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2010年7月22日 (木)

人格と識見について

誉め言葉に「人格識見共に立派である」というのがある。私もこれまでの人生で、人格識見共に立派な方には、何人かお目にかかった。今すぐに思い出すのは、草地貞吾先生である。草地先生は、まさにこの言葉通りの方であった。

識見がいかに正しく立派であっても、人格面で尊敬できない人がいる。またその逆に、人格的に尊敬出来ても、識見がおかしいという人もいる。「学者馬鹿」という言葉もある通り、専門的知識を有し、学問に専心している人は、少し変わったところがあるのは致し方ないと思っていた。

しかし、つい最近の私は体験次のような体験をした。ある勉強会で、講師の話が終わり、質疑応答の時間となった。司会を務めていたある学者の人が、「質問は簡潔に。自己主張は控えて下さい」と申された。ところがその司会者は、質問者の質問内容に自分の意見を述べるだけでなく、「そういう見解はもう学会では否定されている」とか、「私の本を読んでもらえば分かる」とか言い出した。質問者は言うまでもなく講師に質問しているのだ。にもかかわらず、司会者がこのような発言をするのは全くおかしい。質問者に対してだけでなく、講師に対しても失礼である。無礼というか非常識というが、開いた口がふさがらなかった。

この司会者は、真正保守に立場に立ち、現代における国学者と言っても良い人である。よく勉強されていて識見は実に立派なのである。私もかなり前から、よく知っている人物であり、一緒に運動もした。また、國體の根幹に関することで、多くの真正保守の方々とは意見を異にする見解を持ち、そのために批判を受けている人である。そのために、意見発表の場や活動の場が制約される事態になっているようにも思える。私はこの人の見解を全面的に肯定するものではないが、気の毒に思っていた。

ただこの人物には、人格面で少し問題があることはかなり前から感じていた。以前、ある勉強会で、この人物の祖父の年代に近い方であり、深い学識のある方の質問に対して、かなり無礼な応答したのを見て驚いたことがあった。

今回もまた同じように非常識であり、無礼な態度を見せたのには、本当に驚いた。この人が、色々批判され、人々から嫌われるのは、識見の面ばかりでなく、人格的に反発を持たれているからであることを深く認識した。

私自身、人格面でも、識見の面でも他人様を批判できるような人間ではないことは重々承知している。しかし、今回はこれだけのことは書かしていただいた。つまらない事を書いてしまったかとも思うが、どうかお許し下さい。

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