二日夜、東京少年鑑別所で、自ら命を断たれた。同学年の人間にとって、締めくくりのような形での自決は衝撃的だった。

反安保闘争は昭和三十四年三月に、社会党・総評・原水協が国民会議を結成して開始された。その二十日前に中国を訪問した浅沼氏は、『アメリカ帝国主義についておたがいは共同の敵とみなしてたたかわなければならないと思います』と発言した。その後、安保反対運動が行われた。昭和三十五年五月十九日に『新安保条約』が可決されると、全国的なデモが行われ、六月十五日には女学生が圧死した。全国で五八〇万人がデモに参加した。院内ではなく院外での闘争で安保改定を阻止しようとした。それが成功したら日本赤化につながると心ある人々は危惧した。メディアもデモを支持した。労働組合の組織だった政治デモは『労働基本権』の乱用であった。

日本の将来がどうなるか分からない危機的状況を目の当たりにした山口二矢さんは、左翼運動の指導者を倒すことを決意し、浅沼氏にターゲットを絞った。社会党指導者としての責任・訪中時の暴言・国会乱入の扇動者としての責任の三つを許しておくことはできないとして、あの挙に出た。決行の十日前の十月二日、明治神宮に参拝して『天佑神助を賜りたい』と祈願した。浅沼氏に対して個人的恨みはなく、ご家族には申し訳ないと供述している。

十一月二日、責任を一身に背負って自決された。ちょうど一か月前の十月二日に明治神宮に参拝しているのは、偶然ではなく『神計らい』であると信ずる。白い歯磨き粉を溶いた液で『七生報国 天皇陛下万才』の文字を監房の壁に残した。辞世歌を五首遺された。そして幽り世にみまかられた。わが日本において、政治的行為者・維新者としてこれほど見事な、完璧な出処進退は、空前絶後である。十一月二日の自決で、それまでの山口二矢さんに対する批判は沈黙した。

言論には言論を以て対すべしというのが民主主義の基本というのは一応認める。しかし、事柄と状況によって、もう一つの余地があると思う。日本の共産化を目指す院外における安保改定阻止行動、実力行動へのカウンターアタック(反撃)としては認めざるを得ない。

浅沼氏は『アメリカ帝国主義は日中共同の敵』と言った。それから五十年、『支那帝国主義は日米共同の敵』という声があがるかもしれない。昨年秋の政権交代後、わが日本の惨憺たる有様は、亡国への道を歩んでいる。その時に、山口二矢さんの五十年祭を営み、二矢さんの心を真摯に受け止め、一人一人が自分を何処に位置付けるか、日本の本来の姿を回復するために、最もふさわしい形で言葉と行動にあらわすことが大事である。五十年前の感銘を新たにしつつ、わが国の天壌無窮の國體を守っていく覚悟を新たにしたい」と語った。

          ○

まことに素晴らしい講演であった。昭和三十五年、小生は中学二年生であった。放送委員をしていたので、学校の放送室で運動会の準備をしていた。その時、浅沼氏が刺殺されたという臨時ニュースが聞こえて来て驚いた。小生の父も当時防衛庁に勤務していた。山口二矢氏の父君・晋平氏が編集長であった防衛庁の庁誌『修親』を父がよく読んでいた。私もそれを時々読むことがあった。父は山口晋平氏と面識があった。また、小生も、小学校五年頃だったと思うが、愛国党に入党したいと思って、党本部に電話し、赤尾先生と電話でお話ししたことがある。従って、小生も大原氏と同じように、『浅沼事件』には大変な衝撃を受けた。電話でお話しした時、赤尾先生は「君はいくつかね」と聞かれたので、「小学校五年生です」と答えたら、「君は偉い」と言って大変ほめられた記憶がある。以来、私は赤尾先生の大ファンになった。

今日、祖国日本は『中華帝国主義』『ロシア帝国主義』からの圧迫を受けている。この国難に際し、山口二矢烈士そして赤尾敏先生の御霊が祖国をお護り下さいますよう切に祈るものである。

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千駄木庵日乗十一月二日

午前は、母のお世話。

午後は、『大吼』原稿執筆・脱稿・送付。

午後七時より、日比谷公会堂にて、「山口二矢烈士五十年祭」執行。丸川仁氏が司会。国民儀礼の後、福永武氏が祭主となり、祝詞奏上・遺詠奉誦・供述調書奉読・奉納演武・玉串奉奠・「青年日本の歌」合唱などが行われた。そして岡田尚平氏が挨拶を行った。(平沢次郎氏が代読)この後、大原康男国学院大学教授が追悼講演を行った。全国各地から多数の同志が参集した。久しぶりにお会いする同志も多かった。

帰宅後は、『月刊日本』連載の『萬葉集』講義原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年11月 2日 (火)

千駄木庵日乗十一月一日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。母の部屋の冬支度。母が風邪をひかないように十分に注意しなければならない。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後も、原稿執筆など。

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尖閣諸島は明白に我が国領土である。支那が支配したことは一度もない。

 領土は国家を構成する重大なる要素であり、独立国家として自国固有の領土への外国からの侵略支配や外国からの不当な領有権の主張は、断固として排除しなければならない。

しかるに我が国政府は、「柳腰外交」だとか言って、毅然とした対応が出来ないのである。本当に不甲斐ない限り話である。このような政府の弱腰外交は、独立国家日本の尊厳を傷付けるものである。

そもそも、尖閣諸島はこれまで日本以外の何処の国にも帰属していなかったし、何処の国も実効支配したという事実はない。支那の領土であった事実は全くない。

わが国は明治十八年(一八八五)から数回にわたり現地調査を繰り返し、尖閣諸島が支那(当時は「清」)に所属する証跡のない無主島であることを確認の上、何処の国にも属さない主のいない島については先に実効支配した国に領有権があるという国際法上の“無主地先占”の原則に基づいて明治二十八年一月十四日、わが国領土に編入し沖縄県に所轄されることを閣議決定したのである。その上で沖縄県八重山郡登野城村二三九一から二三九四と所在を確定(現在は石垣市)した。この時清国側から反論も抗議も行われなかった。

そして明治三十三年(一九〇〇)列島調査に参加した沖縄師範学校教諭黒岩恒氏が「尖閣列島」と命名した。

そしてわが国政府は、沖縄の実業家・古賀辰四郎氏に尖閣諸島開拓を正式に許可している。古賀氏はすでに明治十七年頃から魚釣島の開拓に着手していた。

その後、古賀氏は魚釣島でアホウドリなどの羽毛をとってイギリスなどに輸出したり、鰹節工場を作ったりして、この島に“古賀村”と呼ばれる集落を作った。

大正八年の冬に、中華民国福建省の支那人三十一人が漂着したので、古賀氏の子息が救助して、彼らを石垣島まで送り、船も修繕し、医療も施した上、中華民国に返した。これに対して、中華民国長崎総領事が大日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島に感謝状を送って来た。この感謝状は今も残っている。つまり、尖閣諸島が沖縄県八重山郡に属することは、支那の外交文書にも記録されているのである。

このように、有史以来、尖閣諸島は日本国の領土として日本国民によって開発され今日に至っているのである。台湾やその付属島嶼のように、日清戦争の『平和条約』(明治二十八年四月十七日調印の下関条約)によって、日本が清国から割譲させたものではない。

だからこそ、『サンフランシスコ平和条約』で、日本は、台湾及び膨湖諸島など台湾の付属島嶼に対する権利、請求権を放棄させられたのに、尖閣諸島は、台湾及び膨湖諸島とは区別され、沖縄の一部として、米国の施政権の下に置かれたのである。この『サンフランシスコ条約』の領土処理について、「中華民国」も「中華人民共和国」も一切文句を言わなかった。もしも支那が領有権を主張するのなら、この時アメリカに抗議すべきだったのである。それをしなかったということは、支那は、尖閣諸島は本来日本の領土であり支那に領有権は無い事を認めたということである。

また、アメリカは占領中、尖閣諸島を射撃訓練の標的としたが、その使用料を、地主である那覇市の古賀花子さんに支払っていたのである。こうした事実があるにもかかわらず、支那がアメリカに対し、領土侵害であると抗議したことはただの一回も無かった。

そして、昭和四十七年(一九七二)の沖縄県祖国復帰に伴い当然のことながら尖閣諸島も日本国土に復帰した。尖閣諸島は、同年五月十五日に、『沖縄返還協定』により、米国から沖縄と共に日本に施政権が返還されたのである。

このように、尖閣諸島は日本の領土であり、尖閣諸島に「領有権」を主張できる国は日本以外に存在しないのである。尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがない。

こうした明白なる事実・歴史的経緯を、国民に対しても、また海外に対しても、明確に周知徹底させず、また、支那工作船による海保艦艇襲撃のビデオを全面公開せず、「柳腰外交」などとタワゴトを言っている民主党政権を厳しく糾弾すべきである。

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2010年11月 1日 (月)

「前門の狼、後門の虎」まさに国難到来

ロシアのメドベージェフ大統領が明日の十一月一日、わが国固有の領土・北方領土の国後島に上陸する。ロシアの国家元首がわが国固有の領土北方領土に上陸するのは初めてのことだ。旧ソ連時代にもなかったことだ。

わが国政府は「日露関係に重大な支障が生じる」と計画中止を求めて来た。それを完全に無視するロシアの姿勢が鮮明になった。共産支那による尖閣海域に対する領海侵犯・わが国海保警備艇への攻撃が行われ、共産支那と緊張関係にあることを見透かしての行動であり、何とも許し難い。ロシアと共産支那が連携してわが国に対して、攻勢を仕掛けて来ていると考えられる。

メドベージェフの国後島上陸は、北方領土をわが国に返還する意志が全くないことを明らかに示したのである。そして,「日ソ中立条約」を一方的に踏みにじって、わが国に対して宣戦を布告し、南樺太全千島を侵略し、満州を侵略し、朝鮮北部を侵略し、多くの日本人を殺戮し、シベリアに連行し、死に至らしめた悪逆非道の犯罪行為に対する反省の意志がカケラも無い事を示したのである。

ロシアは今年夏、九月二日を、対日戦勝記念日に制定した。これも旧ソ連が「日ソ中立条約」を踏みにじって対日参戦したことを正当化せんとする行為である。

昨日、「ソ連の崩壊・共産支那の改革開放によって、かつての『ソ連』や『毛沢東中国』によるわが国に対する『革命工作』『赤化工作』のような侵略攻勢は無くなったと思ったら大間違い。ロシアも共産支那も拡張主義は全く変化していない。それどころかますます活発化してきている。」と書いたが、まさに日本は「前門の狼、後門の虎」という事態になって来た。

加えて、北朝鮮の核攻撃・生物兵器攻撃・テロ攻撃の危険もある。そして国内には、似非平和主義者や反日反米勢力の蠢動がある。文字通り国難到来である。

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千駄木庵日乗十月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆の準備・資料検索・整理など。

今年もあと二カ月となった。せわしなく過ごしていると、本当に月日が建つのが早い。カレンダーもあと一枚を残すのみとなった。父と母が一日でも長く生きてくれること、そして、苦しみが少ない事を祈り続ける毎日である。

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