« 千駄木庵日乗八月二十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十二日 »

2010年8月22日 (日)

梁思成氏銅像建立について

京都市議会議員をしておられた國枝克一郎氏が、西田昌司参院議員に提出した『文書』を,國枝先生より送っていただいた。それには。次のようなことが書かれていた。

「中国人の梁思成なる人物のお陰で、京都・奈良などが米軍の爆撃から守られたということで、その顕彰碑を建てようとする動きがある。…私は、信憑性・検証性はもとより、中国に対する迎合と日本歴史の捏造への道としか考えられません。

京都でも、戦後、アメリカのウオーナ博士のお陰で原爆がなく助かったとか、マンスフィールド大使のお陰で原爆をこうむらなかったとかの話はありました。仮にそうだとしても京都の代わりに他がられているわけでして、長崎に原爆が落とされて助かった『ところ』があったとして『そのところの人が』誰に感謝など出来るものかと言いたい。

今、奈良は『平城建都1300年祝祭』を行いつつありますが、その祝祭を計画している役人や、いわゆる文化人の実行委員といわれる人々に、或いは奈良の人々に、私は、全く皇室なり、天皇家とのつながりをなくしようとしてゐるとしか思えないイベントのあり方に非常に不満と憤りを持っています。大和朝廷の成立、飛鳥時代の文化、日本の国柄の黎明の地としての奈良県、橿原神宮の人々は何を考えているのだろうか。」

同感である。梁思成氏が米軍に爆撃を止めるように進言したという証拠はない。あるのは梁氏の親族や近親者の証言だけである。また、梁思成氏の進言が事実であったとしても、それが米軍の空爆対象選定に影響を及ぼしたかどうかは不明である。

梁思成氏は親日家であり、父上の梁啓超氏も、清朝末期の改革運動の指導者で、日本に留学し、吉田松陰を尊敬していた人物である。しかし、実証性の希薄な風説によって、梁思成氏の銅像を建てるというのはやはりおかしい。歴史の捏造につながる恐れがある。

1982年6月、唐招提寺を訪問した当時の中国の首相・趙紫陽が、鑑真和上の御廟前に瓊花の苗木を一株植樹した。ところが、彼が天安門事件で失脚した後、政敵であった李鵬が訪日して唐招提寺を訪問した時、その木を一時とり払ったという。

どうも日本人特に「親中派」と言われる人々、そして政治家・政府・自治体などの、共産支那に対する姿勢はおかしい。あまりにも卑屈である。「互恵平等」などと言われるが全くその逆をいっている。卑屈な態度・媚び諂いは本当に醜い。かえって支那及び支那政府に馬鹿にされる結果を招いている。

|

« 千駄木庵日乗八月二十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十二日 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 梁思成氏銅像建立について:

« 千駄木庵日乗八月二十一日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十二日 »