« 千駄木庵日乗七月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月十七日 »

2010年7月17日 (土)

我が国の外来文化受容について

日本伝統信仰と儒教・仏教の融合調和は「儒佛の日本化」と言って良いと思ふ。幕末の国学者・大國隆正は学問を学ぶ態度について、「『神代の巻』を本書とし、支那・天竺・西洋よりわたり来れる書籍をすべて、わが神代巻の注釈書とおもひて見るべきなり」(『本学挙要・下』)と述べてゐる。

日本儒教は支那中心主義=中華思想を日本化して、「日本が中華である」とするやうになった。日本佛教には「日本こそが大乗仏教を完成させた国」との自覚が起った。事実今日、儒教・佛教はこの二つの教へが発祥した国よりも、日本において教義は発展し洗練され高度なものとなってゐる。

日本民族の包容性は、決して無原則ではない。わが国は外来文化・思想・宗教を受容するにあたって、日本の傳統信仰と合はないものは、取り入れなかった。儒教の「易姓革命思想」の不受容はその典型である。

幕末以来、日本は貪欲なくらいに近代科学技術・西洋文明を包容摂取した。文明開化・富国強兵・殖産興業とは、「西洋文化文明摂取包容」の別名である。「尊皇攘夷」を唱へてゐても、柔軟にして革新的な意思と態度を持ってゐた。そしてそれが伝統ある日本國を守り発展させることになると信じたのである。それは頑迷固陋な保守主義ではなく、まさに明治天皇が御製に示された「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」の大精神である。

わが國は、外来文化文明を自由に柔軟に輸入し発展してきただけではない。太古以来の伝統を消滅させずにこれを現代に至るまで継承してきた。天皇を祭り主と仰ぐ國體はまさに今日に至るまで消滅する事はなかった。現代世界の所謂先進文明国家中でも太古以来の伝統を保持してゐる国は他に存在しない。

今日、日本は内憂外患の危機に瀕してゐる。かかる時にこそ、柔軟にして強靭なる「やまとごころ」を発揮すべき時であると信ずる。すなわち、日本伝統精神に回帰しそれを大いに興起せしめ、さらに外国の文化文明を日本化して国を強化し、我が國の独立と平和を守らねばならない。

|

« 千駄木庵日乗七月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月十七日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/48895083

この記事へのトラックバック一覧です: 我が国の外来文化受容について:

« 千駄木庵日乗七月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月十七日 »