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2010年10月19日 (火)

論語と反日デモ

「おとなの寺子屋・論語の会」において、野村英登氏(文学博士は次のように語った。

「儒教の経書の一つである『書経』では、人生の幸福とは、第一が長寿、第二が富、第三が健康と心の安寧、第四が徳を好む事、第五が天寿を全うすることの五つであるとした。長寿を第一としたのは、長寿であってこそ、他の四つの幸福を享受できると考えたからである。長生きをするのは徳を実践するためだとする。孔子は『仁者は命寿(なが)し』と言った。これは日本の武士道とは矛盾する。

また、『身体髪膚これを父母の受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり』と説いた。また、孔子は『身を殺して仁を成すことあり』とも説いた。この立場とも矛盾しないであろうか。儒教では、道義の実践においては常法と変法があるとし、いずれも道義に背かないとした。これによれば、身を殺して道義に殉ずる事は変であるが、それは身を保全することと矛盾しないとした。徳川時代の儒者・貝原益軒は『平生堅固にして気を養っておいてこそ、有事に必要な勇気を振うことが出来る』と述べている。

『民は由らしむべし。知らしむべからず』とは、民にすべきことはさせることはできても、どうしてしなければならないかを理解させることは難しいということ。民に対して上から目線の言葉。『由』は連れて行って実行させること。『知』は理解する・分かるということ。『可』が可能の意味か、禁止の意味かが問題。

『周公の才の美ありとも、驕り且吝ならしめば、その余は観るに足らざるなり』とは、『たとえ周公のような優秀な才能に恵まれていても、威張り屋でしかもケチだとしたら、それ以外の事は最早論ずる価値はない』という意味。上に立つ者は、才能ではなく徳が必要なのだということ。威張ることとケチとは人間性としてセットになっているらしい。」

            ○

今日の講義を聞いて、漢学者に長命な方が多い理由が分かった。徳というものは、長生きしなければなかなか完成しないということである。そのためには、体を大切にしなければならないということだ。

儒教道徳は色々なことを説いているが、どちらにでも解釈できることが多い。また全く相矛盾することも説いている。「義を見てせざるは勇無きなり」と「君子危うきに近寄らず」などはその典型である。時と場合によってどちらの言葉も使い分けることが出来る。

驕慢な人にケチが多いというのは、私の人生経験上も、納得できる。しかしケチな人が全て驕慢とは限らない。腰の低い人もいる。なかなか難しい。孔子さまは、ケチと驕慢を最も嫌ったようだ。

「民は由らしむべし。知らしむべからず」とは、「民に色々情報公開する必要はない。ただ従わせれば良い」という解釈が正しいと思うのだが、儒教の専門家はこういう解釈を否定する。儒教国家支那の政治とはまさにそういう政治なのだ。だから民衆の不満が鬱積して、今日のようなデモが起こるのだ。反日に仮託した反権力デモの側面が強い。日本の政治思想と支那の政治思想との決定的違いを考える時に、この「民は由らしむべし。知らしむべからず」という言葉は大きな意味を持つ。権力者も民衆も道義精神が希薄だからこそ、儒教が生まれた。今起こってい反日デモも、日本に対する暴虐も、道義精神の希薄さから起こっていると言える。わが日本は、この国とどう対峙するかが、古代より今日に至るまでの最大の課題である。

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