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2010年10月27日 (水)

『東大寺大仏・天平の至宝』展を拝観して

『東大寺大仏・天平の至宝』展は、「東大寺は、聖武天皇と光明皇后が、夭逝した皇子の菩提を弔うため造営した山房に始まり、やがて、聖武天皇の発願により盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立され、国家的な仏教信仰の中心になりました。…創建時の天平文化を代表する至宝が伝わっています。本展では大仏造立に関わる作品を通して天平文化の精華をご覧いただきます。大仏殿前の高さ4.5メートルを超える八角燈籠(国宝)が寺外で初公開となるほか、古代の誕生仏では日本最大として知られる誕生釈迦仏立像(国宝)や、大仏開眼供養会などに使用された伎楽面(重要文化財)など、天平の宝物を一堂に展示します。」(案内書)との趣旨で開催された。

聖武天皇は、「すめらみことの仁慈の大御心」が、佛教の慈悲の精神と一致し、佛教への信及び佛の慈悲と加護によって災厄から國家・國民を救ひたいと念願あそばされた。『金光明最勝王経』に説かれてゐる<四天王の國土擁護の思想>で、國を救済しようと思し召された。そして、天平十三年(七四一)三月に『詔』を発せられて、諸国に国分寺(金光明四天王護国寺)・国分尼寺(法華滅罪寺)を建立するように命じられた。

『盧舎那大仏造立の詔』を発せられる二年前の天平十三年(七四一)十一月三日、聖武天皇は、右大臣・橘諸兄を勅使として伊勢神宮に東大寺大仏建立の祈願を行はしめられた。 

諸兄はこの時、「当朝は神國なり。尤も神明を欽仰(注うやまいつつしみ仰ぐこと)し奉り給ふべきなり、而して日輪は大日如来なり、本地は廬遮那佛なり、衆生此の理を悟り解いて、當に佛法に帰すべし」といふ「示現(注神佛が不思議な靈験をあらわすこと)」を得た。

千葉の蓮華の真中に廬遮那佛を置いて礼拝することは、大宇宙の光明遍照の中心であるところの太陽神を礼拝することである。そして、わが國においてもっとも尊貴な神として仰がれ、皇室の御祖先神と仰がれる天照大神も太陽神である。つまり、わが國の天照大神への信仰といふ傳統信仰が佛教的に表現されたのが奈良の大佛の造立だったのである。太陽信仰=天照大神信仰と、奈良の大仏への信仰は本質的には一つの信仰であったといふことである。従って、「太陽神たる天照大御神の地上的御顕現(現御神)であらせられる日本天皇は、盧舎那仏そのものとして蓮華蔵世界の中心におはします」といふのが、聖武天皇の御自覚であったと拝する。

蓮華蔵世界(広大な佛の世界・大宇宙)の中心に坐す姿の廬遮那佛即ち大佛がまします。像高一四・九八mのこれまた世界最大金銅佛である。これ以前においても以後においても、わが國でこのような巨大な金銅佛を造立した例はない。世界史的に見ても希有な出来事であった。

今日の展覧会において、聖武天皇の壮大なる御構想と大いなる信仰心がひしひしと傳はって来た。今から約千三百年の昔にこのような大きな殿堂と佛像が造られたことにも驚嘆せざるを得ない。わが國が佛教といふ國際的宗教を取り入れ、さらにそれをわが國傳統信仰と融合させて大きく開花せしめた見事な結実を見る思いがした。

「創建瓦」など数多くの東大寺関係の瓦が展示されていた。これほど多くの瓦が展示された展覧会を参観するのは初めての経験である。そして、聖武天皇御宸筆の「西大門勅額」(重要文化財、、僧形八幡神坐像、賢愚経巻第十五(聖武天皇天皇御宸筆・国宝)、不空羂索観音菩薩立像光背(国宝)、重源上人坐像(国宝)、地蔵菩薩立像(快慶作)などを拝観。

聖武天皇御宸筆の「西大門勅額」には「金光明四天王護国之寺」と書かれてあった。重源上人坐像はきわめて写実的に彫られていた。地蔵菩薩立像(快慶作)などの仏像はどれも清らかで美しかった。日本の仏教美術は、洗練されていて素晴らしい。インドに生まれた仏教は日本において爛熟し、永遠に生きた宗教として伝えられている。

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