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2010年10月22日 (金)

「萬葉集」防人の歌の素晴らしさ

今日の萬葉會で講義した「防人の歌」の中に次の二首の歌がある。

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」  

 (鹿島の社に鎮まります建御雷神に武運長久を祈り続けて天皇の兵士として私は来たのだ)

 常陸の國那珂郡の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちぶみ)の歌。「あられ」は鹿島に掛る枕詞。あられが降る音はかしましいので鹿島に掛けた。「鹿島の神」は鹿島神宮に祭られている武神・建御雷神(たけみかづちのかみ・武甕槌神とも書く)の御事。建御雷神は、天孫降臨に先立って出雲に天降られ、大国主命に国譲りを交渉せられた神であらせられる。鹿島神宮の御創祀は、神武天皇御即位の年と伝えられる。「皇御軍」は天皇の兵士という意味。天皇の兵士・皇軍という意識は、近代になってつくり上げられたのではなく、千三百年の昔よりわが日本の庶民に受け継がれてきているのである。

この鹿島神宮は、初代徳川頼房以来、水戸徳川家が崇敬の誠を捧げていた。今に残る日本三大楼門の一と言われる楼門は寛永十一年に頼房公が寄進したものである。幕末の徳川斉昭は、『大日本史』を奉納し、安政四年には、鹿島神宮の御分霊を水戸弘道館に勧請し、鹿島神社を創建した。

 

「筑波嶺(つくばね)のさ百合の花の夜床(ゆどこ)にも愛(かな)しけ妹ぞ晝もかなしけ」

 (筑波山の百合の花のように夜の床の中でもいとしい妻は、昼間でもいとしくてたまらない)

 大舎人部千文「あられ降り」の歌と同じ時に詠んだ歌ある。まことに素直に率直に別れて来た妻への心情を吐露した歌である。そしてそれを萬葉集という公の歌集に、政府高官たる大伴家持の手によって堂々と収められたのである。今日の頽廃的な肉体文学・性欲文学と全く異なった健康的な歌である。

 この二首は、敬神愛国の「公の思い」と、妻を愛する「私の思い」とが、一人の作者によって歌われている。皇軍の兵士としての決意と神への祈りを歌いあげると共に、故郷において来た妻への思慕の情が大胆率直に歌われている。ここに萬葉集』の歌の素晴らしさがある。古代日本決して権力国家ではなかった。天皇を中心とした大らかな信仰共同体がわが日本の本来の姿即ちわが國體なのである。

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