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2010年10月31日 (日)

国家の危機に田中真紀子・福島瑞穂は何をしているのか

「九段下沙龍」における小磯明都議会議員のスピーチは次の通り。

「九月十七日の尖閣海域で領海侵犯した中国漁船は工作船であり、乗組員十四人は軍人であることは間違いない。逮捕された乗組員に中国領事館員が頻繁に接触した。八重山群島は防衛空白の島々。主権をどう守るのか。少数の警察官が奔走して守っているのが現実。漁民の話によると、夕暮時に目測すると、おかしな船が航行し、闇夜に乗じて島に接近して来るという。漁船に偽装した工作船である。国境を接している危機状況が日常的にある。今回は偶発事故ではない。彼らの作戦行為。二百七十隻の『漁船』が近くにいた。

尖閣を取られたら、わが国の専管区域が喪失する。尖閣に避難港をつくることと、自衛隊の駐留が必要。与那国が危ない。粘り強く連帯して『国境離島新法』を作らねばならない。国民の意識を喚起すべし。

中国の社会科学院の下部組織は『沖縄は中国のもの』と主張している。十月十六日、我々は中国大使館に三千二百人以上のデモを行った。このデモが中国の官製デモにつながった。

私が団長となり台湾を訪問して李登輝元総統と会談した。その時いただいた李登輝元総統の演説原稿には、『尖閣は日本領』と書かれていた。中共が日台分断工作を行っている。台湾のメディアに中国資本が入って反日を扇動している。

台湾人は日本の台湾統治を正当に評価している。日本軍人を祭る神社もある。黄昭堂台湾独立建国連盟主席も、『尖閣は日本のもの』と言っていた。」

中尾征秀郎氏は次のように語った。

「九月二十八日に怒りを覚え、何かをしなければならないと思った。このままでは上海領事館員の自殺事件のようにまた有耶無耶になってしまう。尖閣という領土問題は有耶無耶にしてはいけない。中国は次の手を打ってくる。それに対抗する運動を石垣に行ってやりたい。日本人の気概を見せたい。この身を石垣に置くことが第一。五十七歳になった私の最後の御奉公。」

          ○

共産支那は、沖縄を支配下に置くために、色々な工作を行ってきている。今回の領海侵犯はその一環である。『琉球独立運動』を支援することも考えられる。かつて、蒋介石存命時代の中華民国政府は、現実に琉球独立運動支援工作を行っていた。『中華帝国主義』は、領土を広げ、支配地域を拡大することを目的としている事を我々は正しく認識しなければならない。

ソ連の崩壊・共産支那の改革開放によって、かつての「ソ連」や「毛沢東中国」によるわが国に対する「革命工作」「赤化工作」のような侵略攻勢は無くなったと思ったら大間違い。ロシアも共産支那も拡張主義は全く変化していない。それどころかますます活発化してきている。

とりわけ共産支那は、国内の矛盾や、国民の不満をごまかすために、反日を利用している。共産主義イデオロギーは外側の皮に過ぎなかったのである。支那やロシアは本質的に侵略主義国家なのである。

支那に対する怒りが抑え難いのは言うまでもない。それと共に、今まで盛んに「日中友好」を唱えてきた政治家・外交官・経済人が、全く何の発言もしないし、共産支那に対して何等の行動も起こさない事にも腹が立つ。この国家的危機に田中真紀子は何をしているのか。また、反基地・反米闘争、反核運動を行っている者共も、共産支那の侵略策・領海侵犯・核兵器に対しては何の抗議も反対運動も行わない事にも無性に腹が立つ。福島瑞穂は何をしているのか。

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千駄木庵日乗十月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、「九段下沙龍」開催。小磯明都議会議員がスピーチ。領土防衛運動のため石垣島に赴く中尾征秀郎氏が決意表明。渡部謙二氏及び小生が激励の挨拶。この後、「九段下沙龍神棚感謝祭」執行。森田忠明氏が祭主。祝詞奏上・玉串奉奠などが行われた。そして直会が行われ、多数の同志が意見交換・懇談。

帰宅後は、諸雑務。

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「九段下沙龍」神棚感謝祭

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2010年10月30日 (土)

傲慢無礼者 倶に天を戴かず

共産支那は、「日本は中国の主権を侵す不誠実な言論をまき散らした。日本側が(首脳会談を行うための)雰囲気を破壊した」として、ハノイにおける菅直人総理と温家宝との会談を一方的に拒否した。

「日本は中国の主権を侵す不誠実な言論をまき散らした。」とは、前原外相が「日中外相会談」で、わが国の正当なる主張を表明したことを指している。さらに、二七日の前原外相とクリントン米国務長官の共同記者会見で、クリントン長官が、沖縄県・尖閣諸島について「改めてはっきり言う。(米国の対日防衛義務を定めた)日米安保条約第5条の適用対象だ」と強調したことに対し、前原外相が「(発言に)勇気づけられた。今後とも日米協力を行い、日本の安全保障のみならず、地域の安定のために努力していく」と応じたことをも指している。

前原氏の外交姿勢は、日本の外務大臣として当然の姿勢であって、これに腹を立てて一方的に首脳会談を拒否した共産支那の態度は全く間違っている。テレビニュースを見ていると、支那の楊潔篪外相は、前原氏が差し伸べた手をいったん握ったが、すぐ払いのけた。何と無礼な態度であることか。

ハノイに来ていた温家宝も、楊潔篪も、保守派や反日勢力からの批判攻撃が怖いのである。本国から会談を拒否せよという指令が来たのである。共産支那は、アジアにおける軍事的覇権を確立せんとしている軍部と江沢民などの保守派とが結託して、反日デモを扇動し、さらに外交政策に揺さぶりをかけているのだ。北朝鮮の軍事パレードを観閲した中国共産党の周永康政治局常務委員はコチコチの保守派である。

共産支那と北朝鮮はその国家体質は全く同じなのだ。そのような国に対して「柳腰外交」とか「東シナ海を友愛の海に」などという言葉は通じない。通じないどころか空しく危険である。

わが國政府は、傲慢無礼な共産支那に一切妥協してはならない。あくまでも正義の立場を貫き通すべきである。外国との友好とは、相手国の言いなりになることではない。まして、国家主権を侵害されても唯々諾々と従うことではない。今こそ毅然として対処することが肝心である。

『元寇』の一節を記す。

「多々良浜辺の戎夷(えみし) /そは何 蒙古勢 /傲慢無礼もの /倶(とも)に天を戴かず/いでや進みて忠義に /鍛えし我が腕(かいな) /ここぞ国のため /日本刀を試しみん」

共産支那はまさに不倶戴天の傲慢無礼者である。わが国はアメリカと共同して、わが国の独立とアジアの平和と守るために奮励努力しなければならない。「皇国の荒廃この一戦にあり」である。

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千駄木庵日乗十月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。すやすやと寝ていたが、薄目を開けて私が来たのを喜んでくれる。

帰途、上野に出て、トンカツ屋で関西から上京された知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年10月29日 (金)

メディアの小沢・仙石批判について思う

メディアは、今までは、小沢一郎批判に血道をあげていたが、今度は仙石由人批判をおっぱじめた。権力者に対する批判は大いに結構である。ただ問題なのは、新聞・雑誌の売り上げ、テレビの視聴率の増加のために、誰か特定の人物をターゲットにするのではないかという疑いをもたれるようになるのは困る。

どんな人でも、過去のことを根掘り葉掘りほじくれば、何か批判すべき点、恥ずべきことがあるに違いない。小沢氏や仙石氏のような権力者に対してはそういう点についての批判も必要であろう。しかし、この二人に限らず、政治家に対する批判は、國を誤る、国民を不幸にするという観点が基本である。今のメディアにはそれが欠けている。

例えば、小沢氏に関しては、韓国における国籍を疑うような売国発言に対して一切批判はない。フジ・サンケイグループすらやらない。これはおかしい。

仙石氏が悪徳弁護士であるかどうかも重大問題であるが、彼の対支那姿勢、検察への政治介入疑惑についてもっと批判すべきである。

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ゴッホ展を参観して

今日参観した『没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった』展は、「二〇一〇年はフィンセント・ファン・ゴッホ(一八五三-一八九〇)が没して一二〇年目にあたります。今回のゴッホ展では、オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という二大コレクションの全面協力のもと、約一二〇点の作品によってファン・ゴッホ芸術の誕生の謎に迫ります。」(案内書)との趣旨で開催された。

「曇り空の下の積み藁」「掘る人」「白い帽子を被った女の頭部」「灰色のフェルト帽の自画像」「カフェにて」「アルルの寝室」「アイリス」などの諸作品を見る。

初期の作品は、暗い作品が多かった。こんなに暗い絵を描いていたとは思わなかった。しかし、次第に色彩豊かな作品が多くなったようである。ゴッホの絵には迫力がある。絵全体が輝いているように見える。構図などで日本の浮世絵の影響を強く受けた。私は、西洋の画家の中では、ゴッホが一番好きである。

三十七歳で猟銃自殺したのだが、短い生涯の間に画風がものすごく変化したように思われる。他殺説もある。死の前々年には、一緒に生活していた画家のゴーギャンと論争した揚句、自分の耳を切り落とした。そして精神病院に入院した。しかし、入院中に描いた作品も実に美しい作品が多い。

「天才と何やらは紙一重」という言葉があるが、ゴッホのその典型であろう。偉大な芸術家は、普通一般の人とは違ったところがある。天才と言われる人は特にそうである。山下清氏を「日本のゴッホ」と評価する人もいる。日本の画家の事は良く知らないが、作家・詩人・歌人・俳人には、いわゆる奇人・変人と言われる人が多い。

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千駄木庵日乗十月二十八日

午前は、母のお世話。医師の往診があり、付き添う。

午後は、六本木の国立新美術館にて開催中の「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」展参観。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理など。

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2010年10月28日 (木)

北朝鮮は共産支那の属国であり手先である

共産支那と北朝鮮が、「朝鮮戦争」への「中国義勇軍参戦六〇周年」を記念する式典などを利用して、蜜月ぶりをアピールしている。金正日は二六日、平安南道檜倉郡にある「中国義勇軍」の旧司令部と兵士の墓に行き、毛沢東の長男・毛岸英らの墓に献花した。

共産支那の習近平も二五日、北京で「中国国民は(中朝)両国国民と軍隊が血で固めた偉大な友好を忘れたことがない」と述べ、「血」という言葉で「中朝関係」を表現した。

「朝鮮戦争」は、言うまでもなく、金日成が、スターリン・毛沢東の支持のもと、韓国に軍事進攻し無数の韓国国民を殺戮した北朝鮮による韓国に対する完全なる侵略戦争であった。そして、国連軍が韓国防衛を実行し、北側が不利になると、共産支那は侵略に加担し、多数の軍を朝鮮に送り込んだ。

北朝鮮も、そして共産支那も、この憎むべき侵略戦争をいまだに「中朝両国国民と軍隊が血で固めた偉大な友好」などと言っているのだ。共産支那は、毛沢東路線が否定され改革開放が行われたなどと見られているが、侵略国家という本質は全く変わっていないのだ。かつて国連軍と戦った二つの侵略国家が、国連に加盟していること自体、国連の理想に背く。

尖閣に対する軍事的侵略策謀を見ても明らかな通り、共産支那は、軍事的侵略国家であり、アジアにおける最大の軍国主義国家である。その手先・属国が北朝鮮なのである。

金正恩の後継者指名についても、金正日が支那に行って共産支那の了解を取り付けた。そして十日に行われた北朝鮮の軍事パレードを、中国共産党の周永康政治局常務委員が金親子と共に観閲した。こうしたことは、北朝鮮が、共産支那帝国の属国・朝貢国であり、「中華帝国」の冊封(さくほう)体制下にあること示している。

わが國は共産支那と北朝鮮に益々警戒を強めねばならない。

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆・諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。意識がはっきりしていると、家に帰りたがるので、とても辛い。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2010年10月27日 (水)

『東大寺大仏・天平の至宝』展を拝観して

『東大寺大仏・天平の至宝』展は、「東大寺は、聖武天皇と光明皇后が、夭逝した皇子の菩提を弔うため造営した山房に始まり、やがて、聖武天皇の発願により盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立され、国家的な仏教信仰の中心になりました。…創建時の天平文化を代表する至宝が伝わっています。本展では大仏造立に関わる作品を通して天平文化の精華をご覧いただきます。大仏殿前の高さ4.5メートルを超える八角燈籠(国宝)が寺外で初公開となるほか、古代の誕生仏では日本最大として知られる誕生釈迦仏立像(国宝)や、大仏開眼供養会などに使用された伎楽面(重要文化財)など、天平の宝物を一堂に展示します。」(案内書)との趣旨で開催された。

聖武天皇は、「すめらみことの仁慈の大御心」が、佛教の慈悲の精神と一致し、佛教への信及び佛の慈悲と加護によって災厄から國家・國民を救ひたいと念願あそばされた。『金光明最勝王経』に説かれてゐる<四天王の國土擁護の思想>で、國を救済しようと思し召された。そして、天平十三年(七四一)三月に『詔』を発せられて、諸国に国分寺(金光明四天王護国寺)・国分尼寺(法華滅罪寺)を建立するように命じられた。

『盧舎那大仏造立の詔』を発せられる二年前の天平十三年(七四一)十一月三日、聖武天皇は、右大臣・橘諸兄を勅使として伊勢神宮に東大寺大仏建立の祈願を行はしめられた。 

諸兄はこの時、「当朝は神國なり。尤も神明を欽仰(注うやまいつつしみ仰ぐこと)し奉り給ふべきなり、而して日輪は大日如来なり、本地は廬遮那佛なり、衆生此の理を悟り解いて、當に佛法に帰すべし」といふ「示現(注神佛が不思議な靈験をあらわすこと)」を得た。

千葉の蓮華の真中に廬遮那佛を置いて礼拝することは、大宇宙の光明遍照の中心であるところの太陽神を礼拝することである。そして、わが國においてもっとも尊貴な神として仰がれ、皇室の御祖先神と仰がれる天照大神も太陽神である。つまり、わが國の天照大神への信仰といふ傳統信仰が佛教的に表現されたのが奈良の大佛の造立だったのである。太陽信仰=天照大神信仰と、奈良の大仏への信仰は本質的には一つの信仰であったといふことである。従って、「太陽神たる天照大御神の地上的御顕現(現御神)であらせられる日本天皇は、盧舎那仏そのものとして蓮華蔵世界の中心におはします」といふのが、聖武天皇の御自覚であったと拝する。

蓮華蔵世界(広大な佛の世界・大宇宙)の中心に坐す姿の廬遮那佛即ち大佛がまします。像高一四・九八mのこれまた世界最大金銅佛である。これ以前においても以後においても、わが國でこのような巨大な金銅佛を造立した例はない。世界史的に見ても希有な出来事であった。

今日の展覧会において、聖武天皇の壮大なる御構想と大いなる信仰心がひしひしと傳はって来た。今から約千三百年の昔にこのような大きな殿堂と佛像が造られたことにも驚嘆せざるを得ない。わが國が佛教といふ國際的宗教を取り入れ、さらにそれをわが國傳統信仰と融合させて大きく開花せしめた見事な結実を見る思いがした。

「創建瓦」など数多くの東大寺関係の瓦が展示されていた。これほど多くの瓦が展示された展覧会を参観するのは初めての経験である。そして、聖武天皇御宸筆の「西大門勅額」(重要文化財、、僧形八幡神坐像、賢愚経巻第十五(聖武天皇天皇御宸筆・国宝)、不空羂索観音菩薩立像光背(国宝)、重源上人坐像(国宝)、地蔵菩薩立像(快慶作)などを拝観。

聖武天皇御宸筆の「西大門勅額」には「金光明四天王護国之寺」と書かれてあった。重源上人坐像はきわめて写実的に彫られていた。地蔵菩薩立像(快慶作)などの仏像はどれも清らかで美しかった。日本の仏教美術は、洗練されていて素晴らしい。インドに生まれた仏教は日本において爛熟し、永遠に生きた宗教として伝えられている。

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千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京国立博物館平成館にて開催中の『東大寺大仏・天平の至宝』展参観。

その後、病院に赴き、父に付き添う。今日はいくらか精神的に落ち着いている。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事・資料の整理。

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上野の国立西洋美術館・地獄の門

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国立科学博物館

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2010年10月26日 (火)

馬鹿と阿呆の絡み合い

衆院北海道五区補欠選挙で、自民党前職の町村信孝氏が「圧勝した」と報道され、自民党は大喜びだが、北教組とその推薦議員の不祥事の後の選挙であり、勝つのは当たり前である。そのうえ創価学会の支持もあったのだ。三万票差が圧勝とはとても言えない。

民主党執行部は、今度の敗北を小沢一郎氏のせいにしているがこれもおかしい。菅直人君は一回も選挙応援に行かなかった。勝つはずはないところに応援に行って自分に傷がつくのを恐れたのだ。そして何でもかんでも小沢氏のせいにする。これでは『イラ菅』ならぬ『ズル菅だ』。

鳩山由紀夫君が『政界引退』を撤回したことに対して、大きな批判が起こった。当然だ。これに対し鳩山君は、「国難といえるときに、自分だけ辞めて『はい、さようなら』でいいのか」と反論したという。「国難」を作り出した張本人がこんなことを言うとは何ともあきれた話だ。本当に鳩山という人はバカだ。鳩山君は「無責任政治家」の典型である。

トロイカとか言われた三人だが、「小沢一郎はワル、菅直人はズル、鳩山由紀夫はバカ」と言っては言い過ぎだろうか。

ともかく、「右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い」という鶴田浩二の歌の歌詞が思い起こされる今日この頃である。

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千駄木庵日乗十月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』次号に関する仕事など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夕刻は、小中学校の後輩ご夫妻が切り盛りしているお好み焼き屋さんで食事。私は、たこ焼きは大好きなのだが、お好み焼きというのは好物ではない。しかしこの店はおいしい。ただし「もんじゃ焼」というのはいまだに食べることが出来ない。どうでもいいことですが…。

千駄木は六十年以上住んでいる町なので、知人・友人・学校の先輩後輩が営んでいる店が多い。安心して食べられるのが嬉しい。小生の地元の根津・千駄木・谷中の飲食店は、湯島や上野広小路といういわゆる繁華街より三割がた安い。しかもうまい店が多い。しかし、近年、『谷根千ブーム』とかで、多くの人がこの町に集まって来るので、安くてうまい店ほど混むようになり、地元の人がなかなか入ることが出来なくなったのが残念である。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年10月25日 (月)

国家的危機とやまと歌

 蒙古襲来は中世における一大国家危機であった。蒙古は文永十一年(一二七四)と弘安四年(一二八一)の二回にわたって来襲したが、いずれも日本軍の奮戦と暴風雨(これを人々は「神風」と信じた)によって撃退した。これにより日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

「西の海 寄せくる波も 心せよ 神の守れる やまと島根ぞ」

(春日若宮社の神職中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌である。

「勅として 祈るしるしの 神風に 寄せ来る浪ぞ かつくだけつる」

(藤原定家の孫藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

「末の世の 末の末まで 我国は よろづの国に すぐれたる国」

(禅の僧侶・宏覚が蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には記した歌)

こうした愛国心・神国思想の勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきているのである。

徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の歌に表現された。

戦後日本・現代日本においても国家的危機に際して、魂を打つ愛国歌が生まれている。それは愛国運動に身を捧げた人々の歌である。 

昭和三十五年(一九六〇)十月十二日、当時の浅沼稲次郎日本社会党委員長を刺殺した山口二矢は、自決に際して

「国の為 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路へ

という辞世をのこしておられる。

さらに昭和四十五年十一月二十五日、東京市ヶ谷の陸上自衛隊内で三島由紀夫氏と共に割腹自決を遂げた森田必勝氏は

「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」

という辞世をのこされた。

 

愛国尊皇の心を張りつめた精神で歌う時、やはり日本伝統の文学形式即ち和歌で表現されることが多かった。漢詩にもすぐれたものがあるが、和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからである。

今日の日本はまさしく亡国の危機に瀕している。今こそ、その危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が祖国への愛・至尊への恋闕の思い歌いあげる和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父は大分苛立っている。ベッドで寝たきりなのが辛いのであろう。

帰宅後は、資料の整理。

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2010年10月24日 (日)

中華帝国主義は全人類共同の敵である。

今日開催された「第六回 日本の心を学ぶ会」において瀬戸弘幸氏は次のように語った。

「私が二十歳の時の一九七一年、アメリカの頭越し外交あった。いわゆるニクソン・ショック。キッシンジャーが訪中し、ソ連に対抗する米中同盟を結んだ。一番あわてたのが日本。以後、日本は取り残されるのではないかという恐怖感に呪縛された。一九七二年、田中内閣は、『日中国交回復』『台湾断交』を行った。これによりわが日本は今日まで色々な問題を抱え込んでしまった。

一九七二年発行の『時の課題』という雑誌に当時のNHKの世論調査が載っている。『すぐに日中国交をするべし』が二六パーセント。『急ぐべきではない』が五七パーセントだった。『台湾を犠牲にしてまで中国と結ぶべきではない』が二六パーセント、『台湾とも中国とも仲良くすべし』が三六パーセントだった。一般国民はきわめて良識的で冷静な判断をしていたが、当時の政治家・財界人が急いだ。今回の衝突事件のビデオ公開に反対しているのが政治家・財界である。日中国交回復の頃と全く同じ。

尖閣海域は、中国による日本攻撃の戦略拠点になっている。中国と仲良くしてはいけない大きな理由は、中国が自国防衛力を上回る軍事力増強を行っていること。何のためにそのような軍事力増強を行うのか。

日本はアメリカとの関係強化が必要。これは日本がアメリカの属国になるということではない。世界と中国との戦いという図式で見れば、日本がアメリカの関係強化することは、アメリカの属国化だという考えは成立しない。

経済力の面で科学技術力の面でもものつくりの面でも、日本の方がまだまだ中国より優れている。中国は経済のことでかつての日本のように、世界から袋叩きに合うだろう。」

              ○

小生も色々な事を話させて頂いたが、支那大陸を数人の同志と旅行した時の体験を少し話した。それは次のような体験であった。尾籠な話で恐縮だが、西安の宿泊施設の廊下に置いてある痰壺の上の壁に何と『痰壺に糞をするな』と書いてある紙が貼ってあった。それだけ衛生観念が希薄なのである。

「中華民国体制」下の台湾も、共産支那も同じなのだが、やたらに「毛主席万歳」「総統万歳」「人民のために服務せよ」「天下為公」などの標語が多かった。毛沢東や蒋介石に長生きしてほしくない人がたくさんいるから「毛主席万歳」「総統万歳」という標語が必要なのだ。また、人民のための服務しない公務員や共産党員がいるから「人民のために服務せよ」という標語が必要なのだ。国家を私物化する権力者がいるから「天下為公」という標語が必要なのである。

対米自立も大切だ。日本がアメリカの属国であることは国の恥である。しかし、日本がアメリカの属国であるということは現状のままということだ。ところが、日本が共産支那の属国になったら一体どういうことになるか。国民の政治的自由・繁栄は奪われる。資源も領土も奪われる。そして何より、日本の國體・歴史傳統文化は破壊される。浅沼稲次郎という愚かなる政治家は支那に迎合して「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」などと言った。われわれは今日「中華帝国主義は全人類の敵である」と声を大にして叫ばねばならない。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送作業・発送完了。購読者の皆様には、月曜日にはお届けできると思います。

午後六時半より、新橋の港区生涯学習センター「ばるーん」にて、「第六回 日本の心を学ぶ会」開催。渡邊昇代表が司会。瀬戸弘幸氏及び小生が、「『共産支那』と如何に対峙するか」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、資料の整理。

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2010年10月23日 (土)

日本には支那の属國になるか支那を押さえこむかの二つの道しかない

共産支那は建国以来、外敵を作り出すことによって、国家の統一を図り、民衆の不満を押さえ込んできた。冷戦時代は、アメリカ帝国主義・ソ連修正主義であった。今日は、日本である。「反日」が今日の共産支那の国是である。

共産支那における八〇年代の改革・開放路線は、わが国からの経済援助や投資によって推進された。その頃は、「過去の歴史問題」を持ち出してわが国を非難攻撃しなかった。しかるに「天安門事件」によって共産主義に対する幻想が崩壊し、共産党政権の虚像が崩れ、共産党一党独裁体制が危機に瀕するようになると、共産党の威信を保つために支那共産政権は国民の不満を外に向けさせるようになり、日本をその標的にしたのである。

戦後日本の外交とは、譲歩・へつらい・阿り・謝罪・自虐であり、それに裏打ちされた金配りである。わが国は今回の領海侵犯・海保巡視船への攻撃そして反日デモを好機と捉え、日本人のナショナリズム・愛国心を興起せしめるべきである。

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある。共産支那もアメリカもこれを着実に実行している。しかし、わが国は戦争直後日本を弱体化する目的で押し付けられた「現行占領憲法」に束縛され、戦うことを禁止され集団的自衛権の行使もできない。つまり「軍事力」を外交面で有効に活用できないのである。そして共産支那や南北朝鮮から侮りを受け、主権と領土を侵害されている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自国の安全と生存を保持しようと決意した」という夢物語危険極まりない幻想に貫かれている「現行占領憲法」を破棄しなければならない。

共産支那という國は、明確な國家目標・國家戦略を持ち、そのために國力のすべてを投入することができる國である。つまり、今日のわが國とは正反対の國なのである。共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印に「富國強兵」策を通じて、アジアでの覇権確立を狙って蠢いてきた。

共産支那の國家目標達成のために一番邪魔存在がわが日本なのである。日本は、支那の属國になるか、支那を押さえこむか、二つの道しかない。しかし、共産支那・中華帝國主義を押さえこむ力が日本にあるのか。甚だ心許無い。まずもって、わが國は國防体制をより一層強化しなければならない。共産支那のアジアにおける覇権確立とわが國の属國化を目論む共産支那を封じ込めるために、わが國は自主防衛体制を確立すべきである。

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千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。はじめはすやすや寝ていたが、目を覚まし、少し話す。と言うよりも色々と私に訴える。看護師さんや介護の方々が皆良い人なので助かる。

帰宅後も、発送の準備と『伝統と革新』編集の仕事。

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2010年10月22日 (金)

「萬葉集」防人の歌の素晴らしさ

今日の萬葉會で講義した「防人の歌」の中に次の二首の歌がある。

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」  

 (鹿島の社に鎮まります建御雷神に武運長久を祈り続けて天皇の兵士として私は来たのだ)

 常陸の國那珂郡の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちぶみ)の歌。「あられ」は鹿島に掛る枕詞。あられが降る音はかしましいので鹿島に掛けた。「鹿島の神」は鹿島神宮に祭られている武神・建御雷神(たけみかづちのかみ・武甕槌神とも書く)の御事。建御雷神は、天孫降臨に先立って出雲に天降られ、大国主命に国譲りを交渉せられた神であらせられる。鹿島神宮の御創祀は、神武天皇御即位の年と伝えられる。「皇御軍」は天皇の兵士という意味。天皇の兵士・皇軍という意識は、近代になってつくり上げられたのではなく、千三百年の昔よりわが日本の庶民に受け継がれてきているのである。

この鹿島神宮は、初代徳川頼房以来、水戸徳川家が崇敬の誠を捧げていた。今に残る日本三大楼門の一と言われる楼門は寛永十一年に頼房公が寄進したものである。幕末の徳川斉昭は、『大日本史』を奉納し、安政四年には、鹿島神宮の御分霊を水戸弘道館に勧請し、鹿島神社を創建した。

 

「筑波嶺(つくばね)のさ百合の花の夜床(ゆどこ)にも愛(かな)しけ妹ぞ晝もかなしけ」

 (筑波山の百合の花のように夜の床の中でもいとしい妻は、昼間でもいとしくてたまらない)

 大舎人部千文「あられ降り」の歌と同じ時に詠んだ歌ある。まことに素直に率直に別れて来た妻への心情を吐露した歌である。そしてそれを萬葉集という公の歌集に、政府高官たる大伴家持の手によって堂々と収められたのである。今日の頽廃的な肉体文学・性欲文学と全く異なった健康的な歌である。

 この二首は、敬神愛国の「公の思い」と、妻を愛する「私の思い」とが、一人の作者によって歌われている。皇軍の兵士としての決意と神への祈りを歌いあげると共に、故郷において来た妻への思慕の情が大胆率直に歌われている。ここに萬葉集』の歌の素晴らしさがある。古代日本決して権力国家ではなかった。天皇を中心とした大らかな信仰共同体がわが日本の本来の姿即ちわが國體なのである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、豊島区立千早地域文化創造館にて、『萬葉會』開催。小生が、防人の歌を講義。質疑応答。

この後、久しぶりに銀座に出て、学生時代からの友人と懇談。茶房でいただいたコーヒーがとてもうまかった。

帰途、数寄屋橋公園を通ったが、以前とは雰囲気が変わっていた。赤尾敏先生の街頭演説の雄姿を思い出す。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備の仕事。

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2010年10月21日 (木)

自民党と民主党の外交姿勢が今日の国難を招いた

十月十八日の参院予算委員会で自民党・丸山和也議員が読んだ『大西郷遺訓』には、さらに次のように語られている。この部分は丸山氏は読まなかった。

「國の凌辱せらるるに當りては、縱令(たとへ)國を以て斃るるとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり。然るに平日金穀(きんこく)理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀(はか)るのみ。戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。」

この言葉こそ今日のわが國政府のみならず国民全体が最も噛み締めなければならない言葉である。わが國は自民党政権時代から、領土問題ばかりではなく、歴史問題・資源問題・総理の靖国神社参拝などで支那・韓国・北朝鮮などの反日国家の内政干渉に対しに国辱的姿勢を示し、国家の尊厳性を喪失している。民主党政権の閣僚は、外国の干渉を恐れ、終戦記念日にも、秋季例大祭にも、一人として靖国神社に参拝しなかった。

また、民主党・菅政権は、今年八月十日には「日韓併合は日本が韓国に対して一方的に損害と苦痛を与えた」などという歴史を冒瀆する内容の『日韓併合百年に当たっての首相談話』を発表した。こうしたことが支那や南北朝鮮から侮りを受け、わが国の領土を侵害される原因なのである。今回の尖閣問題は、民主党政権の外交姿勢がもたらした国難であると言っても過言ではない。

「『三百代言』の軟弱オカマ外交は國を滅ぼす」などと品がない事を言って、仙石由人氏を批判するつもりはさらさらない。しかし、「日本は支那の属国だ」となど思っている政治家、わが国の領海を侵犯し海保巡視船を攻撃してきた外国人を裁判にかけることなく、釈放してしまうことを「柳腰外交だ」などと詭弁を弄する政治家は、内閣官房長官の地位から去るべきである。アジア太平洋経済協力会議(APEC)が吹っ飛んでしまっても良いから、日本が共産支那の属国になってしまう事だけは避けなければならない。

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、母のお世話。

午後二時より、三田にて開催された大行社幹部会にて、スピーチ。今日は本当に長い間の同志・長谷川光良氏も出席された。

長谷川氏が高校生の頃から知己である。その長谷川氏は、もう孫がおられるとのこと。本当に感慨無量である。昭和四十年代前半のある年に、一緒に下田でビラ貼りをしたことが思い出される。その時、ビラ貼りで警察に拘束されたのだが、調書を取られた時、調書の書式を長谷川氏の方が警察官より良く知っていて、「そこは一行空ける」などと警察官に教えていた。長谷川氏は、ビラ貼りなどでしょっちゅう拘束され調書を取られていたのである。下田は平和な町で警察官もあまり調書を取ることはなかったのだろうか。今思い出しても吹き出してしまう。長谷川氏が炎天下一生懸命ビラ貼りをする姿に涙ぐんだ。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

千駄木に帰って、地元の知人ご夫妻と懇談。この方の令夫人は、皇室制度・神道・歴史学の泰斗の学者の方の姪御さんであるとのこと。今日、初めて知って驚いた。その学者の方の書籍・論文は随分読ませていただいた。大変に勉強になった。ついこの間も、神田学士会館で開催された『日本学協会』の講演会でお会いしたばかりである。

帰宅後は、『政界往来』の原稿執筆・脱稿・送付。そして明日の「萬葉會」における講義の準備。

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2010年10月20日 (水)

仙谷由人の亡国的発言を糾弾する

十八日の参院予算委員会で自民党・丸山和也議員は、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船領海侵犯・海保巡視船への攻撃事件をめぐる質問で、『大西郷遺訓』の、「正道を踏み国を以て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全(まった)かる可からず。彼の強大に萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。」という言葉を示して政府を追及した。

『大西郷遺訓』にはさらに次のように語られている。

「國の凌辱せらるるに當りては、縱令國を以て斃るるとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり。然るに平日金穀(きんこく)理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀(はか)るのみ。戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。」

この言葉こそ今日の我國政府のみならず国民全体が最も噛み締めなければならない言葉である。我國は現在、領土問題ばかりではなく、歴史問題・教科書問題などで支那・韓国・北朝鮮に国辱的姿勢を示し、国家の尊厳性を喪失している。民主党政権の閣僚は、外国の干渉を恐れ。終戦記念日にも、秋季例大祭にも、一人として靖国神社に参拝しなかった。

また、八月十日には日韓併合は日本が韓国に対して一方的に損害と苦痛を与えたなどという歴史を冒瀆する内容の『日韓併合百年に当たっての首相談話』を発表した。こうしたことが支那や南北朝鮮から侮りを受け、わが国の領土を侵害される原因なのである。今回の尖閣問題は、民主党政権の外交姿勢がもたらした国難であると言っても過言ではない。


さらに、丸山議員の質問で、仙谷由人官房長官が丸山氏との電話問答で「もし船長を起訴したら、来月、日本で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)が吹っ飛んでしまう」と話し、さらに、丸山議員が「日本は中国の属国になってしまう」と懸念を示すと、仙谷長官は「属国化は今に始まったことじゃない」と述べたことが明らかになった。

仙石氏は記者会見で、「いい加減な質問に関与するつもりはない」と述べたが、「そんなことは言っていない」と否定しなかった。彼がこういう亡国的発言をしたのは間違いないのである。一国の国務大臣・官房長官そして影の総理とまで言われている政治家が、「日本は支那の属国だ」と思っているのだ。これは捨ておけない問題である。

小沢一郎は、ソウルの國民大学で、「日本は騎馬民族に征服された」「天皇・皇室は騎馬民族の子孫だ」「天皇御陵を暴け」「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」「もともと日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓國人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」「(日本の古代歴史についても) 韓半島南部の権力者が日本の國家を樹立したもの」と言い、さらに、国内においても「天皇陛下は政府の言いなりになれ」などと國籍を疑いたくなるような暴言を吐き、不敬発言を行った。

仙谷由人は、その小沢一郎と対立する政治家であるが、仙石由人自身も小沢とそんなに変わらない政治家であることが明らかになった。われわれはすますます民主党政権打倒の運動を強めねばならない。

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集に関する仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、資料の整理、明日のスピーチの準備、原稿執筆。

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2010年10月19日 (火)

論語と反日デモ

「おとなの寺子屋・論語の会」において、野村英登氏(文学博士は次のように語った。

「儒教の経書の一つである『書経』では、人生の幸福とは、第一が長寿、第二が富、第三が健康と心の安寧、第四が徳を好む事、第五が天寿を全うすることの五つであるとした。長寿を第一としたのは、長寿であってこそ、他の四つの幸福を享受できると考えたからである。長生きをするのは徳を実践するためだとする。孔子は『仁者は命寿(なが)し』と言った。これは日本の武士道とは矛盾する。

また、『身体髪膚これを父母の受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり』と説いた。また、孔子は『身を殺して仁を成すことあり』とも説いた。この立場とも矛盾しないであろうか。儒教では、道義の実践においては常法と変法があるとし、いずれも道義に背かないとした。これによれば、身を殺して道義に殉ずる事は変であるが、それは身を保全することと矛盾しないとした。徳川時代の儒者・貝原益軒は『平生堅固にして気を養っておいてこそ、有事に必要な勇気を振うことが出来る』と述べている。

『民は由らしむべし。知らしむべからず』とは、民にすべきことはさせることはできても、どうしてしなければならないかを理解させることは難しいということ。民に対して上から目線の言葉。『由』は連れて行って実行させること。『知』は理解する・分かるということ。『可』が可能の意味か、禁止の意味かが問題。

『周公の才の美ありとも、驕り且吝ならしめば、その余は観るに足らざるなり』とは、『たとえ周公のような優秀な才能に恵まれていても、威張り屋でしかもケチだとしたら、それ以外の事は最早論ずる価値はない』という意味。上に立つ者は、才能ではなく徳が必要なのだということ。威張ることとケチとは人間性としてセットになっているらしい。」

            ○

今日の講義を聞いて、漢学者に長命な方が多い理由が分かった。徳というものは、長生きしなければなかなか完成しないということである。そのためには、体を大切にしなければならないということだ。

儒教道徳は色々なことを説いているが、どちらにでも解釈できることが多い。また全く相矛盾することも説いている。「義を見てせざるは勇無きなり」と「君子危うきに近寄らず」などはその典型である。時と場合によってどちらの言葉も使い分けることが出来る。

驕慢な人にケチが多いというのは、私の人生経験上も、納得できる。しかしケチな人が全て驕慢とは限らない。腰の低い人もいる。なかなか難しい。孔子さまは、ケチと驕慢を最も嫌ったようだ。

「民は由らしむべし。知らしむべからず」とは、「民に色々情報公開する必要はない。ただ従わせれば良い」という解釈が正しいと思うのだが、儒教の専門家はこういう解釈を否定する。儒教国家支那の政治とはまさにそういう政治なのだ。だから民衆の不満が鬱積して、今日のようなデモが起こるのだ。反日に仮託した反権力デモの側面が強い。日本の政治思想と支那の政治思想との決定的違いを考える時に、この「民は由らしむべし。知らしむべからず」という言葉は大きな意味を持つ。権力者も民衆も道義精神が希薄だからこそ、儒教が生まれた。今起こってい反日デモも、日本に対する暴虐も、道義精神の希薄さから起こっていると言える。わが日本は、この国とどう対峙するかが、古代より今日に至るまでの最大の課題である。

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、母のお世話。

昼は、同志と懇談。支那の暴虐・民主党政権とりわけ仙石官房長官の姿勢について語り合う。

午後は、『伝統と革新』第三号に関する仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父は良く眠っている。

午後七時より、白山の本郷青色申告会館会議室にて、「おとなの寺子屋・論語の会」開催。東洋大学共生思想研究センターの野村英登氏(文学博士)が講義。

帰宅後は、資料の整理など。

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2010年10月18日 (月)

反日デモについて考える

支那でまたまた「反日デモ」なるものが起こった。わが国内において、共産支那に対する反発が強まり、集会やデモが行われていることに対する牽制である。一党独裁の國であり、民衆の政治活動・デモが厳しく規制され、インターネットすら政府の管理下・統制下にある国で、あのようなデモが、民衆の意志で行われるはずがない。明らかに共産党及び政府の意向のもとに行われているのである。

一般民衆や学生は、そうした政府の意図のもとにデモに参加しているのであるが、あわよくば政府批判・共産党批判に矛先を転ずる可能性はある。というよりも、反日を叫びつつ政府批判をしていると言っても良い。

小生の友人が上海に行っていた時、ちょうど猛烈な反日デモに遭遇した。その友人は、タクシーの窓を開けて、デモ隊に向かって、自分を指さしながら、「我是日本人、東洋鬼、東洋鬼」(ウオシーリーベンレン、トンヤンクイ。トンヤンクイ)と叫んだそうである。するとそのデモに参加していた若者たちはどう対応していいか分からず、どぎまぎしていたという。誰一人反発して来る者はいなかったという。

こうしたことは、デモに参加している若者たちは心の底から日本を憎んでいるというよりも、政府批判の出来ない規制された社会で、反日さえ叫べば「デモ」や「集会」が許されるので、「反日デモ」をやるという側面もあるのではないか。

もちろん、長年にわたる「反日洗脳教育」が支那人たちに反日感情を植え付けていることは確かである。今後、在留日本人や観光客などに危害が加えられるような状況になる危険はある。そうなった時にわが国そしてわが国民はどう対応すべきなのか。国民と政府は今から、きちんとした戦略を立てておかねばならない。在日支那人への反撃が起こることも十分に考えられる。

共産支那政府は、多数のスパイ・工作員を日本に送り込み、日本の状況を逐一祖国に報告させているに違いない。靖国神社に明らかに支那人と思われる人たちが来ている。遊就館や靖国会館前あたりにまで入り込んで、ベンチなどに腰掛けて話している。こういう工作員が、共産支那糾弾の集会などにも潜り込んでいるに違いない。そしてそういう工作員が「今後共産支那糾弾運動がますます活発化する」と祖国に報告した結果が、今回の反日デモ活発化であると考える。

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千駄木庵日乗十月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。「服を着せてくれ」とか「一緒に電車に乗って徳島に行こう」という。徳島は父の故郷である。悲しくも切ない。

帰宅後、書状執筆など。

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2010年10月17日 (日)

青年思想研究会偲ぶ会での小生の挨拶

『青年思想研究会偲ぶ会』の挨拶で、小生は次のような事を話させて頂いた。

          ○

維新とは、復古即革新である。日本建国の理想・日本国の本来の姿に回帰することが、今日の革新になるというのが維新である。明治維新は、「神武創業への回帰」がその基本目的であった。先人先輩を偲び、その遺志を継承することを誓うということは、決して単なる懐古趣味でもノスタルジアでもない。先人の意志を偲びそれを継承することによって今後の運動をより一層活発化するということである。それは復古即革新=維新の理念に合致している。

楠木正成も、吉田松陰も、西郷隆盛も、勝利者ではなかった。負け戦を戦い死地に赴いた。しかし、その遺志は、後に続くものに継承され、指標として仰がれ続けている。『敗者の側に正義がある』というのは真理である。維新の戦いは現象的には負けいくさになることが多い。しかし、我々の理想実現の戦いは永遠に続く。永遠の維新者として道を継承することが大切である。

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後三時より、霞ヶ丘町の日本青年館にて、『青年思想研究会偲ぶ会』開催。緒方孝名議長が挨拶。犬塚博英・藤元正義・杉山清一・山浦嘉久・山口申の各氏そして小生などが挨拶を行った。多数の同志が集い懇談。最後に、近藤勢一議長代行が謝辞を述べた。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

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2010年10月16日 (土)

中華帝国主義と断固戦うべし

共産支那は、毛沢東が『鉄砲からに政権が生まれる』と言ったように、軍が国家権力の基盤である。決して民主国家ではない。軍権を握るものが全ての権力を握る。毛沢東も鄧小平も江沢民も胡錦濤そうである。

 支那は、軍事拡大・領土拡大・経済拡大を国家目標とし、アジアにおける覇権確立を目指している。アジアではまだ冷戦が続いているのである。

公表している共産支那の軍事予算の四倍が真の軍事予算であるという。これに対抗するためにはわが国は自主憲法を制定し、シーレーンを守るだけの海軍力を持つべきである。支那の侵略を粉砕するだけの軍事力を持つべきである。

わが国の国史上、支那や朝鮮からの侵略の危機は何度かあった。しかし、その頃は、支那や朝鮮との間に海があったから助かった。しかし今は違う。海があってもそれはわが国防衛の役には立たない。ミサイルは海を越えて飛んで来るし、近代化した支那海軍はわが国に怒涛の如く攻め寄せて来る。

日本は、チベットや満州や内蒙古や東トルキスタンの如く中華帝国に編入され、併合され、日本民族は永久に支那人の支配下に置かれる。支配下に置かれるどころか日本民族が消滅させられる危険すらある。

今日のアジアの状況を冷静に見れば、「中華人民共和国」と自称している支那はアジア最大の軍国主義国家であり、侵略国家である。ところが、わが国はこの事実を全く認めず、政府も財界もマスコミも「日中友好」に狂奔し、経済協力を推進し、土下座外交・朝貢外交を繰り返してきた。

こうした日本の姿勢を見透かしたように、共産支那はわが国に対してきわめて高圧的な外交姿勢をとっている。のみならず徹底した反日教育を行っている。その結果、あと数十年から数百年支那の反日感情は消えないといわれている。尖閣海域への領海侵犯は、反日教育を受け続けてきた『教え子たち』がやっているのである。

日本及び日本国民は、帝国主義国家・軍事大国支那に対する幻想・親近感を捨て去るべきである。共産支那を政治的・軍事的・経済的に包囲し、アジアにおける支那の覇権確立・侵略支配を防がねばならない。そのためにわが国が主導的立場に立って、海洋国家と協力体制を構築することが大切である。わが国は独立と主権と国益を守るために共産支那とは断固戦うしかないのである。まさに暴支膺懲の時は来ているのである。

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千駄木庵日乗十月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年10月15日 (金)

政治家は先人の国粋精神に学べ

今日の国会中継を見て、山本一太氏の論旨には賛成なのだが、キャンキャン吠えるスピッツを思い出した。また、菅さんは、自分がかつて自民党政権の閣僚をとっちめた報いを受けているようにも思えた。菅直人・仙石由人両氏は、山本一太氏が指摘するように、共産支那に及び腰であり、びくびくしているように思える。「柳腰の外交」などというのは全く詭弁というよりも言葉の誤用である。

江戸前期の儒学者・神道家である山崎闇斎は、「孔子が大将となり、孟子が副将となって兵を率いて日本に攻めて来たら、彼らを擒(とりこ)にして、馘(くびき)ることが即ち孔孟の道を行ふ所以である」(『先哲叢談』)と言った。

また、山崎闇斎の弟子・浅見絅斎(あさみ けいさい)は闇斎の言葉として次のように記してゐる。「山崎先生嘗て曰く…吾国の大義より云へば、堯、舜、文王にても、吾邦を下につけんとて取りに来たられたらば、西海の浦にて、石火矢にてもうちころすが大儀なりと云」(『浅見先生聞問書』)。

孔子や孟子そして古代支那の聖王である堯、舜、文王といへども日本を支那の属国にするために攻めて来たらこれを撃ち殺すことが「孔孟の道」であり、「大義」であるといふのである。

中華帝国主義が猖獗を極めようとしてゐる今日、我々日本人は、先人たちの国粋精神・日本精神を正しく継承することが大切である。

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千駄木庵日乗十月十四日

午前は、母のお世話。医師の往診があり母に付き添う。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がりやや元気を回復したようで安心する。しかし、ここには書くことはできないが、色々父の苦しむ様子を見ていると本当に辛い。

夕刻、小学校の先輩の方と懇談。久しぶりにすっぽんを食す。好物なのだが、値段の関係で一人ではなかなか食べることはできない。今日は念願か叶った。この二三日寝不足と風邪気味だったので、酔いが早く、家に帰ったら、一時間ほど寝てしまった。起きたら、咳と鼻詰まりが治っていた。やはりすっぽんは健康に良いようである。感謝合掌。

夜は、原稿執筆。

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2010年10月14日 (木)

仙谷由人氏は「三百代言」か

仙谷由人官房長官は、共産支那に対する民主党政権の姿勢について「柳腰外交」と表現した。「柳に雪折れなし」という言葉があるので、こういう表現を思わず使ってしまったのであろうが、「柳腰外交」というのは明らかに誤用である。「柳腰」とは、「細くしなやかな腰つき。また、細腰の美人。」という意味である。

大変品格の無い事を書くようで恐縮だが、菅直人・仙石由人・前原誠司という三人の男性が主導する民主党の対支那外交が「柳腰」であるということは、「民主党外交はオカマ外交だ」ということになる。前原誠司氏が、仙石由人氏の答弁を聞いていて不機嫌そうな顔をしたのも納得できる。

言葉は正確に使わねばならない。まして外交という国家の命運にかかわる重大問題を国会で論議している時に、言葉を誤用するということはあってはならない。

ところが仙石由人氏は、記者会見で、率直に訂正し謝罪せず、「どこかの辞書に書いてあるのか知りませんけど、私は女性ほど強いものはないと思っていますし、柳はどんな強風が吹いてきてもですね、ゆらゆらと揺れながら、したたかにしなやかに対応していると」などと詭弁を弄した。

「柳腰」の「柳」とは、単に細く美しいということであって、「柳はどんな強風が吹いてきてもですね、ゆらゆらと揺れながら、したたかにしなやかに対応している」などという意味とは全く異なるのだ。

『三百代言』という言葉がある。「詭弁を弄ろうすること。また、その人。また、弁護士を軽蔑し罵っていう語。明治時代の初期に、資格のない代言人(弁護士)を罵った語から言う。詭弁を弄し相手を言いくるめてしまうこと『三百』は銭三百文の意で、わずかな金額、価値の低いことを表す。『代言』は代言人で弁護士の旧称。」という意味だそうである。

仙谷由人氏は弁護士である。彼が官房長官になって分かったのだが、この人はまさに詭弁を弄して相手をはぐらかすことが多い。仙石由人氏はまさに弁護士を軽蔑し罵っていう意味の『三百代言』なのであろうか。

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千駄木庵日乗一月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』次号の原稿執筆依頼の仕事など。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、淳仁天皇御製、藤原仲麻呂・大伴家持の歌を講義。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年10月13日 (水)

『女子と小人養い難し』とは

先日、本欄で「『論語』に『女子と小人養い難し』という言葉がある。蓮舫さんの浅墓な行動で、この言葉が正しいということになる可能性がある。」と書いた。

『論語』に女性は出てこない。ただ一カ所「陽貨篇」に「子曰く、唯女子と小人とは養い難しと為すなり。之を近づくれば不遜、之を遠ざくれば怨む。」とあるのみである。これは、「女子と小人とは扱いにくいものだ。大事にすればつけあがるし、よそよそしくすれば恨みに思う」という意味である。

孔子は「女性や小人物は誉めたりやさしくしたりするとつけあがる」と思っていたらしい。蓮舫さんも、あまりメディアなどからちやほやされたので、多少いい気になっているのではないかと心配する。

それはともかく、ある支那学の専門家は「中国では男子が家を継ぐのが前提。養子が家を継ぐことは中国ではあり得ない。妻に男子が生まれなかったら、その家は絶える。故に支配者は一夫多妻であった。祖先を祭る人がいなくなる。中国は夫婦別姓。女性を尊重したのではなく、女性をその家の家族と認めなかったから。女性は物として扱われ、奴隷として送られてきたと考える。『孝経』に『身体髪膚之れを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり』とあるにもかかわらず、『纏足』という風習があったのは、女性を人間と思っていなかった証拠。」と語っておられた。

儒教は女性を蔑視というか無視していることは確かだが、支那は昔から女性が政治権力を掌握する国である。則天武后・西太后・宋美齢・江青などはその典型である。権力者の夫人が旦那以上に政治権力を振るうのである。これは一体どうしたことか。

天照大御神は女性の太陽神である。日本は、観世音信仰が盛んである。日本で拝まれている仏像は、観音像が一番多い。日本はまさに女性を尊ぶ国である。男尊女卑は「からごころ」である。女性蔑視の思想は、仏教・儒教が入ってきてから発生した。男尊女卑の儒教社会では、夫婦別姓なのである。

日本は支那から儒教を学んだが、宦官・纏足という畸形文化は全く受け入れなかった。また易姓革命も受け入れなかった。

「纏足」とは、支那で、女性に対して子供のときからを巻かせ、足が大きくならないようにする風習。唐末ごろに始まり、宋代から流行した。こうした野蛮にして畸形な風習が生まれ近代まで続いた原因は、①小さい足の女性の方が美しいと考えられたこと。②纏足の女性はうまく歩けないことから、女性が逃げられないようにし、女性支配の手段にしたこと。③内股の筋肉発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられた。の三つであるという。

「纏足」というのは、「宦官制度」と共に、何んとも気味が悪いというか、ぞっとするような風習である。私の幼い頃、わが街にも、纏足の支那人女性が住んでいたのを思い出す。

女性蔑視は、支那から渡来した精神であり、「からごころ」である。わが国には本来的に女性蔑視の精神は微塵もなかった。わが國は、支那から仏教や儒教を輸入したが、「纏足」「宦官」などという悪習は拒絶した。また、「易姓革命思想」も拒否した。まさに「良きを取り悪しきを捨てる」というのが、わが国の精神傳統である。

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千駄木庵日乗一十月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、歯医者に行って治療を受ける。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

夜は、谷中にて、小学校の先輩と懇談。藤堂家ゆかりの方。藤堂高虎の事、戊辰戦争の事、上野山の由来などについて語り合う。藤堂家の屋敷が千駄木にあった。小生が卒業した中学校は藤堂家の屋敷跡に建てられた。

帰宅後は、『伝統と革新』第三号の執筆依頼状の作成など。第三号は「中華帝国主義にいかに対峙するか」がテーマである。

          ○

最近贈呈していただいた書籍などを紹介します。

『イスラエル建国の歴史』 河合一充氏著 ミルトス発行 著者より

『老荘の思想を読む』 舘野正美氏著 大修館書店発行 佐抜邦一氏より

『江戸を歩く会会報 八百八町』 江戸を歩く会編集・発行 郡順史氏より

ご贈呈いただいた方に深甚の謝意を表します。

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2010年10月12日 (火)

『皇室の文庫書陵部の名品展』参観

今日参観した「皇室の文庫(ふみくら)書陵部の名品」展は、「宮内庁書陵部は,戦後の制度改革において,それまで宮内省の図書寮と諸陵寮がそれぞれ担っていた,皇室伝来図書の保管と陵墓の管理を併せ行う組織として設置されました。

書陵部は,鎌倉時代の花園天皇を始めとする歴代天皇の宸筆のほか,奈良時代の仏教典,平安時代以降写し伝えられてきた日本書紀,源氏物語,古今和歌集などの書物,また江戸初期の後水尾天皇の御画像や五箇条御誓文など古代から近世に至るまで皇室に伝えられてきた40万点を超える貴重な図書・文書群を所蔵しています。明治以降,宮内省,宮内府及び宮内庁が作成した,皇室の御活動の記録である5万点余の公文書も保管しています。また,陵墓の調査・考証のため,古い時代の埴輪や勾玉などの考古品も保存しています。

これら代々皇室に伝えられてきた品々は皇室の長い歴史と文化的伝統を体現するものであり,これを後世に伝えるべく大切に保管している書陵部はまさに「皇室の文庫(ふみくら)」であります。

本展覧会は,書陵部が所蔵する図書,公文書,考古品等の中から我が国の歴史と各時代の文化の様相を伝える資料として価値が高いとされている『書陵部の名品』を選び出し,初めてまとまった形で一般に紹介するものです。学校教科書や歴史書などにしばしば引用されており,皆様方も写真などで御覧になったものも多いと思います。はるか古代から今日までの我が国と皇室の歩みに思いを馳せていただければ幸いです。」との趣旨(案内書)で開かれた。

書陵部には、その前身である宮内省図書寮以来、皇室に伝来した図書の永世保存を図ってきたと承る。加えて江戸幕府の紅葉山文庫の図書も合わせて所蔵している。もっとも貴重なのは、御歴代天皇の宸筆・宸翰である。また陵墓から出土された品々も保管されている。今回のそのごくごく一部が展示されたのである。皇室及び宮内庁の所蔵品を拝観できるのはまことに有難いことである。それにしても、もう少し大きな施設であって良いと思う。

日本書紀(平安~鎌倉時代写)、竹取翁并かぐや姫絵巻物(江戸時代作)、勝鬘宝屈(唐・弘道2年(684)頃写)、大般若波羅蜜多経(和銅5年(712)写)、日根野村絵図(正和5年(1316)、花園院宸記(花園天皇宸筆)、伏見天皇御集(伏見天皇宸筆)、後水尾天皇御画像(尾形光琳画)、薩長同盟裏書(木戸家文書 慶応2年(1866)坂本龍馬自筆)、五箇条御誓文(有栖川宮幟仁親王御筆 原本控)、仁徳天皇陵と百舌鳥陵墓参考地の出土品などを拝観。

展示された品々は、国宝級の文物であるが、国宝には指定されていないのが不思議であった。花園天皇は鎌倉幕府滅亡の時期に皇位にあられたので、「花園院宸記」には、当時の不穏な情勢を憂えられた記事、そして親王様方への御教訓が書かれていると承る。「薩長同盟裏書」は、坂本龍馬が、桂小五郎がまとめた『薩長同盟六箇条』を保証するために書いた龍馬自筆の裏書きである。赤い墨字で書かれていた。

森鴎外は、大正七年に、帝室博物館(現東京国立博物館)総長兼宮内省図書頭(ずしょのかみ)に任じられた。小生の家の近くの団子坂の上に森鴎外の家(観潮楼)があった。そこから馬に乗って上野山の帝室博物館に通ったという。

今日は休日であったためか、大変な混雑であったが、ゆっくりと拝観した。また東御苑も美しかった。

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千駄木庵日乗十月十一日

朝起きて、非常階段から空を見渡すと、雲ひとつないお天気。

午前は、母のお世話。

午後は、皇居東御苑の「皇室の文庫(ふみくら)書陵部の名品」展を参観。そして東御苑を散策。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がっていた。「何処かに連れて行ってくれ」とうわ言のように言うのが悲しい。

帰宅後は、水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

皇居大手門

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東御苑の池

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東御苑の滝

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皇居側からみた大手町のビル群

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2010年10月11日 (月)

潮匡人帝京大学短期大学准教授の講演

昨日の『アジア問題懇話会』における潮匡人帝京大学短期大学准教授の講演で、印象に残ったことを記す。

「北朝鮮問題は好転していない。後継者確定報道はクェッションマーク。あの国では身分の低い在日の母の子が後継者なのか。張成沢は中国派。三男は主体思想派。対立しているという見方が一般的だった。三男擁立派の長老が立てつづけに死去。党の高級幹部が交通事故で死ぬのか。新聞報道を鵜呑みには出来ない。

十万の北朝鮮特殊部隊によるテロ・ゲリラという能力は高い。韓国はすでにこの危機に直面している。ソウルを火の海にする能力は北朝鮮にはある。

中国は『銃口から政権が生まれる』という考え方で、一貫して軍事的拡大を行っている。トマホークを搭載した米原潜によって日本の安全は守られている。アメリカの打撃力と核抑止力に依存している。

中国は一党独裁の国である。共産党のコントロールを受けない民間企業、民間人はいない。中国は大型輸送機を増産しているが、『国防動員法』発動の時、軍用機になる。中国軍の米国留学を経験した高級軍人は、日本を侵略しようとは思っていない。自衛隊に防衛出動を発令すれば、中国軍は日本に近づくことはできない。

相手国の上空で核爆発を起こし、人体には影響を与えず電子機器を使用できなくするという核兵器使用は可能。日米同盟を瓦解させることなく、アメリカの黙認が得られるのなら核武装すればいい。核武装論者に一人として軍事の専門家はいない。核兵器を何処に保管するのか。自衛隊の核基地を何処に置くのか。大反対運動が起こる。日米共同運用もしくは多国間で核兵器を運用するのであれば、東南アジア諸国も容認する。

法改正して自衛隊に領域警備の任務を与えるべし。海上自衛隊の艦船がすぐに急行できる状態にするべし。尖閣の灯台補修の名目で国土交通省の背広組を常駐させるべし。逮捕しても釈放しては実効支配にはならない。西村眞悟氏が尖閣に上陸しようとしたら、政府が妨害した。」と語った。

         ○

私がこれまで元自衛隊関係の方の講演をずいぶん聞いたが、、核武装推進論者は一人もいなかった。軍事専門家と言われる人にも核武装推進論者は少ないと思う。これは私には不思議に思える。何故なのだろうか。

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千駄木庵日乗十月十日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。熱は下がった。

千駄木に帰り、小中学校の一年後輩の人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2010年10月10日 (日)

蓮舫国務大臣に捧げる歌

蓮舫国務大臣・行政刷新担当相が、ファッション雑誌のために、総額約二七〇万円のブランド衣装を着て、国会議事堂内で規則違反の撮影をしたことが問題になっている。蓮舫大臣は、「不適切であるとの懸念を抱かせてしまったとしたら率直にお詫び申し上げる」と言った上で、「国会議員は様々な手段で情報を発信しているが、その一つの手段として雑誌の取材に答えることは大切だ」などと強弁した。素直ではない。

二七〇万円もする衣装を着た自分の写真をファッション雑誌に乗せることが「国会議員としての情報発信」であるはずがないではないか。蓮舫さんは大分調子に乗っているのではないか。「仕分け」とかいう「官僚いじめ」がマスコミに持て囃されているので、舞い上がっているとしか言いようがない。他人に「節約」「無駄遣い」を強要するのなら、まず自分が『節約』『無駄遣い』『贅沢』をしないという姿勢を示すべきである。国会内で二七〇万円もする衣装を身につける必要は全くない。この衣装は出版社のものであるはずがない。蓮舫さんの私物だろう。そうだとしたら尚更のことだ。

タレント時代ならともかく、国務大臣という地位についたのだから、色々な面で自制するとともに、謙虚さを養うことが大切だ。『論語』に「女子と小人養い難し」という言葉がある。蓮舫さんの浅墓な行動で、この言葉が正しいということになる可能性がある。気をつけてもらいたい。

私はある会合で蓮舫さんに会ったことがある。その時彼女は「私も台湾独立論です」と言っていた。また『外国人地方参政権付与』にも反対のようである。どうか自重してもらいたい。

拙歌を掲載します。

「二七〇万円の ドレスをまとひ 写し繪に ポーズをとるは 国務大臣」

「仕分けとて 節約迫る 大臣が 二七〇万円の ドレス着てゐる」

「タレントか はた大臣か 柔道家か はた政治家か 二人のをみな」

「官僚いじめの 人民裁判の 裁判長 国会の中で ファッションショーする」

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千駄木庵日乗十月九日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。潮匡人氏が講演、質疑応答。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また発熱している。額などに手を当てて、快癒を祈る。

帰宅後も、原稿執筆。

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2010年10月 9日 (土)

尖閣問題

「民族革新会議緊急会議」で、尖閣問題について、現状・今後の対応・活動方針・戦略などについて多くの意見が出された。差し支え無い範囲内で印象に残ったことを記す。

「与那国島の漁民・住民は皆怒っている。尖閣に行こうと言う人もいるが、海保の職員が説得している。海保は、あらゆる法規を使って民間人は絶対に尖閣に上陸させない方針。外交問題になることを恐れる政府の意向である。」

「支那や台湾の船の乗組員は武器を持っている可能性もあり、海保職員は命懸けである。海保の艦船の半数が尖閣・沖縄海域に来ている。海上自衛隊の出動が必要になっている。」

「尖閣諸島という言い方ではなく、沖縄県石垣市登野城2392番地と言うべきだ。」

「海保の特殊部隊はまだ最前線には出ていない。」

「日本青年社が建設した灯台は機能している。年一回海保が点検している。」

「沖縄では反米・基地闘争では大きな動きがあるのに、尖閣問題では動きがない。反米・反基地闘争は支那の手先が扇動している証拠だ」

「同じ価値観を持っていない共産支那に対して大人の対応などはできない。」

「メディアは、石垣市の市長と市議が自民党の街宣車に乗って街宣を行ったのに、全く報道しない。産経さえしない。海保の職員がロープで縛られて海に放り出されたことも報道しない。」

「現地に溶け込み現地住民と一体となった運動が必要である。」

           ○

藤元正義氏より『領土問題国民会議』が結成され、全国的な活動を展開することが報告された。

『趣意書』には次のように書かれている。

「盗人国中国は政府と国民が一体となり、異常なほど領土問題で騒ぐ現状に、日本及び日本人として座視することが得策であるだろうか。

領土・領海問題は一時の経済悪化があったとしても、軽々に妥協すべきではない。政府には中国政府に対し毅然とした対処を望む。領海侵犯法も無い我が国では、国民が民族の雄叫びをあげ、政府や海上保安庁を後押しすべきである。

中国の度重なる圧力に屈したのか、漁船の船長を処分保留で釈放したが、このままでは近いうちに尖閣諸島は日本の領土ではなくなる。否、沖縄の島々に対しても領有権を主張して来ることは必至である。

今なお中国は対日制裁として強気の外交を展開しているし、尖閣諸島周辺には今まで以上に武装漁業監視船を遊弋させ領海侵犯すれすれの挑発行為を行っている。

日米安保条約の第五条を適用し米軍の援助を受けるには、尖閣諸島及び領海を完全に日本の施政下に置いておくことが大切である。

政府の弱腰外交では完全なる日本国の施政下に置くことへの期待が持てない現状からして、一般国民も起ち上がり、場合によっては実力行使を以てしてでも領土・領海を死守しなければならず、ここに領土問題国民会議を発足し、全国民一体となり国土を守るために行動する。

領土問題国民会議

仮事務所 東京都文京区湯島四の六の十二のBの七一三

電話〇三―三八一六―一九一〇

FAX〇三―三八一四―九三七八     」

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。少し熱があったとのことであるが、小生が行った時はすでに下がっていた。額に手を当てて快癒を祈る。

午後五時より、新宿にて、「民族革新会議緊急会議」。犬塚博英氏が座長。多数の同志が、尖閣問題について討議。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年10月 8日 (金)

支那帝国の本質を見誤ってはならない

支那帝国は、普通一般の民主国家・自由国家ではない。そんなことは分かり切った話なのだ。今日の支那帝国の発展ぶり、そして北京五輪や上海万博などに惑わされて、支那帝国の本質を忘却することがあってはならない。

和辻哲郎氏は、「儒教を生み、また儒教を奉じているはずのシナの歴史が、儒教の道理に反する事蹟を数限りなく含んでいる…賤しい身分のものが君を殺して帝王になる。夷狄として賎しめている異国人に征服せられてその夷狄に服従する。そういう事蹟はいくらでもある。すなわちシナの歴史は儒教の理が空理にすぎぬことを実証しているのである。」(『尊皇思想とその傳統』)と論じている。

支那の皇帝は、即位する前に多くの人々を殺した人が即位し、その後「聖人・君子」とされる。「共産支那帝国」の「皇帝」であった毛沢東は、どれだけの人を殺したか分からない。即位する前どころか即位した後も、文革などで膨大な数の人を殺した。

外部に漏れた支那共産党の内部文献によると、毛沢東の建国以来、文革までの殺戮数は二千六百万人であったという。また、アメリカ上院安全委員会が一九七一年に出した調査報告書では、「毛沢東は共産主義政権を樹立して最初の十年間で三千万人の大衆を殺害し、大躍進から文化大革命直前までの十年間に二千万人、合計五千万人を殺害し、これに文化大革命の犠牲者数二千万人を加えれば、途方もない大虐殺数になる。

また、毛沢東は、劉少奇・彭徳懐・賀龍をはじめとする多数の「革命の同志」をなぶり殺しにした。色々ご教示頂いたある「中国問題の専門家」の方は私に「中国の権力者は、普段は聖人君子のようにふるまっているが、ある日突然極めて残虐になる」と語っていた。

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれている。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史である。今日の「人民中国」もその本質は全く変わっていない事をよくよく認識すべきである。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、母のお世話。

午後は、病院に赴き、父に付き添う。

午後四時より、西荻窪にて『伝統と革新』次号の編集企画会議。帰途、同志と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年10月 7日 (木)

乾正人産経新聞政治部長の講演を聞いて

『マスコミ総合研究所研究会』における乾正人産経新聞政治部長の講演で印象に残ったことを記す。

「小沢が強制起訴になったので菅政権は年末までは持ちそうだ。法務大臣は事前に強制起訴を知らなかった。仙谷由人官房長官は知っていた。『仙谷官房長官の差し金だ』という小沢側近の言葉を産経が報道したら、仙石由人は『法的秩序の破壊で言語道断』と言った。やましいからそういうことを言う。九月十四日から遠くない時点で仙谷は知っていた。だから大臣人事から小沢系列を排除した。政務官・副大臣に生きの良い小沢派の人物を引き抜いた。小沢が離党して新党を作らないような布石。こういう人事が出来たのも、検察審査会の議決を知っていたから。菅政権は仙石政権。仙石なくしてこの内閣は立ち行かない。

小沢の数少ない側近は主戦論。検察審査会に対して行政訴訟をしようという動きがある。しかし、これは時間稼ぎにすぎない。小沢サイドは政倫審出席までのカードは切れる。しかし世論がそれを許すかどうか。小沢は仲間がついて行かないから自発的離党はできない。内閣支持率が落ちれば離党勧告をせざるを得ない。

ここで問題なのは公明党。公明は与党でいたい。来年の統一地方選挙後に与党入りしたい。菅内閣にとって公明党が来て国民新党がいなくなれば萬歳。

菅さんには何の政治的経綸は無い。出世欲の塊。民主党に人材はいない。前原は良い事を言うが担保する力がない。菅と温家宝のわざとらしい偶然会談は、細野豪志を使った仙石の根回し。丹羽を中国大使にしたツケが回って来た。丹羽氏は立派な経営者だが外交は素人。中国は日本以上に官尊民卑。だから夜中に呼びつけられる。大使館が機能しなくなる。あまりに役人を使わないために弊害が起こっている。長妻辞任がその典型。

総理官邸は新しくなったが機能は低下している。ホワイトハウスのような機能的近代的官邸にしようと思ったが器だけで中身がついていっていない。菅直人には幼児型逃避願望がある。全て仙石に任せている。寺田学補佐官が飯を一緒の食う相手。総理のところに情報が来ていない。

成功した内閣は池田・佐藤両内閣がピーク。二人とも官僚政治家。ブレーン政治をやった。事実上総理が誰であれ、日本の国は回るようになっていた。村山や海部のようなどうしようもない人でも機能したのは官僚ピラミッドが健在だったから。それが、ガタがきている。

自民党はこれだけのチャンスを生かせない。自民党支持率が上がらない。谷垣は『最初に釈放すれば良かった』などと与党のようなことを言う。自民党新体制の理念・政策アピールが足りない。この好機を生かせなかったら。来年の予算審議という好機も生かせない。

都知事選も来年の政局のキーワード。政局はやっぱり公明党。官邸はやっぱり仙石。最期はやっぱり小沢。公明党は警視庁と仲良くしたい。都議会を押さえたい。これが学会目公明党の行動原理。昔の激しい折伏は逮捕要件を満たした。自民が公明と組み続けるためには。都知事選に勝てる候補を出さねばならない。石原ジュニアか石原慎太郎本人。猪瀬が当選すると思っているのは本人だけ。民主党は を人質すれば公明党は必ず与党になる。蓮舫なら都知事に当選する。蓮舫自身は総理を目指している。自民党は小政党に転落する危機にある。

実体は強制起訴で小沢の政治生命は終わっているが、『小沢神話』はまだ残っている。谷垣と仙石とはパイプがある。両人とも法曹界出身。弁護士ネットワークがある。」

          ○

なかなか面白い講演であった。仙石由人氏がこれほど力をつけるとは思わなかった。彼は徳島選出であり、父の代理で小生が徳島県人会に出席した時に会ったことがある。徳島からは三木武夫・後藤田正晴というなかなか「立派な政治家」が出ている。国政で大きな役割を果たした。仙石氏もそうなるのか。父の故郷出身なのであまり悪く言いたくないが、三人とも日本を悪い方向を引っぱって行ったことは確かである。

都議会警察消防委員会は何回も傍聴した。ある時は、警視庁刑事部暴対課の警部に傍聴しないように威圧を加えられたこともある。明らかに職権乱用であった。告訴すれば良かったと思っている。

警察消防委員会というのは全く形骸化していて、ろくな審議を行わない。ほんの数分で終わってしまう。議員たちの警視総監などに対する態度は、都庁の他の部局の役人に対してとは全く違う。厳しい追及などしたことはない。委員会はセレモニーに化している。都議会自民党と公明党の幹部が委員になっている。引退した公明党のある議員は「御大」と呼ばれ大変な実力者ぶりを発揮していた。

四十五年安保の頃にも傍聴したが、その頃は秦野章氏が警視総監であった。有楽町にあった都議会に警視総監が到着すると、何と都議会自民党幹事長が出迎えいていた。審議が終わると委員長が「どうも総監。度々答弁に立たせまして」と挨拶していた。その頃は、左翼活動が激しく、左翼活動家が傍聴にも来ていた。美濃部都政であった。なかなか緊迫した雰囲気であった。機動隊増員や予算なども、自民党だけでは通らない。しかし、公明党が最後には賛成して通過した。公明党は警視庁にその頃から「恩を売っていた」ということであろう。

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本記者クラブにて、『マスコミ総合研究所研究会』開催。阿部穆氏が司会。乾正人産経新聞政治部長が講演。質疑応答。

この後、病院に赴き、父に付き添う。やや落ち着いている。少し会話をする。

帰宅後は、原稿執筆。

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『守れ!わが領土国民決起集会』での登壇者の発言

第四回守れ!我が領土国民決起集会』における登壇者の御発言で印象に残ったことを記します。

加瀬英明氏「元寇・幕末・大東亜戦争に続く四回目の国難。高速道路が広がる度に人の心が狭くなり、マンションが建つ度に人の心のつながりが無くなり、スーパーが建つ度に家の食事が貧しくなった。日本は独立国としての意識を取り戻すこと。自尊心が無くなった結果、戦後教育の結果が今回の事態。」

山谷えり子さん「主権・領土を守る意志も能力もない菅内閣に憤っている。本来領海侵犯で逮捕すべきだったのに、公務執行妨害で逮捕し、処分保留で釈放はとんでもない。これでは国家は溶けてしまう。ビデオを公開して国際社会に訴えよ。領海警備法を整備せよ。自衛力を増強して美しい日本を守らねばならない。」

藤井孝男氏「九月二十四日は国辱の日。鳩山内閣は戦後歴代の政権の中で最も信念の無い朝令暮改の政権だった。こういう国にしてしまったのは我々世代の政治家に責任がある。市民運動・反国家権力でやって来た菅総理は、国家主権を守ることが出来なかった。国旗・国歌法に反対した人が総理であることが、日本という国の主権を守ることが出来ないということ。自主憲法を制定しなければならない。」

長尾敬氏「針の筵に座っている思い。与党議員の一人として批判を受けて行く。国難の時に何をなすべきか考えている。」

平松茂雄氏「昭和三五年に大学院で研究を開始して以来、五十年間中国の動きを見て来た。最初に『中国人は相手より優位に立つと嵩に懸って来る。中国は片方の手でひっぱたきながら片方の手を差し出してくる国だ』と教えられた。その頃は中国が強くなるとは思いもつかなかった。五十年経ってこの二つのことが現実になった。一九七〇年に東シナ海に石油が出ると分かったら中国は海に出て来た。中国に恫喝されるということで東シナ海の石油開発はできなくなった。それがずっと続いた。中国は春暁の石油開発施設を軍事施設として使っている。中国は一九六〇年から核兵器開発開始。五年後に核実験。東京五輪の真っ最中。アメリカは積極的に関わるのを避けている。中国を刺激するようなことは避けている。西太平洋はアメリカがいるから大丈夫とは言えない。中国の海洋戦略を理解すべし。」

衛藤晟一氏「九月二四日は西郷南洲の祥月命日だったので鹿児島にいた。そこで船長の保釈を知りびっくりした。黒船来航と同じだと思った。国の再生が出来るかどうかが私たちに与えられた仕事。全ての政治家が責任を負わねばならない。この二十年劇的に変わって来た。それに何の手も打てないできた。その眠りを覚ましたのが今回の尖閣の問題。明治維新に次ぐ日本を変える動きをつくる。」

下地幹郎氏「やるべきことをやる。防衛予算を増額する。この機会を逃してはいけない。武器三原則を見直す。」

石平氏「二十二年前の天安門事件にショックを受けた。三年前に日本に帰化して九月二十四日に堪え難いショックを受けた。日本国家の敗北。戦後体制が、いかに駄目かが分かった。中国が日本民族にとってどれほど脅威かが分かった。屈辱を忘れてはいけない。このチャンスを逃してはいけない。」

佐藤守氏「十四年前まで沖縄で勤務。日本人が足元を見直すことが重要。現行憲法を後生大事にするなら、自衛隊は全て超法規でやらざるを得ない。沖縄の防衛について県知事とアメリカ海兵隊司令官と私とで協議することになっていたが、当時の太田知事とは情報交換は無かった。平成八年九月香港の活動家が定員十八人の船に、二十四人乗船して尖閣に来た。報道関係者四十四人もついて来た。『やれやれ』とけしかけたのは日本人の記者。ヤラセである。こういうことが戦争になって多くの将兵が死んで行った。『寄らば斬るぞ』という姿勢が大切。自衛隊は『防衛出動命令』が下されたら、徹底的にやる訓練をしている。『防衛出動』の命令を下すことが出来る政治家を政界に送ってもらいたい。」

西村眞悟氏「尖閣は自衛隊が実効支配している。『普天間県外・海外移転』と言っていた鳩山内閣の閣僚をしていた菅・岡田・前原はどの面下げて、縋りつくためにアメリカに行ったのか。『日米安保条約』第五条『各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。』を読んだことがあるのか。施政下の領域に日米安保は通用する。施政下とはわが国の法の支配が及ぶこと。しかし、船長を釈放したことにより、わが国の法の支配よりも中国の力の支配下にあることを示した。国益に反する無能な内閣を打倒すべし。日本人の敵・中共を打倒せよ。菅亡国内閣を打倒し、保守民族統一政権を樹立せよ。」

向山好一氏「西村眞悟先生の公設第一秘書をしていた。西村先生のDNAを引き継ぐ思いで衆議院議員になった。菅さんは温家宝との立ち話で尖閣のことで互いの立場を述べあったが、フジタ社員拘留に言及しなかった。丹羽駐日大使の説明を聞くべし。ビデオを公開すべし。『白樺油田に触ったら許さない』と政府として発信してほしい。尖閣に自衛隊を常駐すべし。『友愛の海にしよう』と言った鳩山さんに尖閣に行ってもらおう。財産のある大金持ちの鳩山さんに尖閣を買ってもらおう。」

宮崎正弘氏「日本人には良い人と悪い人とがいるが、中国人には悪い人ともっと悪い人しかいない。中国人は広げた風呂敷を畳む技術がない。中国人は嘘の天才。天安門事件で虐殺があったのに無いと言い、南京大虐殺は無かったのにあったと言う。反日デモは反日ではなく反共・反政府デモ。レアアースはわが国に一年以上備蓄あり。その間に代替材料を開発すれば良い。日本が技術を引き上げたら中国が困る。日本企業が撤退したら困るのは中国。中国から輸入している割りばしと備長炭は無くても良い。」

伊藤哲夫氏「尖閣は『点』の事件。『面』で捉えるべし。東シナ海が重要。南シナ海でも十年前から同じことが起こっている。中国の漁船が出て来て色々なことをして捕らえると、イチャモンをつけ、漁業監視船が出て来る。着々と西沙と南沙を押さえて軍事施設をつくった。菅内閣打倒と世論の喚起が大事。今後中国が握手を求めて来た時、われわれの真価が問われる。」

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2010年10月 6日 (水)

『守れ!我が領土国民決起集会』における小生のの閉会の辞

『第四回守れ!我が領土国民決起集会』の閉会の辞で小生は次のようなことを述べさせていただきました。

「真正保守運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那に対する土下座外交・謝罪外交を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴えて来たことがいかに正しかったかが、今回証明された。奇しくも今年は、山口二矢氏が、『アメリカ帝国主義は日中共同の敵』などという血迷ったことを言った浅沼稲次郎氏を刺殺してから五十年である。

幕末の長州の学者・村田清風は『敷島の大和心を人問はば 蒙古のつかひ斬りし時宗』という歌を詠んだ。今こそ、われわれ日本国民はこういう気概を取り戻さねばならないということを申し述べようと思ったが、モンゴル出身の朝青龍は断髪式で『大和魂を持った日本人に生まれ変わりたい』と語った。今やモンゴルは共産支那の侵略を受けている。モンゴル・東トルキスタン・満州・ベトナムなどは支那の侵略支配を受けている。中華帝国主義はアジア共同の敵である。」

登壇した方々のご主張は後日あらためて報告致します。

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千駄木庵日乗十月五日

午後は、諸雑務。

午後六時半より、文京区民センターにて、『第四回守れ!我が領土国民決起集会』開催。三沢浩一氏の先導で国歌斉唱。三輪和雄氏が司会。山谷えり子・向山好一・下地幹郎・藤井孝男・衛藤晟一・平松茂雄・佐藤守・西村眞悟・石平・宮崎正弘・伊藤哲夫・長尾敬・加瀬英明の各氏が意見表明を行った。木村三浩氏が決議案を朗読し採択された。最後に小生が閉会の辞を述べ閉会した。

帰途、同志と懇談。

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加瀬英明氏

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2010年10月 5日 (火)

石平氏の講演を聞いて

「一水会フォーラム」での石平氏の講演で印象に残ったことを記す。

「中国漁船の日本領海侵犯が計画的か偶然か分からない。しかし、大きな流れの中で起こった。あの海域で中国漁船がうろうろし、日本見逃していた。中国漁民の行動は、漁民の意志だけではない。後ろに政府の奨励がある。まず漁船を派遣して既成事実をつくり、あの海域が中国の海になったような状況をつくり、漁業監視船を派遣し、さらに軍艦を派遣してもおかしくない状況をつくる。

拿捕は当然の措置。問題は、拿捕した後の対処の仕方。丹羽大使を五回も呼び出したのは単なる嫌がらせ。中国のすることは日本のヤクザ以下。乗組員と船を中国に返したのが間違いのもと。妥協すれば事態が静まるかと言えば間違い。中国はより強硬な姿勢を示す。理不尽な報復措置をする。あらゆる手段を使って日本に圧力を加える。中国の方が焦っていることが私には分かった。強気の時が一番焦っている。

中国と日本との間で何かが起きると、三日間は反日運動が起こる。その後、反政府運動になる。中国政府は苦しい立場になる。国際社会からも非難の声があがって来た。フジタ社員の拘束は報復以外の何物でもない。勝手に軍事領域だと言う。ルールも法も関係ない政権。一般日本国民は中国が恐ろしいと分かった。船長釈放まで苦しんだのは中国。日本政府は法に基づき粛々と一年間でもブタ箱に入れれば良かった。そうすれば日本の主権を示すことが出来る。中国は、今は強硬な軍事行動を起こすことはできない。日本外交は踏ん張るべき所で踏ん張らない。九月二十四日、日本の方が折れてしまった。

検察の判断でやったというのは、国民は嘘と思っている。仙石は最低の馬鹿野郎。日本は法治国家であることを捨てた。独立国家としてのプライドを捨てた。中国に降参した。外交には妥協はあるが、相手に圧力をかけられて譲歩するのは最低。国際社会には『諸国民の公正と信義』などは無い。日本の負け方を見て、ロシアの大統領も『北方領土に行く』と言い出した。九月二十四日は、日本にとって最悪の日。中国外務省は日本に謝罪と賠償を求めて来た。これが中国の本質。チンピラのやること。

菅首相と日本の外務省が拒否の意向を示したら、中国の態度が変化した。こちらが強気になれば引く。中国は戦略を立て直して日本に向かってくる。今回のことは中国の海洋戦略の中で起こった。第二列島線まで中国の支配下に置きたい。そうなると日本は完全に中国の支配下に置かれる。尖閣を突破口にしたい。日本が中国の属国になるとどうなるか。チベットの悲惨さを見れば分かる。

日本は中国の海洋戦略をぶち壊すしかない。今日の危機は、ペリー来航以上の危機。世界史上稀に見る残虐な帝国による侵略の危機が迫っている。日本に時間は無い。これを打開するには今の憲法を捨てること。国家はある意味でエゴイズムの塊。『諸国民の公正と信義』などという幻想は捨てるべし。明治憲法に戻りそれを修正すると、第九条は残らない。第九条は明らかに嘘。自衛隊は軍隊。平和は実力と決意で守られ作られる。中国という醜悪な国家に対抗するには、明治国家=大日本帝国のような国家体制をつくるべし。戦後日本には政府はあるが国家は無い。国家の根本は自分の力で自分を守ること。本来の国家の姿を取り戻し中国に対抗すべし。

今回のことで一般今民も中国の恐ろしさが分かって来た。これが今回のことで唯一良かったこと。しかし日本人は忘れっぽいので困る。理不尽な中国の行為で周辺諸国も中国への不信感が起こった。来年のアジア民族興亜会議は重大な意味がある。日本は中国に対抗する同盟の盟主になるべし。アメリカの力も利用するべし。アジアを束ねアメリカを利用して中国を包囲すべし。チベット・ウイグル独立運動を助けるべし。中国が背後に脅威を感じれば、海に出る力も弱まる。もう一回大東亜戦争の理念を掲げて戦うべし。

中国は、七つか八つの国に分立した方が良い。四川省だけで一億人いる。一つの共和国になれば親日国家になる。それが中国人民にとって幸せ。民主化も実現する。北京政府はつぶさねばならない。日米同盟は中国への抑止力として利用しても、頼りにしてはならない。自分たちで守るという力と意志を持つべし。尖閣に自衛隊を駐屯させるなら今がチャンス。中共政権存立の基盤は経済成長。経済成長は何時までも続かないと語った。

       ○

『元寇』(作詞・作曲:永井建子)という歌の一番を掲げさせていただく。

「四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃 なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す」

わが日本は、元寇そして日清戦争の時の気概を示さねばならない。

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千駄木庵日乗九月四日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。

午後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七氏時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。石平拓殖大学客員教授が講演。質疑応答。

帰宅後も原稿執筆・脱稿・送付。

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2010年10月 4日 (月)

村田清風の歌を想起する

共産支那のわが国に対する悪逆不逞の行為を目の当たりにして、想起する歌は次の歌である。

しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗

                   村田清風 

村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させた。安政二年(一八五五)に七十三歳で逝去。

この歌は、本居宣長の「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山ざくら花」を本歌取りした歌。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬った。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃えた歌である。

 

日本は今日、中華帝國主義による侵略の危機、ロシアによる北方領土=南樺太全千島不当占拠、北朝鮮によるミサイル攻撃の危機とわが國民の拉致、韓國による竹島不当占拠、という多くの外圧に見舞われている。今こそ日本國民全体が愛國心・大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。

ここまで書いて、テレビニュースを見たら、朝青龍が引退のインタビューに答えて、『大和魂を持った日本人に生まれ変わりたい』と語っていた。まことに感激した。モンゴルは今や親日国家である。そして大和魂を持った日本人に生まれ変わりたいという人もいるのである。朝青龍関には、先日の村上正邦氏の会合でお見かけした。

今日の日本やモンゴルへの侵略者は共産支那である。そしてモンゴルの南半分は、共産支那に侵略支配されているのである。まさに「中華帝国主義はアジア共同の敵」である。

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千駄木庵日乗十月三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆のため資料の検索。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父が「お母さん」と小さい声で言う。母に会いたいのであろう。しかし、母も九十歳である。とても病院に来ることはできない。本当に父が可哀想である。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2010年10月 3日 (日)

枝野幸男氏の正論に思う

報道によると、民主党の枝野幸男幹事長代理は2日、さいたま市内で講演し、沖縄県尖閣諸島沖の支那漁船による領海侵犯・公務執行妨害事件(衝突事件ではない)後に共産支那政府が「報復措置」を繰り返していることについて「中国とは法治主義が通らないという前提で付き合わないといけない。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業はお人よしだ。カントリーリスクを含め、自己責任でやってもらわなければ困る。」「中国と日本は明らかに政治体制が違う。米国、韓国との関係同様に信頼関係をもって協力して物事を進めることを期待する方がおかしい」「悪しき隣人でも隣人だ。それなりにつきあいをしていかないといけない」と語ったという。

「支那は法治国家ではない。」「支那とは信頼関係は持てない」「支那は悪しき隣人」という主張は全く正論である。枝野氏は民主党幹事長代理である。よくぞ言ったと思う。ただし民主党幹事長や菅内閣の主要閣僚であっても、同じ発言が出来るたかどうか。そこが問題である。

今日世界最大の帝国主義国家、軍事大国、侵略国家は何処か。それは「中華人民共和国」である。チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、漢民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。

そして、わが国領土領海の侵犯・尖閣諸島への侵略策謀などを展開している。わが国の領海を侵犯したり、わが国に不法入国し、凶悪な犯罪を起している支那人たちの心理には、反日教育によって植え付けられた「侵略国家日本」「自分たちの祖先を苦しめた日本人」に対する報復感情がある。

このままでいくと、日本と支那は軍事的対立に間で突き進む危険がある。わが日本および日本国民は相当の覚悟をもって臨まねばならない。

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千駄木庵日乗十月二日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、池袋にて『松本実氏を偲ぶ会』開催。杉山清一氏が司会。山口申氏が挨拶。会場は松本氏がよく来ていた酒房であった。私も松本氏と一緒によく来た。松本氏は晩年小生の「萬葉集」講義を聴きに来ておられたので、その帰りには必ず御一緒させていただいて御馳走になった。その酒房は池袋の『人生横丁』という飲み屋街にあった。ところが今日行って驚いたのだが、その『人生横丁』が跡形もなくなっていた。そして松本氏行きつけのその酒房はすぐ近くに引越していた。『人生横丁』は『美久仁小路』とともに青江美奈の『池袋の夜』というご当地ソングにも登場する。『人生横丁』とはなんとも良い名前で、松本氏とともに語りあい。歌を歌った懐かしい思い出は忘れることはないだろう。さらに不思議なのは、池袋駅構内で、松本氏が倒れられた時、その酒房のママさんが偶然に通りかかり、救急車で一緒に病院に付き添って行くことができたことである。そして松本氏の部下にすぐ連絡することができたという。こういう偶然は滅多にあることではなく、松本氏のご人徳のしからしむるところそして神仏のご加護というほかはない。

帰宅後も、資料の整理。

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2010年10月 2日 (土)

「親中派」及び「似非平和主義者」の誤りが証明された

我々が、「中国脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。こうした論議が全く間違っていたことが、今日明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

フジタの社員が共産支那によって拉致され監禁されたことは、この二つの論議がいかに誤ったものであり、危険なものであるかを証明する象徴的な事象である。共産支那にするべきではない協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのである。

軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。

沖縄に軍事基地が集中するのは当然である。日本および沖縄県が「中華帝国」の支配下に置かれないためには沖縄の人たちには我慢をしてもらうしかないのである。

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千駄木庵日乗十月一日

午前は、母のお世話。介護の方と共なり。介護の方々は本当によくやってくれるので有難い。

午後は、資料の整理など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父の苦しむ姿を見ていると、長く入院していた病院での院内感染で病状が悪化したことが本当に悔やまれる。弁護士にその病院への質問書を出してもらったが、いまだに回答がない。親の仇を討つつもりで追及したいと思っている。

帰宅後も、資料の整理。

どんどん日が暮れるのが早くなってきている。一抹のさみしさを感じるが、一方で秋の夜長を楽しもうという思いもある。

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2010年10月 1日 (金)

共産支那は北朝鮮と同じ人さらい国家だ

ご参考までに、小生執筆のある会合の案内の文章の草稿を掲載します。

「日本固有の領土尖閣諸島での共産支那の傍若無人な無法行為とその後の圧力外交は許し難いものがあります。日本だけではなく、共産支那は東アジアをはじめ、多くの国にその容赦ない侵略の牙を向けています。

わが国の海上保安庁がわが国海域に対する領海侵犯・海保巡視船に対する不法行為を行った支那人を逮捕し拘留したことへの報復として、共産支那は、無実の日本人を四人も拘束しました。これも断じて許し難い厚顔無恥な無法行為であります。

わが國民主党政権の軟弱な対応おびえた姿勢は、まさに、悔いを千載にのこす国辱外交であります。

共産支那は、『中華帝国主義』と『共産帝国主義』を併せ持つアジア最大の侵略国家・覇権国家・軍国主義国家・独裁国家であります。

共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題であります。そのためには、『共産支那』『中華帝国主義』の本質について、われわれ日本国民が正しく認識する必要があります。」

          ○

わが国による正当なる支那人拘留に対する報復として、四人の日本国民を拉致した共産支那は、北朝鮮と何ら変わりのない人さらい国家・国際テロ国家である。自国の理不尽な主張や要求をわが国に認めさせるために押し通すために、わが国民を拘束した行為は、まさに人質外交であり、人さらい外交である。メディアが、三人の日本国民が「釈放された」ではなく「解放された」と報道しているのは、そのことを無意識に感じているからであろうか。

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、母のお世話。

医師の往診があり、母に付き添う。

この後、介護のケアマネージャーの方が来宅。相談。

午後は、諸雑務。月末のため支払い・振り込み大作戦で疲労困憊・青息吐息。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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