« 千駄木庵日乗八月二十三日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十四日 »

2010年8月24日 (火)

東アジア共同体とは一体何なのか

鳩山由紀夫君(同世代なので敢えてこう書かせていただく)は、菅直人君が「東アジア共同体」にあまり熱心でないのが不満なのだと言われている。軽井沢に小沢一郎に「お出ましをいただいた」のも、菅直人君への牽制であろう。

「東アジア共同体」とは一体何なのだろうか。「共同体」という言葉はきわめて重い。わが國は、天皇を祭祀主と仰ぐ「信仰共同体」「祭祀共同体」である。これは、共同体に生きる人々即ち日本人は、同じ文化・信仰・言語を持ち、深い一体感を持って生活してきた歴史と伝統を言う。

「運命共同体」という言葉もある。生死を共にし、どのような苦境に立ち至っても、離反することなく、運命を共にするということである。

「東アジア共同体」の「共同体」が、この二つの意味に近いものであるとしたら、共同体の形成は全く不可能である。宗教・文化の差異が大きいアジアで「祭祀共同体」「信仰共同体」が形成できるとは思えない。無理にそれを行おうとすれば、激しい対立闘争が起こり将来に大きな禍根を残す。

また、日本が南北朝鮮・共産支那と、軍事的・政治的に運命を共にするなどということも現状ではそして近未来的にも全くと言って良いほどあり得ない。

従って、私は「東アジア共同体」などという言葉を安易に使ったり、弄ぶべきではないと思う。東アジア各国の、経済協力、文化・芸術の交流、そして災害・疫病・環境問題の協力などは必要なのであろうが、そんなことは何も「共同体」を形成しなくとも可能である。

東アジアには、とりわけ日本の近くの朝鮮半島・台湾海峡などで軍事的緊張・安保不安がある。これを解消することが、政治的協調の前提である。しかし、たとえ軍事的緊張が無くなったとしても、東アジアで「共同体」を形成することは難しいと考える。

わが国建国の精神は『八紘爲宇』である。世界の民族が一つの「家」となって共に共生するという精神である。一つの家となるという理想は、一つ一つの國の個性、歴史・伝統・文化を互いに尊重し合うということである。

この理想と東アジア共同体の形成というのは、似て非なるものがあることを我々は認識すべきである。

|

« 千駄木庵日乗八月二十三日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十四日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/49234434

この記事へのトラックバック一覧です: 東アジア共同体とは一体何なのか:

« 千駄木庵日乗八月二十三日 | トップページ | 千駄木庵日乗八月二十四日 »